やさしいうそつき

「で、今回はいったいなんでしょう……?」
「見ての通りだ」

ここはヴィルヘルム城の中にある大量の部屋の一つ。
鏡が一枚だけという、あまりにも殺風景な部屋だ。

「これは、鏡……ですよね……?」

壁に掛けられた鏡はバストアップが映る程度の大きさだ。
ロココ調のフレームでヴィルヘルムの城にも合うデザインである。

「買ったの?」

何故か溜息が返ってきた。

「使いにくい道具だ」

あまりの物言いにむっとする。

「別に、道具じゃないし。ヴィルのでもないよ」

反抗したけれど、ヴィルヘルムは相手にしてくれなかった。

「この鏡の全貌を暴け。いいな」

そう言って、さっさと身を翻して扉に手をかけた。

「ちょっと待って。どういうこと?」
「どうにかするのが貴様の役目だ」

ばたんと、扉が閉まった。

「……信じられない」

ヴィルヘルムはいったい何を考えているのだろう。
たったこれだけで理解出来る者がいるはずがない。
ろくな説明もなく置き去りにするなんてあんまりである。
腹が立ってしょうがない。

もう知らない。鏡の全貌をと言っていたが、放っておけばいいだろう。
私は彼の道具でなければ、部下でもない。
命令を聞く義務はない。

私も彼と同じく退室した。
扉を閉めようとすると、ぽつんと壁にかけられた鏡が見えた。

知らない知らない。
私には関係ない。
私は引かれる後ろ髪を断ち切るように扉を閉めた。











「全然わかんないよー!!」

まずは鏡を眺める所から始め、触れたり、取り外してみたが全く判らない。
どう見ても、何の変哲もないただの鏡である。
全貌を暴けと言うのだから、特別な力を有しているはずだが。

「外した後の壁だって、なんにもおかしくないし……」

隣の部屋へ行って確認したが、この部屋となんら変わりなく。
となると、鏡自体に仕掛けが施されているわけだが、それが判らない。
ヴィルヘルムが私に任せたという事は、彼でさえ解けなかったという事か。
それともこの鏡の能力を私で試したいのか。

「……鏡さん鏡さん、私に使い方を教えて下さい」

胸元の指輪が一瞬煌めいたが、鏡はうんともすんとも言わない。
普段ならば物が勝手に動いて私に示してくれるのだが。
考えられるのは、鏡になんらかの力が込められていて私の干渉を阻んでいる。
または既に命を与えられている場合。

「もしもーし。私はと言います。鏡さんのお名前はなんですかー」

反応がない。
すると前者か。となると厄介だ。
私の力は神に譲られた、多分世界最強の力。
なんでも出来る便利な力ではあるが、強力すぎて加減を間違えれば、物に施された呪術を破壊してしまう。
ヴィルヘルムは鏡の力を所望しているようだから、無理に力で従わせるわけにはいかないのだ。

「でも、どうしよう……」

思いつくことは全て試したので八方塞がりだ。

「鏡の使い方っていうと」

私は力を用いて衣装をチェンジした。
鏡の私も同じように服が変わる。

「やっぱりこの服は可愛い。流石黒ちゃん」

フリルが沢山付いたワンピース型の服。
沢山のリボンが付いているので、着るのは少々大変だ。

「あ。後ろの解けてる。黒ちゃん……って、今はいないや」

鏡を見ながら真後ろのリボンを結ぼうとするが、上手くいかない。

「誰かやってー。誰でもいいの」

下級魔族でもいるならと思って言ったが、誰も姿を現さない。
彼らが城に大量にいるとはいえ、そう都合良くはいかないようだ。
仕方がないのでもう一回挑戦しよう。

「あれ。出来てる」

後ろ手で触れるとリボンは縦になることなく綺麗に出来ているようだ。
鏡で確認したがバッチリである。

「誰だか知らないけどありがとう」

見えないだけで魔族は部屋にいたようだ。
私は指輪を握り、見えないものが見えるようにと願った。
全てが見える目で辺りを見回すが誰もいない。
もう去った後か。そう思っていると鏡が一瞬光った。

