二度目の夜を駆ける 十話-京 弐-


「ついてこい」
 
 そう言ってシュテンドウジさんは強引に私たちを外へ連れ出した。
 夏の日差しが容赦なく肌を焼いてくるが、長袖のジャージを着用しているお陰で少しはマシだ。
 しかもこの上着、某神の加護で普通のものよりも涼しいのだ。
 と言っても、汗は流れるし中は蒸れるので、少しマシ程度のものだ。
 どこを見ても、黒装束の連れが必ず視界に入ってくるのも暑さに拍車をかけている。
 一番涼しそうなシュテンドウジさんが、私たちを先導しながら言った。
 
「最近京で噂になってる場所が何ヵ所かある。全部教えてやるからいちいち音をあげんなよ」
 
 シュテンドウジさんが露骨に私を見てきたので、足を引っ張らないように頑張ると大きく頷いてみせた。
 
 昼過ぎた京の町では、見慣れない集団の私たちにぎょっとして目を伏せてみたり、しげしげと眺めてみたりと、あまり気持ちの良いものではなかった。
 ほんの数日うろつくだけではまだ慣れてもらえないらしい。
 有名人のシュテンドウジさんに、長刀を持った目付きの悪い少年に、妙に堂々と振舞う老妖に、地味な私。
 ちぐはぐな組み合わせでそりゃ悪目立ちもするだろう。
 特に人族からは怖がられているのを感じる。
 一方妖族たちはシュテンドウジさんに畏敬の念を抱く者が多く、顔見知りでなくとも声を掛けてくる。
 
「もう今日の女を決めてんですか。流石大将手が早い」
 
 まさか、私の事だろうか。
 そう言う目で見られるなんて今までになかったが、物扱いされたようで結構な不快感が湧く。
 
「ん。あー、こいつは」
 
 素早くモモタロウくんが妖の前に出た。
 
「次、人の主をそういう目で見たら、両目とも抉り取るよ」
 
 小柄な体躯に似合わない鋭い眼光に妖は身を竦ませた。
 同時に、周囲の妖たちがじっとりとした敵意を滲ませる。
 シュテンドウジさんが私を叩き「こいつは別の用」と言って、その場から離れた。
 そして、モモタロウくんに向かって苦言を呈した。
 
「殺気ばら撒いた分だけこいつが危険な目に遭うかも。とか考えねェのかよ」
 
 モモタロウくんはきっと睨みつけた。
 刀を抜かれてはたまらないと慌てて間に入った。
 
「代わりに釘を刺してくれたんだよね。ありがと」
「そんなわけないでしょ」
 
 いつものようにそっぽを向いた。
 モモタロウくんは私の尊厳を守るために注意してくれたが、ベストな言い方ではなかったかもしれない。
 強い言い方は相手を黙らせることが出来る反面、余計な怨みを買うこともしばしあるからだ。
 だからシュテンドウジさんに反論しなかったのだろう。
 
「ではこうしよう」
 
 ヌラリヒョンさんは手を腰に当て、私に微笑んだ。
 
「掴むと良い。これならばシュテンドウジの色とは思われぬだろう」
 
 わわわわわ!!
 掴んで良いのですか!!
 じゃない! これは変な意味じゃない。前もあったし。そういうのだし。
 手を繋ぐ方に変更してもらおうか。
 いやでも折角の機会だ。
 
「し、しつれいします」
 
 興奮気味の私はそろりと腕を掴んだ。
 太い腕を抱くように身体を寄せると、自然と身体が触れ合った。
 向こうは子供一匹としか思っていないだろうが、もしもこの鼓動が聞かれてしまったらと、身体が汗ばむほど焦った私は嫌がっていると思われない程度に距離をとった。
 言い訳するようにヌラリヒョンさんを見上げると、いつもとは見える景色が違った。
 
「遠慮することはない」
 
 ただの微笑みは眩しく、気づけば肩を引き寄せられていた。
 これでは恋人ではないかと、心の中で悲鳴を上げた。
 心臓に悪すぎる。この状況で緊張しない人はいない。絶対。
 
「……おまえ、オダノブナガをぶっ倒すこと忘れてねェか?」
「覚えてますよ!!! 案内お願いします!!」
 
 道中のことは組んだ腕のことばかりを考えていたのであまり覚えていない。
 気付いた時には賀茂別雷神社かもわけいかづちじんじゃという物凄く立派な神社にいた。
 身長の三倍くらいある赤い鳥居をくぐって一キロほど歩くとまた鳥居をくぐり、また一キロほど歩くと本殿に着いた。
 残念ながら建築的知識がないのでどんな建物と言えばいいのか判らないが、よくありそうなタイプの本殿で、見上げると存在感に圧倒された。
 
「随分立派な神社ですけれど、どんな神様がいらっしゃるんですか?」
賀茂別雷大神かもわけいかづちのおおかみって雷神だ。京の守護神らしいが、おれは殆ど見たことがねェな」
「守護神ならさっさとこの鬼を黒コゲにすれば良いのに」
 
 確かに。
 守護神なら、悪さをする鬼を止めてくれそうなものだが。
 
「おれを恐れて尻尾巻いて震えてんだろうぜ」
「自分の実力も判らないなんて可哀想。神族のこと舐めすぎじゃない?」
「人のおまえが一番舐めくさってんだよ!!」
 
 うるさい二人から離れ、私とヌラリヒョンさんは周囲を散策した。
 木々に隠されたように建てられた神社は静かだった。
 これはおかしい。
 そもそも神社とは厳かな場所とはいえ、神様の世話をする人、掃除人、参拝者と様々な目的の人がいることが普通である。
 なのに、この神社は敷地内に入ってから誰ともすれ違っていない。
 敷地内も草がまばらに生えており、最近誰の手も入っていないことを物語っている。
 
「中へ入るぞ。なあに、其方一人なら何があっても逃がしてやるさ」
 
 発言の深読みをしている間にヌラリヒョンさんはいつものようにひょいと本殿にあがっていくので、慌てて着いて行った。
 板敷の上には神具や家具等何もなく、薄く埃が被っていた。
 
「留守……?」
「神が必ずしも本殿に住むわけではないさ。村の中に家を建てさせて、儂らと同じように暮らすことの方がよっぽど多い。
 そもそも社というのはその者の神域でな、自身の力を最も集められる場所を指す。イワナガヒメの時を思い出すと良い」
 
 イワナガヒメさんとコノハナサクヤさんの屋敷は神社とは離れた場所に建てられていた。
 お手伝いさんが複数いたことから、普段の生活は屋敷が中心なのは違いない。
 力が増幅するのは神社はさしずめ、仕事場、事務所だ。
 
「其方はここにいて何を感じる。些末なことでも儂に話してもらえぬか」
 
 何でもと言われても、見たところただの本殿である。
 隣には本殿と左右対称の建物があり、そちらにも足を運んだが特に気になるものはない。
 強いて言うならば、ここは何も感じない。
 立派な建物のわりに中はすかすか。
 京の守護神の本拠地だというのに、風が凪いだように穏やかでかといって特別安心感が与えられるわけではない。
 力を持った者の傍にいると、肌がちくちくし、呼吸が乱れ、四方八方か見られている感覚があるものだが、そのようなものも一切ない。
 という長々しい支離滅裂な説明をすると、ヌラリヒョンさんは一つ、頷いた。
 
「神域の力を失っていると見て間違いない。主である、賀茂別雷大神かもわけいかづちのおおかみがいないのかもしれぬな」
 
 背中がぞくっとした。
 いない。それはオダノブナガさんに殺された……とか。
 
「界力の低下が要因で本人は一時避難したことも考えられる。其方も十分注意するようにな」
 
 危ない危ない。
 手あたり次第オダノブナガのせいにするのはよくない。
 自戒して本殿を出ると、モモタロウくんは抜刀し、シュテンドウジさんは拳を構えていた。
 私を見つけた二人とも何事もなかったかのように武器をしまう。
 お互いに怪我はしていないようなので、溜息をつくだけにした。
 
「中も誰もいねェだろ。聞いた話じゃ、数週間前に神も神官もいなくなったらしいぞ」
「守護神の不在にしては其方らあまり騒がぬのだな。昔ならば神々を鎮める為に供物を並べ、人身御供をして慌てふためいたものだろう」
「いつの時代だよ。守護神つっても顔はろくに出さねェし、一度も祟らねェし、そういうのでもねェんだよ」
「守護神なのに祟りってどういうことですか?」
「そのまんまの意味だろ」
 
 判らない私の為に、シュテンドウジさんとヌラリヒョンさんが神の定義について話してくれた。
 人に恵みをもたらすものが神なのではなく、大いなる力を持ったものが神なのである。
 神には人のように多くの側面を持ち、その一方が善と持て囃され、一方を悪と恐れた。
 カグツチさんで言うなら、彼がもたらした火は創造と破壊の二面性を持つ。
 今回の賀茂別雷大神かもわけいかづちのおおかみさんも、天候を操る神であり、良い面では農業に多大な恵みをもたらすが、一方天候不順により作物を枯らし生物を死に追いやる。
 能力的にはかなり凄いと思うのだが、あまり表には出てこないらしく、良くも悪くも人々に影響を与えていないそうだ。
 
