「ようやく目が覚めたか」
聞きなれない男性の声が聞こえる。誰だろう。
目を開けるが、こんな簡単な行為だと言うのに何故か違和感を覚えた。
睫毛が何かを引っ掻いているように思う。両目共だ。
寝ている間に何かが顔の上に落ちたのかもしれない。
まずは手を使って退かそうとすると、手首が途中くっと動きを止めた。
何度動かそうとしても一定以上動かない。それにシャラシャラと鳴る金属音。
積み重なる違和感に私の心臓がどくんと跳ねた。
「あの、私」
近くにいるであろう先ほどの男性に向かって声をかけると、
彼はクツクツと湧きあがる笑いを堪えていた。
──何かがおかしい。
ともかく起き上がろうと膝を立てるが、それも金属音に阻まれる。
「これはなんなの。私はどうなってるの。あなたは何か判るの?」
この異常事態に不安と焦りが一挙に生じる。
何か少しでも現状を理解する為の手掛かりが欲しいと、
私以外の唯一と思われる人間に話しかけると、男は笑うのを止めよく通るテノールを響かせた。
「貴様は私の物になった」
理解を、脳が拒んだ。
「喜びに声も出ぬ、と言ったところか」
自信に溢れた言葉がやけに遠く聞こえる。
言葉を一部聞き漏らしたのかもしれない。確かめなければ。
そう思うが、たった一つの質問はなかなか口から出てこない。
まるで言葉を覚えたての赤子のように、たどたどしく尋ねた。
「あなた、の、物、とは……?」
「なんだ。覚えていないのか」
私の懸念を吹き飛ばすようなハッキリとした声が耳に刺さった。
「貴様は売られたのだ」
「そんなこと信じられない!!」
反射的に言い返した。身売りなんてあり得ない。
貴族のように裕福ではないが村の特産の品のお陰で一家で過ごすには問題ない程度の金銭はある。
私を売る必要は決してない。
「信じるも何も、貴様がここにいるのが何よりの証拠」
目は見えないままだが、今自分がいる場所が自宅では無い事は確定だ。
自宅では無い場所へいるからと言って、私が売られたなんて信じられない。
この男にさらわれた、という方がしっくりくる。
……実際の所、そうじゃないんだろうか。
この心身醜い男が、無理やり私を連れ出した。
そうだ。きっと、そうに決まってる。
「幸運に咽び泣くと良い。私の様な良識ある貴族の物になった事を」
男は歌うように言った。自画自賛も甚だしい。
果たしてこれは本当に現実なのか。夢の間違いでは。
だってこんな、一夜にしてこんな惨めな目に遭うだろうか。
「……悪夢なんて早く覚めれば良いのに」
呟いた。しかし、目が覚める様子は無い。
「……その言葉、気に入らんな」
男の声ががくんと下がった。やけに耳に絡む。
衣擦れや足音から判断するに、こちらに近づいてきている。
危機感を覚え距離を取ろうとするが両腕についた拘束具がそれを拒む。
男の足音が、すぐ真横にまで来た。
「このヴィルヘルムの物になると言う事がどれ程名誉な事か知れ」
目の見えない私はぐっと身構えるが、それを嘲笑うように私の唇に何かが触れた。
この柔らかい感触は、いったい。
未だ経験のない私はそれが何なのか判らない。
いや、本当は判っていた。ただ信じたくなかっただけだ。
相手の吐息が唇を撫でた時点で、流石に何が触れたのかは用意に判った。
目頭が熱を帯びる。
こんな所、こんな人に、私の初めては、奪われてしまった。
本当ならば両親も認める男性と、未来の旦那様に捧げる筈だったものを。
「好かっただろう。震えるほどに」
大きな喪失感に人前である事も憚らず嗚咽を漏らした。
悔しさに肩が震え、シャリシャリと手足の鎖が泣いた。
「ならば誓え。私と生涯を共にすることを」
「…………す」
「なんだ。私に聞こえねば誓いにはならんぞ」
「お断りします……!」
鼻を啜りながら、私ははっきりと彼の要求を跳ね返した。
殺されても良い。それだけの覚悟をもって言った。
ファーストキスを奪われただけで即座に死を選ぶのは早計である、と気付いた時には遅い。
「……そうか。ならば貴様の考えが変わるのを待つのみ」
拘束状態において死は解放であり救いであり、そう簡単には与えてもらえるはずがないのだ。
身体の動きを制限され、視覚も奪われた私に更なる絶望が襲う。
「っいやぁ!」
糸の集合体が男の手によって絶叫した。
すっと素肌を撫でていく空気に震える。
「な、何をするつも……り……?」
「貴様の考えが変わるのならば、なんでも」
背筋がぞくっと疼いた。
言葉通り、なんでもする、と痛烈に思い知らされたからだ。
「っ」
男は露わになった私の胸を容赦なく鷲掴んだ。
「張りのある良い膨らみだ」
男の冷たい指先がバラバラに動き出した。
粘土でも捏ねるように揉みしだく。
「んっ……」
嫌悪から身体全体に痺れが生じた。
