二度目の夜を駆ける 七話-畿内参-


「め、めいふ……?」

 六傑ということは、あと一人いるはずだ。どこかに潜んで……いや、もしかして。

「イザナミさんがもう一人の六傑……」
「御名答」

 スーツ姿の僧が小さく頷いた。

「イザナミ様が我々の長であらせられます」
「でもイザナミさんは既に亡くなってて、それに黄泉にいるのに……?」
「そんな事はどうでも良い。貴様がイザナミ様を復活させろ」

 ハンゾウさんに後ろ手に締め上げられた。肩から腕の痛みで背中が反る。この人は嫌いだ。
 一瞬拘束が緩んだ隙に離れた位置に逃げた。
 彼は自身の手を疑わしく見ている。ミスで逃したのではなく、私の体質によるものだろう。

「成程。ならば飽きるほど水を飲ませて聞きだすことにしよう」

 私は洞窟奥の水場を思い出した。この人なら私をそこに押し込むことを厭わない。
 私の体質をも捻じ伏せて拷問する確信があった。
 彼が一歩踏み出すと私の恐怖は簡単に決壊した。

「そんな事言われたってカグツチさんがやってたことなんだから何も知らないって!!」
「なら奴を捕らえる。その上で貴様が方法も考えろ」

 これが脅しでないことは、さらわれた自分が一番判っている。

「なんでカグツチさんまで……関係ないですよ……」
「口にしたのが誰だったかもう忘れたか」

 ひどい後悔に襲われたが後の祭り。
 逃れるための咄嗟の行動は、他人を差し出す事だった。
 武器や術のきかない私だから敵地でも無傷だが、これが普通の人であったならばどんな酷い目にあうかなんて考えたくもない。
 どうしてカグツチさんの名前を出してしまったんだ。一人で耐えなければいけなかったのに。

「脅し過ぎだ。彼女の力が必要なのにこれでは逆効果だ」

 イイナオトラさんが糾弾するが、ハンゾウさんは事もなげに言う。

「戦禍においてこの程度は日常のこと。農民でさえもっと強かに立ち回るがな」

 イイナオトラさんは反論しなかった。つまり、ここではそうなのだ。

「……だからこそ、この女は異質なんだ」

 片目だけの眼光に私は地面を見ることにした。
 私がじっとしている間にヒミコさんと僧侶とイイナオトラさんは三人で色々話していたが、小声でよく聞こえなかった。
 ハンゾウさんが出て行ったのはカグツチさんとの接触の為だろう。

「……」

 コノハテングさんだけは私の側にいて何やら言いたげだったが、私からはアクションをしなかった。
 話し合いの後、ヒミコさんは再び私にイザナミさん復活を要求したが、私はやり方が判らないと繰り返した。

「こんな小娘にイザナミさまの命を握られていると思うと全くもって腹の立つ」

 八つ当たりに何度か矢や術をかけられたが、例の如く私には何の効果もなかった。

「納得いかぬ。何故わらわの鬼道が効かぬのだ。そのくせその身は脆く、わらわらが守護せねばならぬとは」

 降りかかる火の粉の全てを払えない中途半端な私に冥府六傑たちは手を焼いているようだ。
 思えばサイゾウさんたちもそうだったろう。私が中途半端だからこそ数日かけて観察する必要があった。
 完璧じゃないからこそ、私の拘束は常に緩く放たれているのだ。
 私が私を理解していないことは、命を繋げている。
 危ういバランス
 この日はカグツチさん不在では話が進まないと見て、私に干渉してこなかった。
 始終うろうろしていたコノハテングさんは僧に回収されていた。

「今日はごゆっくりお休み下さい。大事な身体ですから」

 道具を労わる言葉を聞いて、私は元の牢に戻った。
 創作の世界の中で、命乞いのシーンは何度も見たことがある。
 自分が助かる為に、誰かを蹴落としたり、差し出したり、嘘を吐いたり。
 いくつかパターンはあるが、見る側にストレスを与えることは共通している。
 多くは主人公に肩入れをしている為、糾弾する気持ちを抱いてしまうが、あれは自分から安全圏にいるからこそだろう。
 窮地に追いやられれば、他人を売るくらいはする。
 積極的ではないが、助かる見込みがあるのであればやってしまうのではないだろうか。
 ……と、既に自己防衛に入っている。
 カグツチさんを巻き込んだ事への罪悪感で今にも死にそうだが、実際には死なない。罪悪感では私の息は止められない。
 逃れる為に罰を欲するが、実際には痛いことは嫌である。全部口だけ。今はとにかく楽になりたい。
 この形だけの牢屋を破って出ていく力なんてどこにもなかった。

