とびらのむこう

ある時は魔界で恐れられる強者。
ある時は暗殺集団のトップ。
ある時は、ポップンパーティーフィーバーの四天王その一。

そのまたある時は──────。











「ヴィルー?どこー?」

私はざくざくと城の庭園を歩いていく。
暗い森の中に、ででーんと聳え立つヴィルヘルムの城だが、
私は普段玄関(と言うのだろうか)から入らないので外観はあまり馴染みが無い。
今も城の外にヴィルヘルムの反応があるからと、歩き回っているのだが、どこに何があるのかさっぱりである。

彼の城の庭園は誰が手入れをしているのか知らないが、とても綺麗に整っている。
植木も綺麗に剪定されており、中央から見れば寸分の狂いも無いシンメトリーだ。
御伽噺の中に出てきたっておかしくはないのに、実際は怖い魔族様の住処である。

「ねぇー!ヴィルってば!」

見渡すが何処にもいない。障害物は少ないため、影に隠れているということはなさそうだ。
となると……一つだけ心当たりがあった。
ただそこは、私は入ることが出来ない場所。

以前、ジャックに言われたのだ。





「駄目。も入らない方がいい」

ジャックはある建物に入ろうとした私の腕を握り、進行を拒む。
言葉こそ忠告であるがこれは禁止を意味している。

「どうして?」
「俺はあそこに足を踏み入れたことで殺されかけた」

少し、ジャックの顔が歪む。大げさな話ではなく事実なのだろう。

にもしものことがあるといけない。だから駄目」

私は頷き、進行方向を変えた。

「そうだね。入らないことにするよ」





以来、私は何があってもそこには近寄らなかった。
念のためヴィルヘルムの反応を調べてみると、どうやらそこにいるようだ。
怒られたくはない。嫌われたくもない。
迷った末、私はそこの入り口まで行くことにした。

透明な扉。
上にも左右にも透明な壁が続いている。
中には緑が生い茂っているので、ここが温室であることが一目で判る。
何故ここに入るだけで怒られるのかは知らない。
ヴィルヘルムのことだから色々と理由があるのだろう。彼は拘りに煩いのだ。

私は背後の空気を固め、それに腰を落ち着かせた。
座ってならば、かなりの時間待っていられる。それまでは空を見上げるなりしよう。

十五分ほど経った頃、温室の中で何かが動いた。
それは扉を開き、私を見た。
いつもと服装が違ったので、言葉を飲んでしまった。

「何をしている」
「……あ、その、待ってたの。あの、今日は忙、」
「邪魔だ。入れ」

驚いた。入ってはいけないと思っていたのに、あっさりと許可が下りた。
私は恐る恐る扉を開け、中に足を踏み入れた。
外よりも大分暑くてむしむしする。
ただ、中の植物達は見事だ。種類も多くて配置が計算されつくされている。
まるで絵画のようだ。綺麗過ぎて、前に進めない。

「あの……入って良かったの?以前ジャックにお仕置きしたって聞いたけど?」
「……彼奴は私が植えた種や球根を踏み散らかした」

納得した。ヴィルヘルムが怒った理由も、珍しく理解できる。
私は足元をよく見つめた。石畳がある。この上ならば怒られることはないだろう。

「余計なことはするな」
「はい」

当然だ。痛めつけられては堪らない。
私は歩く彼に大人しくついて行く。

入り口付近は完成されていたのだが、中に入っていくと空いているスペースがちらほらと見え始めた。
それに、先程はただただ綺麗だったのに、この空間にあるものはなんだか変なものばかり。

「これらはどこの植物さんたちなの?」
「ここは魔界の植物のゾーンだ」

土の上にスコップや園芸バサミが置かれている。
がらり、がらりと彼のイメージが崩れていく。
エプロンを着用していることにも驚いたが、こうやって園芸道具を見せ付けられると、
本当に彼自身が庭弄りをしているのだと思い知らされてしまう。
意外なだけで決して悪いとは思っていないのだ。無いのだが。
……今までの残酷性を思うと。

