第52話-氷面鏡のしずく-

ひどい、顔をしていた。
打ちひしがれた顔。
そう、まるであの時の──自分がどうでもいい存在だと理解した時の顔だ。
今のにはもうそんな記憶は存在していないのに、俺はまた同じ顔をさせている。


昨晩、門限を破って帰ってきたに違和感を覚えた。
もしかしてと思ったが、魔族の気配は検出できなかった。
正体は判らないが、だが只ならぬ気迫を感じた。
俺に対するあの目は何かを伝えようとしている。
危険を察した俺は、を軽く避けた。時間を置いて緩和しようと思った。

しかし、次の日も前日に劣らぬ圧を放っていた。
けたたましい警報が俺の頭に鳴り響く。
絶対に聞いてはいけない。またふらりと逃げてしまおうと思った。
でもはそれを許してくれそうになかった。
爆弾のような言葉が投下されるその前に、俺は両断した。

「やめてくれ」

時間稼ぎの言葉を置いて、俺はまた逃げた。
が紡ごうとしている言葉を聞けば、きっと全てが壊れていく。
破壊の神が破壊を恐れるとは皮肉な話である。

「……なんで、お前もついてきた」

何も語らない従者を睨み付けるが、まるで効果がない。

「今のを一人にするのは判断の誤りである自覚は?」
「ありまセン」

堂々と断言するものだから、俺は影が何か知っているのかと思って尋ねた。

「お前は、の考えていることを知っているのか?」
「……」
「だんまりか」

知っているのならば情報を開示すればいいものを。
以前は影が見聞きした全てが筒抜けであったというのに、最近は常に遮断されている。
無理やりにでも口を開かさなければ、影は語らないし、知ることも出来ない。
この変化もきっと、によるもの。の為の変化だろう。

「お前は俺なんかより、についた方が良いんじゃないのか?」

嫌味を言ってみるが、影はいいえと首を振る。

「私のマスターハマスターだけデス」

俺はその言い方を不愉快に思う。

「俺は影にまで同情されてるのか?」

俺と影は、厳密にいえば何の繋がりもない。
無である影は神が創り出したものではなく、かと言って生まれが同じわけではなく、
対等でもないが、どちらが上とも言えない。
だから、影が俺に従う必要はないのだ。

「イイエ。私は貴方と何処までも共にいるコトを決めたのデス」
「……理由になっていないが?」

追究しようにも影はふわふわと笑うだけ。
よく似ている。誰とは言わないが。誰とは、な。

「ふん。お前はこの数年で大きく変わったよ。生意気だ」
「それはマスターも同様で御座いマス」

ここ数年での変貌は自覚している。
たった一人の人間が、神と、存在すら曖昧な無の塊に与えた影響は大きすぎた。

「……不快だ」

人に指摘されるのは真実であってもいい気がしない。
それがまた、アイツによく似た笑みをするものだから。尚更だ。

「なぁ、影。お前はの事が好きか」
「勿論で御座いマス」
「何故?」

何故、どうして。
このやり取りは何度目か。
同じ相手に何度も理由を尋ねているのはどうしてだろう。

「私に個人的感情を与えてくれたカラ……と言えば判りヤスいのでしょう。
 シカシ、本当にそうなのかと問われると難シイもの。
 アノお方と接する事で積み重ねたものが、私に彼女を好きだと思わせてイルのであって、
 決定的な何かは、無いように思えてきまシタ。
 あのお方を慕う気持ちは変わらねど、ソノ想いの形は日々少しずつ変化している気が致しマス」

率直に言えばを特別に、そして継続的に想っているということ。
機械の様に心のない影がここまで変わった。俺も変わった。
そして、を想う気持ちも、影と同じく、変わらず続いて。

「無から有が生まれるなんて有り得ない。
 なのに無そのものである筈のお前が、そんな事を言うのはおかしい」
「ナラバ、私が無の世界にいたのもオカしな事では?
 あの世界は何もアイ。あの世界に行ケバ何でもなくなる。
 なのに私はあそこにイタ」
「……それは、俺も未だによく判っていない。何故お前がいたのか。俺たちはお前を作ってなどいないはずなのに」
「だったら、私の変化も有り得ない、と言う事ハないのではアリマせんか」
「……そうだな」

