二度目の夜を駆ける 八話-熊野弐-


 暗い釜の底で、皮膚が爛れた醜い化物は、昔の思い出を糧に生きていた。耳元で囁かれた愛しているという言葉を拠り所に、あの方がこの悪い夢から連れ出してくれると焦がれていた。自分が孤独を感じるようにあの方も地上で孤独に生きているはず。きっと来てくれる。望んだ通り彼はやって来た。化物を散々貶め、それが妻と知るや否や地上へ逃げ帰っていったが。
 ────絶対殺す。
 今のワタシはその為に生きている。しかし黄泉に送られた自分は地上に立つことは許されず何百年も頭を抱えていた。それが偶然に偶然が重なり、今夜地上へ足を踏み入れることが出来た。我が子の友人らしい、得体の知れない娘がワタシの代わりとなった。これは一時的なものだ。ヒミコの術によって元の顔を保っているが、地上の空気では長くはもたないはずである。触れた感触ではまだ自分の顔のままのはずだが、心中は穏やかではなく不安でいっぱいであった。醜いと言われることが怖かった。
 自分の顔が本当に昔のままなのか知りたい。ワタシは夜更けに歩く参拝客にあえてすれ違った。意味ありげに目線をやると、それはワタシに気づいて近寄ってきた。

「美しい女性だ。是非私と死せる時まで共に歩みませんか」

 下らない誘い文句に呆れて笑いが込み上げた。

「生憎。ワタシはとうに死を迎えている」
「じゃあ終わりだな!!」

 相手は大きな声で笑いだして元の道を歩いて行った。酔っ払いだ。
 全く。ばかばかしい。死が愛の終着点だと誰が決めた。死んだ後も共にいたいのはワタシだけか。
 イザナギはもう気づいているだろう。ワタシが地上に再び姿を現したことを。我が子である島たちはワタシが踏みしめる度に歓喜に震えている。大地の異常からヒミコもじきにワタシが地上に戻った事に気づくだろう。イザナギめ、震えて待つが良い。
 だがその前に用を済ませなければならない。
 ここ数ヵ月、黄泉から地上の景色が見えなくなった。冥府六傑と連絡を取り合うことは出来なかったが、彼らはワタシが指示せずとも各々で考え動くので心配はいらない。なのにワタシは落ち着かない毎日を過ごした。ここにいる亡者たちではワタシの心を満たしてくれない。ワタシはずっと、直接イザナギに会ったらどう詰るかばかり考えて孤独を誤魔化した。
 いくつかある黄泉への入口周囲であれば地上の様子は窺うことが出来たが、いつも静かだった。誰もが黄泉を忌避して入口に近づこうとする者などいないからだ。
 それが熊野の扉だけが賑やかになり、ワタシは時々その様子に聞き耳を立てた。オダノブナガへの感謝ばかりで気分は良くなかったが、外の情報を繋がりを得たいが為に聞いていた。それが偶然、偶々、丁度聞き耳を立てた時に「カグツチ」の名と声が聞こえた。この黄泉へ来ようとしていたがさせるわけにはいかない。亡者に見張らせ、何かあればワタシに報告するように言いつけた。それでワタシはカグツチと他三名が黄泉を目指し、この扉を開けようとしていることを知った。とはいえ、黄泉の扉は現在ワタシですら開けられない。この数ヵ月試して駄目だったのだ。なのに、小娘は外からこじ開けた。驚異的な力だと警戒して対峙したにも関わらず、ワタシに不意を打たれる程度の子供だった。
 この辺りは随分変わった。昔は一日中静かな地域で、一抹の寂しさがあってワタシは好きだった。それが今では参拝客で大いに賑わい些か騒がしい。その賑わいもオダノブナガへの感情ばかりでワタシへの畏れはなく信仰の力は得られない。オダノブナガという人族は敵ながら良い動きをする。直接戦でぶつかるとなるとワタシも無傷では済むまい。
 宿の入口で尋ねると、ワタシの知らない顔が現れて四人が宿泊する部屋を教えてくれた。勝手に宿泊客のことを教えるとはまるで警戒心がない。昔の女将ならばそんなことはなかった。聡明で客に安らぎを与えることを何よりも大切にしていた。思い出は空しい。ワタシはどこにいても置き去りだ。
 教わった部屋の中からカグツチの霊力を感じた。間違いない。ワタシは心を鎮めて、襖の前で声をかけた。