「次行くぞ。遅れんな」
 
 賀茂別雷神社かもわけいかづちじんじゃから三キロほど南東へ行くと、賀茂御祖神社かもみおやじんじゃと彫られた石碑を見つけた。
 綺麗な並木道の参道の先には十二支が祀られた七つの言社ことしゃがあり、中門を抜けた先にはこれまた左右対称の立派な本殿が聳え立っていた。
 
「鴨川の下流にあるからc神社とも呼ばれるんですね」
「ここにいるのは八咫烏だ」
「あぁ、サッカー日本代表のマークの……」
「さっかぁー?」
 
 ここでは先程の賀茂別雷大神かもわけいかづちのおおかみの祖父である賀茂建角身命かもたけつのみのみことを祀っている。
 この神様が八咫烏に化身するとかなんとか。
 私が黄泉で見た八咫烏は八咫烏違いらしく、こちらこそが由緒正しき八咫烏……と言っているのだが真相は謎らしい。
 本殿の外から声をかけてみたが、返事はなかった。
 再び不法侵入をして、扉を開けると中から風が飛び出し白い羽がぶわっと舞った。
 天井や床には夥しい量の血が飛び散っていた。
 
「……え」
あるじさん。しっかりして!」
 
 大丈夫だと従者に礼を言った。
 流石に私も神経が麻痺してきて血痕ならば驚くだけで済む。
 
「この様子だと昨日今日の話ではないな」
 
 ヌラリヒョンさんがしゃがんで黒い絵の具が散ったような床をしげしげと眺めた。
 賀茂建角身命かもたけつのみのみことはどこにいるのだろう。
 血以外に怪しい所はなかったので建物から出た。
 
「ここ、他にもたくさんの神様を祀っているんですね」
 
 左右対称の本殿の東側はタマヨリヒメさんを祀っている。
 他はウカノミタマさんや、サルタヒコさんやオオクヌヌシさん、スクナヒコさん、タケミナカタさん等、まだまだ多くの神様が祀られていが、あくまでメインは賀茂建角身命かもたけつのみのみことさんとタマヨリヒメさんである。
 
「そこで何をしているのですか」
 
 警戒しきった神官が私たちを睨んだ。
 相手が丸腰であることを確認しつつ、一番害の無い私が前に出てすぐさま頭を下げた。
 
「こちらに賀茂建角身命かもたけつのみのみこと様がいらっしゃると聞いて、ご挨拶をしようかと思いまして。けれどご不在のようですね」
賀茂建角身命かもたけつのみのみこと様は現在療養中でございます。貴方方のようなケガレを持つ者は早々に立ち去りなさい」
「そうでしたか。最近来たばかりでお身体が悪いことを知らず勝手に入ってしまい大変申し訳御座いませんでした」
「判ったのであれば、早く帰りなさい」
 
 シュテンドウジさんが私の手をちょんと突いた。
 私は失礼しますと言いながらシュテンドウジさんの背中を押して退散した。
 敷地から完全に出てからシュテンドウジさんが言った。
 
「脅すか? 腕と足折れば少しは吐くだろ」
「無理です。さっきのひと、人じゃないんですもん」
「なんでそれをすぐ言わないの!」
「だって、この時期に来た私たちを警戒したに違いないんだよ? 私が気づいた事を聞かれちゃったらまずいって」
 
 血だらけの現場を考えれば、ここで波風を立てるべきでない。
 同じ賀茂の付いた賀茂別雷大神かもわけいかづちのおおかみさんが不在で、その祖父も〝療養中〟とくれば、これが偶然であるとは考えられない。
 
「其方らは賀茂建角身命かもたけつのみのみことが療養中であると知っておったのか」
「いや。最近見ねェし、話題にも上がらねェ気がして寄っただけだったんだが……こりゃおれが知らねェ間にヤベーことになってんな」
 
 都会の京が情報に溢れていることを考慮しても、高名な神の失踪を誰も気に留めないのは不自然である。
 被害は神族のみなのだろうか。
 
「うし。次は寺行くぞ」
 
 今度は四キロほど南へ進むと六堂珍皇寺ろくどうちんのうじという、年季の入った古寺に着いた。
 しかし目的地はここではなく、寺を横目に真っ直ぐ歩いて行く。
 道端の石碑に鳥辺野と彫られたここがあの世との境目であり、墓所らしい。
 京には三ヵ所の葬送の地があるが、ここが一番大きいとシュテンドウジさんが教えてくれた。
 
「ここに黄泉への入口があるって話だ。本当かどうかは知らねェけど」
 
 見回そうと首を振った時だった。唐突にヌラリヒョンさんの手によって目を覆われた。
 けれど野ざらしにされた遺体が鳥に啄まれているのが一瞬見えてしまった。
 吐き気と嫌悪感が込み上げてきたが、目の上に置かれた毛羽だった手袋の感触に次第と気が鎮まった。
 
「ありがとうございます。もう大丈夫」
 
 ゆっくりと手が取り除かれ、遺体を見ないように目を開けた。
 京では風葬、鳥葬が多いらしい。
 八百万界でいくつか町を見てきたが、この地は平安時代の色が濃く文化もそこで大方は止まっている。
 町が違うだけで時代が違うのは不思議だが、中央政権なく、全国を統一する機関がないと、各々の地区が独自の発展を遂げていくのだろう。
 
「井戸で冥界に出入り出来るってどっかの役人が酒の席で零したんだと。ただの笑い話だが一応普通じゃねェってことで教えてやるよ」
 
 私はまばらに投げられた遺体たちに背を向け、早々に井戸を覗き見た。
 溜まった水に向かって手を振ってみた。
 
「井戸に落ちりゃ冥界へってお手軽過ぎるだろ。どうせガセだ」
「ううん。本当ですよ。中にヨモツシコメさんがいる」
 
 ばっと全員が落ちそうなくらいに覗き込む。
 
「見えねェ……」
「儂にも闇が広がっているようにしか見えぬな」
「同じく」
 
 冥府六傑にさらわれた時にあった水鏡では私でなくても見れたものだが、それにも条件があるのかもしれない。
 あの時は高名な術師と怒りっぽい巫術師がいたから。
 
「ヨモツシコメさん! またお世話になるかもしれません! よろしくお願いします!」
 
 水に揺らめくヨモツシコメさんは頷いている。ということは、言葉も向こうに伝わっているということだ。
 私が知らないだけで黄泉の入口は至るところにあるのかもしれない。
 
「あいつの頭がおかしいってことはねェの?」
 
 ひそひそ話にしては大きい声だった。
 
「ないな。儂らよりも知覚出来るものが多いようだぞ」
「信じらんねェけどなぁ。おまえら騙されてんだろ」
 
 なら今ここで黄泉へ落としてあげても良いのだが、そういうのはまた今度。
 
 次はずーっと西、山の近くまで連れてこられ、特有の匂いがするなあと思えば一面に並ぶ地蔵たち。
 心なしか空気も重く、同じ顔が並ぶ様が気持ち悪くてヌラリヒョンさんにしがみついた。
 
「ここ、なんですか!?」
化野あだしのと言って、葬送の地だ」
「また!?」
 
 少しは慣れたとはいえ勘弁して欲しい。
 
「ここの死体が消えてるって噂だ」

 ここは共同墓地なので三種族の遺体がまとめて投げ捨てられている。
 この遺体はゾンビになって出かけてしまったのか。それとも死体欲しさの盗難にあったか。
 神族の失踪に続いて今度は何が目的なのかよく判らない。
 
「ここも良くない風が吹いているな」
「だろ」
 
 妖二人の話に入れないモモタロウくんは眉間にしわを寄せた。
 
「いきなり意味深なこと言い出してどうしたの。気持ち悪いよ」
「おまえは判るだろ」
 
 嘘を吐くわけにもいかないので恐る恐る頷いた。
 判りやすい異常は息苦しさだ。
 何かを制限されている。
 例えば指輪をつけると、自由に指先を動かせると言っても実際は、少しの重みのせいでいつも通り動かせない。
 そういう僅かな制限をここや六堂珍皇寺ろくどうちんのうじで感じる。
 
「一人だけ判んねェのかよ! ばぁーか!」
 
 シュテンドウジさんが指を指して揶揄うからモモタロウくんが抜刀してしまった。
 見かねて羽交い絞めにすると、力の弱い私に合わせてか無理やり拘束を解こうとはせず、猫のように唸った。
 それを見てまたシュテンドウジさんが馬鹿にするのだ。
 
「シュテンドウジさんいい加減にして下さい!」
 
 彼らは水と油で仲良しこよしとはいかない。
 殺し合わないだけ良し思うべきだろうが、私としてはもう少し仲良くしてくれると嬉しい。
 二人の小競り合いに興味がないヌラリヒョンさんは周囲をしげしげと眺めながら、私に尋ねた。
 
