二度目の夜を駆ける 九話-大江山 参-


 そろそろ、自分のすべきことをしなければならない。
 本来はもっと早く動くべきだったのに。
 周囲が当然のように異分子を受け入れようとしてくれて、それが心地よくて水を差せず、目的を頭の隅に追いやっていた。
 
「おれたちに愛想尽かしたか」
 
 私と話したことがないトラクマドウジさんが、わざわざ秘密の花園に呼び出した。
 このタイミングの呼び出しとあって警戒しつつ従った。
 二人きりになってからずっと睨むように私を見ていた彼だが、声にはそのような強さはなかった。
 私は首を横に振った。
 
「ここは凄く優しいひとばかりでしたよ」
「でした、か」
 
 残念なのは私も同じだ。
 
「京のことは正直忘れちゃいたいです。
  あんなことして大丈夫なんですか。報復とか……?」
「来たところでおれたちに勝てるヤツなんていない」
 
 いるんだよ。タイミングの悪いことに。
 あの子が先日の騒ぎを耳にしたらどうなることか。
 我慢してくれているなら良いけれど、多分そうじゃない。
 理不尽な暴力を目にして、困った人たちを見ながら刀を握りしめている。
 
「あれには何の意味があるんですか……?」
「暇潰しだ」
 
 思わず聞き返しそうになった。
 理解が出来ない。
 前触れなく生活を壊される者のことを一切考えていない我欲の塊。
 私が今まで見てきた、優しさ、とか、誠実さ、って何だったの。
 言葉が止めどなく溢れてきたが、絡み合っていて口から出てこなかった。
 私がどんなことを言おうとしているのか察したのだろう、トラクマドウジさんが疑問に答えてくれた。
 
「暴れたいヤツが多いんだ。シュテンドウジ様の暴君ぶりに惚れ込んだヤツが殆どだからな」
「トラクマドウジさんもそうなんですか?」
 
 せめて。
 あなただけはどうかと、縋るような気持ちだった。
 
「おれやクマはそういうものに興味はない。ホシもだな。カネは好きだな」
 
 黙々と花の世話をする背中から受けたイメージが崩れずに済んだ。
 その分、カネドウジさんのことは残念だった。
 四天王の中では同性ということもあって、一番好きだったから。
 私が許容する暴れん坊の範疇にいて欲しかった。
 
「鬼には破壊衝動が定期的に強まるんじゃねぇかってのがクマの見解だ。
  おまえらにはねぇんだろ。だからおれたちを無闇に殴ってる馬鹿だと思ってる」
 
 彼はうんざりしたように溢した。
 彼らに事情があることは理解出来た。
 だが、弱者の立場を思うと複雑だった。
 赤の他人の為に、サンドバッグでい続ける勇気、普通ない。
 
「……悪ぃ。おまえを責めたわけじゃねぇ」
 
 会話の途切れた私たちは風に揺られる花を見ていた。
 沢山手を入れてもらっている美しい花たちは黙って揺られている。
 本来は山に育つ花ではないが、トラクマドウジさんに手を入れてもらった彼らは好き好きに伸びていて、まるで最初からここにあったかのようだった。
 
「おまえは一度外に出て居場所を探してみたらどうだ。それでも一番良かったのがここだったなら、もう一度来い。その時はおれたちもシュテンドウジ様がしてくれたように、居場所を作ってやる」
 
 足元がしっかりしない私は、この言葉にはじわりと涙が染みだした。
 鬼たちは種族が同じなだけで他人同士である。
 彼らは同じ居住区で生活空間を共にし、好き好きに過ごしながらも必要とあらば協力し合っている。
 他人であっても遠すぎず近すぎない距離を保って共同生活をする彼らは正直羨ましい。
 私も、そんな生活が心地良かったから、今日までずっと”孤独な子供”で過ごしてしまった。
 
「その時は、お世話になりますね」
 
 本当にそうなったら、それはそれで幸せだろうなと無き未来を空想した。
 私たちが花園から帰還すると、何やら周囲がざわついている。
 
「今回の喧嘩は大きそうですね」
「仕方ねぇ、見てくるか。おまえは離れてろ」
 
 トラクマドウジさんはそう言うけれど、気になったので渦中へ近づく事にした。
 遠目で眺めるくらいなら許されるだろう。
 鬼たちが弾けたポップコーンのように木よりも高く飛んでいく。
 何をどうしたらそんな喧嘩が出来るのか。
 相変わらず乱暴な鬼たちに少し辟易しながら広場の方へ行ってみると、失神した鬼たちが山積みになっていた。
 その中心で涼し気な顔をしている人物から、思わず目を逸らした。
 やっぱり私の従者は、理不尽な暴力を黙って見ていられるような人じゃなかった。
 
「ここは良いね。斬る奴が沢山いて。うんざりするくらい嬉しいよ」
 
 仲間たちが次々と倒される中、果敢にも鬼たちは立ち向かう。
 モモタロウくんは殺気立つ鬼たちに囲まれていても、鼻で笑っていなしていき、斬り倒していった。
 私だから判るが、モモタロウくんは本気を出していない。
 倒れた鬼の誰一人として出血がないからだ。
 
「誰だおまえ!」
 
 トラクマドウジさんはそう言いながら斬りつけた。
 対四天王であっても、モモタロウくんは変わらず少ない動作で対応する。
 この二人の戦いは見ていてはらはらする。
 トラクマドウジさんが斬られるのも嫌だが、モモタロウくんが怪我をするのも嫌だ。
 そんなコウモリの私と、一瞬モモタロウくんと目が合った気がした。
 星の瞬きほどの時間だ。
 かといって何のアクションも見せない。ここは他人で乗り切るつもりだろう。
 私は知らない振りをして見守った。
 
「そこそこやるね。でも退屈だよ」
 
 侵入者に良いようにあしらわれるトラクマドウジさんは苦虫を噛み潰した。
 
「トラ!」
 
 誰かが呼んできたのか、クマドウジさんが駆け付けた。
 今日は筆ではなく、上半身程ある大きな電球を手にしていた。
 そこから純白な光が放たれると、モモタロウくんの足元が凍っていく。
 地面に絡めとられる前に氷を砕いて、横に飛んで避けた。
 この魔法っぽい攻撃は、テンカイさんに似ている。
 遠距離で広範囲の面倒そうな攻撃は、モモタロウくんには天敵ではないだろうか。
 そしてすぐさま、青い流星がモモタロウくんへ向かう。
 