「夜分遅いが、そなたらに用がある」

 殺気が溢れ出てきた。澄み切った良質な殺意だ。

「……入れ。自分で開けて。そして名乗れ」

 若々しい声に従い襖に手をかけゆっくりと開けた。中には三人。子供が刀を構えている。一分の隙もない。警戒心の強さにふと不安が過ぎる。ワタシは今、醜い化物として対峙しているのだろうか。いや入る前に何度も確認したのだからそれはない。これは敵に対するごく当たり前の警戒心。落ち着いて、対処する。

「ワタシは……」
「……イザナミ、か?」

 気づいたのはワタシの最後の子だった。直接顔を見たのは初めてで、ふつふつと感情が沸き上がった。だがしかしその全てを押し殺し冥府六傑として頷いた。

「いかにも。ワタシが冥府の王であり、冥府六傑を束ねる長であり、八百万界の島々と神々を産んだイザナミである」
「女の子。どうしたの」

 少年はワタシが神々の母と知って尚刀を向ける。迷いがなくて良い。

「主宰神の代理として黄泉に囚われている」

 人の子は口よりも刀の方が雄弁なようだ。並の使い手ではない。これはナオトラでも手こずるだろう。

「忠告だ。小娘に黄泉の食べ物を食べさせてはならぬ。二度と地上に戻れなくなる。今なら黄泉への行き来が、」

 二太刀目も受けた。仮初の身体は動きが悪いが、この程度ならば気づかれまい。

「ワタシの相手をする間にも子供は腹を空かせるかもしれないが良いのか」

 黒髪の子供はワタシへの殺意を絶やさず刀を収めた。

「僕は主《あるじ》さんの所へ行く。二人は好きにして」

 人の子は障子を開けると二階から躊躇いなく飛び降りた。他二人はワタシから目を離さないが、武器を取る様子もなければ口を開く様子もない。

「……ではな」

 ワタシは宿を後にした。
 カグツチとは最後まで目を合わせなかった。出来れば会いたくなかった。会って我が子に生じる感情が憎しみであって欲しくなかった。ワタシの為に命を捨てる覚悟を目の当たりにした時には、嘆きと怒りが同時に湧いた。
 どうかワタシを気にかけないでほしい。比べてしまう。どうして身を賭して救おうとするのがイザナギではないのか。カグツチがワタシを想うだけ、奴への恨みが増していく。
 厩で馬を盗み夜を駆けた。
 空には月がある。美しく懐かしい。黄泉には太陽も月もない。ワタシの空には二度と浮かばないものと思っていた。
 熱田神宮への道中は比較的安全なものだった。野盗程度では相手にならない。ワタシはひたすらに熱田神宮へ馬を走らせた。

「コノハテング。そなたが一番乗りだな」

 次の日には冥府六傑たちが合流してきた。

「本物のイザナミさまだ!! ようやく地上に出れたんだな! やっぱりナナシは約束を守ったんだ!」
「約束?」
「そう! あいつを捕まえる時返り討ちにあっちまって、一方的に約束させられた。大人しく待ってろって。本当に叶えてくれた!」

 コノハテングは始終嬉しそうに語った。あの娘は小賢しくもワタシを思い通りに動かそうとしていたが、既に冥府六傑たち約定を結んでいたようだ。そんなこと判らなかった。あの時生意気な口車に乗り、友好的態度を示していればワタシは今頃身体を得られていた。……と、考えた所で後の祭りだ。ヤマトタケルがワタシに協力するようには見えない。

「イザナミ様。御命令を」

 ハットリハンゾウが跪いた。

「熱田神宮周囲を探ってくれ」
「了解した。現時点で得ている情報を述べると、表向き修理中とされる熱田神宮の中身は悪霊が乗っ取り、オダノブナガに押さえられている。神器である草薙剣はヤマトタケルが所持したまま逃走」

 ワタシが聞かされた情報と変わらない。

「イザナミ様、熱田神宮へは何故行かれるのですか。確かにイザナミ様が裏で悪霊の手引きをしたという噂もありますが、多くの噂の内の一つでしかありません。放っておいてよろしいのでは」

 テンカイの言葉に静かながらハンゾウとヒミコは同意をしている。ナオトラは静観。コノハテングは判っていないようだった。

「この身体は長くは持たぬのだ」
「でもナナシが一血卍傑をしたんじゃ」
「身代わりにしただけだ。ワタシは未だ死者のままなのだ」
「黄泉から出られるなんて一歩前進だね」

