二度目の夜を駆ける 七話-畿内肆-


「オレはどうすりゃいい」
「カグツチさんにはこの洞窟全体を落としてもらいます」
「判った。けどよ、手筈は?」
「火の神様なんでしょ? 前に私たちを襲ったみたいにグアーって」
「丸投げじゃねぇか!」

 大声を出すので急いで口を塞いだ。むがむがしているカグツチさんに近づいて囁く。

「カグツチさんはすっごく強いから大丈夫。容赦なく壊して下さいね」

 軽い調子でお願いしただけだったのに、カグツチさんは暗闇でも判るくらいに頬が赤くなってしまった。まだそれほど仲を深めていない相手に許される距離ではなかった。私がそっと離れると息を整えたカグツチさんが忠告した。

「先に言っとく。オレは考えるのは苦手だ。燃やすことしか出来ねえから履き違えんなよ」
「でも富士山の時、段取り良くしていた気がしたけど」
「ありゃ悪霊の計画。オレは一切考えてねえ」

 胸を張って言うのは少し違う気がした。
 考えていない私と、考えられないカグツチさんの行動は一つ。
 ──入口へ向かって臨機応変に対処する。以上。
 私たちの利点は、私に攻撃が当たらないことと、カグツチさんが火を自在に操れることの二点である。攻守の手段があるだけでも多少の安心感がある。それが冥府六傑達相手に殆ど意味がないとしても。
 圧倒的不利な状況なのは理解しているが、この牢獄から逃げ出したい気持ちが大きく上回ってしまった。我慢はここまでだ。
 ボロ牢屋から広場を経由して、更に歩き続けると入口がある、はずだ。監視の目が厳しく私は入口には近づけなかったので、細かな位置はカグツチさんに任せる。
 二人で広場に着くと家具代わりの木箱の上にミスマルがあった。あれはこの先必要だ。無造作に置かれた不自然さには目を瞑り、手に取った。
 足元が光ると同時に爆発した。

「ナナシ!」

 洞窟の壁を這うようにカグツチさんの炎が渦を巻いた。お陰で周囲がよく見える。六傑が炎の中で勢揃いしていた。

「無事か」

 近距離の爆発だったが私は元気そのものだ。先行して地雷処理を行ったのは正解だった。

「大丈夫! それよりやっちゃって!」

 ちょっとした劇場のホールが丸々炎で埋まった。
 普通の人間なら身体の内外から焼けるだろう。
 紅蓮のカーペットを私たちは突っ切っていく。今のうちに少しでも距離を稼がないと。

「見縊られたものじゃ」

 ヒミコさんが呪詛を唱えた。大火が一瞬で鎮火し元の洞窟に戻った。想定内の事。動揺せずに入口から差し込む光へ向かって突っ走った。
 外さえ出れば、活路が見出せるのだ。あと少し。あと一歩。もう少しもう少しなんだから。
 たった数メートルが遠かったが、私は指先で光を撫でた気でいた。
 ぞくり。
 背中が冷えた。
 ゆっくりと時間が流れていく。目が合った。ハンゾウさんの黄色い瞳は、それはそれは太陽のような鋭い光で。私は瞬時に諦めた。
 弱気な私の目を覚させてくれたのは入口での大きな爆発だった。
 ハンゾウさんが爆風で後ろに押し出されていく。私はカグツチさんに背中を押されて入口へ再び向かう。煙が多いお陰で多少の目くらましになるだろう。
 出てすぐに大山津見神《おおやまつみのかみ》さんに呼びかければ逃げ切れる。
 やっと会える。二人に!

「ここどこ!?」

 光を浴びた私の目の前に広がるのは水、水、水。
 よく見ると一キロほど向こうに岸が見え、陸地が左右へと広がっている。これは……湖だ。

「鳰《にお》の海。沖ノ島だぞ」
「海!?」

 こんなちっぽけなのに!?

「オマエ何にも知らねえのな!」
「全然山じゃないじゃん!!!!」

 日本の国土は殆どが山で平野は十数パーセントしかない。例え町で監禁されたとしても、少し足を伸ばせば山へ着くのだから、自由の身にさえなれば勝機はあると思ったのだ。
 それがまさか、海とは……。対極の属性である。
 二人も私のメッセージが届いていれば山にいてくれているだろうに。これは困った事になった。スマホで連絡を取れないのは不便すぎる。

「追手が来るぞ!」

 カグツチさんの炎が洞窟の入口を塞いだ。

「早く考えろ!」

 二人で陸地まで泳ぐことは論外。小さな桟橋には小舟が一隻ある。あれを使おう。
 私が走るとカグツチさんもついてきて、二人で船に乗り込んだ。私がオールを探しているとカグツチさんが後ろへ向かって炎を噴射し、その勢いで船が前進した。モーターボート並みの速度である。向こう岸はすぐだ。

