二度目の夜を駆ける 八話-熊野壱-


 朝はヌラリヒョンさんに揺り起こされた。モモタロウくんが文字通り叩き起こそうとしたので先に起こしてくれたらしい。モモタロウくんは強化合宿の教官のように朝の支度についてぎゃーぎゃーと指示し、それについていけるカグツチさん以外はマイペースに用意した。

「しっかりしなよ」

 歩きながらあくびをしていると刀で小突かれた。まあまあ機嫌が悪い。私のやる事に反対なので仕方がない。

「オマエものすげぇ意地が悪ぃんだな」
 
 不快感を露わにしたカグツチさんに事もなげに返す。
 
「普通でしょ」

 こんなのが世の普通なんてたまったもんじゃない。私とヌラリヒョンさんは自然と目を合わせてお互いに笑った。

「ふうん……」

 アイコンタクトをカグツチさんにがっつり見られた事は着替えを見られたように恥ずかしかった。誤魔化すために慌てて口を開いた。

「モモタロウくんはいつもこんな感じだから。あまり気にしないで」
「おう。ムカついたら殴れば良いもんな」

 そうかなあ。……ま。いっか。
 久しぶりに二人と、カグツチさんと歩くのは楽しかった。
 ……と、言えたら良かったのだけれど。

「ただの死体にえずいている場合じゃないでしょ」

 戦の影響で周辺地域から人影が消えていた。不気味ではあったが一人ではないので特段怖がるようなことはなく、町の壊滅も仕方がないことと受け入れられていた。
 戦場を真に理解したのは、倒れ伏した兵たちが折り重なる光景を目にしてからだ。山になった死体から溢れる血液で大地が染められる真っ最中だ。

「其方には刺激が強かろうが、これがこの世の現実だ」

 死体は初めてではない。江戸で何度も見た。建物の倒壊に巻き込まれた死傷者が多く、それにあの時は必死で死に対する実感も薄かった。今回は全員が戦死である。倒れた人たちは刀で切り捨てられ、はりねずみのように矢が刺さり、馬たちも足が千切れ、かち割られた頭からとろとろと血を零して死んでいた。

「新入。何してんの」
「……浮かばれねぇだろ。こんな」

 私は用心しながら、カグツチさんが見ているものに視線を移動した。酷い死に方なのが判ったので薄目にした。カグツチさんの手のひらに小さな炎が上がった。

「オレの炎ならしっかり焼いてやれる。自然の中に戻れるだろ」
「やめときなよ。骨じゃ見分けつかないんだから。家族が探す時困るでしょ」
「……そうか」

 死んでいるのは人だけではない。妖も神も倒れている。一度戦が始まれば種族云々は関係なく敵と思えば斬り捨て踏み越え咆哮で大地を鳴らしながら突き進む。そこに住む者達の生活は平等に狂わされていく。どの世界であろうと戦なんてろくなものじゃない。何故ひとは戦をするのか。被害に見合った目的があるのだろうか。いや、あれば良いわけでもないが。おぞましい光景ではないか。
 沢山の遺骸が瞼の裏に張り付く状況下でも食事はする。しかし私は鉛を飲んだように胸が重くとても食べる気にはなれなかった。

「みんなは平気なんだね」
「生きてるんだから仕方ないでしょ」

 不機嫌そうに言うモモタロウくんに慌てて否定した。

「私も早く慣れないとって思っただけ」

 朝からノンストップで歩き続けた身体は栄養を欲しているが、口に含んだまま嚥下を数度試みても、舌の上でどろどろと漂うまま。唾液は絶えず増加し続けて頬がハムスターのように膨らんだ。飲むことも吐くこともままならない。焦る私に、カグツチさんが脇腹を掴んでくすぐってきた。

「ひひゃ、やだ、っいひ、あっ、ふふ、むり、うひひはは。っぐ」
 
 笑った拍子に丸呑みしてしまった。
 
「泣いても笑っても何も変わらねぇんだから笑ってろ」

 そう言われると泣きそうになる。
 私が抱いている気持ちは安っぽい同情だ。私はこの地に初めて訪れ、まだ誰のことも知らない。それが戦という特殊下になった途端に、赤の他人の死を悼んでいる。今までニュースで民族紛争に涙した事なんて一度もないのに。ただ目にしただけで、当事者ぶって知った気になっている。

「どうして、悪霊に攻め入られている今、戦をする必要があるのかな」
「オレに聞かれても判るわけねぇだろ。悪霊は邪魔くせぇけど、身内もそれ以上に面倒くせぇもんだろ」
「下らぬ事が思う以上に後に引くこともままあることさ」

 年長者と多分年長者が太い息をついた。

「目の前の問題を解決するのに腰が重いだけでしょ」

 モモタロウくんの言い方はオブラートが数枚必要だが、私も似た立場である。民同士の戦で勝利しても世界が滅びてしまえば意味がない。過去は一先ず忘れて協力し侵略者に立ち向かうべきだ。八百万界に来てからずっと考えている。
 結局一口飲み込むだけで食事を終え、再び戦場の跡地を通過した。出来るだけ足元のみを見るようにしていたが、地べたに手足を投げた死者と度々目が合って逃げ場がない。どれもこれも怪物のようで恐ろしく感じる。

