ちゅういほうです

デスクに向かったマスターが人差し指をデスクに小刻みに叩きつける。
肘をつき、その上に顎を乗せてデスクの上を睨みつけている。
誰であろうと一目で判る。機嫌が悪いのだと。

無理も無い。
学校が終わった時間だと言うのにさんが家に帰ってこないのだから。
と言うことは、学校のお友達とお話しているか、他の方のところに遊びに行っているかだ。

「ただいま」

ようやくさんが帰ってきた。
玄関からではなくリビングに突如現れたということは、ご学友以外の誰かと共に過ごしていたのだろう。
ちゃんと帰宅の挨拶は行っているが、口調から察するにあまり機嫌が良くなさそうだ。

「おかえり。……何処へ行っていた」

学校後の貴重な時間を他人に奪われてしまったせいか、マスターはマスターであまり機嫌がよくない。
止せば良いのにさんと共にいた相手を探っている。

「どこでもいいんだもん」

あらあら。つっけんどんに言い返したさんはそのまま部屋へ行ってしまった。
得たい情報は語られず、マスターは舌を打った。
仕方が無い。ここは自分がマスターとさんの間を取り持とう。

私は扉を軽くノックをし、さんの許可を待つ。
開錠の音が聞こえたので、私は失礼しますと声をかけてから入室した。
見ると、さんはベッドの上で布団に包まっていた。

サン」

まずは近づかず、扉付近から声をかける。
サンはマスターの刺客ではないかと疑っているのか、目に力が篭っている。

「先程まで楽しく遊んでいらしたのでショウ?ナノにどうしたんデスか?」

サンは何も言わず、首を横に振った。

「ソウやって、ぷーとしていたのでは、心配してしまいマスよ?」
「ごめんなさい。でも、あの……」

言い淀んだということは、あともう少しだ。
本当に言いたくないことなら、頑固なさんは絶対に言わない。
躊躇っている理由は何だろう。一つ思い当たるものを尋ねてみる。

「マスターに聞かれると都合が悪いのデスか?」

サンは頷いた。
その様子に少し笑ってしまう。あまりに子供らしくて。

「大丈夫デスよ。マスターはお部屋にいらっしゃいマス」
「……黒ちゃんに言わない?」
「言いまセン。約束デス」

少し頬を緩ませたさんの隣へ"座る"。
私を見上げたさんは、堰を切ったように話し始めた。





「ヴィルってば酷いんだよ!!
 また私のことをばかばかばかばか!!
 何が、愚かしいよ、すぐに人のことを馬鹿にするなんてね、悪いと思うの!!」




「私がちょーっと隙つかれただけなのに、ぐちぐちぐちぐち言って!!
 いちいち細かいの!!そりゃさ、戦いだと一瞬の隙で死んじゃうってのは判ったけどさ!
 やれ人間め、やれ所詮は、やれ宝の持ち腐れ、って悪口しか言えないわけ?!!」




「相手の魔族だってね、私のことを人間って知ったら、すぐに鼻で笑うの。
 鼻でだよ?すっごく馬鹿にするんだよ!!
 ちょっとなら我慢できるよ?けど、毎回毎回何回も何回も、もう!なんなのよ!!」




「どうせ私は世間知らずの馬鹿だもん。言われたって全然わかんないもん!
 しょうがないじゃん!記憶もないし、お外に出たのなんて最近だもん!!!」




「ヴィルなんて嫌い!大嫌い!」




「意地悪しなければ、嫌いじゃないのに……」




「……はぁ……嫌いでは、ないんだけどな……。はぁ……」




ノンストップで語っていたさんであったが、こちらが黙って頷いていると、
段々と勢いは失速し、ベッドの上にごろりと横になった。
顔を覗き込むと、憑き物がおちたかのように、ぼんやりとした表情をしていた。

「すっきりしましたか?」
「した……」

ぬいぐるみを抱き締めたさんは、壁を向きながら私に言った。

「……あのね、悪いのは私だと思う」

先程叫んでいたこととは逆のことを言う。

「ヴィルは確かに意地悪だけど、言っていることは、間違ってないから」
「例えば?」
「隙があるのは私が悪い。そのせいで危ない目にあうの私だもんね」

果たしてそうだろうか。

今回の例に関してはそうだが、多分あのヴィルヘルムという魔族はさんの身を案じてはいないのだと思う。
さんが世に住むものを良いものだと思い込んでいる甘さ故の誤算だ。
彼はきっとさんのことなど、どうでもいいのだ。
物珍しさ故の執着であって、さんに対する愛情ではない。

