自本殿の話 二〇一八年一月


*1/1

 早朝、独神の執務室入口には紙が一枚貼られていた。

「着替え中により入室禁止」

 一番に独神に挨拶をと思った英傑たちは、それを見て踵を返した。
 そして、全員が揃う朝餉の時に、独神は初めて姿を現した。

「旧年中はひとかたならぬご厚誼を賜り誠に有難う御座いました。
 本年も何卒宜しくお願い申し上げます」

 普段は巫女装束に似た簡易な装いであるが、ハレの日の今日は違った。
 幾重にも着物を重ねた色彩豊かな豪奢な装い。
 髪は結い上げていくつも簪を刺し、化粧で彩られた肌は白く唇には紅がひかれていた。
 独神が持つ底知れない魅力が、暴力的なまでにひしぐ。
 毎日独神と生活を共にし見慣れているはずの英傑達が思わず息を飲むほどに。

「……今年も沢山の困難が待ち受けている事でしょう。
 未熟な私では御座いますが、どうか八百万界の為に手をお貸し下さい」

 頭を下げる独神に、英傑たちは口々に賛同した。
 口元の紅が横に広がった。

「皆様、どうも有難う御座います。
 それじゃあ、堅い話はこのくらいにして、そろそろ乾杯と致しましょう」

 太陽が頂へ上がりきってはいない中、英傑たちと独神は盃を上げた。
 今年こそ悪霊たちから平和な八百万界を取り戻す事を誓って。

 楽しむ英傑たち一人に一人に独神は酌をして回った。
 基本的には酒だが、悪霊の侵攻に備えて酒を呑まぬ者には茶を注いだ。
 その中の一人が、伊賀流忍者のモモチタンバだ。

「昨年は本当にお世話になりました。
 今年も無茶を言うだろうけれど、宜しくお願いします」
あるじ殿の求めに応じるのが忍。構わず使ってくれれば良い」

 いつでも出陣出来るよう普段と同じ忍装束のモモチタンバは丁重に茶を飲んだ。
 まだ独神として動き始めたばかりの頃からいる英傑の一人であるモモチタンバ。
 その分、二人の間にある絆は深い。
 独神はモモチタンバには少々甘えて無理を言うと、その都度成果をもたらした。
 しかしモモチタンバは独神に特別なものを求める事はない。
 どんな時であれ、忍として在り続けた。

「あなたのこと、尊敬するわ」

 独神は会釈をすると、次の英傑への酌へ移った。
 モモチタンバはそんな横顔を見ながら、薄く微笑んだ。



*1/2

 元旦とは違い、本殿の英傑は数少なかった。
 信仰の対象となる者は自分を祀る場所へ。
 元住んでいた地へ戻って残してきた者と交流する者。
 独神への義理事は果たしたと自由を謳歌する者。

 入れ替わりに、各地の神人妖が独神への挨拶に訪れていた。
 華やかな衣装に身を包み、献上品を携えた者達で賑わう所を切り取ると、災厄や悪霊に土地を奪われ、親しい者を殺された者達とは微塵も感じない。
 ほんの一時の平和であった。しかし。

「この世こそが地獄か……」

 正月早々、アシヤドウマンは絶望を味わっていた。
 今年の干支は戌であるが故、多種多様な戌や戌の造形が本殿に持ち込まれたからである。

「こんな時は主人あるじびとに癒されたいが、犬畜生たちに囲まれている。くっ、どうすれば……」

 独神は里帰りをしたヌラリヒョンと御伽番を交代したヒカルゲンジと共に、来客の相手をしている。
 応対は今日だけでなく、明日以降も続くだろう。
 疲労困憊の独神の貴重な時間を奪う事は忍ばれる。
 よって、一人で耐えるしかない。

「このオレが泰平無事を願う時が来るとはな……っ、アベノセイメイめ」

 未だ本殿で会わないアベノセイメイに対し八つ当たりをしながら、
 アシヤドウマンはひっそりと部屋に閉じこもった。



*1/3

 元旦の宴後、シラヌイは海へ帰っていた。
 三が日の間漁は休みなので、船のいない海はがらんとしていた。
 そんな海を一人で眺めていた。

 左右に延々と続く水平線。
 昔はこんな景色ではなかった。
 魚島と呼ばれる島が視界の右の方に存在していた。
 島と言っても実際は大岩であり、形がなんとなく魚の様だからと、シラヌイが勝手に名付けたものだ。
 名前を付けると愛着が湧くもので、シラヌイは気が向けば魚島のある海を眺めていた。
 だから新年を迎え、これからも粉骨砕身の気持ちで臨もうと、奮起する為に今日ここへ訪れたのだ。

 しかし、魚島はなかった。
 聞けば、最近の悪霊の襲来で崩れてしまったらしい。
 今は綺麗な砂浜だが、長い間腐敗した魚や船の残骸、漁師と悪霊の死骸と惨憺たる有様だったそうだ。

 悪霊討伐に参加し、各地を回るようになってから類似の出来事は何度もあった。
 その時も胸を痛めてきたが、自分の身に降りかかった今、更に痛んだ。
 大好きな独神の事を考えていても、ぽっかり空いた胸の内が塞がらない。
 嘆いても嘆いても、大好きな景色は戻ってこない。
 今後もまた、景色だけでなく、人も物も土地も、無くなってしまうのだろう。



*1/4

 本殿の一角の霊廟で普段、アカヒゲは人族英傑を中心に治療を請け負っている。
 この正月は遠方からきた客人の手当てや治療も行っていた。

 そんな中、ウカノミタマがきた。

あるじさまはね、今日もた~くさんご飯を食べてたんだよ」
「そうか。そりゃあ良かった」

 と、アカヒゲは答えた。
 次に、ヤマオロシがきた。

「ゴシュジンは今日もネギを食べてたぜ」
「普通だな」

 と、アカヒゲは答えた。
 次に、エンエンラがきた。

「木の上からぬしを見ていたけど、立ちくらみ……かな、あまりよくないようだったよ」
「夕餉の献立は消化の良いものにして、肉や魚、卵をもう少し増やすか」

 と、アカヒゲは答えた。
 次に、イバラキドウジがきた。

「シュテンドウジ様の買い物ついでに、蜜柑を買ってきた。かしらにどうだろうか?」
「身体を冷やすかもしれないな。そのままではなく加工した方が良いだろう」
「わかった」

 と、アカヒゲは答えた。
 次に、クツツラがきた。

「さっきのぬしの髪が今朝よりも乱れていたんだ……」
「それはタマモゴゼンやチヨメ、クシナダヒメとかに結い直しを頼んだ方が良いと思うぞ」

 と、アカヒゲは答えた。
 次に、フウマコタロウがきた。

「独神ちゃんは朝餉も昼餉もちゃんと食べてたし、昨日も少し遅かったけど寝てたよ。
 あ、勿論、僕の裏をかいてコッソリ起きて仕事をする事もなかったよ。
 ああ、でもお風呂は長かったな。その割にいつもより身体を洗うのは短いし」
「寝ているなら良かった」

 と、アカヒゲは答えた。
 フウマコタロウは続ける。

「今朝の化粧は念入りだったな。目元なんて昨日より時間がかかってたし」
「やっぱり疲れは取れてねえのか。もう少し休憩させるように光る君に伝えるか」
「じゃあ僕が言ってくるよ」

 フウマコタロウの気配はすぐになくなった。
 次から次へと来訪する英傑たちに、偶々来ていたコノハテングは目を丸くした。

「大変なんだな……」
「そうさ、頭領さんは色々大変なんだよ」
「あんたもだよ」
「おれ? おれは医者だからな」

 普通の事だとアカヒゲは、当然のように言った。

「俺、あんたの為に何か出来る事あるかな?」
「ははっ、そこは頭領さんじゃねえのか」
「勿論ぬしさまもだけど、今はあんたの力になりたいんだ」

 コノハテングの申し出に、アカヒゲは子供を見るような眼差しを向けた。

「なら、フウマのにいちゃんに風呂と就寝時くらいは一人にさせてやれ、って言っておいてくれ」
「ああ、任せとけ!」

 風と一体化したような速さで、コノハテングは消えた。
 その後まもなく、コノハテングとフウマコタロウがやり合うのだった。



*1/5

 新年のあいさつにと独神の元に訪れる者は後を絶たないが、世間は平和とは程遠い。
 晴れやかな着物を纏い、美味な料理に舌鼓を打っている間にも悪霊は襲ってきている。

「そろそろぬしも独神業務に戻るべきなんじゃねえの?」

 と、作戦本部(正月限定)の座布団の上で前後に揺れながらカグツチは言った。
 未の刻担当の作戦司令であるミチザネは、地図を見つつ気だるげに答えた。

「強大な悪霊に立ち向かうのは我ら英傑たちだけではない。民もまた立ち上がるべきだ。
 その為にあるじ殿は馬鹿丁寧に応対し続けている。政治もまた戦よ」
「わあーってる! けど! なんかこう! むずむず! すんだよ!」
「馬鹿か……童じゃあるまいし」

 ここは八畳ほどの部屋であり、今はミチザネとカグツチの二人しかいない。
 程度を弁えない大声はよく耳に響く。

「ガッとやって、パッと結果が出ねえと、オレにはよく分かんねえし」
「馬鹿に教えても仕方がないな。もう俺に聞くなよ」
「なんだよ! 馬鹿馬鹿ってうるせえよ!」
「馬鹿なのだから馬鹿と言われても仕方あるまい。さっさと諦めることだ」

 カグツチの感情に合わせ、周囲の空気が揺らいだ。
 酸素がパチパチと音をたて始めるが、ミチザネは治め方を知っていた。

「主殿に面倒をかけるつもりか」

 その一言でまた静かな部屋へと戻った。
 カグツチは放出できなかった怒りを不満気な顔で訴えている。
 素知らぬ顔でミチザネは持ち込んだ書物を手にした。
 知能指数が違う者とはどんな種族であれ、極力会話をしたくないのだ。
 一方的な睨み合いの最中、廊下がミシミシと軋み、こちらへ近づいてきた。