「嬌声を耐える必要はない」
男は勘違いしているが、私は悦んでなどいない。
私をさらった正体の判らない者に身体を弄ばれ歓喜する筈がない。
「っ……」
「……その痩せ我慢がいつまで続くか見物だな」
冷えた言葉を吐きながら、両手で使って膨らみを穢していった。
おぞましい。
肌に食い込むのは、父のように無骨ではなく、女性のような細い指だ。
これはきっと光を疎んだ痩せた男のものだ。
貴族だと言っていたがそんなのどうせ嘘に決まっている。
世間から後ろ指を指されるような卑しい者に違いない。
吐き気がする。気持ちが悪い。
そんな男が私を蹂躙しているなんて。
絶対に屈するものか。
これ以上ない力で歯を食いしばり、男の魔の手に耐えた。
男の穢らわしい手は私が動けない事を良い事に無遠慮に弄り倒していた。
胸の形が変わるくらいに手のひらを押しつけてみたと思えば、絞る様に引いてみたり、指先だけで小さな刺激を与えたりと触れ方は様々だった。
そうした中、指先で胸の頂を避けて円を描くように触れられると背を弓なりにするほどの抗い難い刺激が貫いた。
こんなに好き放題触り尽くしているくせ、今まで一度も触れない胸の頂点をやけに意識してしまう。
あの男に触れられずに済んだのから幸運に思うべきだ。
それなのに何故か、私の中には不可解な感情が渦巻いている。
これもきっとこの男が私が寝ている間に何かしたのだ。
そうでなければ、こんな感情、抱く筈がない。
「んあ……っふ……」
「漏らす声もまた良いものだ」
満足気に言うと、片手は胸から離れ腹部や腰回りへと這いずり回った。
胸に比べれば特別な意味は無い部位である筈なのに、何故か総毛だった。
経験した事のない感覚の連続で、まるで誰かに取って代わられたようだ。
「威勢の割には身体が火照っているようだな。今の貴様の姿を見せられんことが酷く残念だ」
冗談じゃない。こんな男にいいようにされる自分なんて見たくもない。
「汗ばんだ肌が私の手に吸い付き、名残惜しそうに離れる。貴様も良い声を出すようになったな」
楽しそうに笑うと、触れ方が一転。
触れるか触れないかの距離を保ち、産毛をふわりと撫でる。
身を捩るのはくすぐったいからだ。それ以外の理由はない。
「素直に請えば良いものを」
男の手は下へと伸びていく。腹部を撫で、臍をなぞり、下へ下へと降りていく。
指先は下着に触れ、あろうことか両脚の付け根までも触れた。
「っひゃ!」
指はその地帯に留まった。
生い茂った叢を薄布越しに掻き分ける。
ぐるりと巡回すると何故か男が望むような声をあげてしまう。
甲高くてまるで動物のよう。
言語を放棄しているというのに男は私の声を理解しているような指遣いをした。
小動物を撫でるようにそっと小さな丘に触れる繊細さが気持ち悪かった。
身体が震えて息が乱れるほどに。
「ここがどうなっているか判るか?」
丘を駆け回っていた男がつるりと割れ目を撫でた。
「やぁ!!」
頭の先から爪先まで駆ける疼きに、今までで一番大きく叫んだ。
はしたなさに頬が熱くなる。
感嘆の声を漏らす男のせいで、猶猶上昇する熱が止まらない。
「溢れんばかりの蜜を見てどう思う?」
今だけは目隠しに感謝した。
監禁するような狂った男に全身を触られておかしくなった私なんて目にしたくない。
男の指先が止まる度、……口惜しいと思ってしまう自分を、認めたくない。絶対。
「私としたことが見えぬのを忘れていた」
くちゅりという粘液の音が私の下腹部から鳴ると、ぬるりと口の中に細い二本の棒が入ってすぐに抜かれた。
「う……え」
例えようのない味に思わず顔を顰める。
これはいったい何なのだろう。
「お気に召さないようだな。まぁいい」
すると男の手により下着を下げられ、両脚は上に持ち上げられた。
今まで両脚に挟まれてその身を隠していた箇所に空気が触れた。
男の眼下には無防備に晒されていることだろう。
必死に両脚をばたつかせてみたが「大人しくしていなければ、容赦はしない」と冷酷な言葉を受けては従うしかなかった。
「……」
男は何も言わない。何をしているのか。
未だ脚は抑えられたままであるから、すぐ近くにいる事は判っている。
もしかして、見ているのだろうか。
汚いのに。誰かに見せるような場所では無いのに。
あれだけ卑猥な囁きをされた後に黙りこくられてしまうと、
自分の間の抜けた格好に対する羞恥心が増加する。
見ないで、と手を伸ばそうにも、手首の装着された金属に阻まれる。
親に晒すのも躊躇う場所をじっくりと見られてると思うと、恥ずかしくて、怖くて、心臓が今にも壊れてしまいそうだ。
「あ、あの……」
この空気に居た堪れなくなり、何がしたいのか判らない男に声をかけた。
