二度目の夜を駆ける 九話-大江山 弐-


 まずは挨拶しよう。丁寧に、謙虚に。独神のことは秘密で。
 そんな呪文を唱えてゆるやかな上り坂へ一歩踏み出す度に、沼の中を歩いているような気になった。
 ヌラリヒョンさんには強気な態度をとったが、鬼の住まう所へ向かうのは不安だ。
 モモタロウくんが言うように、ひどいひとたちだったら私はどうなるのだろう。
 いくら死ににくい体質とはいえ、武器が迫る時や溶岩を目の前にした時にはその都度恐怖を感じる。
 安全が保証された絶叫アトラクションとは違うのだ。
 しかし今更足を止める事は出来ない。
 過去の怖い記憶を振り払いながら、私は身を小さくてそうっと木々の合間から鬼たちの集落を盗み見た。
 
「がっ!!」
「やんのかテメー!」
「クソが!」
 
 早速戦いの場面に出くわしてしまった。
 鬼と鬼が殴り合い、蹴り飛ばし、投げ飛ばしている。
 
「この水まんじゅうは俺のだっつったろ!! 名前読めねえのか!」
「そいつが美味そうなのが悪ぃんだろうが! 名前なんて読めるかバーカ!」
 
 おやつの取り合いのようだ。
 …………え。それだけ?
 周囲にも二十数人の鬼たちがいるが、やいやいはやし立てるばかりで止める様子はない。
 彼らにとっては顔面を殴って、腹を蹴っての喧嘩は日常的なものなのだろう。
 やられた方も元気にやり返している。
 私は動物の観察よろしく、息を潜めて鬼たちの生態を分析していた。
 だから、気づかなかった。
 
「こいつめちゃくちゃ美味しそうじゃねぇか!!!」
 
 背後に忍び寄っていた別の鬼によって担ぎ上げられてしまった。
 先程まで観戦していた鬼たちが、大声に反応してこちらに注目する。
 そしてニ十の口元がにやりと怪しげに笑った。
 彼らは新しい玩具を見つけた子供のように近づき、無遠慮に身体を掴んだ。
 
「腕ほっせ。食うとこ少ねぇじゃん」
「細切れするしかねぇじゃん。モツ誰にする?」
「心臓は俺だろ」
「俺だろ!」
「胃でも食うか」
「目玉がいい!」
 
 容赦なく掴む力の強さが、肉にめり込む爪の鋭さが、同じヒトではなく獲物としての扱いだった。
 舌なめずりをしながら「私」の食べ方について談笑する様子が目の前で繰り広げられる。
 鬼と私は合わないと思う。と、モモタロウくんの言葉が頭に響いた。
 捕食対象という意味があったと誰が気づくだろうか。私は一切思わなかった!
 なんとかしないといけないのだが、沢山の手が入り乱れて身体を掴んでいるので一切動けない。
 そして、集団に囲まれている状況に対しての恐怖が枷だ。
 本能的に、数の暴力を恐れている。抵抗は無駄だと脳が指示して身体が動かせない。
 石像になってしまう私を、更に怖がらせたのは歓声だった。
 鬼たちから一斉に放たれる異常な熱気に私の身体は縮こまるばかりで、周囲を見回すことも出来なかった。
 
「シュテンドウジ様! 美味そうな獲物が来ました!」
「あ?」
 
 シュテンドウジ……!
 目的の鬼だ。私は目だけで声を辿った。
 イメージ通りの大柄な身体、額に二本の角、酒と書かれた瓢箪を下げている。
 彼が通ると鬼たちがモーセの海割りのように道を開けた。
 異常な光景を当然とばかりに堂々と肩で風を切って歩いている。
 鬼たちは私から手を離し、地面へと静かに下ろした。
 シュテンドウジさんは私を見下ろして、目を細めた。
 
「まだガキじゃねぇか。……てことは、まだ肉も柔らかくて美味ぇだろうな」
 
 本当に、食べるんだ。
 鬼って、人、食べるんだ……。
 食べる? 私、食べられるの?
 