「おはよう」

 何かが変わるわけでもない洞窟生活。
 わざわざ挨拶をしてくれたのはイイナオトラさんだった。

「君にはすまないことをしたと思っている」

 朝一の謝罪は低いテンションを更に低くさせ、挙句本音が漏れた。

「いくら謝ったって私を解放してくれないなら同じですよ」
「君の言う通りだ」

 始終すまなそうにするイイナオトラさんは後から現れた三人とは違う。
 こんなに良い人が犯罪集団(仮)に所属していてイザナミさんを復活させたいことが不思議だった。

「元気そうで安心したぜ!」

 にょきっと出てきたコノハテングさんの無邪気な姿にちくっと言いそうになったものの我慢である。
 同じくこのひとも悪いひとではないのだ。邪気がなさすぎて質が悪い。
 振り回された側の私に罪悪感を植え付けてくる。だが問題はそれだけだ。
 厄介なのは後から出てきた三人で、目的の為には手段を選びそうにない。
 あの三人の意向には極力逆らわないようにしなければ、私でもただでは済まない。
 現状、私一人ではこの状況を打破する事は出来ない。波風立たせず大人しくするのが最善。
 ……と思ったのだけれど、これが正しいのだろうか。
 どうしていいのかなんて判んないよ。誰か教えてよ。

 昼頃にはハンゾウさんが帰ってきた。
 隣にはカグツチさんを連れて。彼は私を見て目を見開いていた。
 そんな姿を見たくなくて、私はまた貝のように黙って俯いた。
 開口一番、カグツチさんは言った。

「オマエに借りはある……。けどもっとマシな返し方させろよな」

 呆れは十分に伝わってきた。

「オレはオマエらめい何とかに従う気はねぇ。けどコイツが関わるなら協力する」

 カグツチさんは一度諦めた母親を再び呼ぼうと言う。

「無駄口は慎め。朝までに出来ぬのなら二人とも命はないものと思え」
「うっせぇな。ならオマエらは邪魔だからどっか行け。気が利かねぇんだよバカ」

 皆はカグツチさんの言う通りに消えた。
 私たちだけになるとカグツチさんは私の胸ぐらを掴んだ。

「なんでオマエなんだよ! オレを止めたのがオマエだろ!!」

 信じられないと怒るのも当然だ。
 私はこの件に巻き込んだ事を素直に謝罪した。

「……すみません」
「火口に飛び込んで見ず知らずのオレを助けるバカでも、こういうバカじゃねぇはずだろ?」
「すみません」

 今のはかなりグサリときた。
 私への評価は私が望むものだったのに、己が覆してしまった。
 全面的に認める私に、カグツチさんも納得したのか胸ぐらから手が離れた。

「……弱味握られてんだろ。そういえばオマエ仲間がいただろ」

 この期に及んでまだ私を信用してくれていた。
 カグツチさんとの関わりはほんの短時間だったのに。

「私だけさらわれてそのまま」
「なんだ、死んでねぇならまた会えるじゃねぇか」

 あまりにも申し訳なかった。
 私なんかを信用してくれて、元気づけるように声をかけてくれる。
 私はカグツチさんに何かを与えたわけではないのに。

「辛気臭ぇ顏してもしょうがねぇ。一緒に腹くくろうぜ」

 バンバンと肩を叩きながら大きな口で笑った。
 豪快な姿にここが敵地である事を忘れてしまう。

「イザナミのことでメーワクかけてて悪ぃな」

 私は首を振った。

「会いたい気持ちは判りますから」

 冥府六傑もカグツチさんも、イザナミさんを地上に戻したいと考えている。
 双方手段を択ばなかった。そして奇しくも私はその道に絡めとられてここにいる。

「カグツチさんのお陰で私もようやく踏ん切りがつきました」

 戸惑ってばかりで足が竦んでいた。
 私の目的はさっさと帰ること。イザナミさんの件は早く終わらせてしまおう。
 今の私ではイザナミさんを蘇らせることの正否を判断出来ない。ここは日本ではない。