「いるの?」

後ろを振り返る。
誰もいない。

「ふうん……」

なんだか気持ち悪い。嫌な予感がする。
幽霊……とかだったり……なんて、あるわけ……。
段々と感覚が過敏になってきた。考えるのは止そう。
もう一度だけ鏡を覗いたらトイレに帰ろう。怖くなる前に。

覗き込んだ鏡には男性がいた。
勿論振り返ったが後ろには誰もいない。
となると。

「貴方、誰?鏡に映っているだけ。それとも中にいるの?」

男性は私の問いに対して話しかけてくれているようだが、声が聞こえない。
耳も目同様に、可聴領域を広げると彼の声が聞こえる。

「……が私です。貴女が見ている鏡こそ、私。
 しかし、珍しいですね。まさか私を見聞きすることが出来る方がいるとは。
 まだ私、視えるようにしていませんのに。ふふ。
 貴女、えと、さん、でしたっけ。
 さんはどういう方なのです?
 人間には今までここまで出来た方はいませんけど」
「私は人間です。ただ、少し、……特別なんです」

どんな人物かまだ判らないので、黒ちゃんの事は伏せておく。

「そうですか。ならば、私を手に入れたのも何かの縁。
 紹介が遅れました。私は、水鏡と申します」

そう言って、水鏡さんは恭しく礼をした。
彼はスーツを着用し、胸元にはスカーフを蝶々結びにし、その真ん中に赤いブローチを付けている。
先ほど見た、慣れた様子の礼と合わせると、ヴィルヘルムやジズさんと同じ系統だと思われる。
礼儀正しくしよう。彼もまた、あの二人のように細かいかもしれない。
きっちりとした人は総じて気難しいのだ。

「ご丁寧に有難う御座います。改めましてです。
 あと一つ訂正がありまして、私は貴方を入手しておりません。
 貴方の持ち主はまた別におりまして。
 多分、先ほど見たと思うのですが」
「私が気づいた時には、貴女が洋服を着替えていました。
 その前はぐっすり寝ていましたので」

寝るんだ。鏡なのに。

「私の新しい主人とはどのような方ですか?
 毎度それが楽しみなんです。
 今度はどのような美しさを持つ方なんでしょう」
「え、と」

正直に言えば良いのだろうか。

「その、……御期待を打ち砕いて申し訳ないのですが……。
 う、美しくは、ないと、おも、い、ます」
「……」

水鏡さんは嫌そうな顔をした。

「いえ、何事も見た目の美醜が全てではありません。
 心の根が美しい事が何よりも重要な事です」
「こ、心は、もっと美しくないと思います……」
さん。私を今すぐ割って下さい」
「そ、それはちょっと……」

両手で顔を覆ってしまった。
申し訳ないけれど、鏡の持ち主がヴィルヘルムである事実は変えられない。

「……い、いえ、でも女性です。
 女性なのだから、きっと、どこか、たった一つでも美しい個所があるに違いありません。
 そうですよね!!!」
「……男性で」

今度こそ、水鏡さんは自殺を図ろうと自身の首を絞め始めた。

「早まらないで下さい!!!」
「っぐ、ぐぐ」
「えっとえっと」

元気にする言葉を。そうだ。

「ヴィルは怖いけど、仮面を取った顔は綺麗だよ!!
 性根には問題あるけど、お花が大好きで綺麗で珍しいものをいっぱい育ててるよ!
 あとあと、美しい魂が好きでね、この城にコレクションしているよ!!」