上手く言いくるめられてしまった。
だが俺も、こんなことを解明したくて話を振ったわけではない。
ただ想いを否定してどういう反応するか試しただけ。

「俺はの事だけを想っていた。
 俺が俺でいる為に、は必要だと思っていた」

怪訝な顔をする影に続ける。

「だから、恋人ごっこにも興じた」
「マスター」

影が非難するのも無理はない。
だって、俺とを最初からずっと見ていたのは、影だから。
俺の言葉が嘘であることも見抜いている。

「全ての事象が失われたんだ。もう……に、執着しなくても良いと思うんだ」
「……何故デス」

俺に流れてくる。影の感情が。
なんだ、こんな時にはちゃんと繋げてくるんじゃないか。
……本当に繋がってる?それとも、これは俺自身から沸き上がった感情?

どちらでもいいか。
大事なのは感情ではなく、理性だ。従うべきは。

は俺がいなくても困りはしない。
 あの子は俺と違って人間で、受け入れてくれる同種族がいる。
 指輪さえ隠せばやっていけるだろう」
「では、マスター。その過程においてサンが他の方を愛しても良いのデスね」
「ああ。構わない」
「……嘘デス」
「嘘なものか」

が、他の奴を愛す……か。

頭の中で、はもう何度他の男を愛したか判らない。
人間の時もあった。魔族の時もあった。幽霊や、悪魔の時もあった。
実の兄と交じる事だって想像した。

夢の中のはいつも俺にだけ視線を向けなかった。
まるで存在してないかのように。
起床すれば、慌ただしく準備をするが「おはよ!」と挨拶をしてくれるが、
胸を撫で下ろす事は出来ず、これこそ妄想ではないだろうかと疑った。

俺はいつも不安だった。忘れられることを恐れていた。
実際のところ、はあの一回しか俺を忘れたことはないし、俺の存在を消すこともなかった。
俺は勝手に騒いで、勝手に嫉妬して、勝手に傷ついてた。
そして、壊してはいけないものを、無自覚に壊そうとしてた。
これは破壊を司る事が関係しているわけではない。
俺自身の弱さ故に力に溺れた結果だ。
原因が判っていても俺は自分を抑えられる自信はない。
壊してしまうくらいなら、いっそ。……手放す。

「……ならば、それがヴィルヘルム卿でアッテも、平気なんですヨネ」
「あいつは別だろ。魔族は人間にとって危険な存在だ」

例でももっとマシな奴がいるだろうに。
なんであんな奴を、わざわざ。

「もっと別の奴にしろ。ほら……人間とか」
「人間、デスか。そうでスネ。ナラ十年もしないウチニご結婚なさったりスルンでしょウね」
「そうじゃねぇの。寿命の短い人間はそれくらいで婚姻を結んで次世代へ引き継ぐ準備を行うからな」

なんだよさっきから……。

サンは女の子ですから、お嫁に行ってしまわれるのデスね」
「婿に来られたって迷惑だ。人間如きが邪魔な」
「……マスター」
「は?ったっく、今度は何を言うつもりだよ、お前」
「……あの方を手放すとおっしゃってイル方がどうしてソノようナ顔をなさるのデス」

俺は。泣いてなんていない。

「別に。見間違いだろ。必要以上に見んな」

そうだ。人間は一対になるとその後もずっと共存する生物だ。
性交したら即座に別れる種族ではない。
だから、伴侶となれば死を以てして漸く離れることが出来るのだ。
基本的には、だが。実際は考え方の違いで別れる事も多いわけだが。

原則に則って言えば、が誰かを選べば俺はもうの傍にはいられない。
黒神と言う存在はが誰かと関わる中では邪魔なだけだ。
神は、特定の種に近づき過ぎてはいけない。贔屓する訳にはいかない。
混乱を招くだけだから。といられたのは、外に出ず他人と関わらなかったからだ。
誰も知らなければ、俺が一人に思い入れようと問題はない。
だからが別の誰かに思い入れた場合、そいつに俺との近さを知られると非常に面倒なことになる。
自身も何かあれば俺を頼るだろう。今までは良かったがもう駄目だ。
俺の力は誰かの為にあるものじゃない。
世界の為だ。

