二度目の夜を駆ける 八話-熊野参-


 熱田神宮には認識阻害の結界が張られていた。テンカイによって解除されると物々しい雰囲気が漏れだし、所々壊れた熱田神宮が現れた。
 斥候としてハンゾウは先に入って行った。

「イザナミさまは後ろにいろよ」

コノハテングが前、ナオトラは最後尾に。大将首であるイザナミを中心に、補助を得意とするヒミコ、テンカイを配置する。
 熱田神宮へ一歩踏み出した途端に、わらわらと悪霊が一気に押し寄せた。

「雑魚がいくらきたって無駄なんだよ!」

 室内で羽が封じられようとコノハテングは軽い身のこなしで敵を捌き、一発の威力が大きい拳で捻じ伏せていく。加勢の必要はない。

「新手か」

 あまり見かけない新型の悪霊である。兜から茶色の毛が垂れ、波状の剣を持っている。コノハテングが悪霊たちに囲まれて動けないところを狙う。
 しかしワタシは剣を抜かない。

「イザナミ様には触れさせないよ」

 ワタシにはナオトラがいる。渡来の軍刀《サーベル》を用いた剣術は既存の剣技とは異なり、異国の悪霊にも通じる高等剣技である。
 よってワタシが手を下すまででもない。二人が切り開いた道を当然とばかりに歩いていく。
 今ワタシが目指している場所は草薙剣の保管庫である。熱田神宮は真剣草薙剣を祀る安置所として建てられており、保管庫が中心なのである。

「数が多いな。数だけだが」

 ひしめき合う悪霊たちをヒミコの矢が貫いていく。

「骨のある悪霊はいらっしゃいませんね。留守でしょうか」

 新型の悪霊もテンカイが雑談の片手間に唱えた術で倒れていく。

「あるいは数が必要な理由が他にあるやもしれぬ」

 六傑達によって開かれた血塗られた道は最深部まで続いた。
 剣を安置していた台座がある部屋へ入ると、入口が自動的に閉まった。

「スッゲーでっけー!」

 薄暗い部屋の奥に鎮座していたのは竜だった。三つの頭を持ち、真ん中の頭は人間の化物だ。龍の知り合いに数人いるが、蛇のように細長い者が多く、この悪霊のようなずんぐりむっくりとしたトカゲのようなものはあまり見ない。ワタシは剣を抜いた。

「行くぞ。コノハテング、ナオトラ!」

 同時に飛び掛かり、三つの頭をそれぞれ同時に攻撃した。

「なに!?」

 誰の攻撃も効かなかった。皮膚が厚く刃が通らない。

「イザナミさま!」

 ヒミコの言葉の前に身体を捻ると、竜の爪はワタシの元いた場所を引っ掻いた。床も同時に貫いたはずだが、流石は炎を噴き出す神剣の安置所。建物も頑丈で穴も開かない。
 竜は強大だが弱点はある。目や腹の肉は柔らかいことが多い。清められた水であったり、唾液であったり、尻尾のウロコを剥がされると弱体化したりと、決して無敵の存在ではない。ヤマタノオロチは頭が八本あるのだ。たった三本の怪物に手を焼いていてはスサノヲにも失望されることだろう。

「全く効かねぇんだけど!」

 力自慢のコノハテングは手の打ちようがないと攻めあぐねていた。苛立ちもあり考えなしの攻撃になっている。
 イイナオトラの方はまだ刀に考えが乗っていたが、一太刀も有効打がうてずに悩んでいる。
 テンカイやヒミコが五種の元素をそれぞれ試してみたがどれも決定的な傷は与えられなかった。
 であれば、長であるワタシがこの事態を打破する必要があるが、何度斬っても岩のように通さない皮膚には、正直、焦っている。針に糸を通すように、同じ個所を何度も狙ったが綻びは現れない。

「ふふはは……」

 初めて中央の人間の顔が頬を引き上げて笑った。

「喋ったぁ!」
「冥府を治めるイザナミもこの程度。我々は貴様を過大評価していたようだ。同じ冥府の者としてこんな者がのさばっていることが耐えがたき屈辱よ」

 安い挑発は我々の力を見切ったとの宣言だろう。次の攻撃が変わる可能性がある。目を離さず相手を観察し続ける。ヒミコやテンカイも次の攻撃に備えて密かに動いているはずだ。