「オマエが怖がってるソイツらは全員黄泉にいんだぞ。そこにオマエは行こうとしてるってちゃんと判ってんのか?」

 判るけれども。こればかりは理屈だけで受け入れられないのだ。
 死体は、家族がいたり、友人がいたり、笑ったり泣いたりしていた元人間だ。それが心臓が止まった瞬間、それらは生物ではなくなる。戦場に転がる彼らは身体の欠損が激しいものが多い為、余計に人間とは別のものに生まれ変わったように思える。動くか、動かないか。喋るか、喋らないか。私の中に大きな違いがある。
 恐れている。本能的に。生きている私と彼らは相容れてはならない。

「仕方な、」
「ほら、手ぇ出せ。暫く引っ張ってやるから目を瞑ってな」

 モモタロウくんが何か言いかけていたような気がしたが、差し出された手を放っておくわけにもいかず恐る恐る握った。

「この量ならすぐ慣れる。心配すんな」

 死体に慣れるなんて異常者だ。しかし私以外の全員が割り切っている。
 頑張って慣れよう。こんな時に他人の人生を考えるな。情を消すんだ。
 花の窟は遠いらしく、しかも道中の町は機能していない。とくれば野宿である。戦場にわく野盗の心配をするところだが、三人が非常に強いので平気だ。……実際野盗の方を心配すべきだろう。
 私はさらわれた前科により短い間だけ見張りをした。日中いつ戦闘になっても良いように皆にしっかりと休息を取らせる為だと主張するとモモタロウくんが渋々許してくれた。

「交代だ。起きられるか」
「大丈夫です。少し寝てスッキリしました」

 ヌラリヒョンさんと交代した私はふうと息を吐いた。蚊に刺された腕をぼりぼりとかく。
 夏だ。
 制服を肌に貼り付けて学校を行き来した。コンビニを見かける度に涼みながら炎天下のアスファルトを踏みしめる。夏を好きだと思ったことがない。野宿をするようになって、夜が寒くない夏を素晴らしい季節だと思えるようになった。この先秋が来て、冬になったら夜間の冷え込みは激しくなるだろう。冗談抜きで死ぬんじゃなかろうか。冬季は拠点を決めて一所に留まることも視野に入れよう。
 今後の事を想像していると何度も寝返りをうつカグツチさんが気になって考えがまとまらなくなった。眠りが浅くなったのだろうか。だとしたら次の見張りに優先的に起こすのだが。近づいてみると微かに声が聞こえた。

「母ちゃん……ごめん……」

 嫌な寝言だ。彼はずっと苦しんでいる。何年も……私が生きた年数の数倍……。眉間に皺を寄せてうなされるカグツチさんの頭を撫でた。汗で張り付く髪も手拭いで拭き取ってやる。こんな所を見ると今すぐ母親に会わせてあげたくなる。イザナミさんが再び地上に戻ったならばカグツチさんの苦しみは終焉を迎えるはずだ。上手くいけばの話だ。
 親は必ずしも子供を愛さない。身に染みて判っているからこその不安だった。なんとなくイザナミさんはカグツチさんを嫌いではない、と読み取った私が間違いだったら。本当は殺された事を恨んでいるイザナミさんが身体を得た瞬間に殺しにくる可能性だってある。そうなればカグツチさんは私みたいに最後の拠り所を失ってしまう。だったらこのままイザナミさんを黄泉に閉じ込めていた方が安全だ。しかしそれではイザナミさんや冥府六傑の幸せを蔑ろにすることになる。
 自分の不安を拭い去るように何度も繰り返し撫でた。するとカグツチさんの身体が大きくビクッと跳ね、身体が発火した。一気に強火になったが、ぎりぎり辺りの草花には届かない。火事は免れたがこの後の対処が判らず固まっていると火は勝手に鎮まった。そしてカグツチさんは飛び起きた。

「ナナ……っ! 大丈夫か!?」
「うん」

 証拠として手の表裏どちらも見せた。傷一つない肌を見て、カグツチさんは項垂れた。

「はぁ……。絶対やっちまったと思った」
「私なら燃やされないよ。それよりどう? 起きたついでに見張りする?」
「そうだな。すぐ寝る気分じゃなくなっちまった」
「じゃあお願いね」

 焚火の明かりでも顔色の悪さが窺えた。あまりじろじろ見るのも良くない。でも……。
 少し悩んだが、起きているカグツチさんの頭も撫でた。またびくりと身体が震えたが火は出てこず、代わりに耳が発火した時のように赤く燃え広がった。

「っ、ガキじゃねぇっての。……でもま、ありがとな」

 これ以上はお互いに恥ずかしくなりそうなので、私は荷物を抱いて横になった。
 早くカグツチさんの心配と不安がなくなりますように。でないと、私も自分の事を思い出して不安になってしまうから。

「ふうん。少しはマシな顔になったね」

 朝、いつものように食事を食べた。吐き戻しもなし。大丈夫、行ける。

「そりゃ寝ながらよぉ~~~く考えたからね」

 死体はセミの抜け殻と同じ。本体の魂が殻を捨て次の世界へ向かう家庭で生まれたもの。そう、言い聞かせている。肯定的に物事を分解しないと、いつまでも一人常人ぶって周囲の歩みに遅れてしまう。思い込むのも楽じゃない。暑さのせいで腐臭が尋常ではなく鼻呼吸もままならない。空の身体はまるで私たちに忘れられることを拒むようにいつまでも存在を主張する。こんなの地獄だ。ぎりぎり理性を保っていられるのは、動く人型が三つ、傍にいるからだ。

