ふわり、ゆれた

「髪の毛を下さい!!」

の箸から、卵焼きがぽろりと落ちた。
黒神の影が腕によりをかけて作った愛情たっぷりのおかずは、運よく弁当箱の中へと帰っていった。

「あ、あの……。な、なぜ……です?」

その辺の者よりも数倍肝が据わっているであるが、
昼食中に突如現れ突飛な発言をした女子生徒を容易く受け入れる事が出来ず、
若干引き気味である。

それを判っているのか、いないのか、
女子生徒は可愛らしく握ったこぶしを胸に当てて、主張した。

「欲しいからです!!MZDさんの!髪の毛!!」

迷いの一切見られない言葉に、は口元を引きつらせた。
頭の中で、この人は大丈夫なのだろうか、
何故MZDなのか、いったい誰から命令されたのだろう、
罰ゲームだろうか、髪の毛を欲するなんておかしいのではないか
と、ぐるぐると思考が巡っている。

「なに、お前。変態上級者なの?」

周囲がドン引いている中、エロや変態というものにそこそこ精通しているニッキーが普通の調子で聞いた。
すると、女子生徒はみるみる顔を歪め、声のトーンを落とした。

「はぁ?アンタと一緒にすんな!変質者!死ね!」
「あぁ!?Bカップ如きが調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」

変態と変態が騒ぎ合っている。
周囲のクラスメイト達はそう判断し、また"いつもの昼休み"を始めた。
やサユリ、サイバーやリュータも同じく、さっきまでの話題を再開した。
それを見た女子生徒は、慌ててそれを阻止する。

さん!!私、とにかくMZDさんの髪の毛が欲しいの!
 なんとかしてくれるよね!だって、私こんなに困ってるんだもん!
 手伝ってくれるに決まってるよね!」
「……えぇー……」

は何もない箸の先を咥えた。
気乗りしない様子だ。

ここで、先ほどから女子生徒が言っているMZDという人物について。

────MZDとは。
この世界を統べる神で、お気楽でお調子者で自信家の神様のことである。
楽しい事が大好きで、最近はDJごっこにハマりポップンパーティーという大規模音楽祭を定期的に企画運営している。
肩書きは壮大過ぎるか、実際は気さくな少年なので、性別年齢を問わず好かれている。

そして、その神をほぼ一人占めにしている人間がこの世には存在している。
それがこのと言う少女。
見た目は小学生、年齢は十七歳と、見た目と実年齢がアンバランスな人間である。
この少女はMZDの弟と住んでおり、またその家がMZDの自宅と空間が繋がっているので、二人は殆ど家族のようなもの。
MZDはこの少女を、自分の娘か妹か、はたまた恋人かと思っており、少女の言葉はよく聞き入れる。
この学校の生徒たちはそのことを知っている為、神へ用がある場合はを利用しているのであった。


「髪って……その、一本?ですか?」
「そう一本!!たった一本で良いの!!!だから、」
「じゃあ、今日にでも拾っておきま、す、けど……」
「それじゃ駄目なの!!!抜かせて欲しいの!!本人から!!」

は目を血走らせて凝視する女子生徒から眼を逸らす。
まぁまぁ良い人の部類であるだが、女子生徒の要求があまりに変質者的である為相手にするのが嫌になっている。

加えて、はMZDとその弟の事を特別に想っているので、
危険なものをわざわざ近づけようとはしないし、
好意を持って近寄る者も積極的には会わせたがらない。

「お前ちょっと落ち着けって」

心の壁を超高速建造し始めたを察したサイバーが助け舟を出した。
しかし、女子生徒は噛みつく。

「なによ!あんた。私の邪魔する気?黙ってなさいよ」
「お前は人に物を頼む態度がなってねぇんだっての!
 まず、話が全く見えねぇ!
 に頼むならなんでMZDの髪の毛なんかが欲しいかちゃんと説明しろよ」
「なんかって何よ!」

ぶつくさ文句を言いながらも、女子生徒は説明し始めた。

「アバーニュって雑誌あるでしょ?」
「ファッション雑誌だよね」
「そうそう」

サユリの言葉に笑顔で頷いた。

「で、あれの今回の特集が占いだったの。
 しかもそれを執筆してるのが、なんと大魔女ロキ」

────大魔女ロキ。

別名、森の女王。
正当なる魔女の子孫であり、潜在する魔力は相当なもの。
よって魔女としての能力は高く、占いもするが、呪いや呪術も使える。
プライドがとても高い為、接する際は常に低姿勢を心がけること(談)