「止めて!」

 炎を止めたカグツチさんは私を抱えて向こう岸へ飛び移った。陸地にくればこっちのもの。

「大山津見神《おおやまつみのかみ》さん! 大山津見神《おおやまつみのかみ》さん! あああああ!!! まだ山じゃない!!」

 辺りでは一面青々と茂った稲が揺れていてほぼ平地である。空と大地がくっついてばかり。遠野だったら四方八方山地だったのに。

「おい、何をぼさっと、ぐあっ!」

 カグツチさんの身体が宙に浮き、地面で二転三転した。

「カグツチさん!」

 駆け寄ったところ出血はないが、苦悶の表情を浮かべている。
 カグツチさんの顔に影がかかったので、咄嗟に見上げると深緑の翼が広がっていた。

「あんたには悪いと思ってる。だから皆に反対されてもあんたの仲間を探し出した。……なのに約束を破るってのは違うんじゃねえの」

 さっきのはコノハテングさんが拳で、カグツチさんを殴り飛ばしてみせたのだ。おまけに背中には身長よりも大きい羽。しかも速い。この追手から逃げるのはまず無理だ。
 これ以上カグツチさんが殴られないようにと抱きついた。殴りかかってくるがいつもの如く当たらない。その間に早口でカグツチさんに縋った。

「富士山の時みたいにドカンってなりませんか!?」
「都合よく火山があるわけねえだろ!!!!」

 無理無理無理。この天狗さんが殴る度に私たちが地面に押し込まれている。痛くはないが板に打ち付けられた釘のようにめり込んでいく。

「ここで本気は出せねぇ。その辺の奴らは全員死ぬだうが」

 付近にはぽつぽつと民家がある。騒動に気付いて遠くから様子を窺っている。いたって普通のひとたち。巻き込むなんて絶対に出来ない。

「なんか空間のスキマみたいなのないんですか!!! 神様ってそういうこと出来るんでしょ!」
「知らねぇ土地で出来るわけねぇだろ馬鹿!!」

 知らないって……ええ……。
 私は神を見誤っていた。世界を改変出来るちょぉ強い種族で、やろうと思えば大災害だって起こせちゃう規格外の生物だって。でもそれは条件が揃えばの話。そういえばイワナガヒメさんも神々には制約があるって言ってたような。それにあの時は自分を祀る神社もあったなあ。
 ……私たちはどこにいても絶望的に不利だ。

「退け! コノハテング!」

 とうとうヒミコさんにまで追いつかれてしまった。
 彼女の矢は私たちではなく、その下の地面を貫いた。一射で大地が引き裂かれ、私たちの乗った地表が降下していく。溝の奥へ落ちるにつれ地表もひび割れ、カグツチさんと離れ離れになった。
 掴もうと手を伸ばすが届かない。

「カグツチさん!」

 カグツチさんは呼び声に振り向かなかった。狭くなった空からはいくつもの矢がカグツチさんにだけ降り注いだ。炎で弾くが狭い足場では嬲られるしかなく、がっしりとした身体に矢が突き刺さる。地上にはコノハテングさんだっている。天狗の彼は地割れの中へだって飛び込んで逃げ道のないカグツチさんを一方的に攻撃できるだろう。
 なのに私はたったニメートル程度の裂け目を超える事も出来ない。

「っ。カグツチさん、こっちに!」

 叫び終える前にカグツチさんはこちらの足場へと飛び乗った。抱えるつもりで両手を広げたが、ただの下敷きになった。

「馬鹿! オマエがオレを支えられるわけねぇだろ!」
「良かった。一緒だ」

 今日一番痛かったが安心感で笑えてきた。

「バーカ。良かねえよ」

 そう言って同じように笑ってくれた。

「オラ、一気に行くぜえ!」

 両手から出てくる炎を真上に噴射した。炎で埋め尽くされて空が全く見えない。相手も同じなのか矢が届かなくなった。

「オマエはこっち」

 カグツチさんは片手は炎を噴射したまま、もう一方で私の手を引いた。赤茶や黒が混じった断層面へ躊躇なく突っ込んでいく。これは鼻が潰れると思って目を閉じてその時を待った。しかしなかなか痛みはやってこなかった。目を見開いてみたが四方八方真っ暗である。

「オマエが言ってた”道”ってやつだ。アイツらが地面から落としてくれやがったお陰で火の気配を感じとれたんだ。オマエめちゃくちゃ運良いな!」

 地下に火の気配……。

「昔、噴火があったんだろ。古臭ぇ感じがする」

 真っ暗な中、ズンズンと歩いていくカグツチさんに引かれていく。多分手を離したら地中深くに閉じ込められてしまう予感がする。

「……神様って凄いね。五人から逃げられちゃった」
「ありゃ手ぇ抜かれてたんだろ。ま、ここに逃げるのは想定外だったろうがな! うひゃひゃっ!」

 大笑いしてもらえると、私もほっと出来る。
 迷いのない歩みは心強い。

「あれ。止まっちゃってどうしたの?」
「あ? 噴火の範囲は終わったんだよ。こっからただの地面なんだから通れるわけねぇだろ」
「今までもきっとただの地面でしたが!?」