「ありがたく思えよ。このシュテンドウジ様に食ってもらえるんだからな」
 
 腕を掴まれた。さっきまで動きもしなかった身体がそれを振り払おうとした。
 しかしそれ以上の力でねじ伏せられて、そのまま引き寄せられてしまった。
 顔が近づき薄く開いた口から、人より発達した犬歯が見えて戦慄いた。
 噛まれる。と、思った私は目を強く瞑った。
 
「……なんてな」
 
 私が目を開くと、周りの鬼たちが笑い出した。
 
「はははは! おもしれー顔!!!」
「シュテンドウジ様迫力凄くね?」
「ガキなんて食う訳ねぇだろ!! はははっ!」
 
 大勢の人に笑われて恥ずかしくなってきた。
 最初からずっと、揶揄われていたのだ。
 
「……ほんとに食べない?」
「食わねェよ。まだ人食いやってるって思われてんのかよ」
 
 心底呆れた様子を見せられて少しずつ安堵し始めた。
 そりゃそうか……。今まで何度も鬼と会ったが私を食べようとする素振りはなかった。
 
「食べるわけないですよね。すみません勘違いして」
「昔は結構食ったぞ」
 
 食べてるじゃん……。
 再び怖くなってきた私の背を、シュテンドウジさんはばんばん叩いてきた。
 
「おまえ、良いびびり具合だったぜ。暇潰しになった」
 
 こっちは最悪な気分である。
 
「仕方ねェから村まで送ってやるよ。どこのガキだ。親は」
 
 この申し出には驚いた。
 悪いひとでもないな、と思うと同時に、これから言う言葉に申し訳なくて。
 
「住む場所はありません。親も」
 
 シュテンドウジさんだけでなく、他の鬼たちも顔を見合わせている。
 
「そういや、最近も奥能登が悪霊に潰されてたな。おまえもそういうやつか」
「いえ。……別の界から流れ着いたんです。気づいた時には一人で、八百万界のことはよく判らないまま放浪しています」
 
 黙っておくべきだったのかもしれないが、下手な発言で怪しまれるのは避けたかった。
 彼らの反応はというと、膝を打って口々に言い合っている。
 
「だから美味そうな匂いだったのか。別の界のやつって美味いのか!?」
「マジで食っちまうか! ばーか、冗談だって!」
 
 とうとう人型の妖にまで、美味しそうと思われるのか。
 食べ物と認識されることはあまりいい気分でなくて、目線を逸らしているとシュテンドウジさんが再び顔を近づけてきた。
 
「な、なんです!?」
 
 シュテンドウジさんの背が高いせいで私の頭を匂われる形になって強く拒否反応が出た。
 しかしそれを気にするでもなく、首を傾げた。
 
「……おまえ、妖、だよな? 妙な匂いなのは異界のヤツだからなんだよな?」
「種族は判りません。八百万界で生まれたわけではないので、皆さんの枠組みとはまた違うと思います」
 
 さっきまでヌラリヒョンさんといたから、種族の匂いは妖一色だ。これも好都合だ。
 この調子で私は嘘をつかず、自然体でいるつもりだ。
 嘘を吐くのは上手ではないし、八百万界の知識が不足した自分はすぐに余計な矛盾を生みそうだからだ。
 初っ端から怪しさ満点の私を、シュテンドウジさんはじっと見て、やがて判断した。
 
「とりあえず、しばらくはここに住まわせてやる」
「じゃあ、今夜は寝食は大丈夫ってことですか!?」
 
 幸先の良いスタートを切れた。
 
「おーい、カネドウジ、ホシクマドウジー。ちょっとこのガキの面倒見てやれ」
「ちょっと待った!!!!」
 
 突然声を張り上げたのは白い服を着た赤い角の鬼だ。右腕が土気色に見えるのだが大丈夫だろうか。
 
「シュテンドウジ様がそんなことする義理はないだろ。こいつもそこまでガキじゃない。自分のことくらい出来るはずだ」
 
 折角潜入できたのに、ここで追い出されてしまうのは困る。
 シュテンドウジさんはどう返すのだろうと見上げた。
 
「ガキ一人どうって事ねェだろ。なんかありゃおまえが言い聞かせりゃいいだけじゃねェか」
「それはこれを使ってもいいってことだよな」
 
 彼は腰の刀を叩いた。モモタロウくんと同じ侍だ。
 武器なら私に効かないから逆に安全だ。
 ほっとしているとシュテンドウジさんは、白い鬼の頭にゲンコツを振り下ろした。
 