「腹に力入れろ。こういうのは気合だからな!」

 どんと背中を叩かれるのは少し嫌だが気は紛れる。

「この先へ行けば戦も治まっていよう。もう暫くの辛抱だ」

 頭ではなくわざわざ頬を撫でてくるのは、いつも以上に心配されている表れ。

「……」

 一人、視線だけよこしてすぐに逸らした。判っている。何も言わなくてもずっと気にかけてくれていることを。
 こうして当たり前に心配してもらえるから、こんな世界でも嫌ではないのだ。







(また言えなかった)

 形式上仕える身でありながら、優しい言葉一つ言えなかった。何度も挑戦はしたのだ。それなのに新入り《カグツチ》が邪魔をする。大体今回の事件の原因であるくせに普通に馴染んだあげく名無しの少女と仲を深めている。モモタロウが躊躇う場面でもいけしゃあしゃあと主に言葉をかけ、あまつさえ身体的接触を行う。腹立たしいことに主も拒否しない。あまり触れられることを好かないことを知る自分は慎重に状況を見て動いている。なのに何も知らない火の神は土足で踏み込んでくる。

(早くここを抜ける為に背負ってあげた方が良いのかな……それはないか)

 たかが死体に調子を崩すのも鬱陶しいが、無残に敗した者に何の感情も抱かない主もしっくりこなかった。現実を知らない甘い反応を目にしていると”まとも”とは何かを思い出せる。ようは目印だ。八百万界ではないどこからか来た主は、心の指針になる。
 今日の主の足取りは淡々としている。ようやく戦場にも慣れたのだろう。予想ではもう少しかかると思っていたが、だんだんと割り切ることが上手くなったに違いない。
 そう思うのだが、この違和感は何だろうか。

「……焦りは禁物だぞ」

 ヌラリヒョンが少女の肩を叩くが歩みを止めなかった。ヌラリヒョンの言う事は聞く少女だというのに。続いて少女の両肩を掴んだ。

「どうした」

 少女の目はヌラリヒョンを見ない。羽虫でも追うようにふわふわと視線が泳いでいる。

「なんかおかしくねぇか」

 誰の目にも明らかだ。しかしヌラリヒョンは手を離した。少女は三人のざわつきには目もくれず同じ調子で歩き出す。

「……少し様子を見てみよう。駄目な時は気絶させてやらねばなるまいよ」
「勘弁してよね」

 病院の時もおかしなことがあった。そういえばあの時言っていたオノゴロ島とは何だろうか。何が少女を動かしているのか。少女についてモモタロウに判る事は殆どない。

「オマエら何もしてやんねぇの?」

 非難の口ぶりが鬱陶しい。何も知らないくせに。

「偶にあることだ」
「オマエらって考えてるようで考えてないよな」

 モモタロウは柄に手をかけることをなんとか耐えた。

「この際だから聞きてぇんだけど、オマエらなんでナナシといるんだ」

 二人とも口を開かなかった。

「……マジ? え、それくらい教えてくれたって良くね?」

 モモタロウにとっては恥部を晒すようなものだ。到底言えるはずがない。そしてヌラリヒョンはあまり己の事を話さない。

「其方こそ、何故あの娘の傍にいる」

 質問返しはヌラリヒョンの得意とすることだと、モモタロウはよく知っていた。

「ンなの、イザナミのことで巻き込んじまったからしかねぇだろ」
「それだけか?」

 追究されたカグツチは素直に考え込んだ。

「…………。オレに死ねって言う奴は大勢いるけど、生きてくれって言う奴はあまりつーか、……いねぇんだよな。それにオレの炎にビビんねぇし!」

 はにかんだ横顔に確信した。
 すっかり主に落ちてしまったのだと。

「僕だって、君の炎に恐れないよ」

 これ以上少女を特別視させない為の反論であった。

「そういやオマエらもだな!」

 カグツチはニコニコと尻尾を振ったように見えた。温かなそれでいてきらきらと輝く双眸を向けられて頭を抱えた。違う。そうじゃない。
 そして後ろでは。

「言いたいことでもあるわけ?」
「いいや。何も」

 食えない妖が腹の中で大笑いをしている。

(でも、カグツチさんも僕を恐れてない。僕が一人二人斬っただけの侍とは思ってないだろうに)

 今や鬼斬りと呼ばれることは殆どない。鬼を斬る事はなく、斬り合う回数も激減した。
 この道が正しいのかどうか、今は判らない。







「いらっしゃいませー黄泉の入口でーす!」

 大きな声に私は飛び上がった。反射的にヌラリヒョンさんの袖を掴んだ。

「なななななななななんですか!?」
「ようやく意識が戻ってきたようだな。良かった」

 夢を見ていた。
 多くの人が並んでいて、なんとなく私も右に倣えと並んだ。何処へ続いているのかは判らないまま、ずっとずっとついていった。みんな嬉しそうにしているから、この先には楽しいことがあるのだろうとぼんやり信じていた。でも先頭集団が消えて、私の一つ前の人まで消えてしまった。私もこのまま消えるのかと怖くて、尻込みしていると後ろの人が私を抜かして消えていった。続いてその後ろの人も、後ろも後ろも後ろも後ろも。私一人、何処へも行けずに残された私は、気づけば騒がしい場所に立っていた。