「神と人の被害は判りやすいが、狙いはどちらだと思う?」
「妖も含めた全員だと思いますよ。だって誰もいないんですもん」
 
 小さな生き物の気配がないので、私はそう言った。
 こういう怪しげな場所にこそ妖がいるものだ。
 死んだ者の思念が集まる墓場なんて大量発生スポットで、墓石や草木の上に座って鼻歌を歌ったり、遺体が埋められた場所を掘り返したりと好き勝手しているもの。
 なのにここにはいない。さっきの賀茂別雷神社かもわけいかづちじんじゃと同じく。
 妖二人は動物に近いのかこういうのは肌感覚で判るらしいが、人族のモモタロウくんはこの様子だとさっぱりらしい。
 京の戦い、彼は少々分が悪そうだ。
 
「判らずとも良い。其方の傍には炭鉱の鳥が傍にいるからな」
 
 カナリア役として頷いた。
 
「任せて」
 
 はいはいと鬱陶しそうに言いつつも、さっきよりも私の方に近い位置に立っていた。
 こんなに態度と行動が違っていて、他の人ととやっていけるのか主としては少し不安である。
 こういう判りやすいへそ曲がりも段々と可愛く見えてくるものだが。
 
「次はどこに行くんですか?」
「今日はもう良いんじゃねェの? 帰って酒呑みてェし」
「暗くなっては其方らは危ないだろう。日があるうちに宿へ戻ろう」
「まぁ、あるじさんが何しでかすか判らないし、素直に帰ってあげても良いよ」
「はいはい、じゃあ足の疲れた私の為に宿に戻らせて下さい」
「おまえの為に帰ってやるんだから酌くらいしてもらわねェとな」
「お酌は構いませんが、ヌラリヒョンさんのお茶汲みが優先ですよ」
「いつもすまないな。けれど其方も疲れたろう。儂のことは気にせず先に湯浴みをすると良い」
「じゃあ代わりに僕が注いであげるよ。下手だから色々間違うけど我慢してよね」
「もう刀握ってんじゃねェか!!」
 
 なんだかんだでうるさいくらいに騒ぎながら京を練り歩くのは賑やかで面白かった。
 喧嘩は多いけれど、モモタロウくんはいつもよりよく話している。
 普段一歩引くヌラリヒョンさんも、シュテンドウジさんは話が通じるらしく会話が多い。
 私がいなくても成り立ちそうだ。
 そう思うとほっとするのと同時に少し不安で、いっそ離れてしまおうかと足が重くなっていく。
 
「考えるのもほどほどにしておくのだぞ」
 
 見透かした発言にはどきっとした。
 
「……大丈夫です。でも、今日のことが色々気になっちゃって」
 
 京の状態が思った以上に悪いのは実際本当で、自分は頑張って誤魔化せたと思う。
 今のは気づいて欲しくなかった。
 こういう自分の、嫌な所を、ヌラリヒョンさんに覗かれるのは恥ずかしい。
 恥ずかしいところなんて数えきれないほど知られているが、それでも足掻いてしまう。
 やめよう。こんなこと考えるから暗くなるんだ。
 
「つーか、おまえら本気でオダノブナガとやりあう気……なんだよな?
  この人数で、こんなの連れて」
 
 私を顎で指す。
 
「まあね。うちのあるじさんがそう言うからね」
「儂は付き添いなのでな。娘の行く所には着いて行くさ」
 
 二人は即座に答えたが、それは余計に眉を顰めさせるだけであった。
 私たち、もとい私は、確固たる目的を持っているわけではない。
 その時々で、助けたいと思う気持ちに従ってきた。
 
「なあ。マジな話、なんでそう面倒なことしてんだよ」
 
 私の事を宇宙人とでも思っているのか、得体が知れない気持ち悪いものを見るように尋ねてきた。
 今までに何度も聞かれたことであるが、改めて自分の考えを整理した。
 
「まず私は、戦が嫌いです。例えそれによる需要で生活が潤うのだとしても、奪い合う生活は、私はしたくないです。あとは……」
「あとは?」
「悪霊がいない世界が一番。だから悪霊に関わる問題は全て取り除きたいです」
「悪霊に親でも殺されたか?」
「そういうわけでもないです」
 
 更に判らなくなったと言ってシュテンドウジさんはそれ以上質問してこなかった。
 ────戦いへの動悸が薄い。
 尋ねてきた人は納得いかないまま呑み込んできたことだろう。
 そして実のところ、自分でもそう思っている。
 何が私を突き動かしているのか。
 さっきまで平和に過ごしていた遠野の人々が逃げ惑う様子。
 脳裏に深く刻み込まれているその記憶が、私の皮膚をざわつかせ、かきむしりたくなるような不快感を与える。
 この世界ではよくある光景であることが受け入れられなくて、根絶やしにしたくて、一人で仙台へ向かったんだっけ……。
 江戸にも悪霊がいて、富士山にも悪霊がいて、熊野は悪霊とオダノブナガが人々の生活を脅かしていた。
 同じように京も救わなければならない。
 少しでも「私がやらなくても良いんじゃない?」と思うと心臓が握りつぶされるように痛む。
 問題解決以外、選べないのだ。
 もしかしてこれは、独神の性質だろうか。
 駄目だ。だんだん頭が痛くなってきた。
 考えるな。こういう時は余計なことを考えない。
 ただそれだけで、面白いくらいに痛みが引いていく。
 ……まあ、悪霊退治や人助けも別に嫌なわけではない。
 誰かが傷つくのは見たくないし、町が壊れていくのも胸が苦しくなる。
 だから。ね。
 多分私はこの世界にいる限り、八百万界を救うことを続けていくと思う。
 
あるじさん、前見て」
 
 ふいにモモタロウくんに腕を引かれた。
 前を見ると、大量の町民たちが道の両端に並んで頭を下げていた。
 そのせいで横断することが出来ない。
 彼らに見守られているのは一台の牛車でなんと牛のサイドには六人ずつの人が並んでいる。
 となると中には相当な貴人が乗っている。
 私たちの意思でどうこう出来るものでもないので、彼らが横断するのをじっと待っていた。
 しかし牛車は私たちの前の辺りで止まってしまい、待てども待てども動いてくれない。
 お腹が空いてきたなと思っていると、モモタロウくんが私の前に出た。
 抜刀している。
 二人も立ち振る舞いに緊張感が走っている。
 動かなかった牛車がしばし揺れ、人々の波が私たちの左右へと分かれ、牛車から私たちまでの道を作った。
 
「田舎臭さが鼻について敵わぬと思えば。京に何の用じゃ」
 
 優雅な女性の声がした。
 その間延びした言葉に反して冷酷さを感じる。
 
「久しいなタマモゴゼン。其方は変わったな。前ほどの美しさがない」
 
 車に付き従って列をなしていた者達が一斉に私たちに向かって敵意を向けた。
 百人以上の人たちが向ける悪意の熱量に私は怖気づいた。
 ヌラリヒョンさんがこんなことを言うなんて、よっぽど敵愾心を抱いているのだと察した。
 
「んふふ。最近はすっかり良い男がいなくてのう。恋も随分ご無沙汰で退屈しておるせいかもしれんな」
 
 牛車の前簾が開かれて、現れたのは美しすぎる狐の女性。
 世界一の美女だ。そうに違いない。
 何を馬鹿なことをと言われるかもしれないが、彼女を見れば誰だってそう思うはずだ。
 白く透き通る肌に白金色の髪とツヤのある尻尾。
 神様の最高傑作とも言える端正な顔に、当然と言わんばかりの豊かな胸。
 人は美しすぎるものを見ると、声を失うのだ。
 
「良い子じゃのう。好きなだけ見とれるが良いぞ」
 
 声をかけて下さったことが嬉しくて真っ赤になってしまう。
 だがそんな反応をするのは私だけで、モモタロウくんたちは険しい表情で彼女を睨みつけていた。
 まるで一瞬でも逸らせば、殺されるような緊張感。
 
「だからそなたらはわらわの暇潰しになってもらうぞ。
 鬼と田舎者を皆で狩ってやろう。
 そうすれば、わらわはこの京を統べる王となるのでな」
 
 いやいやいやいや、話が一気に飛んだぞ。
 
「なんでシュテンドウジさんとヌラリヒョンさん!?」
「妖が力を示すにはこれが一番だからじゃ。んふふ。
 わらわが妖族の頂点に立てば、京にいる人や神はもうわらわには勝てぬ。
 王と認めざるを得ないのじゃ」
 
 まさかの、勝者が強者の価値観。
 美人だろうと妖族は妖だった。
 
「はぁ? おまえは人どもとよろしくやってたろ。何言い出してんだ」
「女心が粗暴な鬼に理解出来るわけがなかろう」
 
 綺麗な声で嘲笑うと、彼女の取り巻き立ちも右から左まで同じように笑った。
 統率されすぎていて気色が悪い。
 
「今までは目を瞑っておったが、山に巣食う鬼ども焼き払ってくれようぞ」
 
 言い終わるか否か、シュテンドウジさんが動き、目の前の人たちを情け容赦なく倒した。
 モモタロウくんは私の手を引いて逆方向へと走った。
 
「わらわから逃げ切ってみせよ。……とはいえ、もう京から逃さぬがな」
 
 タマモゴゼンさんに付き従う大量の人たちが私たちを追いかけてきた。
 大勢が地を踏み荒らす中、モモタロウくんがぎゅっと引っ張ってくれるが足がもつれて上手く走れない。
 追手がじりじりと近づいてくる。
 