どうだ。と自分では良い事を言った気がするが、何故か水鏡さんは手を止めない。

「なんで!?」
「……男性、なのでしょう」
「うん、まぁ。って、やめて下さいよ!!」
「止めないで下さい。私の人生はここまでだと神が申しているのです」

本物の神様はそんな事言わないよ。
と、まだ今は言えないので。

「まだヴィルが貴方をここに置くかは判らないです!
 希望はあります。女性の元に行けるかもしれません。
 だから死ぬのはまた今度にして!!」
「え」

あっさりと、水鏡さんは自殺行為を止め、乱れた服装を整えて笑顔を見せた。

「びっくりさせないで下さいよ。
 ふふ、さん、お人が悪いですよ」
「はは……ごめんなさい」

危機は脱した。
この人、少し面倒臭い。

「水鏡さんって、人間に似た姿を映していますが、
 持ち主には見たり話したり出来るようにするんですか」
「いえ。基本的にはしないですよ。
 相手は私の事を普通の鏡と思ってますからね。驚かせるのも悪いかと。
 まぁ、でも、毎度人間が主人となるわけでもありませんし、
 特殊な方であれば、姿も現しますし、お話しますよ」
「なら安心してください。
 私は人間ですけど、そういう物とよく接しますし、
 それに、仮の持ち主であるヴィルヘルムも魔族ですから、驚くこともないですよ」
「いえ。私は男の前にわざわざ出る趣味はありません」

とことん男性には興味がないようだ。

「でも貴女の前なら良いですよ」

朗らかな微笑を受け、私は曖昧に返した。
ヴィルヘルムにはどう報告すれば良いだろう。
男性だから嫌なんだって。と素直に言って良いのか悪いのか。
ヴィルヘルムの事だから、水鏡さんの主張は一切聞かず利用するような気がする。

「そうだ。貴女が私の主人になりませんか?」
「お気持ちだけで……。勝手なことするとヴィルに怒られてしまうので」
「そのヴィルという男はなんなんです。
 貴女とどのようなご関係で?」
「……ただの、道具と使用者です」

関係なんて、私だって判らない。
彼と私はいつまでも曖昧で。

「そうですか。あまり聞かない方が良かったですかね」
「いえいえ、お気になさらず。深く考えることでもないので」
「そうおっしゃるのならば」

鏡から、彼の両手が伸びたように見えた。

「私の力、お見せしましょうか」










「水鏡さん?」

さっきまで水鏡さん以外何もない部屋に居たというのに、何故私はホールにいるのだろう。

「ここにいるということは、調べ終わったのか」

ヴィルヘルムだ。少し早いけど水鏡さんのことを伝えておこう。

「まだ途中なんだけど、あの鏡って」
「急くな。話はティータイム中に聞く」
「うん。じゃあ準備するね。少し待ってて」

この城でのティーブレイクの準備にはすっかり慣れた。
それはつまり、それだけの回数こき使われたと言う事であるが、あまり気にしない事にしよう。

「どうぞ」

テーブルの上に、ヴィルヘルムの分と自分の分の茶器を置く。
お茶請けは水鏡さんの話で良いだろう。
人間ではないヴィルヘルムは、お茶さえちゃんと用意していれば、あまり気にしないのだ。

「それで、さっきの話だけれど」
「今日は随分と語りたがるな。
 自分は私の部下でも道具でもないのではなかったのか」
「そうだけど……」

毎回早く話せとせっつくから、さっさと話そうとしただけだ。
それを、私自身がヴィルヘルムの道具であることを肯定するような言い方をしなくたって。

「まあいい。語りたいのなら好きに語れ」
「……あ、そう」

出鼻をくじかれてしまったが、私は水鏡さんについて伝えた。

「……と、まだよく判ってないんだ。
 でもね、悪い人じゃないと思うよ。もっとお話してみたいって思ったもん」
「そうか」

ううむ。
流石に水鏡さんについての情報が少なすぎたか。
名前や印象、姿を現す条件についてしかまだ知らないし。
また今日も馬鹿にされて終わりそうだ。

じっとヴィルヘルムの出方を窺っていると、彼は手を伸ばした。
まさか、叩かれるのか。いや、燃やされるのか。
防御の準備を済ませ、彼の手を睨んだ。

「よくやった」

彼は叩かなかった。
代わりに、私の頭に手を置いた。

「……!?」

たったこれだけで、ヴィルヘルムが褒めるなんて有り得ない。

「びび、び、ヴィルヘルム……。あの……ごめんなさい。
 次は頑張るから。その……ごめんなさい」
「何を怯える」
「だって……」

多分これは、上げて下げるの法則。
何度も何度も行われてきた事だ。
いくら私が頭が足りなかろうと、これくらいは学習する。

「おかしな娘だ」

すっと離れていく手に切なさを覚えたが、それを振り払った。
名残を惜しんではいけない。
そのせいでいつも苦しむのだから。

「……ごめん。私、片づけたら帰る」
「時間はまだ、余裕があるはずだが」
「ちょっと用事があって」
「そうか」

私はヴィルヘルムが望んだ成果を出せなかった。
早く去らなければ、また冷たく言われてしまう。
だから、こうやって自分から申し出る方が、傷が浅くて済む。
私は早々に飲み終えて席を立った。

