自本殿の話 二〇一七年十二月


*一二月二五日
 
「結構集まったんじゃない?」

 ツクヨミは『持たざる者達』を仕置きして入手した戦利品を広げた。

「でもこんな物、あるじちゃんに渡して良いの……?」
「大丈夫。あるじちゃんはなんでも喜んでくれるよ」
さとりのアンタが言うなら、そうなんだろうけど……」

 食卓台や西洋寝床等の家具類は喜ぶだろうと容易に判る。
 独神はアスガルズ界では一般的に使われる洋風と括られるものは大好きだ。
 問題は大量の中に様々な物が入った靴下である。御統珠、埴輪、ナバリ、犬までは良いのだが。

「流石のあるじ様と言えど、この者は不要では?」

 ウシワカマルが指したのは、以前自分たちと死闘を繰り広げた相手。
 ──魔元帥ベリアル。
 理由は不明だが今は靴下に入る程度に小さくなっていて、耳障りな笑い声をあげている。

あるじにもしもの事があっては困る。おれたちの心の中に留め、捨て置くべきだろう」

 盲目のホウイチはひょいと魔元帥を摘まみ上げた。
 極寒に晒されたせいか、小さな魔元帥はくしゃみを連発しゆらゆらと揺れる。

「いや、おれは反対だ」

 フクロクは元いた靴下でベリアルを包み込んだ。小さな魔元帥は鼻をこすると、爪先の方へ引っ込んでいった。

「彼のせいで、八百万界の民は今でも苦しんでいる。あるじもそうだ。
 だが、だからと言って、ここに放って見殺しにする事を、主は望まないだろう」

 五人は黙った。
 縞模様の靴下も黙っている。しかし、偶に「くちゅん」と小さなくしゃみをする。

「……主ちゃんを出すのはずるいよ。アタシが〝見〟なくたって、皆が思っている事は同じ」

 英傑たちは溜息をついた。勿論仕えているお人よしの独神に対してだ。

「結論は出ました。これらを持ち帰り、主様に判断してもらいましょう。
 それまでは僕達でこの者を監視し、動きがあれば処理を」

 五人は納得し、ベリアル含む戦利品を持ち帰った。
 白銀の世界の中で小さな高笑いが響いていく。
 


*十二月二十六日 其の壱
  
 ヌラリヒョンは早朝の散歩がてら独神がいる執務室を訪れた。
 目当ての独神は先ほど朝食を食べに行ったと、お伽番であるカグツチが欠伸交じりに答えた。

「随分眠そうにしておるな」
「……そりゃ、寝てねえからな。ふわぁあ」

 欠伸と共に炎が出た。

「昨日、小さいベリアルが持ち込まれたんだよ。
 とりあえずぬしと陰陽師が悪霊とは関係ない、ただの人形だって断言してたぜ」
「成程。では其方、用心の為にそれを一晩見張っておった……と言う事か」
「そうだよ。……ま、途中腹立って烏小屋に突っ込んだりはしたけどな」

 見ると、八咫箱の入り口に白い羽が数枚散っていた。

「ふわぁ……あー、眠すぎて動けそうもねえ。オマエお伽番代わってくんねえか?」
「儂は構わぬよ。ぬしが良いと言うのならば」
「言うに決まってんだろ。オマエはオレより頭は良いし、腕っぷしもなかなかだしな」
「ははっ、随分褒めてくれるではないか」
「事実だろ」

 ヌラリヒョンはほんの一瞬言葉に詰まった。素直すぎる者は操りやすいが、感情が直球で苦手である。
 しかし、そこは総大将ヌラリヒョン。カグツチにそれを気取らせることはない。

「火の神がこうも言っておるのだ。儂の全ての力をもって、主に熱い茶を淹れてしんぜよう」
「いや頑張る所はそこじゃねえよ」

 呆れるカグツチに、ヌラリヒョンはにこりと笑った。
 手早くお伽番の引継ぎを済ませ、カグツチが自室へと帰っていくのを見届けると、ヌラリヒョンは小さく息を吐いた。

「お伽番も随分久しいな」

 久しい、というが、前回のお伽番から一ヶ月も経っていない。
 悠久の時を生きるヌラリヒョンからすれば、一瞬の事である。
 それを長い、と形容した意味に気付くと自然と笑みが零れた。