「早速ですが、イザナミさんを呼び戻す方法を教えて下さい」

 私は身投げしたカグツチさんを止めただけなので、詳細なやり方を知らない。
 あの儀式には富士山に戻らないといけないのだろうか。
 もしも噴火が必須なのであれば……やはり駄目だ。流石に私は手段を選んでしまう。

「悪霊共は地脈を利用するつってたな。地上と黄泉の距離が近くなってるとか」
「あのー。質問良いですか?」

 カグツチさんにではない。引っ込んでいなくなった六傑に対してだ。
 声かけに対し僧が顔を出してきた。ヒミコさんは遠くからでも私を睨みつけているのが判る。

「あなた方が私をここに連れてきたということは地脈の問題は解決と見てよろしいですか?」
「左様で御座います。あなた様も見ましたよね? この奥の水鏡で」

 水の中に広がっていたのは黄泉の世界だった。

「ならもう一度オレの命を捧げれば」

 やる気に満ちていたカグツチさんを止めたのは僧の人だった。

「いえ。あなた様はあくまで代用品です」
「コイツを贄にしようって魂胆か」

 怒るカグツチさんの周囲の温度が上がったのは気のせいだろうか。

「それも違います。ナナシの方、あなたが呪術に対する強力な力をお持ちなのは把握しています」
「はい。でも私は術師ではありませんよ?」
「おや。江戸に施した術を破ったのは、後にも先にもあなた様だけですよ。儂の持てる力を全てを使った鉄壁の護りでしたのに」

 江戸と言われてすぐに判った。
 江戸の町を囲う巨大な防護壁は内外を守り、そぐわない者を弾く力もあった。
 あの規模の結界が並の術師では出来るものではないものだろうが、私はそれが効かなかった過去がある。

「じゃあ結界を張ったテンカイって……」
「初めまして。江戸をこよなく愛する僧、テンカイでございます」

 膝から崩れ落ちそうな心地だった。
 江戸の巨大結界を作れる術師でさえ、イザナミさんの復活は出来ないというのだ。
 そんなもの、なんでもないただの私にやらせようとしている。

「……本当にあのテンカイさんが出来ないのですか」
「ええ。儂の力では不可能です」

 江戸の僧が不可能と言い切った。
 ヒミコさんも、あれが邪馬台国の卑弥呼であれば鬼道を用いて民を導いた呪術師だ。
 安土桃山時代に生きた天海さんとは年代が大きく離れているが、どちらもこの世界ではトップクラスの呪術師に違いない。
 それでもイザナミさんを地上に呼び戻す事は叶わないのだ。

「儂らはあなた様の力に賭けているのです」
「勝手に期待してんじゃねぇよ」

 即座に言い返されてもテンカイさんは涼しい顔をしている。
 カグツチさんが味方をしてくれているお陰で、不安だけど少し落ち着いてきた。
 その拍子にふと思い出した。

「青色っぽい紫……きらっとした……鉱石か、宝石かも」

 カグツチさんと私が黄泉の入口に呑み込まれそうになった時だ。

「勾玉だった。あれに触れたら力が湧いてきたんです。私にとってきっと必要なものなんです。ご存じありませんか?」
「オレは覚えてねぇな……」

 テンカイさんが言った。

「御統珠というものがございます。霊力を高める力がありますが市場価値は低く市に出回らない、その上希少なものです」
「なら用意は出来ないってことでしょうか?」

 稀少な物なのにあの時はどうしてあったのだろう。
 タイミングが良すぎて不可解だ。

「俺が行く」

 今までどこにいたのかハンゾウさんがテンカイさんの隣にいた。

「御坊もそれでいいな」
「はい。お願いします」

 ハンゾウさんは再び姿を消した。人間業ではない。
 本当にあれが人族なのかと疑いたくなるが、そう言えばモモタロウくんも人の枠から外れた超人だった。
 八百万界は奇人超人のオンパレードだ。

「そういやオマエ、あの時一血卍傑って言ってなかったか?」
「一血卍傑とおっしゃるのですか?」

 テンカイさんが少し前のめりになったような気がした。
 だが私は何も知らない。

「カグツチさんが言うならそうなんじゃないですかね。私はあの時の事は正直あまり覚えていないので」

 その後もあの時の事を思い出しつつ、イザナミさんを地上に再び呼びだす方法について話し合った。
 しかし呪術に疎い私とカグツチさんでは話は続かず、すぐに話が脱線して戻って来ない。
 御統珠を持ち込んでから本格的に始めるということで、冥府六傑側とは話がついた。
 暇になった私たちにコノハテングさんが近づいてきて、適当な事を話したり騒いだりしていた。

