自本殿の話 二〇一八年二月


 *2/1

 執務室に着いて早々、独神は大きな溜息を零した。
 人の目がない、とすっかり弛緩していたのだ。

「若者がそう溜息をつくものでないよ」

 なのにヌラリヒョンが声をかけるものだから、独神は悲鳴を上げそうになった。
 慌てふためく姿を、愉快そうにヌラリヒョンは笑っている。

「び、びび、くりするでしょう?あなたの神出鬼没っぷりには未だに慣れないわ」
「ほう、それは良い。まだ遊べるではないか」
「ヌラリヒョンっ」

 語気を少し強めて注意をしても、またそれを笑われる。
 大妖怪から見れば独神は童も同然だ。"愉快なおじいちゃん"に良いように遊ばれてしまう。

「一血卍傑をして疲れたろう。茶を淹れておいたから気を休めると良い」

 炬燵の中は温められ、茶と茶請けが用意されている。
 妖の大将でもあるヌラリヒョンだが、居丈高な所は一切なく、気配りが上手くて気を使わせない。
 その上知識が豊富で、戦経験も多いときては、独神もついつい甘えてしまう。

「ありがとう。ヌラリヒョンも一緒に頂きましょう?」
「主(ぬし)に誘って貰えるとは光栄だ」

 二人は炬燵に足を入れて、茶を啜り、茶菓子を口にした。
 体力消耗が激しい一血卍傑を終えた身体に、熱と糖分が染みわたり、堪らず吐息を漏らした。
 ふと、ヌラリヒョンを見れば何も語らず、ただ慈愛に満ちた眼差しで独神を見ている。
 光の加減で変わる宝石のような瞳に捉えられると、ついつい独神は心の中を漏らしてしまう。

「今日は骨に近しい強い英傑が産魂ばれる可能性がある、とナリカマに言われたの。
 でも、駄目ね。思った通りの者は産魂べなかったわ」

 魂を結び、新たな魂を産む一血卍傑であるが、対象は選べない。
 一血卍傑の練度が上がれば話は変わるのかもしれないが、今の独神にそんな力は無く毎度運任せだ。

「骨……って、あなたは心当たりあるかしら?」

 ヌラリヒョンは少しだけ考える素振りを見せた。

「知っているかもしれぬ。が、知らぬかもしれぬ」

 教えてはくれないようだ。偶にそういう時がある。
 反抗はしない。かと言って従順ではない。妖族全般がそうだ。
「そっか」と短く返した。

「一血卍傑も満足に出来ないのが不甲斐無くてね……、少し気分が落ち込むわ」

 愚痴を零すと、ヌラリヒョンはいつもそれを優しく拾い上げる。

「また次がある。儂ら英傑が主と共にある限り」

 耳朶に響く静かながら頼もしい声が心地良かった。
 胸の内に漂う言いようもない靄がゆっくりと溶けていく。

「えぇ、次も頑張るわ」



 *2/2

「頭(かしら)!酒!じゃなかった茶!」

 執務室の戸が乱暴に開けられた。

「はいはい、ただいま」

 どかりと座布団に座るシュテンドウジに、独神は甲斐甲斐しくお茶を淹れた。

「チッ、味気ねぇ。……あ、頭が淹れた茶が不味いって訳じゃねぇから」
「えぇ、大丈夫よ」

 落ち着かないのか、物足りないと言いながらもお茶をがぶがぶと飲んでいく。
 独神は黙って給仕した。

「……なぁ、頭。悪ぃけど……少しここにいてもいいか?」
「どうぞ。好きなだけいてちょうだい」
「へへっ、本当すまねぇ。あの日がもう明日に迫ってるからな。苛ついちまって」

 明日──二月三日は節分である。
 鬼人の中でも純粋な鬼であるシュテンドウジへの影響は凄まじく、ここ数日禁酒をしたり、負荷をかけた鍛錬をして身体を痛めつけたり、出来得る限りの備えをしていた。

「去年はなんとか止めてもらったけどよ、今年は大丈夫だと思うか?
 この一年で、おれ結構強くなっちまったからさ」
「心配いらないわ。みんなも、同じように強くなっているのよ」
「ははっ、違ぇねぇ。……特にツクヨミは化けモン染みちまったしな」

 ツクヨミはシュテンドウジと同じく限界を超えた力を手に入れた。
 シュテンドウジを御する可能性が一番高い英傑だ。
 明日の鬼討伐(豆撒き)でも、討伐隊の参加が決まっている。

「あと、あの女に伝えてくんねぇか。殺されたくなきゃ斬るより避ける事を第一に考えろって」
「ええ。……必ず、スズカゴゼンに伝えるわ」
「別に。絶対言って欲しいって訳でもねぇけど」

 思わず噴き出した独神に、シュテンドウジも小さく笑った。

「とにかく明日、頭は外に出るなよ。正気に戻った時、頭が怪我してるなんて考えたくねぇからな」
「……うん」
「なんだその間は。何があっても外出んなよ。絶対だからな」
「うん……」
「なんか頭の返事って全然信用できねぇんだよな……」



 *2/3

 昨日、シュテンドウジに言われた通り、独神は執務室に籠っていた。
 心配性のアマテラスに命令と言う名のお願いをされ、食事も執務室でとる事になった。
 朝餉、昼餉ときて、次は夕餉である。
 人が出払っているので部屋の出入りが少なく、食事を持ってくる者と話す事が楽しみだった。