「オマエって多分巫術師の体質なんだろ。自然や神の声を聞いて伝えるやつ。知らね?」

 ケルトのドルイドや巫女、モーセなどのことだ。現代では霊感商法のイメージが強いが果たして八百万界は。

「カグツチさんも偶にはありがたいお話をそういう人達に伝えて代弁してもらうの?」
「ねぇよ。気持ち悪ぃ」

 なんだ。この世界でも嘘か。

「本物がいないわけじゃねぇけ、」
「あなたは、今、死にたいですか?」

 私たちの会話に割り込んできたのは入口で声掛けをしていた人だ。ティッシュ配りでも気まずくなる私はヌラリヒョンさんの腕を抱いて絶対に口を開かない意思を示した。

「ここ、熊野は蘇《よみがえ》りの地。神聖なるこの地に眠るイザナミ様の御神体に参拝することで人生そのものが蘇《よみがえ》るのでございます!」

 流暢な説明は録音再生のようだ。

「熊野の『熊』は『隠国《こもくり》』の『隠』であり、神と同義なのです。そして黄泉を表す根の国とは命の根源を示します。よって熊野は命の始まりと終わりの地であり、世の生命の中心地なのです」

 黄泉は魂の旅の始まりであり、旅の終わり。なるほど。

「ご覧下さい! これは熊野の自然の力を込めた宝玉。これを持てばあなたの人生は何度でもやり直せるのです! 本来ならば三万界貨で提供しておりますが、幸運なあなたたちには二万界貨でご提供しましょう。万物の手に行き渡ることがイザナミ様のご配慮であり救済。さあ! イザナミ様のお力を得られる宝玉は今しか買えませんよ!!」
「まずは参拝しなければなるまい。何事もその後だ。ではな」

 ヌラリヒョンさんが入口の売り子を振り払ってくれたお陰で腕を離せた。
 ────変な場所だ。
 黄泉の入口なのだからもっと神聖で厳かな場所だと思っていた。なのに左右に店が立ち並び、お土産が並び、食事処も値段が二割増し。こんなの観光地だ。この場所を知るはずのカグツチさんが私と同じように戸惑っているように見える。

「食べるか?」

 ヌラリヒョンさんがくれたまんじゅうには黄泉の焼き印が入っていた。

「へ!? ヌラリヒョンさんもう買ってきたんですか」
「活気に当てられてしまってな。一つやろう」
「どうも……。うん、おいしい。かも」

 まあまあ美味しい。海の家の焼きそばから感動分を抜いた味だ。

「オレが来た時こんなんじゃねぇんだけど……」
「変わったんでしょ。とにかく黄泉の入口に行くよ」

 周囲が騒ぎ立てる場所でもモモタロウくんは淡々としていた。私も見習おう。だってこれから、死者の国に行くんだから。気を引き締めないと。

「入口はあそこだな」

 ヌラリヒョンさんが指さしたところには「花の窟 入場料二千界貨」と書かれていた。

「二千!? 十日分の食料ですよ!」
「オレそんなねぇぞ……」
「儂もさっき五百使ったからなあ」
「今すぐ悪党を斬って懸賞金でも貰えば……」

 観光地だと思えば値段相応だが旅人にこの出費は痛い。二千あればかなり良い宿に泊まれる。それでも競うように入場していくのは、小汚い農民、何度も洗って薄くなった着物の町民達。二千界貨は彼らにとって大きいはずだ。

「戦の前に拝むだけでいつもの村で生まれ変わるんだ。今度は母ちゃんの子になるかもな」
「戦を前に不安な我らの為に熊野の地をお教えて下さった。ノブナガ様には感謝せんとな」
「生まれ変われるなら死んでも平気だ」

 聞き耳を立てているがどれもこれも気持ち悪い。うさんくさい蘇りなんて信じているんだろうか。……ってイザナミさんを復活させようとしている私が言うのはお門違いか。

「では、入場料を頂きます」
「おい。オレが誰か判るか」

 料金回収の係員の前にカグツチさんがずいっと出た。係員は軽く睨んだ。

「……困るんですよね。そうやって踏み倒そうとする方。入場料は一律二千界貨です。これはイザナミ様への感謝の形です。あなたの行為はイザナミ様に対する不敬です」

 そのイザナミ様の子供なのに判らないのだろうか。カグツチさんは舌を討つとお金を荒々しく渡した。

「祀られてるくせに気づかれないの……?」

 列に並びながら、モモタロウくんが鼻で笑った。

「うっせえな!! 祀られてんのは近所であってここじゃねぇ! つか知った顔全然見ねぇ! 全員休憩か!」

 このタイミングで知った顔がいない、ねえ……。

「ヌラリヒョンさん。ここ……」
「其方の予感が合っていないと良いな」

 多分ここはオダノブナガによって最近流行り出した場所だ。理由は戦の為で、死を怖がらない兵が欲しいのだろう。その為に黄泉の主宰神であるイザナミさんにのっかっている。祀るような気持ちがあるはずない。しかし私たちはそれについて何も言えない。イザナミさんへの不敬を一番に感じ取っているカグツチさんが耐え忍んでいるのだから。

「いい加減にして下さい! 困ります!」

 さっきの係員と客がもめているようだ。早く入れろと聞こえる。

「金ならあると言っているだろう。どこかにな」
「ならばここでお支払いください」

 がたいの良い係員二人に抑えられながらも、すぐにでも跳ねつけると余裕の表情をしている。男は黒髪で白い服、腰には剣を下げている。暗い目をしているが瞳の奥は燃え盛る炎を思い起こす。
 私は戻って係員に銭を見せた。