「俺の方がぜってえつえーから!!」
「ぜってぇオレのがつえぇ!」

 似たタイプの二人が小学生みたいに転がり合うのを見ていた。
 一応敵同士だがそれは些細な事で私は楽しかった。

「オマエも腕相撲やろうぜ」

 カグツチさんの提案に私は全力で首を振った。

「折らねえようにすりゃ良いんだろ」
「いやいやいや! 怖い怖い!」
「大丈夫だって。なあ?」

 私の意思無関係にカグツチさんに手を握られた。
 物凄く堅い手。モモタロウくんとは違った堅さだ。

「じゃあこっちの手は俺な」

 コノハテングさんは鳥のかぎ爪のように堅い爪だった。
 それぞれ異なる手が私に触れて、同じ世界に生きていると教えてくれる。
 八百万界はまだまだ知らないことばかりだ。
 もっと知りたい。色んな人に会いたい。

「いっ!! ……なんで容赦ないの?」
「悪ぃ……」
「ごめんなさい……」

 危惧した通り私の手は地面に叩きつけられて赤く腫れあがった。
 折れなかったのは二人が手加減してくれていた証だろう。
 ……でももっと手加減して欲しかったよ。

 私たちが夜を知るのは晩御飯を持ってきてくれるからだ。
 料理上手らしいテンカイさんの指導を受けたナオトラさんの料理だ。
 美味しいものを食べて満足すると、私とカグツチさんは何の疑問もなく牢に入った。
 相変わらず鍵もなく、ただの枠だ。

「オマエと寝るのか」

 嫌がられると思っていなかった私は反射的に頭を下げた。

「ごめんなさい。すぐ外行くから」
「逆だろ。オマエはオレなんかといて怖くねぇの?」
「全然……?」

 怖いなんてあり得なかった。
 どんな相手だろうと雑魚寝をしてきた実績が私を図太く育てた。
 女としてそれはいかがなものだろうかと慌てていると、カグツチさんは笑っていた。

「無意識に炎が出しちまうオレは、寝てる間にボヤ起こすのも珍しくないってのにスゲーな」
「火で攻撃された時も平気だったので、心配いらないかと」
「オマエやっぱ肝座ってんな。気に入ったぜ」

 気に入られてしまったが、そこまで火の神というものを深く考えていなかった。
 イザナミさんの件で遠巻きにされているのは聞いていたが、火を司る性質も要因なのだろう。
 現代でも火付けが重罪なように、火は容易く他を呑み込み消し去ってしまう強大な力だ。
 カグツチさんは産み落とされた瞬間、母親を屠ってしまった。本人は望んでいなかったのに。
 この世界でも火は恐怖の対象なのだ。
 火の神自身も、己の火を持て余しているように見受けられる。

「あの……イザナミさんはカグツチさんが供物にならなかったことを喜んでいたようでした」
「そうかぁ? つか、いきなりなんだよ」
「恨んでたら黄泉の扉を閉じることに協力してくれるわけないですもん。……って」

 カグツチさんは「ふうん」と他人事のように返事した。
 イザナミさんと会った事もない私の意見では信用できないだろう。
 でも今言っておこうと思ったのだ。

「……なあ敬語やめねぇ? オレはそういうのガラじゃねぇし。……助けられたのはオレの方だ」

 あっ、と私は笑顔が込み上げた。

「じゃあよろしくねカグツチさん」
「カグツチでいい」

 実のところまだ私は呼び捨てまでは気持ちが達していないのだが。

「か、カグツチ」
「おう」

 拳を差し出されたので、真似て拳を突き出した。
 こつんと当てると思いきや、私の指がボキッと鳴るほど当てられた。

「あ。悪ぃ」
「だ、大丈夫……。ほら動く……」

 こうして岩肌の上で雑魚寝をしていると不思議な気分だ。
 私と火の神が寝ぼけて私を蹴ったとしても、お互いに怪我したりましてや死ぬ事はない。
 対等な存在だ。
 今日のコノハテングさんと腕相撲をした時、長い爪が皮膚を掻いて痛かった。
 意図的に引っ掻けば相手は少なくない出血をするだろう。
 その点私は平気だろう。死ぬほど酷い怪我にはいつもならないから。
 実際腕利きであろう冥府六傑たちも私に傷はつけられない。
 私は他を害する力はないだけ。強くはないが弱くないというのは変な感じである。