「先程新たに種を植えた。絶対に手を触れるな」
「はっ、了解です」

彼の指した場所をじっと見てみる。まだ何も無い。

「綺麗に芽が出るといいね」

何時の日か芽吹いて、この庭を彩るのだろう。
どんな姿を見せるのか、想像してみると楽しみだ。
早く成長しますように。元気に伸びていきますように。
植物の将来を想った。

「あ」

すると目の前で、芽がすくすくと、すくすくと急速に伸びていって。
それは自然現象では到底有り得ないこと。私の願いを意図せず指輪が掬い上げてしまったのだ。
停止を命じると、芽は成長を止めた。
私は恐る恐る、隣のヴィルヘルムを見上げた。
目を瞑って、震えている。額には青筋がたちそうで。

「き、さまは……」
「申し訳御座いません!!直ちに直します!!」

急いで時間を巻き戻すことで、この場はなんとかなった。
ほっと胸を撫で下ろしていると、首根っこを思い切り後ろに引かれる。

「貸せっ!」

いつもかけてあるネックレスの鎖が頭から抜き取られた。
先端で揺れる指輪がヴィルヘルムの手の中に。

「申し訳御座いませんでした!だからそれは返して!」
「ここを出るまでは貴様の手には渡さん」
「でも、それだと、」

突然、足元をすくわれた。足首に締め付け感。
やはりそうだ。
指輪を奪われたことで私はただの人間へと戻った。

そのせいで、魔界の植物たちは私を多分餌だと思ったのだろう。
大輪の花の中央から牙が現れ、そこに向かって私を放り投げようとしている。
成す術などない。指輪は無い。足首はツタによって拘束されている。
混乱している私は目を強く瞑った。

足首の拘束がなくなり、身体を横に固定された。
しっかりと捕捉されている。丸呑みされるのかと思ったのだが、どうやら作法があるらしい。
そんなものに付き合ってられないと、私は拘束から逃れようと身体を揺らした。

「っ、暴れるでない」

そう言われたって食べられようとしているというのに、大人しくなんて出来るはずが無い。

「目を開け!」
「はいっ!」

身体に染み付いた習慣。
ヴィルの命令は絶対。御主人様、だから。今は違うけれど。
余計なことを一切考えず、私は目を見開いた。

「……どうして?」
「私のガーデンを荒らされるより、よっぽどマシだ」

ヴィルヘルムの顔が近い。どうして、こんなに近いの。思わず熱を帯びてしまう。
目を瞑っていたせいで何も判っていなかった。
私は、ヴィルヘルムに助けてもらっていたのだ。
横たえさせられたのは、植物流の食し方などではなく、ヴィルヘルムに抱き上げられていたからであって。

「降ろして……指輪、ないと、体重も本物ので、重いし」
「耳元でごちゃごちゃと囀るな」
「……はい」

仕方が無く現状を受け入れることにした。
でもヴィルヘルムの負担になることが嫌で、なんとか少しでも軽くなればといごいごと位置を移動させる。

「……大人しくしていろ。貴様如きの重さで音を上げるような軟弱な身体ではない」

本当に良いのだろうか。このままで。
ヴィルヘルムは嫌じゃないのだろうか。
だったらと思い、私はヴィルヘルムの首に腕を回した。
先程よりも顔が近づいて、香水なのか不思議な匂いが鼻腔を刺激する。
がっしりとした大きな身体に強い力、おじさんと一緒で、とても大人っぽいなと、感じた。

「そこまで許した覚えはない」
「へ!?ごめんなさい」
「もういい。ジタバタするな」

動くのは止そう。このままだとこの危険な庭にポイ捨てされてしまう。
大人しくヴィルヘルムに抱かれたまま、"作品"を見て回る。
どれもこれも素敵で、あのヴィルヘルムが世話をしている様子が思い浮かばない。

