二度目の夜を駆ける 九話-大江山 壱-


「主《あるじ》さん。さよなら」
 
 どういうこと!?
 そんなのやだよ。
 
「僕は行けない」
「なんで……? どうして!」
 
  くわっと猫のように目を見開いて、モモタロウくんは叫んだ。
 
「鬼の巣窟なんて行けるわけないでしょ!!!」
 
 あまりの大声に鳥たちが一斉に飛び立っていった。
 私とモモタロウくん、そしてヌラリヒョンさんは、花の窟《いわや》を出発して北へ歩いていた。
 次の目的地候補である大江山が京都の北部にあるからだ。
 ここからだと奈良・大阪・兵庫を縦断する。この、夏のカンカン照りの中。
 
「大江山にはシュテンドウジがいるんだよ! 馬鹿で酒好きのロクデナシの鬼! オツムはからっきしで手下の鬼たちと町は襲うし、女の人をさらうしとにかく最低最悪なんだから!」
 
 堪えきれないのか柄に手をかけていて、今なら横切るものは何でも斬ってしまいそうだ。
 私は提案者であるヌラリヒョンさんを見た。
 
「………………本当の話?」
「嘘ではない。だが」
「じゃあこの話はなかったことに」
「まてまて。早まるな。何が気に食わなかったのだ」
「お酒好きなところ。女の人さらうところ」
「だよね。ほら」
 
 鬼嫌い代表のモモタロウくんは勝ち誇って言った。
 ヌラリヒョンさんは難しい顔で唸るが、今回ばかりはモモタロウくんの側に立たせてもらう所存だ。
 酒好きもマイナスイメージが強いが、まだ我慢できる。
 町を襲って女性をさらうのは、さすがに看過出来ない。
 妖は悪戯や悪さが好きにしても度を過ぎていると思うのだが。
 それになにより。
 
「ぬ、ヌラリヒョンさんは、そんなひとと私が仲良くなれると思ってるんですか?」
 
 自分が軽んじられたような気がして、真意が知りたかった。
 
「其方ならばと思ったから薦めた。そこらの者ならば口にもせぬさ」
 
 その言い方はなかなかに効いた。
 そこまでヌラリヒョンさんに言ってもらっておきながら突っぱねるなんて、私には出来ない。
 前向きに考えていこう。
 
「そこまで私にオススメするポイントってどこですか?」
「薦める理由のことかな。それは其方の誘引性が大きい。大馬のことを覚えているか」
「はい。良い子だったけど、私を食べる気満々でしたよね……」
 
 私を好いているからこその行動であったが、捕食される側は恐怖でしかない。
 
「其方は弱い妖族に好かれやすいものだと思っていたのだが、最近の様子だと神族の懐に入るのも早いように思える。
  推測だが、其方は相手が誰であろうと惹きつける体質なのではなかろうか」
「そうですかね……?」
 
 普段誰の目にも映らない形を保てない妖や神は、私に対して好意的だ。相手をされるのが嬉しいらしい。
 その一段階上にあたる、誰からも視認出来てはっきりと存在感がある生物も私には好意的だ。大馬や夔の神さんがここに入る。
 更に上位のものが、ヌラリヒョンさんやイワナガヒメさん、カグツチさんのような、人型で意思をしっかり持つ生き物だ。
 彼らが私に魅了されるなんて天地がひっくり返ってもないと思うが。
 