「何故立つ」
「先に洗っておこうと思って。ヴィルはそのままでいいよ。
 飲み終えるまで洗えないしね。待ってる」

使い終わったカップを洗い、ティーポットも洗う。
乾燥は魔族に任せ、私はテーブルへと戻った。
ヴィルヘルムのカップにはあと一口、残っている。
すぐに飲み終える事だろう。
それまで待っていよう。

話題が無くなった私たちは黙ったまま。
ヴィルヘルムは考え事をしているのか腕を組んだまま目を伏せている。
カップを取る様子は無い。
お腹いっぱいなのだろうか。
また私は暫く待った。

「……あの。もしもし」
「なんだ」
「ううん。起きてるなら良いの」

寝てくれた方が良かった。
一口残ったティーカップ。
私はそれを未だに片づけられずにいる。
正確な時間は判らないがかなり経った筈だ。
いらないならいらないで、言ってくれれば片づけるのに。
機嫌を損ねてはいけないと思って、黙って待っていたが、もう許してくれるだろう。

「ねぇ、片づけようか?」
「何を」
「カップだよ。もう冷めてるから良いでしょう?」
「置いておけ」
「なら、私は帰るね。片づけは小さな魔族に頼んで」

飲み終えるまで帰れないって、さっき言った気がしたんだけれど。
ヴィルヘルムの事だから、多分気にも留めていないのだろう。
声をかけて良かった。このままだといつまでも帰れなかった。

「……ヴィル?」

彼は組んでいた腕を崩し、私の腕を掴んでいた。

「どうしたの?」
「行くな」

彼は仮面越しに、そう言った。

「でも、帰る時間が」
「そんなもの、放っておけ」
「そう言う訳にはいかないよ」

何度も門限破りをしている私であるが、基本的には時間を守る主義だ。
特別な理由がない限り、私は時間になればちゃんとあの場所に帰る。

「明日も来るよ。だから」
「断る」

彼は強く私の腕を引く。
バランスを崩した私を抱き留めた。

「っ!ヴィル!?」
「大声を出すな。耳障りな」

耳に触れる声にぞわりと背筋が震える。
それは決して不快感からではない。
未知の感覚。
嫌ではないのに、身体が震えてくるのだ。

「ね、ねぇ。どうしたの?」

早鳴る胸を押さえつけ、私は普段とは違うヴィルヘルムに尋ねた。
彼は口を開く代わりに、強く抱擁した。
心地よい痛みだった。同時に、怖かった。
元々私の認知を超えた所にいる彼の事が、これ以上判らなくなる事が。

「お願い。何か言って」

いつもみたいに「これぐらいで動揺するとは、所詮貴様はその程度の小物なのだ」
とか言って、私を小馬鹿にして欲しい。
でも、今日の彼はどこまでも違った。

「行くな」
「ヴィル……」

私が彼に望む、必要とされているという実感。
たった三文字の言葉が、必死に押さえつけていた濁流のような感情を解き放つ。

「一匙でも残せば、貴様はあの男の元へ帰れぬ筈。
 それが魔族にやらせろとは、つれぬ娘だ」

あれは、わざと……。引き留めるために。
そこまでして、私を。
いけない。そんな事言われたら、私は、黒ちゃんを裏切ってしまう。
私は彼の首に手を伸ばしたい衝動を止められない。
この衝動の制止を願うも、指輪は何の力も発揮しない。
このまま、ヴィルヘルムの腕の中にいたいと思った。

「……ねぇ、好きって、言って」
「そう言えば、信用するのか」
「そうだね」

私は彼の言葉を待った。

「好いている」

決定的だった。
私は、彼を両手で押しやった。

「……水鏡さん。いるんじゃないですか?」
「うん、ここに」

彼は鏡の時とは違って、私と同じく両足があり、どう見ても人間のようだった。

「ありがとう。気を使ってくれたんですね」
「よく気づきましたね。それが私が映したものだと」
「言ったじゃないですか。
 貴方の持ち主となる人は、美しくない心を持つって。
 こんなに優しい筈がないんですよ」