「馬鹿にしてんじゃねぇ!」

 コノハテングが羽を広げ、室内の空気を押し出した。その勢いで神速の如き速さを産み出し、相手をかく乱する。竜の視覚に入るや否や山をも砕く拳を身体に叩きつけた。

「っ!?」
「ぬるい」

 尻尾を鞭のようにしならせてコノハテングを叩き落とした。

「がっ!」

 ナオトラは既に動いていた。攻撃の瞬間を狙って羽を切り落としにかかっていた。しかし。

「我の目は六つ。死角などない」

 三つある頭のうちの一つを振るい、ナオトラを跳ね飛ばした。
 どうやっても皮膚を貫けない。全身が硬質な竜は身体そのものが鈍器である。そもそもワタシたちの攻撃が弱すぎて策の立てようがない。天将がいれば、この状況も少しは変えられたのか。いや戦にないものねだりは無意味。戦になったその瞬間、あるもので殺し合うのだ。
 その後のワタシたちは一方的に嬲られていた。今まで様子見をしていた竜が積極的に攻撃に転じ、ワタシたちはなすすべがなかった。痛みと疲労だけが蓄積する中、ワタシたちは武器も心も折れなかった。

「まだ死なぬか。早々に主宰神の座を降り、死者の魂を開放しろ。黄泉さえ崩壊すれば支えを失った八百万界は崩壊し、界力の全てはあの方の手に渡るのだ」

 だからカグツチに白羽の矢がたった。ワタシへの負い目を利用して、界力の集まる富士山を使って、黄泉と地上を繋げようとした。それをあの娘に邪魔された。愉快な事だ。そして次の手がこれか。黄泉の主宰神であるワタシを殺す為によくもまあ、色々と考えてくれたことだ。

「八百万界は死者までもが強情で身の程を知らぬ」

 何故亡者が関係する。どうするつもりだ。

「そろそろトドメといこうか」

 ────そろそろだ。
 竜の爪が床に転がるワタシ────の横を突いた。

「ぐっ」

 明らかに顔色を変えた竜がよろめいた。爬虫類の皮膚にクナイが突き刺さった。

「界力をこいつに供給する機械は破壊した。これからは無傷といくまい」

 満身創痍の忍がようやく顔を出した。

「遅ぇよ! ハンゾウ!」
「待ってたよ」

 耐え忍ぶのは冥府六傑の得意とするところ。目的の為ならばいくらでも耐えて耐えて耐えて、最後には必ず勝利する。

「イザナミさま、今回復させる!」

 治癒の技を受け、ワタシの傷は瞬時に治っていく。疲労までは回復しないが、気力さえあれば剣は振るえる。

「反撃だ」

 今度はコノハテングの打撃も、ナオトラの刀も、テンカイやヒミコの攻撃も通じている。あれだけ苦労した硬質な鱗肌から出血が滲む。このまま攻撃を続け、消耗戦に勝てば、我々の勝利だ。
 目の前の勝ちに心が揺れ動いた時だった。

「くっ」
「イザナミさま!」

 ワタシの身体が急に床に落ちた。立ち上がろうにも足の先が消えて床を踏みしめられない。剣は、ある。なのに握れない。手が泥のように崩れていく。この感覚には覚えがある。忘れるはずもない。
 ワタシの身体が、醜い姿に戻ろうとしている。

「待て。今すぐ術を……効かぬ! 効かぬぞ! 何故わらわの術を受け付けぬのだ!」

 ずぶずぶと床へめり込み沈んでいく。根の国へ引きずり込まれていく。ワタシの、定められた居場所へと。

「コノハテング急いで! 僕も全力で……!!」
「チッ。」

 冥府六傑達が立ち向かう中、ワタシだけが何故地の底へ向かう。
 こんなことなら最初からイザナギを斬りに行けば良かった。熱田神宮へ行かなければ。娘に頭を下げてでも身体を得てしまえば良かった。
 浮かれたのだ。
 名前しか聞いたことがない独神。
 ワタシの身代わりになれる器。
 久方ぶりの地上。
 中途半端な行動は、中途半端な結果しかもたらさない。それを我が身で体現しなければならないとは。口惜しい。これはあまりにも口惜しい……!