「私が支払います。それなら良いですか」
「ええもちろんです!」

 係員はころっと笑顔になって拘束を解いた。男は私を見下ろした。

「……礼は言う。だが返すのは期待しないでくれ」
「いえお気になさらず」

 それだけ言って、人混みを押しのけて足早に行ってしまった。

「馬鹿! なんであんなやつの払ったの!」
「まあまあ。そういう時があっても良いだろう」

 怒るモモタロウくんはヌラリヒョンさんが宥めてくれた。男の姿をカグツチさんがじっと見ている。

「……知り合い?」

 小声で聞いた。

「あー……。知ってるだけな」

 目を惹くひとだった。明らかに他のひとたちとは違う、きっと英傑だ。だから手を貸した。

「こちらの大岩がイザナミ様の御神体でございます!」

 近っ。一キロもなかった。岩を見るだけで十日分の食料なんて……勿体ない。凡人には判らずともこの岩に特殊な能力があるなら良いが絶対にない。本当に力がある物・者というのはほんの一握り。これはその握りこぶしから零れ落ちた紛い物だ。
 ありがたがって手を合わせる者達の間を縫って係員その弐に話しかけた。

「イザナミ様の御傍にまでこられて感激しました!! 不敬ながらも一目拝見したいのですが、イザナミ様がこちらにお姿をお見せすることはあるんでしょうか」
「ありませんよ。イザナミ様は一線を画すお方。地上へお顔を見せることなどありません」
「ですよね!! やはりイザナミ様は私たちとは違いますよね! ね! 実は私、ノブナガ様のお言葉を聞いてイザナミ様を素晴らしい神だと思い始めた新参者なんです。ここに来て感動と同時に不安も感じだしたんです。ここの警備は大丈夫なのですか? 夜は? イザナミ様に万一のことがあれば八百万界の大損害です! 神を失えば道を見失う者も多いでしょう。そんなことになれば八百万界はおしまいです!!!」

 何言ってんだこいつ。と自分を冷めた目で見てしまうが、係員の表情を見ると悪い印象は与えていないようだ。

「ご安心ください。ここはいつでも手練れの者が守っています。勿論夜も。全くあなたの信仰心は素晴らしい! 是非我々に協力して下さい。イザナミ様の為に」

 嘘吐き。

「ありがとうございます。支援の寄付は惜しみません!」

 にこにこ笑顔を張り付けたまま三人の所へ戻ってきた。

「お疲れ」

 口々に言われた。こういうのは弱い私が一番警戒されない。帰って行く他の参拝客に混じって話した。

「警護あるって。夜も。今はそういう凄そうな人いる?」
「武器を持ってる奴はいるけど雑魚だよ。武道の心得すらない間抜けだけ」
「それモモタロウくんの慢心じゃなくて?」

 モモタロウくんは左右を顎で指した。二人が同意しているのだから強固な守りというわけではないようだ。

「ただの岩が御神体だってよ。あれには何の畏れも念も感じねぇ。何が信仰だ。イザナミじゃなくてオダノブナガにだろうが!」

 怒りが火花となって身体の周囲でパチパチと弾けている。

「正体が気づかれる。抑えておけ」

 ヌラリヒョンさんが腕を掴むと、火花はすぐに消えた。他人を傷つけていることを恐れているひとの行動だ。

「宿帰ろ」
「そうだな。悪ぃ……」

 御神体に二千界貨の価値はなくとも、黄泉の入口を直に確認したことには価値があった。宿でしっかりと休息をとりながら夜を待って御神体の所へ行った。見立て通り見張りは少なく素人ばかりだった為、ヌラリヒョンさんの存在感を消す力で難なく黄泉の入口まで入り込めた。

「で。問題はここからでしょ。はい、主《あるじ》さん」
「行きます」

 御神体の奥の岩壁に向かって見張りに聞こえない程度の大きさの声を放った。

「こんばんはー。開けてもらえませんかー」

 反応なし。

「独神さまでも駄目、ね。へえ。これがかの有名な独神さまかぁ」
「はぁ? 別に私は独神って決まってないし、独神だとしても万能じゃないし!」

 ヌラリヒョンさんに止められたので耐えたが、アレには二言三言言ってやらないと気が済まない。

「じゃあ、次は僕ね。見てなよ」

 刀を抜いて一閃。岩壁を斬った。びくともしない。

「……岩だから。僕の技術がなかったら刀が折れている所だからね」

 自分だって出来てないじゃん。と言ってやりたい。
 といってもここまでは半分冗談だ。本命はこちら。

「……イザナミ。もし聞こえてるなら、開けちゃくれねぇか」

 カグツチさんは岩壁に手を置いて顔を伏せた。

「オレが産まれたのが悪かった。せめて謝らせてくれ」

 悲痛な願いだった。何が悲しくて自分が産まれた謝罪をさせられるのか。産んでくれなんて頼んでいないのに。亡くなったのはかわいそうにしても、父親から首を斬られて、命と引き換えに蘇らせようとするまで追い詰めるのは迷惑だ。
 ……駄目だ。他人の親を一方的に怒ってどうする。私の事情とは無関係なのに。
 結局岩壁に反応はなく、もう一度岩壁を壊そうとしたモモタロウくんが大きな音を出して見張りに見つかりそうになり、私たちは宿に逃げ帰った。