「馬鹿か! こんな弱ぇガキにダセェことすんじゃねェ」
 
 びっくりした。私のこと、お仲間の鬼を殴ってまで庇ってくれた。
 なんだか胸のあたりがじんと温かくなってきて、私はお礼を言った。
 
「あの! ありがとうございます」
「判らねェことは他のヤツに聞け。余計なことすんなよ。あいつなりにおれらのこと心配してのことなんだからな」
「了解しました。その都度許可をとるようにします!」
「おう。そうしろ」
 
 伸ばされた手がどうなるのか目で追っていると、頭をぽんぽんと優しく叩かれた。
 こんなのされたら赤くなってしまう。
 私は回れ右をして背中を向けた。
 
「えーっと、じゃあ、さっき言ってたカネドウジさんとホシクマドウジさんを探しに行きますね」
「ガキ。名前は」
「ナナシ!」
 
 少しぶっきらぼうに答えて探しに行った。
 それにしてもシュテンドウジさんって、めちゃくちゃ良いひとじゃない!?
 もしかしてだれど、めちゃくちゃかっこいいんじゃない!?
 初対面は少し嫌な感じがしたけれど、得体のしれない私をコミュニティに受け入れる度量の大きさはただの野蛮人ではない。
 ヌラリヒョンさんが言っていた、相性の良さとはこれだろうか。
 弱者を甚振りたいタイプのひとでなくて、ほんっとうに良かった。
 他の鬼たちも、
 
「あの煩いのがカネドウジ。で、向こうの煩いのがホシクマドウジ」
 
と、尋ねればすんなりと答えてくれた。
 私が敷地を歩いていると物珍しそうな視線を寄こすが、危害を加えてきたり、こそこそと言いあったりはしない。
 
「あいつ食ったらマジで強くなりそうな匂いじゃね?」
 
 デリカシーがないがよく言えば表裏がないので、余計な気を揉まずに済みそうだ。
 
「あ! オマエ! さっきシュテンドウジ様にぽんぽんされてたろ!」
 
 ギザギザの鋭い歯をしたカネドウジさんがずんずんと歩いて迫ってきた。
 今にも殴りつけられそうで怯んだ。
 
「は、はい……。そう、ですね」
「……どうだった?」
 
 ここで間違った答えを言えば、痛い目に合うことは明らかだ。
 私は少ない脳みそをフル回転させた。
 ぽんぽんを喜ぶ言葉は危険だ。嫉妬でガツンと殴られるかもしれない。
 嬉しくない、と言うのもNGだ。多分殴られる。
 シュテンドウジさんを下げず、私がシュテンドウジさんを好きになったと勘違いされない言い方で。
 
「め、面倒見のいい素敵な方なんだな、と思いました」
「……」
 
 どうだ……。手に汗を握って返事を待った。
 
「当たり前だろ! シュテンドウジ様はな、鬼ツヨなだけじゃなくて、ヤバカッコイイんだ!」
「そうですね! 凄い方です!」
「だろ! で、アタシは四天王の一人でシュテンドウジ様の一の子分カネドウジちゃんだ!」
 
 やれやれ、無事乗り切った。
 カネドウジさんはシュテンドウジさんのことが相当好きなのだろう。
 今後下手なことは言うまい。
 
「よっし、新入りだな! 俺は四天王のホシクマドウジだ。よろしく。早速だが登場する時の口上を決めるぞ!」
 
 ぬるっと入ってきたホシクマドウジさんは、ガラスのような半透明の青い角が特徴的だ。
 
「口上って、やあやあ我こそは……ってやつですか?」
「それだ! 若いのに感覚は古いんだな!」
 
 古……。
 
「俺に任せろ! かっこいいの一緒に考えてやるから!」
 
 恥ずかしいからいらない……と、言えたら良いのだが、前のめりで話を進められてしまってとうとう言い出せなかった。
 せめてもの抵抗で、ホシクマドウジさんの新しい口上を考えたい、と話を持っていき、口上中の身振り手振りも一緒に考えた。
 
「銀河を貫く蒼天の一筋……ホシクマドウジ参上! カネドウジ! 新しい口上どうだ!?」
「いんじゃね? キラキラ感でてっし」
「暫くこれでいこう! 考えてくれてありがとう、ナナシ!」
「いえいえ……」
 
