水の様に澄みきった青が外に広がっている。
ぷかぷかと流れる白い雲を見ていると、羽の生えた何かが窓を横切った。
はっと驚いたであったが、またゆるゆると瞼を落とす。
「なぁ!今日もどっか行こうぜ!」
放課後、クラスメイトの言葉を受けては振り返った。
茜色の光を背に受けながら口元を緩ませる。
「ごめんね。今日は寄る所があるの」
◇
「それで……今日は何?変な事なら手伝わないからね」
少しむくれながらもは尋ねた。
学校の制服から、所々切れたエプロンドレスに着替えており、汚れる気満々である。
「物を取りに行くだけの案件。貴様の様な低能でも流石に出来る事。必ず成功させろ」
「一応聞くけど盗む……じゃないよね?」
仮面で見えないヴィルヘルムの顔を窺おうと下から覗きこめば、
外套を翻して背を向けた。
「あるべき所へ返すだけだ」
「ふうん。……判った」
ぽうっとの目の前に青白い炎が灯る。
熱さが一切無いそれを両手で包んだは目を閉じた。
目を開くとそこは真っ暗であった。
肌に当たる冷えた空気に慌てるであったが先の炎が助言した。
「息をするな」
瞬時に息を止めたは心を落ち着かせ、水中にいる時と同じように自分の周囲を別の空気で覆った。
家の空気が時空を超えて自分の周りに集まるというイメージを固定させてから息を吸い直し、そして怒鳴った。
「そんな大事な事早く言ってよ!!!」
しかし炎は既に消えており、の声はしんしんと冷え込む空間に響いていった。
何を言っても無駄と悟ったは息を吐いて頭を切り替える事にした。
まずここが何処だか判らない事には動けない。
夜行性の動物の眼球への変化を願うと段々と周囲の様子が闇から浮かび上がってきた。
動物の瞳である為色彩は判らないが、物の形や様子だけは判る。
今いるのは、約八畳の部屋であった。そしてそこら中に埃が積っている。
木製の簡素な机は真っ二つに割れ、テーブルクロスは繊維の隙間に塵がびっしりと入りこんでボロボロだ。
机と同じく木製の椅子は一つは足が折れ、一つはそのままの形をかろうじて保っていた。
部屋から廊下へ通じる扉も錆びた蝶番だけが残り、扉自体は床に頭を垂れている。
この様子からダイニングではないかとは推理する。
更にこの建物内は現在人は住んでいないとも。
「(そもそも何を探せば良いか教えてもらってないんだけど……)」
物を持ち帰れという曖昧な命令を反芻しながら、は部屋を出た。
大人四人が並列で歩ける程度の広さの廊下を歩いて行く。
カーペットが敷かれていたようだが、それも年月の経過によりカビや虫食いが発生している。
あまりに汚い部分は踏まないようにと、は足元にも注意を払いながら歩いて行った。
変化させた目だけを頼りに建物の内部を探索していく。
得た情報を統括すると、今がいるのは、二階と地下がある無人の建物である。
昔誰かが生活していた様子はあるが、一部の家具が残っているだけで殆ど外に運び込まれてしまったようだ。
あと空気の循環が悪いのか建物内はじめじめとしており、カビが多く見られた。
そのせいか家具の殆どが壊れ、少ないながらも存在する芸術品も汚れと破損で価値はなさそうであった。
「(となると、何を持ち帰れば良いのか)」
目的の物についての情報がない為、は困り果てていた。
一つ考えられるのは、壊れた物しかない場所に転移させられたのだから、
ヴィルヘルムの目当ての物は数少ない壊れていない物の内の一つだろうと。
しかし、引き出しの中や机の上に乱雑に置かれた小物を調べてもそれらしいものは無かった。
「(せめて特徴だけでも教えてくれないと)」
説明足らずの魔族を思いだし肩を竦めた。
そういえば、とは出発前のヴィルヘルムの様子を思い出した。