すると男は鼻で笑うと、目の見えない私に何をしているのか教えてくれた。
「っやめ!そこ、っふぁ」
男の息がかかる程近い距離で私の……、あそこへ触れた。
今まで体験した事もない──今日だけで何回この言葉を使っているか判らないが──そんな刺激が身体を巡った。
衝撃だった。視界が一瞬真っ白になってしまったと錯覚した。
「や、……へん……なに、これぇ…」
下から上へと何度も撫で上げ、私はその度に身体を震え上がった。
下腹部が熱い。熱くて熱くて、耐える事が困難で。灼熱の炎に炙られているようだ。
「しつこくない甘みが口に広がる。これでも貴様は止めろと言うか」
てっきりあの指先で触れていると思っていたのに、男の発言でそれが間違いだと知る。
これは、舌。舌先で私の汚い所を犯していく。
どうしてそんな所を舐められるのか。自分のだって嫌だと言うのに。
この男は狂っている。でなければ、説明が出来ない。
「ふわ……っ、ま、って……」
獣のように絶えず舐める男を制止するが聞き入れては貰えない。
継続する刺激に頭がぼうっとし始めた。
男に対する怒りや、監禁に対する絶望が、小さなものに思える。
「その胸の頂きと同じく、見事に熟れてきたぞ。見せられないのが残念だがな」
言葉と違い素直に心を見せる身体に恥ずかしく思うと、胸がつんと張るような気がした。
「さて」
男は私の両足を静かに下ろした。
「私も決して悪魔ではない。止めろという貴様の意向に沿ってやろう」
ピタリと止む刺激。余韻に浸りながら私は求めていた。
憎らしいはずの男からの与えられる悦楽を。
「随分と濡れてしまったな。入浴の準備をしてやる」
そう言うと手足に触れた。
先の行為を思い起こしぴくりと身体が反応するが、男の手つきは事務的であった。
数度の金属音の末両手足が軽くなる。
自由に動くという喜びの後はっとして身体を隠した。
両腕だけの頼りない遮蔽ではあるが無いよりは良い。
すると男はおかしそうに笑った。
「身持ちが固い事は褒めてやる。
しかしそれならば、私の愛撫に反応すべきではなかったな。
これが他の男ならどうなっていたか」
そもそも他の男性なら顔も合わせたことのない人間を監禁したりしないだろう。
とは思ったが、疲労感もあって返答はしなかった。
男は気にする様子はなく、私の身体をひょいと抱き上げた。
急な浮遊感に息を飲んだせいで抵抗を忘れ、結果大人しく男の腕の中に収まることとなった。
決して軽くはないというのに男の腕の中は始終安定しており、ひ弱そうな手と思っていたが力はあるのかとぼんやり思った。
連れていかれた部屋でむわっと蒸気が襲った。
男は本当に私を風呂場に連れてきたようだ。
「少し待っていろ」と言うので降ろされた所でジッと待っていると、また同様に抱き上げられた。
蒸気が濃い所へと連れていかれ、香り立つ湯の中へとゆっくり降ろす。
目の見えぬ状態では底が判らず、実はここで溺れさせる気ではと心配であったが、
男は私の両足が底に着いても私を支えてくれていた。
咄嗟にしがみついていた私の手が男の洋服から離れたところでそっと解放される。
「湯加減はどうだ」
「え。……いえ、特に何も」
「そうか」
と言って、男の足音は離れていった。
湯の温かさに調子が狂う。男の目的はいったい何なのだ。
生涯を共にと言っていたが、文字通りの意味とは考えにくい。
男の手によって明日にでも終わる生涯かもしれないのだから。
監禁を実行するような者に常識を当てはめてはいけない。
私は鼻の下まで湯に浸かり、先程の疲れをじっくり癒した。
まだ少し身体がおかしく感じるが、このまま浸かっていれば直に忘れる。
最もここから出られないのだから一時的に忘れたところであまり意味はないのだが。
「堪能しているようだな」
ぴちゃり、と頭上に大粒の水滴が落ちた。
「出るぞ」
男の手がぬるりと滑る。
また先ほどと同様に蹂躙するのかと身構えていたが、男の手とは別の物が身体を軽く擦った。
鼻腔には花の香りが広がる。ソープだろうか。
事務的に洗われる。
「痛くは無いのか」
「え……。あ、あぁ……特には」
「そうか」
指先を一本一本、太ももから足先までと、自分が入浴する際よりも丁寧なのではないかと思うくらい念入りに洗われた。
マッサージを受けているようで気を抜きそうになったが、
これは油断させる為かも知れないと自分を奮い立たせて待っていた。
しかし、結局最後まで何も無かった。拍子抜けである。
「拭くくらいは視界が無くとも出来るだろう」
そう言ってタオルを渡すので、しっかりと水分を拭き取った。
拭き終わったタオルの扱いに困っていると、それを察したのか男に奪われた。
「後は任せたぞ」
その一言が放たれた瞬間、足音が増え、二本よりも多い手が私の身体に触れた。