 と、ナオトラが微笑むとワタシも同じく笑った。

「最終的には一血卍傑させる必要がある。その為には熱田神宮の悪霊を斬らねばならぬ」
「なるほど。イザナミ様の御心は理解致しました」

 それ以上の質問はなかった。気になっているはずだ。熱田神宮と一血卍傑に何の関係があるのか。不可解であってもワタシの決定には付き従う。
 冥府六傑は契約で成り立っている。彼らはワタシが願いを叶えるならば、ワタシの願いも叶える。目的の為に集った一時的な仲間たちであるが、ワタシにとって彼らが唯一の繋がりで、蜘蛛の糸だった。







 四人で来た時はびくともしなかった黄泉の岩戸が、カグツチとヌラリヒョンを前にすると引き戸のようにすんなり開いた。その隙間を狙って白い足が三本ある烏が黄泉へ侵入する。

「八咫烏……導きの神獣だ。まさか道案内してくれんのか? 上等じゃねぇか。オラァ!」

 烏に続いて迷いなく黄泉へと走って行く。ヌラリヒョンは入口で佇んだ。神獣である八咫烏がここで現れたのはきっと中に囚われている子供のせいだろう。通常ではあり得ないことが、あの子供の周囲では当たり前に起こる。

「其方の歩む道をこの老いぼれも信ずるとしよう」

 意を決して死後の世界へ足を踏み入れた。中は暗いが夜目が効くヌラリヒョンは迷わず歩く。きっと少女は苦労しただろうと窺えた。そのうちに足元に発光する苔が現れ、街並みへの道筋を照らした。
 街並みは地上と変わらない。少女の言う通り、黄泉はおどろおどろしいものではなかった。安堵したのも束の間、町の住民たちは人の姿をしていたが生気はなく土気色をしていた。きっと少女は怖がったことだろう。さてどこへ向かおうかと様子を伺っていたが、よく聞いた怒鳴り声で大体察した。

「ばっかじゃないの!!!?」

 白いもやが立ち昇る所にモモタロウがいた。どうやら温泉で、名の無い子供が浸かっているのが見えた。

「だって、疲れただろうからって勧めてくれたんだもん!! どうせここから出れないなら温泉浸かってのんびりしたって良いでしょ!!!」

 二人とも懲りずに仲良く喧嘩をしている。

「えっ、ヌラリヒョンさんまで!? でも……」

 心配そうな顔をするのでヌラリヒョンはいつも通り微笑んだ。

「其方の言う通り、黄泉も存外上と変わらぬなあ」

 軽く言うと途端に笑顔になった。子供はヌラリヒョンが笑うとよくつられて笑う。それを見ると、ヌラリヒョンは本当の意味で笑うことが出来た。

「オマエ! ばっかじゃねぇの!??!」

 二度目。カグツチと再び繰り返す言い争いを見ながらヌラリヒョンは肩を竦める。いつも元気なことだ。

「でも皆してこんなところまでどうしたの? あ、いや、嬉しいんだけど、どうして私が黄泉から出られないって判ったの?」
「イザナミがオレたちのとこに来た。オマエんとこに行けって」
「そう、なんだ」

 と平坦な口調で答えると首まで湯に浸かった。思案しているようだった。

「イザナミと直接話してどうだった……?」

 不安げな顔をして聞くカグツチに、ナナシは少し悩んで言った。

「んー、まあまあ良い人だと思う。最初は無事に黄泉から帰そうと庇ってくれてた」
「それがどうして真逆のことになるわけ!?」
「地上への外出が叶いそうだったからでしょ。六傑たちの目的もそうだったし、外に大事な用でもあるんじゃないかな。だから待ってればそのうち帰って来るよ」
「そのうちっていつ!?」

 答えの代わりに首を傾げた。その呑気さが従者を苛立たせる。

「あ。折角だからカグツチさんも温泉入ってみる? 熊野は火山はないけど、地中からの熱水が地下水に混ざって良い感じの温水になるんだって。だからこの地域は温泉が多くて、でも塩っぽいって」

 モモタロウは仰天していた。少女は混浴を好ましく思っていなかったからだ。今更だが湯浴み着一枚の年頃の女を三人で囲う状況はいかがなものか……ただ今更過ぎて言い出しにくい。