こんなこと、さんには決して言えないが。

「次は頑張る。それでね、絶対にヴィルを見返してやるんだから!」
「ええ。サンなら、きっと出来ますヨ」

私は簡単に嘘をつく。さんの考えを肯定するために。
さんはそんな私の思惑に気付くことなどなく、話を傾聴したことに対する感謝を述べた。
「どういたしマシて」と答えながら、私は太陽にも似た笑顔をうっとりと見つめる。
周囲を晴れやかにする屈託のない笑みは、私にはないものだから。
飽きることなど無い。あの笑顔の虜だ。

「ねぇ、そういえばだけどね、黒ちゃんってまだヴィルのこと嫌いなの?」

まだどころか、好きになろうという思考など一切ない。
マスターはあの魔族のことがとても嫌い、大嫌いだ。
だが、それをはっきりと伝えるのは憚れる。さんはそんな答えを望んでいない。
曖昧に困った顔をすると、さんは「そっか」と小さく呟いた。

「そろそろ慣れればいいのに。ヴィルは意地悪だけど本当に危ない時は庇ってくれるよ」
「そうなんデスか?」

危険な目に会うのは、そもそもヴィルヘルムという輩のせいではないか。
それなのにさんに感謝される立場にいることに苛立ちを感じる。

「前ね、大怪我しそうな攻撃をされて、その時はヴィルが防御してくれたの。
 その代わり私の負けってことになったんだけどね」

呆気らかんと笑うさん。
何故笑えるのだろう。
一歩間違えればさんの存在が消えてしまうという危機だっただろう。
終わったことだから、こうも軽く考えられるのか。
いや、彼女のことだ。当時でさえもあまり重要視しなかっただろう。
この子は……何故こうも怖いもの知らずなのか。

「……サン」
「なに?」
「大怪我するような攻撃とは?」
「う゛」

ばつの悪そうな声をあげるということは、理解しているようだ。
己の行いが褒められたことではないことを。
私は大きな溜息をついた。止まれそうになかった。

「いいデスか。人間というものは脆い生物でありマシテてね、
 ましてやサンの身体は小学生のママ。
 勿論元の身体になればいいのではという考えもアリましょう。
 シカシ、それでも貴女は女性デス。人間の中でも更に弱い部類に入るのデスよ。
 そノコとを、貴女はわかってマスカ?」

「は、はい……」

気まずそうにしょんぼりとしている姿を見ると、可哀想になってくる。
それなのに、口は動きを止めてくれない。

「貴女が怪我をすればマスターが心配しマス。勿論私もそうデス。
 そのことを理解していただけマスか?」
「はい……ご、ごめんなさい」
「いえ、わかってまセン」

私は"本当の自分"に成り変わる。
本来の私はそう長くこの世界にはいられない。
無の世界の生物である私はこの世界とは相反する存在。
それも半分に分断されてしまっていて、更に存在が曖昧だ。

「今日はおしおきデス」
「え゛ー!?」

今の私ならば、さんを連れて別空間へ移動することは可能だ。
無の世界に似て非なる空間へ。彼女を連れて。

「な、なにここ!?」

一面白の世界。さんだから通常通りに立っているが、大抵の方は混乱する。
床という概念がなく、上も下も右も左も底抜けであるから。

「行きマスよ、サン」

三叉矛を取り出し、さんへ向けた。
目を見開く彼女だが、慣れた様子で身体の力を抜いた。
お互いの準備は出来ている。私は、彼女の懐に飛び込んだ。

矛先と彼女が作った壁が擦れ、火花が飛び散る。
いくら彼女が神の力を有していようと、私との力量差はそれほどない。
彼女の力が下位互換であること、私が無に属し、有の存在である彼女の天敵に位置するからである。

私は何度か矛を振る。それを彼女は苦しそうに受け止めていた。
無理も無い。私の矛はさんにとっては重いのだ。
どんな魔術も化学兵器もさんの防御壁の前ではいとも簡単に砕け散る。
しかし、私は違う。触れるものを全て無に帰す私の能力では、彼女の防御壁をごりごり削る。
だからさんはずっと新たな壁を創り続けなければならない。
一切気を抜けない状況はさんには辛いだろう。

サン、横デス」

私の言葉にさんは驚いた。
0.5秒の隙は時間という枠すら超越する私でなくとも、あまりにも大きすぎる。
私の矛が彼女の薄い防御壁を破壊し、薄紅色した頬に触れかけた。

矛は消え、私は形がはっきりとしない手で彼女の頬を撫でた。

「……めっ、デスよ」

さんは呆気にとられたのか口が半開きになっている。
その顎を掌で包み、上へ押し上げ閉めて差し上げた。

「私が貴女にお仕置きなんてコトが出来るとお思いデ?」

いつも見てた、見続けてた、少女らしい可愛い頬を両手で包む。
柔らかで、血潮を感じることが出来る、人間の頬。
"影"であれば、触れることが叶わない、愛しい御方の肌。