「仲間の危機を救うのはこの上なくかっこいいんじゃないか!?」
 
 声を弾ませて現れたホシクマドウジさんだが、表情は真剣だ。
 
「……鬼斬りだな。だったら遊んでやらねぇとな!」
 
 カネドウジさんが蝶の形の軍配を振るうと、地面が割れて砂嵐が巻き起こった。
 天将は状態異常を与える技を得意とするのはカグツチさんで経験済み。
 対処法はモモタロウくんなりに出来ているはず。
 しかし。
 モモタロウくんはこの数を切り抜けられるのだろうか。
 私はモモタロウくんの強さを信じている。
 けれど、この状況でも信じるのは呑気過ぎるだろう。
 
「好き放題してくれてんじゃねェか」
 
 私が身の振り方を考えていると、大江山最強の鬼が現れた。
 
「へえ。君がシュテンドウジ? 噂通り頭の悪そうな顔してるね」
「噂通りのチビだな……来いよ」
 
 モモタロウくんの構えがいつものものになった。
 そうすべき相手だと判断したのだ。
 シュテンドウジさんは強かった。
 素手だというのに、モモタロウくんの刀が皮膚を通らない。
 私の防護のベールのように、シュテンドウジさんにも何らかの力が身体を纏っている。
 だからただの拳で地面に大穴を空け、岩を砕き、遠くの木々が空砲に撃ち抜かれたようにしなる。
 小柄な体躯のモモタロウくんは一度でも当たれば一発でアウトだ。
 
「手加減してる間に死ぬぜェおまえ!!」
 
 心底愉快そうなシュテンドウジさんはまだまだ余裕そうだ。
 対して、モモタロウくんの表情は少し険しくなっている。
 このままモモタロウくんが忠実に私の言葉を守っていると勝てないどころか、負けるかもしれない。
 敗北すれば、この山の鬼たち全員の憂さ晴らしを受けることになる。
 躊躇ってる場合じゃない。
 
「モモタロウくん!」
 
 飛び出して近づきさえすれば、私を盾にしてモモタロウくんを守ってやれる。
 走れば良いだけ。
 なのに、私は名前を呼んだ途端に地面に叩きつけられた。
 背中を足で踏みつけられて、少し嘔吐しそうになる。
 
「ようやく尻尾出しやがったな」
 
 イバラキドウジさんだ。
 唯一、彼だけが私と一切関わらなかった。
 今までずっと疑っていたのだろう。シュテンドウジさんや他の鬼たちを守るために。
 優秀なボディガードだな。と、そこは素直に感心する。
 でもこれは一番の悪手だ。
 シュテンドウジさんを見据えていたモモタロウくんが、目の色を変えてこちらへ向かってくる。
 背後のシュテンドウジさんが殴りつけても避けるだけで目もくれない。
 鬼気迫るものを感じたイバラキドウジさんが、即座に私の首を貫こうとしたが、案の定、刀が首に触れることはなかった。
 
「っ!?」
 
 私如きを仕留められなかったことへの動揺を突いて、モモタロウくんの刀が彼の刀を弾いた。
 
「僕の主《あるじ》に触るな」
 
 鬼たちの注目を一挙に集めて、可哀想な子供の役は幕を下ろした。
 モモタロウくんも倒れていた私に手を貸してしまったし、背中の土も払ってくれた。
 決定的だ。
 
「は!? え!? どういうことだよ!?」
 
 カネドウジさんは、なあなあと他の四天王に尋ねた。
 
「ナナシと鬼斬りは繋がってた、ってことだろ」
 
 トラクマドウジさんは疲れたように息を吐きながらも刀を握り直した。
 
「ぼくも警戒はしてたんだけど、そうとは思わなかったな。ねえ、氷槍」
 
 クマドウジさんの電球が光ると私たちの足元から鋭いツララが生えた。
 範囲内の敵を串刺しにするものだろうが、私とモモタロウくんは無傷だった。
 
「こういう展開は盛り上がるが、実際は嫌なもんだな」
 
 背後からホシクマドウジさんが手裏剣を投げていたが、私たちの数センチ前で見えない壁に阻まれて地面に落ちた。
 
「……くそっ!」
 
 イバラキドウジさんは飛んでいった刀を拾って私たちを斬りつけたが、私たちには一切効かない。
 
「どけ! イバラキ!」
 
 イバラキドウジさんが飛んで避けると、その後ろからシュテンドウジさんが現れ直接私を殴りつけた。
 しかしながら、最強の鬼の拳でも私の身体に傷はつかない。
 
「すみません。私には効かないので攻撃は無意味です」
「裏切り者」
 
 悪鬼のような絶え間ない攻撃の合間にぼそりと呟かれた言葉が、何よりも私を傷つけた。
 別に、嘘はついてないし。
 損害を与えわけじゃないし。
 私はここで誰と喧嘩もしていないし。
 偶に痛い思いをしたのはこっちだし。
 友好的に過ごしたはずだし。
 裏切るって、裏切ってなんか…………裏切ったか。
 私が独神だったり、旅をする人がいるのなら、きっとここの皆は私に優しくしなかった。
 手を伸ばす者がいないことを前提として、今後の過ごし方まで考えてくれていたのだ。
 
「……ごめんなさい」
 
 本当は出会ってすぐに、目的を伝えなければならなかった。
 場に流されて、流され過ぎて、不利な情報を全部隠していた私が悪かった。
 自分の思考に沈んでいこうとする私の頬を、モモタロウくんは思い切り叩いた。
 
「この状況で考え事する暇ないでしょ! しっかりして!」
「……舌噛んだ」
「そういうのいいから!」
 
 錆た味に満たされながら、私は最終奥義を発動した。
 
「ギブアップ!! 今もいるんでしょ!!!! 出てきて助けて下さいよぉ!!!!」
 
 モモタロウくんが唖然としてがっくりと肩を落としている。
 主ならこれくらい治めてみせろと、そう思っているのだろうが、私は頑張ることを放棄した。
 多くの人を失望させて、憤慨させた重圧が重すぎて本当ならここから脱兎のごとく逃げ出してしまいたい。
 この場に留まる選択をしたことは、私からすると英断なのだ。
 ……他人から見れば情けないの一言であっても。
 
「途中までは良かったのだがなあ」
 
 場違いな朗笑が反響した。
 右に左と見回していると、どこからともなくヌラリヒョンさんが出現した。
 
「てめ、ヌラリヒョン!? やっぱりか!」
 
 なんで、シュテンドウジさんは判ってたんだ!?
 