「オマエさ、イザナミを地上に戻すって話どう思う?」

 私の全てを見ようとする態度には誠実に答えるべきだと思った。

「多くの人に慕われているのは判ったけど、本人も望んでるの?」
「ああ。アイツをぶん殴って黄泉送りにしねぇと気が済まねぇらしい」

 たかが夫婦喧嘩の延長のように聞こえる。
 それが彼女がこの地に残した未練なのだろうか。
 そんな彼女を求める声が八百万界にはきっと沢山あって、行動に移す者もいる。

 ずるいなあ。
 カグツチさんや冥府六傑には悪いが、無関係の私からすると他人に望まれた人だけがもう一度生を受けることは不平等だと思う。
 死だけが私たちを平等にしているのに、理を覆すことを良しと思えない。

 しかしここは八百万界であって日本ではない。
 ここでは普通の人と英傑は大きく異なる存在であり、英傑は何度も同じ生を繰り返す。
 その常識だとイザナミさんが地上に戻ることはおかしなことではないように思えてくる。
 手を貸しても良いような気がするが、まだ気持ちは曖昧なままだ。

「ま、今のところは自分の為に六傑の要求通りにするつもりだよ」

 カグツチさんはそれを聞いて訝し気な様子だったが、何度か頷いていた。
 一旦は納得したようでカグツチさんも私も地面に横になった。カグツチさんは野宿に慣れていそうだった。
 すぐに呼吸が一定になる様子を眺めていると、私は自然と安心した。
 寝る時は誰かが隣にいてくれるのが良い。
 最近は心を許せる人がいなくて落ち着かなかったが、今夜はぐっすりと寝られそうだ。
 と、思っていたのだが、隣に人がいることが嬉しくてなかなか寝付けなかった。
 するとカグツチさんがむくりと身体を起こした。

「オマエどれだけ見るんだよ! 気になって寝れねえよ!」
「癖です! すみません! 習慣になってて! すみません!」

 平謝りした。
 寝ている他人を見る行為がそんなに鬱陶しいものとは思わなかった。
 いや鬱陶しいだろうけど、そんなバレちゃうもんかなあ。

「ならしょうがねぇけど、周りもよく許してんな」

 許してくれる誰かを思い出すと、お腹のあたりがぎゅっと痛くなる。
 気配に敏感だろうに二人とも気を遣ってくれていたのだ。
 何も考えず、全部を終わらせよう。
 早く、帰りたい。

 次の日ハンゾウさんがやってきて御統珠を私に見せてくれた。
 手にしてみるとずしりと重い。そしてどこか懐かしかった。

「……これだ」

 直感だった。これは私にとって必要な物だ。

「でも、足りない。これ以外にも何かが必要な気がします」
「何がだ! わらわらを翻弄し時間を稼ぐ気か!」

 ヒミコさんは怒り心頭だった。ずっとそうだ。この人は最初から苛々とし続けていて。
 女性の金切り声を聞くと反射的に身が動かなくなる自分が嫌だ。拘束から逃れたくて私も同様に怒った。