「ねぇ、ヴィル」

次の温室に行く通路で、私は声をかけた。

「どうして、お花を育てているの?
 失礼を承知で言うけど、あまり貴方には合わない気がするの」
「ほう。貴様の中では私がただ攻撃魔術を放つしか能の無い者だと認識されているのだな」
「……まぁ、そこそこ……オモッテマス」

変な笑い声をあげては魔術を放ったり、それで黒ちゃんを苛めたり、やり返されたり、と、
今思い出しても変な場面しか出てこない。
貴族の嗜み云々と言うことはあるが、その優雅な仕草よりも魔力を練る動作を見る方が圧倒的に多い。

「……以前はしなかった。それは庭師の仕事であり、領主の私には関係のないこと」
「それが、どうして?」
「魔族になってからの話だ」

彼は私を抱いたまま、次の温室の中へ入っていく。
天井が高く横も広々としており、下には芝生が広がっている。
高い木々がいくつか生えており、その真ん中にはテーブルと椅子があった。
ただし、椅子は一つ。
またいつものように落とされるのだろうと思っていて構えていたのだが彼はしなかった。
自分だけ椅子に腰掛けると、私はそのまま彼の膝の上にそっと置かれる。
驚いて間もなく、彼は語りだした。
口を挟めない様子であったため、私はそのまま彼の膝にお世話になることにした。

「力を得た私は気に入らないものを全て殺すようになった。
 敵対する勢力だけでなく、城の使用人共もだ。

 庭園のセンスが悪い、手入れがなっていない、そんな理由で庭師を一人ずつ屠っていった。
 庭師は誰もいなくなった。その頃には人間は私の屋敷に一人もいなくなっていた。

 仕方が無いので、屈服させた魔族に行わせたが、どいつもこいつもセンスの欠片も無い。
 奴等には芸術という物が判らんのだろう。私が望む美を理解出来ない。
 人間とはまた違う感覚を持っているようだからな。

 荒れた庭を見るのは気分が悪かった。
 愚民に私の力を知らしめるためにも、外観というものは大切なものだからな。
 ただ、困ったことに金で釣ろうと庭師はやってこない。
 そもそも、その頃には私に城は悪魔の巣窟とされ人間に恐れられていた。
 私も人間と関わることは殆どなくなっていた。

 ならばこのままでいい。そうも思った。
 だが、やはり荒れた庭が気になってしょうがなかった。

 すると、いつのまにか私が庭弄りを始めていた。
 最初は鉢植えから。
 何度も枯らした。腹が立って燃やしたこともある。
 寿命というリミットを失った為に私には無限の時間があった。
 それを全て庭園に費やした。自分の納得出来る高みを目指した。

 すると、ふと気がついたのだ。
 植物の手入れをすることに心地よさを感じていることに。
 それから私はより一層庭園の手入れに力を入れるようになった。

 珍しい種を入手して増殖させていった。
 それに飽きたら品種改良を行い、自分の理想をつくりあげていった。

 ……その成果がこれだ。今は誰かに見せることが目的ではない。
 ただの自己満足。己の理想を追求するためのものだ」

話はこれで終わりのようだ。
ヴィルヘルムは自分が作り上げたという庭を見回している。
何か返答が必要だろう、それもこの長い語りに見合ったものを。
しかし良い言葉が思いつかない。
結局気の利かないコメントをした。

「……凄いね」

たった一言だ。少し情けない。

「当然だ。貴様が生きた年数以上に時間をかけてある」
「うーん。そういう意味じゃないの」

その凄い、が指しているのは、別の箇所。

「……葬ったことか」

頷いたり、目を合わせたりはしなかったが、
きっとヴィルヘルムなら私の感情から肯定を読み取ったことだろう。

「私は人間ではなく、魔族だ。今も暗殺業を担っているのだぞ」
「そう、だよね……」

すぐに忘れてしまう。彼が暗殺を生業としていることを。
私は知らないが、巷ではとても恐れられている集団だそうだ。ジャックを含めて。

「くだらんことを考えるな」

判っている。悩んだところで何も変わらない。
彼は私とは全く違う生き物なのだ。

「……でも、考えなくなったら、私……人間じゃなくなっちゃわないかな」

私はジャックもおじさんもヴィルヘルムもみんな好きだ。
でも命を刈り取ることをなんでもないことだと私は処理出来ない。
大好きなのに、その一点が引っかかってしまう。
怖がってはいけないと判っているのに、怖いのだ。