 休日に放映されている戦隊シリーズがここで役立った。
 うろ覚えの台詞を切り貼りして、見様見真似で付けた動作にも、ホシクマドウジさんは楽しそうにしていた。
 
「んじゃ次行くか!」
 
 カネドウジさんはそう言って私を手招いた。
 ホシクマドウジさんもついていく。
 
「待て。いいか。足音たてるなよ」
 
 カネドウジさんが親指を指したのは森だった。
 と言ってもここは山の中なので日常的に過ごす所以外は全部木が生えている。
 つまり生活区域からは外れた場所ということだ。
 よく見ると草が踏みつけられた跡があり、それなりに行き来していることが判った。
 草地なので足音をゼロには出来ないが、出来るだけ枝を踏まないようにし、爪先からゆっくりと足を下ろして、慎重に歩いた。
 暫く歩くと先頭のカネドウジさんが足を止め、私も習った。
 森の真ん中に開けた土地があった。山では見ない色とりどりの花が咲き乱れている。
 ひっそりと身体をまるめた男のひとが花の世話をしていた。
 彼も仲間の鬼だろうに、二人は話しかけずに様子を伺っている。
 私も右に倣い口を開かず、枯れた葉をちまちま切る男の背中を眺めた。
 
「どうだ? すげーだろ!」
 
 元来た道を戻ると、カネドウジさんは得意そうに言った。
 
「ええ、綺麗な花園でしたね。あのひとが全部世話を?」
「トラクマドウジな。花の管理は全部トラだ。一応秘密らしいからな。ま、山のヤツ皆知ってるけど」
 
 カネドウジさんは大口を開けて笑った。
 
「顔が怖いって言われるけど、四天王の中では一番優しいのがトラなんだ」
 
 ホシクマドウジさんは自分のことのように嬉しそうに言う。
 
「あれだけのお花を咲かせてるんですもんね。優しいのもそうですけど、きっと気配りも出来て仕事が丁寧なんだと思います」
 
 小学校の授業でアサガオを育てた経験しかないが、水と肥料だけで植物が育たないのは知識として知っている。
 喋らない花たちのご機嫌を伺って、世話をするのは毎日の観察が必須で、根気だって必要だ。
 他人に手放しで褒められている様子から、性格もいいひとなのだろう。
 彼のような鬼なら、モモタロウくんも斬る気にはならないはずだ。
 
「次はクマのとこ行くぞ! これで四天王制覇だ」
 
 全速力で走るカネドウジさんに、ひーひー言いながらついて行く。
 鬼は身体能力が高いのかもしれない。
 ホシクマドウジさんなんてカネドウジさんより速いから、どんどん小さくなってしまう。
 絵を描いているクマドウジさんと会えた時には息が上がり過ぎてすぐに話せなかった。
 
「なんだよー。大袈裟だぞ」
「す。す。みませ……」
「もっと身体を鍛えないと登場の爆発を背景に大きく跳躍出来ないぞ」
「すみま、せ」
 
 しんどい私を見かねてか、クマドウジさんが二人に言った。
 
「ちょっと休ませてあげなよ。この子はぼくが見ておくから大丈夫だよ」
「そっか。じゃ、任せた! ホシ行くぞ!」
「じゃあクマ」
「え、まって……」
 
 ああ、行ってしまった。
 
「どうしたの?」
 
 クマドウジさんは柔和な笑みを浮かべて尋ねてきた。
 マシュマロのような雰囲気のお陰で私は考えていたことをそのまま述べた。
 
「や、あの、シュテンドウジさんに余計なことをしないように言われてて、それで逐一許可をするって私言っちゃったんです。
 だから、カネドウジさんとホシクマドウジさんと別行動するなら、ちゃんとシュテンドウジさんに報告してからじゃないとまずいかも、って」
 
 焦っている私を、ぼうっと眺めたかと思えば、
 
「あはっ。真面目だね」
 
 と一言。
 のんびりしたひとだ。
 
「だって、余所者の私は不安感を与えてしまいます。少しでも軽減する為には不可解な行動は慎むべきです。
 何か問題を起こしてしまったら、受け入れて下さったシュテンドウジさんに申し訳ないですから」
「やっぱり。真面目だね」
 
 くすりと小さく笑うと絵筆を取ってカンバスに向かった。
 私も後ろからしげしげと眺めていた。
 暗そうな印象を受けるが、ところどころ明るい色使いをしている。
 抽象画らしくて、何を描いているかは判らなかった。
 クマドウジさんが何も話さないので、私は周囲に目をやった。
 傍には簡素な小屋があって、半開きになった扉から中の機械が見えた。
 
