ほしぞらにいのる

殺せないのではなく、殺してはいけない人だった。

「っ!」

俺と同じくらいの大きさで、ひ弱そうで、実際貧弱で、
武器を知らず、与えられず、力もなく、ただ護られるだけの、使えない人間。
それが、だ。

「……誰?」
「ジャック。お前はというのだろう。こいつから聞いた」
「神に向かってこいつはねぇだろ……オレ様泣いちゃう」

俺はこの世界の住民ではない。
俺がいた世界は、開発過多により大地が荒れ果て、生き物は限られた場所でしか生きられない、そんな所。
工場の煙毒による大気汚染が深刻で、ガスマスクが無ければ外出する事は出来なかった。
今思えば生物の全滅まで秒読みだったんだろう。
それでも生きようと生物は足掻き、争い、弱い奴から死んでいった。
俺は特別生きたいという欲求はなく、気づけばそういう奴に使われ、そしてヴィルヘルムと会った。
命令をする者が変わっても、俺の生活は変わることなく、殺して壊して盗んで脅しての毎日を送っていた。

すると突然、前触れなんて一切なく、目の前の景色が変わった。
その時のことは当時ですらよく判らなかったし、今でも判っていない、というか覚えていない。
MZD曰く、時空が歪んで別世界に(と言っても、どれもMZDが統治する世界の内らしい)俺は飛ばされたそうだ。
原因はすぐには判らず、MZDが調査修復する必要が出たのだが、その間時空の歪みの原因の疑いがあった俺をどうするかという問題が発生した。
そこでMZDは、自分と同じ神がいる異次元に置くことを選択した。
そこならば何が起きても大丈夫だからと。
こうして、俺はもう一人の神の監視下に一ヶ月の間置かれることとなった。

そして、と黒神、影に会った。
得体の知れない奴らと一ヶ月間生活する。
そこは、俺が今まで認識していた"世界"とは大きくかけ離れていた。

「ここでのルールは簡単だ。まず、への危害を禁ずる。
 怖がらせるな、泣かすな、傷つけるな。それと、俺の命令は絶対。
 一回でも禁を犯せば、俺が知りうる限り一番惨い殺し方で、テメェを殺す」

黒神は異次元で過ごすルールは簡単だと言った。
だが、それは俺にとって全く簡単とは言えなかった。
まず、武器は取り上げられた。

「はぁ?敵なんていねぇよ。神聖な神の領域に、下等生物どもが入るわけねぇだろうが、馬鹿か。
 ここにいるのは、俺、、それと、影。そして、お前」

家というのも初めてだった。

「キョロキョロと鬱陶しい。ジっとしてろ。
 くそっ。本当なら閉鎖空間に閉じ込めちまえばいい話なんだ。
 それを慈悲の心で室内に置いてやってんだよ。
 ちっ。に会ってなきゃ俺のやり方でやれたのによ。
 予告なしで来やがって……を隠す時間さえあれば、テメェなんて」

家、とは住居だ。人間が暮らすための場所。
だが、俺には縁がなかった。定住の必要がなかったからだ。
命令で移動が多い俺に、固定の住処は邪魔だけ。
それに、雨風を凌げれば、木の下でも、土の上でも、敵の住居やアジト等、何処でも寝られたのも大きい。

「床で寝るな、殺すぞ」

この家という場所では、ベッド以外では寝てはいけない。

「食事は手掴み禁止だ!」

フォークなりナイフなり使わないと飯は食わせてもらえない。

「風呂に入れ、きったねぇだろうが!!」

一日に一回は入浴をしなければならない。

「テメェ、いい加減にしろ!喧嘩売ってんのか、殺すぞ!!」

家という狭い空間での生活は不便だった。
黒神の命令はいちいち細かく、俺の苦手な事ばかり要求してきた。
その中でも、困難な事といえば。

「……に武器、戦い、お前のいた世界の事は絶対に言うな。
 一言でも言ってみろ。死すら生温いと思わせるからな」

異次元内のもう一人の住民。
俺と同じ人間の、という女の存在。
普段から殺気を振りまく黒神だが、の話題になると、纏う空気は更に異質さを増す。
これは、今でも変わらない事だ。
当時、黒神は言葉だけで人を殺せるのではないかと、感心していた。