ただ、黒ちゃんだけは特別だ。彼はそうすることを世界に強いられているから。
選択権が存在しなかったという理由があるから、彼のことは受け入れられる。

「人間に固執する必要がどこにある。だから貴様は愚かなのだ」

ヴィルヘルムはいつもそう。
私を人間と扱いつつも、人間を止めることを勧める。
学友達は私を人間として扱い、今後何があろうとそう見続けるだろう。
どちらがいいのだろう。

私は、自分の立ち位置が定まらない。

「ヴィルの言うとおり、馬鹿なんだろうね……」
「……」

黙っていたヴィルヘルムであったが、唐突に私を抱き上げて立ち上がる。
早足で温室内を駆けていく。私は振り落とされることのないように、しっかりと彼にしがみ付いた。

「どこ行くの?」
「黙っていろ」

どこかへ連れて行かれる。
右へ左へ綺麗な花々が流れていく。
赤、白、黄色、青、紫。色鮮やかな花たちが目まぐるしく通り過ぎていく。

彼は温室から温室へ。奥へ奥へと進んでいく。
きらきらしていた温室ばかりだったのに、今着いた場所は違う。
真っ暗だ。それに温度も他のものより低めに設定されている。

こんなところにも植物を育てているのだろうか。

「降りろ」

彼は立ち止まってそう言った。私は彼の肩を借りながらゆっくりと地面に着地した。
歩きだした彼を慌てて追おうとするが、まだ目が慣れていない為に難しい。
足音や衣擦れで判断しながら慎重についていった。
だが、いつか踏んではいけない物を踏んだり壊したりしそうである。
怒られるのは嫌だなと思っていると、視界の中に明りが灯った。
ヴィルヘルムはその光に向かって進んでいるようだ。
明かりを頼りに彼を追いかけた。

光の元はどんどん近くなっていく。
やがて、それが何であるのか判るところまで近づいた。
それを目の前にして思わず、息を飲んだ。

「言葉も出ぬか」

彼は得意げに言った。

「こ、れ……。だ、だって……作り物、じゃ、ないんでしょう?」
「当然だ。触れてみれば判る」
「ふ、触れてっ!?いいの!?」
「……壊したら貴様の首も折るぞ」
「わ、判った……。気をつける」

私は目の前の"花"に手を伸ばした。
それは一輪の花。但し普通の花ではない。
柔らかな光を放つ、硝子の花。

私はそうっとそれに触れた。
冷たい。でも柔らかさがある。
葉の部分も他の花と同じように少し曲げることが出来た。

「硝子の花なんて……凄すぎるよ」

私は花に詳しくないが、こんな花は人間界には存在しないだろう。
それにこの花に会うまで、この温室では何の植物にも出くわさなかった。
つまり、ここには一輪しか花がないのだろう。
ここはこの花のためだけの設備。
だとすると、この花がそう容易には栽培できるものではないということが想像が出来る。
そんなに大切なものを見せてくれたのか。

「……貴様、何も起きないのか」
「え。元気だけど?」

質問の意図が判らなかった。今日の私はとても元気だ。
気分も悪くない。ヴィルヘルムに抱き上げてもらったお陰で疲れてもいない。

それはおかしいことなのだろうか。

「成程」
「一人で納得しないで。教えてよ」

すると、彼はいけしゃあしゃあと言ってのけた。

「これに触れれば、肉が裂け、血の雨を花の上に降らすことになる」
「そんな危険なものを私に触らせたの!?」

急いで花に触れた右手を見た。
どこも痛くない。出血も見当たらない。

「全員ではない。ある条件を満たしていれば触れても問題はない」
「……その、条件って?」

私はその条件に当てはまったから、無事でいられた。

「貴様が知る必要は無い」
「え!なにそれずるい!じゃあ、ヴィルが触ったらどうなるの?」
「見るがいい」

ヴィルヘルムは手袋をはめたまま、美しすぎる花にそっと手を伸ばす。
すると、硝子の花の中央から幾つもの棘が飛び出しそのままヴィルヘルムの掌を指した。
赤い血が流れ、透明な硝子の葉や茎に落ちていく。