 この神様の抜け道は歩いた距離と地図上の距離がマッチしない。しかも景色は真っ暗。使い慣れていなければ位置を知る術はない。

「大山津見神《おおやまつみのかみ》さん。もし私の声が届くなら、私たちを地上に出してください」

 反応はない。

「……さっきから呼びかけてるけどよ、アイツが反応するかぁ? 山の神ってのはな、オレみてぇに動けるわけじゃねぇ。それに特に繋がりもねぇオマエを助ける義理なんて」

 さもさもと土を掘る音がした。ぼこんと音がしたが何かは見えない。カグツチさんの手を握り締めて、音の方を見続けた。
 ぼふりと火が吐かれ、それがもぐらであることが判明した。

「見て! 凄いよもぐら!! 八百万界のもぐらって火を吹くんだね!!」
「こいつらは普通のもぐらじゃねえ。土竜《もぐら》だろ。竜になれなかった奴らだ」

 竜って……もぐらはもぐらじゃないの。
 訳が判らないのは今更だ。土竜たちが掘ってくれた穴を通って歩いていく。今はカグツチさんが指先の灯りで照らしてくれているので、ちゃんと土の上を歩いているのが判る。

「……よりによってなんでこいつら」
「知り合い?」
「オレと土の神で創った」
「へえ……」

 ”これ”である。
 妖族や人族と一線を画す存在でありながら、世界を統治していないのが不思議でならない。
 働き者の土竜たちは、私たちを空が見えるところまで連れて行ってくれた。

「なんで私挟まって! なんでここ地割れ! 懸垂出来ないから登れないんですけど!」

 土竜たちの仕事は雑だった。アフターケアはサービス外らしく、もう目の前からいなくなっていた。

「竜を創るのに失敗して、土竜になったの恨んでんのかもな」
「それだ!!!」

 簡単に創れても創るべきじゃない、生命は!!
 とにかく今は地上に上がらなければならない。懸垂出来るに違いないカグツチさんが先に登って私を引き上げてくれるのがベストなのだが。

「クソッ! どうなってやがんだよ!! 狭ぇし!」

 同じ地割れ内にいるのだが、あちらの方が狭く、断面の岩が服に引っかかっている。土竜たちは恨みを募らせていたらしい。それなのに地上に連れてきてくれてなんて優しいのだろう。しかしこのままだと地割れに落ちて死ぬ。生き残ったとしても地割れ内に食料はないので餓死だろう。最悪な死に方である。

「誰かいませんか!!」

 動物でもいい。哀れな私たちに手を伸ばして欲しい。
 救世主様の出現を祈って地割れの縁を注視していると黒いなにかが現れた。

「きゃああああああああああああ!!!!!!!」

 悪霊はお呼びではない。

「なにっ!? あ、主《あるじ》さん!?」

 悪霊と見間違えた黒いものが私を引き上げてくれた。助けられた私は次はカグツチさんを救出しようと手を引いたがびくともしない。結局私を助けてくれた人がカグツチさんのことも引き上げてくれた。
 命の恩人と互いにまじまじ見た。

「……あの……本物のモモタロウくんでいらしゃいますか?」
「そっちこそ。偽物でない証拠はあるの?」

 先に言われてしまったら証明はこちらがしなければならない。

「私、モモタロウくんに主《あるじ》さんって呼ばれるの、最近結構好き……とか?」
「感想でしょそれ」

 秘密がないわけじゃないが、カグツチさんもいる場所では言えない。となると適当に言うしかないのだ。

「まあ良いよ。こんな突飛もないこと出来るのは主《あるじ》さんくらいだよ。あ、褒めてないからね」

 そもそも疑っていなかっただろうに。でなければ刀を置いて助けてくれたりなんてするはずがない。

「モモタロウ。さっきの叫び声は」

 草をかき分けて現れたひとを一目見た途端に、身体中が痺れるような衝撃がはしった。そのひとと目が合うだけで身が竦む。なのに目を離せない。

「……本物か」

 私は何も言えずに俯いた。
 あの夜偽物に触れられた身体の一部がじくじくと痛んだ。あれはヌラリヒョンさんじゃない。判っていても染みついた嫌悪感は拭やしない。
 草を踏みしめる音が近づいてきても私は動けなかった。やがて頭の上に手が置かれた。

