「え、えーっと……。ジョルカエフ?」
私は。今。齧られている。淀川ジョルカエフによって。
頭部を斜めから。ジョルカエフの大きなお口がかぷりと。
幽体である彼の身体は透けており、重さはない。
だが、確かにそこに存在していて、私が手を伸ばせば彼の感触があるのだ。
ゼリーのようなぷるぷるとした感触がするのだが、ぐっと手を押しこむと彼の身体に容易く貫通する。
彼の中はとても冷やりとしてて、まるで洞窟の中にいるよう。
「嬢。なぁあかなかぁに、大胆なおかたですねぇええ」
「あ。ごめん、つい」
私は彼から手を引き抜いた。
何故このようなことになっているのかというと、彼は人間の魂を狩りに行き、失敗。
存在を保てなくなりそうな程空腹になった彼は私に頭を下げた。
ほんの少しで良いから、食べさせて欲しいと。
とは言え、私自身の魂の譲渡は出来ないし、神の力を分け与えることも出来ない。
交渉の結果、私から絶えず溢れている生気を彼にあげることにした。
これならば少しの間ふらっとするだけで、寝たり食事をとればすぐに回復する。
彼としても、私の生気は神の力の副作用か、他の人間よりもエネルギーが強いらしく魂の代替物としては丁度いいらしい。
しかし……。なんだか落ち着かない。
鏡を出現させて自分の姿を確かめたが、ジョルカエフ型の帽子を被っているようでとても奇妙だった。
「もっと別の食べ方はないの?」
「対象に近い方がより効率よく摂取できます故にぃぃい」
「噛まれて痛いわけじゃないけど……なんだかなぁ」
こんなところ黒ちゃんに見られたらと思うと気が気でない。
彼は私の思いもよらぬところで怒りだすから。
そんなこと思っていると、恐れていた人とは別の人が現れた。
「あ、ヴィル。珍し、」
私の頭上を蛇のような蒼炎が通り過ぎた。背筋が凍る。
一歩遅れて、私は頭上にいた淀川ジョルカエフに手を伸ばした。
空ばかりで何もない。
振り返ると、ぷすぷすと音をたてている淀川ジョルカエフが無残に転がっていた。
「大丈夫!?」
急いで駆け寄ろうとするが、頭頂部の髪を引っ張られたせいで前に進めなかった。
走ろうと勢いをつけていたので激しい痛みが頭皮を襲う。
私は頭を押さえ、髪を掴んだ男に抗議した。
「ヴィル!!!髪の毛なくなっちゃったらどうするの!!」
「醜くなるだけの話だ」
「そんな小さな事じゃないよ!?」
神の力を発動し彼の手を弾き、拘束から逃れた。
淀川ジョルカエフがいた場所を見ると、あのでっぷりとした姿は消えてなくなっていた。
「ヴィルがあんなことしたから逃げちゃったじゃん」
しばらくの間、淀川ジョルカエフには会えないだろう。
先ほどのは結構なダメージだったはずだ。回復には生気でなく本来の食物である人間の魂を吸収する必要があるだろう。
飢えた彼によって、またどこかで誰かの命が消える。
それを知っているのに、私はそのことに目を逸らし続けるのだ。この先ずっと。
「あれは私の所持品に手を出した。この罰は当然のこと」
と、落ち込んでいる私に対し、ヴィルヘルムは当たり前のように言った。
ヴィルヘルムの、この独占欲はなんだろう。
肉体がある私はまだ彼のコレクションではないというのに。
「あげてたのは生気だよ。すぐに回復する。減るものじゃないよ」
「気安く下級の、それも悪魔如きに触れさせるなと言っている」
私は彼の、なんでもかんでも自分の思い通りに操作しようとする所は嫌いだ。
だからついむっとして反発してしまう。
「じゃあ、ヴィルヘルムより強い……たとえば魔王様みたいな人にならあげてもいいんだよね!」
地位に関係なく、私は気に入った相手にしか生気も魔力もあげようとは思わない。
魔王とやらが現れ、私に命令したところで私は何も渡さない。
だからこんなの冗談だった。
なのに、彼は冷たく私を見やった。普段私を馬鹿にする時とは別種の視線。
蔑みというより、 憤懣のようだった。
「……貴様は、そうやって力のある者にすり寄るのだな」
何を言い出すのかと驚いている間に彼はどこかへ消えてしまった。
淀川ジョルカエフが消え、ヴィルヘルムが消え、私一人だけ残された。
何故彼が怒っていたのか原因を探るため、先ほどの彼の言葉を一度思い出してみた。
力のある者とは、黒ちゃんのことだろう。