「マスターも、私も、貴女のことが大好きなんデスから。
 貴女は自分自身を大切にして下サイね。
 ……これも、もう何度言っているか判りまセンね」

言葉で何度言っても足りない。
あなたがすき。だいすき。

私には何もないのに。無の世界の私には有ることは許されない。それこそ有り得ない。
マスターとMZD様の力で私は二つに分断され、この世界に存在できるようにしてもらった。
そして、MZD様といる"私"と違って、私は無の世界にいた頃の私とあまり変わらなかった。
感情はなく、ただ機械のように、マスターの言葉に従い続ける毎日。

そんな私を変えてくれたのが、幼かったさん。
私を黒神の影としてではなく、個人として扱って下さった。
そして、私に温かな感情を教えてくれた。

「……これ、目凄いね」

そう言って、さんは私に触れた。

「影の時はありませんからね。お嫌デスか?」
「ううん。ただ、不思議だなって。だって、目に花咲いてるんだよ」
「そう言葉にされますと、人間視点では奇妙でしょうね」

そう言うと、さんが少しだけ口にきゅっと力を込めた。

「……人間って言わないで」
「人間が悪いわけではないでショウ?」
「……でも、そう言われると、私だけ除け者にされてるみたいで」
「気にしすぎですよ。私達は皆違うのデス。
 マスターは神で、私は無の世界の住民で、サンは人間で。
 だから、除け者もなにもないのですよ。三人とも違うのデスカラ」
「うん……。そう言われるとちょっと気が楽かな」

小さな微笑を見ると、胸を撫で下ろす。
彼女に不快な思いをさせたままでは辛いから。

「この影ちゃんは触れるからいいね」
サンは触れられないと物足りないデスか?」
「影ちゃんが悪いわけじゃないんだけどね。
 やっぱり癖で、抱きついたり手を繋いだりしちゃうから……」

これにはちくりときてしまう。
私という不確かな存在では、彼女の望みを叶えられない。
今の姿だから触れ合えてはいるが、この姿はそうそうなって良いものではない。
僅かな時間だけだ。

さんはそんな私の落ち込みは知ることなく、私の姿を不思議そうに見る。
何を考えているのだろう。すると、さんの顔が近づいてきて。
私の身体を、──口付け、舐め、口に含んだ。

サン!?!?」
「影ちゃんの黒いもやもやって食べられそうだなーって思ってたんだ!」
「わわわ、私を、く、口付、サン!!!」
「味はしないね。とろけたプリンみたいな食感。食べ続けると身体なくなっちゃう?」
「はしたないデス!!!!!」

私は慌てて彼女を押し返した。

「……いけません。私に、私になんて、こんなコト、いけまセン、イケマセン」

身体を元の影に戻すと、押し返していた手が、すっと彼女の身体をすり抜けた。

「お願いします。影である私に、してはイケナイのデス」
「ご、ごめん。そこまで怒るとは思わなくて……」
「…………」
「ごめんね!本当にごめんね!」
「このことはドウカ、マスターにはご内密に」
「う、ん。判ったよ。ごめんなさい」

知識では知っていた。
触れ合うことは、場所によって意味が違い、感じ方も違うのだと。

さんの手が私に触れるだけでも、心地よくて心が乱された。
それなのに、触れる部位が手から唇に変わっただけで、それ以上に混乱させられる。
肌であることは変わらないというのに、何故私は意識してしまうのだろうか。

駄目だ。早く忘れないと。
感情の昂ぶりや動揺はマスターへ伝わってしまう。
さんへの好意はもう既に知られているとは言え、これ以上増幅させることは許されない。
私自身もそれは望んでいない。今のままでいいのだ。



だからさん、お願いです。もう二度と私には触れないで。
でないと、叶わないと判りきった望みが強くなってしまうから。堪えきれなくなるから。
貴女と私では存在が違い過ぎることが、今より辛くなってしまう。

人間の望みを私は叶えられない。だから私は見ているだけでいいのです。
貴女が幸せなら、本当は誰と貴女が恋に落ちようと構わない。
勿論マスターであったならばとは思っています。



でも、もしも貴女が別の誰かを愛したのなら、私はそれを応援します。
私はマスターの味方ですが、貴女の味方でもありますから。


「影ちゃん……ごめんね」
「こちらこそ驚かせてしまい、申し訳御座いまセンデした」
「ううん。身体を食べられるなんて怖いよね。
 私が軽率だったよ、ごめんね、もう二度としないから」

少し寂しい。でもこれでいい。
私はさんを見守る存在。影なのだから。

同じ舞台には立ってはいけない。
私はただ彼女の営みを眺めるだけの観客。

「さ、サン、お家に帰りまショウ。マスターが心配してマスよ」





そう、私は、彼女とは絶対に、手を取り合えない。




fin. (12/12/07)