黒神にそこまでさせるとはいったい何なのか、どんな奴か。
黒神の異次元にいる間外出が禁止されて暇だった俺は、毎日を観察した。

「あの、ジャック……」
「なんだ」
「え……」
「おい、ジャック、ちょっとこっち来い」

話しかけられても、何を返して良いか判らない俺は、何度も黒神に呼びつけられた。

を落ち込ませるな。刺すぞ」

と、こんな感じの注意を受け、元いた場所に何事もなかったかのように戻る。

「あの、ごめんなさい」
「別に」

また黒神に睨まれる。

「……何といえばいいか判らない」
「黒神さん、大丈夫だから。ごめんねジャック」
「何故謝罪する」
「え。えっと……」
「ジャック、もう一度こっちに来い」

に対する禁止事項は、具体的なものがなく対処のしようがなかった。

「あの……。ジャックは、どんなところにいたの?」
「言えない」
「そう……。じゃあよく何をしていたの?」
「言えない」
「う……。MZDとはどんな関係?」
「知らない」
「……」
「おい、ちょっとこっち来い」

話してはいけない事ばかり聞かれたって、話術の乏しい俺はどうしていいか判らず。

が一生懸命テメェに話しかけてんだろうが。
 テメェも気合入れて会話しろ。いいな」
「判った」

黒神の命令通りに会話に挑戦してみても、上手くいくわけではなくて。

「見て見て!どーんってなった。ね、凄いでしょ」
「あの角度から繰り出す事は不可能だ。あの反射速度では追いつけない」
「う、うぅ……そんな事ない。ギャンブラーは違うもん!」
「……ジャック。ちょっと来い。
 いや、あのな。うーん……。お前の言う事はよく判る。
 俺も正直そう思うが、演出やら展開上しょうがないというか。
 とりあえず、あの話には合わせておけ。疑問は沢山出るだろうが、合わせろ」

誰かの命令に従うのは得意だ。今までずっとそうしてきた。
だが、黒神に出される命令は一つも遂行できなかった。
何度注意されようとも、内容を一切理解できていない俺は同じ過ちを繰り返した。

そんな生活の中、俺は暗殺を恋しいと思うようになっていた。
今まで好きでもなく、嫌いでもなく、ただ飯を食うための手段としてやってきただけで、
執着心は無かったが、このよく判らない生活よりはマシだった。
屋内で過ごす毎日は、退屈で、鈍る身体が気持ち悪かった。
まぁ、今だから分析できているが、当時は自分がそう思っていることすら判らなかった。
ただ、なんとなく肌に合わない、窮屈な気持ちを抱えていた。

でも、そんな生活の中でも、好きな時間があった。
それは一日に三回訪れる。

「……野生動物かよ」

ここでは安定して、しかも沢山の飯が食えた。
またいつ食べられなくなるか判らないと、毎回限界まで食べていたが、
居候している間は一度も欠かす事無く飯は提供された。
それと、腹を満たす以上の収穫は、と会話出来た事だと思う。

「どんなものが好きなの?」
「草以外」
「やっぱり、お肉やお魚の方が良い?」
「良い」
「そっか……。じゃあ明日もそうするね」

この程度の会話だって当時は難しかった。
だが、この時間は一日に三回ある。
三回あれば、一回くらい当たったり……当たらなかったり。

「今日のはどう?美味しかった」
「ああ」
「そっか。良かった。次はお魚とお肉、どっちがいい?」
「肉」
「じゃあ、お肉にするね」

成功例はこんな感じだ。今考えると、俺は受ける事しかしてないし、会話ではないな。
でも、互いに警戒していた俺たちが、ここから少しずつ接近していく事になる。

「ジャック……」
「なんだ」
「今日、どんなご飯が良い?」
「ん……肉。あの前食べた、焼いたやつが良い」
「ああ、ステーキかな」
「あれは肉ばっかりだから好きだ」
「ジャックはシンプルなのが好きだね」
「あとどんぶりのも好きだ。いっぱい食べられる」
「ジャックがたくさん食べてくれるから、あたしも影ちゃんも作ってて楽しいよ」
「俺も。好きなだけ食べられるから、凄く、うん、腹がいっぱいだ」
「良かった」

俺は他人がどう思っているか推理する事は出来ないし、自分の感情がどんな言葉になるかも判らない。
それなのに、はいつも穏やかに耳を傾け、何かしら返事をしてくれた。
上司や黒神なんかは、俺と話すと疲れるとよく言っていたというのに。
他人と話したいという欲求が俺にあるわけではないので、そう言われても問題は無かったが。

「ねぇ、ジャック。外に行こう」
「許可が出ていない。俺はここにいろと命を受けている。それに背くわけにはいかない」
「大丈夫。ね、黒ちゃん」
「ああ、問題は無い。そこもまた、俺の空間だからな」