「まあまあ。まずはその二人を返してもらおうか」
「断る。って言ったら」
「儂が手を引かずとも自ら帰ってくるさ」
 
 言われたように、モモタロウくんの手を引いて真っ直ぐ歩いて行く。
 当然攻撃は効かない。
 しかし、よくしてくれた四天王からも攻撃を受ける立場になったのだと切なくなった。
 
「……どういう組み合わせだよ」
 
 孤児に鬼斬りに遠野の古妖。
 私たち三人に共通点はない。
 偶然の重なりで交わった。
 
「全て説明する。元々話し合う予定でここへ来た。娘は忘れていたようだが」
 
 どきっ。
 
「遅いと思ったら。馬鹿じゃないの」
 
 面目ない。
 こうして両隣に二人がいると、鬼たちの痛い視線の中でも震えることなく立っていられた。
 
「勝手に話を進めるな!」
 
 イバラキドウジさんが斬りかかってきた。
 もう私たちにその切っ先が届く事はないと判り切っているのに。
 一心不乱に振り回す刀が怖くて、無意識にモモタロウくんに身体を寄せてしまった。
 
「許可をくれるならやるけど?」
 
 刀を軽く叩く素振りを見せるので、私は急いで首を振った。
 
「失礼を働いているのはこっちなのに刀を出すのは変だよ」
「僕がここに来たのは京の人に頼まれたから。君がどうこうじゃなくて依頼分だけはやらないと」
「もう十分でしょ」
 
 気絶していた鬼たちも意識を取り戻し始めた。
 侵入者二人と裏切り者一人に対する敵意がどんどん高まってきている。
 合図さえあれば、果敢に攻めてくることだろう。
 数十人の鬼は、頭領の言葉を待っていた。
 私たちも同じく、シュテンドウジさんに注目していた。
 
「……話だけ聞いてやる。おまえらも手を出すな。特にそのムカツク面したヤツにはな」
 
 胸が掴まれるようだった。
 もうシュテンドウジさんは、子供に言い聞かせるような柔らかな口調で私に声をかけることは、もう、ないだろう。
 いつも騒がしいカネドウジさんもホシクマドウジさんが、何も言わずに睨んでくる。
 ごめんなさい。ごめんなさい。
 私は下を向いた。
 
「は? ムカツクのはこっちの台詞だよ」
「多分、儂の事だと思うぞ」
「あっそ。ならいいや」
 
 いつも通りな二人の影に私はそそくさと隠れた。
 シュテンドウジさんの命令は絶対で、数十人の鬼たちが襲い掛かることはなかった。
 四天王と一の子分も同様。
 普段は鬼たちがじゃれあったり、転げまわるスペースに私たちは連れて行かれた。
 森を切り開いた空き地には物が一切なく、お互いに何も隠す事が出来ない。
 私たちと、シュテンドウジさんたちは向かい合った。
 
「……。さっさと用件。んでもって帰れ。ヌラリヒョンとナナシ」
 
 シュテンドウジさんの爪紅の塗られた指がモモタロウくんを指した。
 
「おまえだけは殺す。理由なんざいらねェな?」
「構わないよ。僕もいつかは斬ってやるつもりだったからね」
 
 鬼の陣営がモモタロウくんを今にも殺しそうな視線を向けた。
 思わずモモタロウくんの腕を掴んで揺らす。
 
「やめて。もう斬らない約束でしょ」
「僕からは斬りかからないけど、正当防衛なら良いでしょ? それとも無抵抗にやられろって言うの?」
「やらせない。どっちにも怪我させないから」
 
 しばし私たちは睨み合った。
 
「はいはい。出来ると良いね」
 
 向こうが折れてくれたが、油断は禁物。
 いつ飛び出してもおかしくない。
 万一の為に鬼側に飛び出せるように心づもりをしておこう。
 
「用件だが、今回は其方に頼みがあって来た」
「遠野で隠遁生活してるおまえがここまで来るってのはどうせ面倒事だろ」
「うむ。では説明は頼んだぞ」
 
 ぽんと私の肩を叩かれた。ぎょっとする私。
 
「決めたのは其方だろう」
 
 それはそうなのだが、今は向こうの陣営の誰とも話せる気がしない。
 今まで見ていたのならば、私がどんな胸中か判っているだろうに、ヌラリヒョンさんはこれ以上手を貸してくれなさそうだ。
 こうなってしまうと腹を括るしかない。
 
「……私がここに来たのは、オダノブナガさんを止める為です。あの人は悪霊と組んで何か嫌な事を考えています」
「何やらやらかそうってんだよ」
 
 シュテンドウジさんの問いかけに早々に詰まった。
 私はオダノブナガさんの目的までは知らない。
 
「何かは判りません。ですが、戦を起こしたり、悪霊と手を組んでみたり、良いことが起きるとは思えません」
「何にも知らねェじゃねェか」
 
 シュテンドウジさんはせせら笑った。
 
「ンな不確かなもんでおれが動くわけねェだろ。鬼斬りの手引きの為に来たって方がよっぽど判る話だろ」
「主《あるじ》さ、」
「頼もうとしたら担ぎ上げられて食べられそうになって、そしたら頼み事のことなんて飛んじゃったんです!!」
 
 モモタロウくんが何か言いかけたが、私は敢えて口を挟んだ。
 弱気なことは言わなくて良い。
 自分のせいで、なんて思わせては駄目だ。
 
「嘘くせェ」
「集団で襲われて食べられかけたら判りますよ!! ミコシニュウドウさんみたいな大きいひとに食べられてみるとか!!」
「げ。あいつとも知り合いかよ……」
 
 ばつが悪そうに頭を抱えた。
 とっさに出した「名前」だったが有効だったようだ。
 この世界、名前は紋所と同じ。
 強者の名前を振りかざすだけで一目置いて、無下な扱いを受けなくなる。
 虎の威を借る狐はみっともないが、使えるものを駆使するのは悪いことじゃないはずだ。
 
「……で、おれにそのガキと組めってのか」
「結果的にはそうなります」
「やるわけねェだろ。面倒くせェ」
「……先日京で暴れて楽しかったですか?」
「そりゃ気分良いに決まってんだろ」
「つまんなくないですか。手応えなくて。逆にモモタロウくんと戦ってる時は楽しそうでしたよ」
 
 鬼と破壊が切っても切れない関係という仮説が正しく、シュテンドウジさんが最強故に鬼の頭領なのだとしたら考えられる事だった。
 この山にシュテンドウジさんより強いひとはいない。京の町にも。
 弱い者を甚振ることを良しとしないのは、イバラキドウジさんを殴って注意をした時に判った。
 つまりシュテンドウジさんにとって、気持ちの良い破壊はここにはない。
 
「一緒に来てくれるなら、全力で戦える相手に何人だって会えます。もしかしたら負けちゃうかもしれない」
「あ? おれが負けるわけねェだろ!」
 
 シュテンドウジさんを筆頭に向こうの陣営全員が憤慨してみせた。
 
「強い妖だってヌラリヒョンさんが推すから来たんです!! 豪語するなら本当に蹴散らして下さいよ!!」
「上等だァ! 連れてってみろや!!」
「了解しました!! これから暫く宜しくお願いします!!!!」
 