「失礼。入るわね」

 二人は一瞬息を呑んだ。

「少し時間が出来たから来ちゃった」

 現れたのは独神だった。険悪な空気はあっという間に散乱としていく。

「ミチザネ、悪霊の様子はどう。人手は足りている?」
「抜かりない。我らの采配で治められている」

 小さく頷いた独神は、むすりと座るカグツチに目を向けた。

「ここにいるなんて珍しいわね」
「なんかあったら、すぐに出陣出来る方が良いだろ」
「そうね。カグツチも頑張っているのね」

 独神は着物の袖を抑えながら、カグツチの頭を軽く撫でた。

「あと、ミチザネに差し入れ持ってきたの」

 手にかけていた風呂敷を少し解いて中を見せた。
 全容は見えなかったが、ミチザネは何であるか察した。

「さっき頂いたの。呑兵衛たちに気付かれないように隠しておくからね」

 風呂敷で厳重に包み直し、部屋の隅の重ねられた座布団の間に差し込んだ。

「来たばかりだけれど、もう戻るね。何かあったら遠慮なく来て良いからね」

 用件を手早く済ませた独神は慌ただしく去った。
 そんな来訪者に二人は呆気にとられるばかりだった。
 数秒経ってようやく「独神が来た」という実感が湧いた。

「うひゃひゃ! なんかやる気出て来たぜ!」
「仕方ない。今宵の春告草の為、人事を尽くそう」



*1/6

 外の桶の水は凍り、地面には霜柱が乱立している。
 太陽が高くなってきていても、なかなか氷は溶けない。
 一月六日、冬真っ最中──とにかく寒いのだ。

 鼻歌混じりで軽やかに歩くユキオンナとは対照的に、蛇の妖術使いオロチマルはのろのろと歩いてはしゃがみ込んでいた。

「くそっ……だから冬は嫌いなんだ……。
 頭領……また誰かと会ってやがるし……くそっ」

 独神がいる部屋は必ず暖かいが行けず、機嫌はどん底。
 忍術の訓練をする気にもなれず、暖かい場所を探していた。

「蛇、お前も探せ!このままじゃ俺たち冬眠しちまうぞ!」

 にょろりにょろりと、蛇も這うが速度は遅い。
 遅いながらも、蛇はとある部屋まで行くと中へ入っていった。

「見つけたのか!」

 オロチマルは無遠慮に襖を開いた。

「……なんだここ」

 八畳ほどの部屋には、英傑と炬燵でみちみちしていた。
 まず、炬燵で寝ているゴトクネコとネコマタ。
 他にはマカミとイヌガミ、フセヒメとヤツフサ、シロ、ビャッコ、オトヒメギツネ、テッソ、それに、手を繋いで丸くなるアギョウとウンギョウがいた。
 どの英傑も布団やら座布団やら、ヤツフサの毛に埋もれている。

「うー、ちょっと獣くせぇけど、我慢すっか」

 オロチマルは歩くのに邪魔な英傑は容赦なく転がし、炬燵に足を入れた。
 行く手を阻む先住民の足も蹴って自分の場所を確保する。
 蛇には炬燵布団をかけてやった。
 ここなら炬燵で暖かいし、周りは獣だらけでなんとなく暖かい。
 暖を取るだけで寝るつもりは無かったオロチマルだが、そのまま眠りに落ちた。

 起きた時には、ヤツフサ会長の下、この"獣の会"に入会した。
 蛇は獣ではない、と野暮な事を言う者はいなかった。



*1/7

「寝ているの?」

 八咫烏が煩くて外で寝ていれば、耳には独神の声が響く。
 ササキコジロウは気付いていないふりをした。

「カァくんが追い出したと言っていたけれど、まさかこんな寒い中寝るなんて……」

 呆れているようだ。もう少し反応を見て起きるかどうかを決める事にした。

「ねえ、ササキコジロウ。コジロー。コジロウさーん。コジロウくーん」
「な、なんだ、あるじ
「あら、おはよう。ようやく起きたわね」

 普段英傑を姓名で呼ぶ独神が、自分の名を呼んでくれる事は心地良かったが、
 如何せん、羞恥心に負けて寝たふりを解いてしまった。

「風邪、ひくわよ。最近は寒いんだから」
「……主が暖をくれるなら良いんだがな」
「んー……。特に何も持っていないわ。ごめんね」

 深入りはしない。
 つい口にしてしまいそうになるが。
 言ったところで独神は受け流してしまうだろう。
 そして、下手を打たないように距離を取る。
 それが嫌で、不得手であるが辛抱をするのだ。
 独神と出会って堪える事が増えた。面倒だと思うことも多い。

「手なら少しは温かいかもしれないわ」

 差し出された手を、ササキコジロウはそっと握った。
 外にいる間に冷えたのだろう。それほど温かい訳ではなかった。
 だが独神の手を握っている事実に、段々と熱を帯びてくる。

「こんなに冷たい手をして……」

 いっそこのまま手を引いて抱きすくめてしまおうかとも思う。
 呆れた顔が驚きに変わる推移を見たい。
 事故と称してもっと触れてみたい。と、仕える主君に抱くべきでない欲が渦巻く。

「……主、人が来た」

 堪えきれなくなる前に、自分から手を引いた。
 独神を困らせたくも、傷つけたくもない。

 独神は木の後ろに隠れているナキサワメへ向かったが、途中振り返って言った。

「そこで寝ると風邪をひくから、私の部屋にいらっしゃい。
 執務室の暖気で多少は他の部屋より暖かいから」

 思ってもみない申し出だった。
 またとない機会を逃さない手はない。

「その好意、有難く受け賜わろう」

 独神自身が自室に呼んだのだ。多少の戯れは許してもらわねばなるまい。
 一度は身を引いたのだ。危機感が無い事はもう言い訳に出来ない。

 遠征帰りのナキサワメを休ませた独神は自室に行くため執務室へ。
 すると、タマモゴゼンが出迎えた。

あるじ殿。このわらわを待たせるとは酷いお方じゃ」

 胸やけを起こす甘い声音だったが、ササキコジロウを見ると目を細めた。

「……此奴はなんぞ」
「外で寝ていたから連れてきたの。部屋を貸そうと思って」

 九尾の狐が御伽番であったことで嫌な予感がした。

「蔵にでも転がせておけばよかろう。主殿の──女の部屋に入るとは無礼な」
「まあまあ。近くにいてくれる方が私も心配せずに済むから」

 独神は立腹する狐をいなして、ササキコジロウを自室に連れて行った。
 壁一枚越しにタマモゴゼンの視線が嫌でも突き刺さる。

「(心地は悪いがまあいい。襲われるのは面倒だが、そう簡単に仕留めさせる気は無い)」
「あ、来客用の布団は手入れに出したんだった……。となると私のしかないのだけれど……どうする?」
「ここで寝られるならなんでも構わない」
「なら少し待ってて」

 疑問が浮かんだのは、返事をした後だった。
 せっせと甲斐甲斐しく働く独神に今更何も言えず、黙っていれば布団は敷き終わった。

「どうぞ。私は隣の部屋にいるから何かあったら言ってね」
「あ」

 すっと、戸が閉まった。
 思っていた状況と違う、と些か困惑したササキコジロウであったが、現状を受け入れることにした。受け入れざるを得なかった。

「(狐が離れ、主がここに来るまで寝ているか……)」

 主のいない布団に軽く頭を下げ、遠慮しつつも布団に入った。が。
 例え火の中水の中……。どんな悪環境であっても寝られるササキコジロウでも、独神が香る布団は寝にくくてしょうがなかった。
 本人がいないのに、まるで隣に──腕の中にいるような錯覚を起こす。

「……」

 ササキコジロウは布団を出て、畳に寝転んだ。
 素っ気ない井草の匂いがさっきとはうってかわって心地よい。
 即座に眠りに落ちた。

 起きた時には朝だった。
 布団の中に独神はいない。寝ていた形跡がない。
 疑問に答えてくれたのは、独神を探す為に出た廊下で会ったタマモゴゼンだった。

「どこぞの不埒者が占拠しておったからのう。主殿にはわらわの部屋を貸してやったのだ。
 女二人の夜はなかなか楽しかったぞ。朝もわらわの腕で子供のように眠る主殿が愛らしくてな」

 やはり、嫌な予感は当たるものだ。
 ササキコジロウは白旗を上げた。

「んふふふ。コンコン♪」



*1/8

 執務室にウシワカマルと入れ違いでヨリトモがやってきた。
 独神は笑みを浮かべて労った。

「お疲れ様でした。どうだった?」
「悪霊は元気なことだよ。今回は根城を見つけてね、全て屠ったから暫くは村の者も安心だろう」
「ありがとう。どうぞ休んで下さい。と言っても、またすぐに討伐をお願いするかもしれないけれど」
「やはり数が多いのだな……。ならば、しばしここで休ませてもらってもいいかな」
「ええ。ならお茶でも淹れるわ」
「いやいや、主君にそんな雑事をさせる訳にはいかないよ」
「いいのいいの」

 作業を中断し、ヨリトモの茶を淹れながら、独神はヨリトモの様子を見ていた。
 変わった様子は見られない。気を乱したのは、ウシワカマルとすれ違う一瞬だけだった。
 独神は平静のまま、お茶を差し出した。

「かたじけない。主君」
「気にしないで。あと、独神と言っても私は絶対権力ではないの。だから堅く考えず同士と思えば良いわ」
「いや……独神は、やはり主君だよ。私が仕えるべき、ね」

 神や妖と違い、大抵の人族は様々な上下関係の構造に縛られる。
 だから独神はそれ以上は言わず、ヨリトモの考えを優先した。
 そして唐突に、抱いた疑問をぶつけてみた。

「弟君とはお話しないの?」

 ヨリトモの表情がいくらか強張った。そしてゆっくりと首を振った。

「ははっ、いやいや申し訳ない。
 この事は私自身の問題でね、主君は手出し無用だよ。アレにも何も言わないで欲しい」
「はい、承知致しました」

 兄弟というわりにあまり関わりが無く、寧ろ避けているような気がしたが、まだ蟠り続けているようだ。
 独神という立場である以上、触れぬ方が賢明である。

「上に立つ者としては、こんな事情を持つ者は使いづらいだろう」

 自嘲したように笑うヨリトモに、独神は否定した。

「いいえ。いざ討伐の場になれば皆役目を果たしてくれるから困った事はないわ。
 それに、感情を持つ者同士の衝突は宿命だから、それほど気にしないかな」
「さすがは独神殿。器が大きいね」

 続けて笑うが、少し雰囲気が変わった事を独神は気づいていた。

「この際だから、少し踏み込んだ事を聞いてみたいのだが、いいかな?」
「ええ、どうぞ」

 試されると判って、独神はどの英傑たちにもしたようにその挑戦を受けた。

「主君は負の感情を抱く時はあるのかな。勿論悪霊以外にだ」
「以外……?」

 計算ではなく、真摯に考える。

「また喧嘩してしょうがないなあ、と思う時はままあるけれど……。
 今の質問だと、少しずれているわよね……。うん……」

 言葉を紡ぎながら、独神は更に自分の心に潜っていく。

「……思いつかないわ。ごめんなさい」
「なるほど。独神とはそういうものか」

 言葉とは裏腹に納得していないようだったので、独神は言葉を足すことにした。

「誤解を招いたかもしれないけど、私はけして聖人君主ではないわ。
 ただ、負の感情は黒船由来の事ばかりだから、表に出す機会が少ないだけで。
 だから私は、英傑たちが思うほど、」
「もういい。それ以上言わないでくれ。すまなかった」