ヴィルヘルムは見返り無く私を喜ばせない。
決定的だったのは、最後の言葉だ。
彼は一度も、私にそんな事を言ったことがない。
言葉を封じると言った彼が封じたのは、きっとその言葉だ。
だから、彼が言う筈ないのだ。

「これは私の望みで、妄想です」
「しかし、これは私が貴女の記憶の中にいる彼を私の力で映したもの。
 鏡の私は真実しか映せない。
 彼は確かに私が作り出したものですが、本物です」
「……私もね、同じこと出来るんです。
 好きに人を動かせるの。でも、夢の中だけなんですけどね。
 水鏡さんが参照した私の記憶は、記憶であっても本物じゃないのでしょう。
 私が作り出した都合の良い夢の中のヴィルヘルムも、ヴィルヘルムには違いないから」

何度も想像した。私が望む世界を。
でも、結局は偽物で、私はその力をあまり使わなくなった。

「妄想はもういいんです。都合の良い夢は今は辛いから」
「それは……余計な事をして失礼しました」

深々と頭を下げた水鏡さんに私は首を振った。

「いえ。気にしないで下さい。
 それもこれもぜーんぶ、ヴィルが悪いんです」

私は精一杯笑った。











「手のかかる……」

ヴィルヘルムは鏡しかない筈の部屋に落ちたリボンを見て溜息をついた。

「鏡よ。どうせ中に娘がいるのだろう。連れて行け」

伸ばした腕は水のような鏡面へ飲み込まれた。

「あれ、ヴィル。どうしたの?」
「貴様こそ。物に取り込まれ何をしている」
「全貌を暴けって言うから……。調べてたんだけど」
「なら続けろ」
「なにそれ。もしかして……心配してきてくれたの?」
「何を馬鹿な」
「そっか。残念」

は楽しそうに笑った。
怪我もなく、精神汚染の様子もない。
ただ取り込まれただけなのか。
ヴィルヘルムは注意深くを見た。
軽い足取りで跳ねるは、いつも通り頭が軽そうである。

「ねぇヴィル。どうして水鏡さんの中まで来たの?
 ……なんて、私にまだ道具としての利用価値があるから、
 死なれるには勿体ないとか、そんな理由だよね」
「当然だ」
「そう」

は短く返答すると、足を止めてヴィルヘルムに向き合った。

「ねぇヴィル。私、道具は嫌だよ
 どうしたら、対等に、ううん対等でなくても良い。
 どうしたら人として見てくれるの」
「貴様は元々人間だ」
「そういう意味じゃない。どうすれば、物じゃ無くて普通に見てくれるの?」
「下らん」
「下らなくないよ。私にとっては」

薄暗い鏡の世界でも、両目が煌めいたのが見える。

「……物としての価値しかないなら、最初から期待なんてさせないで」

大きな瞳を歪ませて睨むと、水滴が頬に張り付いて落ちた。

「好きになんてならせないで」

肩を震わせるを、ヴィルヘルムは鬱陶しいと思った。

「そんなもの。貴様が勝手に思い込んだ事。私には関係ない」
「私だって、こんなに苦しいなら好きになんてなりたくなかったよ!
 あのまま黒ちゃんといれば、こんな事にならなかった。
 黒ちゃんを、好きになれば良かったのに……。
 そうすれば、辛くなんて、なかったのに」