「え! 機械……!?」
「うん? きみ機械好きなの?」
「特別好きというわけでは。ただ私がいたところは機械に溢れていて、それなしじゃ生活出来なかったんです。
 だから八百万界って、……自然が多くて、人との距離が近くて、……不思議に思っています」
 
 電気がないから、火を灯す。
 水道設備がないから、水源を探す。
 日本では生活に欠かせない自然の恵みはは機械を中継して私たちの手に届いていた。
 環境破壊がどうのこうのと、学校ではお決まりのテーマだったが、正直他人事だった。
 ここに来てから川を汚すな、むやみに木を切るな、土にかえらないものを捨てるな、そのどれもに強く共感できるようになった。
 
「珍しいものが好きなら堺に行くと良いよ」
「堺!? 交易が盛んだからですか!?」
「よく知ってるね」
 
 織田信長の時代、堺は交易の要で国内に限らず海外諸国とやり取りをしていた。
 八百万界の他にも世界があるのだから、何か面白いものがあるかもしれない。
 手持ちのお金が増えたならば見に行きたい。
 
「なにか探し物でもあるの? 他所の界から来たなら自分の界の物を探してるとか?」
「…………いえ」
 
 私は日本に帰りたいと思っていない。
 だったら、日本の光景を、この八百万界で探そうとすることはない。
 けれど、さっき機械を見てテンションが上がった。それは、日本の面影に触れて喜んだのだろうか。
 日本に帰りたい気持ちも、少しはあるのだろうか。
 
「八百万界は楽しい?」
「……はい!」
 
 自然と浮かんだ満面の笑みが、私の本音だ。
 微笑みを浮かべたクマドウジさんは、再びカンバスに向いてしまい、私は再び暇になった。
 
 食事時には鬼たちが集まってきて、あちらこちらで酒と共に流し込んでいた。
 地面や木にや石に座って食べている。多分年中キャンプのような生活をしているのだろう。
 カネドウジさんが作ってくれたものを私も分けて頂いた。
 不揃いな野菜たちがいっとう家庭料理の雰囲気を醸し出していた。
 
「……めちゃくちゃ美味しい。カネドウジさん美味しいです!」
「こんなの凄くないだろ。でも、もっと褒めていいぞ」
「はい! 私野宿の時って空腹を満たす為に食べてる感が強いんですけど、カネドウジさんの料理って美味しいから食べたい! って思うんです! 食べてて幸せになりました!」
「しょうがねぇなぁ。ほら、オマエにはデッカイのやるからいっぱい食え」
 
 作り手の顔が見られる貴重な料理だったので、遠慮せず食べた。
 ほろ酔いの鬼たちが大声で笑う中での食事は明るかった。
 酒があってもなくても、鬼たちは一日中楽しそうにしている。
 
「皆さん、寝るときどうするんですか?」
 
 大江山は自然に溢れすぎていて、建物らしい建物がなかった。
 ここの鬼は数十人はいるので、それなりの大きさが必要なはずである。
 
「適当に寝る」
 
 カネドウジさんはその辺を指差した。
 ただの地面が広がっている。
 
「洞穴もあるぞ」
 
 指したのはただの横穴だった。
 この山での集団生活は長いだろうに、毎日野宿で何も思わないのだろうか。
 
「あ。そういや、家もあったな!」
 
 食事後に連れて行ってもらった。
 麓の村で見かけるような普通の家が出てきて、私は今までからかわれていたのだと気づいた。
 が、真っ二つになっている家を見てそうでもないなと打ち消した。
 
「……あの、壊れてません?」
「ヒデーよな。もっと頑丈なもん作れつってんのによ!」
 
 違う。そうじゃない。
 壊さないような生活をすればいいだけの話。簡単だ。
 しかし、今日見た限りでは鬼は身体能力が高く、力が強いのでうっかり壊してしまうのかもしれない。
 
「皆さん力がお強いんですね」
 
 そう言うとカネドウジさんは結構喜んでくれる。
 自分たちの力に誇りを持っているのだ。
 
「オマエは弱ぇよなぁ。よく死ななかったな!」
「運が良かったんです。逃げきれて」
「おいおいダッセーぞ」
 
 笑っている。
 好戦的な鬼からするとそうなのだろう。
 
「鬼は強い方ばかりですから、きっと誰にでも勝っちゃうんですよね。よく判らないけど、人族なんて一捻りって、やつですか?」
「そりゃそうだろ!」
 
 モモタロウくんのことを知らないのだろうか。
 それはそれで好都合ではあるのだが。
 
「そうだ。オマエ弱いから教えてやるよ。赤目のチビで長い刀を見たらすぐ逃げろよ」
「赤い目のひと?」
「……鬼《ひと》殺しだ。アタシは会った事ねぇんだけど、ここにいる何人かはそいつから命からがら逃げてきたんだ。
 そいつは話なんて通じねぇ。女子供も容赦なく皆殺しにするんだと」
「怖いですね……」
「普通弱ぇヤツなんてわざわざ殺さねぇだろ。イカれてるよな」
 