「イザナミさま!」

 ヒミコの声が遠くなる。
 ワタシは定めの前に屈するのか。
 せめてイザナギを一目……。
 もう一度、ワタシを見て欲しかった。

「イザナミ様!」

 ワタシの身体が光った。テンカイの術。いいや違う。爪先から頭まで熱い血潮が巡っていく。

「何だこれは!?」

 竜が驚いている。六傑達も。
 肺の中に空気が入り込む。
 懐かしい。この肌に触れる空気の感触。
 手がある。剣がある。
 ワタシは剣を握りしめ、立ち上がった。
 笑いが込み上げて止まらない。

「そなたの言う通り、死ぬかと思ったぞ。だがお陰で気づけた。そなたの中に亡者たちがいるな。その亡者どもで身体を強化、守らせていたのだろう」

 強情な亡者。そう表現する者はなかなかいない。まるで死霊を使役するような口ぶりが手がかりとなった。

「黄泉の主宰神であるワタシは、亡者を支配し管理する。であればそなたには邪魔な存在であろうよ」

 本来の身体を手にしたワタシに、使える技がある。
 ──右柱-千殺-
 逃げるイザナギの背を斬る為に編み出した技。今ここで初披露してやろう。 

「一振りで千をも殺す。それが右柱。これでそなたと中の亡者もろとも殺し尽くす」

 この腕が上がらなくなるまで何度でも振るおう。
 竜は皮膚が千切れ血を撒き散らした。
 まだ足りない。
 三つも首は必要ない。全て切り落としてしまう。
 まだ足りない。
 肉があるなら斬る。骨があるなら断つ。
 千でも万でも、億でも命の輝き全てを屠る。
 竜の原型が判らなくなると共に、囚われていた亡者の魂がホタルのように漂い部屋を照らした。ふわりと浮いた後は地中へ向かって溶けていく。
 迷い子たち。黄泉へ帰ると良い。
 ひき肉になった竜は部屋中に飛び散った血と共に蒸発して跡形もなく消えていった。

「……終わったな」

 頑丈だった部屋も流石にワタシの技を受け止めきれず壊れてしまった。上を見れば空が見える。ヤマトタケルには悪いが、厄介な悪霊は斬ったのだからこのくらいは受け入れてもらおう。 

「素晴らしい剣技でした。イザナミ様。お身体が戻ったようですね」

 肩で息をする自分がいた。身体があるのだと実感がわく。

「ならば用はない。独神モドキが血迷ってくれて手間が省けた。託したものを叶えてもらうぞ。まさか嘘とはいうまいな」
「あり得ぬな」

 ハンゾウの言う通り、もう娘に会う必要はない。身体さえ得てしまえば用済みだ。

「身体を得たばかりでお疲れでしょう。ゆっくりお休みください。儂らのことはその後で」

 冥府六傑は契約によって成り立っている。
 ワタシの願いの為に働く事と引き換えに、ワタシは五人の願いを叶える。ワタシの願いであった身体は得た。次は彼らの番だ。彼らは今すぐにも自身の願いを叶えてもらいたいはずだ。ワタシがそうだったように。
 あの娘に構っている暇はない。このまま黄泉へ置いて役目を押し付けてしまえば良い。あの娘なら黄泉でもやっていけるだろう。なんせ黄泉自体が気に入ったのだから。独神であるならば能力も十分。
 黄泉にいられるのは娘、一人。あとの者は地上に帰さなければならない。それが決まりだ。地上の者とは交われない。ワタシと同じことをやってもらう。カグツチは独神がいなくとも逞しくやっていくだろう。奪われたと、思うだろうか。再び黄泉に行ってしまった、と。