 あ、なんか上手くいった。
 
「おまえらは留守番しとけ! 判ったな!」
「シュテンドウジ様!?」
 
 即断即決に他のひとたちがどよめいている。
 私でも悲鳴を上げているだろう。
 
「おい、ガキ二人と日和見爺さっさと行くぞ!」
「え!? お荷物まとめるとかは?」
「ねェよ!」
 
 シュテンドウジさんは行く気満々であるが、絶賛困惑中の四天王ともう一人はというと、
 
「一の子分である俺がシュテンドウジ様に任されたんだからな!」
「いいや。シュテンドウジ様はバッチリアタシ見てた! アタシに頼んだんだよ! 一番の子分のアタシにな!」
「僕は戻るね。修理の途中だったんだ」
「じゃあおれも」
「俺は! ……過激に華麗に審判するか!」
 
 各々騒いでいる。
 シュテンドウジさんが突然いなくなるというのに。
 明らかに困惑していたのに、もう平気な顔をしてる。
 
「おれがいなくなってどうにかなるような腑抜けなわけねェだろ」
 
 シュテンドウジさんが得意そうに言った。
 鬼たちとの強い信頼感が見えたような気がした。
 四人で山を下りていくと、急にシュテンドウジさんが言った。
 
「おまえら、どういう繋がりだ? 訳判んねェだろ」
 
 そうだ。それすら説明していない。
 移動中は暇なので、必要そうなことは全部教えよう。
 私たちの出会い方やしてきたことを────。
 
「わっけわかんねェ」
 
 長話の感想がそれだ。
 
「まさか独神が与太話じゃねェとはな」
 
 私が独神であることは説明したが、詳細は伝えていない。
 死にそうになっても死なずに済むと、知られている範囲までだ。
 冥府六傑の時の反省で能力については秘匿する方が安全だと思った。
 
「鬼斬りの噂は当然知ってるぜ。西のおまえが京を過ぎて江戸にいたってのは、おれを斬る自信がねェからだろ」
「周囲の鬼からじわじわ斬られる方が君をより苦しめられるから残しておいたんだよ」
 
 容易く険悪になってしまう。
 先に挑発したのはシュテンドウジさんであるが、まずは身内であるモモタロウくんに注意をした。
 
「そういうの良くないよ」
「斬らないだけマシでしょ」
 
 これは素直に聞き入れてもらえなさそうだ。
 京での一方的な暴力の報いを、今すぐにでもシュテンドウジさんに与えたいのだろう。
 その気持ちは判るし、思ったことを表に出す性格なのも知っている。
 しかし、口は禍の元、って以前私たちと険悪になったことを覚えていないのだろうか。
 ここは自分が代わりに謝っておこう。
 
「シュテンドウジさん、失礼なこと言って申し訳ありませんでした」
「なんで君が鬼なんかに謝るの! 余計なことしないで」
「従者が失礼を働いたら、主が謝るのが当然でしょ」
 
 あっそ。と言った後は黙ってしまった。
 今後の事を考えると毅然とした態度で間違いないはずだ。
 でも、後で何らかのフォローは入れておこう。
 
「なあ、こいつらいつもこんな感じか」
「いつもの光景だな」
「なるほどねェ……」
 
 シュテンドウジさんはヌラリヒョンさんと昔話をしたり、近況を話したりしていた。
 
「最近狸の爺死んだぞ」
「なんと。儂より生きると思ってたのだがな」
「息子の女に手を出したんだと。んで、あいつが他に囲ってた女がキレちまって、鎌持って追いかけ回した。そいつから逃げてる途中突然ぷつんと逝っちまったらしい」
「女癖の悪い、奴らしい死に様だな」
「おれは死ぬなら酒に溺れて死にてェなぁ。なあ、おまえ……ナナシ」
 
 名前に反応して振り向いた。
 
「おまえ酒は何がいける?」
「いえ。飲めませんよ。未成年ですもん」
「歳なんて関係ねェだろ。おれの手を借りてェなら付き合え。いいな」
「……嫌です」
「ンでだよ!」
「だって、日本は飲んじゃいけないって決まりがあるから」
「おれの酒が飲めねェっていうのか」
 
 目が座っている。
 飲酒がそんなに大事だろうか。
 私としては、八百万界とはいえ未成年で飲酒はしたくない。
 ここでシュテンドウジさんの機嫌を損ねるのも避けたい。
 となると、我慢した方が良さそうだ。
 
「わか、痛っ!?」
 
 頭をさすりながら、見回すと鞘で殴られたことが判った。
 
「無理強い止めなよ」
 
 シュテンドウジさんは舌を打つ。
 
「あーあ。おれ黒いガキとやっていける気がしねェけど」
「其方が娘にちょっかい出さなければ良いだけだろう」
「仕方ねェだろ。この中でマシなのがナナシだけなんだからよ」
 
 一応この中では私がマシなのか。
 結構怒ってると思ってたから、ちょっとほっとした。
 
「……」
「も、モモタロウくん、何?」
「別に」
 
 いつも通りモモタロウくんは冷たく突き放して、私の顔も見なくなった。
 そうしているうちに京の宿に着いた。
 今回はモモタロウくんとシュテンドウジさんの関係から、部屋は別にするつもりだ。
 
「ナナシ貰うぞ」
 
 店先でシュテンドウジさんに横抱きにされてしまった。
 モモタロウくんは刀を抜いた。
 
「下ろさないなら斬る。殺さなければありでしょ」
「おれを斬る間にはこの女の胴を折るけどな」
 
 物騒すぎる。
 私は昔の携帯電話じゃないんだよ。
 
「モモタロウくんストップ。私は大丈夫だから、今日は別行動しよ。ヌラリヒョンさんお願いします」
「判った。シュテンドウジ、娘には手を出さぬようにな」
「どっちの意味だよ」
「全ての意味だ」
 
 心の芯まで凍る冷たい口ぶりに私の方が怖くなった。
 
「うるせェな。さっさと部屋取っちまえよ。おれは黒いガキをこれ以上見たくねェんだよ」
 
 歯を鳴らしたモモタロウくんを引きずって、ヌラリヒョンさんはさっさと手続きを済ませた。
 部屋へ向かっていく間に、私は別の部屋を指定しなけなしの金を払おうとした時、シュテンドウジさんは私の財布を掴んだ。
 