「さて、と。宣言通り茶の準備をしよう」
 


*十二月二六日 其の弐
 
 聖夜の惨劇が終わり、ヒャッハーしていた英傑たちは元に戻った。
 ────はずだった。

「どいつもこいつも、俺の糸の餌食だ」

 タケミナカタが吹聴した「今なら独神様と抱き合い無料!」であるが、ツチグモだけはその甘言につられなかった。
 独神に仕えるようになってからは、悪霊以外を狩る事がなくなっていたので、久々の享楽をむざむざと手放す気は無かったのだ。
 耳を突き刺す悲鳴や、身体を圧迫されて漏れる呻き声に心が躍った。

「(俺は妖だ。誰かが苦しみ喘ぐ事に喜びを感じる、それが俺だ)」

 生まれ変わった、いや、自分の姿を取り戻したような心地である。
 興が乗っている今、このまま長年恨み続けている相手に復讐してしまおう。
 今ならいくらでも惨たらしく殺す方法が思い浮かぶ。
 殺意が高揚したその時、水をさす存在が姿を現した。ツチグモは毒づくと、それを糸で何重にも拘束する。

「何しに来やがった! ぬし!」

 極細の糸が今にも肉を千切らんと食い込んでいるにも関わらず独神は静かに答えた。

「本殿にいなかったから探しに来たの」
「俺は今最高の気分なんだ。邪魔をするな!」

 更に糸で締め付けると、独神は苦渋の顔を浮かべた。
 肌が裂け、肺への圧迫で呼吸が乱れる。
 それらを目にし、ぞくりと沸き上がった愉楽は、先程まで感じていたものと違った。
 快楽に付随する背徳感と、身を焦がすような何か。
 表には出すまいと、ツチグモはぐっと堪えた。

「……主はどうしてそう、無鉄砲なんだ。俺がどんな妖か知っているだろう」

 少しだけ糸を緩めた。会話が出来る程度に。

「知ってる。でも、あなたがいないと私が寂しいのよ」
「嘘だ。知らないからそんな事を平気で口走る」

 細い首に新たな糸を巻き付けた。それを、ゆっくりと、締めていく。
 両腕すら動かせない独神は一切の抵抗が出来ない。
 もう少しで気道にめり込む。そうすれば、流石の独神でも狂乱するだろう。
 生を求めて足掻く様はきっと、美しく愉快だ。それも英傑を束ねて支配する独神だ。
 きっと今までとは比べにならない程気分が良いだろう。
 だが、ツチグモはあと一歩が、踏み出せなかった。
 本人は認めたがらないが、その理由とは────。

「……主は運が良い」

 全ての糸を一斉に緩めた。
 独神は膝をついて咳き込んだ。衣類が裂け、少量の出血をしているが、大したことはない。
 己の所業ながら、ツチグモは胸を撫で下ろした。これ以上、か弱い独神を嬲るわけにはいかない。

「なあ主、あれは……まだ有効なのか?」
「あれって?」
「だから……くそっ。なんでもねぇ!」

 抱擁などなくとも、ツチグモは正気に戻っていた。独神が自分を求めて探しに来た。この事実が妖の本能を鎮める。

「歩けるか。……なら良い。あとで手当てしてやるから少しだけ我慢しろ」

 傷つけた相手を気遣いながら、本殿へ向かう。
 独神に関わると調子が狂う。そしてまた、自分が判らなくなった。
 


*十二月二十七日
 
  雪がちらつく中、指先が赤くなった星の神が執務室へやって来た。

「頭、任務は滞りなく終わった……っ」
「お疲れ様。どうぞ、ゆっくり休んで。あ、お茶を淹れるわね」
ぬしは座っていておくれ。儂が淹れよう」

 ヌラリヒョンの事はどうでも良い。炬燵の中で筆をとる独神の姿に、アマツミカボシは驚きを隠せなかった。

「その傷……どうした」
「ちょっと切っちゃったみたい」

 掛け襟が触れる首や、袖から覗く手首には包帯が巻かれていた。
 なのにそれを他人事のように答える時は、誰の仕業か絶対に答えないという牽制だ。
 この態度をとる独神にいくら腹を立てようとも無駄であり、勝手に加害者を斬れば己が罰せられる。
 怒りの行き場はなく、飲み下すしかない。

「今日は冷えるでしょう。あなたも炬燵に入りましょう」

 すっと手を引いて、アマツミカボシを自身の隣へと招き入れた。
 冷えた指を炬燵と独神の手の両方が温める。
 じんわりと熱を取り戻しているうちに、ヌラリヒョンが茶と切った林檎をアマツミカボシに差し出した。

「主も星神様も頂くと良い。月の化身が沢山持ってきてくれてな」

 そういえば、最近は食事の際にも大量の青果やそれらを用いた菓子が振る舞われていた。
 それが感情的で我儘なツクヨミが行った事とは意外だった。大方、独神に言われて調子に乗っただけだろうが。