「離して。モモタロウくんを巻き込んじゃう」
 
 私一人ならきっとこの人数でも無傷だ。
 モモタロウくんたちには逃げてもらって、大江山の方々の安全を確保して、それから余裕があった時に私のことを思い出してもらうで良いじゃないか。
 自分のことは自分でする。みんなに迷惑をかけられない。
 大勢に追いかけられた私はすっかり弱気になっていた。
 
「ガキ! ナナシを絶対に離すんじゃねェぞ!」
 
 シュテンドウジさんは怒鳴りつけると後方に向かって地面を殴りつけた。
 追手は迫り上がる大地で右往左往する。
 逃げる時間を稼いでくれているのだ。
 弱気になってる場合じゃない。私が出来ることを考えないと。
 
「ヌラリヒョンさん、井戸を使いましょう!」
「黄泉へ逃亡か。大胆だが悪くない。そこで落ち合おう」
 
 ヌラリヒョンさんは私たちを先に行かせ、剣を握った。
 
「ヌラリヒョンさんは!?」
「シュテンドウジ一人では荷が重かろう。後で彼奴も連れて行く」
 
 そう言って大群の中に飛び込んでしまった。
 二人を残して良いのか。手助けした方が良いのか。
 次々に浮かび上がる不安に後ろ髪を引かれた。
 けれど手を引いてくれるモモタロウくんと前へ進む。
 今は二人を信じて、私たちは脱出経路を確保しよう。
 
 京に明るくない私たちは手当たり次第走った。
 出てくる者達は全てが敵で、モモタロウくんはその度気絶させたり、身を隠したりして凌いだ。
 逃亡しながらずっと観察していたが、追いかけてきているのは妖族と人族だ。
 決して戦闘力の高くない、京に住む普通の民たち。
 モモタロウくんを相手にして無事でいられない、弱いひとたち。
 相手に大怪我をさせないように立ち回るのは難しいと、モモタロウくんはぶつくさと零していた。
 よって、出来るだけ交戦を避ける。
 私の特性上、範囲内にいてくれれば無傷でいられるのだが、少しでも離れるとモモタロウくんの安全は保障されない。
 本当は適宜指示を出して歩調を合わせるところだが、不思議と会話せずとも息が合った。
 モモタロウくんがずっと合わせてくれていたし、私もモモタロウくんに握られている手からなんとなくの意図は読めていた。
 私たちはどうにか追手を撒いて目当ての井戸に着くことが出来た。
 
「大丈夫。周囲に気配なし」
 
 モモタロウくんの報告を聞きながら覗き込むと、井戸は真っ暗で水が見えなかった。
 試しに拾った石を落としてみたらすぐにことんと音がする。
 
「ヨモツシコメさーん。ヨモツイクサさーん」
 
 手を振ってみても返事はない。
 
「モモタロウくん! 黄泉への道がなくなってるの!!」
 
 ついさっきまであったはずの水をわざわざ枯らしたのだろうか。
 原因は判らないが、頼みの綱が切れてしまった。
 
「じゃあ素直に京を出てみる? 危険だとしても見てみないことにはどうしようもないでしょ」
 
 海に囲まれているわけでもない京から逃げてみろというのだから、当然対策されているはずだ。
 でもモモタロウくんの言う通り、黄泉の道が消えてしまった今、確認する必要が出てきた。
 
「そうだね。私たちで新しい逃亡経路を見つけよう。二人はきっと私たちが騒いでいれば見つけてくれるよ」
 
 ヌラリヒョンさんなら気づくと信じて、井戸の上に小枝でバツを作った。
 
「了解。行先は君に任せるから。後ろは任せて」
 
 私は言われた通り、五感に意識を集中した。
 寺を飛び出すとすぐに追手に見つかり、矢の雨に降られ、術の強襲に襲われるが、一切構わず感覚だけを頼りに走る。
 モモタロウくんなら私についてこれる。
 そう信じているから追われる身でありながら、周囲の状況を他人事のようにまじまじと見ることが出来た。
 日が落ちた京の町では、住人たちは外出をせずぴたりと扉を閉めている。
 普段町に潜んでいる小さな生命の輝きも見つけられない。
 今外にいるのは追手だけ。
 そんな中、大きな生命の反応を感じた。
 引き寄せられるように辿ると朱雀大路の南を守る羅生門だった。
 朱色で白壁の中華っぽさを感じる門の前には、漆黒の羽を持つ色白のひとがいた。
 尻尾の蛇は私を見て舌をわざとらしくちろちろと見せてくる。
 彼は英傑だ。
 この魂の輝きは間違いない。
 つまり、今までの追手とは違って、強い、ということだ。
 
「折角の災厄を邪魔してくれるな」
 
 飛び上がった黒鳥から黒い羽が数本矢のように飛んで来た。
 私の防護壁にあえなく撃墜して地面に落ちた羽から黒いもやが放たれ、煙のようにうねって口の中に入ってきた。
 私は大きくむせた。
 
「オレが見てきた疫病の記憶だ。貴様らにも分けてやる」
 
 突然、映画が始まった。
 どうやら京が舞台で、赤いブツブツが身体中に出てきた人々が沢山歩いている。
 ブツブツは水ぶくれになり、膿になり、段々と目を逸らしたくなるような見た目になる。
 現代のような治療法がなく、ただひたすらに神仏に必死に祈っていくしかなかった人々。
 祈りが届くことばかりではなく、治る人の方が少なかった。
 京の至る所で遺体が転がり、それを検非違使たちが鳥辺野や化野に投げ捨てていく。
 産まれた端から黄泉へ送り込まれていく京では、人の死が当たり前だった。
 そんな痛々しい場面ばかりだったが、気分が沈むだけでなんともない。
 それよりさっきの煙の方が気持ち悪くて、タバコの煙を吸った時のようにごほごほと咳が出る。
 けれど、私の傍にいたモモタロウくんは膝をついて呻いていた。
 彼はもしかすると、この記憶の登場人物が与えられた苦しみを体験させられているのかもしれない。
 
「っ! あるじ、さん、君は逃げて。早く!」
 
 刀を杖に使ってもようやく立っている。
 刀を振るうことは難しいだろう。
 治すには多分、あの黒鳥を戦闘不能にするか、時間経過だ。
 私は気を引き締め、従者に命じた。
 
「暫く耐えて!」
 
 未だ空中にいる黒鳥に向かって走った。
 再び羽が飛んで来るが、自分には刺さらないし、疫病の記憶も上映されない。
 身体も持久走の中盤あたりのしんどさで止まっている。
 
「チッ。なんだこいつは」
 
 私がどういうものか判っていないらしく、私と距離を取った。
 そうして警戒している間に、私は羅生門をくぐって、外へと出、
 
「うぶっ!」
 
 額を強打して首が大きく後ろへ曲がった。
 手を前にやると見えないが壁のようなものがあり、どうやらこれに阻まれたらしい。
 江戸の時と同じ、結界だ。
 しかし以前と違って私が通れない。
 
「貴様らは袋の鼠だ。イツマデも怯えていろ。好きなだけ叫ぶが良い」
 
 愉快そうにくつくつと笑う黒鳥に向かって、モモタロウくんが宙へ向かって刀を振るった。
 当然、上空十メートルにいる黒鳥には届かず、そのままがくっと膝をついた。
 駆け寄ると刀を握ったまま押しやられた。
 
「まだ方法はある。どうせ君なら簡単に出来ちゃうんでしょ。
 僕は大丈夫だから早くなんとかしてきなよ」
 
 脂汗の滲んだ従者に言われて、私はもう一度門へ戻った。
 羅生門自体に術の印が記されていないか。怪しいオブジェはないか。何か私にだけ見えるものはあるか。
 手あたり次第調べた。
 しかし全くそれっぽいものが見つからない。
 
「ぐっ!」
 
 黒鳥の攻撃をなんとか凌いでいたモモタロウくんがとうとう近くの民家に吹き飛ばされた。
 木製の家屋はバキバキと折れ、黒鳥は高笑いをしている。
 
「いいぞ。良い顔だ。イツマデも見させてくれ!!」
 
 普段の十分の一も身体が動いていないモモタロウくんでは、強がっていてもあの黒鳥の攻撃に耐え切れない。
 英傑となると戦闘力は別格だ。
 何か武器はないかと周囲を見渡すと、門に立てかけられた弓と矢筒を見つけた。
 一本手に取り、弓の弦に引っかけてぐっと引っ張ってみた。
 ぷるぷると手が震え、漫画で見るようにじっと構えることすら出来ない。
 手を離してみたが、矢はニメートルも飛ばずに地面に落ちた。
 
「素人以下だな」
 
 付け焼刃で武道は出来ない。
 必死になればどうにかなるわけじゃないのだ。
 もっと別のアプローチはないか。
 私の特技はなんだ。
 独神であること。
 一部の他人に好かれやすいこと。
 命に対しての感度が強いこと。
 英傑の血で、特別な命を産み出せること。
 思い当たるのはこんなもの。
 私は自分の使い方を一つ思いついた。
 