「外だ」
 
 私を引っ張っていくシュテンドウジさんに「なんなんですか?」と抗議すると、顔を近づけられた。
 
「馬鹿! 別の宿に決まってんだろ! 寝首かかれて堪るかよ」
 
 宿のあてがあるのか、すいすいと歩くシュテンドウジさんについていき、少し離れた宿で部屋をとった。
 
「クッソダルかった」
 
 と言いながら、シュテンドウジさんは抱えた私ごと畳に倒れ込んだ。
 
「うぐ。重いです」
「面倒なヤツ二人も連れてきやがった罰だ。ちったぁ我慢しろ」
 
 押し倒されてるみたいで恥ずかしい。
 この密着度は他人の距離ではない。
 私は押しのけようと必死で押した。
 
「んっ。乗っかられるの嫌。のけて下さいっ!」
「……なあ」
 
 耳元での囁きが私の何かを刺激して甲高い悲鳴じみた声をあげた。
 まるで女の子のようで、耳まで熱くなるくらい恥ずかしくなった。
 
「山でおれらといて、どうだったんだよ」
 
 シュテンドウジさんは淡々としていたが、緊張感があった。
 誤解を生まないように、真摯に答えた。
 
「楽しかったですよ。このまま住むのも良いなって思い始めてたから。でも町を襲うのは私は反対です」
 
 するとシュテンドウジさんは肩を震わせた。
 笑っているようだ。
 
「何であれ、おまえはおれらを騙したことには違いねェ。許してやるから。今からおれが言うことをよく聞けよ」
 
 シュテンドウジさんのミッションは簡単だった。
 宿で買った酒をシュテンドウジさんの手にある猪口に注いだ。
 
「やっぱ女に注がせる酒はうめェ」
 
 気分よく笑っている。
 下品だと思うが、美味いと言われると悪い気はしなかった。
 なくなる度にどんどん注いであげた。
 シュテンドウジさんは呑めば飲む程機嫌がよくなった。
 私と目が合うだけで笑っていたので、相当酔いが回っているのだろう。
 だから突然声のトーンを落として尋ねてきた時には驚いた。
 
「おまえ。ヌラリヒョンの何を知ってる」
 
 何を。というと思い当たるものはない。
 
「判ってないですよ。でも拾った私を最後まで見てくれる気がするんです。
 信じ切れない気持ちは私も同じですが、きっと大丈夫ですよ。
 優しいし、甘やかしすぎないし、困った時に頼りになるのはヌラリヒョンさんですから」
「それが騙されてるっていうんだよ。嘘吐きは優しさでおまえの心の穴を突いてくる」
 
 否定はしない。
 けれど、疑わしくとも証拠はない。
 ないことの証明は出来ないのだから、信じたい時は信じた方が良いと思う。
 疑う事は苦しく、寂しさが増長するから。
 盲目に信じる方がマシ。
 まして、相手は私を拾って、面倒を見てくれたひとだ。
 病院の時だって献身的に世話をしてくれたと聞いている。
 そんなひとを、なんとなく怪しいからで疑うなんて、……良くない。良くないことだ。
 
「ヌラリヒョンには警戒しな」
 
 私は何も言えなかった。
 
「深読みすんな。ただの忠告だ」
 
 本当に? それだって嘘じゃないのか。
 会ったばかりの大鬼を疑う方が自然だろう。
 けれど、私は山でのシュテンドウジさんを知っている。
 多くの人に慕われて、和気藹々とした輪の中心で馬鹿笑いをしていた。
 外からぼうっと見る私を手招いて、強引に輪に引き込む様子はコヒーレンスのようだ。
 そんなひとの忠告だから、半分だけ聞き入れることにする。
 
「覚えておきます」
 
 にやっと笑うと、ぽんぽんと頭を叩いた。
 嬉しいけれど照れくさくて、私は口を一文字に縛った。
 
「こんなのが鬼斬りの異名を持つモモタロウの主とはねェ。判んねェもんだな」
「私だって主になる気なんてなかったですよ。ただ気に入らない人を斬り殺す事をやめさせるには必要だったから」
「……ま、山で死人が出なかったってのは、おまえの躾のお陰だろ。……礼は言わねェからな」
「勿論です。非はこちらにありますから」
「あーやめだ。やめ。辛気臭ェ」
 
 ほれ、と次の酒を顎で指すので、私は急いで注いだ。
 猪口を入れればすぐ一気呑みのわんこそば状態で、いっそどんぶりで呑む方が良さそうに思える。
 紅潮する肌の下を酒が通る度に上下する喉仏。
 服の上からでも判る鍛え抜かれた肉体。
 ただ酒をガバガバ呑んでいるだけなのに、荒っぽさに色気が滲んでいて私まで酔ってしまいそうだ。
 
「鬼斬りのヤツ、今頃おまえが鬼にさらわれたって騒いでんだろ! クハッ! いい気味だ!」
 
 台無しである。
 だが愉快そうで何よりだ。拗れて殺し合いになるよりは何倍もいい。
 
「安心しな。おまえはちゃんと返してやる。その方が悔しがるだろうからな!」
 
 その後も延々と酒を飲み続け、急にスイッチが切れたように、こてん、と寝てしまった。
 いびきはうるさいし、身体は重いし、蒲団に運ぶのは難儀した。
 その上酒瓶の片付けまでするとぐったりしてしまい、私もすこんとすぐに寝てしまった。
 
 
 ◇
 
 
 寝返りをうつと手に柔らかな感触が触れた。
 
 (誰だこいつ)
 
 イバラキドウジかもしれない。
 最近も寝ている最中に踏まれたと苦言を零されたが、その時は覚えてねェと一蹴した。
 踏まれるようなところに寝るのが悪いのだ。
 今日は踏む前に押しのけておこうと、面倒ながら上体を起こした。
 自分が握ったものは子供の腕だった。しかも女だ。
 
「……こいつマジで寝てんのかよ。おれが誰だか判ってんのか」
 
 鬼であるシュテンドウジを見れば、誰もが悲鳴を上げて命乞いをするものだ。
 だが容姿端麗でもあるため、怖いもの見たさに近寄る女は多く、妖以外も虜にしてきた。
 だというのに、この子供は健全に蒲団に入って寝ていた。
 もっと言えば自分に背を向けて健やかに寝息を立てている。
 
(普通緊張するだろ。おれと同じ部屋に二人きりだぞ?)
 
 自尊心を傷つけられた腹いせに、悪戯でも仕掛けてやろう。
 この子供は自分が殴っても効かなかった。
 改めて、触れてみることにした。
 頭を撫でようと、首筋を撫でようと、あの時のように弾かれることはなかった。
 ならばと、軽く殴ろうとすると身体に当たる直前で何らかの力に阻まれてしまった。
 
(無意識でこれかよ。こんなの今まで見た事ねェぞ。独神は何の加護を受けてる?)
 