「お上!年越し蕎麦お待ちどう!」

 キンシロウが湯気のあがった蕎麦を持って来た。

「ありがとう。ところで、時間があるなら少し付き合ってくれない?」
「おうよ。俺はもう食っちまったし、食休みがてら付き合うぜ」

 独神と向かい合い、座布団にどかりと座った。

「ほらほらお上も早く食っちまいな。蕎麦は三たてが一番美味いからな」

 頷いて同意し、独神は蕎麦を啜った。
 食べている間、キンシロウが外の事を聞かせた。

「鬼たちは無事鎮圧したぜ。双方の陣営共に軽傷で済んだ」

 まず話してくれたのは、独神が最も危惧していた事だった。

「今年は恵方巻も有効だって話は聞いたと思うが、
 実際口につっこまれてるのを見るとよう……豆と大差ねぇ悲惨さだったぜ」

 独神は蕎麦を啜りながら思わず笑った。
 はしたないからと、すぐに堪えたが。

「戦いの様子は……だな。シュテンドウジが強ぇのは予想通りだ。
 だがヤベーのは他にもいたんだよ。誰だか判るか?
 ……コノハテングとアシュラだよ。二人の連携が厄介でな、怪我人の殆どがこいつらのせいだ。
 お上には悪ぃが、戦ってる俺たちは正直わくわくしたね。
 いつも同じ方向を見て戦ってる仲間を正面から見据えるってのはさ」

 何も飾れない、偽れない拳で、相手を痛めつけ、自分も傷つき、その先にある心に触れる。
 戦闘に参加しない独神には判らない感覚だ。
 だからこそ、羨んだ。言葉以外で心を通わせる術を持つ彼らを。

「お上が好奇心に負けて出てこなくて良かったぜ。お上に何かあったらあいつらに合わす顔がねぇからな」

 共に傷を負えない事が、少しだけ、寂しかった。

「御馳走様でした。美味しゅうございました」
「お粗末様。じゃ、俺は片付けてくるぜ。風呂は誰かが呼びに来るからもう少し待ってな」

 手早く盆を持つと、キンシロウは行ってしまった。



 *2/5

「荒れた飲み方してんな~」

 散らかった酒瓶の中央で酒を煽るスクナヒコを見てチョクボロンは思わず零した。

「おれにだって、そういう時もあるんだよ」

 自分より大きな酒樽を持ち上げ、浴びるように飲んでいる。
 チョクボロンは腰を下ろした。

「オレも付き合うぜ。良いだろ?」
「……好きにしろよ」

 他人が来たことで少し冷静になったのか、酒の勢いが和らいだところでチョクボロンは尋ねた。

「何があったんだよ」

 今度は升を傾け、飲み干してからスクナヒコはぽつぽつと語った。

「……お頭(かしら)、倒れたの知ってるか?」
「ああ。八百万界が不安定だからその影響を受けて……って聞いたな」

 倒れたと言っても、少し睡眠をとったら元気になり、チョクボロン自身もその姿は見ていた。

「殺界炉がある限り仕方ねぇらしいけど……それがどうした?」
「倒れた時、お頭の傍におれと相棒がいたんだよ」
「オオクニヌシか。だからヌシ様をすぐに運べたんだな」
「そうだよ!!」

 スクナヒコは声を荒げた。どうやら荒れた原因はここにあるようだ。

「……相棒がいたから良かったんだ」

 良かったなら怒る理由はない。
 チョクボロンはうーんと考え、そしてはっと気づいた。

「アンタじゃヌシ様を運べなかったって事か!」
「………………」

 無言でチョクボロンを睨み付けている。

「……まあ、元気出せって。倒れた時傍にアンタがいるだけ、ヌシ様も良かったろうさ」
「いるだけじゃ役に立たねぇだろ」

 そしてまた、スクナヒコは酒を煽った。重症だ。
 これではいつものようにおどけてみても、感情の沈みを加速させるだけだろう。
 よってチョクボロンは、普段は意識しないようにしている感情の包みを開いた。

「そうだな、どうにも出来ない事ってあるよなー。オレは付喪神だから、棄てられたら終わりだしな」
「棄てられたら……って、お頭が何か持ってるわけじゃないだろ?」
「依代はないけど、なんつか……そういう感覚があんだよな。
 持ち主に拒否されたら戻れないっつーか。だってオレ"物"だもん」
「でも、お頭が棄てるとは到底思えないぜ」
「んー……。そうだといいんだけどなー」

 チョクボロン自身、独神を信じていた。
 信じている、が、物であった時分に抱えていた、いつかは棄てられる、という恐怖は早々克服できない。
 ましてや、多くの英傑を束ねる独神が自分を特別視するとは思えないとの諦めもある。

「……。はぁ、やっぱ辛気臭ぇ酒は良くねぇ。ちょっと待ってな、いいモン飲ませてやるよ」
「マジ!?超期待!」
「付き合ってくれた礼だ。あと、明日も楽しく過ごすための浴び酒よ」
「きゃー、スクナヒコ愛してるぜー!」
「まあまあ。期待以上に良い思いさせてやるぜ」

 二人は楽しく酒を飲んだ。
 くよくよするより、愉快な事を考えている方が良い。
 独神の事も、八百万界の平和を取り戻した後に悩んだって遅くはないはずだ。
 こうして、ドンチャン騒ぎをした次の日、二人は二日酔いになった。



 *2/7

 二月の夜は凍えるような寒さである。
 独神は褞袍を着て廊下を歩いていた。
 すると、アマツミカボシが外にいるのが見えた。星を眺めているのだろう。
 足駄を穿いてなんとなく近づいてみた。