 イカれてる、だってさ。
 概ね同意だが、人に言われるとじっとりと嫌なものがある。
 
「……どうして、そのひとは鬼に酷いことするんでしょうね」
「知らね。恨まれる覚えなんてねぇよ」
 
 心当たりは一切無いようだ。
 
「鬼は怖がられるもんだろ。何が気に食わないんだ?」
 
 根本的に食い違っている。
 恐怖を感じたから、武器を取ったのだ。
 
「アタシらは虐殺なんてことしないぜ? 誰もいなくなるのはちょっと寂しいだろ」
 
 暗い話はそれまでにして、私たちは今晩の寝床を決めた。
 カネドウジさんは「シュテンドウジ様の頼みだからな! ちゃんと守ってやるから安心しろよ!」と頼もしいことを言ってくれた。
 ホシクマドウジさんも「闇の中でも使える必殺技を編み出したから大丈夫だ!」と寧ろ敵が出て欲しそうに言ってくれた。
 二人が世話係をしっかりこ務めてくれたおかげで、私は何の不便も無かった。
 そしてそのまま数日、大江山で過ごした。
 
「お前、なんか前からいたみたいだな!」
「角がねぇのが残念だけどな」
「ないヤツもいるから、お前もそうなんじゃねぇの?」
 
 私はすっかり鬼たちに受け入れられて、気軽に話しかけてもらえるまでなった。
 異常なくらいに親密になる現象には心当たりがある。
 彼らと生活を密にしたことで、種族の匂いがそっちに寄ったのだ。
 つくづく私という人間は潜入向きなのだと思い知らされる。
 大江山の生活は怠惰で緩いことが判った。
 起きる時間は各自好きな時間で良い。
 ご飯は自分でなんとかする。
 料理が好きなひともいるのでそのひとのおこぼれを狙うのがベストだ。
 洗濯も自分でやったり、やってもらったり、全然やらなかったり。適当。
 適当なりにちゃんと生活は回っている。
 誰にも縛られなくてここは気楽だ。
 
「おまえ、すっかり慣れちまったな」
「おかげさまで」
 
 ここの頭領であるシュテンドウジさんにしっかり頭を下げた。
 ここはいいひとたちしかいない。
 と言っても、私にぴったりの居場所かというと、そうでもない。
 悪いひとたちではないのだ。
 喧嘩に巻き込まれそうになった時も「どいてろ!」と突き飛ばしてくれるので、そこまで痛い思いはしていないし。
 食事中に別の鬼にお酒の入った徳利を投げるつもりが私に当たった時も「悪ぃ。大丈夫か?」と心配してくれたし。
 クマドウジさんが作った新しい機械を見るのに人が集まって押しのけられてこけた時も、「は? こんだけで!?」と驚きつつ手を貸してくれたし。
 ……悪いひとたちではないのだが、日常がバイオレンスで正直落ち着かない。
 
「なら今晩は覚悟しとけ」
「はい。……えっと、なにを?」
 
 その時には教えてくれなかったが、その日のうちに意味を理解させられることになる。
 皆が山を下りると言うので着いて行くと、行先は京だった。
 買い出しなのかと思って後ろの方で眺めていると、皆は大声をあげた。
 そして、手あたり次第に建物を壊し始めた。
 思わず「え?」と声を漏らしてしまうくらい、理解しがたい光景だった。
 前触れなく壊れる建物から飛び出す人々は鬼を見ては絶叫し、人を呼んで来いと大声で叫んだ。
 今の今まで営業していた店の棚から商品が転がり、土に塗れ、踏みつけられる。
 ほどなくして武装した武芸者が現れ鬼へ襲い掛かるが、鬼たちは素手で返り討ちにする。
 彼らの姿は、悪霊と同じだった。
 何の非もないひとたちを襲って、平和を脅かしている。
 そう思っていると、今度は本物の悪霊が現れて町を襲った。
 鬼たちは楽しそうに悪霊を殺しまわった。
 拳は鎧を貫き、黒い中身を引きずり出して地面に無造作に捨てた。
 シンバルのように、二体の悪霊を叩きつけて粉々に破壊した。
 誰が一番悪霊を殺せるかと、競って悪霊を絶命させていき、しまいには悪霊の方が逃げていった。
 その様子を、町の人たちや私は、唖然として見ていた。非力な人間に出来ることは何もなかった。
 凄惨な光景は悪夢そのものだった。
 