「……俺は考えを曲げるつもりはない。の事は、ただの、子供として見る」

俺は世界の奴隷だ。奴と同じく。
それで良いのだ。

「……本当に宜しいのデスネ」
「ああ。前言を撤回するつもりはない」
「判りマシた。ナラバそのお言葉、サンにお伝え致しマス」
「……」

散々振り回しておいて、今更手放されたって困るよな。
本当の本当は、規約を破ってお前を生き返らせてしまった事が。そもそも…。

「……いや、には自分で言う。俺が招いた結果だ」
「承知しまシタ。デスガ」

影は深く息を吐いた。

「私には判りまセン。マスターがそのヨウにお決めになった理由ガ」
「なんだ。お前はてっきりを歪める俺が執着を失って安心したと思ったぞ。
 もうこれで、無理強いをせずに済むんだ」
「……そうでショウか」

もう一度、言った。

「本当に、ソウでしょうか」
「無理だと思ってんだろ。馬鹿にするな。
 それでも俺はやらなきゃならねぇんだよ」

これはを守るためだけじゃない。
でもそれは誰も知らなくていい。
本当の意図なんて。

「判りマシた。私はマスターの指示に従いマス」

どうだか。最近の影は俺から離れ、自我が強くなってきた。
言葉はどうも信じられない。

「私は一足先に帰りさんの様子を見ておきマス」
「余計なことは言うなよ」
「勿論です。私が言うべき言葉は何もありまセン」

そう言って影は消えた。
絶対嘘だ。何か言うに決まってる。
余計な事を吹き込む必要はないのに、あいつも厄介な奴だ。

俺は大きく息を吐いた。
俺の中に色々な考えが渦巻いている。
でも、すべき事は決まっているのだ。
このまま誰もいない空の上で心を落ち着かせた後に俺も帰ろう。
今までを振り回して傷つけ続けてきたが、それももう終わらせよう。

と出会って沢山の事があった。
が死んで沢山の事があった。

数えきれないくらいの幸せがあった。
数えたくないくらいの不幸せがあった。

ただと幸せに暮らしていければいいと思っていたのに、
は死ぬし、忘れるし、俺以外の奴と関わるし、俺がキレたら泣くし、嫉妬で傷つけたらどんどん離れていくし、……ロクなことがない。
それの殆どが俺のせいなのだが。

よくよく過去を思い起こすと、が俺を傷つけることはなかった。
俺への反撃や他を守る時くらいで、一貫して俺を好きでいてくれた。
破壊を司るという性質を理解し、受け入れてくれた。

なのに、なんで俺はこんななんだ。
傷つける事だけはお手のもの。疑心だけが活発。不安を原動に言葉は止まらず。

どうすれば良かったんだろう。
記憶を失ったは辛い過去も同時に忘れた。
それなら幸せな記憶だけで満たしていけた。
その中で俺という神を信頼してもらい、少しずつに愛の何たるかを教えれば良かった。
俺がどれだけを大切に思っているか、大事に思っているか、感謝しているかを、もっと言えたはずだ。

外に出始めのを思い出してみろ。
は外を怖がっていた。
サユリやサイバーのお蔭で外の楽しさを知っていったが、だからと言って俺の傍が楽しくないとは言わなかった。
一緒にいると安心すると、小さな体をすり寄らせてきていた。
二人でいるのが楽しいとあんなに笑って言っていた。

どう考えたって、は俺を一番に好いてくれていた。自惚れではなく。
だったら俺の目的はその時点で達成しており、不安になったり怒る理由はなかったはずだ。
なのに、俺はを脅したり、性的に暴行したり、以外の奴を殺したりしていた。
何故だ。どうしてそんな無意味なことを。
結果的にを俺から遠ざける事になるのに。
馬鹿すぎる自分が嫌だ。今更後悔したって手遅れなのに。

……今だから、こんな風に思えるが、その時は必死だった。
を取られるのが怖くて、誰かの元に行くのが不安でしょうがなかった。
心の中で増殖する靄を払う事に心血を注いだが、望んだ結果が得られていないのは現状を見れば明らかだ。