 オダノブナガを潰す事には全面的に賛成である。
 良くない噂は山にまで届いていたが、自分たちに関係ない間は手を出す気はなかった。
 そんな時に自分の力を見込んで戦ってくれと言う者が現れた。
 小賢しいことに、退屈していたことを言い当ててきた。
 実際モモタロウと拳を突き合わせた時には、全身の血が滾ってくるのを感じた。
 山の鬼たちでモモタロウとやり合える者は誰もいない。
 自分だけだ。あの化物をブチ殺せるのは。
 女に付けられた枷を外せば互いに血を流し合う殺し合いが出来る。
 想像するだけで鬼の血が騒ぐ。
 極上の相手であるが、オダノブナガと対峙するには足りないというのだから、オダノブナガと敵対すれば興奮する戦いが際限なく出来るに違いない。
 ナナシ一向に着いて行くことに不満はない。
 懸念材料は勿論、遠野の隠遁爺だ。
 何年も表に出る事無く、田舎に引っ込んでのんびりと過ごしていた。
 妖同士の抗争があっても、爺だからと言って撒いていた。
 そのヌラリヒョンが独神の背後にいて、何もないわけがない。
 独神が拾い主であるヌラリヒョンを慕っているのがすぐに判った。
 当然ヌラリヒョンもそれを承知して行動している。
 八百万界全土に影響力のあるヌラリヒョンにこれ以上力を与えてやるわけにはいかない。
 取り越し苦労かもしれないが、暫くは見張っておく。
 その為にも山を下りた。
 もう一人の障害である、鬼斬りの対処法は既に思いついている。
 そして二人をまとめて抑えるには、独神であるナナシを自由に動かせる立場になるのが手っ取り早い。
 
(いっそ、ナナシを落とすか。あいつおれのことまんざらでもねェだろ)
 
 世間知らずの子供を騙すようで罪悪感があったが、先に騙したのはナナシなのだからお互い様である。
 
 
 ◇
 
 
 シュテンドウジさんは寝起きは機嫌が悪いし、だらだらとしてなかなか蒲団から出てくれなくて大変だった。
 寝ぐせを直したり、ご飯を食べさせたり、その合間に自分の用意を済ませたりして、朝からどっと疲れてしまった。
 二人と合流するのも遅くなってしまい、随分心配をかけてしまった。
 
「主《あるじ》さん!? 大丈夫? 怪我は? 馬鹿がうつってない?」
 
 過剰なくらい心配するモモタロウくんには悪いことをした。
 
「大丈夫。シュテンドウジさんはそんな悪いひとじゃないよ。ちょっと手が早くて酒癖が悪いだけ」
「悪口じゃねぇか」
 
 京の朝だ。折角だから観光していきたい気持ちもあるし、オダノブナガに関する情報も集めたい。
 織田信長は将軍としての権威を利用する為に京を目指した。
 朝廷や将軍を操り、敵対勢力を自由に朝敵に出来れば、大義名分を振りかざして、戦も交渉も有利となる。
 しかし、この世界にの天皇だか将軍だかの影響力はせいぜい人族までの権力らしい。
 そんなものをオダノブナガが欲するだろうかという疑問はあるが、日本史の織田信長が行った事は念の為確認しておくのが良いだろう。
 今日は四人もいるので、二人ずつに分かれて情報収集をしよう。シュテンドウジさんとモモタロウくんの組み合わせを作らなければ大丈夫だろう。
 
「ナナシを貸せ」
 
 脇の下に腕が入ってきたかと思うと、そのままシュテンドウジさんの方へと引き寄せられ抱かれていた。
 このまま抱き上げて、猫や犬のように運ぶつもりなのだろう。
 
「駄目に決まってるでしょ!」
 
 当然、モモタロウくんは反対した。
 
「バーカ。女連れの方が怪しまれねえだろ」
「なら僕も行く」
「おまえが一番駄目に決まってんだろ! 男と歩く趣味もねェ!」
「従者なんだから主《あるじ》につくのは当然でしょ。馬鹿なの」
「ああ? おまえをまずここで潰してやっても良いんだぜ」
「やってみなよ。山の奴らには八つ裂きの君を渡してあげるよ」
「ちょっと! 二人とも落ち着いて下さい。みんな怖がってますよ! 私はシュテンドウジさんに着いて行くから、モモタロウくんはヌラリヒョンさんとお願い!」
 
 この町で有名人のシュテンドウジさんが立っているだけで、通行人が三度見し、全速力で逃げていく。
 京の人の為にも私とシュテンドウジさんで行くのが最善な気がする。
 でもモモタロウくんは気に入らない。
 
「では間をとって儂と行こうか。京の菓子はまだ食べておらぬだろう。ゆったり京を見て回らぬか?」
 
 助け船なのか火に油を注いでいるのか判別がつかない。
 
「魅力的なお誘いですけど、まだシュテンドウジさんのことちゃんと知らないし、もう少し一緒に過ごそうと思います。
 もし暴れたとしても私なら止められるので、町の人の安全の為にも最適です」
 
 町の人の事を出したからか、モモタロウくんは不満げながら「判った」と言った。
 
「マジで女の飼い犬になったってか」
 
 余計過ぎる一言だ。
 目を見開いて刀を抜こうとするモモタロウくんに、私はシュテンドウジさんを振り払って抱きついた。
 獰猛な獣を抑え込んでいる気分だ。
 何者も恐れないモモタロウくんが私から逃げようとする。
 
「は、離れてよ」
「刀を戻して」
 
 刀がきちんと鞘に納められてから解放した。
 
「……次、シュテンドウジさんに危ないことするなら、……も、もっと凄いことしちゃうからね!!」
「っ! 馬鹿じゃないの!」
 
 耳まで赤くして怒鳴ると、私に背を向けた。
 身体を張ればモモタロウくんは止められる。
 まだ私が抑えられる範疇で助かった。
 モモタロウくんの腕力なら私を振り払うことは容易い。
 遠慮して突き飛ばさないでいてくれるから、今回のように丸く収まったのだ。
 
「逆効果じゃねェの? その条件ならもっとやるだろ」
「其方と違って子供らは純粋なのでな」
「おれにしてくれたって良いぜ?」
「絶対にしないのでご安心ください」
 
 思ったより冷たくなったがシュテンドウジさんはにやけていた。
 この目線ものすごく不快だ。気持ち悪い。
 そうさせているのは自分の行いなので自業自得とはいえ。
 抱き着いて止めるのは便利だが乱用はやめよう。
 モモタロウくんだから変な気を起こさないでいてくれてるだけなのだと胸に刻んでおく。
 
「じゃあ、シュテンドウジさん、ちょっと町を見て回りますか」
 
 モモタロウくんのことは全部ヌラリヒョンさんに任せて、私はシュテンドウジがどんなひとかじっくり見ながら、ヒントになりそうな情報を探していこう。
 私は歴史マニアではないので、織田信長と言えば京のどこを巡るべきか判らないので、手あたり次第足を運んで虱潰しに探す。
 
「もう!!!! ここ寝る場所じゃないでしょ!!!!」
 
 周囲の人に謝りながら、酔っ払いを引っ張っていく。
 
「あ? なら二軒目行くぞ!」
「行かないよ!! 朝ですよ!!」
 
 私はシュテンドウジさんと行動を共にした事をもう後悔していた。
 当たり前だが、シュテンドウジさんは私の言う事に耳を傾けない。
 だから多少拒否しつつも付き従ったした。
 そうしたら、一軒目が賭場兼酒場。
 情報収集に良いかもしれないと感心していたら、まさか賭場で金を稼ぎだして、勝った全額酒につぎ込んだ。
 得た酒を一気飲みした。
 酔った。
 寝た。
 ねえねえ、休日の駄目お父さんですか?
 