振り払おうとするが、その前に身体を羽交い締めにされ、抵抗を防がれた。
「放して!」
「お静かになさって下さい。これでは着替えに支障が出ます」
女の人の声だった。
ここへ連れてこられて初めての同性の声は思った以上に安心感を覚え素直に抵抗するのを止めた。
複数の手が先ほどの男の様に事務的で不快感が無かった事もあげられる。
暫くしていると服を纏わされ、顔には何かを塗られ、髪も梳かれ、と親以上に丁寧に世話をされた。
そして、今の今までずっと私に巻きついていた目隠しが外れた。
ずっと光を奪われたせいでピントが合わないが、とても綺麗な部屋であることは判る。
私の周囲にいるのは三人で全員女性だ。
「失礼します」
ピントが合う前にまた光が奪われた。耳の近くでカチリと音が鳴っている。
「終わりました」
「下がれ」
複数の足音が遠ざかると、今度は一人分の足音が私に近づく。
「その姿もなかなか良いぞ。やはり私の見立てに間違いは無い」
嬉しそうに言う男はまた私を抱き上げた。
次はどこへ連れていかれるのか。
不安な空中遊覧であったが、二度目とあって抵抗する気は起きなかった。
身体が清めれ、温まったせいか軽い脱力感に見舞われていた事が大きな要因だ。
こんな状況下であるというのに、少し、眠いと感じる。
男の腕の中は程良く揺られて更に私を夢の世界へと引っ張っていく。
「漸く大人しく従う気になったようだな」
「……」
「それとも吠える元気を失っただけか」
「……」
「おい、聞こえているのか」
「……」
「……寝ているのか」
「……」
何回目かの扉の音の後、私は柔らかなシーツの上に落とされた。
最初と同じ部屋かどうかは判らないが、軽く手を伸ばしても端が無いので大きなベッドであると推測する。
「今夜はもう寝ろ」
身体の上に夜具をかけられた。
これは、先ほどの女性ではなくこの男がしているのだろうか。
近くで声が聞こえるとはいえ、なんだか違和感を覚える。
あの女性らはハウスメイドであろう。
貴族であるという主張は、信じがたいが事実なのだと認めざるを得ない。
屋敷の主人がこんなことを他人にするだろうか。
自分にだってしないだろうに。
それともあの女性達には、貴族に見せる為に演技させているとか。
手掛かりを与えられたと思ったが、益々男について判らなくなった。
「逃亡は考えぬ事だ」
という男の言葉がぼんやりと聞こえた。
扉が閉まると同時に、眠気が吹き飛んだ。
──逃亡
頭のおかしい男の元から。
希望は風船のように膨らんだ後、大きく弾けた。
溜息をつく。逃亡なんて不可能だ。
手足の拘束は無くなったが、私には目隠しが装着されている。
なんども取り外そうとしたがびくともしない。
目の部分は布の様だが、残りはゴムと金属で出来ている。
素手の状態では壊せそうにない。八方塞がりだ。
再度大きく溜息をついて、寝具を喉元まで引き上げた。
打つ手のない今、ここで夜を明かそう。
妙にふかふかしたベッドに慣れぬまま、私は目を閉じた。
私は、夢を見た。
知らない男に身体を弄られる自分。
男はやせ細ったおり、顔だけは靄がかかって判らない。
気味の悪さに反して、手つきは優しかった。
触れないでと思うと同時に、もっと触って欲しいと思った。
なのに男は私が求めれるとすぐに手を止めた。
湧きあがる衝動は不完全燃焼のまま。
忌わしい相手である筈なのに、何故か焦がれた。
そのまま私を、知らない境地に連れて行って欲しかった。
中途半端に、優しくなんてしないで欲しかった。
そうすれば、ただ憎むだけで済んだのに。
◇
ノックの音が響いた瞬間、私は身構えた。足音は一人分。
「今日の日差しも私たちを明るく包んでくれているぞ」
男の声だった。見えないので時間帯は判らなかったが今は日中らしい。
肌に纏う空気は温かく心地よい。
「少しは慣れたか」
ふてぶてしい。こんな状況に慣れるはずがない。
側頭部にぴったりとくっついている目隠しを掴むが勿論びくともしない。
するとその手を握られた。
「目隠しは外せない。…… 外すことが出来ない」
と言いながら私の頬を撫でた。
人さらいとは思えない位、優しかった。
「食事を持ってこさせよう」
男が退出して暫くするとまた戸が開いた。
足音の数からしてまたあの女性達が運んできたのだろう。
彼女らは男の命を受けてすぐに部屋から退出した。
「何から口にしたいか言うが良い」
男は持ってこさせた料理を言葉で説明した。
最初に覚えたパンとエッグと最後のプディングしか覚えられなかった。
品数が多い上に、一品に対する名前があまりに長すぎるのだ。
「遠慮せず言うが良い」
「では、パンを……」
貴族と称する男は私を甲斐甲斐しく世話をしていった。
私は雛鳥の様に食事を少量口にする。