「ひー!!やめて!触らないで!!」

何故か手を引かない彼の手を無理やり引いた。
白い手袋が血染めになってしまっている。

「早く手当てを」
「放っておけ」

鬱陶しいとばかりに私の手を払い退けた。

「駄目!ヴィルは回復の魔術出来ないんでしょ!」
「貴様こそ」
「私は出来るもん!怒られるだけで!」

掌を上にしてずいっと差し出すと、ヴィルは嫌そうに指輪を返却してくれた。
それを指にはめ、傷を負った手を軽く握って先程までの彼の手を思い出す。
すると、傷は癒え、手袋も綺麗な白へと戻っていった。

「……二人には内緒で」
「奴等と会う機会なんぞない」

そう吐き捨てると、私の指から指輪を奪っていった。
この目の前の花が私に壊されることを恐れているのだと思う。
動きが妙に速かった。

「帰るぞ。これ以上ここにいると何が起こるか判らん」

私たちは光る花を背に歩き出した。暗くなっていくせいで歩きづらい。
勝手に彼のマントの裾を握った。何故か振り払われなかった。
引っ張り過ぎないようにと気を使いながらも、私は握り続けた。

そういえば、と私は前方のヴィルヘルムに尋ねた。

「結局なんだったの。条件って」
「しつこい娘だ」

面倒くさそうに言いながらも、なんだかんだで教えてくれた。

「あれは美しく不節制で獰猛な愚かな生き物と同じなのだ」
「……ごめん、よくわかんない」

獰猛な生き物は世の中にごまんといる。
それにこの生き物と言う言葉は比喩かもしれなくて……。
彼の言いたいことが全然わからない。

「これで判らぬのなら、知る必要は無いということだ」
「……うん、判った」

私には判らない分野の話なのだろう。ならば聞いてもしょうがない。
いや待てよ。私はあることに気がついた。

「さっきの、私が怪我しないって判ってやらせたの?
 それとも……」

実験したの?

「どうなるかは運だった」
「ちょっと!それ、もしかしたら私怪我してたってこと!?」
「しなかったのだから、問題あるまい」
「大ありだよ!そういう確信無く私にさせるのやめてよね」

実際、偶に痛い目にあうのだ。彼の予想が外れて。

「貴様、私にそのような口を利いていいと思っているのか?」

ヴィルヘルムの手にはシルバーリングが握られている。

「あ!返して!もういいでしょ!」
「返すものか。これを利用すれば私も神に次ぐ力を手に入れられる」
「それが狙いだったの!?酷いよ!意地悪!馬鹿!」
「……それ以上愚弄するならば、貴様を私の作品の養分にするぞ」

先程植物に取り込まれかけたことを思い出すと、口を噤むしかない。

「それでいい」

得意気な言い方が気に障る。
力の差で圧力をかけられると、気持ちに行き場がなくなってしまう。
私はマントの裾から手を離した。
少しだけ前方のヴィルヘルムとは距離を置いて歩く。

暗闇の間を抜けた。また元の綺麗な温室の光景が広がる。
明るいここならば、もう彼にくっついて回る必要はない。
そう思って、彼とさらに距離を取ったのが間違いだった。

「……貴様は、植物に喰われることを望んでいるのか?」

またやられてしまった。彼と離れた瞬間襲われた。
そしてまたもや彼に助けてはもらえた。
しかし、先程植物に襲われた時のように片足首を掴まれて逆さにされている。
スカートの裾を必死に押さえているが、頭に血が上っているため、吐き気を催す。

