「は、初めまして。今日からここでお世話になります、です」
教室内には私と同世代らしい多くの人間がいる。
数え切れない程の瞳が私の方を見ている。
そして、想像するに私のことを笑っている。
どこか変だったのだ。
発言、見た目、容姿、制服、声、他に何があるだろう。
何を笑うのだ。
何がおかしい。
どうすればいい。
握りしめた手のひらがじっとりと濡れている。
顔も赤い気がする。
平常でいようとしているのに足が震えている。
しかし、顔も足も言うことを聞かない。
「見ての通り緊張しまくってる。お前ら苛めたりすんなよ」
DTO先生が生徒たちに呼びかけると、油が跳ねたかのように呟きが放たれる。
「小さくね」
「何処から来たの?」
「本当に高等部?」
「こんな時期に珍しいよね」
全部は聞き取れないが、口々に私のことを言っている。
その中には、通りで以前会ったサイバーがいた。
とは言え、この状況下で話しかけられるわけではないし、私を救ってくれるわけでもない。
唯一味方になってくれそうなDTO先生に視線を投げた。
しかし、先生はまっすぐ教室内の生徒を見ている。
「はいはい。静かに。訳あっては学校に行ったことがない」
えー、という声。
先ほどまで好き好きに囀っていたというのに、殆どの声が綺麗に重なっていた。
確かに私の生活が普通ではないことはMZDに教わった。
でも、実際の反応をこうやって目の当たりにすると、分かっているのに胸が苦しい。
「だからは本当に何もわかんねぇ状態だ。それを念頭に入れて接してやってくれ」
返事が聞こえたり、聞こえなかったり。
気分が地の底へ落ちていく。
変である自分は受け入れられないのだろうかと。
誰かの反応をを見るのが辛いから、私はうす汚れた床に視線を落とした。
「席はその辺で。サユリ、任せた」
「は、はい」
ふっと顔をあげ、指し示す場所を確認する。
サユリと呼ばれた人は、空いた席の隣にいる女の子だろう。
女の子──。
苦手だ。接し方が分からない。
「連絡はそれだけだ。一限寝ずにしっかりやれよ」
確か、この後授業が始まるらしい。
この先、まだまだあるなんて。もう辛い。帰りたい。
教室と言う箱には、私以外四十名ほどの生徒がいる。
自分以外は誰も彼も得体が知れない。
周囲で次々に流れる言霊は私を突き刺していく。
紡がれれば紡がれるほど、きりきりと身体を締め付けてくる。
裂けた肉から赤い、透明な血が流れる。
そんな見えない傷も、黒ちゃんやMZDは気づいてくれる。
どうしたと言って頭を撫で、私の身体をその温もりで包んでくれる。
痛みなんてすぐに消える。
でも、今ここに二人はいない。
自分一人で立ち上がらないと。
「あのさん」
「は、はいぃ!」
「驚かせてごめんなさい。あの、分からないことがあったら言ってね」
もう既に分からないことばかりだ。
これからどうすればいいかわからない。
けれど。
「だ、大丈夫です」
何で嘘をついているんだろう。
何故だか素直に頼れない。
「。まだ書類残ってるから今すぐ職員室だ」
「は、はい」
サユリさんに軽く頭を下げ、DTO先生の方へ駆けていった。
正直ほっとした。あの場から逃げられて。
「どうだ?」
「わかんない。です。全部。何もかも。です」
人と違う私はどうすればいい。
受け入れられるには、私はどうすればいいの。
わかんないよ。
私がわかるはずないじゃん。
知らないことばっかりだよ。
「完全にパニっくてんな」
「MZD!!」
ここにいるはずの無い人に、私は力の限り抱きついた。
慣れた頬の感触。
嗅ぎ慣れた匂い。
身体の形。
心の底から安心する。大好きな人。
「MZD大好き。いてくれてありがと!大好き!本当に大好き!」
「あ、あんま言うなよ。じゃないと」
「随分仲がいいようだな」
「黒ちゃん!」
今度は黒ちゃんに抱きつく。
青年の姿だから、頬に当たる感触が少し違う。
いつもより、少し大きな手が私の身体に絡む。