「今日は空が澄んでいるわね」
「……」

 返事はない。星見の邪魔なのかもしれない。
 そのまま静かに去ろうとする。と、「頭(かしら)」と呼び止められた。

「急いでいるのか」
「いいえ。邪魔かと思って」
「……暇があるならもう少しいると良い」

 独神はしゃがんで共に星空を眺めた。
 ぶるりと震えるほど寒い。

「そんなに着こんでいてまだ寒いのか」
「あなたこそ、その格好で平気なの?」
「いくら俺でも人並みに寒さは感じる」
「なら私の貸してあげる」
「いらん」

 断られ、脱ぎかけた褞袍をまた着た。
 しゃがんで星を見ていると、アマツミカボシが命令した。

「頭……立て」

 言われた通り立ち上がり、手を引かれるまま従うと、アマツミカボシの目の前、胡坐の真ん中へ座らされた。

「……無いよりはましだな」

 そのまま二人で空を見上げた。
 温もりを感じながら見る星はいつも以上に瞬いていた。



 *2/9

 ガシャドクロさんをもふもふにする為に、と奮闘するクダギツネと監視するハットリハンゾウ。
 怪我のないように付いて行ってと、独神に言われて派遣されたジライヤ。

「……貴様、絶望的に合わないな」
「お前は結構合っているようだな」
「俺のような忍が合うはずないだろう。貴様の感じ方はずれているようだな」

 ジライヤは何も返さない代わりに、ハンゾウの肩に乗る一匹の猫を注視した。



 *2/10

「質問しても良いかしら?」

 独神はお伽番であるアマツミカボシに尋ねた。
 アマツミカボシはぶっきらぼうに答えた。

「……好きにしろ」
「あ、でも……下らないことなのよね。面白くもないし……」
「言うのか、言わないのか。はっきりしろ」

 話しかけるなとは、言わないようなので、独神は安心して本題に入った。

「甘える、ってどういう事だと思う?何を指すと思う?」

 アマツミカボシは沈黙した。何拍か置いて、平静のまま答えた。

「何を言い出すかと思えば、本当に下らないな」
「そうね。それで、どう思う?」

 身を乗り出す勢いの問いを、アマツミカボシなりに思案して冷静に聞き返した。

「まず、なぜそのような思考に至った?経緯を教えろ」
「うーんとね……。甘えてくれないかと言われたのよ。
 でもよくよく考えてみると、あまり理解出来なかったのよね。
 心の支えという意味での"甘え"は判るわ。でも、行動で求められた時、どうしていいか困ってしまって」
「フン、つまり頭は他人に求める事はないという事だろう」

 歯に衣着せぬ発言は辛辣だった。

「やっぱりそういう事なのかしら……」

 独神は寂しそうに笑った。アマツミカボシは溜息をつく。

「……もう一つ、考えられる事がある」
「それは……?」

 アマツミカボシは独神と膝を突き合わせた。
 距離が近い。それは、たやすく触れられる距離。
 気の置けるものには許されない距離だ。

「そもそも、頭が甘え慣れていない事だ」

 二人の視線は交差しつつも、惑う。
 身動きが取りにくい状況を打破したのは独神だった。

「……じゃあ、あなたならどう甘えてみせる?」
「何を馬鹿なことを。俺がそんなことをする道理はない」
「だって、私と違ってあなたなら判るのでしょう?教えてくれたって良いじゃない」

 アマツミカボシは舌を打った。

「……断る」
「知らない、って事?」
「知らぬわけではない」
「本当に?」
「疑うな」

 そっぽを向くアマツミカボシを、独神はじーっと見つめた。
 それはもうしつこく、一時も逸らさない。
 苛立ったアマツミカボシは次第に吐いた。

「俺が知るわけないだろう。誰かと共に歩む事のない悪神なんだからな」

 手玉に取られた屈辱感を曝け出すアマツミカボシに、独神は笑った

「ふふっ、そっか」
「貴様楽しんでいるだろう」
「いいえ。自分だけではなくて、ほっとしているだけよ」

「どうだか」とアマツミカボシは鼻を鳴らした。

「これからは少し行動を改めるわ。よく甘えて良いって言ってきたけれど、相手を困らせる事もあるのだと。
 相手を困惑させない為には、私から甘える方が相手に考える手間を与えなくて済むわ」
「いちいちそんな事を考えているのか」
「いいえ。その時の気分よ。あなたたちとの会話はただ楽しんでいたいの」

「そうか」と短く答え、アマツミカボシは話を元に戻した。

「それで、どう甘える事にしたんだ」

 独神は沈黙した。アマツミカボシはやれやれと肩をすくめた。

「思考整理のみで、必要な事を何も得ていないようだな」
「その通りね。……じゃあ、あなたが私に甘えてみせてよ。私はそれに倣うわ」
「おい、その話まで戻さなくて良い。さっき、出来ないと言ったはずだ」
「いいえ、きっとあなたなら私との会話で何かを掴んだはずよ」
「はた迷惑な過大評価は止めろ。誇り高き星の神が他人に媚びる真似などしない」
「お願い。私に甘えて」
「断る」
「お願い」
「しつこい。断ると言ったら断る」
「お願いします。神様、星神様、アマツミカボシ様」
「心にもない事をやめろ」