「好きな相手に振り向いてもらうっておまじないがあってさ、
 それには好きな相手の髪の毛が必要ってわけ」

それを聞いての顔が少し硬くなったのを見て、サユリは察した。
の心は完全に決まってしまったようだと。

「だからお願い!!!MZDとのラブラブライフの為!髪の毛頂戴!!」
「いやいや。判ったけどよ、なんで自分で抜こうとしてんだよ。
 聞いた感じ抜け毛でも良いんじゃねぇのって感じだけど?」
「抜け毛に一切の効果は無いって書いてあったの!自分で直接抜けって」
「……迷惑な話だな」

ぼそりと、リュータが呟いた。
それを聞き逃さなかった女子生徒が激しい勢いで詰め寄る。

「あんたみたいにモテない奴は抜かれる事ないから良かったですね!!」
「な……」

リュータ撃沈。

「で、さん。協力してくれるよね」

影の愛溢れる唐揚げを飲み込んだ後、は静かに言った。

「嫌です」
「はぁ!?どうして!こんなに困ってるのに!?」
「嫌です」
「ちょっと、あんたたちも説得してよ!」

はははは……と、周囲は乾いた笑いを漏らした。
の短い返答から、一切申し出を受けるつもりがない事が判る。
既には女子生徒の事を視界から外し、何事も無かったかのように弁当に集中している。
気が変わる可能性はゼロだ。

「そういえば、次の授業は大丈夫?」
「嘘!ヤバッ、次体育なんだよね」

女子生徒は教室を出た。しかし、ひょっこり顔を覗かせる。

「また来るから!」

そう言い残し、慌ただしく帰っていった。
はぁ……と、皆が一斉に溜息をついた。

「……私、今日は急いで帰る」
「それがいいかもね。あの子……ちょっとしつこそうだから……」
「でもさ、ロキがマジでそんな怪しげなもん雑誌に載せてるわけ?
 それってさ……結構ヤバイんじゃねぇの……?」

と言ったサイバーの予想は大当たり。

人気雑誌であったことと、有名魔女を取りあげたことで、
女性達の間でこの話は急速に広がり、雑誌はいつも以上の売り上げを記録した。
おまじないが周知となり、成功の声がいくつがあがったことで、その効果を信じた多くの女性達が暴走し、町中が混乱の渦に陥る。
大量の毛を毟られ寂しい頭になってしまったケースや、恐怖で不登校になってしまったケース、そして犯罪にまで発展したケースも発生。



恋する女性たちは、加減を知らない。











「ん。髪の毛の代替物はないのか、と?」

森の植物と戯れる大魔女に、雑誌「アバーニュ」の記者が尋ねた。

「ああ。あるぞ。……そもそも毛髪自体に意味は無いからな」

それはどういう意味かと、記者は聞き返した。

「抜け毛ではなく、自分で抜けと言っただろう。
 裏でこそこそ想っていた所で、恋愛なんて発展せん。
 自分で抜くと言う事は、想い人と対面せねばならぬ。
 顔を合わせ、自分の存在を相手に知らせる。
 そして普通の者ならば、想う者を目の前にして髪を抜かせろとは言えない。
 結局別の話題で会話を始めなければならないはずだ。
 それを機に相手がこちらを意識したり、接触が増えたり、
 運が良ければ恋愛が成就する……事もあるだろう。
 と、このように、ただのきっかけづくりだ。
 呪術とは一切関係がない。