 独神の話を遮るヨリトモに先程の勝気さは無かった。

「失礼な言動大変申し訳なかった。手前勝手だが、この事は忘れてくれ」

 出された茶を一気に飲み干すと、ヨリトモは退室した。
 戻ってくる様子がなくなると、障子の裏からひょっこりとタマモゴゼンが姿を見せた。

あるじ殿、あの男、大丈夫なのかえ。
 わらわがずっと傍に居れば、事が起きても即座に奴を八つ裂きにしてやろうぞ」
「ううん。大丈夫よ。心配しないで」
「そうやって信じるのは主殿の良い所でもあるが……今は好かぬ」

 タマモゴゼンは稲穂のように輝く尾で独神の身体を絡めた。

「心配する主殿の狐を、ないがしろにはしてくれるな」
「ええ、判ってる」

 独神は自分の行いを振り返っては反省した。
 距離を掴むにはまだ時間がかかりそうだ。



*1/9

「おかしら!任務完了だぜ!」

 音もなく戸を開けて、大声で報告するのは、忍んでいない忍のサイゾウである。

「おかえり。お疲れ様。蜜柑食べる?」
「食べるー!」

 忍らしい素早い動きで炬燵の中に入ると、早速机の上の蜜柑を剥き始めた。
 独神は一つ一つ丁寧に剥いて、タマモゴゼンに食べさせている。

「お頭、剥くの手伝ってやるよ」

 と、独神が持って剥いている蜜柑をその状態で剥き始めた。

「これ!わらわの蜜柑は主殿が剥くのじゃ!」
「腹に入れば一緒じゃねぇか。気にすンなって」
「それに、わざわざ同じ蜜柑を二人で剥かんで良かろう」
「だって、こうするとはえーじゃん」
「野蛮な人間め。もう良い。その蜜柑は主殿が食べよ」

 タマモゴゼンは独神とのやり取りを邪魔され、すっかり拗ねてしまった。

「なんだよ。お頭は変だと思わないよな?」
「うーん。ちょっと、びっくりした」
「え。マジ?これって普通じゃねぇの?」
「一般的ではない、かも」
「ちょっと待ってろ!」

 消えた。と思えばすぐに戻ってきた。同じく忍んでいない派手好きのゴエモンを連れて。

「なんだ。お頭、オレ様に何か用かい?」
「オレがあンだよ!」

 一つの蜜柑を二人で剥く話をした。すると、ゴエモンも驚いた。

「するとなんでい。世の中の奴らはしないってのか」
「せぬわ。……全く、忍は品がないのう」

 がばっと、忍二人が同時に頭を抱えた。
 思わずタマモゴゼンの九つの尾が逆立った。

「なんてこったい。オレ様は今まで蜜柑の事をなーんも知らずに生きちまってたのかい」
「お世話になっている蜜柑の事も知らずオレは……。忍として情けねぇよ……」

 大の大人が蜜柑一つで嘆いている。
 そんな呆れて目を覆いたくなるような光景に、タマモゴゼンも少しだけ慈愛の心を見せた。

「そう落ち込むでない。愛しいはずの者の知らぬ面を見つける事はよくあること。
 ……だから面を上げよ。そして二人ではよう出て行くが良い」
「そんなわけわかンねぇこと言ったって何もわかンねぇよ!」

 慰めが通じなかった事で、タマモゴゼンはやはり忍は嫌いだと改めて認識した。
 素直に白旗を上げて場を投げ出す。

「主殿、わらわはあれらを相手に出来ぬ。任せるぞ」

 任された独神は、蜜柑を二つ炬燵机の上に並べて言った。

「とりあえず、食べよっか」
「お、そうだな」
「ありがてぇ」

 二人はさっさと炬燵に入り、懸命に剥きだした。
 ぽんぽんぽんぽん口の中に放っては、新しい蜜柑に手を伸ばす。

「……どの種族も男はいつまでたっても子供じゃ」

 独神を取られた悔しさは消え、ただ呆れるばかりだった。



*1/10

 ツクヨミ、シュテンドウジ、ウシワカマル、サルトビサスケの四人は火山灰から印粉を採取していた。

「これってそんなにいるもの?」

 ざくざくざく。
 ツクヨミは色づいた粉を持ち込んだ袋に詰めていく。

「ああ、あればあるほど良い」

 袋の口を縛りながら、シュテンドウジは答えた。

「そういえばシューちゃんはしょっちゅう錬金堂に配置されてるわね」
「まあな。毎度ヌラリヒョンと組ませやがって……かしらが言うなら仕方ねぇけど」

 毒づくと酒瓶から一口水を呑んだ。
 火山の近くにいる為周囲は熱く、さすがのシュテンドウジも今日は水を飲んでいる。

「四刻(8時間)も労働もさせるしよ。その間食事あり休憩ありってきつすぎだろ」
「でもシューちゃんの事だから、お酒飲んだら終わってるんでしょ」
「まあな」
「なら四刻すら働いてないじゃない……」

 他愛のない話をしながら、二人は作業を進める。
 少し離れた所で黙々と作業をするサルトビサスケにウシワカマルは声をかけた。

「サルトビサスケ様、進んでおられますか?」
「いや、集まりが悪い。かしらが求める力の印粉は特に見つからない」

 持ち帰るのならばなんでも良い、と独神は言っていたが、
 実のところ、力の印粉と術の印粉を欲している事は全員判っていた。

「自然物ですから、見つからないのも仕方ありませんね」
「ああ。しかし明日でこの火山も登山が一時禁止になる。
 出来得る限りの成果はあげたいところだ」

 ここ数日火山に通い詰め、力の印粉は1である。
 果たして、四人は最終日までにいくつの印粉を集められるのであろうか。

 ※追記:力の印粉はその後でなかった。



*1/11

 今日から、天狗による本殿英傑の為の修験界が開かれた。
 この期間では、弱きものは強くなり、強きものは更に強くなる。
 強くなりたい。悪霊を倒したい。独神の役に立ちたい。と、様々な理由から大人気の催しである。

 天狗の一人であるサンキボウは稽古の休憩がてら、外を出歩く独神に話しかけた。

「よう、あるじサン。そっちも休憩か?」
「ええ。皆が楽しそうだから見に来たの」

 英傑たちは普段から鍛錬をしているが、修験界開催時は祭りに似た賑わいを見せるので、鍛錬相手を変えてみたり、一人で鍛錬しているの者は誰かと共にしてみたり、少しだけ非日常感があった。

「そうだ、主サンにも稽古つけてやろうか」
「私、武道はしたことがないのよ」
「大丈夫だって! 基本的なことを教えてやるからさ」

 軽い気持ちで教えを受けた独神だったが、すぐに後悔する。

「そこで腰を落とす! ゆっくりな」
「は、はい!」
「ほら、こうすると下半身がしっかりと固定……されてねぇな」
「……す、すみません」

 日夜血と汗を流して悪霊と戦う英傑達と、一血卍傑という唯一の力にのみ頼る独神では、身体の動きも、考えも、何もかもが違った。
 弱い英傑に戦いの手解きをしてきたサンキボウも、独神の出来なささには驚き、困惑した。

「あとさ、主サン……正月太りか。前より全体的に柔らかいぞ」
「へっ!? ……最近よく食べてる、け、ど……」
「……運動した方が良いぞ。その方が肩こりや腰痛になりにくいし、何より悪霊に襲われても逃げられるだけの体力はいるからな」
「ご、御尤もで御座います」

 客人の相手をするばかりで、しかも正月だからと普段より豪勢な料理を食べていた独神。
 ぐうの音も出ない程の正論も吐かれ、精神的にぐさりと刺さった。

「……よし!走るか」
「え。えぇ…………」

 嫌な予感しかしていなかったが、やる気に満ち溢れたサンキボウに異議を申せず。
 腹を括って、サンキボウと走る事にした。
 独神の身体能力の低さを鑑みてか、サンキボウは思ったほど厳しくなく、これなら頑張れそうだと独神は思った。
 そんな矢先、キンタロウが並走してきた。

「サンキボウとあるじさんではないか!どうした?」
「ちょっくら稽古つけてんだよ。お前も一緒に走るか?」
「ははっ、よいことだ。俺も共に行こうではないか!」

 普段から身体を鍛えているキンタロウが参加したことにより速度が増した。
 これは辛いと思ったのも束の間、ライデンが並走してきた。

「キンタロウ、それにあるじとサンキボウ。珍しい事してどうしたんだ?」
「稽古だ!お前もどうだ?」
「いいねぇ。おれも走るぜ!」

 稽古に余念がないライデンが参加した事で、更に速度が増した。
 間もなく独神の体力は容量を超え、躊躇いなく地面に倒れ込んだ。

「あちゃー、主サンにはちょっときつかったか。仕方ない。俺が負ぶるか」
「なら丁度良い。負荷が欲しかったところだ。二人とも俺の背中に乗れ」
「いいねぇ。じゃあ遠慮なく」

 独神を抱き上げると、羽を広げでキンタロウの肩に乗った。

「おれも何か欲しいな。丁度良い物はないか」

 そして二人は走り回った。途中、サンキボウが自分も走りたいからと独神を背負ったまま走った。
 独神は疲れすぎて声もあげられず、全てを英傑たちに委ねて鍛錬に付き合った。いや、振り回された。
 終わった時には全員汗だくである。
 入浴後の夕餉にて、三人は大盛り飯を掻き込んだ。

「今日も元気に飯が美味い!」
「はは、美味しい、ね。とても……」

 一方、過度な運動をした独神はあまり食欲が無かった。
 箸を持つのも億劫で、咀嚼すら面倒に思っていた。

「明日は何すっかな」
「下半身を使ったからな。明日は上半身中心に筋肉をつけると良い」
「え、えと……明日は部屋で仕事……します……」

 逃げるなら今しかない。遠慮がちであるが独神は主張を曲げる気は無かった。
 しかし、そんな独神に三人は迫った。

「主さん!この機会を逃してよいのか? 折角筋肉が胎動し始めたんだぞ」
「そうだぞ。このまま鍛錬すれば、おれとだって相撲をとれるようになるんだ」
「主サン、良い機会なんだから皆で鍛錬しようぜ」
「少しはします、しますが……。少しは」
「やってくれるんだな!」

 ずいずいずいっと、きらきら輝く目が独神を貫く。
 勘弁して欲しいと態度で示しても、雰囲気に酔った三人には何ら効果が無い。
 独神は半開きの口を引きつらせた。

「……は、はは…………頑張り、ます……」
「その意気だぜ、主サン!」

 独神、筋肉たちに完敗。



*1/12

 ある所にタキヤシャヒメがいました。
 人の身でありながら妖術を操る彼女は、崇拝する独神の為にある呪いを完成させました。

「早速呪ってあげる……」

 タキヤシャヒメは厨へ行きました。

「魚……欲しいのだけど」

 イッシンタスケは言いました。

「いいぜ!で、何が入用だ?」
「種類は何でもいいの。それで、頭だけが欲しいの」

 イッシンタスケは気味が悪いと思いながらも、落とした魚の頭をタキヤシャヒメに渡しました。

「……ありがとう」
「なんでもいいが、魚の頭だって立派な命だ。ひでぇ使い方すんじゃねぇぞ」
「えぇ。勿論大切に大切に使うわ」

 タキヤシャヒメは本殿から離れ、島の端までやってきました。

「悪霊は海から来る……ふふっ、絶好の場所よ」

 タキヤシャヒメは貰った魚の頭を木の枝に刺し、それを砂浜に一列に刺していきました。

「恋しい海を眺めるも、既に身は滅び、頭は引き裂かれ、もう二度と海へは帰れない。
 そんな恨みをどんどん溜めこみなさい。溜めこんで溜めこんで、悪霊へ使う呪具となるのよ」