「ごめんってば。だから、逆さはやめて。頭、変なる」
「もう二度と私の手を煩わすな。誓え」
「誓います!誓います!!誓わせて頂きます!!」

ぱっと足首を離された。またいつものように地面に落とされる。
来るであろう衝撃に備えていたのだが、何故か痛みは無く、何らかの力を受けて私は宙でゆっくりと直立方向に戻された。
地より二十センチのところで力は消え、私は難なく着地した。
ヴィルヘルムが何故このような配慮をしてくれたのだろう。
そう思って見上げると、目が合った。そして。

「……」
「暴れたら殺す」
「……はい」

私を運んでくれた。但し、先程のように横抱きではない。
小脇に抱えるスタイルである。これは腹部に自分の体重が食い込んで苦しい。
勿論私を抱える彼の方がもっと苦しいのかもしれないが、これならば一人で歩かせて貰った方がマシである。
だが、もう意見することも、逆らうことも許されない。
殺すというワードが出てきた時は、大人しくするのが吉なのだ。
特に今の無力な私では本当に殺されてしまう。

私は彼が温室を出るまで黙っていた。
温室の扉を閉め終えて、ようやく私は地面の上に下ろしてもらえた。腹部が痛む。

「そこまで待っていろ」

そう言いつけて、彼はまた温室へと戻った。
せめて指輪だけでも返してくれたらと思いながら、私はしゃがんで彼を待つ。
それ程経たぬうちに、彼は戻ってきた。

「本来、このように切る花ではないが」

丈の長いお花が五本ほど、それと私から取り上げた指輪を押し付けられた。
あまり見慣れない、名前の知らない花。
私は彼から全てを受け取った。

「……あ、りがとう。綺麗な青紫色だね」

お礼を言ったのにそっぽを向かれてしまった。
でも、私は嬉しい。彼が私に対して何かを与えてくれたという事実、それだけで。

「私は遊戯に勤しむ。貴様は帰れ」

言葉に有無を言わさぬ強さがあったので、なんとなく察した。
ヴィルヘルムは外出するのだ。きっと、誰かの魂を切り取りに。

「じゃあね。気をつけてね」
「甘く見るな」

私たちは各々任意の場所へ転移した。











「ただいま」
「おかえり」

と言って、黒ちゃんは嫌な顔をした。多分ヴィルヘルムの魔力のせい。
いつになっても、黒ちゃんは彼のことが嫌いなのだ。

「……その花は」
「貰ったの。影ちゃん、細長い花瓶ってあるかな?」
「エエ。少々お待ち下さいマセ」

影ちゃんから花瓶を受け取り、花を挿した。
とても綺麗だ。折角だからリビングに置きたいのだが、黒ちゃんが許さないだろう。
私は自室に置こうと扉を開けようとした。その時、黒ちゃんに阻まれた。

「……花に罪はない。こちらの部屋でいい」

黒ちゃんからお許しが出たところで、私は棚の上に置くことにした。
食卓やソファー前のローテーブルの上もいいなと思ったのだが、
許可が出たとは言え、黒ちゃんの視界の真ん中に置く事は憚れたのだ。

「……はこれを受け取った時、何か聞いたか?」
「ううん。何も。ただ渡されただけ」
「花言葉と言うものを知っているか」
「うん。色々意味があるんだよね。……黒ちゃんはこのお花の言葉を知っているの?」