 しかし中には自分の欲を優先し、髪を抜く者がいるだろう。
 其奴はその者に嫌われる事となり、不幸な男女の組み合わせが生まれることを未然に防ぐことが出来る」

くすくすと笑う魔女に、記者は唸った。
これを本当に記事にして良いのだろうかと。

「この私の手を煩わせたのだ。まさか、書かないとは言わないだろうな?」

大魔女の鋭い眼光に、記事を掲載する以外の選択肢を記者は失った。











「地獄絵図だ……」

がくがく震えているサイバー。

「あ、あに、兄貴が、スッゲーことになっちまって……今店臨時休業中なんだ」

サイバーの兄、マコトが女性に大人気なのは全員知っているので、詳しくは聞かなかった。
聞かなくとも、どのような惨劇が繰り広げられたか、ある程度想像がつく。

「へへ……俺は見事に、被害ゼロだよ」
「オレもだっつの。あ、ちゃんが言うならいつでもOKだぜ」

リュータは被害なし。女子に嫌われているニッキーも被害なし。

「……まぁ、オレは一回くれって言われたけど」

ぼそっと言うサイバーに、被害の無かった二人が同時に振り向く。

「はぁ!?どういうことだよ!!どこのクラス!年上か、年下か!巨乳なら殺す!」
「サイバー!お前は俺を裏切らないって思ってたのに!!」

詰め寄る二人に、乾いた笑いを漏らしたサイバーは言う。

「年上で巨乳の美人だったよ。
 …………兄貴を落とす為にオレを利用しようとしてたけど」

男三人、涙を流した。
裏切り者なんていなかったんだと。俺たちは永遠に友達だと。
彼らの友情度が40アップした。

「それにしても、ロキさんの影響力は凄いね……お父さんの会社でも色々あるみたい」

恋愛に興味がないわけではないサユリであるが、いかんせん、
周囲の男たちはオタクや変態等、あまりサユリの好みではない。
気になるのは、もっと別の人で────。

「学生ならまだしも、大人もかよ。女ってやべーな。やっぱちゃんが一番だな~」
「ううん。男性もみたいだよ。女性の髪、勝手に抜いちゃうんだって」

大魔女、という肩書の凄さを皆は改めて知った。
女性誌の記事であるというのに、男性にまで広まっているとは。

「つか……やばくねぇの?MZDは何か言ってた?」

サイバーの問いに、は首を横に振った。

「騒動自体は知ってる。でも、正直どうすることも出来ないみたい。
 ……例えばこの騒動自体を無かった事にするとかだと、事象の消滅に当たるからあまり良くないし。
 出来ないわけじゃないけど、それは黒ちゃんの方が得意みたい」

黒ちゃんというのは、正式名を黒神と言う。
先ほど説明した、MZDの双子の弟にあたる。
この世界はMZDと黒神という双神によって統治、支配されている。
そして、が同居しているのは黒神の方である。

「で、その専門業者はなんだって?」
「黒ちゃんは、放っておけって。
 『いちいちそういうものに構っていては一部の者にとって都合のいい世界が出来るだけだ。
 俺もMZDも基本的には中立。の頼みであっても気は進まない』
 ……だって」

神からのお言葉に一同納得。

「じゃあ、騒動が収まるのを待つしかないな。
 それに俺たちにはどうせ被害なんて、……ないし」

三人はまた涙を流した。
それを呆れて見ているサユリ。
その隣で、の視線はふわふわと宙を泳いでいた。











「痛いのは一瞬だけだから!」
「巫山戯たことをぬかすな!」

平和な魔界で轟音が鳴り響いた。
砂煙の中、とヴィルヘルムが対峙する。

「今度は誰に吹き込まれた」
「そういうわけじゃないもん!……しいて言うならロキさんだけど」
「っっっ魔女風情がッ」

雷の槍を放つヴィルヘルムであるが、の目の前にある見えない壁がそれら全てを粉砕する。

「あの女に惑わされおって。何が目的だ!」
「その赤毛を一本私に抜かせて下さい!」
「違う、髪を欲する目的だ!」
「……それはヴィルと……い、言えない!秘密!」

面倒な人間だとヴィルヘルムは毒づく。
しかし魔族としては強者であるヴィルヘルムであっても、
神の力を一部保有するを力ではねじ伏せられない。

「大人しく素直にお願い聞いて!」
「っ。厄介な」

力の差は歴然。
普段であれば、よりも戦闘経験の高いヴィルヘルムが勝利するが、
遠慮や容赦といったものを置き忘れたには勝てない。
そう、力では。

「娘。取引だ」
「嫌。どうせ、ヴィルに上手く言いくるめられて終わりだもん」

過去の経験から、は交渉を拒否。
しかし、ヴィルヘルムは笑う。

「普段ならばしてやらないことであっても、してやるかもしれんぞ?
 ……傀儡ではなく、私の意思で」
「そう言って、いつもやってくれないよね」

の足元から生えた金色に輝く八つの蛇がヴィルヘルムを襲う。
軽い身のこなしで避けるヴィルヘルムであるが、八つの首からは逃れられない。
足を絡み取られ、両手首も拘束される。
軽く魔力を送り込んでみるが、一切効かない。
寧ろ送った魔力を吸収し拘束力が強くなっている。

「これでもう動けないよ、ね……?」

普段やられてばかりいる為に、拘束してもには不安が残る。
何か見落としてはいないか、ヴィルヘルムが何かを企んではいないかと。

「……見ての通りだ。貴様の好きにしろ」

ヴィルヘルムは鼻を鳴らした。
抵抗する事無く、大人しく拘束されている。
は少し考える素振りを見せて、言った。

「……取引、こっちから持ちかけるのは駄目かな?」
「まずは言え。それからだ」
「こ、今度の土曜日なんだけど、午後時間ある……?」
「続けろ」
「最近作ってくれたお菓子が美味しくてね、すっごく紅茶に合うから……どうかなって……」
「……口に合わなければ私は拒否するからな」
「うん!絶対大丈夫だよ!」