 呪いの準備が終わったタキヤシャヒメは本殿に帰りました。
 その後入れ違いに、キジムナーが砂浜を通りかかりました。
 彼女は串刺しにされた魚の頭に気づきました。

「あっははははは! 魚だ! 目玉もある!」

 キジムナーは串から魚を引き抜き、むしゃむしゃと食べました。
 あっという間に全部の魚を食べてしまいました。

「ごちそうさま~」

 こうして、悪霊たちは今日も元気に八百万界へ侵攻するのでした。



*1/13

「ご主人様……ちょっといいですか」

 執務室を訪ねて来たスズカゴゼンの求めに答え、独神は御伽番を下がらせた。
 俯きがちなスズカゴゼンをまずは座らせ、お茶を淹れてから独神は話した。

「どうぞ召し上がって。お茶菓子は羊羹にしたの。食べられる?」
「あ、はい……。い、いただきます……」

 スズカゴゼンは黒文字を摘まむと、ふるふると震わせながら羊羹を切る。
 独神は敢えてそれを見ないよう、身体を軽く背けて同じく羊羹を食した。
 手間取るスズカゴゼンに少しでも圧迫感を与えないよう、ゆっくりゆっくり少しずつ口に運ぶ。
 時折茶を飲みながら、いつもの三倍の遅さで食べきると、スズカゴゼンは口火を切った。

「あ、あたし、鬼退治しか出来ないんです。って、何度も言っていますけど……。あの、そのせいで、あたし……っ……ご主人様!!」

 突然声をあげると、三振りの宝剣を抜いた。

「鬼が斬れないせいで、今度は見境なく斬りたくなっちゃったんです!!
 どうしたら良いんでしょう」

 三振りの刃が光る。独神は呆気にとられながらも、状況整理の為に尋ねた。

「ええっと……。まず、今は私を斬りたいのかな?」
「い、いえ!そんな!ご主人様を斬ろうだなんて思ったこと、ないです……」
「じゃあ一度、刀を仕舞おう」
「あ、はい……」

 求めに応じて、スズカゴゼンは刀を収めた。
 そこですかさず、独神はスズカゴゼンにお茶を勧めて無理やり飲ませた。

「っ、ご主人様、あたし、お茶はもうお腹はいっぱいで……」
「そっか。……さっき斬りたいと言っていたけど、例えば誰を斬りたくなったのかな?」
「鬼の親玉……ではなく、シュテンドウジ……様、白鬼、いえ、イバラキドウジ……さ、様……」
「彼らこそ鬼だもんね。正真正銘」
「ボロボロトン様、キンタロウ様……」
「ん?」

 妖のボロボロトンはまだしも、キンタロウは人である。

「コノハテング様、ジロウボウ様……」
「その二人が天狗だね、間違いようはないと思うけれど」
「そうですよね……あとは、ホウイチ様、フツヌシ様」

 琵琶弾きのホウイチも関係ないが、フツヌシは鬼とは程遠い、神族の一人で軍神である。

「ヤマヒメ様、イナバ様……」

 どうやら、種族も男女も関係ないようだ。
 さて、その共通点はなんだろうかと、独神は頭をひねった。

「……角?」

 コノハテングには角のような部位がある。
 だが、キンタロウやホウイチにはそんなものはないし、角に似た髪型もしていない。

「ご主人様……あたし、どうしちゃったんでしょう……。
 鬼が斬りたいのは確かですが、鬼以外は斬りたくないんです……」

 大量の英傑と居住を共にする本殿では、切迫している悩みである。
 だが、相談された独神も原因や共通する事柄が思いつかない。
 根本的な解決は出来そうになかった。

「……ちょっと、ある人に話をしてくる。スズカゴゼンは少し待っていて」

 独神は悩めるスズカゴゼンを置いて退室した。
 ──後日、シュテンドウジに刀を振りまくるスズカゴゼンがいた。

「あははっ、素直にやられて下さいね!」
「くっ、神代八傑であるこのおれを簡単に仕留められると思うなよ!」
「鬼の親玉はそうでなくちゃ!でも、──必ず斬ります」

 独神がシュテンドウジに頼んだことは、週に一回スズカゴゼンの相手をする事だ。
 解決策が見つかるまで、という期限付きで。
 シュテンドウジが相手をするようになってから、スズカゴゼンは鬼ではない者を斬りたい気持ちが湧かなくなったと嬉しそうにしていた。

 多数の英傑が入り混じる本殿では、毎回問題を解決出来る訳ではない。
 それぞれの協力と犠牲の上になりたっているのだ。

「日本酒五本……。シュテンドウジへのお礼はこれで良いかな」



*1/14

「将軍、北の地より戻ったぞ」
「おかえりなさい。どうぞ座って」

 独神は慣れた手つきでお茶を出した。

「すまぬな。……将軍のご尊顔を拝見すると戻った実感が湧く」
「それは良かった。遠征を頼んでから大型の寒波が来るなんて、今回は苦労をかけたわね」
「気にするでない。白銀の中で斬り合うのもなかなか良いものであったぞ」

 楽しげに語ると、お茶を一口飲んだ。

「して、将軍よ。俺が出立する前から狐が居た気がするが……気のせいか」

 独神は答えない。代わりに、間仕切りから現れたタマモゴゼンが答えた。

「なんじゃ、わらわに言いたい事があるのかえ。折角主殿との時間を邪魔せずにおったのに……愚かな男よ」
「貴様に施しを受けるつもりは毛頭ない。望むものは奪い取るまでよ」

 一触即発である。
 お互いに武器の類は出していないが、どちらも手練れ。
 独神は慌てず慎重に言葉を選んで、開戦を抑えた。

「……確かに今回は長く務めて頂きました。
 人や神さえも魅了するタマモゴゼンのお蔭で、数多の客人たちに満足して頂けるおもてなしが出来ました。 ありがとね、タマモゴゼン」
「わらわの魅力は種族や性、生きた歳も超えるからのう。当然じゃ」
「ここを訪ねる人はもう殆どいないから……」

 皆まで言う必要はなかった。

「……判った。だが此奴には絶対に譲らぬ。指名はさせてもらうぞ」
「ええ。どうぞ」
「ふん。誰を連れてくるかは知らんが、任に適さぬ者ならば俺が請け負おうぞ」

 タマモゴゼンは不満気なマサカドを一瞥もせず静かに退室し、直ちに次の者を連れて来た。

「あ、あの、タマモゴゼン様!?えっ、私なんかがあるじ様のお伽番なんて、そんな、無理です」

 お皿を大事そうに抱えたサラカゾエは首を振り続ける。

「これ、そう構えるでない。主殿は少々意地の悪い所はあるが、悪い者ではない。
 御伽番と言えど、好きなだけ皿を数えていれば一日は終わる。安心するがよい」
「ほ、本当ですか……」

 不安げに独神を見るサラカゾエに、独神は小さく微笑んだ。

「タマモゴゼンの言う通りだよ。ほぼ全てね」
「なら……頑張ってみようと思います……」
「決まりじゃ」

 勝ち誇るタマモゴゼンに、マサカドは異議を唱えられなかった。
 お伽番に規則はないが、ただ一つだけ暗黙の了解とされている事柄があった。
 それは、一度もお伽番をしていない者が優先されるということだ。
 サラカゾエは今まで遠慮し続けてきたので、一度も任を与えられたことが無かった。

「マサカド、次回はあなたにお願いするわ」
「……決して忘れるでないぞ」

 身を翻し足早に去った。

「あ、あの……マサカドさんは怒っていらっしゃるようでしたが……私のせいでしょうか」
「ううん。サラカゾエに怒るような人じゃないよ」
「それじゃ……い、いえ、なんでもない……です……」

 サラカゾエは聞くのを止めた。



*1/15

 八百万界に語呂合わせ、と言うものがあるらしい。
 言葉遊戯の一種で、類似の音を当てて全く意味の異なる言葉にする、というものだ。
 その語呂合わせを用いると、今日──1月15日は、苺の日と読むらしかった。
 それを本殿の英傑から教わったトールは、折角だからと独神に苺を食べさせたいと思った。
 わざわざ外出許可を貰い、ミョルニルと共に気ままに走った。
 戦神の健脚で短時間で国から国へと移動していく。
 そして、太陽が頂より傾き始めた頃には自分がどこにいるのか判らなくなっていた。
 辺りは木、木、木。自分が森の中にいる事しか判らない。

「(さて、どうしようか。このままだと今日中にあるじさんの所へ戻れないぞ。)」

 まずは話の通じる相手を探し、その者に詳しく聞くことにした。
 自分の位置を知る為、木に登って辺りを見回したが一面の緑が広がるばかり。
 いっそ雷を起こし、ロキか他の英傑に気づいてもらおうかと思った。

「(荒廃が進む八百万界の木々を薙ぎ払えば、主さんは悲しむだろうな)」

 一呼吸おいて、トールは地道に帰る事にした。相棒、ミョルニルが導く方向へ。
 と言えば、聞こえは良いがただミョルニルを地に立て倒れた方へ進むだけである。
 勘が良くないと思いつつも、トールには言いようのない自信があった。
 ミョルニルなら、必ず自分を求める地へと連れて行くと。
 一刻以上歩いて、ようやく開けた所に出た。掘っ立て小屋まである。
 トールは嬉々として住民に会う為小屋を訪ねた。
 囲炉裏はまだ温かい。近辺に誰かがいるはずだ。
 小屋の周囲を見て回り、次に目についたのは牛舎のように低い平屋だった。
 八百万界ではほとんど見ない、風の一切の侵入を拒む強固な建物である。
 それがまるで人目を憚るように森の中に建っているとなると、悪霊が関係する可能性が浮かび上がる。
 トールはミョルニルを握り直し、慎重に扉へと近づいた。
 耳を欹てるが足音や甲冑音はない。
 利き手とは逆の手で戸を開けると、すぐさまミョルニルに手を添え、辺りを探った。