「気い遣うなって。オマエが待つてtんならオレも待つ」

 カグツチはイザナミに会ってからどことなく沈んでいたが、ナナシと言葉を交わす都度明るくなっていた。
 上空に八咫烏が現れ、ナナシの上に梨を落とした。その光景を見て、気づいた。

「其方はここで何かを口にしたか」

 責めるような口調に驚いたのか、しどろもどろに答える。

「い、いえ……。だって晩御飯食べたばかりですし……お腹もそれほど……。あの……どうしました?」
「黄泉の物を食べるとここからずっと出られなくなる。らしいよ」
「ええ!?」
「イザナミってひとが悪いよね。いかにも神様って感じで身勝手過ぎ」

 カグツチは黙っていた。それを見て、モモタロウはばつが悪そうにそっぽを向いた。

「逆じゃない? わざわざ伝えてくれたんだよ。黙ってることだって出来たのに。ね?」

 カグツチの方を見て、力強く微笑んでいた。
 そんなやりとりを眺めるヌラリヒョンは、少女が少しずつ思慮深くなり、黄泉に囚われた自分よりも他人を気遣う様子に成長を感じていた。
 騒ぐ三人を微笑ましく見ていると、何処からともなくヨモツシコメが現れ、少女に近づくと聞き取れない言葉を発した。

「そんな。すぐにのぼせませんって。……ああ、はい出ます。出ますから。ごめんなさい。皆しばらく別の場所見ててもらえると助かります」

 回れ右をした三人は、ヨモツシコメの身振り手振りに従い、離れに連れて行かれた。茶を出されたが誰一人として呑まなかった。

「すみません。遅くなりました」

 少女は見慣れた運動着ではなく巫女装束を纏っていた。全員が珍しいとじろじろ見た。

「あ。これ、イザナミさんに仕えていた神官の服だそうですよ。……以前は手厚く祀られていたとお聞きしました」

 カグツチの顔に影が差した。

「ヨモツシコメさん着付けまでありがとうございました。……。いえ。お茶が嫌いなのではなく……はい。気持ちだけ頂きますから。よくしてくれてありがとうございます」

 頭を下げるとヨモツシコメは退室した。いつもの四人となり、空気が一気に弛緩した。

「つかオマエ、アイツがなに言ってるか判んのか?」
「判らない訳ないでしょ。標準語だし声の大きさも普通なんだから」
「では其方、黄泉の住民たちをどう見えた」
「みんな地上と全然変わりませんよね。月や星がない空がなければ見分けつきませんよ」

 どちらも本気で言っていた。

「やっぱ根本的に違うんだな。オマエ」
「……。な、なに……みんなして……」

 不満げな顔で口を尖らせた。

「とにかく、皆さんは地上からはるばるこの黄泉に来て下さりありがとうございました。私は食べ物の事以外問題なさそうだから、皆は宿に戻ってゆっくり休んで。心配させてごめんね」
「緊張感無さ過ぎない? ここ黄泉だよ? 死んだ人間が行く場所だよ?」
「景色以外何も変わらないよ。それに、聞いたけどここには悪霊はいないんだって。黄泉の出入りも私が任意に選択出来るの。だから地上より安全だと思うよ」

 一番少女を心配していたモモタロウもこれには説得され、三人は地上へ戻った。
 日中は参拝者の話を聞きまわり、イザナミが消えたことを知られていないかを警戒して回った。
 夜は人目を忍んで黄泉のイザナミの屋敷へまっすぐ向かった。

「こんばんは。皆大丈夫だった?」

 三人を出迎えたナナシの肌はいつもと違って艶があり、道中ボサボサになりがちな髪はきっちりとまとめ上げられ、着物は小紋ながらも装飾が繊細な帯で留め、普段雑に着ているものとは明らかに格が違った。馬子にも衣裳と言うが、それっぽく扱えば、野原で拾われたナナシもそれなりに見えた。

「なんだか納得いかないんだけど……」

 そう言って日中入念に手入れをした刀を下げている。

「まあまあそう言わずに。八咫烏さんが桃くれたよ。あげる」
「ふうん。良い貢物だね」

 機嫌は秒で直った。

「困ったことはないか。なんでも言うと良い」
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫。身の回りのことは全部シコメさんがしてくれるので、何不自由ありません。してくれ過ぎてお金持ちになった気分です」
「なら良かった」