何をやったところで、今更でしかないが、これで良いのだろうか。
黒神の呪縛からを解放すればいいと思っているが、それが正しいのだろうか。
俺はどうすればいいのだろう。どうしたいのだろう。
は、どうして欲しいんだろう……。

「こんなところでなに黄昏てんだよ」
「……なんだ、お前か」
「どう?嬉しい?」
「逆だ」
「あらあらツンデレっちゃってー」

突然目の前に現れたと言う事だけでもふざけているのに、またこの発言がふざけにふざけている。

「どうしたんだよ。浮かない顔してさ」
「お前には関係ない」
「ははっ。だな。オレはお前に嫌われっぱなしだし」
「自覚があるならさっさと帰れよ」

MZDは笑うだけで動く様子はない。
面倒な奴だ。ムキになればなるほどこちらの体力と気力だけが削られる。
俺が外に出ているという時点でに関することだということは見透かされているだろう。
影はこいつに何か話したのか。それとも俺の反応が外にあったことを訝しんでか。
なかなか一人になるのは、簡単そうで難しい。

「なぁ、見てて」

奴は雲を丸めると四足のものを作った。
それはむくむくと動き出すと、俺の周りをぐるぐる回っている。
鬱陶しいので壊した。

「なんだよ」
「じゃあ、こういうのは」

今度はただの丸だ。小さな羽が生えていて浮いている。

「だからなんだよ」
「やっぱそういうのは好きなんだ」

笑ってるのが腹立たしい。また壊してやった。

「いい加減にしろよ。何が目的だ」
「いいや。オレは自分の力を使っただけ。ただの遊びだよ」

様々な形のものが気ままに動いている。
この短い間にいくつ作ったのやら……数が多すぎる。鬱陶しいので何体かは壊した。

「さて。何体残るかな」
「だったら俺から引き離せ。近くにいるやつは全て壊すぞ」
「いいよ、それで。だってそれがお前の役目だ。
 オレが手遊びで創って、飽きたらお前が壊す。
 それがオレ達の遊びだったろ」
「いつの話だ……」
「そうだな。オレも昔って事以外は覚えてねぇな。ずっと前の事だし」

そういって空を仰いだ。
こいつが言う遊びというのは、まだ生物がそんなにいなかった時代の話だ。
暇に任せてこいつが創り、俺が壊す。
こいつは気の向くまま創るのは得意だが、始末が苦手で放り出したままにする。
それを始末したり間引いたりするのが俺。
全部俺に押し付けるなと言ったこともあるが、だらしがない性格が問題なのではなく、消滅に関する能力が低いと言う事だった。
嘘なのかと思って試したが、どうやら俺が何気なく出来る事が、こいつにとってはやろうと思っても発動しないらしかった。
逆に俺は何かを創るのは苦手で、発想することが出来ないし、何をやっていいのかよく判らなくなる。
才能とはこう言う事なのかと思ったものだ。

「黒神は、オレの能力の方がよかった?」
「は?」

腹立たしい。軽々しくそういう事を口にすることが。
俺がこの力のせいで、どれだけ。

「オレはさ、逆にお前の能力が羨ましかったんだー。
 力が交換できるなら、そっちの方が良いなって」
「またいつもの憐れみか?いい加減にしろ」
「そんなんじゃねぇよ」

珍しく苛立った低い声を放つものだから、すぐに言い返す事が出来なかった。

「羨ましいって言ってんだろ。
 そうやってお前は決めつけでバンバン言いやがって。
 普通の奴は嫌がるぞ?そういうの」

そんなのお前だからずけずけと言っているわけで。
あ。駄目だ。この考えがあったから俺は、あの時MZDを……。

「破壊から生まれ破壊に魅入られたお前が次々と壊していく。
 それは存在であり関係であり時間であり心であり。
 ……なのにさ、どうしてお前は好かれてるの?」
「戯言もいい加減にしろ!俺がいつ好かれた!いつ受け入れられた!排斥と抹消を願われなかった日はいつなんだ!!」
「じゃあは何」