「来てくれたんだね。ありがと」
「心配だったからな」
上を見上げると黒ちゃんが睨んでいた。
その視線を辿るとMZDに行き着く。
「どうだ。困ってはいないか?」
黒ちゃんは私を見ながら優しく撫でる。
髪の流れに沿った手の動きが心地よい。
「大丈夫。びっくりしちゃっただけ。大丈夫だから」
「ふうん。泣きそうにでもなっているのかと思ったが、勘違いだったか」
「な、いもん」
「なら良かった」
「…うん」
嘘だ。もう帰りたいと思っていた。
黒ちゃん達がいない世界は、怖い。
でも、頑張ると決めたから。頼らない。
「…全く、俺の前くらい強がらないでくれ」
軽く足を曲げ、私と目線を合わせる黒ちゃん。
頬を優しく包んでくれる。
「まだ、なんとかやれそうか?」
やっぱり黒ちゃんは見えない傷をも分かってくれる。
それが、嬉しい。そういう人が私の傍にいてくれることが。
「うん。まだ頑張れるよ」
「いい子だ」
「大分落ち着いてきたようだな」
と、DTO先生が言った。
そこで先生の存在を、失礼にも思い出した。
「先生、ありがとうございます」
私はここに連れてきてくれた先生にお礼を言った。
先生もまた、私を気遣ってくれたのだ。
「っ、あぁ。俺これからお前の担任だからな」
先生は焦ったように見える。
「んじゃ、授業始まる直前に戻るか」
二人に手を振って、私はもう一度教室という名の闘技場へ挑んだ。
授業中は暇だった。
私には先生が何を言っているのか分からないのだ。
これは想定内。
周りが必死にやっているので、手持ち無沙汰なのが少し居辛い。
これは想定外。
でも、授業中は誰かに話しかけられることがなく、
とても気が楽だった。
そして休み時間。
沢山の人が私の周囲に壁を作り、私は逃げ場を失った。
「どの辺に住んでいるの?」
突然質問される。私は素直に答えることにした。
「えっと、異次元…」
周囲が一気にどよめく。
異次元はおかしいから、ちゃんと説明をしないと…。
「あの、MZDの弟の黒神って神様と住んでるの。だから…それで」
やっぱり周囲がどよめく。
「学校に行ってないって言ってたけど、あれ本当?」
「本当です。まだ数えるほどしか外に出たことなくて」
またどよめく。
「じゃあ家族は?」
「MZDと黒神さんとその影ちゃんが家族かな」
どよめきは止まることを知らない。
でも確かに、私達は血が繋がっている訳ではない。
だからこの反応なのだろう。私は補足する。
「わ、私は両親がいないから。それで偶々二人が私の世話をしてくれて。
だから私は一応人間です」
先ほどから周囲が驚いてばかりだ。
私を囲む多くの瞳が私に奇異の視線を向けていた。
本当のことを言えば言うほど、引かれている。
こんなはずじゃなかったのにな…。
◇
「ほーら、はどの制服が好みだ?」
辞書程の厚さのカタログを小脇に抱えたMZDが、リビングの真ん中に現れた。
「制服?選べるの?」
「おお。オレんとこ自由だから」
「え、学校って、MZDのなの?」
「そっ。暇だからって昔作ったんだ」
「凄いね。だからMZDっていつも忙しいんだね」
「いや、それは違うぞ」
デスクからの隣に移動する黒神。
「権限は全て他人に委ねている。こいつは暇な時に見るくらいで、忙しいわけではない。断じて」
「おいおい、バラすなよ」
「ふうん。ねぇ黒ちゃん、一緒に見ようよ」
「ああ」
ソファー前のテーブルに、どっかりとカタログを置く。
カタログには一ページに付き六種類程度掲載されている。
十ページに一度、一ページ丸々使い紹介している。
「いっぱいありすぎてよくわかんないね」
「そうか?」
付箋を取り出した黒神は、ぺたぺたとカタログに貼り付けていく。
「おま…。どんだけ力入れんだよ…」
「はぁ?当たり前だろ」
呆れた口調で言うMZDを気にも留めず、付箋を貼る手を止めない。
「こいつ凝り症なんだよな…。はどんなのがいい?」