「ケチくせェ」
「何がですか! あと体重かけ過ぎです! 重いです!」
「ちょっとだけだろ」
「そのちょっとも重いんだよ!!」
 
 やる気ゼロの酔っ払いの扱いに四苦八苦し、私は結局何の成果もあげられなかった。
 昼に二人と合流した食事処ではシュテンドウジさんを横に転がさなければならなかった。
 広いから良かったが、恥ずかしくてしょうがない。
 鬼退治専門家に思わず「鬼の弱点何?」と聞いてしまった。
 ちなみに答えは「心臓をねじ切る」だったので、私には無理そうだった。
 
「でも、シュテンドウジさんて嫌われ者って感じでもないんですよね。話しかけてくる方も多いし、こんなぐでぐででも手を貸してくれて。
 元々悪い印象はなかったけど、やっぱり他の人から見てもそうなんだなって、安心し…………」
 
 モモタロウくんの周囲が吹雪で荒れ狂っているように見えた。
 持ち上げ過ぎない方が良い。
 連日の不機嫌でいつ噴火するか判らない。
 
「勿論! 物を壊したり、誰かを傷つけるのは悪いよ? それはそう」
 
 モモタロウくんは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
 早くご機嫌を取らないとまずいかも。
 シュテンドウジさんと会ってから、二人で話す機会なんて一度もない。
 
「其方は上手くやっておるようだな」
「ええ。まあ。山でも特別怒られることはありませんでしたから」
 
 私の立ち回りが上手いわけではない。
 
「器が違うんですよね、多分」
 
 集団の異分子に対する許容範囲が大きい。なのでお互いが好き勝手しても、相手の勝手を許すことが出来る。
 山のことを振り返ると、そう思う。
 
「鬼に限らず、どこで誰と会っても大体良い人だなと思うのに、その良い人同士がいがみ合うのって不思議ですよね」
 
 モモタロウくんは呆れていたし、ヌラリヒョンさんは苦笑いしていた。
 
「それは君は死なないからそう言えるんでしょ」
「人となりを知るに至るまでに身の危険があれば退くこと、排除することに重きを置くものだ」
 
 そうかもしれない。
 死なない私は何度でもチャレンジ出来る。
 だから、普通は────
 
「だから其方は交渉人にはうってつけだろう」
 
 驚きに目を見張った。
 
「そっか。そうですね」
 
 この特性を生かすのであれば。
 
「……じゃあ、私の方でもっと発信すれば良いんですね。モモタロウくんは怖い人じゃないし、シュテンドウジさんは他人の弱さに敏感なひとだって」
 
 自分で言って笑えてしまった。
 
「向こうじゃ誰にも関心無かったのにな……」
 
 つい零した日本での話に、
 
「君、ちょくちょく暗くて面倒だからね。相手も君を持て余してたんじゃない」
「はあ? 悪かったですね!」
「それに毎日付き合ってあげてるんだから良いでしょ」
 
 ねえ、とヌラリヒョンさんに振った。
 
「うん? ああ。儂にも欠点はあるからお互い様さ」
「え。欠点ってあります?」
「あるでしょ。肝心な時にいないとか、自分だけ無関係みたいに一歩引いてたり、さらっと面倒な事押し付けてきたりとか」
「言われれば、そうだけど……。欠点って言うほどかなあ」
「主《あるじ》さんってヌラリヒョンさんに甘いよね」
「いやあ。お世話になってるもんで」
「僕も世話してあげてるんだけど?」
「その分のお世話はやってあげてると思いますけどぉ?」
 
 なんだかおかしくなってきて、笑いが込み上げてきた。
 二人とも表情が柔らかくなっている。
 トラクマドウジさんが居場所の話をしていたけれど、私の居場所はもう目の前にある。
 こんな風に、シュテンドウジさんとも笑い合えるようになりたい。
 今は酔い潰れて転がっているけれど、私たちが京に滞在する間にはモモタロウくんと少しでも仲良くなってくれると良いな。
 午後は引き続き、私とシュテンドウジさんは役に立たなかった。
 昼寝とその付き添いで、無情にも沈んでいく太陽を見ながら、「無駄な時間だったなあ……」と独り言ちた。
 宿をとるために二人と合流すると、モモタロウくんは私の後ろで千鳥足になった大男を嫌そうに見ていた。
 だが酔っぱらってくれたお陰で部屋をとるのはスムーズだった。
 殺し合いになっては困るので、隣合った二部屋をとった。
 シュテンドウジさんは一人で寝かせてあげて、何かあれば私が相部屋になれば良いだろう。
 と、思っていたのに。
 
「ナナシはこっちで良いだろ」
 
 半ば強引にシュテンドウジさんと同室にされてしまった。
 私自身は構わないのだが、モモタロウくんは鞘のまま刀を振り上げていた。
 
「まあ、私がいればモモタロウくんはシュテンドウジさんを斬れないんだし、護衛として置くと思えば」
「その君に護衛が必要なんでしょ!」
「判ってるよ。だから万一に備えて部屋は隣にしたでしょ? あ! じゃあヌラリヒョンさんとシュテンドウジさんが同じ部屋になるのはどうですか?」
「ぜっっっってェ嫌だ……」
「それは最後の手段にしてもらえぬか。儂も此奴とはなあ……」
 