「独神様が気掛かりですか?」
「あんなもの放っておけば良い。わらわたちの障害にはなり得ぬ」

 六傑の言う事は尤もだ。この界唯一の存在である独神と言えど中身は子供。周囲の者もぱっとしない人と妖で弱き集団だ。何かを変えるほどの力はない。
 しかし、独神の力は本物だ。黄泉の主宰神であるワタシに身体を与えた唯一の力、命の創造を司る者。もしもあれが他の勢力に奪われたら。例えばオダノブナガが独神をさらい、強制的に命を産み出せばどうなる。独神そのものを孕ませるのも手だ。ワタシたちとは違う唯一無二の存在と交われば誰も勝てないのではないのか。そうだ。野放しにしてはならない。

「独神は我らの手中に収めるのが良かろう。脅威ではないが敵の手に回ると厄介な代物だ」
「それなら一緒の奴らは引き離さない方がいいぜ。洞窟の時もそればっか言ってたからな」
「構わぬ。心象を悪くすることは避けたい」

 既に良く思われていないが致し方ない。

「操るのは構いませんが、反対に食われてしまわぬように」
「無論だ。独神は黄泉へ閉じ込めておく。それならば他の者はみだりに手出しできぬさ」

 黄泉へ戻って、娘に会いに行くことにした。六傑達は置いておく。娘の口ぶりからすると、会わせない方がやりとりが円滑に進むだろう。
「イザナミさまの心配は判る。しかし念の為だ」

 ヒミコだけは頑なに付いていくと言って聞かないので許可した。監視の為だろう。ワタシがカグツチへの情で決断を誤ることのないように。
 身体を得て初めての黄泉は、今までとは違うように見えた。だが肌に馴染む。生きていた時よりも、黄泉の生活の方が長いのだ。歩きなれた道を歩き、我が屋敷へと向かった。

「イザナミさん! おかえりなさ…………」

 玄関で出迎えた娘がぎょっとするのも無理はない。傷はまだ癒えていない。この程度で声を失うとは、この娘、戦慣れしていないのだろう。
 他の者は正しくワタシを警戒している。カグツチもだ。当然だ。ワタシは主宰神の役目を子供に押し付けたのだから。

「一血卍傑を執り行ったのだな」
「はい。熱田神宮に行ったのはヤマトタケルさんから聞いて……それで、悪霊が強いなら身体が必要だと思って。でも……駄目、だったんですか?」

 何故肩を狭めて自信なくいるのか理解に苦しむ。はっきり言ってやらなければなるまい。

「一血卍傑は成功している。この傷はワタシの至らなさだ。……そなたが身体を与えたことで窮地を脱した。感謝する」

 功績をたたえたというのに、まだうつむいている。

「結果を持ち帰った者に対して下を向くでない。それは優しさではなくただの独りよがりだ。堂々と受け止めるのが上に立つ者の責務であるぞ」
「は、はい! お疲れ様でした! ありがとうございました!」

 宿す力と精神が釣り合っていないが、素直な子だ。

「僕らは反対だったよ。君たちは義理を通す誠実さを持ち合わせていなさそうだから」

 モモタロウとやらに睨まれた。如何なる時も主に忠実な従者だ。

「帰ってきてくれたんだから良いでしょ」

 それを黙らせる独神。不満を隠さず、しかし主の意向に寄り添う良い信頼関係が見て取れる。

「それでこれから、どうなるんでしょう?」

 ワタシは黄泉に縛り付けられたくない。
 地の底で一人、上ばかりを見て生きていくなどまっぴらだ。
 ワタシは身体を得た。ならば地上にいて良いはずだ。
 折角身代わりを見つけた。このまま切り捨てても良いではないか。ワタシに裏をかかれる愚かさを憎めば良い。
 ……という、一連の行動をカグツチに余さず見られる。嫌がらせにしても質が悪い。
 ワタシはそれでも我を通さなければならない。