数えきれない程の好きを言ってくれた

「それに…………このオレも」

立て続けに提示される言葉に俺はすっかり不意を突かれた。

「……は、はぁ?は判るとして、なんで」
「言っててほんっっとムカつくつーか、悔しくて、虚しいんだけどさ。
 ……オレはお前が好きだよ。きっとお前には全然伝わらないんだろうけど。
 半身だから好きってのがこれっぽっちもない、って訳にはいかないけど、
 お前の真っ直ぐな所も凝り性な所も、が好きすぎて頭おかしい所も、全てを壊せるその力も、全部まるっと大好きだ」

全ての肯定。
それに対する俺の答えは。

「そんなの嘘だ」











びくりと、の身体が大きく震えた。

「なにこれ……。変だよ。変。何があったの。どこ」

顔を向けるも、影に首を振られる。

「落ち着いてくだサイ」
「落ち着けないよ。さっきから心臓がバクバクする。これは私じゃない。外的なものだよ」
「そうですカ?でも貴女はここにいなければいけないのでス」

と、MZDの影が平然として言った。

「……てことは、黒ちゃんだ。ううん。この感じは二人、かな?」

神の力を少しだが操る事が出来るは、MZDと黒神ほど強固な繋がりはないが、
特定の条件下では様々な情報を得ることが出来た。
今も、理由を話す様子がない影には頼らず、指輪を介して双神へ探りを入れようとしている。

「協力シテ頂けマスか?」
「……仕方がありませんネ」

影と影は一つに融け合い、無そのものになった。
神が輪郭を与える前の姿へ。

サン。コチラヘ」
「理由は。言ってくれなきゃ従わない」
「そういうスタンスでも良いですヨ。今の私には些細なこト」

無がに覆い被さった。
神の紛い物でしかないはゆっくりと力を失い無の中で漂った。

「手荒な真似をどうかお許し下サイ。マスターと貴女の為なのデス。そしてMZD様の為ニ」

その言葉もには聞こえない。

「貴女の一部を私が飲み込むコト。貴女に謝ることも出来ないコト。
 許さずとも、お受入れ下サイ。貴女はマタ、私たちの手によっテ──」











「ぶぁ~~~~~~か!!」
「っと、落ち着け。チィッ!」

力の流れがむちゃくちゃだ。
こういう訳の判らない動きはいなしにくい。

「ンでだよ!!!マジ信じらんねぇ!!!」
「俺にはお前の行動の方が信じられねぇよ」

いっそ反撃して動けなくした方が良いのかもしれない。
こいつは決して強いわけじゃないが、その分しつこい。ガキみたいだ。

「そうやって手加減してよぉ!お前こそオレの事馬鹿にしてるだろ!」
「俺が本気出したらお前でも勝てねぇって知ってんだろうが……」

破壊を目的としなくとも、こういうものは俺の方が強いのだ。
手足を使った喧嘩では誰にも負けたことがない。

「ンなのやってみなきゃわかんねぇだろ!!オレにだってワンチャンあるかもしんねぇだ、ろ!」
「っつ。テメェは……」

こいつは力がない訳じゃない。ただ、力の使い方が下手だ。
ある程度力のある奴とやりあう機会が多かった俺としては、こういう相手は苦手なのだ。
手加減するのも苦労する。だからそろそろ、潰しにかかろうか。

「お望み通り、ちょっとだけ本気だしてやるよ」

掴みかかろうとした奴の腕を掴んで背後を取る。その腕を捻れば奴は動けな、

「後ろ取るの好きだよな」

空間を転移した奴は同じく背をとったらしい。しかしそれで優位に立ったつもりか。

「お前は勝てない」

創造でも破壊でもない、転移に関しては速度は互角。
だったら力で捩じ伏せる。
掴めば転移ですり抜けるのなら、その前に潰す。
腕の一本や二本くらい壊れたって不死身の身体には関係ないだろ。