「判らぬからこそ試してみたい。シュテンドウジならば深く考えぬだろうから丁度良い」
 
 多分先に手が出るタイプなんだろうなあ。勝手な想像だけど。
 
「シュテンドウジが主《あるじ》さんに平伏す姿は……良い眺めかもね」
 
 こっちはこっちで変な欲望抱いてるや。
 
「鬼と関わるならちゃんと首輪付けてよね。放し飼いするなら、僕も出方を考える」
 
 鬼を斬らないで。
 私の言葉に縛られて文句を言いつつも、律儀にずっと守ってきてくれた。
 今までどんな気持ちでいたのだろう。
 
「鬼は絶対斬る、……って気持ちは今も変わらない?」
「絶対。……ではないかな」
 
 モモタロウくんは静かに言った。
 
「反射的に斬ることはないよ」
 
 胸を撫で下ろした私は、従者の頭を撫でた。
 それを鬱陶しそうに首を振って嫌がった。
 
「馬鹿にしてる?」
「ううん、全然」
 
 前は抜身の刀そのものだったけど、今は鞘のついた落ち着きのある刀だ。
 それが嬉しかった。
 
「……。行ってきなよ。大江山」
 
 と、モモタロウくんが観念したように言った。
 
「もちろん僕は行かないよ。話が拗れるからね」
 
 殺し殺されの関係だ。会えば殺し合いが勃発するだろう。
 私個人としては、モモタロウくんがいてくれると安心出来るのだが、今回ばかりは仕方がない。
 
「じゃあ大江山の近くで村でも見つけて、そこで待ってて貰えば良い?」
「そんな近くに行けるわけないでしょ。鬼を受け入れてる奴らにだって僕は天敵だよ。いい機会だから、僕はちょっと遠くへ足をのばしてみる」
 
 がしっと袖掴んだのは、反射だった。
 こと喪失において、私は獣並みに敏感だった。
 そして、モモタロウくんは、哀れで迷惑な私をじっと見た。
 とある日のように振りほどかれることも、突き飛ばされることもなく、少し、笑ってた。
 
「……変な顔。僕がいなくて寂しいわけ?」
 
 馬鹿にされてもじっと見つめた。
 だって寂しいから。
 会えなくなったら嫌だから。
 
「心配しなくても主《あるじ》さんのオトモは継続してるから。待ち合わせ場所決めれば良いだけの話でしょ」
 
 そんなあっけらかんと言うから、私も素直に耳を傾けて、袖を放せた。
 
「主《あるじ》さんは手がかかるんだから」
 
 調子に乗っているけれど、今は乗らせてあげる。
 
「ヌラリヒョンさん。僕がいない間、主《あるじ》さんのことちゃんと守ってよ」
「勿論だとも」
「ちゃんとって言ったらちゃんとなんだよ。判ってないでしょ。ほんっと、信用ならないんだから」
 
 多分何を言っても不服を申し立てるであろうモモタロウくんを見ていると、彼は信頼出来ると強く思った。
 その後休憩に寄った茶屋で、ヌラリヒョンさんが席を立った瞬間、小声で私に言い聞かせてきた。
 
「主《あるじ》さんは自分の事だけ考えなきゃ駄目だよ。危ないことに首を突っ込んじゃ駄目だからね」
「判ってるって」
「判ってない! 身体の危険の話じゃないよ。利用されるって言ってるの!」
 
 いつ戻ってくるか判らないからと、早口でまくし立てている。
 
「鬼以外でもマトモなヤツなんてこの世界にいないんだから」
「そんなに心配してるのに、行っても良いの?」
 
 あれだけ滑らかに動いていた口を結んで黙った。
 ちらっと周囲を見たが、ヌラリヒョンさんの姿はない。
 
「……ヌラリヒョンさんが言うと、君は従うでしょ。最後には」
 
 その通りだ。
 いつも、ヌラリヒョンさんの言ったように事を進めている。
 
「ごめんね」
「君が鬼とやっていくなんて無理だと思うよ。実際に会えば僕の言ってる意味が判るよ」
 
 そして座り直すと、ひやしあめを飲んだ。
 琥珀色した飲み物からは、生姜の匂いがちくりと鼻腔を刺した。
 私たちは、妖族が運営していた、天空の籠屋を利用し、空路で京へと向かった。
 羽のお陰で仕事に困らないと、蝙蝠の羽を持った駕籠者《かごのもの》が教えてくれた。
 私たちは上空から花の窟《いわや》、遠くの富士山、大阪を見下ろし、そして目を見開くほど驚く事になる。
 京は、大都会だった。
 人工的に区切られた真四角の敷地の中には、江戸とは違って古い建物が多かったがどれも作りがしっかりとしていて重厚感に圧倒された。
 人の行き来も多く、商売も繁盛していて、今までの村や町はなんだったのかと驚いた。
 地域格差も甚だしい。
 ────人族って、凄い。
 神や妖とはまた違う能力の高さを思い知った。
 それともう一つ、気になったのが琵琶湖方面に見える奇天烈な建物だった。
 現代で言うなら、人目を隠すような場所に建てられたホテルと書かれたド派手な城。
 ホテルのもう一つの意味を知らない者には奇妙に映るあの建物。
 そんな感じのものがこの八百万界にもあった。
 