「ワタシは戻れない」

 斬りかかろうとする従者を独神は止めた。

「どのくらい待てば良いですか」

 永遠、と────。言えたなら。

「一週間。……いや三日で良い」
「判りました」
「ちょっと!」
「たった三日だよ? 大丈夫だって。まだ黄泉を回りきれてないんだから丁度良いじゃん」

 能天気な発言であっても主の決定は覆さない。他の二人も娘の考えには肯定的。ワタシが約束を違える可能性を考えていないわけではいないだろうに。

「気をつけていってらっしゃいませ」

 まさかの「いってらっしゃい」で快く送り出された。誰もワタシを追って背中を斬ろうとしない。なにやらガヤガヤと次の行き場所について話している。

「危機感が皆無ではないか! 罠ではないのか」

 とヒミコが言うのも判る。

「であれば返り討ちするだけのこと」

 実のところあれらが罠である可能性は低いと思っている。ワタシは多くの島と神々を産んできた。黄泉に来てからは亡者とも関わり、顔を見れば人となりは大筋掴むことが出来る。娘の顔は、本当に何も考えていない者の顔だ。三日と言えば三日間大人しく待つだろう。独神の力を持ちながらそんな幼稚なことはあり得ないが、二度目の対峙でも底の浅さを改めて感じただけだった。
 独神に対する評価が定まらないまま、ワタシはイザナギのいる出雲へ向かった。ワタシから逃げ出したあの日から、考えに考え抜いた復讐を果たす為に。六傑たちは置いていった。この先はワタシがすべきことで、一切手を借りない。ヒミコにも強く言ったがやはりついていくと言って聞かず、仕方なく二人で出雲へ向かうことになった。

「やめだ」

 丸一日移動に費やしたワタシの発言にヒミコは大口を開けてのけ反った。

「何故だ!」
「よくよく考えてみれば、イザナギを詰り屠るのに三日以内では到底足りぬだろう」
「ならば好きなだけ滞在すれば良いではないか。黄泉へ閉じ込めるとわらわらに宣言したであろう? まさか独神の約束を守る気か?」
「その、まさかだ」

 呆れて何も言えないと言って、ヒミコは口を開かなくなった。ワタシが地上を自由に動けなければ六傑たちの要望を叶えるのは難しいだろう。娘は黄泉へ幽閉するのが一番良い。その最善手を捨てようとするワタシは裏切りに近い。
 ヒミコはワタシを説得することも、無理やりやめさせることもしない。邪馬台国の民たちを早く呼び起こしたいと思っているにも関わらず。ワタシのうつろう心についてくる。出会った頃から苦労をかけてばかりだ。

「おかえりなさいませ。随分お早い帰宅で。あの、散らかっててすみません」

 娘はヨモツシコメたちや従者と屋敷全体を清掃しているようだった。大掃除なんてワタシは一度もした事がない。

「本当は帰ったタイミングで綺麗なところ見せたかったんですが……あの急いで終わらせますので!」
「そのままで構わぬ。あとはヨモツシコメ達にやらせておく」
「始めたのは私ですから。あ、じゃあお茶でも飲んで休憩なさって下さい」
「いや、ワタシは」

 ヨモツシコメに半ば強引に縁側へ押しやられた。ワタシとヒミコの分の茶と菓子が用意された。ワタシだけが茶を啜った。

「モモタロウくんもっと急いで! もう帰って来ちゃったの! 中途半端過ぎるよまずいよ!」
「知らないよそんなの。僕は今日ここだけって君が言ったんでしょ!」
「ナナシ! 悪ぃ! 割った!」
「割ったぁ!? ああ!! 花瓶なんて絶対高いじゃん……ご、ごめんなさいしてきて。私も一緒に行くから。ヌラリヒョンさーん、こういう時どういう謝罪の言葉が良いんですか? ……あれ、どこ?」
「とっくにサボってるよ。あの妖ズルばっかりなんだから」
「ええ! 嫌なら嫌って言ってくれれば休んでもらうのに」
「甘やかすなら僕を……なんでもない! 煩い! 黙って! 二度と口を開くな!」
「なんで私の悪口言い出したの!! 頭おかしいんじゃない!?」

 三人は手より口の方がよく動くようだ。

「騒々しい……」

 ヒミコは憎々しげに呟いた。確かに煩い。だが黄泉に似つかわしくないやかましさは、どこか懐かしさを覚えた。それにあのカグツチが入っていることが寂しくもあり、嬉しくもあった。