 ナナシはすっかり黄泉を満喫している。

「カグツチさん、イザナミさんのこと色々教えてもらったよ。聞く?」
「聞きてぇ! でも本人がいないとこで良いのか?」
「困るようなことはシコメさんも話さないって」
「それもそうだな!」

 ナナシの話からろくに知らない母親の普段が見えた。今までは自分が殺したことばかり責め立てられ生前の様子はよく知らない。それがナナシの口からは、規則正しく寝起きすること、食事の仕方が綺麗なこと、唐突にイザナギを思い出して素振りを始めることなどが語られた。
 母親が黄泉で慎ましくも元気に生活する話はいつまでも聞いていられそうだった。

「……」

 イザナミに関する話を終えたナナシは動きを止め、モモタロウをじっと見た。

「何。桃はあげないよ」
「ちょっと、警戒して欲しい。今から来るよ」

 顔を引き締め即座に刀を抜いた。二人も同じように武器を取り周囲に気を払う。ヨモツイクサたちも門に集い侵入者に備えた。光の粒を散らしながらやってくる眼光の鋭い男は一列に並ぶヨモツイクサの前を堂々と歩いて門を通過した。屋敷の入口には三人の英傑が並び、その後ろにはナナシが立つ。

「もう黄泉の主気取りか」
「適応したまでです」

 ヤマトタケルの手にある草薙剣が火を纏い、無造作に振るった。モモタロウはナナシを庇うように前に出たが、切っ先はそれより程遠い空を斬った。

「やはり斬れないんだな。いや草薙剣が斬ろうとしない。だからこそお前がなんなのか確かめる」

 モモタロウは速かった。まず主を敵から離すことを狙い渾身の力でヤマトタケルを斬った。後ろへ大きく飛んだヤマトタケルに間髪入れず斬りかかる。

「どけ。子供の遊びじゃないぞ」
「子供かどうかは試しなよ」

 門を出れば殺風景な平地が広がっていた。そこへ誘導して主の安全を確保した上で戦う。

「よっしゃ、オレも加勢するぜ」
「邪魔しないで!!」
「何がだコラァ!」

 やいやい言い合いする二人と対照的に、ナナシとヌラリヒョンは縁側に腰掛けた。ヨモツシコメがそっと茶を置いていくが勿論手はつけない。

「ヌラリヒョンさん、私と離れちゃ駄目ですよ。危ないですからね」
「やれやれ。年寄りへの気遣い痛み入るぞ」

 軽口を叩き合いながら、ヤマトタケルの動きを注視する。

「あの方、ヤマトタケルさんと言います。なんでも熱田神宮が悪霊に占拠されて原因であるイザナミさんを斬りに来たそうで。でもイザナミさんは悪霊を操ってないらしいし、今もよく判ってないです。一血卍傑にあのひとが必要なのでなんとか手を貸してもらいたいんですけど……」

 モモタロウは互角の戦いをし、カグツチは懸命に応援とヤジを飛ばしている。

「其方は自分が独神だと思うか」
「判らないです。だからこれで確かめられるって下心もあるんです」
「なるほどな」
「本物だったらどうします?」
「ふむ……。そうだなあ。その時は其方を……」

 ヌラリヒョンは意味ありげに口角を上げた。

「……なんですその思わせぶりは。教えて下さいよ、お願いします」
「暴いてみると良い」
「じゃあ私も秘密を一つ教えます!」
「果たして儂の秘密に見合ったものか見定めてやろう。まずは話してみると良い」
「えっと…………わた、って!! それ私にだけ話させる気でしょ。駄目ですからね」
「引っかからなんだか」

 もやもやとして悩んでいる姿が面白くてつい揶揄ってしまう。悩みと苦しみは若者の特権である。それを間近で見られることは良い暇潰しになっていた。

「ちょっと!!!! 人に戦わせておいてベタベタしないでよ!!! だったらヌラリヒョンさんが代わりに丸焦げになりなよ!!」

 神炎を避けながら二人に怒鳴り散らしている。余所見の隙を当然ヤマトタケルが逃さず突いてくるが、それも軽やかに避けた。

「……真面目に見ましょっか。せめて」
「そうするか」

 戦闘に集中させる為にも二人は今度こそモモタロウの成す様子を見ることにした。

「火って厄介ですよね」
「幸い火の神と戦った経験がある。小僧は若い故伸びしろはまだまだ存在する。この勝負も心配はしておらぬよ」
「こう言っちゃなんですが、人族ってなんでも不利じゃないです?」
「その人族が神や妖に盾突き、勝利してきた歴史も数多存在する」
「人の利点って何です?」
「……しつこさ。いや適当に言っただけだ」