ソファーに腰掛けると、黒ちゃんも隣に座った。

「花の名はオダマキ。花言葉は……」

どきどきした。彼が花言葉まで考えて渡してくれたとは思えない。
しかし、もし偶然良い意味だったら、と期待してしまって。

「……花言葉は、愚者だ」

ヴィルヘルムは花言葉を判って、私にくれたのだろう。
それだけは判った。そして、私をどのように見ているかも。

「……花は綺麗なのに」
「その花が道化師の配偶者の杯と似ているから、そのような言葉が与えられた」
「へー……。そうなんだー」

ヴィルヘルムといるとこんなことばかりだ。
喜んだ後は必ず悲しい気持ちや虚しい気持ちに落とされる。
意地が悪い人なのだ。魔族だけど。

「……(本当にその意味でに花を贈ったのだろうか)」

きっと彼は遊んでいるのだ。私の感情が見えるから。
上がったり下がったりする私を愉快だと笑っているのだ。
性格が歪みすぎている。そう言うところは大嫌い。

「(赤であったならば、素直ともとれた。しかしこれは紫だ)」

今日だって、植物から助けてくれたり、抱き上げてくれたりして嬉しかったのに。
それなのに硝子の花の時はしれっと私を実験に使ってた。
失敗したらあんなに傷だらけになるのに。判ってた癖に……。
でも、わざわざ私をあの貴重そうな、大切そうな、綺麗な花を見せてくれたのだ。
そこは不思議だ。どうしてだろう。
私があの時暗い気持ちになったから、連れて行ってくれたのか。
それとも、ただ単に試したかったからなのか。

「(花言葉は、勝利への決意)」

あの花は、いったいなんだろう。そして、条件とは。
彼は駄目で、私は良かったというが、それはなんだったのだろう。

「(そうでなくとも、ただのオダマキに愚者以外にも意味がある)」

男女の違い。それとも種族の違い。
他に何があるだろう。獰猛な生き物と何か関係があるんだよね。
黒ちゃんに聞いてみよう。

「(それは『必ず手に入れる』。やはり、奴の本命はこちらか?)」

どうやら考え事をしているみたいだ。

「(奴はこの花を通して何が言いたかった。それとも俺を混乱させて楽しんでいるだけか)」

邪魔していいのか判らないが聞いてみよう。

「ねぇ、黒ちゃん。獰猛な生き物って何?美しいんだけど不節制で愚かな生き物らしいの」
「獰猛だけでなく美しい?ネコ科の生き物とか、シャチとか?」

すんなりと返してくれる。ぼーっとしてただけみたいだ。

「でも、そういうのみんな愚かなの?」
「愚かとは言わないな。……そうだな、人間界以外の話でいいのなら」
「なになに?」
「ユニコーンなんてどうだ。見た目は美しい。ただ気性は荒いがな」

ユニコーンは角を持った白馬だ。ファンタジーの話にはよく出てくる。
私はまだ会ったことが無い。

「ユニコーンに会ってみたいな」
「会えるさ。なら攻撃されることもないだろうからな」
「どうして?」
「え…………。まぁ、その色々とあってだな」
「……どうして教えてくれないの?」

ヴィルヘルムに引き続き黒ちゃんもか。

「い、えない……。(男を知らないからなんて、口が裂けても言えるか)」
「ヒント!」

本当は答えをせがみたいところだが、教えてくれなさそうなので譲歩した。
黒ちゃんは困った顔をして悩んでいた。
しかし、判ったと言って、教えてくれる。

「俺がただの人間だったのなら駄目だ。MZDも同じく。
 あとそれはあまり人前で言うべきではない。とてもはしたないことだ」

神様であるから良いけれど、そうでなければ駄目。
それなら私が神様の力を行使出来ることを考えれば、あの花に攻撃されなかったことも理解できる。

だが、後半の意味が判らない。
人前で言わない方がいいこと、更にはしたないことであること。
追究したいが、はしたないことであるのならば聞きづらい。

「この話はお終いだ。絶対他の奴の前で言うなよ。恥ずかしいことなんだから」
「判った。もう言わない」
「そう。いい子だ」

中途半端に知ってしまったせいで、とても気になる。
だが二人が説明を拒否したということは、もう後は自分で調べるしかない。

私は棚の上に飾った花を見た。愚者だそうだ。そうだね。私は愚かだ。
彼はきっと人に頼らず自分で答えを探し当てろと言いたかったのだろう。
そうと判れば、近日中にあの硝子の花について調べよう。





「(が早く今の話題を忘れますように。
  絶対ユニコーンを調べたり、それに近い何かを探ったりしませんように!!)」





fin. (13/03/18)