「もういいのか」
男の言葉に私は頷いた。
やはりこの状況下ではあまり食べる気になれない。
「しばらく一人にする。部屋で好きに過ごすがいい」
そう言って足音が遠ざかり扉の音が鳴った。
また直ぐ扉が鳴った。今度は足音が多い。
誰かが私に近づくと、私の側頭部でカチリと金属音が鳴った。
目隠しが取り外され、部屋の様子がぼやけて瞳に映った。
私を取り囲むようにいるのは昨晩のメイドと同じ服装であった。
ただ、それぞれが仮面をつけており昨晩と同じメイドかは判別出来なかった。
「食事の際はベルを。その他何かあれば遠慮なく」
メイドは淡々と言った後三人揃って礼をし、退室した。
足を忍ばせそっとドアノブを捻るが外側から鍵がかけられていた。
判ってはいたが落胆した。
仕方がないので私は辺りを見回した。
窓が二つ。四柱式のベッドが一つ。本棚が一つ。チェストが二つ。
窓には鍵が無く、開けるには壊す以外無いと思った。
チェストや本棚も隈なく見てみたが、やはりここにも脱出に役立つ物は無い。
脱出への希望は見事に潰え、私はベッドに飛び込んだ。
目隠しを外されたとはいえ、状況は一向に変わらない。
何故私がここへ連れてこられたのだろうと、何度目か判らない自問を始めた。
ここに来る前の最後の記憶は自宅だった。
確か何か作業をしていて疲労でぐったりとして家に帰ったはず。
だが、それまでだ。
そこから先は暗闇の中からの男の声から始まる。
そして、男は私を──。
昨晩の惨事を思い起こすと身体が震えた。
男は好き放題に私に撫でまわした。
私は自分の胸に手を置いて、目を閉じた。
男の手は確かこんな風に……。
記憶のままに触れるが身体には何の変化も無かった。
今度は地肌に触れてみる。
男がしていたように、胸を掴んでみると少しだけ昨晩の様な感覚がした。
男は掴むだけじゃなくて、捏ねるように揉んでいて、時に強く揉んだかと思えば風の様に撫ぜる時もあって。
記憶が段々と鮮明になってくる。
私の身体も少しずつ熱くなってきているのが判った。
そうすると、なんだかもどかしくなってくる。
男に触れられている時もそうだった。何故だか足りなかった。
あの時男は何をしなかった。と、私は思いだした。
そして、指を少し伸ばしてみた。じくじくと疼く胸の頂きへと。
好奇心が高じて少しだけ先端に触れてみた。
「!?」
あまりの刺激に思わず声をあげそうになった。
それにいつも入浴の際に触れている時とは違って随分硬化していた。
今みたいに変な気分になるとそうなってしまうのだろうか。
私はこのままおかしくなるのだろうか。
急に恐怖に飲み込まれた私は手を引き、服の乱れを正した。
服に擦れる胸の先端がまたじくりとして、今度は股間の熱を感じた。
これ以上は止めよう。私の頭が壊れてしまう。
寝具に包まった私はやたら心地よい疼きを頭の中から追い出しながら、
あの男ならどう触れるのだろうとふっと思った。
◇
軽い昼寝の後、読書をしていた私の元にメイドたちが現れまた目隠しを装着していった。
彼女らの退出を音で判断すると、入れ替わりに近づく足音は多分。
「大人しくしていたか」
あの男だった。
「フリードリヒ、か。大衆向けで読みやすいだろう」
「え、えぇ。まぁ」
「読み終えたか」
「まだ半分程度で」
「これから物語が盛り上がる所だ。また後ほど目隠しを取ってやる、その時に読むと良い」
私が腰かけたベッドが軽く軋んだ。男の気配が私の横にきている。
「再度質問する。私と生涯過ごすと誓え」
「…………それは……嫌で、す」
身体を穢された私が他の男性と結婚できるとは思わないが、
だからと言ってこの男と添い遂げる気は無かった。
この男は犯罪者なのだから。
「癪に障る」
男は私の腕を掴むとベッドへと投げた。
倒れこむ私の頭を抑えつける。
「何が不満だ」
「な、ならこの、目隠しを……」
「それは出来ない」
最後の拘束具だけは頑なに外して貰えない。
やはりこの男は姿を見せられない理由が。
「他に要求はないのか」
「ここから、出して……」
「それも不可だ」
期待はしていなかったが、やはり聞き入れてはもらえないようだ。
「要求とは、このようなものでも良いぞ」
楽しげに言うと、男は服の上から私の胸を触った。
肌に食い込んだ指から与えられる熱に焦っていると、耳元で囁かれた。
「昨晩はあれで足りたのか?」
底意地の悪い質問に頬が急速に熱を帯びた。
「もうこんなことやめて下さい!」
「心よりそう思うならば私は手を引こう」
男は私から離れた。まだベッドの上には居ると思われる。
だが息遣いが判らない位には距離がある。
「もしも……貴様の身体に触れられるのならば」
ベッドは揺れない。男が動く様子はなさそうだ。