「うーん…。黒ちゃんに任せるよ。さすがにこの多さじゃよくわからないし」
カタログに食い入る黒神とは対照的に、は遠目で見ていた。
「セーラーとブレザーどっちがいい?」
黒神は該当するカタログのページをに呈示した。
見開きには大きく二種類の制服が映っている。
は少し悩んだ素振りを見せた。
「うーん、こっち?」
「ブレザーか。ならそれで探しておこう。おい、これ借りるぞ」
「どーぞ、好きに使いな。書き込んでもちぎってもいいぜ」
黒神はカタログを小脇に抱えると自室へと戻った。
それを見て、MZDは空いたソファーに身体を投げ出す。
「あー、アイツ絶対長いぜ。こりゃ決まるのは明日だな」
「黒ちゃんはいつも真剣だからね」
「まぁいいや。その間オレとちょっと話すっか」
まるで示し合わせていたかのように、黒神の影が二人の前にカップを置いていく。
続けてミルクと砂糖をそれぞれ置く。
は砂糖をカップに一匙入れ、かき混ぜる。
同様にMZDもカップに入れる。更にミルクも加える。
くるくると褐色に白い筋が廻る。
「にはさ、一通り学校というものを教えたよな」
「うん。教えてもらったよ」
「今日は違う面についても言っておこうと思ってな」
MZDは香りたつ紅茶をすする。
「は自分がいくつか知っているか」
「知らない」
「17だ。でもな、の見た目は全然17に見えねぇ」
「ふうん」
は影が置いたクッキーの山に手を伸ばす。
「はさ血の繋がった家族がいないよな。これ、学校だと珍しいんだ」
「あぁ、そうみたいだね」
はまた次のクッキーに手を伸ばす。
「あと、他の奴はオレのことは知ってても黒神のことは一切知らない」
「え!神様って言うから、皆黒ちゃんのこと知ってるのかと思った」
「多分人間で知っている奴はお前とジャックだけだ」
「黒ちゃんあんまり外行かないもんね」
は紅茶をすすり、またクッキーに手を伸ばす。
「あ、そうそう。みたいにずっと外に出たことが無いってのも少し珍しい」
クッキーから目を離したは、MZDを見た。
「…あのさ、私って、他の人から見たらすっっっごく変なの?」
「いや。ウルトラレアってだけだ」
「それ。あんまり嬉しくない…」
は紅茶を片手にクッキーをぼりぼりと頬張っていく。
MZDはそんなを撫でる。
「には、他と違うところが沢山ある。
でも、それはが悪いわけじゃない。個性だしな。
だから、は何も負い目を感じることはない。
胸張ってりゃいいんだ」
「うん。…ありがと」
MZDがクッキーの山に手を伸ばすと、それは空しく空を切った。
ため息をつく。
「…自分以外の他人と関わることってのは、必ずしもいい事ばかりじゃない。
それはオレ達だって例外じゃない。
けど、だからといって悪いことばかりに囚われないで欲しい」
「うん。それは、MZDの家にお邪魔させてもらった時に分かったよ。
色んな人がいるんだもんね」
「そうだ。それを忘れないで欲しい。あと、気をつけて欲しいことだが」
と、MZDは言い淀む。
が不審に思ったのか、顔をしかめた。
「…もしだ。
オレ達との関係を知って、オレ達の力を利用したいって奴が現れるかもしれない。
その時は断ってほしい。オレ達は絶対そういうのしねぇから」
「わかった」
返事とともに、は大きく頷いた。
「そんくらいかなぁ。言っておかないといけねぇのは」
「うん。色々と教えてくれてありがとう」
「なに、可愛いのためだからな。当たり前だぜ」
MZDはくしゃりとの頭を撫でた。
制服を選び終えたのは、次の日の昼であった。
カタログに全て目を通し、選び抜いたという黒神は、その日船を漕ぎながら仕事をこなした。
そのまた次の日、制服が届いたとMZDから黒神へ連絡が届いた。
「制服ってこれ?」
「おう。なぁ、着てみて見せてくれよ」
「うん」
MZDが持ってきた白い箱を持ち、は自室へ行く。
「楽しみだな」
そう言うMZDとは違い、黒神は眉間に皺を寄せていた。
「どうした?」