「あれは、すーぱーうるとらねお安土城ですよ。……個性的な城ですよね」
 
 オブラートに包んだのは明らかだった。
 黙ることを選んだ私とヌラリヒョンさんだったが、もう一人は違った。
 
「うわっ。下品が過ぎる。誰の城?」
「城主はオダノブナガ様です」
 
 この世界では安土城が燃え落ちてない。
 そういえば明智光秀がオダノブナガさんの所にいると噂で聞いた。
 徳川家康がいないように私が知る歴史とは違う歩み方をしているのが判った。
 
「差し出がましいとは存じますが、口の利き方には十分お気を付け下さい」
「ふうん」
 
 噂すら許されないほど、オダノブナガさんは畏れられている。
 神と妖が闊歩する世界ですら有力者だなんて、やっぱり凄い人だ。
 
 駕籠者《かごのもの》には、京の正面入口である、あの有名な羅生門で下ろしてもらった。
 芥川龍之介によって書かれた話では荒廃していたが、八百万界ではピカピカに塗装された立派な門である。
 そんな立派な入口で、モモタロウくんと一時的に別行動を行う。
 
「今生の別れじゃないんだから、もっと普通にしてなよ」
「……」
 
 普通にしているつもりなのだが、立て続けの別れにいつもの自分を出せていないらしい。
 相応しい顔を作ろうとしていると、この人でなし従者、あろうことか鞘付きの刀で思い切り肩を叩いてきた。
 
「はああ???」
 
 びりびりと痛みが響く肩を抑えながら私は噛み付いた。
 
「今から鬼の根城に二人だけで行くこと、よく考えて」
 
 真面目な警告だった。
 背筋が伸びていく私に満足そうだった。
 
「僕を探す時は研師《とぎし》を回って。泊まる宿の伝言を頼んどくから」
「判った。身体には気をつけてね」
「心配なら鬼にしてやれば。僕に出会ったら大変でしょ」
 
 これが冗談であると、今のモモタロウくんであれば信じられる。
 
「小僧なら心配いらぬよ。腕は立つからな」
 
 じゃあねと、手を上げたきりで、私を振り返らなかった。
 俯きそうになる私の肩をヌラリヒョンさんが叩いた。
 
「行こうか」
「はい」
 
 これからは二人で大江山へ行くのだ。
 二人だけで、鬼の総本山へと。
 二人きりで……。
 駄目だ!
 久しぶりにヌラリヒョンさんと二人きりで、浮かれてしまっている自分がいる。
 毎日共に過ごしているのに、二人だけだと心地よい緊張感が常にあって、なのに何故だかそれが全く嫌ではない。
 横にいて同じ歩幅で歩いてくれるだけで心が弾む。
 こんなに邪な気持ちばかり膨らんで、もう一度モモタロウくんに警策代わりに叩いてもらえば良かった。
 
「シュテンドウジを薦めた真意を話しておこう。小僧の前で言うわけにいかなかったのでな」
 
 大事な話と察して、身構えた。
 
「モモタロウを捨てよ」
 
 ヌラリヒョンさんの真意は、私の浮かれた気持ちをいとも簡単に吹き飛ばした。
 
「……それは、出来ません」
「情か」
 
 当たり前だ。八百万界の付き合いは二番目に長い。
 一時的に離れた今だって、自分の支えがなくなって、ぐらついている感覚があるくらいだ。
 モモタロウくんは確かに褒められたことをしてこなかったが、彼なりの正義があり筋が通った行動をしている。
 それに救われた人族がこの界には沢山いるはずだ。
 ……その分、鬼には悲劇を与えたことになる。が。
 
「其方自身は、種族や国に囚われぬ自由さが魅力的だ。今後も様々な者から目をかけられるだろう。
  鬼たちも例にもれず其方を気に入り受け入れるだろう。しかしだ、其方の傍らの者が常に視界に入り込んでくる」
 