「儂が其方を見間違えるはずないな」

 私は見間違えたけどね……。
 罪悪感や情けなさに潰れそうになりながら、そっと顔を盗み見た。

「怪我はないか」

 柔らかな笑みで私を見ていた。
 縋りたくてたまらなくなった。
 足を踏み出すと、

「おい、油断しきってる場合じゃねぇ! 天狗の奴が来るかもしれねえだろ!」

 カグツチさんに怒鳴られ、弾けたように二人は臨戦体制に入った。勿論私も。

「で、どんな奴」
「緑の羽の天狗で動きがはえー。素手だが威力はヤベーから舐めてかかんなよ」
「空か。面倒だね」

 でもいつもの構えと変わらない。

「相手は何人だ?」
「五人。坊主と巫女と侍と忍」
「忍と巫女はちと骨だな」

 骨という割にはヌラリヒョンさんはラフにしていて緊張感がない。

「で、君誰?」

 今更?
 カグツチさんも「は?」と驚いている。

「カグツチだ。つか富士山でオレがボコったろ」
「なにそれ。最強の僕は他人にやられたことなんてないから」

 いやいや、あれはちゃんと覚えていてとぼけているだけだ。あの戦いの後、自分の力で捻じ伏せられなかった悔しさを何度か漏らすような、根っからの負けず嫌いである。

「火に巻き込まれるなんて迷惑だから、君は主《あるじ》さんのお守りして引っ込んでて」
「あ?」

 言い方。

「カグツチさん。ごめんなさい。悪いけどお世話になっても良い?」
「オマエはオレが守ってやる。……って言えりゃ良いんだけど、きっと守られちまうな!」
「ううん! それは良いよ! 私も迷惑かけるだけでいるのって申し訳ないし」

 なぜだかモモタロウくんにめちゃくちゃ睨まれてる気がする。きっと敵襲に備えてのことだろう。
 実際緊張感で場がひりついてきた。

「今、少し良いか」

 周囲への警戒は怠らず、ヌラリヒョンさんの言葉に全員が耳をそばだてた。

「おかえり」

 ヌラリヒョンさんを見ると、剣を構えたままこちらを見ていた。

「た。ただいま、です」

 私はぺこっと頭を下げると満足そうに頷いてくれた。

「そういうのは後にして」

 言うほど怒ってはいない。モモタロウくんも同じように思ってくれているのだろう。そうでなければ、戦闘中に気を緩めることを許しはしない。
 私は戦闘に向けて頭を切り替えることが出来た。

「さっきまで鳰《いり》の海の沖ノ島ってところにいたんです。それでここに」
「琵琶湖からならかなり距離があるぞ。余程の者でなければ来れまい」
「琵琶湖だったの!? 海じゃないじゃん!」
「鳰《いり》の海は鳰《いり》の海だろ!」

 カグツチさんを問い詰めていると、空の向こうで何かが接近しているのが見えた。私以外が気を引き締めた。

「ほら見ろ! 言った通り、天狗だ!」

 手のひらから炎が一気に吹き上げていった。コノハテングさんは素早く避けてカグツチさんへ向かう。横からヌラリヒョンさんが剣を振るうがそれも避ける。天狗という生物は速過ぎる。
 しかし、避けた先にはモモタロウくんが待ち構えていた。

「主《あるじ》さんが止めないって相当だよ。嫌われたものだね」

 嬉しそうに斬り払うが切っ先すら当たらない。

「ノロマが何人いようが無駄なんだよ!」

 一番のノロマである私と目が合った。しかし、私の方へは近づかずまた上空へと飛んだ。
 コノハテングさんはやはり優しい。あの速度があればすぐに私をさらえる。これがヒミコさんだったら多分三人に目もくれず私は集中砲火をくらったろう。
 コノハテングさんは空を自在に駆けるが、直接攻撃であることが欠点だ。私たちに合わせて必ず地上に戻らなければならない。そこが勝機だろう。

「カグツチさん。ちょっと」
「後にしろ!」
「今!」

 眉をひそめるカグツチさんに私は耳打ちした。そうしている間にコノハテングさんはモモタロウくんを狙った。地面を割る破壊力のある拳もモモタロウくんは刀で難なく受けて、攻撃に転じる。常人には見えない刀の動きもコノハテングさんは見切って拳で弾いている。互角。時折ヌラリヒョンさんがアシストに入るが、二人の間には入り辛そうである。下手に入るとモモタロウくんを斬ってしまう。