「僕でも斬れなかったんだから、もっと情報集めて別のやり方探した方が良いんじゃない?」
「そうしよっか。ノブナガさんとの関連性も知りたいもんね」

 カグツチさんから返事はないが従うようだ。

「さて。儂はもう一度風呂に行くか。其方もどうだ」
「……行きます。綺麗な姿で蒲団入りたいですもんね!」

 着替えを持って二人で浴場へ行く。
 ──ふりをした。
 荷物は宿に預けて、私たちはもう一度岩壁の所へ行った。

「ヌラリヒョンさんは心当たりがあるんですよね。開かなかった理由」

 ヌラリヒョンさんは思わせぶりな笑みを浮かべた。

「私は、……カグツチさんがいるから開かないと思った、です」
「儂も同じ見解だ。黄泉の世界にカグツチを引き込む気がないように思えてな」

 すぐに気づいたわけではない。宿に帰りながらイザナミさんのことを考えていてふと思ったのだ。あの時カグツチさんの命と引き換えに地上へ戻らなかったイザナミさんが、カグツチさんを黄泉へ通すとは考えにくい。でも私の提案は呑みたいはず。だったら予定通り一人で来るべきだと思った。

「モモタロウくんへの言い訳お願いしますね」
「やれやれ。厄介な事を言いつける」

 岩壁には亀裂があった。砂や塵で埋まっているが、判りやすく浅い溝が出来ていて戸の部分が明確に分かれていた。ここが最近まで開閉していた証拠だ。

「じゃ。行ってきます」

 手を振ると、ヌラリヒョンさんは口を開いた。

「一つ、尋ねても良いか」

 嫌な予感がして身体を固くしながら頷いた。

「この先が死者の終着点と知り、なお恐怖を感じぬのか」
「大丈夫です。水越しに黄泉を見た時、結構普通でしたから。カグツチさんには絶対イザナミさんと会わせてあげるつもりです」

 その答えは間違っていたのだろうか。
 「そうか」の短い言葉には大きな壁を感じた。

「あの! 怖いのは勿論ありますよ。だって皆ほど誰かが死ぬことに慣れてないし、戦いだって苦手だし、武器も怖いって思ってますし、亡者の群れに引っ張られたり、黒いものにぶわーっと飲み込まれそうなこともありましたもん」

 必死に恐怖アピールをした。一つ一つを羅列すれば普通に恐怖している。ただ、今はカグツチさんの願いを叶えてあげたい気持ちの方が上回っているから立っていられるだけだ。

「いや、驚かせてしまってすまぬな」

 ヌラリヒョンさんは足元を見た。つられて私も足を見た。

「この世に思い残すことなどないと思っていたのだがな。不思議と足が進まぬのだ。儂にも未練などというものが残っていたらしい」

 いつものように笑っていたが、こちらには近づいてこない。
 黄泉とは肉体の死。
 なのに私はそれを平気だと言ってのけた。私だって死ぬのは怖いが、八百万界の住民ではない。死んだら現代のベッドで朝を迎えているかもしれない。私と皆とでは死への認識が大きく違う。

「……でも良かったです。ヌラリヒョンさんが、いつ死んでも構わないなんて思ってたらその方が辛かったと思うので」

 これは良いことなのだ。皆が嫌がったり怖がったりするのは、生きる気がある証拠なのだから。
 寂しいなんて、思わなくて良い。

「黄泉の事は帰ったら詳しくお話ししますね。長話出来るようにしっかり見てきますから」

 笑っているヌラリヒョンさんに安心した。いつも通りだ。

「少し見ぬ間に逞しくなったなあ」
「そんなに変わってませんよ」

 私だって、本当はついて来て欲しい。しかし適任は私だ。万一死んだとしても八百万界の住民ではないのだから問題ない。
 私は一人。忘れてはいけない。
 一人だからこそ出来ることがある。

「改めて、行ってきます」
「早めに帰って来るのだぞ。決して無理をせず、交渉が決裂したならば迅速にこちらへ戻るように。それから」

 長話の予感がしたので話半分に聞いて、岩壁に手を触れるとあっさりと岩が横へスライドした。中に足を踏み入れ、左右を確認してから後ろ手で岩戸を閉めた。

「待て!」

 ヌラリヒョンさんの声に振り返ったが、扉は丁度閉まった。しかし変だ。近くで気配を感じる。早すぎる亡者のお出迎えに私はじりりと後ずさった。
 目の前に火が現れ、そこに白い顔が浮かんだ。

「あ!!! お金ないひと!」
「昼間は助かった」

 礼だけ律儀に言うと早歩きで離れていく。亡者の世界、終わりの世界を歩くのに全く恐れが見えない。もしかして。

「あの! ここは危ないですよ! 黄泉ですよ!?」
「知っている。お前はこそ見張りを掻い潜ってまでなんのつもりだ」
「私は大事な用事があるんです!」
「奇遇だな。俺にも目的がある」