 モモタロウくんは種族によって、評価が真逆となる。
 富士山や黄泉で行動していた時には何の影響もなかったので忘れそうになるが、鬼に関して根深い遺恨がある。
 
「其方、オダノブナガと一戦交えたいのだろう」
 
 ヌラリヒョンさんには私の小さな秘密はお見通しらしい。
 白状した。
 
「……はい。きっと戦いは避けられないと考えています」
「だから多くの協力者が欲しいだろう。それには独神の名を神族以外にも売ることが近道だ。
  有名なシュテンドウジを抑えるだけで、手を貸す妖は一気に増えるだろう。勿論儂の名も存分に使うと良い。
  オダノブナガの正確な兵力は判らぬが、良い勝負が出来るだろう」
「その為にモモタロウくんとは手を切れ……って?」
「それ以外に対抗できる手段があるならば言ってみると良い」
 
 動かせる人数は多い方が良い。
 江戸で戦った時、戦は数ではないと言っても、やっぱり数がいれば手段が増えると思った。
 神族もイザナミさんと知り合いになっただけで、確実に協力してくれる仲間ではない。
 シュテンドウジさんと協力関係になれば、それが叶うと言う。
 あとは、モモタロウくんと袂を分かつだけ。
 
「やっぱり出来ませんよ」
「……其方には関係がないからな」
 
 さっきとは態度を一変して冷ややかだった。
 まるで八百万界の民ではないからと、よそ者としているようで。
 
「構わぬさ。儂は其方に戦えなどとは思っておらぬ。田舎で静かに暮らすのが性に合っていると、今でも思っておるよ」
 
 ぽんぽんと頭を撫でる優しさは、私を対等に扱うことを放棄したサインだった。
 私はそれを跳ね除けた。そうしなければならなかった。
 
「……モモタロウくんの良いとこ。プレゼンします」
 
 提案と言い換え忘れた。
 
「とにもかくにも強い。実力はヌラリヒョンさんもご存知ですよね」
「ああ。そこは認めよう。小僧ほどの使い手は儂もすぐには思いつかぬ」
「です! モモタロウくんは一騎当千の兵《つわもの》です! そういう人がいるだけで戦の局面が大きく動くと思うんです。
  だから数は欲しいけど、烏合の衆という言葉があるように……あ、いや、馬鹿にしたわけじゃないんです、ごめんなさい違うんです。
  ただ妖族を頼りにしたいからってモモタロウくんを手を切るのは勿体ないかと……それに、私の意思を正確に判ってくれる人がいるのって、大人数が動くような時、絶対大事になる」
 
 あとはなんだろう……。これだけじゃ説得力に欠けるって判ってるのに、何を言えば良いのかがわからない。
 巧みな話術で相手を誘導する技術、私にはない。日本にいる時に、なんで他の人ともっと話して来なかったんだろう。
 大事な時に思うように伝えられないなんて悔しい。
 
「……そのモモタロウがいるだけで、鬼と懇意にしている者は全員其方に牙を剥くぞ」
「ですよね……」
 
 苦笑いしていると、ふとこんな問答を前にもしたことを思い出す。
 江戸を出てすぐ、私たちとモモタロウくんは考え方の違いから険悪になって、別れた。
 その時、ヌラリヒョンさんはモモタロウくんの危険性を丁寧に説明してくれたっけ。
 自分が信じる正義の為なら平気で斬り殺せる人と、もう一度行動を共にする事を決めたのは私だ。
 あの時は何言ってヌラリヒョンさんを説得したんだろう。
 
「モモタロウくんを信用してもらう為に、独神を利用出来ないのかな……。私の利用価値を高めて、うるさく言われないようにする、とか……」
 
 適当に言っただけだったのに、ヌラリヒョンさんは目を細めて笑っていた。
 
「鬼斬りか、それとも主に忠実な侍か。其方の動き次第で世間の目は変えられる」
 
 あるじ。の重みが、一気に具体的になった。
 
「そろそろ、其方に尽くすモモタロウに報いる時ではないか」
 
 ごくりと、喉が鳴った。
 ヌラリヒョンさんの言いたいことは理解出来た。
 私だって、モモタロウくんが悪く言われるのは嫌ぁな気まずさがある。
 出来ればあの正義感が正当に評価されて欲しい。
 強さを利用されるだけではなく、他人に役に立つ実感があって欲しい。
 