「あーもう! やりづれぇな!」

 コノハテングさんは仕切り直しに上空へと戻った。

「やって!」
「はいはい」

 モモタロウくんの呼び声に応え、ヌラリヒョンさんは剣を天に掲げた。百鬼夜行である。周囲の妖たちが一挙に集まって来る。

「借りるよ!」

 妖たちの群れを足場にモモタロウくんが空へ駆けあがる。

「雑魚ばっかじゃねぇか!」

 空を覆う大小の妖たちが、碧の一閃によって蹴散らされている。散っていく妖たちの中でモモタロウくんは刀を構えた。

「空に逃げてばかりでよく言うよ」

 容赦ない煽りにコノハテングさんは釣り上げられる。妖を狩るのをやめて、モモタロウくん目掛けてつっこんでくる。モモタロウくんは無表情でそれを受け、即座に斬り上げた。コノハテングさんの翼が僅かに斬れる。
 今だ。
 妖の群れから赤い梟が飛び出し、コノハテングさんに飛び掛かって消えた。

「っ」

 動きを止めたコノハテングさんはきりもみして落下する。地面すれすれのところで百鬼夜行の妖がクッションになって安全に下ろした。
 コノハテングさんを私とカグツチさんで囲んだ。唯一動ける眼球が私たちを交互に見ていた。

「コイツに言われなきゃ炎で捩じ伏せようとしてたぜ。麻痺ってくれてありがとな」

 カグツチさんはベチベチと私を叩きながら胸を張った。
 さっきの梟はカグツチさんの天将としての力だ。以前富士山の時、天将のカグツチさんは麻痺や毒にすることが出来ると聞いていたのでお願いした。相手の動きを一定時間止める技が梟の形であることが幸いし、容易く百鬼夜行に紛れることが出来た。

「コノハテングさん。他の四人に伝えて下さい。大人しく待っていてって」
「何馬鹿なこと言ってるの」

 空から下りてきたモモタロウくんは私に異を唱えるが無視した。

「ちゃんと伝えて下さいね。絶対ですよ」
「お……、ぜ……」

 麻痺の影響で上手く話せないので、返事は判らない。
 
「急ごう。ヌラリヒョンさん慌ただしくてごめんなさい」
「なんで殺さないの」
「物騒な事言わないで。撤収だよ」

 私たちは山の中にコノハテングさんを残して逃亡した。山を下りた後は天狗を見かけることも、性格がねじ曲がった忍を見ることも、怒ってばかりの女王や僧や男装の麗人も見なかった。

 いつも通り山を下り、私たちは身体を休ませられそうな場所を探して歩いた。夜までに見つけられたのは空家だった。今夜の宿はここである。贅沢を言えば、普通の宿に泊まって心身回復したかったのだが、そうわけにはいかなかったのだ。
 宿場町には人っ子一人いなかった。建物は物理的に壊れていて、どこも強制休業。これは無理だと言って、ヌラリヒョンさんが手ごろな家に入り込んだ。気分的には嫌だったが、珍しくモモタロウくんがお金を置いていくからと言って許した。私もそうだね、と同意した。カグツチさんは暫く無理だろうなと言って上がっていった。
 竈には火の気配がなく、数日は主が帰ってきていないだろう。手持ちのアレコレと引き換え、食べ物を少し頂きながら、私たちは情報を交換した。

「私はスサノヲさんを探して、イザナミさんを八百万界へ呼び戻そうと思います」

 私の発言に二人は驚いた。

「僕は反対。やる意味も義理もない。主《あるじ》さんを巻き込まないでもらいたいね」
「オマエはナナシが心配だよな」
「違う!! ただ従者にさせられてるから、僕の仕事が増やされたらたまったもんじゃないだけ!」

 さすがの私でも照れ隠しと判った。

「儂はやや賛成だな。今後も其方をつけ狙われてはかなわぬ」
「つけ上がるよ」
「可能性はある。よって相手の弱味も同時に探る」
「上手くいくかな」
「目星はつけておる」

 ヌラリヒョンさんがいると安心感がある。肯定されると尚良い。いつもの多数決ならこれで決まりである。

「オレはナナシに手を引いて欲しい」

 四人目のカグツチさんは私を見てそう言った。

「オマエらは気にせず元の目的に戻ってくれ。オレや六傑に付き合うことねえよ」

 ニカっと笑う。

「ねえヌラリヒョンさん、黄泉から蘇らせるのって悪いことですか?」

 私は故意に話を捻じ曲げた。

「善悪は問えぬ。そもそも誰も出来ぬ事だ。ただイザナミは黄泉の主宰神であろう? 呼び戻したらどうなるか、儂は知らぬぞ。最悪、黄泉が崩壊するやもしれぬ」

 不穏な二文字がじわじわと圧し掛かった。死者の国である黄泉が崩壊したら富士山の時のように、黄泉の住民、つまり亡者が流れ出てくるのかもしれない。生者と死者が入り混じった八百万界はいったいどうなる。もしかしなくても、そのまま八百万界自体が滅びるのではないだろうか。
 それはきっと多分、ひじょーーにまずいことだ。