 なんでみんな我儘なんだ。
 
「いっそ、私とそれ以外で分かれてみるとか?」
「地獄か」
「じゃあ、どの組み合わせなら良いんですか」
 
 全員の視線が私に向かってきた。
 
「……。私?」
 
 変なの。少し笑った。
 
「じゃあ、くじにしましょう」
 
 持ち歩いている懐紙を三枚に裂く。内一つに印をつける。
 印の部分を私が握って、反対の端が三つ見えるようにする。
 
「引いて下さい」
 
 くじの選択には諍いはなくスムーズに決まった。
 同時に三人が引く。
 
「うぉっしゃ! 最初からおれの言った通りにすりゃ良かったんだよ!」
「うざ」
「そろそろ其方の傍で休みたかったのだがなあ」
「え? 本当ですか!?」
 
 ヌラリヒョンさんがそう言うなら、今夜はヌラリヒョンさんと二人部屋にしよう。
 その気になる私をシュテンドウジさんが止めた。
 
「当てた意味ねェだろうが」
 
 しまった。
 見事に誘惑されてしまった。
 
「すみません」
「ったく。おれと鬼斬りを同室にしたら町ごと壊すからな」
「それはまずいです!」
 
 暫くヌラリヒョンさんとは寝られそうにない。残念だ。
 くじの通りに部屋を決め、シュテンドウジさんと同室になったのだが。
 
「なんだか元気ですね。日中昼寝しすぎたんですか」
「あー。まあ、そんなとこだろ」
「そうですか。私は先に寝ちゃいますね。灯りは多少弱めてくれると嬉しいです」
「ああ、消しといてやるよ」
 
 そう言って行燈の火を吹き消した。
 そういえば、シュテンドウジさんは妖だ。
 ヌラリヒョンさん同様に夜目がきくのだろう。
 私は遠慮なく暗闇で寝させてもらおう。
 
「畳だと眠れません? 山では野宿状態でしたもんね」
「おれを野生動物と思ってねェか?」
「いえ。そんなことは」
 
 枕が変わると寝にくいというからその類かと思っていた。
 
「……どうしました?」
 
 シュテンドウジさんが口元に指を立てた。
 静かにしろ。
 それは日本も八百万界も共通らしい。
 シュテンドウジさんの身体が蒲団に入ってきた。
 驚きながらも仕方なく場所を譲ってあげた。
 流石に会って数日の人と同じ蒲団は嫌悪感がある。
 いいひとであってもそれはそれである。
 
「あの。狭いでしょう?」
 
 やんわりと拒否しているのだが、暖簾に腕押し。
 シュテンドウジさんは鈍感な方ではないと思うのだが。……やりにくいな。
 すっきりとしない気持ちに目を向けないように頑張っていると、蒲団の中で胴に腕が回された。
 身体が固くなった。
 話が通じるから大丈夫そうだと思っていたが、もしかして酔っているのだろうか。
 それを疑うと、このひとにシラフの時間があるのか判らなくなってしまうが。
 酔っ払いなら嵐が過ぎ去るのをひたすらに耐えるしかない。
 他人の、それも男の人の身体が近づくのは落ち着かない。
 少し動いただけでも気になって、そればかり考えてしまう。
 腕の位置も悪い。
 さっきから胸に当たりそうなのだ。もっと下の、腹の辺りなら我慢できるのに。
 これでは寝るどころではない。無理やり剥がしてしまおう。
 腕と自分の間に指を差し入れて剥がそうとするも、何故かとてつもなく強い力で抵抗される。
 
「っ」
 
 指先が横腹を撫でた。変である。
 この動きは意図的じゃないのか。
 
「こういう悪ふざけは嫌いです」
 
 はっきりと突き放した。
 
「やれば考えも変わるだろ」
「変わりません!」
 
 蹴ってみたが、手ごたえがない。
 そういえば刀すら素手で相手にするようなひとだ。
 
「……おまえ、おれといて何もねェの?」
「ないですよ。どういうこと?」

 いいから早く寝てよ。

「おれのことが知りたいんだろ。だったらこうすりゃ手っ取り早いじゃねェか」
 
 背中がぞわりとした。
 私のこと本気で襲うつもりなのか。

「……私のこと好きでもない相手なんてごめんです」
「やってるうちに好きになるんじゃねェの?」
「ないよ!」
 
 普通なら相手の要求に答えられなくて申し訳ない気持ちになるだろう。
 なのにこうも平気で言い返せるのは、私の中に一つの確信があるからだ。
 
「私を懐柔しようとしてません?」
「ンなことねェって」
「ある。シュテンドウジさん変わりすぎなんですよ。山にいた時のシュテンドウジさんの優しさと気配り凄かったんですからね!
 私のことガキ扱いする人がこんなことするわけないでしょ!!」
 
 山を下りてからずっと私に対して雑。
 優しさを踏みにじったせいだと思って甘んじていたが、今日は特におかしい。
 今日の酔っ払いぶりも、私に世話をさせたかったんじゃないか。
 介抱となれば、大抵の事を許す事にもなる。
 手を繋ぐことが嫌いであっても、迷子にならないよう引っ張るには仕方なかった。
 よろけてもたれかかったなら全身で支えなければならなかった。
 
「もしかして、警戒してます? だから私?」
 
 名前は出さず襖を指で指した。
 向こうの部屋にいるのはあの二人だ。
 
「なわけねェだろ」
 
 顔はそう言っていなかった。
 余計な事を言うなとでも言いたげで、私は少し考えた。
 私の懐柔で何らかの懸念が解決するのだ。
 急な展開になったのは、それだけ焦っていたのだろう。
 となると、そうだ。いっそのこと……。
 
「シュテンドウジさん私と勝負しましょ。どちらが上か決まれば、あとは簡単でしょう」
 
 私が勝てば、シュテンドウジさんも子分。
 身内になってしまえば、モモタロウくんは絶対に手を出せない。
 ヌラリヒョンさんも私に気づかれないようにする必要が出て、余計な手間暇がかかるはずだ。
 私もまた、指示が出せる立場になれば、オダノブナガの件も早く片を付けられる。
 もし私が負けたにしても、シュテンドウジさんは私を盾にすれば安心安全。
 だからこれは、双方にとって良いことしかない。
 ……あれ。でも。
 私が鬼の下についたって図に、モモタロウくんは耐えられるのだろうか。
 なんだか嫌な予感がしてきた。
 
「言ったな」
 
 シュテンドウジさんが物凄く良い笑顔をしていて、前言撤回したくなった。
 
「腕力じゃ話にならねェ。なら、これでいこうぜ」
 
 いつも持っている酒の入った瓢箪を掲げた。
 
「いえいえいえいえ! だって、私、お酒飲んだことないです! 言いましたよね!?」
「おれは喧嘩や酒以外で勝ったヤツに尻尾は振らねェ」
 
 おふざけで言っているわけではない。
 これは喧嘩か飲酒で負けた時は本当の意味で頭を垂れるという宣言である。
 大江山の頭目が負ければ、その下の鬼たちも追従する。
 これは一対一の勝負ではない。
 三対大多数の団体戦だ。
 本当の本気の真剣勝負。
 
「受けます」
 
 





(2023.04.26)