「難しく考えることはないが、このしがらみは其方でないと解決出来ぬだろう。モモタロウ自身はこの怨嗟を解けぬ」
 
 さすがにこの問題は難しすぎやしないだろうか。
 普通の神経ならば、問答無用で殺しにくる相手への恐怖は拭えないし、いつまでも恨み続けるだろう。
 やられた方はいつまでも忘れないものだ。
 モモタロウくんにも言い分はある。
 罪は断罪すべきとの考えだ。
 この地に警察のような治安を維持する行政機関はなく、力のある個人が力を行使する。
 故に匙加減は千差万別となり、時には行き過ぎることも。
 どちらか一方が悪いわけではなくなってしまった争いを私が横から調停しろというのか。
 確かにモモタロウくんの為にはなるし、強い協力者を得られるのは嬉しいが、そこまですることか。
 本当に必要な事…………?
 
「……シュテンドウジさんを諦めるという選択肢は? 候補は他にもいるんですよね?」
 
 いっそ妖族から協力を得ることを諦めるのも手だ。
 
「もう一人か。……実力はあるが一筋縄ではいかぬし、最悪殺されるだろう。趣味の悪い奴だから死体には四肢も残らぬ」
 
 妖族、バイオレンス過ぎない?
 
「儂も彼奴は手玉には取れぬ。反対に利用される可能性の方が高い」
 
 ヌラリヒョンさんが無理なら私なんてどうなるんだ。
 
「シュテンドウジであれば、其方のある部分と相性が良い。勝算はある」
「でもモモタロウくんのことをどうにかしなきゃいけないんですよね?」
「最初に言ったはずだぞ。手を切れば良いと」
 
 この提案のいやらしい所は、一番困難な道こそが最もオダノブナガさんへの勝率が高いということだ。
 私がここで嫌がって逃げることは許されているが、その後の道は険しいものになる。
 ヌラリヒョンさんは全部判って、私に尋ねている。
 答えるべき言葉は最初から決められている。
 
「大江山へ行きます。そしてモモタロウくんには今後も私の世話をしてもらいます」
 
 よくぞ言ったと言いたげな、満足そうな顔のヌラリヒョンさんがいた。
 私は軽く笑いながら、良いように転がされる悔しさと今後の不安が広がっていた。
 
 
 ◇
 
 
 京から山陰道を通って大江山へ向かう。
 樫原《かたぎはら》宿、亀山宿を通り、福知山《ふくちやま》宿まで行けば、大江山はすぐそこ。
 鬼たちがよく京を行き来するので、山道はすっかり均されていると聞いた。
 
「こんなに快適な旅で良いんですか……!?」
 
 十キロ歩いては宿場、十キロ歩いては宿場、こんなのただの観光である。
 
「この暑さだ。無理は禁物だぞ」
 
 ヌラリヒョンさんは例にもれず、様々な店を食べ歩いている。
 他所の家にも平気で上がって食事を振る舞われるので、殆ど路銀が減らない。
 モモタロウくんに知られたらまたちくちく言われそうだ。
 
 自由だなあ。
 それが良いことかどうかは別として。
 
 街道を歩くだけなので当然宿で寝泊まりする。
 最低限のサービスしかないが、地域によって出される食べ物が変わるのでいつも非日常を味わうことが出来る。
 今回は京野菜を使った料理だったらしいが、いつもの野菜との違いはよく判らなかった。味は美味しかった。
 食事と風呂を終えたら部屋でぼうっと過ごす。
 少し、静かだ。
 私とヌラリヒョンさんの間で沈黙は日常だ。
 お互いに考え事をしたり、疲れて話す気がない時には無理をしない。
 モモタロウくんも騒がしいタイプではないが、ヌラリヒョンさんよりはちょくちょく話しかけてくる。
 なので最近は沈黙が少なかった。
 ……モモタロウくん、今頃何してるんだろう。騒動起こしてないと良いな。
 