「とにかく考えろ」

 カグツチさんは外に出た。カグツチさんの炎で現代並みに明るい部屋に三人になった。

「主《あるじ》さん考えてた?」
「そりゃ倫理的なことは考えてたけど、イザナミさんが黄泉からいなくなった弊害は……」
「だろうね」

 母親に会わせてあげたい。その方法に自分が絡むなら出来得る限り手を貸したい。
 でもそれは、黄泉の秩序を乱してでもやりたいことだろうか。冥府六傑はこのことを知っていたのだろうか。そういえば、彼らは大層な名前を名乗っているが、何を目的とした集団なのだろう。
 ……悪霊と同じ考えだったりして。なんて。

「そもそもなんだけど、なんで主《あるじ》さんが黄泉から蘇らせられるの? 妙に自信満々なのなんで?」
「テンカイさんが言ってた。その……私が本物の独神だーとか……」

 自分で言っていて恥ずかしすぎる。
 そんな私にモモタロウくんは冷ややかだった。

「ふうん。口車に乗せられたの」

 心底呆れている。

「他人に言われたらなんでも信じるの?」

 嘲笑ってくる。私は必死に言い返した。

「だって一血卍傑が出来るのは独神だけだって言うから……。私富士山で一血卍傑したらしいし……あんま覚えてないけど。英傑の種類が違うのもわかるし。普通判んないんでしょ? でも私判るよ。だからモモタロウくんと同じスサノヲさんの協力が必要だって言ってるの」

 私自身もそこまで信じていないが、言われっぱなしは嫌だった。でないと私はただの痛い人だ。私は救世主です、なんていう人、よく考えなくても病院をすすめられてしまう。

「それに凄そうな人たちが寄ってたかって私に嘘つく意味あるかな。しかも人を使ってさらうほど労力を費やす? 私見ての通り平凡な人間だよ」

 平凡な人間。それは誤りだ。私はそもそも八百万界があるこの世界の住民ではない。
 けれどだからと言って、救世主の独神に相当するのは……やはり信じがたい。

「君は、最初から知ってたの?」

 モモタロウくんを見るとその視線は私ではなくもう一人にいった。

「……半信半疑といったところだ。儂ですら噂しか聞かぬ独神が草原に転がってるなど誰が気づこうか」

 ジャージ着た裸足の子供が言えない言えないと喚いていたのだ。モモタロウくんだったら絶対斬っている。間違いない。

「……で、本人には偽物だって?」
「いやそれはさ、私が勝手に名乗ったからっていうのも……」
「うわっ……引くね、それ」

 ごもっともです。
 八百万界に放り投げられた私は自分の名前を口にすることが出来なかった。誕生日や学校名さえ言葉にならず、なんなら直近の記憶もなく。呼び名に困ったヌラリヒョンがどう呼べばいいかと尋ねれば、出てきた単語が『独神』である。
 思い返すと、ヌラリヒョンさんが私を独神ではないと言ったのは当然のことだと思う。ただの生意気な子供を見て大層な救世主様とは誰も信じない。

「僕は主《あるじ》さんみたいに能天気じゃないから、この状況は不愉快」

 再会したばかりでこの雰囲気は最悪だ。
 他人に振り回されるのが嫌なのかもしれないが、何を怒っているのかがよく判らないので宥め方も判らない。

「主《あるじ》さんは殺した親に会わせるのと、世界とどっちをとる」

 どちらか一つ。
 とんでもない二択だ。

「黄泉でイザナミさんに会ってから考える。何がいいのか悪いのか私には判断出来ないから」

 小さく息を吐いてモモタロウは言う。

「子供みたい。でもまあ、それで良いんじゃない? 諦めることも視野に入ってるようだし」

 気を静めてくれて良かった。もうバラバラになるのは懲り懲りである。

「スサノヲが必要らしいが、当てはあるのか」

 首を振るとヌラリヒョンさんが小さく笑った。

「では一先ず黄泉を目指すと良い。紀伊に花の窟《いわや》があってな、そこがイザナミの墓所であり黄泉への入口があると聞く」
「黄泉の入口は比婆山《ひばやま》じゃないの? 僕も詳しくはないけど」
「そちらだとも聞くな」
「なにそれ。本物はどっち」
「さあな。真相を知るのはイザナギだけではないか」

 相槌を打って二人の会話を聞いていると、ヌラリヒョンさんが私に言った。

「南西へ向かうことになる。ここからだと距離はあるが、伊勢別街道、伊勢街道、熊野街道を通れば良かろう」

 解説してくれたけれど全く判らなかった。三重県なのはなんとなく判る。

「じゃあ二人とも黄泉へ行ってくれるんですね」
「嫌だよ」
「……」

 この反応には、思わず「えええっ?」と言った。

「え? だって、来てくれそうな流れじゃなかったです?」
「黄泉だよ? 君と心中するなんてごめんだね。するなら一人でどうぞ」
「え? 死なずに行けないんですか?」
「行く方法はあるはずだ。でなければイザナギが今でも威張り散らすなど不可能だ」

 そっか。イザナギさんは存命なんだもんね。
 ……え、じゃあ何がネックでそんなに嫌がってるの?