「……独神って知っていますか?」
 
 唐突な質問であったが、自分が優位な立ち位置と思っている黒鳥は反応してくれた。
 
「美味いだけでなく力を与えると聞くがそれがどうした」
 
 ああ、良かった。
 独神を知ってくれていて。
 
「私を食べてみませんか」
 
 黒鳥が息を呑んだのを見逃さなかった。
 やはり私は妖にとって、相当美味しく見えるのだ。
 ──おいしくなあれ
 ──おいしくなあれ
 理性を失い私の肉に食らいつきたくて狂うほどに美味であれと、食物としての自分におまじないをかける。
 強い捕食者でも捕食の際には一瞬の隙が出来る。
 英傑ではない私は、その一瞬を狙って一撃で仕留めるなどという芸当は出来ない。
 それでも肉に食いつかれ、引き千切られる間には矢の一本くらいは刺せるだろう。
 何度か刺せば多少は弱り、植え付けられた疫病の記憶が消えてくれるのではないか。
 または、黒鳥の注意が私に向いている間に、モモタロウくんは逃げたり、身体の回復に努めれば良い。
 私が私を守ることをやめて、この身を差し出せば時間は稼げる。
 自分が食われることも、相手を傷つけるのも怖いが、可愛い有能従者の為には致し方ない。
 
「救世主が死ぬのも、結構な災厄に値すると思うんですよね。こんなのきっと、歴史上一度きりかも」
 
 よし。
 空にいた黒鳥が地面に降り立った。
 無防備過ぎる行動だが、それだけ独神の肉とやらが凄まじくそそられるものなのだろう。
 私が願った通り、彼はまるで病魔に憑りつかれたように口を開けて近づき、尻尾の蛇までも涎を垂らして今にも飛びつこうとしている。
 モモタロウくんの為とはいえ、同じ人間の形をしたものに食われようとするのは正直怖い。
 後退りしたい気持ちを必死に押しとどめ、手の中の矢を握りしめた。
 判りやすく左肘を前に突き出した。
 ここに食いついたところを刺す。
 頭の中でシュミレーションを繰り返した。
 黒鳥が踏み出したところで右腕を振りかぶり、横面に突き刺そうとした手が、空を切った。
 私の目の前には見知った黒い影が立っていた。
 黒鳥は空へ舞い、はらはらと羽が落ちてくる。
 
「まあいい。どうせ貴様らは逃げられない」
 
 飛び去る黒鳥の片羽が歪な形になっていた。
 モモタロウくんは息を吐いて座り込んだ。
 
「ちょっと! 大丈夫なの!? なんで!」
 
 家屋に叩きつけられて動けなかったはずだったのに、私が食われる直前に目の前に現れて、一刀を振るって羽を落とした。
 大人しくしててくれれば良いのに。
 そうやっていつも無理ばっかりするから。
 辛い身体に鞭を打ってやってきたモモタロウくんにそんなことは言えず「ありがとう」とただ礼を言った。
 
「で……この結界のことは何か判った?」
「ごめん。私じゃ出れないってことしか」
「そりゃ、向こうも啖呵きるわけだよ……」
 
 モモタロウくんの顔色は悪く、皮肉の一つも言わない。
 黒鳥が離れても効果は続いているのだろうか。
 もっとよく顔を見ようと覗き込むと、
 
「見ないで良いから」
 
 頭を抑えられてしまった。その上何かを押し付けられる。
 それは綺麗な装飾が施された小刀だった。
 まさかと思って抜いてみると、美しい刀身が顔を出し、怪しげな光を放った。
 本物である。
 なんてものを渡してくるんだと突き返そうとすると、その手ごと抑えられた。
 
「僕がいる間は絶対に抜かせない。でも、もしもの時は躊躇わないで」
 
 強く強く言い聞かせてきた。
 彼が無理をして飛び出してきた理由が判った気がした。
 多分私が他人を傷つけようとしたのを感じ取ったのだ。
 私は身体だけでなくモモタロウくんに護られているのだと実感した。
 ここは、モモタロウくんを信じて、綺麗で危険な武器を受け取ろう。
 本当に、どうしようもない時だけ、抜くと誓う。
 
「判った。これは大事に持ってる」
 
 ポケットにも入らないサイズにおたおたしていると、見かねて刀についていた紐を私の身体に括りつけてくれた。
 小刀の重さで肌に紐が食い込んでくる。
 
「帯があれば差し込むだけで済むのに」
 
 ジャージに駄目出しをされてしまった。
 この一件が落ち着いたら、懐刀が収納できるよう服を改造しよう。
 私たちは門が見える位置に身を隠し、二人を待った。
 待っている間にモモタロウくんは回復した。
 試しにと素振りをしたが、問題ないとの事だ。
 町を壊しながら戦うシュテンドウジさんのお陰で、二人との合流は簡単だった。
 
「二人とも大丈夫ですか?」
「余裕だ。余裕」
「よく言う。儂が援護しなかったらどうなっていたやら」
「なわけねェだろ。余計なことしやがって」
 
 楽しそうに掛け合っているが、ところどころに傷が見える。
 いくら強いと言っても多勢を相手にするのは難しいのが判る。
 
「黄泉は駄目でした! 外も駄目です。結界が張られていて、江戸と違って私でも行き来出来ないんです!」
 
 早速報告するとヌラリヒョンさんが目を細めた。
 
「タマモゴゼンに限ってと思ったが本気とはな」
「しかし判らねェな。支配したきゃもっと早くやりゃ良かっただろ」
 
 私はタマモゴゼンさんを知らないが、二人は知らない仲ではないのだろう。ああだこうだと言っていた。
 残念ながら仲が良いわけではないらしく、話し合いでの解決は見込めない。
 結局力を示すしかないのか。
 
「とりあえずおれに心当たりがある。遅れんなよ」
 
 三人になると、私の加護なんて必要ないくらい強かった。
 一撃が重く地形すら変えてしまうシュテンドウジさんに、対人相手で敵なしのモモタロウくん。
 ヌラリヒョンさんは派手ではないが飄々としていて、戦いだというのにいつも余裕しか見えない。
 そういえば、今日は一度も〝百鬼夜行〟を見ていない。
 大群相手ならあの技がぴったりと合うのに。
 
「今は結界の中だっつー話だろ。術には術師。そいつ脅して解呪させるぞ」
「でも、脅しなんて。それにこの結界は相当なものですよ。普通の人がどうにかできるわけ」
「だから普通じゃねェヤツんとこに来たんだろ。アベノセイメイ……って聞いたことねェか?」
 
 名前は二人も知っていた。
 
「そんな高名な陰陽師が私たちに手を貸すでしょうか」
 
 私が見てきた創作では人を好まない設定が多かった。
 映画になったものだと誰かとは仲が良かったが、社交的なタイプでは決してなかった。
 私たちなんかに手を貸してくれるだろうか。一つもメリットがないのに。
 どのような言葉が響くのかと考えているうちに、泥土で作られた築地塀ついじべいに囲まれた屋敷に着いた。
 塀に反して棟門は瓦が所々剥げていて、木製の門が所々抉れていた。
 襲撃によるものではなくただの経年劣化だろう。
 
「おい! アベノセイメイ!!」
 
 ボロ──じゃなくて、年季の入った門をガンガンと音を立てて叩くシュテンドウジさんを慌てて押しのけた。
 
「ごめんください。夜分遅くに申し訳御座いません。私たち、独神と鬼斬りと鬼と……妖のおじいさんです」
「妖怪爺……?」
「間違ってはないけど……格が違い過ぎない?」
 
 揚げ足取りする後ろが煩い。
 ヌラリヒョンさんは良い肩書きがないからしょうがないでしょ。
 京の人は遠野なんて地名知らないかもしれないのに。
 
「すみません! 私たち京に閉じ込められて困っています。お願いします。力を貸して下さい!!」
 
 暫く待ってみたが誰も出てこない。
 
あるじさんどいて。こういう時は押し入るしかない」
「今は手段を選ばぬ時だ」
 
 ああ…………。
 ボロボロだった戸が二人が無理やり開けたせいでただの板になってしまった。
 どうやって弁償しようかと思っているのは私だけのようだ。
 三人は神妙な面持ちで中へ入り、何故かシュテンドウジさんは大笑いをしだした。
 
「まさかおまえかよ」
 
 右目が深い紫で左目が橙色のオッドアイの男性が私たちを見ている。
 これがあの有名なアベノセイメイさん……なわけないな。
 肩当てや小手を見るに武芸者だ。
 
「誰ですか?」
「ワタナベノツナ。イバラキの手を落としたヤローだ」
 
 それはまずい。
 自分を慕う鬼たちを大切にしているシュテンドウジさんのことだ。
 絶対殺しにかかる。
 
「自分でケジメ付けさせなきゃならねェって判っちゃいるけどよ、前にしてると滾ってしょうがねェな」
「駄目ですって!」
 
 殴りかかろうとする背中に飛びついた。
 子分の為でも殺すのはちょっと待って欲しい。
 
「邪魔だ!」
 
 容赦なく突き飛ばされ、ヌラリヒョンさんが受け止めてくれた。
 もう一度止めに行こうとするとヌラリヒョンさんが行かせてくれない。
 ヌラリヒョンさんを振り切れないまま、勝手に勝負が始まっていく。
 モモタロウくんに加勢に行ってとめえ訴えると、首を振られた。
 なんで二人とも。
 