本格的に泣き出す
これだから女子供はと、ヴィルヘルムは小さく息を吐いた。
冷めている態度のヴィルヘルムとは対照的に、の声には次第に熱が籠ってきた。

「好き。なの。
 ヴィルの事が、好きなの!
 あの時の事はなんだったの。あれは嘘だったの?」
「あの時?さあ、知らんな」
「誤魔化さないで!」

ごしごしと涙を拭ったは、目を腫らしたまま、
ヴィルヘルムへの要望を叫んだ。

「……っ、き、キスして」

とうとう気が触れたか。
心底呆れながらも、ヴィルヘルムはの後頭部に手をやり、望み通りにしてやった。

「……」
「何を呆けた顔をしている」
「だ、だって本当にすると思わなかったから」
「貴様が言ったのだろう」
「そ、そうだけど……」

真っ赤になったはヴィルヘルムの手から逃げた。

「ご、ごめんなさい」
「何が」
「ヴィルにこんな事させて……」
「ならば、最初から言葉を放つな」
「はい……」
「……あの男なら、貴様は」
「黒ちゃんの事は関係ない。
 だって、私がして欲しいのは黒ちゃんじゃなくて……」

誰とは言わぬまま、はヴィルヘルムに抱き付いてきた。

「……私が子供じゃなきゃ良かった。
 ねぇ、私が馬鹿じゃなければ、そうすれば、普通に扱ってくれた?
 それとも人間じゃない方が良かった?
 私に神様の力なんて無ければ……。
 ううん、無かったら、きっとヴィルは私に興味なんて持ってくれなかったよね。
 でも、黒ちゃんが私を必要とすると、ヴィルは……そのうち黒ちゃんに」
「黙れ」

ヴィルヘルムは再度泣き出すの口を塞いだ。
話せないように。何度も。
そして、耳元で囁いた。

「この程度で私を騙せると思ったか。大方先に取り込んだ娘の記憶を利用したのだろう」
「え?……なに?何の事?」

ヴィルヘルムは目を白黒させるのうなじを掴んだ。
痛みに悶えるに構わず力を込める。

「茶番は終いだ」

は絶叫と共に燃え、塵と化した。

「別に、茶番ではないんだけどね。
 仮のご主人様」

その言葉と共に水鏡が現れた。
得体の知れない相手と、ヴィルヘルムは身構えた。

「貴様か」
さんの事なら御心配なく。もう外にいますよ」

水鏡の指先には外の映像が見えた。
水鏡がかけられている部屋にはいない。

「あら、今はいないみたいですね。多分貴方を探しに行ったんですよ。
 私の事を調べ終わったから、本物の貴方に報告するって言ってましたし」
「目的は何だ」
「勘違いされては困りますね。私自身何の目的もありません。
 さっきのも、彼女が私を知りたがっていたから教えていただけ。
 その途中に乱入する貴方が軽率なんですよ」
「道具如きが、偉そうな口を」
「如き、ね。これは彼女も可哀想だ」

水鏡は口が滑ったとばかりに、口を押えた。

「貴方も私の力が知りたかったんでしょう。
 教えますよ。仮とはいえ、主人ですし。
 私の力は鏡の力。真実を映し出す能力。
 さっきの彼女も、私が映したものではありますが、本物ですよ」
「騙されてやる私ではない。あれは娘とは似て非なるもの。
 どうせ貴様の都合のいいように複製を作り出し、見るものを惑わすのだろう」
「いえ、私は嘘なんて」
「黙れ」

仮面の奥の瞳が鋭く光ると、水鏡は肩をすくめた。

「今度の主人は気が短いですね」
「ここから出せ」
「仰せのままに」
「待て」

素直に鏡の外へ出そうとする水鏡は手を止めた。

「娘にも、何か見せたのか」
「ええ。そうそう、彼女も言ってましたね。
 これは嘘だ、と」
「なら良い」

笑みを浮かべたヴィルヘルムは、水鏡によって鏡の外へと出た。
そこに丁度が帰ってきた。

「ヴィル!何処に行ってたの。
 報告しようにも全然いないんだもん」
「何を見た」

軽く話すを遮り、ヴィルヘルムは追究した。
は面食らいつつも話した。

「ヴィルがいたよ。凄く優しかった。
 だから、絶対嘘だって判ったんだよ」
「貴様にしては正しく見抜いていたようだな」
「本当?」

褒められたは嬉しそうだ。

「あ、そうそう。水鏡さんの事だけど、このままヴィルが持つの?
 出来ればなんだけど、誰かに譲って欲しいなって……」
「何故」
「え。う、うーん……。ヴィルが女の人じゃないから」
「……ほう」