普段も素っ気なく、を道具として利用するだけの者であるが、
今日はそれに加えて機嫌が悪そうであったと。
「(ま、それもいつものこと、か)」
自分の思い通りにならなければ気が済まないヴィルヘルムである。
自分の意図とは外れた事になるとすぐに腹を立て、刃向う者もそうでは無い者も区別する事無く力でねじ伏せる。
力が全て、勝者が正義と思っているのだ。
それでも黒神ほどではないが、というのはは自分の心の内だけに留めておく。
「(適当に持ち帰ればいっか)」
どうせなら持ち帰り易い物にしようと、は欠けた螺旋階段を利用して二階へ行った。
いくつかある部屋の中の一つに足を踏み入れ、サイドテーブルに置かれていた万年筆を取った。
びっしりと付着した埃をエプロンで拭き取り、キャップを取り外そうとしたが出来なかった。
インクが固まっているのか、塵と埃が詰まっているのか。
使用には問題があるが、構いはしないだろう。
「(物の指定をしないヴィルが悪い)」
持ち帰ろうとポケットに入れようとして、万年筆の隣にあった紙に目がいった。
何か書かれている。が、の知る文字では無い。
はふっと手をかざすと、頭の中に文字が浮かび上がった。
「(悪魔の楽器に触れるな……って、なんだろう)」
部屋の中にはテーブルが一つあるだけで他の物はない。
は万年筆を一旦元通りに置き直し、隣の部屋にも入って探索してみたが、楽器らしき物は見当たらなかった。
今まで獣の目で見ていたであったが、普段と違って色彩がぼんやりとしか見えない仕様が面倒になってきた。
そもそも何故両目の変化だけに留めて置いたかと言うと、建物内に誰かがいた場合光で照らせば侵入者であるに気付かれてしまうからだ。
だがこれだけ部屋を探って誰にも出くわさないのだからもういいだろう。
は建物全てを太陽の光で照らした。
太陽と言っても疑似的なもので、電球に似た光源を作ってそこら中に配置しただけだ。
「(いっそ呼吸も普通で……いや、それは止めておこうか)」
あのヴィルヘルムが今回唯一した忠告だ。
自分の周囲だけ別の空気を流し込むと言う事は構築さえ終えれば労力はいらない。
空気はそのままに、は改めて部屋の探索を始めた。
色彩が判るようになった事で、は一つ後悔した。
部屋には血痕が残されていた事だ。
勿論年数が経過していたが、あまり気持ちの良い物ではない。
も最初は墨を零したのかと思っていたくらいだ。
だがあまりにも黒ずんだ飛沫が多く、階段の手すりにまであった事でなんとなく察した。
勿論の想像が合っているのかは判らない。
呼吸禁止の忠告と相まって、は自分のいる建物に薄気味悪さを感じ始めていた。
「(楽器だけ調べたら帰ろう!)」
血に気付いてから物を触るのが嫌になったは、力を用いて自分の手では触れずに物を調べ、時には壊した。
クローゼットの中も調べ、隅で折り重なっているカーテンも一通り目を通した。
そして、一階のリビングだがホールだかに足を運んだ。
燭台が床に転がり、割れた食器が散乱している。
ソファーと思しき塊もあったが、悪臭を放っていたので近づかなかった。
辺りを注意深く見ていると、ふとぽっかりと空いた空間に気付いた。
何か家具でも置いていたのだろうかと思って近づくと、
カーペットには拳より一回り大きな正方形に焼けていない部分が三ヶ所あった。
何の家具の跡かと見ていると、壁にひっそり立て掛けられているケースに目がいく。
例によって埃だらけであるが、ひょいと風を起こして吹き飛ばせば、皮のような素材が顔を見せる。
長さは七十から八十センチといったところ。
中を確認しようと、は遠隔操作で留め具を外した。
「!!!!!!!!」
何処からか空気が抜けた様な音と共に視界が白い靄に侵食されていく。