「腰の刀は飾りかよ!」
「そのうちには披露しよう。きみがちゃんと立っていたらね」
 
 剛腕のシュテンドウジさんに対して素手での真っ向勝負を行っている。
 彼の体格はシュテンドウジさんに劣るが、その分スピードがあった。
 相手の拳をしっかりと見極め、殆どの攻撃を避け、的確にダメージを与える。
 殴り合いなんて本来泥臭いものだが、なぜだろう、ワタナベノツナさんからは舞を見ているような美しさがあった。
 
「ちょこまかとウゼェな」
「醜い巨体よりは良いだろう」
 
 これでは、野蛮な鬼に正義の鉄槌を下す主人公様だ。
 きっと誰もが容姿端麗な彼を持て囃し、声援を送るだろう。
 
「シュテンドウジさん! 負けないで!」
 
 私は思わず応援した。
 酒に溺れてばかりで喧嘩っ早いが、シュテンドウジさんは悪者ではない。
 悪いことをするとはいえ。
 それにだ、善人悪人関係なく、シュテンドウジさんが私の下についたのであれば、主として全面的に味方になって守っていくのは当然のこと。
 
「でも殺さないで! 出来るだけ怪我もさせないで」
「ふざけんな!! 注文がうるせェ!」
 
 私が甘いことを言っているのは判るが、ワタナベノツナさんの立ち位置もろくに判らないまま殺すのはどうかと思う。
 さっきから聞こえる、めりっ、だとか、ぼぎっ、だとか、身体の中から出てくる嫌な音を聞かされると痛々しくてしょうがない。
 殴るも斬るも、私は嫌いだなあ。
 平和的に終わって欲しい。
 
「鬼如きを心配するなんて随分洗脳されたんだね。可哀想に」
「可哀想じゃないですけど!!!!!」
 
 一緒に過ごして得た評価であって、洗脳なんかとんでもない。
 
「鬼斬りもまさか鬼に絆されただなんて。がっかりだよ」
 
 挑発には反応しがちなモモタロウくんが黙って相手を見ていた。
 モモタロウくんだって、私に言われて斬らなくなっただけで、心の中では鬼や悪い人に対する怒りは渦巻いているはずだ。
 ろくに知りもしないで人の従者にがっかりするなんて、一言も二言も言ってやりたい。
 そんな私の脳内を察したヌラリヒョンさんには「熱くならぬようにな」と諫められた。
 
「そうやって悪を蔓延らせているのが、きみなんだろう」
 
 私と目が合った。
 その後の彼は速くて、あっと思った時には眼前にいた。
 けれど、身体はどこも痛くない。
 武器を持った三人が、私の前に出てきてワタナベノツナさんの刀を受けていたからだ。
 
「あの女狐の言った通りだ」
 
 彼はぼそりとそう言うと、後方に飛んで距離をとった。
 彼の切っ先はシュテンドウジさんではなく私へ向いている。
 あれれ……嘘でしょ。ねえ。
 
「どうして襲うんですか! 私たちが何を悪いことしたって言うんですか!」
「これからしようというんだろう。だったら早めに芽を摘んでおかないとね」
 
 ワタナベノツナさんが再び私に斬りかかると、モモタロウくんが受けてくれた。
 
「鬼! さっさと回り込んで、この身の程知らずを地面に這いつくばらせてやって!」
「おまえの方がよっぽど鬼じゃねェか!」
 
 二人に襲われ、ワタナベノツナさんは防戦一方になる。
 そしてヌラリヒョンさんが囁く。
 
「儂らが抑える間に其方は建物内へ。アベノセイメイはきっといる」
 
 ワタナベノツナさんがいるからアベノセイメイさんはここにいないと思い込んでいた。
 捕らえられている可能性だってあるのに。
 全てを任せ、私は建物の方へ走った。
 縁側から上がって、襖を開く。開く。開く。開く。開く。開く。
 延々と襖地獄が続く。術に飲み込まれているのだろう。
 ならば、見えるものを見ないように。見えないものを見るように。
 目の前のものを抽象的に捉えることを意識すると、行くべきルートが判った。
 感じた通りに走っていると、四畳半の小さな部屋に辿り着き、真ん中の机に突っ伏して寝ている白髪のこれまた美形の男性がいた。
 
「あぶらあげぇ……」
 
 なにをのんきな。
 揺り動かそうと彼に触れると、ホログラム映像のようにすり抜けて机に指が当たった。
 
「アベノセイメイさんですよね。起きて下さい。京の結界を解いて頂きたいんです」
「ふわあ……どうしてですか」
 
 欠伸交じりに言った。焦ってこちらも強い口調になってしまう。
 
「そのせいで一緒にいるひとが危ない目に遭うからです!」
「けれど貴方が恨みをかったのが原因でしょう? 自分の尻拭いを他人にさせるのですか」
「恨みって……何の?」
「貴方、独神でしょう?」
 
 空間が歪む。
 アベノセイメイさんを中心に捻じれていく。
 
「人気者は苦労しますね」
 
 四畳半の部屋は六畳の奥の間になり、一枚の人型の紙が残った。
 もう辺りからは何も気配も感じない。
 これ以上の収穫はないと、私は外へ出た。
 ワタナベノツナさんはいない。
 
「あの男は逃げた。其方はどうだ」
「いたけど多分式神で、本人は不在でした」
 
 漫画やアニメの知識だけれど多分合っているだろう。
 なによりあの浮世離れした感じはアベノセイメイっぽかった。
 
「この事態は私のせいだって言っていました。結界については何の情報も得られませんでした」
 
 収穫は、今回の事態は私が招いた事らしいということだけ。
 
「ここに留まっていては追手が来る。移動するぞ」
 
 この結界には正確に私たちの場所が把握する能力はないようで、ヌラリヒョンさんが人々の認識をずらしていくだけで人気のない場所に辿り着けた。
 いつ倒壊してもおかしくないような長屋の一つにお邪魔して、私たち全員腰を下ろした。
 肩の力が抜けるとお腹が減ってくる。
 もう日付も跨いでしまった頃だろう。
 本当だったら夕食を食べて、お風呂に入って、部屋割りのじゃんけんも終わって横になっていたのに。
 腹が減っては戦は出来ぬということで、食べ物はその辺りからくすねた。
 モモタロウくんも今回は文句を言わない。
 状況は切羽詰まっていた。
 
「ナナシ。独神の力ってやつでどうにか外に出れねェか」
「大江山のことですよね」
 
 神妙な顔でシュテンドウジさんが頷いた。
 
「そんじょそこらの奴らならまだしも今回はまずいかもしれねえ」
 
 心配は当然だ。
 
「ヌラリヒョンさん、何か案はないですか」
「あるにはあるが、それについては任せてもらえぬか」
「お願いします」
 
 ヌラリヒョンさんは出かけて行った。
 収穫があれば良いのだが。
 
「二人は休んで下さい。私は戦えない分見張りをしていますので」
「マジで寝る。ヤバくなる前に起こせよ」
 
 家の中とはいえ、家主のいない部屋は汚く、床には所々穴が空いている。
 それなのに床で平気で寝ようとするので、つい提案した。
 
「膝使いますか?」
 
 どすんと遠慮の欠片もなく頭が膝に落ちてきた。
 それなりに重い。
 
「おまえも適当に休めよ。……突き飛ばして悪かったな」
 
 そう言ってすぐに目を閉じ、穏やかな息遣いが聞こえた。
 ばたばたしていて突き飛ばされたことなんて私は忘れていたのに、わざわざ謝ってくれた。
 こういうところが、憎めないところだなと思う。
 そして寝るのが早い。早すぎる。
 こういう時だからこそ休む時はしっかり休むのだろう。
 切り替えの早さは私も見習いたい。
 立ったままの、なんだか困っていそうなモモタロウくんに声をかけた。
 
「こっちおいでよ。……近くにいてくれると守りやすいんだ」
 
 一言付け加えると、モモタロウくんは刀を手に持ち私の隣に座った。
 
「もたれてきて良いよ」
 
 許可すると、少しずつじんわりと体重をかけてきた。
 仮眠なのでモモタロウくんは座った状態で睡眠をとる。
 
「起きたら沢山お世話になるから遠慮なく休んでね」
 
 大人しくなった二人を撫で、自分は神経を尖らせた。
 他人の命を抱えている自覚が眠気や空腹を忘れさせる。
 手慰みに二人を撫でて時間を潰しているとヌラリヒョンさんが帰ってきた。
 