たったそれだけの言葉で理解したヴィルヘルムは、
嫌な笑みを浮かべて水鏡をちらりと見やる。

「この鏡は私が所持する。このままこの部屋で」
「え」
「え」

思わず水鏡が声を出す。
目や耳に神の力を込めていないでも水鏡の姿が鏡面に映っているのが見える。

「貴方!!私に興味ないでしょう?鏡なんて見ないでしょう?
 そんな醜悪な顔と心を持っているくせに、見てどうするのです。
 そんなものを見て生活しますと、貴方の美的感覚は曲がってしまいますよ。
 それとも、もう既に曲がっているから平気なんですかね。
 悪いことは言いません。早々に矯正した方が良いですよ」
「み、水鏡さん……」

酷い言いようには頭を抑える。
ヴィルヘルムに気にした様子は無い。
寧ろ、嫌がる水鏡を見て悦に入っているようだ。

「娘。もう用は済んだ。さっさと帰れ」
「帰れって何!?頼んでおいてそれ?
 折角言われた通りに調べたのに!!」
「貴様の報告を受けずとも、この鏡の力は理解した。
 つまり、貴様は無意味だった」
「む、無意味って……」

拳を震わせたは大声で怒鳴った。

「もういい!ヴィルなんて大嫌い!!」

そう言って部屋から姿を消した。
水鏡はが消えた位置を見つめながら心配そうに言った。

「……女性にあの物言いはどうかと思いますがね」
「頭が空のあの娘には、あれぐらいが妥当だ」
「……おっしゃっていた通り、貴方は心根が良いとは言えませんね」
「下らん。魔族にそんな基準を当てはめるな」

外套を翻し、ヴィルヘルムもまた去った。











随分な所に来てしまった。
物は主人を選べないのが辛いところである。

それにしても、あの二人は見ていて面白い。
主人があの男と言うのは納得いかないが良い環境だ。

折角私が"真実"を見せたというのに。
まあ、さんの方は、さんの記憶にある優しかったあの男を映しただけだったが。
それでも本来ならば、男の心を曇りなく映すことが出来る。
彼女も特殊な能力がある事に気付けなかったせいで、完全なものとはいかなかったようだが。
私が映した真実は、彼女の言うように、彼女の願望を具現化した時の記憶にとっての真実かも知れない。
だとすると、私が見せたあの男は、彼女の指摘通り妄想だ。
とは言え、全てが妄想という訳ではないだろう。
一部は妄想だろうが、一部は真実だ。

だが、男に見せたさんは全てが本物だ。
彼女の秘めた心をそのまま映し出した、飾り気のない本物の彼女。
あの男は愚かにも、偽物であると一蹴したが。

私は鏡だ。
それも水鏡。
呪術に用いる鏡とは違い、姿形をありのままに映すための道具。

私は嘘がつけない。
私は偽物を映せない。

彼女は私の能力を信じた上で、嘘だと言い。
男は私の能力を信じず、嘘だと言った。

可哀想に。
二人は向かい合っているはずなのに、それに気づけない。
まぁ、その点は私には関係ありませんが。

それにしても、片思いは良い。
映していて気持ちがいい。報われないなら尚。
想いが通じた男女なんて見たくない。
想いが通じた後の二人ほど、醜いものは無い。

勿論、それはおかしなことではない。
いつまでも盲目的に愛すことは出来ないのだから。
どんな恋もいつかは魔法がとけ、情だけの繋がりとなるのだ。
それは当たり前の事象として、世間では受け入れられている。

でも、私は鏡だ。
目の前にあるものを自分の意思とは関係なく映してしまう。
ならばせめて、映さなければならない心は、常に綺麗なものであってほしい。
清濁交えたものが真実とか、愛は常に美しくないものだとか、そんな事実はどうでもいい。

私は綺麗な物しか映したくないのだ
だから片思いは良い。一方通行の心は良い。
届かぬ想いは常に潔白で、穢れを知らない。
ひたむきに、真っ直ぐ想う心は、ただただ美しい。

二人の心を読み取った私が映す真実の二人は、
私の中で穏やかに過ごしているのが、その証拠。

愚かな人たち。
だから、良い。
ここなら、綺麗なものを映すだけで済みそうだ。





fin.
(14/10/28)