 そんな二人の応酬を、襖越しに聞いている者がいた。
 アメノワカヒコだ。

「(遠征の報告がしたいんだけど、彼が楽しそうだから入りにくいなあ……)」



 *2/13

「あら、スーくん……って、えええええ!!!!」

 余寒なお厳しく、春を待ちわびる頃、アマテラスの絶叫が本殿中に響いた。

「全員集合です!」

 と、スサノヲを除く八傑がアマテラスとツクヨミによって部屋に集められた。

「これは一体どういうことだ。面倒なことは俺以外に任せてくれ」

 早くも帰りたがるヤマトタケルにアマテラスの矢がかすめた。
 限界を突破した冥手の一撃は床に大穴をあけた。

「ちゃんと説明するからご清聴下さいね、ヤマトくん」

「あ、これは逆らってはいけないやつだ」と、他の面子は瞬時に理解した。
 ヤマトタケルも素直に従い、口を閉ざす。

「静かになった事だし、ワタシが説明するわよ」

 どこから運び出したのか、移動式の黒板にスサノヲの絵図(下手くそ)を貼りつけ、
 これまたどこから持って来たのか判らない指示棒でカンカン叩きながら説明を始めた。

「これは神代八傑発足以来の大事件よ。よく聞いて。
 なんと、あのお馬鹿でどうしようもない我が愚弟のスーちゃんが風邪をひいたのよ」

「うっ」と、目頭を押さえたアマテラス以外、事の重要性が全く伝わってこなかった。
 だがここで余計なことを言えば、限界突破な攻撃が二人分飛んでくる。
 さて誰が行く。誰が贄となる。
 目線で話し合い、この中で一番頭が回る(気を遣える)ウシワカマルがその任を引き受けた。

「アマテラス様、ツクヨミ様、どうか愚かな僕たちの為に、もう少し詳しく教えて頂けないでしょうか」

 さあさあ、攻撃は飛んでくるのか、飛んでこないのか。

「……わかりました。では、説明してあげます」

 女が敬語で話し出す時は大体厄介なんだよな、などと関係のない事を思いながら、
 一同はアマテラスの方へ向き直って、耳を傾けた。

「私達の愚弟スサノヲが風邪をひく……と聞けば、大したことが無いように思うでしょう。そうでしょう。
 ですが!愚弟は腐りきっても三貴子の一柱。
 怒れば地震、泣けば干ばつ……と様々な大災害を引き起こしてきました。
 さて……もうお分かりですね?」

 一同がなんとなく理解したところで、ジライヤが質問をした。

「スサノヲの風邪の症状で、どのくらいの被害が出るんだ」
「スーくんのくしゃみ一つでこの島は水没します」

 ようやく全員が、独神と自分たちを含む英傑に危機が迫っている事を完全に理解した。

「めちゃくちゃヤベー状況じゃねぇか!!!」
「だから、最初からそう言ってんでしょ!!馬鹿!!!」

 ツクヨミの罵りが耳に入らないくらい、シュテンドウジは現状に震えた。
 面倒くさがりのヤマトタケルでさえ、表情を硬くしている。

「……判りました。御二方は何か策をお持ちでしょうか?」
「スーくんを船に乗せます。おわり」
「つまり海の真ん中でならばスサノヲ様がくしゃみをしようが咳をしようが、この島は守れると言う事ですね」
「その通りよ、ウシワカちゃん」

 酷い話である。姉達には慈悲の心は無い、むしろ姉だから厳しいのか。
 シュテンドウジも流石に助け舟を出した。

「さすがに可哀想じゃねぇか?他に方法とか……ホラ、くしゃみさせねぇように口に雑巾を突っ込んどくとか」

「それも十分酷いだろ」と、ヤマトタケルは思った。

「甘いわ!!そんなことでどうにかなるなら、スーちゃんの悪童伝説はもっとましなものになっていたはずよ!」

 つまり、特に方法は無いという事だ。ジライヤは早々に腹を決めた。

「了解した。ではまず標的であるスサノヲを確保しよう。酒を飲ませれば大人しくなる。
 そうすれば船に閉じ込める事も容易いはずだ」
「さすがジライヤくん!船は私とツクちゃんで用意するね」

 あれよあれよと作戦は決まり、アマテラス、ツクヨミ、ジライヤの三人は行動を開始した。
 さて、残りの者は……。

「なぁ、ウシ。あいつの嫁は何処にいると思う」
「遠征でしょうね。帰りは主(あるじ)様なら知っているでしょう」
「なら俺が主(あるじ)の所へ行こう。逃がすついでにクシナダヒメの居場所も聞きだす」
「頼んだ。おれは他の英傑たちに今のヤベー状況を伝える」
「僕も行きましょう。本殿の外にいる者もいるでしょうから、空を駆ける者達に協力を仰ぎます」
「よし。じゃあおれたちも行こうぜ」

 シュテンドウジ、ウシワカマルは本殿に散らばる英傑たちの元へ向かった。
 ヤマトタケルは独神がいるであろう執務室へ真っ直ぐに向かった。
 中には、お伽番であるアマツミカボシのみがいた。

「頭はいない。用事なら出直せ」
「そんな時間は無い。まずは聞いてくれ」

 ヤマトタケルはスサノヲの事、八傑達の動きについて説明した。
 訝しげだったアマツミカボシも、終わりには事の重大さを理解していた。

「判った。俺は頭を探す。多分風呂かミコシニュウドウの所だろう」
「任せた。俺はそれ以外の場所を探す。他の奴らにも協力させる」

 ヤマトタケルが引き続き独神を探している頃、ジライヤはスサノヲに出会っていた。

「くっ……なんということだ」

 災厄の申し子スサノヲは寒空の下、日当たりの良い花廊で惰眠を貪っていた。
 クシナダヒメの膝枕で。その隣には独神で。
 離すべき者達が揃ってしまっていた。最悪の事態である。

「頭領、クシナダヒメ、落ち着いて聞いて欲しい」

 ジライヤはなるたけ不穏な事を言わぬよう、淡々と事態を説明した。
「あらあらまあまあ」と、二人の返事は呑気であった。

「本当に現状を理解しているのか?」
「ええ、勿論。ですわよね、主(あるじ)様」
「把握出来ているわよ」

 その割には、二人とものんびりとしている。
 横たわっているいびきで煩い男が一度くしゃみをしただけで、大地が割れると言っているのに、だ。
 ジライヤには全く理解できなかった。冷静沈着な忍であるが、意識の差に焦りが生じる。
 特に英傑たちをまとめるべき独神が、立ち上がる事すらしないのだ。
 軽く絶望する。頭領にしたのは間違いだったかとまで思う。