「そんなに必要なら自分たちでやって。出来ないくせに八つ当たりしないで」

 言い終わる前に矢が飛んできた。岩肌に突き刺さっている。
 私は弓を引いたところも見えなかった。

「嘘で言ってるわけねえだろ。疑うってんなら……」

 私の為だろうがカグツチさんがこのまま戦ってしまいそうで怖い。
 見ていてはらはらするするので、念の為近づいておいた。何かあれば私を盾に出来るように。

「離れろ」

 ハンゾウさんの警戒は当たり前だ。

「私はあなた達に害を与えることは出来ません」

 矢が飛んできたが、私の側にいるカグツチさんには刺さらなかった。
 またヒミコさんに何かを言われる前に、カグツチさんに尋ねた。

「贄が必要だったんだよね。それって誰でも良かったの?」
「山の神の弱体化が必要で、贄がオレかどうかまでは……。殺したオレがやれば清算になるってしか聞いてねぇ」

 大山津見神《おおやまつみのかみ》さんが八百万界と黄泉を支えているのか。
 根の国は物理的にこの下にある世界……なのだろうか。

「古い呪法には英傑を使うものがあるそうですよ。今回悪霊がカグツチ様を選んだのは偶然ではないかもしれませんね」

 テンカイさんの説明を聞いて、何故だかしっくりきた。
 御統珠に、英傑で……。何かが繋がる予感がする。

「……でも二人も要るんだよね」
「あ? 二人も要らねえだろ」

 カグツチさんが呆れた顔をしている。
 私はえっと思った。

「……今、何言ってた?」
「はあ? だからオレん時は一人で良かったんだから二人も必要ねぇんじゃね?」
「茶番はそのくらいにしましょう。独神様」

 誰にも言わなかった単語を、テンカイさんに言われた。
 サイゾウさんたちにも話していない事柄なのに。

「……いや、私独神じゃない」
「この期に及んで……っ!」

 ヒミコさんが手を上げるので早口で答えた。

「最近勘違いされたり、その名を持ち出されるけど違います多分、本当の独神は別にいる。と、思う。ヌラリヒョンさんも私は独神じゃないって言ってたし。私自身自分が独神とは思った事ない。身代わりだと思ってる。てか私────って名前なんです!! 発音出来ないから言わないだけで!!!」
「そのヌラリヒョン様があなた様に嘘をお伝えになっている可能性は?」

 そんなこと考えた事無かった。
 独神の事を聞いたのは会ってすぐのことで、まだ私の有用性が判っていない時だ。
 嘘を言う理由なんてない。
 でも相手はヌラリヒョンさんだ。モモタロウくんならともかく、あのひとが私に意図的に情報を伏せることは残念ながらあり得る話だ。

「一血卍傑を知らないのは本当……。やり方は今でも判ってない」
「知らずとも使えたのでしょう。血を混ぜ合わせることで新たな生命を産魂《むす》ぶ秘儀を」

 新たな生命を、むすぶ?

「一血卍傑を使えたことが貴様が独神である事の証明だ」
「………………え?」

 今までずっとお遊びだった。
 悪霊がいなくなって皆が平和に暮らせるようになって欲しいのは本当だけれど、自分が独神かどうかはどうでもいい。
 偽物としてやって地盤を固め、あとは全部独神に渡せばいいと本気で思っていた。
 それが私自身が本物だなんて。

「あなた様が欲しているものがこれで判りました。イザナミ様をここに下ろす為の英傑が二名必要、且つ我々に適性はないということです」

 私はまだ納得できていないというのに、テンカイさんは話を進めていく。

「独神様。欲する英傑の特徴に何か思い当たるものはございますか」
「……私、そんな名前じゃない」
「これは失礼しました」

 私はまだ自身が独神であることに納得はしていない。
 その事は置いておいて話を進めよう。

「例えば、カグツチさんとコノハテングさん、ヒミコさんは同じグループです」
「ぐるぐる?」

 眉間に皺を寄せるカグツチさんに少し癒された。

「集団ってこと。それでテンカイさん、イイナオトラさん、ハンゾウさんは同じ集団。てな感じで二つに分けられるの。このどちらもイザナミさんを呼ぶにはちょっと違和感がある気がするんですよね……」

 ヌラリヒョンさんやイワナガヒメさんも多分後者に入る。モモタロウくんは……。

「ものは試しだ。わらわとナオトラでいくぞ」
「え、え!?」
「やれ」
「無理です」
「試しといっておろうが! そなたの失敗でわらわがどうなろう良い!!」
「そうじゃなくて違う種類は混ぜられないんです! なんか違うんです!!」

 可愛い顔を歪めて心底悔しそうにしていた。
 彼女はイザナミさんの復活を本気で望んでいる。
 役立たずの私に怒りが止まらなくて仕方ないだろう。

「英傑つってもよー。例えば誰なら良いんだ? 天狗にも何人かいるけど一筋縄じゃいかないぜ」

 コノハテングさんが顎に手をやって羽をぱたぱた動かした。

「僕も……知ってはいるが、連れてくることは難しいな」

 イイナオトラさん。英傑の知り合いがいるようだ。

「神族はつえーヤツは大体英傑だけど……。アイツら言うこと聞くタマじゃねぇからな」

 神族といえば、イワナガヒメさんやコノハナサクヤさん、ニニギさんは全員英傑だった。
 英傑とは特別なひとたち、世界に選ばれたひとたちなのかもしれない。
 独神はそんな特別なひとたちの血で、特別な生命を生み出すのか。
 なんだか神様みたいだ。