行動に制限を受けている俺であったが、のお蔭で外に出る事も叶った。
実際の外とは多少違うものだが、室内に閉じ込められるよりもずっと良い。
鈍った身体を元に戻そうと、俺は一日走り回っていた。
その間、体力がないは入口の近くでずっと座っていたり、寝ていたりしていた。

それも不思議だった。
どうして、他人の前で無防備に寝られるのか。
襲われるとは思わないのかと。

「お、そう、って?どうして?」
「隙を見せる事は危険だ」
「うーん……。でも黒ちゃんは襲わないし、ジャックもしないよね?」
「俺はするなと命令を受けているから」
「だったら、大丈夫じゃないの?」
「もし俺が裏切ったらどうする」
「ジャックは裏切るの?」
「いや。反逆する気はない」
「じゃあ、大丈夫だね」

個室を宛がわれていても、俺は深く寝ることは出来ず、誰かがリビングで物音をたてる度に起きていた。
周囲は敵しかいない。いくらに戦闘力がなかろうとも、安心することは出来ない。
と、思う俺の隣で、ぐっすりと昼寝をするを、最初は、だから弱いんだと、見下していた。
それを、黒神に言うと、鼻で笑われた。

「お前の気持ちはよく判る。俺だって、他人の前で寝るなんてごめんだ。
 今だって、敷地にお前がいるせいで、落ち着いて寝れねぇし」
は、何故平気?」
「……ふん。は……お前を信用してんだろ。
 お前が危険な奴だと知っていて尚、お前が自分に危害を加えないと思ってんだよ。
 有難く思えよ。お前みたいな奴、普通は誰も信頼しねぇからな」
「殺さないと思い込む事は、そんなに凄い事なのか。不用心なだけだろう」
「そうでもあるが。
 ……自分に害を与えるかもしれねぇ相手を信用するのは、弱者にとっては勇気のいる事なんだよ。
 しかも暗殺者なんて。もしかしたら殺されるかも知れねぇわけだしな。
 でもは、お前はそうしないって思ってんだよ。馬鹿」

黒神は色々と言ってくれたが、当時の俺はやっぱり理解出来なかった。
そうなったら、自分で答えを見つけるしかない。

、俺も寝てみる」
「眠いの?それなら部屋で」
「違う。の前で」
「じゃあ、一緒に寝よっか」

最初は出来なかった。寝首を掻かれる可能性を否定出来なかった。
そんな俺の横で、四肢を広げて昼寝をするに驚きを隠せなかった。
これを何度も繰り返した事で、俺はの隣では寝られるようになった。
は最初から最後まで、俺を攻撃する事は無かった。

「あ。ジャック、また顔について」

はふいに身体的に接近することがあった。
警戒していた頃は距離を取り、避けるようにしていたが、
この空間の奇異な空気に慣れるにつれ、過度に逃げる事は無くなった。
への認識が変化した事が大きい。

が手を伸ばすのは、死の淵へ連れて行くわけでもなく。
頬を拭ってくれるのも命を断とうとする意図なんて全く無い。
は俺とは違う。
の手は小さくて、細くて、弱そうで、銃も握れないだろう。
前の世界の事を考えれば、どう生きているのか不思議な手。
そんな得体の知れない手が、全く違う俺たちを繋いでくれた。
俺は、そんなの手が好きだった。

、触っていいか?」

何も身に着けていない、素手の状態で、に手を伸ばす。
触れようと思っているのに、何故か、俺は最後の一センチが進めない。
まごついているとの方から手を伸ばした。でも、残り五ミリの所で止まる。
微笑むままじっとするを見て、なにかがすとんと落ちた。
手に触れた。握られた。握り返した。

人って、温かいんだなと、思った。
それは初めて知る事だった。
そして信用とは、こう言う事かと、俺は黒神に話した。

「俺もを信用する。は俺に害を加えないと」

黒神はまた笑った。

「馬鹿か、死ぬぞ。暗殺者が他人を信用なんてしだしたら廃業だな」
「でもがしない事には変わらない」
「そりゃ、はそんな事しないが……。 
 だが、お前はこれからも、他人が"こいつは信用できる"と言えば、悉く信用していくのか?
 騙されたらその時点で終わりだぞ」
以外は知らない」
「今は、しかいねぇけど、これから先の話だっつの。
 どいつもこいつも他人を食らう事ばかり考える、薄汚ぇカスどもだ。
 テメェは、そういう奴らに使われ、今後も利用され続ける。
 それに加えて、信用なんていう薄っぺらいものを、他人への判断基準に使おうだなんて。
 救いようもねぇ馬鹿だよ。獣の方がよっぽど利口だ」
「なら黒神は、誰も信用しないんだな。を含め」
「……少し、俺の前から消えろ。このままその面見続けてるとうっかり殺しちまいそうだ」