「暇そうだな。少し散歩でもしてみるか」
 
 考え事が終わったのかヌラリヒョンさんが誘った。
 
「する! あ、服どうしましょう。長襦袢着れば行けますかね」
「着ずとも良いだろう」
 
 ちょっとした散歩だろう。浴衣のままで外に出た。
 夜なのに湿気が高くて暑苦しく、確かに襦袢は要らなかった。
 
「ああそうだ。手を借りても良いだろうか」
「え。……はい、大丈夫ですよ」
 
 手を差し出すと大きな手に握られた。
 緊張で指先一本動かなくなる私と違って、軽やかに包んだ。
 どうして手を繋ごうと思ったのだろう。
 そんな不安がヌラリヒョンさんの顔を伺わせた。
 すると、それにちゃんと答えてくれた。
 
「再びさらわれてしまっては、モモタロウに説教されてしまうだろう」
 
 笑ってた。
 
「よっぽど心配だったのだろうな。其方がいない間に改めて頼むと言ってきた」
 
 私に言い聞かせたように、ヌラリヒョンさんにうるさく言っている姿が目に浮かぶ。
 うん。やっぱり手を切るなんて無理だ。
 大事にしよう。私を大事にしてくれる人のことを。
 
「そういえば、浴衣で歩くとなんだか夏祭りみたいです。八百万界にはそういうのあるんですか?」
「ある。場所によっては花火を上げて皆で騒いだものだ」
「へえ……!」
「しかし、悪霊が跋扈するようになってからはどこもやっておらぬだろう」
「そうですか……」
「このご時世だ。仕方あるまい」
 
 八百万界は全体的に不景気で不安定だ。
 すぐ近くではオダノブナガによる戦が続いているし、戦と関係ない地域でも富める者はほんの一部。
 日本だって格差社会と言われていたが、八百万界は更に貧しく、暗い。
 
「其方がこの八百万界に訪れた時には、既に悪霊に攻め込まれていただろう。悪霊がいない頃はもっと活気があった。
  収穫祭に鎮魂祭、年の瀬には一年を振り返り、新年になれば向こう一年の平穏を祈る。儂らはそうして季節を刻んできたのだ。
  今は人を集めると悪霊が嗅ぎつけてきたり、種族同士がいがみあっている地が多くて、なかなかな」
「そうなんですか」
 
 私は祭りに行く友達もいないし、親とも一緒に行った記憶がないので、祭りに思い入れはない。
 でも行けるなら、行きたい。誰かと行くことには憧れがある。
 幸い、今は一緒に行ってくれそうな人が二人もいる。
 
「ヌラリヒョンさんも夏祭りの時には浴衣とか着流しとか着るんですか?」
「勿論。服装はその時々によって合わせるものだ。連れ歩く者ともな」
 
 きっとかっこいいだろうな。
 モモタロウくんも、着てと言えば着てくれるのだろうか。
 二人とも真っ黒ばかりだから、時にはそれ以外の服も見てみたい。
 私も、特別な機会がなければジャージばかりだから、極々偶には……。
 
「……もしお祭りがあったら、浴衣を見てもらっても良いですか」
「儂で良いならば、喜んで」
 
 喜びを噛みしめていると、ヌラリヒョンさんも同じように笑ってくれた。
 楽しい気分のまま二人で宿に帰った。
 
 六畳の部屋に二つしか敷布団がなくて、とても広々して見えた。
 散歩帰りで少し汗が滲んでいるが、もう風呂に浸かる事は出来ないのでこのまま寝るつもりだ。
 どうせ寝ている間に汗はかく。このくらいなら許容範囲だ。
 髪を掻き上げて、うなじに風を通して涼をとった。
 
「ちょっとおいで」
 
 蒲団の上であぐらをかいていたヌラリヒョンさんが膝を叩いた。
 
「え。……の、乗る方? 枕の方?」
「どっちが良い」
 
 悠然とした態度で選択を突き付けてくる。
 膝の上に乗るのは嫌ではないが近すぎる。
 相手はおじいさんだと言っても、外見は大人のお兄さんである。
 付き合ってもいない人の上に乗るのはそれなりに勇気のいることだ。
 何度も乗った事はあるが、こんな状況のせいか意識してしまうし、尾張の占いの事だって思い出してしまう。
 膝枕なら近いけれど、顔は見ずに済む。
 よし、こっちだ。
 