「ひっ、悪霊!?」

 壮年の男性がトールを見て尻もちをついている。
 それ以外に人の気配はなく、悪霊の姿もない。
 トールは一度ミョルニルを下げ、男に尋ねた。

「ここで何をしている」
「こ、ここは、農場です……」

 建物内部に土は無い。
 腰ほどの高さの台がいくつも奥へ伸びており、そこから植物が顔を見せている。

「確かに植物はある。しかし水しか入っていないが」
「え、ええ、土無しで育てる実験をしています……」
「それは本当か。嘘なら雷神であり、戦神であるこの俺が破壊する」
「ほ、本当です!ならば、少々お待ち下さい」

 抜けてしまったであろう腰に鞭を打ち、男は少し離れた台から何かを持って来た。

「これは試作品の一つです。形はよくありませんが、実をつけるところまでは出来ました」

 小さくて丸くて赤い果実。当初の目的を思いだし、トールは声をあげた。

「これ、苺じゃないか?」
「左様です。この付近で作る品種とは少し違うものですが」
「へー、確かにラズベリーみたいな形だ。
 試作品と言っていたが、食べてみても良いだろうか?」
「ええ、どうぞ」

 農耕の神でもあるトールは警戒をすっかり解いて、試作品の苺を口にした。

「ふむ……。主さんの元で食べるものよりは、味が薄いようだな。
 品質の問題か、それともこの不思議な栽培法によるものか」
「まさにその通りでございます」

 男の方も熱心に耳を傾けるトールに恐れが薄れ、だんだんと饒舌に語りだした。
 この栽培方法は、水耕栽培と呼んでいて、水と光で作る方法である。
 これであれば地理的環境に左右されない為、連作障害を回避でき、栽培不適地域でも育てることが出来る。
 また、耕起、土寄せ、除草や、土壌の消毒も不要となり、労働時間の短縮も見込める。

「水と言いましたが、ただの水では御座いません」

 正確には養液と呼んでおり、これには植物が根から吸収する栄養素を含んでいる。
 栄養素の配合や、養液の循環が難しいらしく、語りたいのは山々だが人に伝えられる段階ではないとのこと。

「栄養があれば良いわけではなく、同じ条件でも生育に差が出たり、枯れたりとまだまだなんです」
「なるほどな。ところで、太陽の光はどうしているんだ」
「それは人工太陽光です」

 得意げに語ると、天井を指さした。
 球体状の物がぷらぷらと揺れていて、男が操作すると眩い光を放ったり、光が無くなったりした。

「これのお蔭で室内での栽培が可能になったんです」
「これは主さんの元でも見たことが無い。とてもすごいものなんじゃないのか」
「そうでしょうそうでしょう。……と言っても、私が作った物では無いんですがね。
 絡繰り好きの者が悪霊の施設から拝借し、それを真似て作ったそうです」
「そんな事が……」

 雷を起こす事が出来るトールでも、普通の人族が太陽に似た光を操るという事に驚き慄いた。

「お前は、いやお前たちは本当に凄いな。とても驚いたぞ。
 何がきっかけでこれを作ろうとしたんだ。
 ここに達するまでの道のりを考えれば、何か凄い動機なんじゃないか」
「いえいえ、そんな人様に褒められるような動機なんか御座いません。
 ただ、私の住む村が悪霊に襲われ、その後殺界炉というものが出来てから土が命を失ったのです。
 その為、土が無くとも出来る農業があれば……と」

 照れたように遠慮がちに笑う男に、トールの胸の内に言いようもない何かが込み上げた。
 そして、伝えたいと思った。沸き上がった感情を言葉という形にして。

「お前は、立派な奴だな」

 精一杯伝えたつもりだったが、男は首を振って否定した。

「これらはまだ実験中で、云わば馬鹿な男の世迷い事に過ぎません。
 それに、先ほど述べた利点から、農地で作る者たちの仕事を奪いかねません。
 その為立ち上げ当初は何度も、施設を壊され、実験の巻物は家ごと焼かれ、村八分になりました」

 トールは建物が人目を隠すように建てられていた事を思いだした。

「いつかは実現させたいとは思っていますが、ただの自己満足に過ぎませんよ。
 ただ人である私には寿命があるので、どこまでやれるかは判りません。
 必要な物を買うにも殆ど金はありませんから進捗は牛歩です。
 私はそれでも、一日毎に成果を実感できて、とても充足しております」

 最後の言葉はとってつけたような気がしたが、それもまた本音だろう。
 トールはこの男の熱意と技術は惜しいと思った。寿命や心なき者の妨害で潰えて欲しくないと。

「なあ、お前のこと、俺の主さんに言っても良いだろうか」
「あなたのお仕えする方が、御武家様なのか、御貴族様なのか、商人様なのかは存じ上げませんが、
 言わない方が良いでしょう。あなたの評価を下げる事になりますし、
 こんな事に興味を示すとは到底思えません」

 気乗りしない男に、トールは自信満々に返した。

「はは、心配いらない、絶対大丈夫だ。
 なんと言っても、俺の主さんは努力する者が好きだからな。
 それに、独神のお墨付きがあればお前も動きやすいだろう」
「なぜ、独神様のお名前が……。そもそもあなた様は……?」

 戸惑う男に、トールは得意げにミョルニルを回し、小さな雷を放った。

「名乗る事をすっかり忘れていたな。
 俺はトール。雷を操る戦神だ。これは相棒のミョルニル。
 アスガルズ界の神だが、今は独神に仕えて悪霊と戦を重ねている」
「神とは先ほどおっしゃっていましたが、しかし。
 独神様に仕えている英傑様とは……それに独神様は噂でしかないと……」
「主さんは眉唾物じゃない。独神は本当にいて、様々な英傑たちと共に今も悪霊に立ち向かっている」

 男は信じられないと、目を丸くするばかりだ。
 トールは続ける。

「俺は、お前が生きている間にお前の語った理想を実現して欲しいと思う。
 だから、もう一度問う。俺と一緒に、独神の元へ行かないか」

 金茶の瞳が男を見据えた。
 男もまた、その瞳をじっと見つめた。
 推しはかっている。トールの言葉の重み、信憑性、そして自分の意志を。

「……私は、独神様を信用出来ません」
「……そうか」

 男の決めた事とはいえ、トールは大きく肩を落とした。

「ですが、私の話を熱心に聞いてくれたあなたのことは、信じたいと思います」

 一瞬呆けたトールだが、すぐに満面の笑みを浮かべた。

「決まりだな。じゃあ早速オノゴロ島へ向かおう。……と、そういえば、ここってどこだ?」
「え」



*1/16

「なんだ貴様か」

 執務室でうろうろするサラカゾエを一瞥したツチグモが言った。

「は、はい、先日からお伽番の任務を頂戴しまして……」
「興味がない」

 しどろもどろに返すサラカゾエにばっさり言い、次は独神に詰め寄った。

ぬし、今回の狩りだが、もっとマシなものはなかったのか」

 悪霊の数も少なく弱すぎるとの抗議だった。

「情報では結構多いはずだったんだけど……。別の場所へ進軍した様子は」
「その可能性も探ったが形跡は見つからなかった。俺の糸にも全く引っかからなかったからな」

 独神とツチグモが話し込んでいる間、サラカゾエはひっそりとお茶の準備をしていた。
 他の英傑から教わったように、温かいお湯で煎茶を淹れる。
 盆の上に乗せ、あとは運ぶだけである。

「チッ。じゃあ活きの良い連中は西に行きやがったのか」
「そう考えるのが自然だわ。……でも、変よね。どうして」

 ゆっくりと運んでいると、それに気づいた独神が立ち上がった。
 その時。サラカゾエは自分の足に躓き、盆から湯呑が勢いよく飛び出していった。
 湯気を撒きながら、一目散に独神へ飛んでくる。
 サラカゾエは、あっと、目を瞑った。
 鈍い音が独神から──しなかった。
 ツチグモの糸が、独神の目前の湯呑と、床に当たる間近のサラカゾエを捉えていたからだ。

「……なに愉快な事をしているんだ」

 心底呆れた様子で、湯呑とサラカゾエをやや雑に下した。

「ありがとう。助かったわ」
「すみません。ありがとうございます」

 独神、サラカゾエ共々礼を述べると、それを鬱陶しそうに手で払う。

「次の狩りはもっと楽しめるものを寄越すんだな」

 そう言って部屋を出るツチグモの後ろ姿を二人は目で追い、そしてお互いを見た。

「あの!あるじ様、すみません。すみません」
「大丈夫大丈夫。頑丈な湯呑だから」
「申し上げているのは湯呑もですが、主様のことです!」

 しばらくサラカゾエは謝罪を繰り返した。

「(また失敗してしまった。これで何度目かしら……)」



*1/17

 深夜、執務室は小さな明かりが揺らめいていた。
 部屋には独神一人だけで、御伽番のサラカゾエは既に下がっている。
 霜でも下りてきそうなほど冷え込む中、筆が走り続けていた。
 火のない炬燵の周囲には、山のような書簡が散らかっている。
 これらは全て、救援を求める書だ。
 求めの内容に応じ、各地の有力者に救助や保護を乞う書を認めている。
 これもまた、良くも悪くも有名な独神だから出来る事である。
 そんな中、障子の音が静寂を破った。

「フツヌシ……帰りが早いけど…………」

 引きつった顔で迎えられたフツヌシはいつものように微笑んで見せた。

「心配せずとも、行ったら皆殺されていた、という訳ではないよ」
「……良かった」

 独神は安堵の息を吐いた。

「今日はお疲れ様。もう遅いしゆっくりお休み下さい」
「少しここへいてもいいかね」
「構わないけど、明日もまた討伐へ行ってもらうと思うから休んでいた方が」
「ほどほどには戻るさ。ああ、ぬしはそのままで良い。私の事はお構いなく」

 気遣いに甘え、独神は作業を再開した。
 暫く黙って見ていたフツヌシだが、区切りの良い時を見計らって話しかける。

「各地で随分戦いが激化しているようだね」
「そうね。悪霊も嫌な手を使うものね……この時期に食料備蓄を狙われるのは死活問題よ」
「民を減らし、士気を下げるにはもってこいの策だ」

 独神は溜息と共に筆を置いた。無表情のまま虚空を見つめている。
 対して、フツヌシはからかうような、見下すような薄笑いを浮かべた。

「さて主。数で攻める悪霊たちに対して、貴殿はいくつの村を救い、いくつの村を見捨てる?」

 独神は答えない。表情は微動だにしない。

「窮すると黙る所は愛らしいね」

 それでも答えない。

「ふむ……反応が無いのは面白くない」

 フツヌシは書簡を跨ぎ、机を挟んで独神と向き合った。

「私はね、主の選択ならば、何がどれだけ犠牲になろうとも構わぬのだよ。
 例えそれが、私自身であったとしても」

 動かなかった独神の表情が動いた。
 何かを言おうとする独神に首を振った。

「それが言いたかったのだよ。けして、主を苛めようとしていたのではなく、ね」

 おやすみ、と最後に付け加えると、フツヌシは静かに退室した。
 足音が完全になくなってから、独神は頭を抱えた。

「……選択を、間違えていたんだ」



*1/18

「あの主様……」

 独神はお伽番を手招いた。
 呼ばれて近づくサラカゾエの腕を、つんつんとつつく。

「あの……どうかなさいましたか」
「…………。なんでもない」

 元気がないのは明らかだが、気の利いたことが思いつかない。
 この数日大変なのは判り切っているし、十分に努力していることを横でずっと見ていた。
 お伽番の自分は何と言えば良いのだろう。
 みんなどうしているのだろう。
 サラカゾエは自分の身に余ると思い、ある提案を思いついた。