「い、イザナミ……。その……」

 花瓶の欠片を持ってしょんぼりと小さくなったカグツチがワタシの所に来た。その後ろには独神がついている。

「悪ぃ! 割っちまった! なんか代わりのもん買うか作るかしようと思うんだけどよ……」

 そういえば、地上で暮らしていた頃、利かん坊の子供たちに囲まれて生活をしていた。子供のすることだとワタシに言いながらイザナギは、揶揄う子供たちに本気になって追い回して遊ばれていた。それをワタシは眺めていた……気がする。正直な所、昔の記憶は薄れていてもう殆ど幻想、妄想のような気がしてならない。けれど本当にそうなら、身体を得た今ワタシの中にも温かなものが流れていると思っても、良いだろうか。

「気にすることはない。元気なのは良いことだ」

 そう言って慰めると、カグツチは百面相を始めて独神が見えない所へと押していった。

「今、めちゃくちゃお母さんっぽかった! 怒られなくて良かったね」

 興奮気味の独神の声がよく響いてくる。赤裸々な評価にうっかり赤面しそうになる。

「あやつら、こちらに丸聞こえなのが判っておらぬのか」

 呆れて苛立っている。判らないでもない。ワタシたちとは全く違う生物たち。笑いが絶えない日々を送っているのだろう。過去に縛られ、目的を果たさんとする我々とは全く違った。
 掃除が一段落し、片付けまで終わらせた。

「お早いお帰りでしたが、目的は果たせましたか?」

 少し埃っぽい独神が言う。

「いや。三日では足りぬと気づいて戻ってきた」

 不思議そうな顔をする独神の顔に「ならなにしに行ったの」と読めた。判りやすい子だ。

「約束通り、そなたは光の下へ戻ると良い。世話になった。感謝する」
「イザナミさんは……?」
「ワタシは主宰神だ。当然今後も黄泉を治める」

 判っていた。
 身体を得ただけでは不足なのだ。ワタシが黄泉の主宰神と認められてしまった以上、もう逃れられない。
 地上の者とは明確に一線を引かれた存在だ。

「じゃあ、見送りにきてもらっても良いですか」
「それくらいはしよう」

 妬ましい気持ちはあったが、子供の前で露わにするほど落ちぶれてはいない。
 黄泉の主宰神として生活しくうちに、孤独に慣れ、責任感も芽生えてやってきた。それがちょっと地上に出たくらいで揺らいでしまうとは。ワタシもまだまだだ。
 独神の娘には世話になった。カグツチを救ってくれた恩もある。
 ちゃんと地上へ送り届けよう。
 イザナギの事は後だ。

「今回はお世話になりました」
「達者でな」

 つかつかと娘が近づいてきた。突然手をむんずと掴む。握手だろうかとされるがままになっていると、彼女は出入口の方へと引っ張った。子供のすることとはいえ、予想外だったワタシは思わずつんのめる。

「おい。子供でもワタシにして良いことと悪いことは判断できるぞ」

 下らない悪ふざけは好かない。

「足元見て下さい」

 やれやれと肩を竦めつつ見た。
 ワタシは外にいた。
 娘も。
 二人とも外にいる。
 今、黄泉には管理する者が一人としていない……。

「……実はいない間に黄泉の意思さんと話をしたんです。結論だけ申し上げるなら、一定の期間であれば代役を立てずともイザナミさんが地上で過ごす事が可能です」

 信じられないことだった。

「今回は突然押しかけてしまってすみませんでした。私の都合よく動かしてしまったことも、本当にすみません。熱田神宮も、私たちで行けば良いと思ってたのに、冥府六傑さんたちに悪霊を片付けさせてしまってすみません。怪我させて、すみません。……イザナミさんには迷惑ばかりかけてしまいました。だから私に出来る事を返したんですが…………で、でも足りないかもしれない、けど……。長期旅行とか、あったら黄泉の管理人のお手伝い? 代わり? します!」

 つくづく信じられない。
 自分が何をされそうになっていたのかまるで理解していないのか。ワタシは黄泉に封じようとした。娘はワタシが判断して行った悪霊退治に、勝手に申し訳なさを抱えて、身体を与えたり、屋敷を掃除してみたり、地上を自由に歩けるように交渉したりしていたのだ。
 カグツチのことをしつこく言う事から察していたが、この娘はとことん目の前のことしか考えられないお人よしである。ワタシたちのように、利益を追求して謀ばかり考えることは出来なさそうだ。