「ありがとう。いただきます」

 筆を置いた手が林檎に手を伸ばそうとする所を制した。
 きょとんと見やる独神にアマツミカボシは不満げな態度で、

「その傷では不便だろう。仕方がないからこの俺が食べさせてやる」

 と言って、林檎に黒文字を差した。
 礼を言って無防備に口を開く独神を見ていると、和みもしたがそれ以上に、
 ────傷をつけた相手を許す事は出来なかった。

「なあ頭、っぐ」

 アマツミカボシの口に兎を模した林檎が押し込まれた。

「主の世話をしてくれる代わりに、儂が其方に食べさせてやろう」
「っ……。おい、やめろ。こんな事を頼んだ覚えはないぞ」
「儂が自主的にやった事だ。気にするでない」
「気に障ると言っている! 林檎くらい手ずから食う」
「あら、私もアマツミカボシに食べさせてあげようと思ったのに……残念ね」
「怪我人は大人しくしていろ」

 何も言うなと、二人は言いたいのだろう。
 己の行動を御される事は信条に反するが、独神の顔を仕方なく立ててやり追及はやめた。
 


*十二月二十八日
 
「なによ! あすがるずあすがるずって! ちっとも見つからないヤツなんて知らないわよ!!」

 障子を激しく閉めて、ツクヨミは走り去った。床に広げていた地図が四方へふわりと飛んでいく。独神は唸った。

「……悪い事をしたわ」
「うむ。機嫌を取っておいた方が良かろう」

 何事も無かったかのように、ヌラリヒョンは茶を啜った。

「すいーつを持ってお茶でもどうかしら」
「肌に悪いと騒ぐのが目に見えておる……が、ぬしならばなんとかなるのではなかろうか」
「今は追いかける方が先決よね。なら作戦会議の続きは後で。忍の報告は代わりに受けてもらえる?」
「あいわかった」

 独神はツクヨミの元へと走り出した。
 その後ツクヨミに追いついた独神が謝罪した所、照れ隠しと積もり積もった不平不満(れべりんぐで出突っ張りだった)でツクヨミは暴言を吐きながら更に逃げ出した。
 勿論独神は謝罪を口にしながらその後を追った。
 壮絶な追いかけっこの末、疲れた二人は最近はやり始めた超高級すいーつを食べて仲直りをした。
 めでたしめでたし、ではなく────。
 追いかけっこの最中、多くの英傑に迷惑をかけたので、二人は夕食抜きの刑を受けた。
 独神だろうと、神代八傑だろうと、飯炊き担当のウカノミタマ(冥手の装)には敵わないのだ。

「二人とも反省した? ……うん、それじゃあお夕食にしようね!」


 
*十二月二十九日
  
 十二月もあと僅かである。
 ここオノゴロ島も年の瀬とあって、英傑たちは走り回っていた。普段はのんびりとした独神も例外ではない。

「和泉の侵攻は食い止めた。あとは土佐からの連絡を待つのみ。
 日向の村へのお礼状は書いた。肴の発注も問題ない。お掃除は全部お任せ。
 ヌラリヒョン、私何か忘れてないかな?」
「常陸の人族の争いは如何するつもりだ」
「ダイダラボッチにお願いしたわ。あそこは彼を信仰する者も多いから、酷いことにはならないはずよ。
 ああ、東の廊下の修理をオオクニヌシに頼み忘れてた」
「儂が伝えよう。主は届いた酒をすぐに誰かに仕舞わせるが良い。酒飲みの鬼がそわそわしておるぞ」
「クシナダヒメに頼む。ついでにスサノヲには頂いた魚を運んでもらうわね。誰かいるー?」
「……にゃあ」