「あの……お伽番をマサカドさんと交代しようと思うんですが……」
「いいよ。自分で言える?」
「えっ……はい。出来ます……」
「じゃあ、お願いするね」

 普段全く話さないマサカドを探す事も、話すのもサラカゾエにとって難しい事であった。
 しかし疲れている独神の力を借りるなんて、申し訳がなさすぎて、そちらの方が出来なかった。
 幸いマサカドはすぐに見つかった。一人で刀の稽古をしているようだった。
 剣を振るうマサカドに、サラカゾエは声をかけた。

「あ、あの……」
「何用だ」

 低く短く答えるので、怒っているのかと思った。
 怖気づきながらも、用件を伝えた。

「あの、お伽番の交代。です」
「承知した。すぐに向かうと将軍に伝えてくれ」

 手早く刀を仕舞い、身支度を整える様を見ながら、サラカゾエは以前会った時の事を謝罪した。

「あの……すみませんでした。貴方がお伽番をするところに、横から入ってしまって」
「貴様は狐に利用されただけの事。謝る必要はない」
「……はい」
「ところで、己の満足のいく務めが出来たのか」

 サラカゾエは黙った。
 自分が出来ないから早々に交代することを望んだのだ。
 お茶は零すし、妖気の強い妖には気後れするし、戦の事を言われても理解が出来ないし、独神の心も読み取れない。
 タマモゴゼンが、ただ傍にいて皿を数えていればよい、なんて言葉は嘘だった。
 そんな妖狐を毎晩恨む程度には、自分の働きに満足していない。

 サラカゾエは今一度考えた。
 本当に交代しても良いだろうかと。
 これ以上やっても何の成果もないだろうが、それで、良いだろうかと。

「……あの、勝手なお願いで申し訳ないのですが、もう一日だけ、私に時間を下さいませんか」
「それは、現お伽番である貴様の裁量で決めれば良い事だ」
「ありがとうございます」

 深々と頭を下げ、サラカゾエは執務室へ戻った。
 独神はぼーっと蜜柑を突いていたが、サラカゾエに気づいて顔を上げた。

「主様。明日一杯、私にお伽番を務めさせて頂けるでしょうか」
「勿論。サラカゾエが思うようにすれば良いんだよ」
「はい。もう一日だけ頑張らせて下さい」

 もう一日だけしよう。それから諦めよう。



*1/19

 今日はまだ、一度もこけていない。
 怖い人達(強い英傑や皿を割ってきそうな諸々)にも伝達出来た。

「お皿数えなくて良いの?」
「はい、今日は良いんです」

 お皿もまだ数えずに耐えている。
 時間内は独神の為にだけ働こうと前日の夜に決めたのだ。

「さっき商人から荷物が届いてね、漆器の皿を置いていったんだよ」

 昨日の決意があっさりと崩れそうになった。
 触りたい。数えたい。割れない事を確かめたい。
 うずうずする。
 独神も意地が悪い。皿を見れば触りたくなる事を知っているのに。

「折角だから数えたら?数が判れば厨に渡しやすいよ」
「数えます」

 漆器の良さは経年による変化だ。だが、そこはどうでも良い。
 皿に大事なのは、割れるか割れないかだ。
 その点、漆器は陶磁器に大いに勝っている。

 一箱数え終えて満足すると、サラカゾエは自分の任務を思いだした。
 はっとして独神を見ると、また手紙を書いていた。

「すみません、私ったらまた」
「ああ、楽しそうで何よりだよ」

 独神はにこにこと笑っているが、それを嬉しいとは取れなかった。

「不出来な妖ですみません……。お伽番、上手に出来なくて」
「どうして?ちゃんとやっていたよ」
「私は全然……。失敗もそうですが、何より心労を軽くして差し上げる事が出来なくて……」

 と、独神は筆を置くとすたすたとサラカゾエに詰め寄った。
 身を引くサラカゾエに容赦なく抱き付く。
 予想外のことで、サラカゾエの頭の中は真っ白になった。

「ごめんなさいね。こちらの気配りが足りなくて」

 独神が謝罪する必要はないと思ったが、それどころではなかった。
 皿ではない何かと深く触れ合う機会は早々なく、しかも相手が独神で軽く眩暈がする。
 ふわふわゆらゆらと考えていると、独神は離れた。

「ありがとう」

 そして、また作業に戻った。
 サラカゾエはまだどきどきしていた。
 緊張を解す為にまた皿を数える。やはり数えていると落ち着いてくる。
 ある程度落ち着いた所で、独神を見た。
 延延と作業をしている。やはり大変そうだ。
 すると、目が合った。

「お皿、数えられた?」
「は、はい!三周は数えました」
「そっか」

 笑っている。サラカゾエは恥ずかしかった。

「お、お皿を見ると、数えたくなってしまうんです。三周くらい……普通、です」
「なら、もう一周数える?」
「……数えます」

 自分でも何をしているのかよく判らない。
 けれど、数えるのは楽しい。安心する。
 恐る恐る独神を見ると、筆からはすっかり手を放してニコニコ見ている。

「あ、あ主様、お、お手紙の続きは」
「するよ。そのうちに」
「認めなさって下さい」

 見られていると平静さを失う。
 そしてまた、お皿を数える。独神はその様子をにまにま見ている。また慌てるを繰り返す。
 サラカゾエ自身は落ち着かなかったが、独神は今までで一番楽しそうだった。

「ただ居れば良い」と言ったタマモゴゼンの言葉の意味が、ようやく判ったような気がした。



*1/20

 マサカドは独神と膝を突き合わせて語り合った。
 内容はここ数日の悪霊についてだ。
 独神や英傑ではなく、力のない民を中心に狙っていて、ほとほと困り果てていた。
 そのため、八傑のうち七傑が対応し、更に力のある英傑たちはほぼ全員出払っていた。
 その事で、マサカドは物申した。

「将軍ともあろう者が、人を使い捨てる非情さもないとはな」

 民の為に英傑を使えば、その分オノゴロ島が手薄になる。
 今狙われたとして、対応できるのか、いや出来まい。

「民無くして八百万界は成り立たぬと言うならば、我々英傑を酷使しろ」

 その上、派遣した英傑に無理のないような采配しかしない。
 英傑の昇天は免れても、その分長引いてしまった戦はいくつもある。

「情に厚すぎることは戦場では欠点になりうるのだと、知らぬはずがないよなあ」

 戦死者のいない戦はない。犠牲はつきものだ。
 その事は独神も嫌と言うほど判っていた。
 判っていても犠牲が出る戦いは避け、英傑たちに深追いをさせなかった。
 あれも嫌だ、これも嫌だと独神の欲に底はなかった。

「……しかし、なればこそ我らは将軍の為に命を投げうつ決意が出来るのだろう」

 マサカドは今一度独神に迫った。

「将軍。俺を使え。今一番手こずっているあの戦場に投入しろ」

 悪霊の数が多く、他の場所の討伐に手一杯で手をつけられない周防。
 船に乗った悪霊達が乗りつけ、そこから八百万界の西側の各地に散らばっている。
 周防の港を叩けば、西側の戦は一気に落ち着くだろう。
 相手にとっての重要拠点、敵の守備も堅い。
 そこへ行かせろとマサカドは言っているのだ。
 どんなに運が良くとも、無事では済まないと判っていて。

「それならスサノヲも」
「ならぬ。八傑の内一人以上は将軍の傍に必要だ」

 独神は黙った。長考の後、独神は頷いた。

「……生きて、必ず生きて戻る事。それが出陣条件よ」
「言われるまでもない。首か身体、どちらかは必ず届けようぞ」



*1/22

 夜、八百万界全体で雪が降った。
 オノゴロ島も例外ではなく、しんしんと雪が大地に降り注ぐ。

「ユキオンナ、とっても楽しそう」

 シロはサイギョウの部屋から外を見ながらそう言った。

「ユキオンナ様は雪の妖怪ですから。この様子だと明日は雪が積もるでしょうね」

 と、寝支度をしながらサイギョウが返した。

「ねえ、サイギョウも明日は一緒に遊ぼう」
「えぇ、少しだけお相手しましょう」
「えぇー、少し?」

 シロは子供のように口を尖らせた。

「きっと、和歌が詠みたくなると思うのです」
「そっかー、じゃあしょうがないね」

 シロは、くるくると回るユキオンナを静かに眺めた。
 支度を整えたサイギョウも、同じく雪と同化するユキオンナを眺めた。
 はらはらと舞う雪の粒は、まるで花びらのようだった。
 サイギョウが筆を探そうと腰を上げると、シロは小さくなって寝ていた。

「ほら、シロ様のお部屋はあちらですよ」
「うーん……」

 身じろぎはするが、一切目は開けず会話も成り立たない。

「困りましたね……」

 今夜は特に冷えこむのでそのままにはしておけない。
 サイギョウは布団部屋まで布団を取りに行った。
 廊下を歩きながら、外を見る。
 一面の銀世界で空まで明るい。
 枯れ木には雪の葉がつき、白き花が満開であった。

「次の春も、死ねそうにありませんね」



*1/23

 昨晩の大雪で、本殿はすっかり雪に埋もれてしまった。
 手の空いている英傑たちは、雪かきをしている。
 己の炎で雪を一気に溶かしているカグツチもその一人だ。
 しかしナリヒラはそれに、待った、をかける。

「無慈悲すぎるよ!」
「なんで?溶かした方がはえーじゃん」
「君には情緒がない」

 と、ナリヒラは力強く言った。カグツチは面倒くさそうに漏らす。

「あー……邪魔だから困ってんだろ。なら、さっさと溶かしちまおうぜ」
「そう!雪の塊で裾は濡れるし、道を塞いで不便だ。
 しかし、こういう雪の日にね、偶々あばら家を見つけたり、
 訪ねると食事を振る舞ってもらったり、
 しかもなんと、その女性をよく見ると絶世の美女であったりだね」
「その話つまんなそうだから遠慮する」
「その女性は、交野の君と言って、」