「頭領。指示を」

 出来るだけ冷静に独神の尻を叩いたつもりだった。
 しかし、独神は微笑を浮かべている。

「大丈夫よ。焦る必要はないわ。でもそうね……確かにこのままだと身体を冷やすから起こしましょうか」
「はい、主様」

 クシナダヒメは膝の上の大男を軽く揺らした。「スサノヲ様」と何度か呼びかけると、大きな欠伸が返ってきた。

「スサノヲ様、起きて下さいまし。お風邪を引いてしまいますわ、お部屋に戻りましょう」
「んぁ?……ふぁわぁああ……眠ぃ」
「スサノヲ、起きてちょうだい」
「んぁ、主(あるじ)か……」

 二人に呼ばれ、のっそりとスサノヲは起き上がった。

「……なんだ、ガマヤロウまでいたのか……くしゅん」

 それは、あまりにも唐突な──終わりだった。
 忍であるジライヤでさえ、想定外で、独神だけを連れ出す事も出来なかった。
 任務を達成できないばかりか、仕える主を死なせ、こんな間抜けで情けない死を迎えるのか。

「……む。どういう事だ」
「ふふっ、言ったでしょう。大丈夫って」

 スサノヲはクシナダヒメに鼻をちーんとしてもらっている。
 オノゴロ島は無事だった。主である独神もまた、無事である。

「頭領、これはいったいどういう事なんだ」
「スサノヲも成長しているのよ。大切な人を傷つけない為に、加減を覚えているの」

 そう言うと、またスサノヲはくしゃみをし、咳までした。
 だが、大地はいつもどおりどっしりと構えているし、空には鳥が飛んでいる。
 世界が崩壊している様子は、まっっっっったくない。

「……これは俺の状況判断が間違っていたのか」

 同じ三貴子である、アマテラスツクヨミを信じすぎたのが敗因か。
 他人からの情報を鵜呑みにするという初歩的な過ち。
 大きな溜息をついてもジライヤの無念は晴れない。

「あなたはみんなの為に頑張ってくれたわ。ありがとう」

 礼を言われる道理はない。
 主を煩わせ、混乱を招き、あまつさえ主と決めた事を後悔したのだ。

「きっと、今後もこういう時はあるわ。次こそ本当に私たちの危機かもしれない。
 今回は訓練だと思って、次に生かしましょう」
「頭!!」

 丁度良い時にアマツミカボシが来た。
 独神の為に走り回っていた事が見てとれる。

「あま、────」
「説明は後だ」

 ひょいと独神を担ぎ、アマツミカボシは全速力で走った。
 独神がやいやい叫んでいるので、そのうち事態を把握するだろう。

「スサノヲ様はお部屋でお休みくださいませ。夕餉は私が心を込めておかゆを作らせて頂きますわ」
「粥か……。あんま好きじゃねえけど、オマエが作るなら美味しいに決まってるな」
「まあ。スサノヲ様ったら……」

 スサノヲとクシナダヒメは相変わらずだ。
 あまりに仲睦まじく、今までの事全てが馬鹿馬鹿しい。
 ジライヤは頭を切り替え、全ての英傑達に先程の知らせが誤報である事を伝え、八傑たちにもスサノヲが島を破壊する心配は無い事を伝え回った。



 *2/14

 ミチザネが山を歩いていると、梅の花が一輪咲いていた。
 ようやくこの季節がきたか、と他の者には見せない微笑を浮かべていると、別の梅の木を剪定するククノチが目に入った。
 普段言葉を交わさない相手である。ミチザネは気付かれないように隠れて梅を眺めていた。
 それにしても、本殿付近ではなく山の方まで剪定とは。

「ちょっと痛いけど、我慢して下さいね。じゃないと栄養が回らなくなっちゃうので」

 二人の間に遮蔽物があるとはいえ、声はよく届く。
 盗み聞きのようでばつが悪いが、落ち度は独り言を言う方にあると解釈し、気にせず梅の観賞を続ける。

「土地が枯れるばかりで、どの子も蕾が少ないですね。
 本当なら辺り一面花だらけになるはずなのに」

 確かに枝に対して蕾のつきが悪い。
 手入れされない山に自生するからかと思っていたが、悪霊侵攻が原因のようだ。

「……どうして人族はあんな剪定をするんでしょうね」

 気になる言葉が聞え、ミチザネはすっかり耳を傾けた。

「切り戻しが必要なのはわかります。
 わかりますけど……伸びても伸びても根本から切られ続ける木の気持ちを考えた事があるのでしょうか」

 切り戻しとは伸びすぎた枝を切り取って株を短くすることである。切る事には勿論理由がある。
 樹形を整える事、不要な枝を減らし新芽や花へ養分をまわす事、風通しをよくし病害虫を予防する事。
 決して、見た目の為だけに木々を痛めつけているわけではない。
 ただそれは、庭師のように植物を理解している一部の人族に限られ、素人ならば加えて汚い鋏で枝を切り、切り口の処理もしないことだろう。
 植物の声など、聞こえないのだから。
 桜と違って梅は切らなければならないから、ただ切れば良いと考えているのだ。
 梅を愛でる者として、嘆かわしいことだと思うし、知識がある者ばかりではない事は仕方ないとも思う。