「独神さま。ワタシは言ったはずだぞ。下を向くな。己の行動にもっと胸を張るように」

 丸まっていた肩がなだらかな線を描いた。胸を張り慣れていないのかぎこちなさが見える。
 見れば見るほどただの小娘だ。しかし、それ以上のものを内包している。ワタシはきっと、期待して良いはずだ。

「冥府六傑の長として、そなたには改めて挨拶に伺う。また会おう」
「はい」

 もう一人、ワタシが向き合うべきものがいる。

「カグツチ」

 ワタシを殺した最後の子。
 ワタシに何を言われるかと構えている。

「息災でな」
「……イザナミも、あんま無茶すんなよ」

 目を見て話すだけなのに、晴れやかな気持ちだ。
 言葉をかけてやるのは案外簡単だった。何を話せば良いのかずっと判らなかったのが嘘のよう。カグツチの嬉しそうな顔を見て、次会った時は、もう少し気の利いたことを言おうと思った。

「それじゃ。イザナミさん、さようなら」

 無邪気に手を振る独神さまと、カグツチに手を振り返した。送ることは辛いことのはずだった。ワタシは置いていかれる側だったから。
 そんな気持ちももう終いだ。

「そなたも、そんな顔出来るのだな」
「何がだ」
「なんでもない」

 ヒミコは最後まで独神さまに何も言わなかった。

「イザナミよ。これから、わらわたちの願いを叶えていく心づもりは出来ておるだろうな」
「当然だ。迷いはない」

 親子ともども独神さまには世話になった。あの娘であれば、大切な誰かが黄泉に落とされようとも、地の底まで迎えに来るのかもしれない。怖いもの知らずで、物事が自分の思うままになると思っている自信家。と思えば、小さくなって俯くばかりの小心者。
 青く未熟な子供だが、次に会った時には変わっているかもしれない。それが楽しみだ。







 久しぶりの地上の空気は、やはり黄泉とあまり変わらなかったが、東の空に昇る太陽を目にすると帰ってきたなあと感慨深くなった。まずは宿に行って荷物の整理をして旅の準備を整えよう。
 イザナミさんの偽の御神体である岩の周囲を迂回していると、突然ヌラリヒョンさんがくつくつと笑いだした。

「ど。どうしたんです?」
「……其方には敵わぬ」
「ぃえ、なんで……?」

 こんな私のどこがヌラリヒョンさんより勝っているというのか。

「冥府の頂点であり、国生みの神でもあるイザナミが其方を認めたのだ。独神らしくなったではないか」

 え……。別に嬉しくない。
 今回の私は、大変な事をイザナミさんと冥府六傑に押し付けただけだ。イザナミさんの魂に合った身体を産み出したことや、地上を自由に動き回れることも、対価として正しかったのか判らない。人の母親を傷だらけの身体にして、どう償えばいいのか。これで認められたというのもなんだか違う気がする。

「おかしなことは言ってねぇよ。イザナミに目をかけられたなら、神族で逆らう奴なんていねえよ。……全員とは言わねえけど」

 大きくなる話にプレッシャーだけが圧し掛かる。『独神』の名を勝手に借りた結果、自分が本物だったなんて滑稽なことこの上ない。努力して得たわけでもない力と肩書は私の身体に馴染まない。イザナミさんは胸を張るように言うが、私は誰かの上に立って踏ん反り返りたいわけではないのだ。

「知り合いが増えれば悪霊退治に協力するひとも増えるんだから良いんじゃない?」

 知り合い。

「頼れる人は多い方がいいでしょ。君だけじゃ何も出来ないんだから」

 一瞬ぽかんとした。頼れる人。知り合いが増えただけ。名前を知っているひとが増えただけ。とても心地よい響きだと思った。

「いいね。良いと思う」

 自然と笑えた。

「別に」

 褒めるとすぐ照れてるなあ。

「仲間を増やすんならオレも参加してやるよ。オマエには世話になったからな。仕えてやっても良いぜ」
「いやいや! 主従なんてとんでもないよ! 私カグツチさんの為になること全然出来てないのに!」