 障子の向こうで猫の声がした。特徴的な長毛が映る障子に向かって独神は話しかけた。

「ハットリハンゾウ、帰ってたの?」

 すると、決まりが悪そうにハットリハンゾウが姿を現した。

「言っておくが、俺は雑用なんてする気はな、」
「備後からハクリュウ達が帰ってくるの。手伝いに行って下さい。お願いします!」

 独神は勢いよく頭を下げた。ハットリハンゾウは愉快そうに口を緩めた。

「ほう、俺に頼むとは悪霊の殲滅か?」
「もち米の運搬よ」
「断る」

 興味が失せたハットリハンゾウはナバリを抱き上げ、踵を返した。独神は縋るような声をあげた。

「お願いします!! さっきロキにも断られたの」
「関係ない」

 頭を垂れる独神など意に介さず、忍は虚空へ消えた。


  
*十二月三十日
 
「ゴシュジン、からみ餅だ」

 摩り下ろす事にかけては八百万一! のヤマオロシの手作りからみ餅である。
 餅つきに参加しなかった独神の為に、わざわざ執務室まで持ってきたのだ。

「ありがとう。一段落したら頂くわ」

 礼を言う独神の顔はあまり良いとは言えなかった。
 元々一年で一番忙しい時期ではあるが、加えて悪霊が大きな動きを見せた事もあり、昨日から部屋に籠りきりである。

「アンタ……いや。一段落したら、絶対食えよ。良いな」
「勿論よ。沢山の人の手がかかっているもの。必ず食べるわ。だから安心して」

 と、また手紙を書く作業に戻った。

「そうだけど、そうじゃねぇんだよなあ……」

 目の前のものに集中している独神にひとり言は届かない。
 抱えている作業の多さを知らないので、仮眠を取れとも言えない。
 仕方がないので、ヤマオロシは黙って厨へ戻る事にした。

「(秘蔵のネギで滋養をガツンと取らせてやっか)」
 


*十二月三十一日
 
 一年の締めくくりの日────イワナガヒメは戦っていた。
 
 数日前、海から土佐へ悪霊が攻め込んだとの連絡を受け、独神に派遣されたのだ。
 敵の軍勢は数で押したが、同じく派遣された英傑たちの協力もあり、殆どを滅することが出来た。
 報告の為他の英傑には撤退してもらい、大将であるイワナガヒメは仲間の背中を守る為に最後まで戦った。
 落ち延びた悪霊を斬っては、村を襲う悪霊を斬り、暴れる盗賊を斬っては捨て、無我夢中で斬り続けた。

「(今頃サクヤちゃんは年越しの宴で料理を振る舞っているのでしょうね)」

 姉の自分は剣を振るう。

「(きっとあの方は嬉しそうに召し上がっているのでしょう)」

 自分と対峙するのは悪霊だけだ。

「(他の英傑たちも、今年を振り返りながら楽しんでいるのでしょう)」

 自分は手先が痺れる中、汗と血に塗れている。

「(私なんて)」

 ひとりぼっちの戦場がお似合いだ。と、自嘲した。
 だからせめて、自分以外の者は安心して年を越してもらいたい。
 イワナガヒメは自分がどんなに醜くなろうと厭わず悪霊を斬った。
 それは、願い通り人や神、妖に細やかで儚い幸福をもたらした。

 役目を終えたイワナガヒメは賑やかなオノゴロ島に着くと、本殿にある自室を目指した。
 宴に参加する体力も気力もなく、ただぐっすりと眠りたかった。
 自室に近づく程、愉快な声や美しい音楽が聞こえてくる。
 
 胸が痛かった。
 誰かの為に剣を振るっても、心は空洞で満たされない。
 そんな心まで醜い自分が嫌になる。
 誰にも見つからないように隠れながら進むと、廊下に誰かがいるのが判った。
 去るのを待っていたが、その誰かは何故かこちらに近づいてきた。

「……イワナガヒメ?」

 独神だった。
 今の自分を見られたくないイワナガヒメは返事はせず、ただ気配を殺した。

「どこにいるの? 怪我をしたの?」

 イワナガヒメの心境も知らず、独神は外へと下りて駆け回り始めた。

「(このまま隠れていれば、ぬし様は戻られるでしょう)」

 宴の席で独神の姿が無ければ、英傑たちが心配する。
 その者達を心配させないように、ほどほどで帰るはずと踏んだ。
 しかし、なかなか独神は帰らない。
 何度も呼びかけながら、木の一本一本の裏側まで確認している。
 心苦しくはあったが、今更顔を出すのも申し訳ない。
 引っ込みがつかないイワナガヒメは、岩のようにじっと身を縮ませた。
 そして、自身の早鳴る鼓動の音を聞きながら、見つけてくれる事を待ち望んでしまった。

「イワナガヒメ!!」

 独神の力強い抱擁がイワナガヒメの芯まで冷えた身体に熱を灯す。
 心の内に渦巻いていた怨言が薄れていく気がした。
 自分を迎えてくれる人がいる。大切だと、想ってくれる人がいる。
 少し涙が出たけれど、仮面のお蔭で見られずに済んだ。

「……イワナガヒメ、只今帰還しました」

 遠慮しつつ回した腕は振り払われず、寧ろ抱擁する腕の強さが増していった。

「おかえりなさい。無事に帰ってきてくれて有難う。……本当に有難う」

 今年、残り一刻。
 料理も酒もない、笑声もない、閉ざされた世界で、イワナガヒメは独神の腕に抱かれながら幸せを噛みしめた。