「どうです」
「旗色は良くないな」
 
 何しているのと聞きたいけれど、聞けない雰囲気があって口を噤んだ。
 二人を撫でながら誤魔化す。
 それを見てヌラリヒョンさんが言った。
 
「其方はすっかり手懐けたようだな」
「野生動物じゃないんですから。それに緊急事態だからってだけですよ」
 
 私たちが標的にされ、且つ結界という檻に閉じ込められた以上、別行動は得策ではない。
 身体を休ませるにも人数がいる方が十分な時間をとれる。
 シュテンドウジさんはそれを理解しているからこそ、変わらず行動を共にしてくれている。
 そうでなければ、口約束なんて反故にしてとうにどこかへ行っているはずだ。
 
「口惜しいが結界をどうにかせねば儂は妖どもを動かせぬ。すまぬ」
「邪魔ですよね。この結界」
 
 ヌラリヒョンさんは剣で戦うが、真価を発揮するのは妖を使役して物量で押す戦法だ。
 剣技ではなく召喚術じゃん……。と、「剣士とは何か」と考えてしまうがそうなのだ。
 今回の京での大群に襲われるシチュエーションは、ヌラリヒョンさんの為に用意された戦場と言えるくらい有利だったのに、ピンポイントで封じられるのは辛い。
 これにより、私たちは接近戦しかなくなった。
 元々後方支援や中距離、長距離攻撃の手段がないことが弱味だったのに。
 
「……ねぇ、ヌラリヒョンさん。ちょっと変なこと考えちゃった。
 この結界は私たちを逃がさないんじゃなくて、ヌラリヒョンさんを封じる為のもの……だったりしませんよね?」
 
 否定してくれと願ったのに、ヌラリヒョンさんはあっさりと肯定した。
 
「アベノセイメイを象った式神が原因は独神だと言ったのだろう。
 であれば、儂の手を封じるのは大いにあり得る。
 儂はな、京がこうなったのも、其方の為にオダノブナガが用意した戦場ではないかと考えている」
 
 私も薄々そんな気がしていた。
 私はタマモゴゼンさんに恨まれるようなことをしていないと思うからだ。
 
「元々シュテンドウジの名を使い、京周辺の妖全てをオダノブナガに当てるつもりであった。
 しかしここでシュテンドウジとタマモゴゼンに妖族が分かれてしまった。
 見込んだ戦力から大幅に低くなった今、其方の勝利は遠いな。
 ……さあて、困ったことになったぞ」
 
 困ったにしては愉快そうに笑っている。
 
「捻りがいがある」
 
 目の奥に潜んだ鋭さを見つけたので黙った。
 数えきれないほどの人たちに敵認定されて私は面白くもなんともない。
 みんなが傷つけられるのだってうんざり。
 でも誰もそれについて文句を言わない。
 戦うことはみんなはそれほど嫌なことではないのだろう。
 私には、その気持ちは理解できないけれど、お陰で自分を責め過ぎずにいる面はある。
 前を向いていこう。
 
「だったらヌラリヒョンさんもしっかり休んで下さい。動きたい時に動けませんよ」
「儂はまだ調べたいことがある。なに、心配はいらぬよ。其方は二人を見てやってくれ」
 
 無理しているのではないだろうか。
 手を引いて駄々を捏ねて、無理やりにでも休ませた方が良いのでは。
 けれど戦の経験が多いヌラリヒョンさんの判断に私が口を挟むことは邪魔にしかならない気もする。
 
「いってらっしゃい」
 
 見送るとヌラリヒョンさんは私を撫でてくれた。
 そして闇の中へ消えていく。妖みたいだ。
 話し相手がいなくなった私は手持ち無沙汰の解消に二人を触っていた。
 撫でていると気持ちが落ち着いて、二人を守っていく意思が強まるような気がした。
 
 少し、うつらうつらとしていた時だった。
 動く生き物が建物の外にいるのを感じた。
 まだ距離がある。移動してしまおう。
 緊急事態だとは言え、いきなり起こして混乱させては手間なので、起きて下さいと言って身体を撫でた。
 自分の体験からだが、大声や揺り動かしての起こし方は心臓がぎゅっとなって気持ち悪くなる。
 ゆっくりじわじわ起こすとスムーズに起きられ、次の行動に繋げやすいのだ。
 だが、そんな気遣いもいらないくらい、二人は私の声にぱっと目を開けて立ち上がった。
 瞬時に周囲を見る。
 
「いねェし」
「まだ遠いね。あるじさん行くよ」
 
 私が一番に気づいたのに、遅れているのは私だった。
 四面楚歌で緊張を強いられているのにしっかりしていて凄いなあと思った。
 
「そっちの道を右へ。長屋の左から三番目に入って下さい」
 
 ヌラリヒョンさんに事前に教えてもらった潜伏先へ誘導した。
 中にはヌラリヒョンさんが座ったままうつらうつらと舟をこいでいた。
 
「来たか。ここも安全とはいかぬが多少は休めよう」
「眠ぃな。おまえ膝貸せ」
あるじさん、こんなやつ甘やかさないで良いから」
「好きなだけ使って下さい。但し、ちょっと手伝って欲しいことがあるんです」
 
 これにはシュテンドウジさんとモモタロウくんの協力が不可欠だ。
 二人には向かい合うように座ってもらう。
 察したヌラリヒョンさんは立ち上がり剣を手にした。
 
「外の露払いは儂に任せて、其方は術に集中を」
「術ってなんだよ」
 
 シュテンドウジさんは訳が判らない様子だったが、二度目のモモタロウくんは理解していた。
 私がやろうとしているのは一血卍傑だ。
 本来の一血卍傑は、血と血を混ぜ合わせて新たな命を紡ぐ儀式だと聞いた。
 今、私たちの状況は悪い。
 相手の手のひらに転がされ続けている。
 情報も断片的で、どれもこれも予測の域を超えない。
 京を出られないこともネックで、資源のない私たちはいずれ体力や食料が尽きるだろう。
 私は変化を欲していた。
 ドンパチの才がない自分に出来ることは、これだと思ったのだ。
 
「えーっと……。すみませんが、血、貰えませんか?」
 
 シュテンドウジさんにお願いすると、指を突き出された。
 
「やれるもんならな」
 
 ここから採血しろということか。それとも殴り合いで奪えというのか。
 おそるおそる指に触れてみるが何も始まらない。
 意図が判らずにいると、シュテンドウジさんは顎で指した。
 モモタロウくんの刀を。
 
「反撃はしねェ。けど欲しいなら自分でやれ」
 
 私は試されているのだ。
 私は誰かを斬りつけることが出来ない。
 だって、血が出るってことは痛いってことで、それを他人にするなんて自分まで痛くなる。
 私以外のひとは、自分や他人を守るために、相手を傷つける覚悟を持って挑んでいる。
 その弱さや狡さを指摘しているんだ。
 ここは信頼を得る為にも弱気になっては駄目だ。
 
「モモタロウくん。少し、借りるね」
「僕がやってあげるから」
 
 モモタロウくんは私の手首を掴んだ。
 絶対にするなと言わなくても伝わってくる。
 
「離して」
 
 私もまたいい加減なつもりでやっていないので語調を強めた。
 モモタロウくんは何か言いたげな顔をしながらも手を下げた。
 
「手はシュテンドウジさんの武器です。すぐに戦うことが判っているのに傷をつけるのはよくありません」
 
 手足も胴も駄目とくれば。
 私は四つん這いになってシュテンドウジさんに近づいた。
 
「依頼したのはこちらなので同じだけ痛みを負うべきだという考えには賛同します。だから、私の手できちんと傷をつけます」
 
 護身用の懐刀はあるけれど、あれは守る為の物だから使わない。
 それ以外の武器と言えば歯だ。
 肉を引きちぎり咀嚼することが出来る、誰もが持っている武器だ。
 
「耳なら多分そんなに困らないだろうから……」
 
 他人の肌を噛みちぎるなんて、される方も怖いがする方だって怖い。
 でも血をくれなんて無茶ぶりするのだから、私も覚悟を決めよう。
 シュテンドウジさんのエルフみたいに尖った耳に口を近づける。
 まるでキスするようで恥ずかしかったが、これは仕方ないことだと言い聞かせた。
 肩に手を置かせて貰って、はむっと耳を咥えた時だった。
 額に手をやられそのままぐっと押しやられた。
 
「冗談じゃねェのは判ったからやめろ」
 
 思い切りやられたので尻もちをついてしまった。
 疲れたようにシュテンドウジさんは言った。
 
「とりあえず、こいつがマジでヤベー奴だってのは判った」
 
 皆ほどやばくはないよ。
 そう思ってモモタロウくんを見たら、
 
「ようやく鬼と意見が合ったかも」
 
 なんて酷いことを言われてしまった。
 心外である。
 けれど、仲の悪い二人が私を共通の話題にして打ち解ける様子が見られるならいいか。
 シュテンドウジさんは自分の身体を爪で引っ掻いて、部屋に転がっていた欠けた皿に落としてくれた。
 モモタロウくんは刀ですっと斬って、同じ器に落とした。
 準備は出来た。
 