 本当はカグツチさんのいない所で、イザナミさんへ文句をぶつけるつもりだった。死に至らしめた原因だとしても、優しくしてあげてくれないかと。私が黄泉に縛られたせいでタイミングを逃してしまって、カグツチさんの無念を伝えられずにいたのが心残りだった。

「イザナミがオレだけに笑った。十分だろ」

 判る気がする。笑顔を向けるのは少なくとも敵意がない事を表す。花瓶を割った時も本当に怒っていなさそうだった。イザナミさんは少なくともカグツチさんを完全に突き放したいわけではない。
 けれど欲を言えばもっとコミュニケーションをとってもらいたい。勝手な願望だからもう余計な手出しはしないが。

「このままオマエらに付いていきてぇけど、オレも突然忍に連れてかれたろ? 鍛冶道具投げたまんまなのが気がかりなんだよ。それだけ片付けてくる」
「鍛冶!? それって刀作るアレ!?」
「それ以外何があんだよ。そんなわけで、ちょっくら荷物まとめてくる。後で追うからオレのことは気にすんな」

 不安だ。連絡手段のないこの世界で、本当に再会出来るのだろうか。

「二度も会ったろ。なら次もぜってえ会える。それにどうせオマエこれからもヤベーことばっかやらかすだろ!」

 悪意なし。別に私だってやばいことを進んでしたい訳では云々。

「会うまで諦める気ねぇから」

 どきっとするぐらいの熱い視線に大丈夫そうな気がした。

「うん。待ってるね」

 すぐに終わらせてくると言ってカグツチさんは早々に出発した。もう少しいれば良いのに。こっちは別れるだけでも寂しいんだけどな。

「ちょっと静かになるけど、すぐ慣れるよ」
「うん。頑張る」

 不器用なモモタロウくんも元気づけてくれている。私も落ち込んだ顔はこれ以上見せないようにしよう。

「早速だが其方は次に何処へ向かう?」
「それは決まってます。……でも、今は無理です。ねぇヌラリヒョンさんの知り合いで、話が通じる強いひといませんか?」
「話は通じぬが酒で買収できる強い妖がいる。他にも、話は通じぬし買収には国家を捧げねばならぬが小賢しい妖もいるにはいる」
「話が通じる、の条件を満たす方をまずお願いしたいのですが……」
「話が通じぬと言う事は、自身の力に絶対的自信を持つ者。故に避けて通るは妖に関しては諦めた方が良い」
「……判りました。その難易度が低そうなお酒で買収できる妖の場所教えて」
「良いとも。ならばモモタロウに聞くと良い」

 モモタロウくんを見ると目を見開いている。驚きながら少し怒っているような。

「き、君、まさかとは思うけど、大江山のこと言ってるわけじゃないよね? ねえ?」

 大江山はどこにあるのだろう。少なくとも黄泉より怖いところではないはずだ。モモタロウくんが頭を抱えているのは気になるけれど。
 悪霊をこの世界から退けたいと、遠野の時にぼんやりと思った。それがどんどんぼやけていって、なんでこんな世界を救わないといけないのかと投げやりにもなった。具体的なビジョンが私にはなくて、自分のしたいことが曖昧だった。
 そんな私がいま明確に意識しているのは、オダノブナガを放っておけないこと。今までなら安土城へ直行するところだけれど、今回のイザナミさん、熱田神宮、花の窟、を見て、絶対に私と考えが合わないことが判った。同じ大名でもダテマサムネさんみたいな情けは期待できない。準備をしておかなければ、モモタロウくんとヌラリヒョンさんに迷惑をかけ、最悪昇天させてしまう。
 私もイザナミさんのように徒党を組めば、得体のしれないオダノブナガさんにも対抗出来るかもしれない。まだよく判ってはいないけれど、今はぶつかるべきではない。知り合いを増やしていこう。何かあった時に協力してもらえるように。
 一先ず、その大江山の妖に会いに行こう。





(2023.02.16)