「頬に触れることもあるだろう。
膨らみをなぞることもあるだろう。
秘められた箇所滑り込むこともあるだろう。
……判るか。私の指が汗ばむ貴様の肌を徘徊する様子が」
男の言葉を皮切りに、私の身体が記憶の中の男に蹂躪されていく。
肩を滑る。胸のラインをなぞる。腹を指先で駆ける。掌で尻を捕まえる。
どれだけ嫌だと思っていても、次第に私の心は解けていく。
男が囁けば、湿るシーツが気にならない。
男が撫でれば、漏れる声だってどうでもいい。
──そんな自分有り得ない。
それなのに、息が弾む。触られていない身体が熱い。
「!?」
服越しに胸を触られた。これは現実だ。
男にふいっと膨らみを包まれると、自分では無い自分へと一瞬で染まっていく。
「言葉を守り、身体には触れていないぞ」
その通り、男は服の上から弄るのみだ。布の感触でぼやけた動きでしかない。
直接触れられる事から解放されて好都合だと……思わなかった。
足りない、と思った。
触れられる嫌悪よりも、くすぐったいもどかしさが溢れてくる。
本当はどうして欲しいか判っていた。でも言うわけにはいかないのだ。
私の尊厳を守る為には、絶対に口にしてはいけない。
「やはり私に触れられるのは不服であると。ならばここは何故このような事になっている?」
男がいつの間にか忍ばせた指がぬるりと下着を撫でた。
失禁したかのように濡れていると、水音が静かな部屋に響く。
さっきまではこんなことなかったはずだ。この短時間で。
「それでも拒むか」
男の指は服越しに下腹部を撫でながら、胸も揉みくちゃにした。
その全てが、憎らしくなるほど私を焦らす。
たった少しだ。ほんの少しだけその指をずらしてくれれば良い。
初対面であるにも関わらず容赦なく弄んだ昨晩のように扱えば良い。
「強要はせん。私は貴様を壊す気は毛頭ないからな」
いけしゃあしゃあと……今更善人ぶろうとも時は既に遅い。
私の発言を尊重して手を引かないで欲しいと思ってしまった。
離れないで。と。
立ち去ろうと、しないで──。
「…………って、……ほ、し……です」
最後の壁が音を立てて崩れていった。
あんなに大事にしていたプライドが手から放れる。
「最初からそうしていれば良いものを」
勝ち誇ったように言う男はまたこちらへ近づいた。
私のすぐ近くでベッドが傾く。
「何処が好い。望むようにしてやる」
男は私の手を取った。私を待っているようだった。
どこ、と言わなければならないようだ。
しかし、男との行為を望む言葉を言うのが精一杯で、詳しい事は言えそうにない。
プライドを全て捨てた訳ではないし、羞恥心は捨てていないのだ。
「今更躊躇う必要もあるまい」
ここで言わなければまた離れていくかもしれない。
こんな身体にしたくせに、あっさりと置いていかれる。
それでも、私は言葉にする事が出来ず、小さく首を振った。
「慎み深いのもまた一興。仕方あるまい」
獲物を嬲るような口調から一転、柔らかな口調の男は私の頭を撫でた。
全ての言動はただ単純に私を安心させるようなものだった。
思わず目を閉じた。最も目隠しがある為に何かが変わる訳ではないのだが。
「ただ私に身を委ねていろ」
そこから先の男は昨晩の様で昨晩とは違った。
焦らすばかりなのは変わらない。
一定以上は私が言葉にして伝えなければ絶対にしてくれない。
逆に「して」とたった二文字を言うだけで男は望み通り快楽の海へと導いた。
昨晩は一切触れてこなかった胸の突起も恥を忍んで乞えば、またあの指先で遊ばれた。
弾いたり、捏ねまわしたり、押しつぶしてみたり。
そのどれもが私の身体を震わせ、口を抑えても声が出た。
自分で触れた時も恐怖するくらいに凄まじい衝撃があったが、男の手にかかればその倍も痺れた。
ここにきて男に好き放題触られた胸部であり、少しは慣れたと思っていた。
だがとんだ思い違いである。
同じ部位であるのにどうしてこんなにも刺激的なのか。
「貴様はここが余程弱いらしい」
直接触れずとも、男の声だけで身体に通った一本の筋がぞわりとする。
背筋が冷える時に似ているが、私が男に抱いているのは恐怖ではない。
気持ちが悪いと思っていた指先も、今では繊細なだけだと受け入れている。
私の心をかき乱す声だって心地よい。
頬や胸元、腹部に至るまで口付ける事も少し恥ずかしいと思うだけで嫌では無い。
幼子の様に胸に吸いつき、舌で転がすのも突き放すほどではない。
どれも特別嫌では無い。……いや、その言い方は正しくなくて。本当は。
「やぁ……っぅん……やめ、っあ」
素直に離れようとする男の背に回した腕に力を込めた。
すると男は先刻の行動を再開する。
今は胸を先端を摘まみながら、もう片方は唇で挟みながら舌で撫でていた。