 少女は「へー」と何も判らないまま相槌を打った。歴史については無知でヌラリヒョンの言葉の重さに気づくことが出来ない。

「(一度の敗北で主《あるじ》さんを失う。この程度の相手に負けていられない)」

 モモタロウは神経を集中した。ヤマトタケルは受けきる構えだ。

「……はっ」

 連撃。速さでは上回っている。ヤマトタケルは何度もかすり傷を負うがそれだけである。草薙剣が纏う神炎が傷を軽減していた。ヤマトタケルの思考に合わせて動く神炎にも気を配り、モモタロウは一人で二人と戦っているようなものだ。
 何度目かの斬り合いで、草薙剣がモモタロウの胴を薙いだ。

「……! モモタロウくん」

 顔をこわばらせて立ち上がるがヌラリヒョンが制止する。

「出て行ってはならぬぞ」

 今にも飛び出しそうなカグツチを指差しながら言った。向こうも身体から炎を漏らしながら耐えていた。

「其方がそれでは、モモタロウも恰好がつかぬ」
「私が助けたってかっこ悪いことないでしょ! 怪我なんてしたら」
「とにかく其方は大きく構えて見るのが義務だ」

 肩を押して強制的に座らせた。はらはらとして見るナナシにヌラリヒョンはそっと息を吐く。

「(これでは小僧も骨が折れるな。しかし主に心配させるようでは従者失格だぞ)」

 ナナシは前のめりになりながらも成り行きを見守った。

「……不安になってきました。戦いに絶対はないし、もし死ぬことになったら」
「英傑に死はない」

 ヌラリヒョンははっきりと伝えた。

「黄泉の景色を見ることは英傑には叶わぬことだ。儂も其方がいなければ知る由もなかった。死しても何かのきっかけでまた地上へと戻り続けるのだよ」

 ナナシの視線がモモタロウからヌラリヒョンへ移る。

「生を繰り返すには飽き足らず長寿ときた。儂に終わりはない。英傑とその他の違いはなんなのだろうな。……仮に、其方が独神として、儂らと同じく生を繰り返すのか。あるいは……其方には、終わりが用意されているか」

 ナナシはヌラリヒョンの手を握った。無意識に爪を立て、強すぎるほど握る。ヌラリヒョンは口を滑らせたと冷静さを取り戻した。

「今の話は忘れて良い。つまらぬ話だ」
「終わりません。八百万界の生活が終わるなんて嫌です、困ります」
「それを決めるのは、儂ではない」

 どうして、と縋る視線にヌラリヒョンは応えられなかった。
 甲高い金属音を耳にした二人は弾けるようにモモタロウを見た。

「……子供に負けた気分はどう?」

 ヤマトタケルは地面に尻をつき首には刀が突き付けられていた。

「モモタロウくん!!」

 ナナシが駆け寄るとまず叱られた。

「君なんなの。人が斬ったはったの最中にベタベタして」
「ベタベタはないけど、モモタロウくんが負けるなんて(最初は)思ってなかったし!」
「ふうん」

 その答えにモモタロウは満足そうだった。

「……認めてやる。だから刀を下ろせ」
「口のきき方がなってないんじゃない」
「モモタロウくん勝負がついたんだからやめてよ」

 嫌々刀を下ろした。

「あの。熱田神宮の話、聞いても良いですか?」
「言った通りだ。俺が寝ている間に周辺では妙な雰囲気に満ちていた。あとはあれよあれよと悪霊が内部に入り込んで草薙剣を奪いに来たがそれはここにある。だが神宮自体は抑えられた。今はオダノブナガを象った趣味の悪い像が置いてある。信者たちはの信仰は全てオダノブナガに集まっている。俺は本来の力の十分の一も出ない。万全の俺が相手でなくて命拾いしたな」

 カチンときたモモタロウが飛び出そうとするので、カグツチが抑えた。

「オマエ、ここに何しに来た。イザナミに何の用だ」

 口すら開かない。カチンときたカグツチが炎を出そうとするのでナナシが遮った。

「えっとですね。少々ご相談がありまして」
「一血卍傑だろ」

 何度も頷いた。

「一度だけ試してやっても良い。お前の力を示してみろ」





(2023.02.16)