「でも、貴方たちを愛してくれているのは確かですよね」

 先程とは違い、柔らかい声色に変わった。

「知っていますか?昔の和歌では梅の花がたくさん詠まれたそうですよ。
 ……当時流行っていたからとか、今は花と言えば桜とか、色々変わっちゃったそうですけどね」

 神族でも和歌の歴史について覚えがあるとは驚いた。
 確かに近年では桜が広く愛されるようになったが、それでもミチザネは梅が好きだった。
 邸内には沢山の梅を植えて、毎日毎日梅と過ごしていた。

「そうですよね。大事なのは、愛してくれる人が一人でもいることですよね。
 自分が木々と話せるからって、人族に偉そうな事を言ってしまいました。
 彼らは彼らなりに、貴方たちと関わってくれているんですよね。
 少しくらいは目を瞑りましょう。切り方が雑でも」

 ここまで根に持つとはいったい、どんなものを見たのだろうか。
 ミチザネには全く関係ない事とは言え、気になってしまう。

「あ、もう墨汁がなくなってしまいます。ちょっと行ってきますね」

 駆けて姿がすっかり見えなくなった後、ミチザネは身を現し、ククノチが触れていた木に近づいた。

「言葉が判らなくてすまない。代わりに、お前のことを歌に残そう。
 他の者や未来の者達にお前の生きた姿を、知る事が出来るように」



 *2/15

 本殿はいつも以上に賑わっているようだった。どうやら独神に関する事らしい。
 俗世の好尚に一切興味が無いゲンシンだが、独神に関する事は俗な大衆と同じく気になってしまう。
 しかしながら、算術以外の情報には疎い。だから話しやすい相手の中で、最も知っていそうなベンケイに尋ねてみた。

「すまないベンケイ、ちょっといいかな」
「構わぬ。どうした」
「本殿中が浮ついているようだが、何かあるのかな」
「ああ。今年は天候の関係で血代固ではなく手作り菓子を上様に献上するそうだ。
 皆材料集めに奔走している。……私もその一人だな」
「なるほど……」

 独神の為に、作る、菓子。
 ゲンシンは頭の中で何度も何度も反芻した。

「折角だ、貴方もやってみてはどうだ。菓子作りは算術が得意な者に向いているそうだぞ」
「算術が?」

 俄かには信じがたかった。机上で行う算術と厨で行う菓子作りの共通項が判らない。
 見つからない解にただ悩むのが得意ではないゲンシンは、ベンケイの言葉の解を見つけに、菓子作りに挑戦することにした。
 幸い、菓子作りの調理法が書かれた本が沢山あり、本では判らない事は料理が得意な英傑が嫌な顔一つせず指導してくれた。
 そして、判ったのだ。ベンケイの言葉の意味を。

「菓子作りは算術だ!」

 菓子作りで最も大事なのは材料の計量だったのだ。
 少しでも量が違えば、大きな失敗に繋がる。だから慎重に正確に計る事が求められた。
 ふわふわした菓子達であるが、見た目と反し、数式で確と定められているのだ。
 永久不変の数字達が作り出すのは、一時の至福を与える菓子。
 ゲンシンに最も馴染のある数字が、まさか料理と繋がるとは思わなかった。

「勉学に励んできたが、まさかこんなことも出来るとは……。一人でいる時には思いつきもしなかった」

 穢れた俗世、と背を向けてきたが、新たな己の可能性に気づかせてくれるとは思わなかった。
 悪霊の襲来で八百万界が混沌に沈んでいく中でも、このように未知なる発見がいくつもある。
 それに対する喜びを不謹慎とも思う。だが、そんな不謹慎の烙印を押したものが、明日への執着となり、希望となる。

「……僕も、主君に渡しに行こう」

 穢れた世界の中で見つけた一筋の希望へ、ゲンシンは向かった。



 *2/16

「よう、お頭」

 化粧垂木にぶら下がっていたのだろう、屋根の裏からゴエモンが落ちて来た。
 何気なく歩いていた独神は驚き飛び跳ね勢いよく尻もちもついた。

「ははっ、活きのいい驚きっぷりで嬉しいねぇ」
「あ、あなたたちって……あなたたちって……」

 すっかり腰が抜けてしまって立ち上がれないので、みっともなく投げ出していた脚を折り、正しく座り直した。

「それで。楽しそうな顔してどうしたの?」

 ゴエモンは子供のように無邪気な顔でにこにこと微笑んでいる。

「これ、受け取ってくんねぇか」

 後ろ手に隠してあったものは、丁度両手で収まる大きさの風呂敷包み。
 どれどれと、独神は礼を言って受け取った。

「今開いても良いものかしら」

 力強く頷くので、遠慮なく包みを開くとその中は漆塗りで蒔絵の箱。
 今度はその箱を開けてみると、中には金粉を散らした西洋松露が整列していた。
 思わず感嘆の声をあげると、ゴエモンは得意そうに小鼻を蠢かせた。

「やっぱギラッギラの豪華絢爛が一番だろ?」

 そんな事を言うゴエモンの髪の毛や襟巻にも金粉が散っている。

「あなたまでキラキラになっているわ」

 すると、ゴエモンはニカッと笑って。

「ならこの黄金、盗んでみるかい?盗み方ならこのオレ様が手取り足取り教えてやるよ」
「ふふっ、じゃあ盗ませて頂くわ。そして、一緒に食べましょう」
「おう、盗まれちまったオレ様がお茶を淹れるぜ」



 *2/18

「越後!?」

 独神は思わず大声をあげた。

「い、今から行かなきゃならないなんて……。どうしよう」

 自分一人で到底どうにかなるものではなく、傍でお茶を飲むお伽番の顔を見た。

「ふむ、儂の百鬼夜行があるにはある。が……」
「信濃で神族が悪霊と戦っているから目立ちすぎる百鬼夜行は使えない……でしょ?」
「ああ。別の移動手段が望ましいだろう。例えば……天」
「ちょっと行ってくる」