「別に」
黒神はそれ以上何も答えない。
MZDはあまり話しかけることをせず、ただの部屋の扉をじっと見ていた。
しばらくして、遠慮がちに扉が開いた。
「どう…かな?」
扉の隙間から見えるスカートの裾。
後ろ手で扉を閉めた際に、ようやく全貌が二人の神の前に現れた。
「…可愛いよ。よく似合ってる」
息を飲んだMZDは、ようやく声を搾り出した。
はそれを聞き、ぱぁっと表情を明るくさせる。
「やった!ねぇ、黒ちゃんはどう思った?」
がリビングを見渡すと、MZDと黒神の影以外の姿はない。
「あれ?黒ちゃんはどこ?」
「あー…。アイツさっき部屋帰ったぞ。転移して」
「…合ってなかったってことかな」
花が萎れてしまったかのように、は頭を垂れた。
そんなを見て、MZDは噴出す。
「ンなわけねぇよ。今日のおやつ賭けてもいいぜ」
「だ、だって、いなくなっちゃったんだよ?」
おろおろとする。
MZDは一つの扉を指差す。
「アイツの制服姿に興奮した自分を見られたくないんだよ。そっと覗いてみな」
足音を忍ばせ、は静かに少しだけ黒神の部屋の扉を開けた。
そこでは黒神がふわりふわりと宙に浮かんでいる。
にやにやしたり、突然に顔をしかめたり、赤面して顔を覆ったり。
は静かに扉を閉めた。
「どうだ?合ってたろ」
にやにやとMZDは笑う。
だが、は未だ自信なさげにしている。
「うーん。本当にそう…なのかな」
「の制服姿だぞ。アイツロリコンだからな。相当きてるはずだ」
「ろり、こん?」
は首をかしげるが、この場の誰もその意味は教えない。
「よくわからないけど、本当に黒ちゃんは喜んでくれているの?」
「大丈夫だって。オレだってお世辞で言ってたわけじゃねぇよ。
なぁ、そっちの影もそう思うよな」
「はい。サン。よく似合っていますヨ」
「影ちゃん、ありがと」
にこりと微笑んだ。
「よし。オレはとりあえず帰るわ。仕事ほっぽりだしてるし」
「頑張ってね」
と、手を振った。
するとMZDは急に真面目な顔をして、を見据えた。
「なぁ…。一つ聞きたいんだが」
「なに?」
「お前、無理してねぇか?」
は少しだけ目を泳がせた。
「大丈夫。してない。頑張ろうって思っただけだよ」
「ならいいが。もしオレがプレッシャーになっているなら、全然気負う必要はないぞ」
「大丈夫。心配しないで」
「そっか。何かあったらオレに言ってくれ。力になってやりたいんだ」
「ありがと。その時はよろしくね」
「…じゃ、今日は帰るから。またな」
「またね」
小さく輝く光の粒子がMZDを包む。
粒子はさらさらと砂のように落ちていく。
そこに、MZDはいない。
「あれ?アイツは?」
しばらくして普段どおりの黒神が部屋から出てきた。
「随分前に帰ったよ」
読みかけの本を閉じて、が言った。
黒神はその姿を捉え、上から下まで見渡す。
「…脱いだのか」
「うん。次は学校に行く時かなって」
「…そうか」
小さな声で言う黒神の顔を、は覗き込んだ。
「…ねぇ…もう一度着ようか?」
上目遣いで小首を傾げる。
黒神は頬を染める。
目を逸らし、小さく頷いた。
「じゃあ、少し待っててね」
はスカートを翻し自室へ行く。
小さく息を吐いた黒神はその扉にもたれかかった。
扉からは衣擦れの音が僅かだが漏れている。
こくんと、黒神の喉が鳴った。
「入ってきていいよ」
「あ、あぁ」
慌てた黒神は、一度呼吸を整えドアノブに手をかけた。
「どうかな?」
スカートの裾を小さく持ち上げ、下から見上げた。
「……ああ」
黒神は息を飲む。
何も言わず、新品の制服を着るを見回した。
「へ、変?」
「全然。むしろ、その…似合っている」
「本当!!良かった。黒ちゃんに褒めてもらえるとようやく安心だよ」
はしゃぐを黒神は微笑ましく見る。
「、少し座ってもいいか?」
「どうぞ」
黒神はが指すベッドへと腰かける。
「、おいで」
黒神が自身の膝を叩いた。
は頷き、膝に座ろうとした。