男を引き寄せる腕にも、下腹部にもきゅっと力が入る。
「しない、で…、だめっ、っふ、ん……いやぁ」
腹を伝って下りる手が今度は秘所へと伸びる。
下着の下へと滑らせた指が果肉を掻き分けていく。
通常部屋では聞こえない筈の水音が煩く聞こえる。
激しい快楽が打ち寄せ反射的に男を抱きしめた。
「不安がる事はない」
耳元で声を上げる私を宥めながらも、指は潤って滑りの良くなった果肉を撫でた。
途中、一点頭が真っ白になってしまうくらいに感じてしまう箇所があったが、男はあまりそこへは触れなかった。
頼めば触れるのだろうが、私は言う勇気が無く、その周囲を触られるだけであった。
それらも十分強烈な刺激を与えてくれる為、不満は無かったが少しだけ気になった。
そして指が周囲から、くっと私の中へと入ってきた。少し痛みを感じた。
未知なる体験に対する恐怖が芽生えたが、私を気遣う男の言葉でそれは薄らいだ。
それに、笑える話だが信用していた。ただの人さらいに対して。
確信なんて何処にもないのに大丈夫であると感じていたのだ。
指は入口を何度も撫で上げていたが、やがて男の指は止まった。
私からもゆっくりと離れると、額へ口付けが落ちる。
「今宵は終いだ。嫁入り前に貫くわけには行くまい?」
その言葉は欲に身を任せてしまった私にはばつが悪い。
男が昨晩同様私を抱き上げる事にも反抗できず、素直に身を任せた。
連れていかれたのは浴場であり、そこから部屋に運ばれるまで昨日とまるっきり同じ流れであった。
「今夜は目隠しを外してやろう。これならば何かあった際にはベルを鳴らせる」
とうとう男の姿が見られるのかと思えば、男と入れ替わりでメイド達が入室し目隠しを外した。
何が合っても男は私に姿を見せないらしい。
「あの男……いえ、この家の主人はどんな人ですか?」
ならば、と顔を知るメイドに尋ねてみた。
「発言は許されておりません。ご自分で判断なさってください」
ここまで鉄壁の護りを築かれると、例えどんなに恐ろしい容姿であろうと見たくなる。
メイドたちは用が済むと早々に退室した。
連れてこられた部屋は先ほどいた部屋と同じようだ。本棚の本の並びが同じである。
しかし寝具は新しいものに取り換えられていて異質な匂いもなく、
何も知らずに入室してきた者はこの部屋でどんな行為が繰り広げられていたか絶対に判らないだろう。
私は清潔なシーツにくるまれ、何の躊躇いもなく睡眠をとった。
次の日の晩も男に良いように喘がされた。
私の羞恥心を煽る事は言えども、一貫して悪意はなく優しかった。
熱くなる身体に耐えきれず、思わず男の身体を掴む手に力を込めようとも男は決して怒らなかった。
私がどんなに乱れようとも、決して引かず「それで良い」と言った。
だから私は判らなくなっていった。
自分を監禁する男に対して何を思えば良いのか。どうしようもなく不安になった。
答えは見つからないまま、男の誘導について行く自分。
はっきりと自分の要求を言えない私の見透かし、触れて止めて、また触れて。
刺激を与えるばかりでなく、私の気持ちを沈めるように穏やかなキスをする。
しかし、唇には今の今まで一度もない。
そして身体を合わせる事も。
指で翻弄されるばかりだ。
代わりに、快楽の先が何であるかを教えてくれた。
あれは男がまた動物の様に私の足の間に顔を埋めていた時の事。
私をおかしくさせる個所を舌先でじっとりと舐められ、そこで私は別世界を見た。
最初は怖かった。手足が震え、声も出なかった。
すると男はそんな私を抱きしめた。
「安心しろ。ただ好かっただけだ。何も恐れる事は無い」
トーンの低い男の声は心地よかった。ただ抱きしめられる事にも安心した。
「心配するな。傍にいる。不安が消えるまで」
その後はそのまま抱かれていた。そして二人して眠りに落ちた。
起きたのは多分、朝だったように思う。
「夜を明かしたか」と男が言っていたからだ。
男といる時は目隠しをされる私は男の言葉が無ければ時間を知る事は出来ない。
そしてここに来て初めて日が昇っている間に入浴をした。
着替え終わり部屋に連れられると、男は「また晩に会いに来る」と言って宣言通り晩までは訪れなかった。
この奇妙な生活が始まってから、夜以外に男に会った事が無い。
何をしているのだろう。平民と同じく貴族も何かしらやる事があるのだろうか。
部屋を出る事を許されていない私は、何をする事も出来ず部屋の本を読む事で晩まで時間を潰した。
そんな生活を数回繰り返していると、ある日男が言った。
「もうタイムリミットが近い」
部屋に来てすぐのことだった。
普段ならばベッドに押し倒す男であったがその日は私の横へと腰掛けた。
お互い身体には触れず、ぽつぽつと会話をした。
「何故、私を閉じ込めたの」