 何かを言いかけたヌラリヒョンの言葉は耳に入らず、独神は部屋を飛び出した。
 外でも本殿でも天狗たちは同族同士で集まることが多い。
 山に住む彼らはそろって自然が好きな為、森の付近にいると踏んで、そこへ向かった。
 だが途中、上から声をかけられた。

「お探しかい。主君」

 今まで生物の気配すらなかったところに、ぽつねんとアタゴテングは立っていた。

「あなたの力を借りたかったのよ」

 事情を話すと、アタゴテングは快く頷いた。
「じゃあ」と今すぐに連れて行ってもらおうとすると、
 今度は別の天狗たちがぞろぞろと現れた。

「アタゴ!って主(あるじ)サンも!?」
「なんだ独神さんと話していたのか。道理で遅いはずだ」

 サンキボウと、クラマテングだ。少し遅れて来たコノハテングは毒づく。

「また徘徊してたのかよ。これだから年寄り天狗は、うぐっ」

 肝臓部にクラマテングの肘がめり込み、コノハテングは膝をついた。

「誰が年寄りだ。若いだろう?なあ?どう見てもこの肌は若者だなあ???」
「お、お若いです。ごめんなさい」

 がやがやと賑やかになる中、独神はアタゴテングに尋ねた。

「先約があったようだけど、平気?」
「構わない。天狗小会議と言ってもただのお茶会だ」
「なあなあ主サン、アタゴに何頼みに来たんだ?人数が要るなら俺たちも行くぜ」

 かくかくしかじか。独神が事情を話すと天狗たちは気を重くした。

「……独神さん、アタゴテングは止めた方が良い」
「どうして?」
「片道しか保障されないからだ」

 うんうんと、サンキボウも同意する。アタゴテングは異を唱える。

「失礼な。主君の頼みならば一つの地へ留まる事も容易い」
「って、言っておきながら置いていくからな」

 コノハテングが追い打つ。
 天狗たちの言葉を聞いて、独神はどうするかを悩みだした。
 心の揺れに気づいたアタゴテングが弁解する。

「主君、僕は確かに気まぐれだ。だが、しかし、仕える主君を忘れることなどない事を今誓おう」
「……判ったわ。ならば、宜しくお願いします」

 と、話は当人同士でまとまったのだが、何故か他の天狗たちはひそひそと話している。

「では主君。準備は良いか」
「ええ。この身さえあれば」

 アタゴテングに抱えられ、独神は空を飛んだ。
 青い空を駆け、時には雲を突っ切る。
 身を潰し兼ねない程の強風を受けながら、独神はそっと後方を見た。
 鳥にしては大きすぎる生物が途轍もない速さでついてきていた。

「(まるで小旅行ね)」

 独神は小さく笑った。



 *2/26

 キリンがオノゴロ島に来て十数日。
 本殿付近を散歩していると足元でつくしの頭が出てきているのを見つけた。
 死にゆくものが多いこの八百万界でも、こうして新たな命が芽吹いている。
 彼らが安心して暮らせるように、いっそう精進しようとキリンは思った。
 と、足音が近づいてきた。顔を向けると鬼火を連れた妖、チョウチンビが息を弾ませていた。

「大丈夫か?迷ったりしてないか?」

 一番の新参者であるキリンを心配してわざわざ来たのだろう。
 純粋な好意に礼を言った。

「お気遣い有難う御座います。お陰様で付近の地形は粗方覚えました」

 チョウチンビは鬼火たちと共に胸を撫で下ろすと、キリンの足元に気が付いた。

「今年も顔を出したんだな」

 しゃがみこみ、ふかふかの土から頭を覗かせるつくし達を眺めた。

「去年は主(ぬし)と一緒につくし取りをしたんだ。
 でも、取り過ぎたら駄目になっちゃうだろ。
 だから植物や山に詳しい英傑たちが仕切って、加減して集めたんだぁ。
 ま、スギナはそもそも強いから、そこまで厳しく無かったけど」

 悪霊に立ち向かう者と聞いて仕える事にしたキリンであるが、
 独神と会ってまず驚いたのは住む世界の危機が迫る中でも季節を楽しみ三種族と心から戯れていた事だ。
 キリンが今まで会ってきた者とは少し違う類の「君」である。

「それはとても楽しそうですね」
「へへっ、今年はキリンも一緒に出来るな。あ、でも、植物を摘んだりって嫌いか?」
「無意味な殺生は嫌いですが、生きる為に食する事を嫌う事を否定しませんよ」
「良かった!キリンは最近来たばっかりで、まだこういう祭りに参加したことなかっただろ?
 だから、楽しめると良いなぁって思ったんだぁ」
「優しいのですね」
「えっ!?そ、そんな、オラ……ははっ、そう言われるの、恥ずかしいなぁ」

 チョウチンビが照れると、鬼火達も呼応して照れる姿にはキリンも和んだ。

「ここでは、神とか人とか、今まで話した事もない奴の良い所や変な所を楽しめるんだぁ。
 だから、キリンもきっと大丈夫だ。主の傍は居心地が良いからなぁ」

 神通力を用いて八百万界を見てきたキリンもまた、他の者と交流することは殆ど無かった。
 ここに来てからは、毎日誰かと言葉を交わす新鮮な日々である。
 確かに居心地は良い。多種族が一同に集い、生活を共にしている光景は八百万界の理想に思う。
 この空間を作り上げたのが、独神というならばその才は確かなもの。