しかし、くるりと身体を反転させられる。
「逆だ。顔が見えないだろ」
今度は黒神と向かい合うようにして、その膝に座った。
黒神はを上から下まで目を通す。
「…本当によく似合っている。見立て以上だ」
「良かった。さっき、いなくなっちゃったから心配してたの」
「すまん。ちょっと、な」
黒神は言葉を濁した。
「ろりこん、だからしょうがないの?」
驚愕の色が黒神の瞳に現れる。
「…はその言葉の意味がわかっているのか」
「ううん。知らない。MZDは教えてくれなかった」
「知らないでいてくれ。頼む」
「わかった…」
返事後、唇を突き出し面白くなさそうにする。
黒神は小さく舌を打つ。
「くそ。あの野郎は…」
黒神はの胸元を撫でた。
その時にはもう毒づく顔は消えていた。
ただうっとりと、笑む。
「最後までリボンかネクタイで悩んだんだ」
「いつもみたいにリボンじゃないんだね。リボン可愛いのに」
「だが、も可愛いだろ。
それなら同じ属性を重ねるより、ネクタイでかっこよさを入れたほうがいい」
「…凄い考えているんだね」
「ま、まあな」
感心するに対し、黒神は曖昧に答えた。
それに続く言葉を二人は何も言わない。
部屋には静寂が訪れた。
しばらくして、黒神が口を開いた。
「…、冷たく突き放して悪かった。あの後一人で食事をさせて…」
「…ううん。私も意地を張ったのが悪いから」
二人は申し訳なさそうに俯いた。
「寂しかったか?」
「だって、黒ちゃん一緒にいてくれなかった。初めて一人で食べたんだよ!」
「…すまない」
の勢いは止まらない。
「怒らせたのはごめん。でもご飯を別々なんて、それは嫌」
「すまん」
黒神はただただ謝罪の言葉を口にした。
勢いを失ったが、静かな声で問いかける。
「…あのね、黒ちゃん。黒ちゃんは私がジャックと遊ぶの嫌?」
「いや…別に、そうではないが…」
「他の人と一緒にいるのは?」
「どういうことだ?」
黒神はを見上げた。
「ジャックに聞いたの。私と毎日遊ぶと黒ちゃんが怒るから駄目だって。MZDが言ってたって」
「っち。アイツめ」
黒神は小さく毒づく。
「黒ちゃんが心配してくれるのは嬉しいよ。
でも、私の知らないところで誰かに何か言わないで」
「誤解だ。俺は言えと指示していない。アイツの独断だ」
「でも」
の言葉を遮る。
「俺はが色んな奴と関わることを推奨している。
…だから、俺が裏で動くことは無い」
「…本当に?」
「本当だ。は自由にしろ」
「……うん」
は小さく頷く。
そんなを見ながら、黒神はの後ろで拳を握り締めていた。
手の色が変わるほどに。
「…」
は首をかしげた。
「抱きしめても。構わないだろうか」
満面の笑みを浮かべたは、何も言わず背中に手を回した。
続いて、黒神の手がの背に触れる。
「不安はないか」
「…怖いよ。だって、知らない人たちばかりなんでしょう」
「あぁ。そうだな」
「それに私、普通じゃないから、変だから、だから」
悲痛に変わる声を、黒神は大きめの声で遮る。
「少し珍しいだけだ」
「…MZDも同じこと言ってた」
一瞬嫌な顔を浮かべる黒神。
「とにかく!は変じゃない。普通の、人間だ」
「うん…」
はきゅっと両手に力をこめた。
そんなの背を撫でる。
「そうだ一つ忠告しておく」
背中の手がゆっくりとの腰を撫でる。
「くすぐったい」
「そうか」
その手は更に下へ這っていく。
「黒ちゃん、そっちはお尻だよ?」
「そうだな」
「そうだなって…」
双丘を優しく撫であげる。
だが次第に力が込められ揉みしだいていく。
「あのっ、ねぇ」
には黒神の表情は見えない。
両手で肩を押し、拒もうにも、黒神はしっかりと背中を抱いている。
更に手は下へと這いずる。
スカートを撫で、太ももをなぞる。
「っ」
の身体が小さく跳ねたことには気にも留めず、指先がスカートの下に潜り込む。
汗ばんだ手のひらが、同じく汗ばむ太ももに吸い付く。