「私だけのものにしたかったからだ」
それは前も言っていた。生涯を共にしろと。
「どうして?私は、多分だけどあなたとは会った事無い筈」
「そうだ。会った事は無い」
見ず知らずの人間をどうして。
そう問いかけたかったが、男の短い返答から察するにあまり答えて貰えそうにないと思い、別の質問をした。
「どうして私の目を覆い隠すの」
「姿形で判断されては困るからだ」
やはり酷い見た目なのだろうか。
「あなたは少し変だけど優しいと思う」
本心であった。
幾度となく触れ合った末、私はこの男を穢らわしい変人とは思わなくなっていた。
人さらいは確かに犯罪である。
しかし、男は私に手を上げる事はなく、規則正しい生活を提供していた。
罰を受けるべき罪人とはあまり思えない。
「それは私がそう思われたかったからだ」
恥ずかしげもなく自画自賛をしてきた男が、何故か弱気な発言をする。
遠慮の態度から垣間見えた男の心の揺らぎが、私の胸をきゅっと捉えた。
「さて、私から最後の質問だ。……私と添い遂げる気はないか」
三度目の質問である。
一度目は、即座に断った。
二度目は、少し考えて断った。
三度目は、────。
「返事はいい。今晩、部屋の鍵を外しておく。勿論目隠しもない。
階下を目指せば馬車はすぐわかるだろう」
男は去り、私は残された。
しばらくするといつものメイド達が入室し私の目隠しを取り外した。
「貴女は自由です。お好きにどうぞ」
久しぶりの光を受け焦点が定まらぬ中メイドたちも退室し、いつまで続くか判らない夜が始まった。
部屋から出られる唯一の扉が私の方へとじわりじわりと迫りくる。
手を伸ばせば、外だ。
◇
私が知らなかった事実を教えられたのは、あの夜が明けて落ちついてからだ。
「売られたのは嘘だ」
顔の整った赤毛の男に悪びれなくそう言われた。
「領地の視察の際に貴様を見たのだ」
「貴様と言うのは止めて下さい」
「ああ。すまなかった────
」
ヴィルヘルムは小さく笑んだ。
自分で言っておきながら、その形の良い唇から放たれる名前に慣れない私は少し目を逸らした。
「それで私は
を見染めた。そして素性を徹底的に調べ上げた」
「……どうぞ、続けて」
ヴィルヘルムは正真正銘の貴族だった。
自分が住む領地を統治する貴族であるならば、私のような者でも名前と顔が一致するものだが、その貴族の更に上に位置する領主だった。
私が実際に顔を見てもピンとこなかったのはその為だ。
「金も領地も地位も全てを持つ私であるが、どれも交渉の材料にはならなかった。
の両親は頑なに私を拒んだ。何度来ようとも首を縦に振らぬ」
私が信じる以上の反応をしてくれた両親にはとても感謝している。
二人がどれだけ私を大切にしてくれているか改めて知る事が出来た。
「だから私は、生まれて初めて王以外に頭を下げた。
どうかチャンスをもられないかと。それでも二人は私の申し出を退けた。
しかし、私も易々と折れるつもりは毛頭なく、何日も通った。
すると、
を連れていき十日のうちに逃げなかったら良いと渋々言われた」
「じゃあ私をさらった訳ではなく」
「寝ている所をお前の両親が私の馬車に連れていった」
共犯者がまさかの両親ならば今回の事も頷ける。
「移動中に気付かれても困るからな。
そうならぬようその日は疲労困憊になるまで作業させ、夕食を大量に摂らせた」
よくよく思いだしてみると、両親から倉庫の掃除がしたいと言われた覚えがある。
手伝うと言ったはいいが、両親は近所の人に呼ばれたからと言って結局私だけが作業をした。
それもまさか両親とヴィルヘルムの策であったとは。
「目隠しの件だが、私の正体を知らせる訳にはいかなかった。
それが
の両親からの二つ目の条件だった」
なんとなく両親が考えた事は判る。
きっと身分や立場や見た目で判断するなと言う事だろう。
もしもヴィルヘルムが最初から顔を出していたら、私の反応も大きく変わっていたかもしれない。
「でも、こんな回りくどい事をしなくとも、直接私と対話してみれば良かったのでは?」
「それは
の両親が反対した。貴族があまりうろつくわけにもいくまい」
それは確かに、そうかもしれない。
貴族と私達平民は住む世界が違う。お互い遠目で見るだけの存在だ。
それが平民の家を貴族が出入りしているとあれば、刺激の無い村では大事件である。
「しかし、貴様はこれで本当に良いのか」
窓から差し込む眩い光を浴びた赤毛の男が確認した。
切れ長の目が赤く光る。
「一度でも私の物になったのならば、絶対に放してやらんぞ」
「どうぞ。手足に枷を嵌めようと、目隠しでも。ご自由に」
目を閉じて見せると、男は鼻で笑って口付けた。
今度は頬でも首でも、鎖骨でもなく。
fin.
(14/05/10)