私は同じバインダーでしか物を見ることが出来ない。
毎日毎日、同じ高さ、同じ角度、同じ広さの枠を見続ける。
景色は変わる。四季に恵まれた地域のお陰で一年に四回背景が変化する。
私は、この枠の中のものしか見ることが出来ない。
一生この景色だけが網膜に映り続けることだろう。
いつかは外に出られると人は言うが、きっと無理だ。
父も母も医者もみな同じ顔をする。笑顔になりきれていない中途半端表情を。
その優しさが申し訳なくて、私は外に興味が無いふりをする。
本当はこの窓枠が取り払われたら、どんな景色が広がっているのだろうかと興味がある。
だけど、この生活を何年も続けるたび、その興味も薄れてきた。
私はずっとこのまま。何も望まない。
そんな、ある日のことだ。
母から一通の手紙を渡された。可愛らしい花柄の封筒である。
「これ、貴女宛てみたいよ。心当たりはある?」
母は訝しげている。当然だ。
病気である私は外出をしないため他者と交流することが無い。
一週間で会う人数は、父母に医者の三人である。
封筒の見た目から判断するに、ダイレクトメールでは無さそうだ。
私は母からレターカッターを受け取り、用心しながら中の物を取り出した。
中には、封筒に合わせたシンプルな花柄のデザインの便箋が一枚。
「良かったら。友達になってくれませんか」
と、一言書かれていた。便箋の裏にも、封筒にも名前は無い。
差出人の名前も住所も無いので母は怖がった。不審者かもしれないと。
だが、文字は小さな丸文字で男性よりも女性の印象を受けた。
それも男性が狙って書いているだけだと、母はこの手紙を捨てるように促した。
一応、念のため、誰かに渡すはずが間違えたのかもしれないからと私は取っておくことにした。
私は窓の外を覗き込む。二階に位置するこの窓からは人々の頭が右へ左へ行き交うのが見える。
あの中の内の一人が、手紙の差出人なのだろう。
その日私はいつも以上に窓の外を見続けた。見慣れた景色であるが、なんだか楽しく思えた。
数日置いて、手紙はもう一度きた。
母はやっぱり気持ち悪そうにしていたので、手紙をサイドテーブルに置いたら退室をお願いした。
一人きりになったところで、急いで手紙の中身を取り出した。
「以前はごめんなさい。名前も住所も書き忘れてしまって。
これでは承諾することも断ることも出来ませんよね。
私はメルです。
貴女のことずっと見てました。」
もう一枚の便箋にはちゃんと住所が書かれていた。
同じ地域に住んでいることが判る。
母が食事を持ってきてくれた際に、罫線の無いノートとペン、封筒をお願いした。
差出人名から女の子であることを武器に何度も交渉することで、最終的には折れてくれた。
ノートの切れ端ではつまらないだろうと、わざわざレターセットを買い与えてくれた。
母にはしっかりお礼を言い、私はメルさんにお手紙を書くためペンを取った。
いざ書こうとすると、なかなか思いつかない。
聞きたいことは沢山あるはずなのに、言葉が出てこない。
だから私は一言だけ添えた。
「私とお友達になって頂けますか」
手紙は二日ごとにポストに届けられた。
届けられたらすぐに返事を書いて母に郵便局へ届けてもらう。
最初は一言しか書けなかったが、何度も手紙を交換するうちに便箋一枚分がすぐに埋まってしまうようになった。
手紙のやり取りをするうちに、だんだんメルちゃんのことを知った。
メルちゃんは女の子で、何かお仕事をしている。
だから毎日私を見ることが出来ていたらしい。
いつも変わらず深窓に佇む私に興味を持ったのだと書かれていた。
メルちゃんには私のことをたくさん話した。
私が病気であり、外に出られないこと。年頃の友人がいないこと。
窓の景色に飽き飽きしていること。
すると、メルちゃんは外で拾った花や綺麗な小石、落ち葉、写真を封筒に入れてくれるようになった。
自分から得ることは出来ないので、外をダイレクトに感じるこれら贈り物はとても嬉しい。
私は、メルちゃんに会いたいと思った。会いたいと言った。
次の手紙にはこう書かれていた。
「私は、窓の中にいるよ。毎日いる。だから見つけて!」
それらしき人を毎日探した。だが、判らなかった。
毎日見る人は沢山いすぎた。一人を特定できず、私はヒントをねだった。
「どんな時でも、毎日いるよ」
難しいヒントしかもらえなかった。
母に尋ねると、
「きっと顔を合わせたくないんじゃないかしら。色々な人がいるもの」
という答えが返ってきた。それならば、会うことを強要しない方が良いだろう。
私は会いたいという言葉を使うことは止めた。
夏がきた。
メルちゃんとの手紙も、もう半年続いている。
読みやすく、返信の書きやすいよう、便箋一枚分だけ書いて封筒へ。
最近は台風が多い。
「メルちゃんのおうちは大丈夫ですか?強風で物が沢山飛んでくるから、お気をつけ下さい」
近所ではアンテナが折れたらしい。
他にも、植木鉢が落ちてきただとか、窓が割れてしまっただとか。
明日はメルちゃんからの手紙が来る日であるが、無理そうだ。
残念であるがしょうがない。郵便屋さんも大変なのだから。
それでも私は、小さな期待を胸に窓の外を見続けた。
人は通らない。大雨に強風、公共の交通機関も停止中らしい。
やっぱり、今日はこない──。
昼を過ぎた頃、私は諦め始めた。
夕方近くで、一人の女の子が窓を横切った。
初めての通行人だ。大きな荷物を抱えている。郵便屋さんのようだ。
と言うことは、今日もメルちゃんからの手紙が読める。
私は郵便屋さんに感謝した。
どんな時でも、ちゃんと私の元にメルちゃんの手紙を届けてくれる。
この手紙が生きがいである私には、有難い存在だ。
毎日毎日、どんな時でも届けてくれる。
その時、私は、以前の一文を思い出した。
反射的に窓の外へ身を乗り出し、大声で叫んだ。
「メルちゃん!!」
郵便屋さんは私の部屋の窓を見上げた。
「やっと、気付いてくれたね!!」
満面の笑みで、メルちゃんは笑った。
増えていく手紙。
レターケースはぱんぱん。
便箋やシール、ペンもたくさん増えていく。
朝の日課。
私は窓の外から声をかける。
「おはよう、メル。いつもありがとう」
笑顔と共にお手紙を。
fin.
(13/03/13)