「倒してやったんだからもっと感謝しろ。酒持ってこい!」
 
 京の町から悪霊がいなくなると、シュテンドウジさんは酒を要求した。
 いつの間に悪霊から町を救ったことになっているのだろう。
 京の人たちも理不尽を感じたはずだ。だが要求通りに酒を与えた。
 圧倒的な力の差に、人々は意見を許されない。
 楽しそうにする鬼たちに、私はついていけなかった。
 
「……ヤクザじゃん」
 
 戦果を楽しそうに語る鬼たちのすぐ傍では、建物の主が膝をついて嘆いていた。
 鬼と悪霊の戦いに巻き込まれた怪我人も通りには沢山いる。
 私は落ち着かない気持ちで通りの瓦礫を端に寄せていった。
 大きなものはテコの原理を利用して、一つずつ片付けていく。
 
「なにしてんだよ」
 
 酒を片手に持った鬼が私を不思議そうに見えていた。
 
「道を空けているんです。そうすると荷車が通れるので修理するには効率が良いんです。怪我人の移動もありますし」
「お前が気にすることじゃねぇだろ。酒でも飲め」
「いえ。私お酒は飲めないので……」
 
 舌打ちが聞こえた。
 
「お前つまんねーな」
 
 それは拒絶の言葉だった。
 さっきから鬼の殆どが私を批判的に見ている。
 ほんの少し前までは、自分たちの仲間だと言ってくれたのに。
 一方京の人たちは、私を鬼の仲間だと思って怯えた目でずっと見ている。
 気まずいなあ……。心がざわついて居心地が悪い。
 けれど動いている方が気が紛れるのもあって、瓦礫の撤去を続けた。
 鬼たちの冷たい目から逃れるように、彼らとは少し離れるように場所を移動して。
 そうすると、武器を持った人に囲まれた。
 
「もうお前らの好きにされるのはうんざりだ」
 
 京の人だ。手には刀や鋸、薙刀、弓、包丁、とバラエティに富んだものを手にしていた。
 武闘派ではない普通の町民たちが、私を襲おうとしている。
 
「直して何になる。全部お前らのせいだろ!!」
 
 彼らの悲痛な叫びに、私は弾けたように飛び上がった。
 どちらの勢力にもなれない私は、そこで足が震えてしまって思わず逃げ出した。
 現代人の私は、八百万界の町民たちにすぐに追いつかれ、地面に押し倒された。
 
「やれ! 同時になら鬼でも殺せる!」
 
 彼らは所持品の中で最も殺傷力の高い物を振り上げた。
 人々の私への殺意が怖くて、やはり私は動けなかった。
 いっそ、ここで死ぬべきなのではないかと納得し始めていた。
 
「ガキ相手に何やってんだよ」
 
 頭上からシュテンドウジさんの声がして、私を取り囲んでいた人たちから助けてくれた。
 顔面や胴体を殴られた人たちは建物にまで飛ばされ、頭から血を流していた。
 二人が殴り飛ばされた頃には、他の者達は悲鳴を上げて一心不乱に逃げていた。
 拳から他人の血を流しながら、シュテンドウジさんは私に言った。
 
「……空気読め」
 
 また逃げようとする私を担いだ。
 抵抗する気もないのでされるがままになった。
 
「しばらくおれの傍で大人しくしてろ」
 
 鬼たちの酒盛りの輪の中に戻り、私を隣に座らせた。
 みんなは「なんでそいつ?」という顔をしていた。
 でもシュテンドウジさんには誰も逆らわない。
 私は黙って座っていた。
 みんなは私の存在には一切触れず、酒をしこたま飲んだら寝こけた。
 私は一人で頭を抱えた。
 鬼の行動には非しかない。
 なんで、暴れるんだろう。
 大江山で仲良くしてるだけじゃ駄目なの?
 今まで見て感じてきた、鬼たちへの親愛や信頼がガラガラと崩れていく。
 呑気にいびきをかいて寝ている姿を見て、平和だと感じていたのに、今では嫌悪感が湧いてしまう。
 そうやって悶々としていると眠気が全く訪れず、朝になった。
 シュテンドウジさんは起床してすぐに言った。
 