笑顔と共に金色の蛇頭たちが光の粒となって消えた。

「じゃあ、次の土曜日ね!約束だよ!忘れちゃ駄目だからね!」

大きく手を振り、は元の世界へと戻った。

「……あれしきの事で私の毛髪を奪おうとしたとは。
 頭の弱い女とは知っていたが、ここまでか……」

ただただお頭の弱さに嘆き、憐れむヴィルヘルムであった。
一方、自室に戻ったの方はというと。

「(おまじないは出来なかったけど、これで少しは仲良くなれそう!)」

と、ご満悦であった。











「マスター。どうかなさいまシタ?」
「納得いかねぇ」

下界では一部の男性が恐怖にのたうち回っている時、異次元空間では黒神が憤慨していた。

「髪の毛抜くだけで好きな人と結ばれるんだぞ!なんでは俺のを抜きにこねぇんだよ!」

黒神という神は、同居している少女であるを家族という感情を大きく飛び越えて想っている。
しかし、はそのことを知らない。

「……サンの事ですカラ、マスターの頭皮のダメージも考えて何のアクションも起こしていないと考えられマス。
 本当は、したいと思っていマスよ。タブン……キット」

恋愛を判っていないは、恋愛成就のおまじないを黒神にする事は無いだろう。
そう判っていても、影は主の為に真実を告げない。

「そりゃ、とっくに俺は、の事を……その……好き、だ、が。
 し、しかし!記憶のない今、俺の気持ちをは知らない!
 だったら俺からの好意を少しは疑うとか、不安がるとか、
 念の為にというか、なにかこう女の子思想があってもいいだろ!」

仕えるべきマスターとは判っていても、影だって偶には主の事を面倒だなと思うのである。
そんなこと一切悟らせないが。

サンはマスターを心底信用なさっているのデスよ。
 だからマスターも彼女の事を信じてあげてくだサイ」
「そりゃまぁ……は、他の奴等と違って優しいから……」
「あの方はマスターの事を心から大切に思っておりマス。
 心配する事は、何一つありまセン」

きっぱりと言い切る影に、黒神は「そうか」と納得した様子を見せた。
やれやれ手のかかるマスターだと、影は穏やかに笑った。











「ようやく理解した。そう言う事だったのか」
「まさか、ジャックの耳に入るくらいだったとは思わなかったよ」

雑誌って凄いねと言うに、ジャックはそうだなと答えた。
実のところ、ジャックは一般市民の間の流行なんて一切知らない。
今回はただヴィルヘルムの命令で、が何故髪を抜こうとしていたのかを聞きに来ていたのだ。

「髪を抜くだけで、対象との仲が深まるとはな……」

それをヴィルヘルムに対して行った事がジャックは気に入らない。
だから珍しく、ジャックは非難した。

「俺はその心とやらは詳しくない。
 しかしその俺でもそんな意味の判らない物に頼った所で、
 望んだ者との仲を深める事は出来ないと判る。
 ……なのに何故、そんなものに振り回されるのか。俺には理解出来ない」
「はは、ソウダヨネー」
「まぁ、人間なんて所詮愚かなものダシナー」

判っていても振り回されたと黒神にとってはとても耳が痛い言葉である。
乾ききった笑いを放つことしか出来ず、ジャックは様子のおかしな二人に首を傾げた。





今回黒神やも巻き込んだ(?)、ロキによる恋愛成就のおまじないは、学校で禁止令が出され、更にはニュースでもおまじないの禁止を促す報道をされる事となった。
ロキが思った通りにくっついた男女もいたが、想い人の事を考えずに暴走した者の事件ばかりが注目され、暫くの間雑誌やテレビから占いの類は姿を消した。

しかしそれも一時の話。

暫くすれば、また以前と同じように占いやおまじないが女性たちを中心として楽しまれる事だろう。

恋は人を狂わせると言うが、相手を思いやれる程度の心の余裕がなければ、
恋の成就が難しいであろうことを、どうか、世界中の恋する者たちは知っていて欲しい。
恋は一人でするものではなく、二人でするものなのだ。





おまけ

「……よし。完璧だ」

MZDは目深に帽子を被って呟いた。

「影。もし風吹いたりしてヤベー時は、絶対帽子を抑えてくれよ」
「了解致しましタ」
「くっそー。神が禿げ隠しに帽子とか……泣けてくるぜ」
「以前皆さんに噂されておりました事が本当になってしまいましたね」
「ちげーし!今だけたまたまだし!オレ本当は禿げじゃねぇし!」
「まぁ、良かったではありませんカ。丁度よく世間で髪を毟り取られる事件があって」
「今ならこの、ガムテープのせいで出来た禿げも、女子にモテまくって禿げたって勘違いしてくれるしな。本当ラッキーだったぜ」

口笛を吹きながら玄関を飛び出したMZD。
神である彼もまだこの時点では知らない。
町に一歩足を踏み入れた瞬間が、沢山の女性達によって頭部の禿げがまたたくまに広がってしまう事を。





fin. (13/10/23)