「英傑の情報はある。が、分類の判別方法はなんだ。些細な事でも良いから言え」
「……雰囲気」

 ハンゾウさんには盛大に舌打ちをされた。
 テンカイさんは六傑たちを宥めるように言った。

「別の方法を考えましょう。例えば連れてくるのではなくこちらから行けば一気に判別出来ます」

 冥府六傑たちは作戦会議を始めた。その間、私とカグツチさんは雑談で時間を埋めた。
 その流れで黄泉への穴を見に行った。

「母ちゃん……」

 異形となった母親をカグツチさんはずっと見ていた。
 遠目から見られるだけでも随分慰められるようだ。
 私はそれを見て羨ましいような、こちらまで嬉しくなるような気がした。
 産まれてから一度も会っていない、触れたこともない母親に会わせてあげたい。

「うし。明日に備えっか」

 冥府六傑たちは話し合いがまとまって既に動き始めていた。
 私たちには関係がないことなので、寝る時間になれば牢モドキに戻って雑魚寝をした。
 しばらく経って、私はカグツチさんをつんつんとつついた。

「んあ?」
「しっ」

 私は声を潜めた。

「富士山でお別れした時、大柄な男のひといたよね? あのひと誰?」
「スサノヲ。あいつも一応、イザナミが母ちゃんだ」
「なるほど。了解です」

 用は済んだと寝ようとすると、カグツチさんは私の真横にまで迫っていた。

「……何か判ってんだろ。オラ言え」

 私は周囲を見た。生き物の気配はない。
 そっと耳打ちした。

「この洞窟、壊さない?」

 ぱくぱくとしたカグツチさんの口を念の為着物で塞いだ。

「むが」

 大人しくなったら外す。

「壊してどうすんだ」
「逃げるの」
「イザナミはどうする気だよ」
「しない。……冥府六傑の命令では」

 これにはカグツチさんも眉を幾度となく動かした。
 やることは変わらないのだ。ただ気持ちの問題だ。
 いつまでもずっと納得がいかなかった。
 彼らは常に私たちより上の立場でいようとした。支配しようとした。それが嫌だ。
 私たちをなんとも思っていないその傲慢さは気に入らない。
 なんだかモモタロウくんがうつった気がする。

 死んだものを生き返らせることについてはどうなのか。
 今までは倫理的に間違っていると思い反対の意を示していた。しかし、それは日本で培ってきた経験からの意見である。
 ここは八百万界。神と妖と悪霊が闊歩し、英傑達は死しても人格を保持したまま次の命を生きるという。
 生命の在り方が違うこの世界では、私が持っている正しさは全てが適していることはないだろう。
 八百万界側の考えを聞く限り、英傑であるイザナミさんがもう一度地上に戻ることは、別段問題ないように思えた。
 そしてなにより、カグツチさんにイザナミさんと会わせてあげたい。

「オマエ、イザナミ復活反対だっただろ」

 復活に大賛成のくせに、私の気持ちを聞いてくる。
 うん。やっぱりそういうひとの為に力を使いたい。

「これだけのひとを魅了するイザナミさんに私も会ってみたいと思って」

 イザナミさんの為なら命を投げだせるひとたちが沢山いる。
 他人に必要とされているひと。卑屈にも少しもやっとする。
 でもこのひとがいるだけで幸せになれるひとが沢山いるんだ。
 だったら、地中に呼び戻したって悪いことじゃないはず。

「じゃ、一気に壊しちゃおう」

 言いなりになっていた時とは違う。
 ようやく身体の奥底からやる気がもりもり湧いてきた。



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
 ・黄泉への道

 黄泉は根の国とも言います。根堅洲国《ねのかたすくに》。
 「ね」というのは大地。
 なので、黄泉への道は八百万界の至る所にあるんだろうな……と思ってこんな感じに。
 干渉できるかは別として、ありとあらゆるところに根の国はあるんじゃないかと思いました。

 根堅洲国《ねのかたすくに》は地下帝国ではなくて、海のかなた、全ての罪の集まる大海原の底、とも考えるようで、近いようで遠い扱いなのかも。
 ニライカナイ的な。皆の心の中に思い浮かべはするが、実際には辿り着いたものがいない国。





(2022.10.04)