「逃げてねェのかよ」
「行くとこないので」
 
 そう言うと、怖い顔したシュテンドウジさんが少しだけ悲しげな顔をする。
 
「じゃ、帰っか」
 
 ぞろぞろと歩いて山に帰った後、シュテンドウジさんに呼ばれて洞穴へと向かった。
 私室として使っている場所である。
 
「おまえ、近いうちに山を下りろ」
 
 用件はすぐに伝えられた。
 
「数日おまえのことを見て、他のヤツらからも聞いて、おまえがまともなのは判った。
 トラクマドウジがおまえを心配してた。鬼のノリにきっとついていけねェって」
 
 まだ面と向かって会話をしたことが無かったトラクマドウジさんが、そんな風に思ってくれているとは思わなかった。
 
「追い出してェ訳じゃねぇ。けど……判るよな?」
 
 真剣に言ってくれているのが痛いくらいに判った。
 私の動揺を見透かして、心配してくれている。
 一度は本当に受け入れようとして考えてくれていたのだろう。
 何を言うべきか判らず黙りこくっていた私に、シュテンドウジさんはぽつりと言った。
 
「……おれ、元々鬼じゃなかったんだぜ」
 
 びっくりして声が出なかった。
 鬼の頭領が、鬼ではなかったなんて。
 
「誰にも言うなよ。言ったところでおれの強さは変わんねぇけどな。
 だからおまえが鬼じゃねェことは引け目に感じるこたねェよ。ただおまえの性格じゃおれたちとやっていくにはキツイだろ」
 
 秘密を打ち明けてくれてまで心配してくれるのは、私の事を、本当の迷《まよ》い子と思っているからだ。
 心地よくて忘れていたけれど、そういえば、オダノブナガさんのことでここに来てたんだった。
 下心のある私に優しくしてくれて罪悪感が広がる。
 
「シュテンドウジさんって、優しいですね」
「その方がモテるだろ」
 
 すごくどうでもいい理由で噴き出してしまった。
 それに続いて、へへっとシュテンドウジさんも笑った。
 
「皆さんがシュテンドウジさんのことが好きなの、判ります」
「ヤローばっかに好かれたってしょうがねぇだろ」
「こんなに優しいなら京の人とも上手くやっていけそうなのに、なんで襲っちゃうんです?」
 
 風を切る音がして、髪の毛が舞い上がった。
 時間差で顔の横の空間が殴られたことに気づいた。
 
「人族と仲良くやっていく気がねェからだよ。おれらは対等じゃねェんだ」
 
 それは怒りだった。私は多分言ってはいけないことを言ってしまった。
 
「余計なこと言ってすみませんでした」
 
 ぽんぽん。と頭を優しく叩かれた。
 謝罪のようだったし、これ以上言うなということだとも思った。
 だから頭を下げて、その場を失礼した。
 出るとカネドウジさんが待っていた。
 
「オマエ! 見てたぞ! シュテンドウジ様にぽんぽんされてたろ! ずりーぞ!!!」
「……僭越ながら、ぽんぽん頂戴いたしました」
「ずりい!!!」
 
 昨日のことがあっても、カネドウジさんがいつもと変わらずにいてくれたのが救いだった。
 
「怒られるようなことはもうすんなよ」
 
 私は頷いた。
 泣くわけじゃないが、肩はすっかり落ちてしまう。
 カネドウジさんはあたふたしながら私に言い聞かせた。
 
「おいおい、大丈夫だって。心配すんなよ。シュテンドウジ様は細ぇことグチグチ言うようなひとじゃねぇんだからさ」
 
 他人を思いやる気持ちは、鬼も私も同じだ。
 でも価値観が大きく違う。
 判り合える気がするのだけれど、そう簡単じゃない。
 すんなり手を取り合えるなら、世界で戦争なんて起こらない。
 大切なもの、譲れないものを抱いた瞬間、争いの種を植えることになる。
 発芽しないような行動が必要なんだと思うのだけど、昨日のあれを見る限りはどうすべきか判らない。
 
 そろそろ、動こうか────。

 





(2023.04.10)