「儂は付近までは行くつもりだ。後は其方が実際に目にしていくかどうかを決めると良い」
「君の目的意識の低さにはいつもながら辟易するけど、しょうがないから付き合ってあげる」

 そうだ。まずは行ってみよう。
 私たちの方針を外で空を見上げていたカグツチさんを呼んで伝えた。

「花の窟《いわや》か。……黄泉の入口は確からしいが、オレは入れなかったぞ」
「行ったことあるんだ」
「その近くでオレ祀られてんだよ。それで、まあ、知らねぇわけじゃねぇっつーか」

 神様やってんだなあ……。

「オマエならやれるかもしんねぇからな。行くって決めたなら行こうぜ。途中でやめる気になったらそれで構わねえし」

 方針は決まった。あとは身体を休めるだけである。
 夏場は楽だ。
 井戸水をそのまま被って身体を綺麗に出来るし、布団は必ずしも必要なく板間の雑魚寝で十分だからだ。

「いや……オレは」
「私が隣にいく。そうすれば寝てる間に火を出しちゃっても大丈夫でしょ?」

 カグツチさんを一番端にして、私がいて、その隣に誰がいて欲しいかすぐに思いついた。

「モモタロウくん私の隣でも良い?」
「構わないよ」

 希望を口にするかは別の話。
 ただこうして寝るだけでも随分距離が出来てしまうものだ。イワナガヒメさんの時はこんなこと思わなかったのに。
 ヌラリヒョンさんが遠いひとになっていく。

「僕はもう寝るよ。見張りの時起こして」
「なら少し火消すぞ」

 カグツチさんの意思に合わせて、灯りがポツポツと消えていく。全てを消さないのは獣除けもあるが、補助灯の役目がある。ちょっとスマホで照らす……がここでは出来ない。

「じゃあオレが見張りに行くか。ナナシはしっかり寝ろよ。今日はしんどかったろ」
「その前に少しこの娘を借りるぞ。なあに、ただの散歩だ。すぐ戻る」

 ヌラリヒョンさんはおいでと手招きをした。
 未だに苦手意識を抱いているので、夜に二人でいることは気が進まない。けれど感情に反してうんと頷いた。

「絶対。二人で戻りなよ。長話も。駄目だから」

 背中を向けて寝転ぶモモタロウくんと、挙動不審なカグツチさんに許可をもらって、私は夜の中に足を踏み入れた。
 夜は何も見えない。現代よりもずっと行き先は漆黒で塗りつぶされている。しばらくすれば夜目がきくといってもたかが知れている。
 私の前をヌラリヒョンさんは軽快に歩いていく。時折、右へとか、ぬかるんでいるとか教えてくれた。私は指示通りに動く。
 そろそろ町の外れだろうか、その辺りでヌラリヒョンさんは止まった。

「この辺りまで来るのは、何年振りだか判らぬな」
「昔は色々な所に足を運んでいたんですか?」
「そうだ。大昔のことだが」

 遠野はどうなっているのだろう。離れる時期が長くなるにつれ少しずつ忘れていく。あんなに衝撃的だったのに。最近は毎日が刺激的で遠野ののんびりした空気を忘れていく。あそこはのどかで穏やかな場所だった。住人もいいひとたちで、毎日が楽しそうだった。
 悪霊さえいなければ。

「みなさん、元気なんでしょうか」
「ああ。儂一人がいなくとも回っていくさ」

 寂しくないのだろうか。……いや、ないか。ヌラリヒョンさんは常に必要とされている。きっと引っ張りだこで休ませて欲しいくらいだ。だから、私とは違う。自分が必要ではないと思われることが怖い私とは。全然。違う。
 
「其方はきっと、儂や小僧がいなくとも元気なのだろうな」

 なんでそんな言い方。それだと私が二人を置いていったみたいだ。連れ去られただけなのに。私は他の誰かといたいなんて思ってなかったよ。

「無事だと思っていた。しかし絶対ではない。ほんの僅かな可能性が心を乱した」

 ヌラリヒョンさんが頭を撫でた。

「心配したのだぞ。いない間、ずっと」

 ほんとうに?
 不信感が鎌首をもたげた。

「……でも私が消えれば、こんな面倒な事に巻き込まれなくて済みますよ」

 意地悪を言った。わざと嫌な言い方をして試している。

「だが、飽きずに済む」

 すっと胸が軽くなり、自然と口角が上がった。自分の中では百点の返しだ。
 大丈夫。まだ必要とされている。
 不安が急激に目減りしていると、そっと背中に手を回されて抱きしめられた。
 ぞわっとした。
 けれど、心地よい緊張感もあった。
 触れられても嫌じゃない。偽物にされた時とは全然違う。
 良かった。本物と思い込んでいたあの時も、感覚で偽物であることを察していたんだ。