黒神は信用は不要だと言っていた。俺だってそう思ってる。
ただ、は別。は大丈夫だと思う。
理由は判らないが、過ごせば過ごすほどを疑うという発想がどんどんと薄れていった。
居候生活を終え、別の人間に会う機会が増えたが、黒神が危惧したように誰彼構わず信用することは無かった。
特別視したのは、だけだった。
あの一件。あの、に似た女の他には。

その辺から、俺はに対して感じていた壁の全てが無くなっていた。
を見て、話して、触れて。に近づけた気がした。
心が躍る俺であったが、反面、黒神の態度が変わり始めた。

「お前、あんま調子乗んなよ」

言っている意味は、毎度のことながらよく判らなかった。

「近づき過ぎるな」

これに関しては、ずっと判らなかった。
理解したのは最近だ。随分かかった。

黒神は自分以外がと関わることが嫌なこと。
が好きで、死なれるのが嫌で、外に出したくないこと、自分の監視下に置きたいこと。
あの時にそれが判っていれば、深入りせずに済んだだろう。
過ぎた事に、何を言っても意味は無いが。
でも、あの時理解出来なかった事を、俺は、少しだけ、少しだけ後悔している。

「きっと、こういうのを友達と言うんだろうね」
「……?」
「ち、違うの、かな?」
「判らない」
「でも、テレビではそう言ってたんだけどなあ」
「そうか」
「……いや、きっと、そうだよ!」
「ふうん」

変な顔をする

「変な顔」
「ううん。そんなことないよ」

人間の感情や思考に疎い俺に出来るのは、表面上に現れる変化に気付く事だけ。
側頭筋の動き、眼球の動き、呼吸の頻度、指の動き、声の大小。
それらの組み合わせから、が幸か不幸かを判断する。
何度も経験することで、を覚えていく。
こんな事、以外にはしていない。理由は、判ってる。
特別視とは、そういう事なんだと。

「なっ、突然どうした」
が怪我した」
「え……ああ、その程度か。洗えばいいだろ。ったく驚かせんなよな」
「ごめんなさい。ジャックもびっくりさせちゃったね。これくらい平気だよ」

と関わって、俺は変わった。おかしくなった。

は弱いから、すぐ死ぬと思った」
「この程度で?無理だろ。お前ならその辺、判ってんだろ」
「他の奴はそうだ。でもは違うから、もっと弱いと思った」
「はあ……意味わかんねぇ。お前はをなんだと思ってんだよ。同じ人間だろ」
「違う。は俺たちと違う。は、他の人間とは違う」
「特別なわけねぇだろ。あれも同じく人間だ」

誰かの駒として動くだけの俺だったのに。

「……そう思うなら、壊れないように慎重に扱ってやれ」

意志が芽生え、駒として不良品となった。




















と離れる選択をした俺は、完全に以前の通りとは言えないが、
駒としての役割を果たし、変わり映えのない毎日を過ごしている。

俺の選択は間違ってない。
の事を考えれば、黒神といるのが一番。
神には逆らえない。神を超える者はいない。
そこにがいれば、誰にも壊されない。

満天の星空の下で、俺は黒神が言う下らない世界を駆ける。
俺が元いた世界は、大気汚染が深刻だったせいで、星空とは無縁だった。
そういえば、が前に言っていた。
星に祈ると願いが叶うと。

「実際は、祈れば叶うってわけじゃないんだけどね。
 叶わない願いや膨らむ感情を胸に抱き続けるより、無理やり形にして他へ託してしまう事が大事なんだって。
 心は自分が思うよりも小さくて、いっぱいになるとすぐに壊れてしまうから。
 一度中身を取り出して、新たな想いが入る空間を作ってあげなって。
 心の整理整頓の為の祈りだ。って。本物の神様が言ってたよ、黒ちゃんだけど」

今の俺の心を占めるものは。

に近付けない事が我慢出来ますように」

全てはの為。
の利益にならない物は一切必要ない。
俺の感情も含めて。

「ジャック。ずっと一緒にいてね。約束だよ」

約束を破ることだって、の為なら必要な事だ。

「約束だ。俺はを泣かさないようにする」






fin. (14/12/26)