「じゃあ二人は向かい合って座って下さい。多少気持ち悪くなるらしいですが、じっとしてて下さいね」
 
 一血卍傑のマニュアルはなく、イザナミさんの受肉の時も適当に血の前で念じたらなんとかなった。
 だから今回も同じように身体の目の前で手を組んで念じるのだ。
 二人の英傑の血を呼び水に英傑が現れますように。
 そしてそして、私たちを助けて下さい。お願いします。
 御統珠はないけれど、力を貸して下さい。
 何度も心の中で唱えた。それこそ〝ヤベー奴〟なくらいに。
 そして突如喉を突いたのは酸っぱい胃酸だった。
 反射的に呑み込んだが、眩暈がして胃がひっくり返ったように気持ち悪い。
 嘔吐に抗いながら私は唱えた。
 
「一血卍傑」
 
 眩い光に包まれて現れたのは黄土色の髪の────。
 
「嘘だろ!! 京の中に入れたのかよ!?」
 
 現れた人物は興奮気味に喋っている。
 私は重くなった身体に鞭をうち、目の前の人に話しかけた。
 
「サイゾウさん。……どうしてここに?」
 
 彼は首を傾げた。
 
「そりゃこっちの台詞だろ。俺はさっきまで京周辺を探ってた。
 にしてもナナシ元気そうだな! また巻き込まれてやんの!」
 
 これは「当たり」だったのだろうか。
 モモタロウくんは刀を抜き、シュテンドウジさんも一歩下がって見据えている。
 
「随分親しそうだね。二人はどこかで会ったの?」
 
 私をさらった犯人像について二人に言っていない。
 モモタロウくんのことだ。あの時の犯人の片割れだと判れば斬り殺すだろう。
 シュテンドウジさんを斬らずにいられるなら、過去の事だと水に流してくれる可能性も僅かにある。
 が、楽観視は禁物。
 
「私は」
「誰かが黄泉へ入って、イザナミを地上に顕現させたことは、忍の間でも結構な噂になってるって知ってるか?
 んで、幸運にも俺はその時の情報収集の時にコイツと会ってるってわけ」
 
 さらったとは言わない。だったら私もそう合わせよう。
 
「……あるじさんはその人のこと、信用出来るの?」
 
 刀をいつまでも下ろさないまま、モモタロウくんは尋ねた。
 
「半分くらいは信用するよ。外の様子だって知りたいし、前々から遠方から援護できる人がいれば良いって思ってたもん」
 
 私は何も気にしていないよと気丈に嘘を吐いた。
 騙せてると良いな。
 
「報酬なんですけど……あの……その……多分まだ払えないです」
「出世払いで勘弁してやるよ。俺としても仕える先がなけりゃ飯食ってけねぇし。独神ならそのうちデカい勢力になるだろ。今から所属すんのは悪くねぇ」
 
 彼はいつものように明るく振る舞った。
 
「ヌラリヒョンさんはどう思うの」
 
 私の言葉を信じ切れないモモタロウくんは、中に入って来たばかりのヌラリヒョンさんに尋ねた。
 
「儂は従うだけさ」
 
 シュテンドウジさんは、
 
「おれの血から出てきたつってもな。信用出来るかは別だろ」
 
 建物から出ていくと、モモタロウくんもそれに続いた。
 二人は自分の血から呼び出された彼を信用することが出来ない。
 だからと言って犬猫のように捨てるわけにもいかない。
 困っているとヌラリヒョンさんは言った。
 
「この者の有用性が判れば二人の考えも変わるさ。席を外すから少し話すと良い」
 
 そう言って、ヌラリヒョンさんまでいなくなってしまった。
 誰にも受け入れられない彼は、ははっと笑った。
 
「忍の扱いはどこでもこんなもんだ。で、ナナシは俺をどう使う?」
「……そんなことより。私も流石に二度目は騙されませんよ」
 
 サイゾウさんの姿をしたナニカはへへっと笑いながら声を変えた。
 
「少しは成長したようだな」
「お陰様で」
 
 忘れもしない、三太夫さんの声。
 ヌラリヒョンさんに変装して私を騙して、あんなことをした、あの三太夫さん。
 もう二度と会いたくなかった。
 
「今は私に関する依頼は受けていないんですか」
「ないわけではないが、取るに足らないものだ」
「……最悪」
 
 八つ当たりに吐き捨てた。
 よりにもよって、なんでこんな人が一血卍傑で現れたのか。
 本当にサイゾウさんが来てくれたなら、まだ良かったのに。
 文句は山ほど出てくるが、皆が危険を冒してでも私たちを二人にしたのは、きっちり話をつけろということだ。
 味方に引き入れるのか、敵として処理するのか。
 線引きを決めるのは私。責任は重い。
 
「私の情報でも身柄でも勝手に持っていけば良い。でも京を出られない間は協力してもらえませんか」
 
 大事なのは皆の身の安全。そして、大江山への伝達。
 私と引き換えなら安いものだろう。
 何をされるか判らないのが怖いが、後の事なんて考えない。
 今は皆の安全を優先する。
 
「俺は主の情報を漏らす気はない。貴殿は勘違いをしているようだ」
 
 主って、今度は誰に従って……。
 と逡巡して、おやと思った。
 
「もしかしてですけど、主って私?」
「そうだ。さっきの主従契約に嘘はない。俺は独神に付く。サイゾウもな」
「いや、そこはあなたが勝手に決めることではないでしょう」
「サイゾウが言ったはずだ、生き残れたら従うと。見事貴殿は切り抜けてみせた。
 まあ冥府六傑からの逃亡の際は俺たちが手を貸したがな」
 
 カグツチさんと逃げ出した時の事だ。
 入口でハットリハンゾウさんが見えて、もう無理だって思った時に不可解な爆発があった。
 あの時は必死で、あまり深く考えていなかったけれど、あの時にサイゾウさんたちがいたとは。
 
「京の行き来が可能になれば、俺は本物のサイゾウと入れ替わる。
 そうして再びモモチタンバとして貴殿の前に姿を見せよう」
「それが、本当の名前ですか」
「そうだ。モモチタンバ。それが俺の忍としての名だ」
 
 なるほど。サイゾウさんと同じく三太夫とは偽名だったわけだ。
 ややこしい。
 それにあの時は私のことをただの荷物のように冷たく扱ってきたのに、いきなり主として認めるなんて気持ち悪い。
 私の心がついていけない。
 でも今の私たちに足りないものをこの人は持っている。
 協力してくれるなら縋りたい。
 
「……信用して良いんですか」
「忍は契約を守る。それに俺の力が必要なはずだ」
 
 その通りだが、信用がマイナス方向に限界突破している。
 
「モモチタンバさんは、私とどのような契約を結ぶのですか。さっきのはサイゾウさんに合わせただけでしょ」
 
 サイゾウさんの師匠であるならば、与える報酬も相当なものが必要となるはずだ。
 私に支払えるものだと良いが。
 
「八百万界の滅びを食い止めろ」
 
 耳を疑った。
 いくらなんでもそれはないだろう。
 だって、誘拐犯だよ?
 全然似合わないって。
 
「……界貨じゃないんですか?」
 
 黙っている。
 寡黙で何を考えているのか判らない。
 不機嫌になったってことなのか、馬鹿にして呆れているのかどっちなんだ。
 
「あ、いえ、それで良いなら、はい」
「決まりだ。貴殿は今後、俺を自由に使役出来る」
 
 その場にモモチタンバさんが跪いた。
 ばつが悪くてしょうがない。
 同じように私もしゃがんだ。目を合わせて言った。
 
「あなたへの指示。何が良いか教えてくれませんか」
 
 命令内容を本人に聞くことがおかしいとは判っている。
 けれど、優秀らしいこの忍をどう扱って良いのか私には全く判らなかったのだ。
 
あるじ殿は何を望まれる」
 
 モモチタンバさんはもう私を詰るような言葉を用いなかった。
 私たちは正式に主従の関係になったのだろう。
 彼の振る舞いに私も合わせよう。
 だから、あの時のことは、このまま忘れてしまおう。
 それがモモチタンバさんの主としての、最初の仕事。
 
「これがオダノブナガさんのせいだっていうならやめさせたい。
 あと、あの三人と、それに関わる者の安全を」
「承知した」
 
 モモチタンバさんはすくっと立ち上がった。
 ニカッと笑って、男の人にしては高めの声で言った。
 
「おいおいシャキッとしろよ。もう俺の命もテメェの手の上に乗ってんだぜ」
 
 主従となった今、扱いはモモタロウくんと同じだ。
 困ったことがあれば手を貸し、辛いことがあれば寄り添う。
 危険があれば自分と引き換えに助ける。お互いにだ。
 そんな関係をモモチタンバさんと築けるだろうか。
 何を考えているのか判らない人を平等に扱っていけるだろうか。
 好きでもない人が部下になって不安しかない。
 でも私は独神で、成り行きだとしても〝主〟になってしまった。
 弱音は吐けない。仲良くなれるように自分から努力しよう。
 これからきっと長い付き合いになるはずなのだ、きっと。
 
「これからはよろしくお願いします」
「まあまあ、今後は俺に任せなさい、っと」
 
 サイゾウさんの姿をして、彼は胸を張ってみせた。





(2023.09.24)