だが私は気付いたら黒ちゃんといただけであって、力に惹かれて一緒にいるわけではない。
そもそも力がある者を好むのは、私よりもヴィルヘルムの方である。
私に言う言葉ではない。
そう思うと別段、彼の言葉を気にする必要はないと思えた。
私は用が無くなったこの場を発ち、黒ちゃんの家へと戻った。
リビングに転移すると、いつものように黒ちゃんはデスクに向かっていた。
「おかえり」
「ただいま」
挨拶をしてくれた彼に抱きつこうと思ったが、影ちゃんが手を交差し大きくバツをしているのが見えた。
手洗いうがいをしなさいというサインだ。
私は頷き、一度洗面所に寄ることにした。全てを済ませてリビングに戻ると、黒ちゃんはソファーに座っており、私は彼の隣に座った。
「今日は何してたんだ?」
彼は私の髪を丁寧に梳きながらそう尋ねた。
「ジョルカエフに会ったよ」
「ふうん。あの悪魔に……?」
「うん」
ヴィルヘルムのことは言わなかった。下手に話して機嫌を損ねることは避けたい。
私は何気なく、彼に聞いた。
「ねぇ、黒ちゃん。もし、黒ちゃんが神様じゃなく人間だったらどうなってたと思う?」
彼は眉を顰めた。私は慌てて補足をする。
「あ、違うの。神様が嫌って言うのじゃないよ!そうじゃなくて……」
「と言うと?どのような意味だ」
頭を撫でていた手がゆっくりと下りて行き、私の頬を撫でた。
優しい手つきをしながらも、黒ちゃんの方を見るように固定されている。
表情はにこやか。しかし、きっと心の中では笑っていない。
私は急いで伝えた。
「あの!私は、黒ちゃんの強い力が好きなんじゃないよ!!
力が好きで、黒ちゃんのこと好きなんじゃないから!
そんなのなくたって、私は……」
ぽふんとまた頭を撫でられた。
「大丈夫だ。俺はがそういう子でないことは知っている」
と、柔らかな笑みを浮かべた黒ちゃんは私を抱き上げ、膝の上に乗せた。
「だが力に惹かれてくれる方が良かったかもしれない」
「どうして?」
「俺が唯一誰にも劣らないのは力だけだからな」
力も本人の魅力の一つではあるだろうが、それはとても寂しいことだと思う。
それなのに、黒ちゃんは私が力に執着しないことに心底残念そうであった。
「……そういえば、髪は痛くなかったのか」
「うん。今はもう大丈夫」
「そうか。それは良かったな」
黒ちゃんにがにこやかに笑んだのを見て私は違和感を覚えた。
そして気付いた。私がヴィルヘルムに関することを話していないことを。
「……あ、あの……」
「ん?」
彼はとても優しく、手のひらをいっぱいに使って私の頭を撫でた。
そうだ。今気付いた。彼はさっきから頭上ばかりを撫でている。
側頭部や、後頭部には触れていない。
彼は、ジョルカエフが私の頭頂部から生気を奪い、そしてヴィルヘルムが私の頭頂部付近の髪を引っ張ったことを、知っている。
悪魔や魔族の残り香のようなものが、黒ちゃんには見えているのだろう。
ならば私が意図的にヴィルヘルムを隠したことも筒抜けだ。
ここは素直に謝っておこう。怒らせる前に。
「……く、黒ちゃん……その、ごめん、なさい」
「何がだ?別に俺はあの魔族と関わろうと気にはしない」
嘘だ。
気にしていないのなら、ヴィルヘルムのことをわざわざ言ったりしない。
それにヴィルヘルムが触った個所だけを執拗に触れるなんて有り得ない。
これは明らかに、ヴィルヘルムと私の接触を嫌がっている。
彼の綺麗な指が私の頭を撫でてくれるのは気持ちいいはずだが、
今はただ責められているような気にしかならない。
居た堪れなくなった私は、言い訳するようにヴィルヘルムとのやり取りを彼に話した。
「ヴィ、ヴィルがいきなり来て、ジョルカエフに攻撃して……それで、
色々話してたらヴィルが、そうやって力のある者にすり寄るんだな、なんて言うから……」
「ほう」
彼は撫でることを止め、私の身体に腕を回すとそのまま強く抱きしめた。
「く、くるし……」
「ああ。すまない」
謝罪をしてくれたが、彼はあまり力を緩めてはくれなかった。
怒らせてしまったのかと思って、彼をの様子を窺うととても嬉しそうだった。
何がそんなに嬉しかったのかは判らない。
「……ざまーみろ」
楽しそうに、黒ちゃんはそう言った。何かを勝ち誇っていた。
私はその意味が判らないまま、彼が望むまま抱かれていた。
fin.
(13/07/14)