「(新たな主君よ、私にあなたの器を見せて下さい)」



 *2/27

 フウマコタロウは木の上で、対悪霊戦について熟思していた。
 戦の専門家である忍は、悪霊戦もお手のもの。とはいかない。
 敵はベリアルやパズスといった幹部以外は、意志がない雑兵たちだ。
 心が無い者は強い。動揺しない、退かない、死を恐れない。
 忍は突飛で派手な技も多いが、フウマコタロウの様な組頭は策謀を練って相手の心を鷲掴む事が主だ。
 その為、下人の様に身体を使うことは減っていて、独神の下に来るまで鈍っていたと言っていい。
 今は連日戦いに明け暮れ経験を積み、偶に一人になって技を磨いてより効率の良い殺し方を実戦へ取り入れた。
 頭の中で悪霊集団を殲滅していると、下で独神が歩いているのを見つけた。
 勢いよく独神の前に飛び降りると、独神は大口を開けて叫ぼうとするので、手で押さえた。
 煩いからではなく、声に反応して他の英傑が来ることを防ぐためだ。

「はぁ~い。独神ちゃん元気にしてる?してるよね?」

 自分の姿をしっかりと独神に見せてから、手を外す。
 独神は相当驚いたのか、息も絶え絶えに力なく答えた。

「はぁ……はぁ……し、してます……げんき、……です」
「そりゃ良かった。なはは」

 怒る気力も、呆れる気力さえないのか、胸を抑えて呼吸を整えている。
 そんな姿に愛しさを感じると、すぐに矛盾を覚えた。
 悪霊を殺せば殺すほど……つまり独神の役に立てばたつほど、遠くなると言う事に。
 そもそも悪霊が闊歩する前から、フウマコタロウは優秀な忍びである。
 敵が大切にしている者──多くは妻や娘を人質にとって殺したり、
 はたまた、小作人を一人一人殺して、兵の戦意を喪失させてから、敵将の首をとった事もある。
 血も涙もない、と言った言葉では表しきれない残虐性を内包した忍だ。
 目的の為なら手段を選ばないフウマコタロウと、目的の為でも手段を選ぶ独神。
 世の常識や倫理感を手放さない潔癖さを、フウマコタロウは嫌った。吐き気がする。
 自分との差異があればあるほど、独神と共にいる事が身体を掻き毟りたいほど苦痛で、どんな毒よりも身体を蝕む。
 忍が持たない価値観に身を置かなければ、独神の傍には居られない。
 底が知れない痛みを与えられ続けるというのならば、いっそ、自分のいる血生臭い世界へ引きずり落としてやろうか。
 だが、それは躊躇われる。それはフウマコタロウに残っていた一片の良心なのか、判らない。

「どうしたの?」

 人を殺めた事がないと思われる弱そうな手が、フウマコタロウの頬に触れた。
 住む世界が違い過ぎる者を、それも此度の戦の主を”求める”なんて、全くもって馬鹿げている。

「こんな顔すると、独神ちゃんが僕に触ってくれるからだよ」

「もう!すぐそんな事を言う!」とは、独神は言わなかった。
 何も言わず舐めるようにじっと見ている。まるで心の奥底を覗き込むように。

「……私は本殿へ帰るけれど、あなたは?」
「うーん、もう少しぶらぶらしてから帰ろっかな~」
「ご飯時までには帰ってくるのよ」
「独神ちゃん、お母さんみたーい」

 茶化しに笑うと、独神はそのまま背を向けた。
 さくさくと音を立てて、本殿へ帰っていく背中に言いようもない感情が湧き上がる。
 わだかまりを振り払うように、フウマコタロウは音もなく独神に抱き付いた。

「ぎゃぁああああ!」
「(あ。口塞ぐの忘れてた)」

 危惧した通り、お世辞にも綺麗とは言えない叫び声にモモチタンバが飛んできた。

「主殿!貴様、いったい何をした」
「ちが。もも、ももち、ま、ま……て」
「ちょっと驚かせただけだって。そんな殺気立たせないでよ。……独神ちゃんの身体に障るじゃん」

 モモチタンバは守るべき主ではなく、フウマコタロウを見据えている。
 敵意を露わにし、臨戦態勢に入っているのだ。
 いい気味だ、とフウマコタロウは腰が抜けている独神をひょいと抱き上げた。

「はいはい、判りました。僕が責任もって独神ちゃんを本殿に運びまーす。
 だから、あんたは下がっていいよ。ね、独神ちゃん?」
「ん……うん、大丈夫。驚いただけだから、心配しないで。ね」

 息を整えながら伝えると、モモチタンバは「御意」と呟いて消えた。

「(全く……古参だからって出しゃばり過ぎ。ハットリハンゾウも気に食わないけど、一番はあいつだ)」

 本殿に属する忍は数いれど、心の在り方まで忍らしいのは一部である。
 例えばサルトビサスケ。忍の領分を逸脱する事無く、影として密やかに仕えている。
 だが、モモチタンバは少し違う。身分を弁えているように見えて、何かが違う。
 決定的な証拠を掴んだわけではないが、忍としての勘だ。

「じゃ、独神ちゃん、一緒に帰ろうね」
「も、もう落ち着いてきたから下して平気よ」
「嘘は駄目だよ。ちゃーんと僕に抱っこされててね」

 温かくて柔らかい身体が愛しくて、痛い。
 喉が渇いた時の、呼吸でひりひりする感覚。
 それでも、傍にいたいと願った。

「(他の奴ら……特に忍になんて、絶対に近づけさせないよ)」



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【解説】

 2/3「年越しそば」
 明治時代前期までは、節分の日にはそばを食べる習慣があった。
 旧暦で言うと立春前日であり、現代で言う大晦日(12/31)と同じ日である為、
 この日に「年越しそば」として食べていたのである。