「膝枕で!」
 
 頷いたのを確認して、膝をお借りした。
 少し高いのだが、そういう不一致が人間らしくて、愛しかった。
 
「モモタロウには内密にな」
「……はい」
 
 もう私がヌラリヒョンさんと接触しても怒りはしないが、嫌な顔は堂々とするのだ。
 はしたないって言いたいんでしょ。判ってるよ。
 それでもされるのが好きだから、内緒という言葉に甘えて擦り寄る。
 今日のヌラリヒョンさんは優しい。
 でも、こういう時は大体裏がある。
 暫く堪能して、満足したら、対価を払うために起き上がった。
 
「もう寝るのか」
「いえ。何か私にさせたいことでもあるのかと思って。今日はとっても楽しませてもらいましたしなんでもしますよ」
 
 するとヌラリヒョンさんは悪戯がバレた子供のように笑って、
 なかった。
 
「……すまぬ。そうさせたのは儂の責任だ」
 
 もしかしてだけど、傷つけてしまった、のか?
 
「今は純粋に、ただ傍に置きたくなった。なんて、爺の身勝手だな」
 
 今度こそ笑ったが、それはひどく寂しそうに思えた。
 慌てて謝った。
 
「すみません! そんなつもりはなかったんです。今日楽しかったのは本当ですし、だから」
 
 だから私を利用したいのだと勘違いした。
 なんて言えるわけなかった。勝手に下心があると勘ぐってしまった。
 
「其方は悪くない」
 
 言い切られてもただただ申し訳ないだけだった。
 失敗だ。
 聞き分け良くするタイミングはここじゃなかった。
 
「良い機会だ。話しておこう。手を貸してもらえるか。警戒せずとも良い。単に紙に書けぬことなのだ」
 
 さっきの失態を取り繕う為にも、とりあえず頷いた。
 ヌラリヒョンさんは私の手のひらを上に向け、一つずつ指して言った
 
「遠野がここ。江戸がここ。雲見浅間神社《くもみせんげんじんじゃ》。花の窟《いわや》。大江山。……そしてここに内海がある」
 
 内海というのは位置的に瀬戸内海だ。
 
「ここに島がある。神が国を産んだと言われる場所だ」
 
 国を産む……か。
 大陸ってマントルから出来るものだった気がするけれど、そうじゃなかった。
 
「今は閉鎖されて誰にも行けぬ島で、オノゴロジマと呼ばれている」
 
 おのごろじま。初めて聞く地名だ。
 
「万が一の時、其方はここに向かえ」
 
 どうして、と言う前に教えてくれた。
 
「其方がうわ言でその名を口にしたとモモタロウから聞いている。
  小僧は知らぬようだったので突き放しておいた。今もまだ言わぬようにしてくれ」
「判りました。でもどうして?」
「……信じるより疑う方が得意でな」
 
 まだヌラリヒョンさんの中でのモモタロウくんはそうなのだ。
 私と同じ時間いたのに、抱く印象には差異がある。
 
「疑う必要はない……と言いたげだな」
「そんなこと」
「顔に出ているぞ」
 
 ヌラリヒョンさんには一生隠し事が出来なさそうだ。
 
「其方は信じてやればいい。それだけのことで、儂に合わせることはない。但し、先程の話は言ってくれるな」
 
 言われた通り、私はモモタロウくんの味方であろう。
 
「はい、それなら出来そうです」
 
 信じることなら、私でもやれる。
 私は本当にそう思った。
 そしてヌラリヒョンさんは今度こそちゃんと笑ってくれた。
 
「愛らしいな、其方は」
 
 言葉を失った。一瞬のロードを挟んで無難な言葉を選んだ。
 
「……そんなことは、ないです」
「いいや。可愛いさ」
 
 躊躇いもなく言われて、今度こそ思考が完全に停止した。
 ヌラリヒョンさんに褒められることは多いが、その中でも可愛いというのは特別だ。
 恋をしていなくても、舞い上がってしまう。
 他でもないヌラリヒョンさんにそう思われることが嬉しくて、寂しい。
 可愛いなんて、ヌラリヒョンさんにとっては軽い言葉だから。
 濁っていく思考が少しずつ現実を見せてくれる。
 