 昔の恋を語るナリヒラを無視し、カグツチは辺りの雪を水へと変えた。



*1/24

 とある一室で、ヒエダアレイとミツクニは机に向かっていた。

「……おい、寝るなよ」
「これは失礼。とはいえ、寝ていませんが」
「つまんねー嘘は良いから手を動かせよ」

 討伐の合間に大八百万史の編纂作業をしている。

「何度も言うが、オレたちは運がいい。なんせご主人と同じ時代にいられるんだからな」

 大八百万史は紀伝体の歴史書である。
 年代ごとにまとめられた編年体とは違い、人物の逸話を中心にまとめる形式が紀伝体。
 今の時代だと、独神を中心に記述している。

「身近にいられるのは良いですが、客観的に書いてくださいね」
「オレを誰だと思ってんだよ。ご主人は尊敬してるが、それとこれとは別だぜ」
「なら良いのですが」

 悪霊が八百万界に現れてから、歴史は短期間で大きく動いた。
 その分編纂作業は大変なものになっている。

「ほんの数ヶ月の事と言うのに、記載が必要な事ばかりで骨が折れますね」
「編纂しがいがあって楽しいだろ」

 ヒエダアレイは呆れて溜息をついた。

「そういえば、この歴史書はいつまで続けるつもりですか」
「当初の予定通り、まとめる時代は百代だ」
「主君はこの歴史にいつまでおられるのでしょう」
「さぁな。独神は三種族のどれでもないそうだが、長命であることは間違いねぇ」

 今までは人族を中心としていたので、大体百年以内で一代が終わったが、種族不明の独神は先が全く読めない。

「もし、オレが死んだとしても子孫に後を継がせる。だからあんたは心置きなく編纂すれば良い」
「そうですね。……出来れば主君の死までは私が責任を持って執筆したいんですがね」

 ミツクニは寿命を悔やむヒエダアレイから目を逸らした。

「オレだって、ご主人の事は書き切りてぇよ。…………中途半端は気持ち悪いしな」



*1/25

「……」

 アマツミカボシは独神から渡された甜瓜と林檎を部屋で眺めていた。

「(果樹園の時期になると、頭は山ほどの果物を俺に与える。何を考えているんだ。)」

 独神が自身の手で持って来た物だから悪い気はしない。
 しかし、物には限度がある。

「(……今回は何日続くのだろうな)」

 アマツミカボシと同じ悩みを抱える英傑が複数いるが、それはまた今度。



*1/26

 偶々、偶然、廊下を歩いていたササキコジロウと、廊下へ飛び出した独神の目が合った。

「ササキコジロウ!」

 独神の顔がぱっと明らむと、子供のように駆け寄り、そして勢いよく頭を下げた。

「お願い!少しだけ面倒事に付き合ってくれないかしら」
「……はあ……仕方ないな」
「ありがとう」

 気だるげな返事だが、ササキコジロウは満更でもなかった。
 慕っている相手に頼られるのは、いくら面倒くさがり屋でも悪い気はしない。
 独神の案内で二人は蔵へ向かった。
 薄暗く雑多な蔵にある、六尺(約180cm)強の棚を指さし、独神は言った。

「あそこに紙が飛び出しているでしょう?あれが欲しいの」

 一番上の段、薄く埃の被った骨董品の間に、一枚だけ真新しい紙があった。

「なんでまた、こんな面倒な所に……」
「ロキが置いたの。私が取れないようにって」
「なるほど……。取ってやるから少し待っていてくれ」
「あのね。……ついでに、他のも見たいな……なんて」

 独神の真意を測り兼ねていると、両手が突き出された。
 その行動も手掛かりにはならず、ササキコジロウは直接尋ねた。

「これはどういうつもりだ」
「迷惑は重々承知なんだけど、持ち上げて……?」

 にこにこと笑みを浮かべる独神に、ササキコジロウは心底脱力した。

「(どうしてこんなに無防備なんだ)」

 独神は口では遠慮していると言うが、笑顔で押し切る気でいるとしか思えない。
 その証拠に笑顔に揺らぎがない。異様に明るく、積極的である。
 しかし、ササキコジロウは、本殿の中で一、二を争うほどの面倒くさがり屋だ。
 己に関係がなく、益のない頼みは必ず断ってきた。

「…………仕方ない」

 悲しいが、己が慕う主の頼みを断れるような者では無かった。加えて押しに弱い。
 結局独神の思惑通り、ササキコジロウは独神を肩車してやった。

「出来るだけ早くしてくれ」
「重いものね。ごめんね、急ぐから」
「(そっちじゃない……)」

 頬に触れる布越しの太腿を感じないように心を殺す。
 他人の匂いを感じないように心を殺す。
 真面目な呟きも聞かないように心を殺す。
 落ちないよう抑えている両足の感触も考えないように心を殺す。

「(袈裟斬り、刺突、唐竹……)」
「終わりました。下して大丈夫よ。……ササキコジロウ?大丈夫?」
「………あ、ああ。わかった」

 脳内の斬り合いを途中に、ササキコジロウはさっさと独神を下ろした。

「ありがとう。助かったわ」
「いや、大したことじゃない」

 独神の手には先程棚にあった紙が握られていた。
 ササキコジロウは気になった事を聞いた。

「こういうことはよくあるのか」
「まあまあ、かしら。ロキは悪戯が好きな子だから」

 声色からロキを庇っているように思えた。
 不満を表出させたつもりはなかったが気付かれたようで、独神は加えた。

「今回は悪戯と言っても、少し気色が違うものだから……だから大丈夫よ」

 そうやって庇う事が気に入らないのだと、今にも言ってやりたかった。
 言った後の事を考えると飲み込む方が楽なので言わないが。

「あ、ゴシュジン!と、なんかデケー奴!」

 突然現れたロキの声が蔵に反響する。
 ロキから降り注ぐ視線を面倒くさい、とササキコジロウは思った。

「ふうん……で、良いのかゴシュジン。それ急ぎの用だろ?」

 はっとして、独神はササキコジロウに礼を言った。

「さっきはありがとう。急ぐからごめんね、ばたばたしててごめんね」

 何度も謝りながらも、全速力で走っていく。
 すると、残されるのはロキとササキコジロウだ。
 お互いに苛立ちを隠さない。

「チッ、余計な事しやがって。ゴシュジンのご機嫌取りなんてしなきゃいいんだよ」
「一応あるじだからな、少しくらいは気を使うさ」
「主、ねえ」

 多分に意味を含んだ言い方。
 わざと煽っている事は判っている。
 面倒を回避する為には、誘いに乗るわけにはいかない。

「利用されるだけの存在のくせに、ゴクローサマ」

 苛立つが相手にしても仕方がない。
 刀を抜くのを待っているのだ。正当防衛という体が欲しいのだ。
 そんなことは火を見るよりも明らかだ。しかし、ササキコジロウは短気だった。

「今もなお、お前の世界は悪霊に攻め入られているのだろう。
 そんなにのんびりしていいのか。主に手を出す余裕があるとは思えないがな」

 ロキは目を細めた。それに伴い、ササキコジロウも柄に手をかけた。
 互いに相手への殺意を放つ。戦闘合意の合図である。
 相手の一挙一動を見逃すまいと、二人は睨み合った。

「喧嘩をするなら残雪の中央で正座をしてもらうわよ」

 一瞬、緊張感が切れ二人に動揺が走った。独神の警告である。
 しかしながら、足音はしない。加えて気配もない。

「……ニンジャの誰かか。あーあ、萎えた。嘘でもあの声嫌なんだよな」

 ロキは力を抜き、コジロウもまた、柄から手を離した。
 意気消沈した二人は、それぞれ散っていった。



*1/27

 書き損じた紙と落ち葉を集めて、フウジンとカマドと独神は芋を焼いていた。

「ふふっ、やっぱり君がいるといいね」

 火種を用意したカマド言った。

「そりゃあ、ウチはフウジンだもん。なんなら大火事を起こしてあげるよ」
「駄目!それだと焦げちゃうどころじゃすまないよ!」
「冗談冗談。……多分ね」
「見て、もう少しで出来るわね」

 落ち葉の下に隠れている芋を枝で突きながら独神はにんまりと笑った。
 二人も各自枝を持って芋を突くと、枝が簡単に食い込むほど柔らかい。
 落ち葉を軽く払い、表面を見ると少々焦げ目がついていて良い香りが漂う。
 三人は同時に芋を取り上げた。

「配下と焼き芋とは……良いご身分だな」
「ハットリハンゾウ!?」

 三人が驚いたのも束の間、ハットリハンゾウは独神を羽交い絞めにした。
 そのままずるずると引きずる。主がいなくなった焼き芋は寂しく地に転がってしまった。

「……うわー、あるじ様さらわれちゃった」

 フウジンはふうっと息を吹いて焼き芋を冷ました。

「猫の人、結構怒ってたね。焼き芋は後でぬし様に届けよっか」

 独神が誰かに連れていかれる事は、しばしばある事なので、カマドは気にせず芋にかじりついた。
 はふはふと、口の中に息を吸い込みながら、あつあつの焼き芋を味わう。
 二人が美味しく焼き芋を食べていると、ハットリハンゾウが音もなく現れた。
 驚く二人に構わず注意した。

「あの通り主は務めから逃げただけだ。甘やかす必要はない」

 それだけ言うと、姿を消した。
 呆気に取られていると、フウジンはあっと、落ち葉の上を指した。

「お芋がなくなってる!?」
「でも、主様用のだ……」
「さっきウチらに甘やかすなって言ったばっかじゃん……」



*1/28

 独神の命により、ツクヨミ、ツチグモ、サイゾウ、トール、カグツチは果樹園に来ていた。

「キーキーキーキーうるせぇぞ!羽も邪魔くせぇ!」
「アンタこそ文句ばっかりで煩いのよ!月の神なんだから羽くらい良いでしょうが!」

 着く前から、ツチグモとツクヨミは言い争っていた。
 取るに足らない小さなことを、わざわざ大きくするので争いは終わらない。
 まあまあと、此度大将に任命されたトールは諌めても聞きやしない。

「元気なのは良いけど、お頭待ってンだから、早くしようぜ」

 と、道中仲裁を手伝っていたサイゾウは呆れ果て、今は自分の任務に専念している。

「おおー、甜瓜の苗だ。出来たら、ぬしと食いてえな」

 カグツチは言い争いに早々飽きてしまい、気にせず主の為に果樹を集めている。
 二人が悪口の応酬をしようが耳にも入らない。

「ふーむ、大将とは難しいな。ここはミョルニルで二人を殴ってみるか」
「おいおい、涼しい顔で馬鹿言ってンなって」

 難題は大抵ミョルニルでなんとかなる、という雑な思考を持ったトールを抑えた。
 しかし、サイゾウとしても、任務を完遂する為に二人にも働いてもらいたいと思っている。
 少しだけ考えると、サイゾウは「よしっ」と声をあげた。