 まさか私たちの他に侵入を試みるひとがいるとは思わなかった。このタイミングで来たということは、彼は岩戸を開けることが出来ず私たちの様子をうかがっていた事になるが。

「外にいた男のひとに何かしましたか」

 ヌラリヒョンさんのことだ、素性の知らない者を行かせることはない。阻止しようとしたはずだ。

「斬りかかったが無事だ。俺は気を逸らせれば良かったからな」

 疑いを捨てきれない私に、彼は面倒そうに言った。

「お前の連れはそれなりの使い手だろう。あの程度の踏み込みで倒れるわけがない」

 ヌラリヒョンさんのこと褒められたような気になった私はあっさり謝罪した。

「互いに目的の為に相手に干渉しないことにしないか。邪魔をしないなら俺はお前や仲間に手を出さない」

 看過して良いものだろうか、しかし面倒を起こしたくはない。

「判りました」

 男が悪霊ではないことは自信を持って言える。疑うことは簡単だが何もしていないひとを先んじて罰する事は出来ない。私は男と別れ、黄泉を歩く事にした。足元がふんわりと発光しているお陰で手燭がなくとも歩いて行ける。ここは何もない。太陽もない。地面には風化した石が転がっている。寂しいところだ。しばらくすると瓦屋根が見えた。町屋が一列に並ぶ様子は地上と変わらない。ここに黄泉の住民たちがいるはずだ。
 亡者たちという事である程度は覚悟してた。見た目が腐りかけていて、悪臭が強く、虫が這うような恐ろしい姿を。
 しかし、店先で声をかける人たちは地上と同じ見た目をしていた。水面から覗いた光景と同じである。富士山の時に見たおっかない亡者たちとは何だったのか。しかし油断は禁物。顔が隠れるように少しうつむいて歩いた。

「これ。新作のまんじゅう。どうだ」
「っいえ! 大丈夫です」

 慌てたので声をひっくり返しながら断って立ち去った。ちらっと見たが普通のまんじゅうだった。ヌラリヒョンさんのお土産話用に食べるのもありだったろう。いやそういえば今日既に一まんじゅうを腹に収めた。しょっちゅうもらうのだから、一人の時くらいまんじゅうはやめよう。
 周囲をちらちら見るが、住民は普通の着物を纏い、売り物の食べ物も新鮮そうなものが並ぶ。この様子を伝えれば、みんな黄泉を怖がらなくなるだろう。やはり無知は怖いことだ。
 八百屋で大量購入した女性が重そうにしている。落としそうだと思っていたら案の定落とした。足元に転がってきた玉ねぎを拾って彼女に話しかけた。

「これ。落としましたよ」
「…………。助かります」

 驚かせてしまったようだ。私も同じく顔を見て驚いてしまった。両目が潰れていた。皮膚も崩れていて、身構えていなければもっとあからさまに顔に出ていただろう。平静を装って頭を下げ、立ち去ろうとすると彼女が呼び止めた。

「あなたが、イザナミ様に会いに来た方ですか」
「そう。です」

 何故判った。

「ついて来て下さい。主人がお呼びです」

 主人が誰かは知らないがこのタイミングでの呼び出しと来れば間違いあるまい。ヨモツシコメと名乗る使用人と世間話をしながら向かった。

「初めまして、だな。ワタシが黄泉の主宰神であるイザナミだ」

 良かった。屋敷にいたのは予想通りの人物で手間が省けた。

「あの。私はナナシと言います。それで、あの、今日はお願いがあって来ました」
「却下だ」

 ん?

「ワタシはカグツチとは会わない」

 会う気はないか……。

「そなたを招き入れたのはそれを伝える為だ。用は済んだ。帰って良いぞ」

 もう興味を失っている。食らいつかないと。

「なら私、あなたを地上に戻しません」

 イザナミさんは動きを止め、私を振り返った。

「今、何と……」

 綺麗な顔が驚愕に変わった瞬間、背後の庭が燃えた。ヨモツシコメさんがイザナミさんを後ろに庇い、お庭では門番のヨモツイクサさんたちが侵入者に襲い掛かっている。しかし絶叫と同時にヨモツイクサさんが吹き飛ばされる。

「イザナミはここだな」

 げ。さっきのひと。

「ヨモツシコメ、その子供を入口まで逃がしてくれ。ワタシは来訪者の相手をせねばならぬ」

 主人の指示を受け、私を引っ張ってくる。

「大丈夫! 寧ろ私を置いた方がイザナミさんも安全だから!」
 
 何を馬鹿な事をと再度引っ張られるが私は抵抗を続ける。

「お前、いい加減イザナギのことは諦めたらどうだ。悪霊に加担までして見苦しいぞ」

 ……え?
 六傑が悪霊と繋がっている可能性は考えていたけれど、本当だったの?

「何を言い出すかと思えば。さあ主宰神としてそなたを排除してやろう」

 イザナミさんは縁側から飛び降りて剣を振るい始めた。レースが沢山あしらわれたスカートがふんわりと舞う。妖精のようだ。
 一方の彼は炎を纏った剣で応戦する。多分神族だと思うのだが火の神はカグツチさんで……あれは何の神だ?
 二人の実力は拮抗しているように見えたが、イザナミさんの方が押している。彼女の動きに応じて地形が変化し味方する。男の剣から放たれる炎もイザナミさんに当たる直前に霧散する。黄泉の主宰神は黄泉の世界そのものに干渉する。
 とうとう男が大地に飲み込まれた。

「さらばだ。ヤマトタケルよ。二度と顔を見せるな」

 彼は必死にもがいているが地面はプリンのように柔らかく包む。剣もいつのまにやら手から離れて転がっている。

「ちょっと待って下さい。イザナミさんは本当に悪霊と手を組んでるんですか」
「そなたは黙って帰るが良い」
「黙れない。私だって冥府六傑には迷惑してるんです! 悪霊も絡んでいるなら猶更困ります!」
 