「其方は一人で頑張っていたのだな」

 頑張っていた。
 自分の情報を二人に伝える為に必死で考えた。敵を寝返らせる案も出した。六傑に会って生存の為の選択肢を選んだ。それが八百万界では当たり前の苦労であっても、私にとっては大きな努力であった。

「頑張った。つもり、です」
「丸腰でよく渡り歩いたな」

 感心したと褒められるのは気分が良い。望まれる行動をとれた証だ。
 肩の力が抜けた私はヌラリヒョンさんの背中に手を回した。これは私がちゃんと出来たご褒美だ。

「これからも、宜しくお願いします」
「うむ」

 離れた。もう十分満たされた。

「さて、そろそろ帰ってやらねばな」

 一緒に帰った。

「戻ったよ」
「オマエって警戒心ねぇな……」

 六傑に狙われている状態ですることではない。同じことをモモタロウくんも思っているだろう。しかしちらっと私を見ただけで終わった。小言はない。

「ナナシ、こいつ面白ぇんだな。オマエらが見えるまでずっとうろうろしてたぞ」
「嘘はいいから!!」

 あーあ。不貞寝しちゃった。

「じゃあ、見張りに入るね。カグツチさん一緒に行こ」
「ん。いや、オマエは危ないんだから中で」
「大丈夫大丈夫。二人ともおやすみなさい」

 奥歯に物が挟まった言い方をするカグツチさんの背中を押して、私たちは外に出た。

「……夏とはいえ、寒ぃだろ。オレだけで十分だ」
「寒くないけど。普段野宿だってしてるから慣れてる」
「……じゃあ、弱いオマエ連れても意味ないから寝てろって」
「私、皆の見えないものが見えるから大丈夫だよ。索敵は寧ろ得意」
「…………積もる話とかあんだろ」
「そんなの明日歩きながらで良いよ」
「……ぐ、……ぐが」

 頭を垂れて唸っている。そろそろ反論のネタが切れたことだろう。

「……なんでバレたんだ。オレが逃げるって」

 観念したらしくようやく話してくれた。

「顔に出てる。それに私のこと引き合いに出し過ぎ」

 隠し事が異常に下手なのだろう、ずっとそわそわとしていて何かのタイミングを探っているようだった。私を遠ざけようとする意志が丸見えで、多分全員にバレていた。

「オマエの連れが黄泉が崩壊する話してたろ。あれでオレもやべーなって。そこまで考えてなかったんだよな」
「同意」
「上手い話ってのはねぇんだな」

 また落胆させた。これで二度目だ。

「もうオレはイザナミのことは忘れる。死んじまったもんをズルズルしつけぇ。ちゃんと諦める」
「でも。六傑はイザナミさんを諦めないよ」

 カグツチさんはずっと折り合いをつけようとしていた。最中にかき乱したのが私と冥府六傑だ。事態はカグツチさん一人で片付くものではなくなっている。

「だからオレ、オマエについていく。オレには何が正しいとかどうすりゃいいのかなんて判んねぇ。代わりにオマエが考えろ。それに従う」

 全て他人任せでいっそ清々しい。

「いやいやプレッシャー半端ないよ! 私だって何にもわかんないんだよ!?」
「火に関してなら頼っていいぜ」

 局所的過ぎるサポート。

「オマエがグダグダ悩んでんの聞いてっと、めんどくせぇこと考えないようにしてても付き合わされちまう。ちゃんと向き合うっつーの? オマエとなら悪くねぇなって」
「うじうじしてて鬱陶しい。じゃなくて?」
「かったりいとこもあんな」

 面倒くさい奴って言ってんじゃん!!

「それに六傑がオマエを狙うなら、数がいた方が良いだろ?」
「さっきまで逃げようとしたくせに?」
「逃げるつっても六傑はぶちのめす予定だったんだよ!」

 怒鳴り声が大きくて静かにとジェスチャーした。これでも私たち見張り役なのだ。二人の眠りを妨げてはいけない。

「先に言っとくけど、イザナミさんを呼ぶと世界が崩れるなら、私はやらないよ」

 自分で言って傷つく。でも改めて伝えるべきことだ。

「おう。判ってる」

 困った顔をしていたけれど、私は気づかない振りをした。
 カグツチさんが湧かみを捨てても叶えたかったことが、私の気紛れ一つで叶ったり叶わなかったりする。私の判断次第で大切な家族と一生会えないのだ。






(2023.01.09)