「おーい、このままだと手柄はカグツチ一人のモンになっちまうぞ!」

 絶えず動いていた口が、少しだけ止まった。
 作戦通りと、サイゾウはさらに追撃する。

「ならいっそ、一番果実を集めた奴が代表で報告にしようぜ」

 どうよ、とサイゾウは二人を見守った。

「…………し、仕方、ない、わね。
 あるじちゃんには、ワタシの凄さを見せつけなきゃなんないし」
「チッ、下らねぇ。そんなこと俺には関係ない」

 うだうだと文句を言いつつも、二人はそれぞれ果樹の方へ行った。
 あまりに単純。あまりに短絡。いっそ清々しい。

「ははっ、あるじさんの事が好きなんだな」

 大団円を迎えた安心感で、トールは余計な事を言った。
 案の定大人しくなった口が、また忙しなく動く。

「はぁあ?す、すす、す、きな訳ないでしょ!!でも嫌いでもないわよ!勘違いしないでよね!」
ぬしは、狩りを提供するだけの存在だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「うんうん。判ってるぞ」
「「わかってない(わかってねぇ)!」」

 好きにしてくれと、サイゾウとカグツチはせっせと果樹を集めている。

「蜜柑も集まったし、師匠にも自慢してやろっと」
「それ焼いてやろうか。焼き蜜柑、美味いらしいぜ」
「マジ?じゃあいっちょ頼むわ」



*1/29

 夜。八百万界では先週に引き続き、また雪が降った。

「雪って……いいね」

 イッタンモメンは土を覆い尽くす雪に心を躍らせた。
 まだ誰の足型もつけられていない、穢れない白が美しい。
 こんな日は夜の"散歩"は止めて、部屋でゆっくりしようと思った。

「ハハハッ!早く雨になってよ!雪なんかじゃなくてさぁ!」

 中庭からの不快な大声に、イッタンモメンは刀をとった。

「……やっぱり、ちょっと斬ってこようかな」



*1/30

「なんだか今日は機嫌が良いのね」

 遠征の報告に来たサルトビサスケは独神に尋ねた。

「どうしてそう思う」
「……雰囲気、かしら」
「ならば、俺もまだまだ未熟と言う事か」

 不思議そうな顔をする独神に説明した。

「俺が氷の忍術を極めた事、かしらは知っているだろう。
 今日のように積雪が多く気温が低い日は、普段よりも術の威力が出る。相手を仕留めるには最適だ」
「なるほど……」

 サルトビサスケが退室し、次に現れたのはサイゾウだった。

「なんだか今日は機嫌が良いのね」
「おうよ!今日は雪だろ。ちょっと術はやりにくいけど、火は氷より強いからな。
 今日も今日とて、俺の勝ちは揺らがない、ってな。ははっ」
「なるほど……」

 サイゾウが退出し、次に現れたのはチヨメだった。

「頭領(とうりょう)さん!うちのサルトビサスケと、伊賀のうるさい子が術比べを始めたわ!」
「ええ!?サイゾウはともかく、サルトビサスケが!?」
「アタシが聞いた所、この状況下で有利なのは炎か氷か、って話をしていたとか……」
「判った。まずは様子を見に行きましょう」

 チヨメの案内で、独神は二人の元へ走った。
 結果的に、喧嘩ではなく純粋な術の研磨と訓練だった。

「頭、騒がせてすまなかった」

 深く謝罪するサルトビサスケとは逆に、サイゾウは口を尖らせた。

「お頭はもうちょっと俺を信用してくれてもいいと思うぜ」
「それは貴様が忍の癖に普段から騒々しいからだ」
「へいへい。でも、心配させてごめんな、お頭」

 反省をする二人を独神は咎めなかった。

「本殿での術の使用は構わないわ。でも色々な英傑がいるから、ほどほどにね」

 と言った、数日後。
 またもやチヨメに呼ばれた独神は、忍たちの術の応酬を目の当たりにした。
 前回とは違い、複数の忍が参加している。

「忍のみんな、鬱憤が溜まっているのかしら」

 普段忍らしく、忍んでいる者が多い為、独神は目の前の光景に圧倒されるばかりだ。
 一方、忍の一人であるチヨメは騒ぎ自体に驚きはない。

「忍術遊びは子供の遊びの定番よ。これはその延長」
「延長……かあ」

 同じ流派であっても他人に術の詳細を知られたくないと、口を揃えていう割には様々な術が飛び交っている。

「チヨメは参加しなくていいの?」
「いやよ。怪我したくないもの。それにアタシの専門とは違うしね」

 土煙が舞い、火薬の匂いに、獣の声。
 非戦闘員の独神には判らない世界だった。

「それに」

 チヨメは独神の腕を抱いた。

「アタシなら、この機会を逃さないわ。頭領さんと二人きりでいられる時間」

 急に甘えた顔を見せるチヨメに、独神は少し頬を染めた。

「ねぇ、頭領さん。あのね」

 チヨメの指が独神の頬に触れる、刹那──。
 一本の苦内くないが二人の間を裂いた。
 木に刺さったそれを見て、チヨメは肩を揺らして低く笑った。

「ふふ……そう、あの苦内は風魔のものね。
 同時にアタシの身体に極小の針を刺してくれたのは……この材質は……ジライヤね」
「ち、チヨメ……さーん……。だい、じょうぶですか?」

 明らかに怒っているチヨメに、独神は恐る恐る声をかけた。
 チヨメは満面の笑みを独神に向ける。

「ええ、大丈夫よ。頭領さん、少し待っててね」

 忍者騒乱の中、チヨメが参戦した。
 残された独神は唖然としながら事を見守った。

「みんな元気だね……」



*1/31-スーパーブルーブラッドムーン-

「今夜、アンタの時間をワタシに明け渡しなさい」

 執務室に入って早々、ツクヨミは命令した。
 あまりに威圧的で高慢な態度に、独神は反射的に頷いた。
 その後いつも通りの職務を果たし、夕餉後に執務室へ戻ると部屋の中央にツクヨミが立っていた。
 すっと手を差し出される。

「来なさい」

 有無を言わさぬ物言いに、独神は畏怖の念を抱いた。
 普段の駄々っ子が嘘の様に静かで、淡々としている。

「早くなさい」

 鬼が出るか、蛇が出るか。確かめる為にもまず手を取った。
 ツクヨミは氷のような冷たい手で独神の手を優しく握った。

「ついていらっしゃい」

 ツクヨミが連れてきたのは本殿から少し離れた森の中の開けた場所だ。
 木々に囲まれたそこは、原っぱになっており今は枯草が四方に向いている。
 空を見上げれば、真上に大きくて丸い月が赤銅色に──皆既蝕だ。
 独神はツクヨミの変貌を理解した。

あるじちゃん、何を思っているの?」

 小首を傾げる動作、しかしそこには少女に見られる可愛さはない。
 その視線は身を貫き、世の深淵を思わせる得体の知れなさがある。
 風に揺らぐ髪の動き一つに、神々しさ、聖域を感じて身動きが取れない
 心なしか、寒々としてきて指先が凍りついたようだ。

「ただ騒ぐだけしか能がない小娘じゃなくて、戸惑っているの?」

 繊月のような口元に身震いがする。

「浅いのね。独神のくせに表層しか見ないで」

 ゆっくりと、ゆっくりと、ツクヨミの薄い両手が両頬を包む。

「八百万界を救う事以外、どうでもいいものね。ワタシ達の事も」

 勢いに呑まれていた独神は、何かを言おうと口を開いたが、ツクヨミが先制した。

「そんなつもりはないって、ワタシの目を見て言える?」

 回答に窮すると、高々と嘲笑われる。

「そうでしょう。アンタはそうなのよ」

 得意げに己の心を語るのを耳にするのは、あまり気分は良くなかった。
 しかし一方で納得もしていた。独神は目的の為なら何事も辞さない。
 でなければ、いつまでも英傑たちの好意を袖にして煙に巻くような不誠実な真似は出来ない。
 本当は誰かに想ってもらえるような存在ではないのだ。
 改めて向かい合った我欲に、独神はいつも通り目を閉じた。使命には不必要な感情だからだ。
 感情と意識を切り離していると、ふいに身体が温かくなった。

「でもね、その身勝手で惨めな所も、ワタシなら抱いて癒してあげるわ」

 甘やかな吐息に胸が高鳴った。
 かなり身長差があるというのに、抱き付く、ではなく抱きしめられた感覚がある。
 しかし、甘美な痺れは泡沫。すぐに肌を刺すような寒さと脚を失ったような浮遊感が襲う。
 ぼやける視界の中、抱いたのは恐怖だった。耳元でくすくすと笑う声だけがやけにはっきりとしている。

「どんな闇夜でもワタシがいる。時には標となり、時にはアンタを呑みこんであげる」

 急に視界が開けたと思うと、一歩離れたところにツクヨミが立っていた。
 今はもう手足の感覚がある。身体は寒いどころか熱いくらいだ。
 得体が知れない。一瞬一瞬で変わる状況はまるで、月の満ち欠けの様で。
 独神は反省した。甘く見ていた。この小さな神を。
 彼女は紛れもなく────。

「月の化身であり、夜を総べるこのワタシと同じ地にいられる事を誇りに思いなさい」

 独神は頷くのがやっとだった。目を合わせる事が躊躇われる。
 動物が己より強い者の目を見られない事と同じだ。気圧されている。

「人々が畏れるツキヨミの暗き祝福はアンタのものよ」

 上目遣いでありながら、上から見られているような錯覚。
 抱えている力が違い過ぎる。これでは祝福と言うよりも呪いだ。この愛は、重すぎる。
 再度ツクヨミが両手を広げたのを見て、逃げようと思った。
 月の神の加護は使命の足枷になると判断してのことだ。
 来る者は拒まずの信条は今回だけは捨ててしまえと、独神は後退りしようとした。
 した、が、動けなかった。ツクヨミの力で地に縫い付けられているのではない。
 強大な力でねじ伏せられている、とも少し違う。
 胸を占める思いは、この神の手を拒みたくないという、己の指令への拒否だった。
 動かない独神を、ツクヨミはゆっくりと抱いた。
 温かくもあり、冷たくもある抱擁に、少しずつ溺れていくのが判った。
 独神の中で一つだけ確かな願いも罪悪感も、今は闇の中へ埋もれていく。
 何もかもどうでもいい。
 全てを手放そうとした時に、蝕が終わった。

「わああ!!主ちゃん!何やってるの!?へんたい!はれんち!」

 途端に独神を押しやり、あろうことか罵声を浴びせかける。
 いつもの取るに足らない悪口の連発が、とても懐かしく愛おしかった。

「良かった……」
「何が良かったのよ!へんたいへんたいへんたい!」
「どうぞ。好きなだけ言ってちょうだい」
「はぁぁああ???主ちゃん気持ち悪いんだけど!?」

 正しく蔑んだ眼に安心感を覚える。もういつものツクヨミだった。
 心はこの唐突な変化についていけていないが、言葉の暴力で嬲られる度に目が覚めてくる。
 さっきのツキヨミはお終い。もうお終いなのだ。

「被虐趣味の主ちゃんに、一言物申してやるわ。
 夜に呑まれる気になったら、いつでも来なさい」

 一瞬だけ大人びた顔を見せた。