 イザナミさんは再び目を見開いた。

「同胞と接触したのか」
「五人全員とですよ! あなたを地上へ蘇らせる為にさらわれるし、軟禁されるし、追われるし、もうそういうの終わりにしたいんです!!」

 その間も男はずぶずぶ沈んでいく。剣に手を伸ばしているように見えるが距離があり過ぎる。

「こここ、このひとのことも待って下さい!」
「そなたのこととは無関係だろう」
「多分関係あるのでお願いします。剣なら私が持っていますからぁ!」

 重すぎる剣を地面に立てて支えると、男の身体は一時的に止まった。

「そこのひと。悪霊と言うからには証拠はあるんですよね」

 ヤマトタケルさんは息を吐いた。

「熱田神宮が俺の留守中に荒らされていた。狙いは草薙剣だ」
「熱田神宮って工事中の?」
「表向きはな。奴らの工作だ」

 だから誰も気づいていない。私たちも町でちらっと聞くだけで違和感はなかった。

「悪霊達に吐かせたらイザナミの指示で、地上に戻る為に神器が必要だと。最近富士山の噴火があっただろ。あれもその一つだ。確かにあの時は黄泉の気配を色濃く感じたからな。信憑性は高いと判断した」
「ああ! それは嘘ですね! だってあの噴火の原因は私ですもん! イザナミさんは巻き込まれただけですよ」

 半分嘘だ。カグツチさんの名前をわざわざ出す事はない。

「それを信用するとでも」
「悪霊とどちらを信じますか?」

 信じさせる材料なんてこちらにはない。無害そうな私に免じて信用してもらいたいのだが。

「悪霊の狙いは黄泉の主宰神であるイザナミかもしれない」
「じゃあ」
「イザナミへの疑いが晴れたとは言っていない」

 なんで。

「オダノブナガに利用される主宰神なんて斬り捨てて問題ないだろう」

 ヤマトタケルさんは声を張り上げた。

「呼応しろ! 草薙剣!」

 私が支えていた剣が炎上した。前髪が舞い上がり、しばらくするとばさりと垂れ下がる。今日も焦げていない。
 すると空気が変わり、二人の目が明らかに変わったのを感じた。

「……何者だ」

 ここで答えるべき名前は、当然。

「平和が一番。独神です」

 便利な二つ名。今回も色が出なくなるまで使い倒す。

「なるほど。ようやく理解出来た。だから冥府六傑はそなたに近づいたのだな」

 迷っているヤマトタケルさんはもう一押し。

「ヤマトタケルさんはどうなれば良いんですか。ちゃんと話してくれるなら、多分その願い、叶えられます」
「悪霊を止めろ。熱田神社《ひとんち》に入り込んだ奴らを全員殺せ。残りの神器を渡せ」
「神器はない。何故ならワタシはここ数ヵ月地上に干渉することなど出来なかった。富士山のアレも外部から無理やり門をこじ開けられたもの。だから冥府六傑は独断で娘をさらい、利用しようとしたのだろう」

 大筋は理解出来た。

「じゃあ熱田神宮の悪霊退治をすれば、ヤマトタケルさんは満足。イザナミさんの望みは私が叶えます。てことで、今から戻って皆に伝えてきます!」

 善は急げと走りかけるとイザナミさんが涼し気に言った。

「言っておくが、ワタシはカグツチには会わぬぞ」
「じゃあ、地上に戻るお話はなかったことに」
「構わぬさ。どうせ他の冥府六傑がなんとかしてくれる。再びそなたをさらって一血卍傑を行わせれば良い」
「……イザナミさんは知らないんですよね。一血卍傑のこと。その為にはヤマトタケルさんと、私の連れと、二人の英傑が必要になります。だからあなたはこのひとの協力を仰げるだけの信頼なり交渉材料が必要不可欠です」

 さっさと判ったって言ってくれれば終わりなのに。イザナミさんもヤマトタケルさんもどちらも疑い深い。悪い条件なんて一つも出していないのに。もう!

「もし、そなたが本物の独神でない場合は? 全てはそれを基盤としているのだろう。嘘を仕込むならそこだ」

 一番証明しづらいものがきた。

「じゃあ、……私に斬りかかったらちょっとは特別だって判ってもらえるかも……。遠慮なく斬ってもらって大丈夫です」
「それよりも良い方法がある」

 背筋が冷えた。周囲で変わった様子はない。イザナミさんも剣をこちらに向けてはいない。なのに、嫌な予感がする。

「黄泉の意思よ。この者が主宰神であるワタシの代わりに成り得る者か答えよ」

 え、代わりって。
 イザナミさんが少し微笑んだ。可憐な顔とは似使わぬ黒い首輪が私の首についた。首輪は地面と繋がっている。動きを妨げるものではない。

「……認めよう。そなたには他を凌駕する力があると。さようなら、独神さま」

 別れの言葉を残してイザナミさんは去って行った。
 ……。
 え……。
 全然、思ってたのと違う。
 相手の要求を満たすためにこちらの要求を呑ませるって……結構、頑張ったんだけど。あれ。やっぱり私じゃ全然じゃん。

「さっさと俺を出せ。今はお前が主宰神代理なんだろ」

 私が「出て良いですよ」と言うとマテガイのようににゅるりと飛び出した。

「剣を渡せ」

 重いので運搬は諦めその場に横置きした。彼はそれを軽々と拾って走っていく。黄泉に残された私をヨモツシコメさんが母屋へ連れて行こうとしている。

「……これ。どうすれば良いんだ」

 ────作戦失敗です。



◆参考図書



・金森早苗,熊野三山 神々が住まう蘇りの聖地,JTBパブリッシング,2014
・小山靖憲,熊野古道,岩波書店,2000







(2023.01.30)