「明日も頑張ります」
「ああ」
 
 こうして宿場町を順に巡り、私たちは最後の宿場町を出た。
 ここからは徒歩で大江山へ向かう。
 しかし、鬼たちがよく通っているお陰で道はすっかり均されているので、遊歩道のようだった。
 
「海ってまだ先ですよね?」
 
 大江山は京都の北部で日本海が近い。そのせいか先程から波の音が聞こえるのだ。
 だが山林にまで届くようなものだろうか。
 
「あれは小豆《あずき》だ」
「ふうん。…………え、小豆?」
 
 意味が判らなかった。
 
「小豆を洗っている音だ。……と言うと理解出来ぬだろうが、そうだからそうとしか言えぬなあ」
「それ、楽しいのですか?」
「当人はくせになる音だと言うぞ」
「ふうん」
 
 聞いても意味が判らなかった。
 
「いつまでも……いつまでも……」
「これは?」
「イツマデ、という妖だ。基本的に害はない」
「ふうん」
 
 やっぱり意味が判らない。
 
「あの。山なのに賑やか過ぎません? 今まではもうちょっと大人しかったと思うんですけど」
「京周辺は妖も多いぞ。派手で賑やかなのは妖も好きなのでな」
 
 自然の中にいると神が多くて、人の中にいくと妖が多い。
 人族を必要とする二種族の違いなのだろう。
 
「儂がいるからこの程度で済んでいるが、いなければきっと、話しかけられたり脅かされたり盗まれたり食われたりと忙しなかったはずだ」
「へえ……」
 
 ものすごく干渉してくるんだなあ。
 なんでそんなに構ってくるんだろう。
 
「自分の縄張りに入って来る余所者には敏感になるだろう。安全を確かめるためにもちょっかいを出したいのさ」
 
 なるほど。それならば理解できる。
 日本のあらゆる土地にはもれなく所有者がいる。個人だったり、県だったり、国だったり。
 八百万界も同じだ。ただ国家が管理していない分、トラブルは個人で解決しなければならない。
 四方八方から注がれる視線に、余計な敵意は向けないようにしよう。
 
「其方には窮屈だろうが、堂々と歩く方が相手も安心する。しかし気は抜かぬようにな」
「了解です」
 
 シュテンドウジさんは目と鼻の先。
 なのに着いた後の事はノープランである。
 そもそもだが、私は鬼族を角があるくらいにしか思っていない。
 大江山のことも、ヤクザの事務所に乗り込むものだと理解している。
 正義感で悪を斬るのは判るが、鬼に拘るモモタロウくんへの理解も及ばない。
 判断材料が私には何もないのだ。
 ここにスマホであれば、「鬼 ってなに」「鬼 歴史」「鬼 乱暴」等のワードを打ち込んで事前情報を入れられるのに。
 判らないことはヌラリヒョンさん頼みなのも、そろそろどうにかしたい所だ。
 
「……ヌラリヒョンさん、この後の事なんですけど、私一人で行かせてくれませんか」
「ほう。考えがあるのだな」
 
 もちろんだと頷いた。
 
「私の良さって、子供で女で弱いことだと思うんです。警戒も長く続きません。でもヌラリヒョンさんがいたら、私は特別視されてしまいます」
「判った。儂は近くにいる。……其方の危機にすぐには駆け付けてやれぬが」
「大丈夫ですよ」
 
 助けてくれる気があるだけで満足だ。
 
「聞こえてきただろう。この先にシュテンドウジがいる」
 
 ヌラリヒョンさんが指さす先では、十人以上の声が混じり合っている。
 相手は鬼だ。人も殺すし、物も奪うし、酒は飲むし、ろくなものではない。
 その中に行く。一人で行く。
 
「行ってきますね」
「頼んだぞ」
 
 行く先をじっと見つめていると、横にいたヌラリヒョンさんの気配がすっかり消えていた。
 横にも後ろにも、当然前にも、どこにも姿はない。
 





(2023.03.27)