はこの状況はまずいと思うのと同時に、"当たり"であると思った。
纏っていた空気を硬化し、謎のケースと共に今いる建物の遥か上空へと転移した。
空から見下ろすと、先ほど自分がいた建物が小さな城であり、周囲に民家が点在する
小さな村であった事を知った。
城からは白い靄が出る事もなく、静かに佇んでいる。
「(空気が悪かったとはいえ、なんで外に漏れていないんだろう)」
上空から見ると、民家の屋根が綺麗な塗料で塗られているのが判る。
手入れがされていると言う事は、人が住んでいる建物なんだろう。
──と、普通ならば判断する。
しかし、はそう思わなかった。
「(生き物の反応がない……)」
特殊なケースを除き、生命の反応があるかないかは意識すれば簡単に判る。
が感じ取ったところこの村には誰もいない。
その癖綺麗な外観の建物がいくつも立ち並ぶ。
深入りしない方が良いとは背を向けた。
先ほどギリギリで持ち出したケースを見る。
「(二度もこんな気持ち悪いとこに来たくないよ……)」
これがヴィルヘルムが所望する物であることを祈りながら、はヴィルヘルム城に帰還した。
「ヴィルー!帰って来たよ!」
すぐ近くで腰かけていたヴィルヘルムはの声を聞いて立ち上がった。
「当たってる?壊れた物ばっかりでよく判らなか、」
「置け」
話の腰を折られ、不満そうにしながらも命令通りその場に置いた。
ヴィルヘルムがには判らない言葉を口にすると、ケースは勢いよく燃え上がる。
「え!?ちょっと!!」
が驚嘆の声をあげる間にケースは塵となっていった。
その塵も魔力で引き起こされた風が外へと運んで行った。
あっという間の出来事である。
「……」
ヴィルヘルムはくるりと背を向け、靴を踏み鳴らしながら歩いて行く。
「ヴィル!?」
はヴィルヘルムの目の前に転移し、その歩みを遮った。
「燃やして良い物なの?折角持ってきたのに」
「黙れ」
これには流石のもむっとした。
何の説明もなく指示され、好意で手伝ったと言うのに、必死に持ち出した物は焼かれ、自分の働きに対して何の言葉もかけられないなんて、納得がいかない。
「せめてあの道具が何かくらい教えてよ!」
ヴィルヘルムは手を伸ばし口答えをするの細い首を掴んだ。
くっ、と柔らかな喉を指で押す。
「道具に智は必要ない」
肌に容赦なく食い込む指がこれが遊びや脅しではない事を物語っていた。
本能的に死を感じ取ったはヴィルヘルムの拘束を振り解き、世界で一番安全な場所へと自分を転移させた。
転移先ではつまらなさそうにデスクに向かう黒神とキッチンで夕食の支度をする影がいた。
「おかえりなサイ」
「おかえり」
魔力を感じ取った黒神は一瞬顔を歪めたが、床に座り込むに表情が一転した。
「?」
過度な呼吸数と震え、そして自分たちの言葉に一切の反応を見せない事を危ぶんだ。
黒神はと距離を取ったまま、ゆっくりと話しかけた。
「。聞こえるか」
正面から少しずつ近づき、手を伸ばしてみる。
の視界に黒神が入っているにも関わらず何の反応もない。
「このまま……触るぞ」
顔を窺いながら床についた手に触れる。
拒否反応は見られない。寧ろ震えが収まってきた。
様子を見ながら抱きしめると、腕の中のは緊張を解き、黒神の方に頭を預けた。
「大丈夫。ここには俺だけだ」
小さく頷いたの頭を撫でながら、黒神は薄汚れたエプロンドレスをの普段着へと変えた。
「大丈夫だから。が怖がるものはないから」
何度も頷いたは黒神の背に腕を回した。
少しずつ落ち着きを取り戻したを宥めながら、黒神はに見えないようエプロンドレスを跡形もなく消滅させた。
◇
盛大な溜息をつきながら、は冷たい城に仁王立ちした。
「今度は何の用なの?」
fin.
(14/04/12)