じわりとした手が太ももを撫で回す。
「っひゃあ」
指先が下着のラインを撫でた。
「や、やだ。黒ちゃん、どうしたの?」
「怖いか」
を見る黒神は、どこか楽しそうであった。
「怖いよ!!だって何がしたいのかよくわかんない」
「そうだな」
「今までこんなことしたことないのに、どうしたの?」
「…確かにな」
黒神は自嘲気味に笑うと、スカートから手を引き抜いた。
「今、は怖いと思ったんだよな」
「怖いよ、びっくりしたよ!」
「…いいか。さっきみたいな恐怖を感じたら、その時は全力で逃げろ」
「そりゃ、怖かったら逃げると思うけど…」
「さっきだって結局逃げてないだろ」
「だって、黒ちゃんのことだから何か考えてると思ったんだもん」
顔を赤らめたの額を、黒神がツンと突く。
「それだ。下手に他人を信用してされるがままになるな。
恐怖っていうのは、人間の防衛本能によるものだ。
思考に阻まれるな。恐怖には従え」
「とにかく、怖い時は逃げる。だね」
「そうだ。相手が誰であろうともだ。MZDでもだぞ」
「MZDも!?じゃあ、黒ちゃん相手でもってこと?」
「え」
黒神は間の抜けた声をあげた。
「だ、だって、MZDもなら黒ちゃんもかなって、思ったんだけど…?」
首を傾げる。
「えっと、お、俺は、に対して危害は絶対加えねぇし。だから、…俺以外で」
最後に小声で付け足した。
「わかった。黒ちゃん以外の人は気をつけるね」
黒神は小さく息を吐き、胸を撫で下ろした。
「教えてくれてありがと。私もっと色んな人とお友達になれるように頑張るね」
「…ああ。頑張りな」
◇
「初日…どうだった?」
英語科教室。
ここは英語担当の教師が利用する場所である。
今はDTOとの二人しかいない。
「今日は凄く…疲れました」
パイプ椅子に深く座り込んだが俯いて言った。
「老け込んだな」
「疲れたせいです」
「明日もいけるか」
「…大丈夫です」
「あとお前にはな、ほれ」
はゆっくりと顔を上げた。
DTOの指差す机の上には、問題集が山になっている。
「小学生レベルからだ。何事も順を追うほうが頭に入るからな」
「有難う御座います」
背筋を戻し、DTOに頭を下げる。
ビニール袋に入れられた大量の問題集を回収すると、また同じパイプ椅子に腰を下ろした。
また気だるそうに俯く。
「嫌なことはなかったか?」
「…ない、です。ただ慣れなくて」
少し思案した後、は答えた。
「慣れなら大丈夫だ。回数を重ねればいい話だ」
「そうですね」
「今は珍しがられるが、すぐに皆飽きる。あ、別に悪い意味じゃなくてだぞ」
「大丈夫です。わかります」
「そういや、はどうやって帰るんだ。歩き?」
「今日は迎えに来てもらいます。場所覚えてなくて」
「…ん?」
DTOが疑問符を浮かべる。
は察して、説明をした。
「私は数えるくらいしか外に行ったことないんです」
「箱入り娘だな」
「そうですね」
その後もぽつぽつと会話を重ねていると、扉の前に眼鏡の青年が現れた。
「遅くなってすまなかった。大丈夫か」
「黒ちゃん!」
は椅子から立ち上がり、黒神に向かって勢いよく飛びついた。
背丈の伸びた黒神はそれを容易く支える。
「帰ろう。影が飯の準備しながら待ってる」
「うん。今日いっぱいお腹減った!」
「弁当足りたか?影がそれを心配してた」
「少し足りなかった。あのね、男の子が大きいお弁当箱持ってた。
私ももう少し大きいのがいいな」
「そうか。じゃあ、続きは家で聞かせてもらおう」
が黒神を離し、DTOのほうへと向いた。
「DTO先生さようなら」
小さくお辞儀をする。
「ああ、また明日」
挨拶を見届けたは再度黒神に抱きつく。
黒神はを軽々と抱き上げ、頬を擦る。
その姿のまま、一瞬で二人はこの世界から跡形も無く消えた。
持っていなかったはずの荷物も消えている。
「これから大変だな…」
DTOはいなくなった空間に向かって呟いた。
(12/02/29)