「っつぅ!!!」
「終いだ。とりあえず落ち着け」
「……なーんてな」

目の前にいるはずなのに声が耳元で聞こえる。
防御は間に合わない。俺は衝撃を覚悟した。

「ってぇな」
「手抜きしたお前が悪い!」

小馬鹿にして笑う自分とそっくりな顔にプチっと何かが切れる音がした。

「…………上等だ」

速さとか、作戦とかそんなものは関係ない。力さえあれば。
まして俺は「黒神」と世界にお墨付きを貰ってる。

「ホラ見ろ。やっぱりテメェの負けじゃねぇか」

俺に踏まれているMZDは何故か不敵に笑う。

「お前の負けだよ」

罠だろうか。まだ身体の変化はない。
くそ、何をしやがったんだ。

「だってほら、まだオレは動ける。くらっとはするけどそれだけだ」
「は?どう考えても勝負はついただろ」

もしかして、ただそれだけ?
何かを仕掛けたわけではなく。動けるから勝負はついていないと。

「いや、勝負は俺の勝ちだ。お前がオレを完全に壊さなかった時点でな」
「さっきからお前の言ってる事は変だぞ」
「変じゃねぇよ。お前は始終オレを屈服させる気はあっても、存在を消そうとはしなかった。 ──あの時みたいに」
「あ、あれは……」

俺の力で存在を砕かれるMZDを思い出した。
苦い、思い出だ。消える事のない罪だ。
あの時の事を思い出すと、後悔が溢れてくる。
なんで、俺はそこまでやってしまったんだ。
本気でMZDを殺そうと……。

「破壊という概念から生まれたお前が、破壊を拒むとはやるじゃん」
「この場合は違うだろ!あの時は……。
 暴走の末の、俺の未熟さが原因なだけで、本来片割れである俺はお前を壊すようには創られていない」

そうさ。俺が壊してしまいそうになるのはだけじゃない。

「お前と俺で一人の神なのに、破壊して不完全にする方がおかしいだろ……。
 どちらかがどちらかを倒せるようなシステムを世界が創るわけがない」
「じゃあ世界が言うから、オレを壊さないだけ?」
「違う。そんなんじゃ」
「なら、どんな理由?」
「……。俺は、お前だ。お前は俺でもある。双神は揃って完全体。欠ける事は……変、だろ」
「シンメトリー崩壊に対する違和感?」
「そうじゃない……」

そう言う事ではなくて。
俺は…………。

お前を本気で壊そうとして、お前がいなくなるかもしれない状況に陥って。
何をやってもいつも笑ってたお前があんな感情を吐露していた。
怒りも絶望も、お前には全然似合わない。
神を喜ぶお前が、神を否定した。

全部俺のせいだ。
お前がいつも俺を見ていてくれたから、俺が何をしても許してくれていたから、俺は甘えてた。
馬鹿だと思う。あれだけ拒否しておいて、存在を否定しておいて、
お前がいなくなるかもしれない事に恐怖を感じ、お前の声を聞いてお前の思ってる感情を知って後悔した。

その時思ったんだ。

「……俺には、お前が必要だ」

思いたくなんてないが、俺はずっとお前に寄りかかっていた。
お前がいたから、俺がいた。

「…………」

ぷいっとMZDは背を向けた。

「…………。まさか、黒神が、そんなこと言うなんてな」

肩の震えを見なくとも判る。俺たちは繋がっているから。
強すぎる感情は勝手にこちらに漏れてくる。

「信じなくていいさ。夢だと思えばいい。こんな言葉を今吐いた所で」
「信じるさ」

くるっと顔を見せたMZDはいつものように、笑っていた。

「だって、黒神の兄貴だもん。大事な大事なオレの片割れだ!」

そうだ。俺の知るMZDはそうやっていつも笑っていた。

「オレとお前は二人で一人。何があっても揺るぎはしない。
 なーんて、に嫉妬されちまう?」
「馬鹿言え」
「だってさ!今スッゲー嬉しいよ!!!
 お前はオレの事が大嫌いになっちまって、顔を合わせば鬱陶しいと煙たがられてた。
 ずっと辛かった……。
 そんなお前が、あの日を連れてきた。
 何もかもが嫌いと言ったお前が人間と住み始めた。オレじゃなくて。
 猛烈に嫉妬したよ。あの時のオレは自分でも醜かったと思う。
 でも、少しずつお前はオレを見てくれるようになった。話してくれた。
 舞い上がってたけど、よく見ればお前はしか見て無かった。
 の為にオレを見るふりをしていただけだった。
 そりゃ、普通に話せるようになったってだけでも大きな前進だけどさ、
 オレはそれをゴールとは思いたくなかった。満足なんて出来なかった」

確かにな。
俺はお前を道具として見ていた。
の為になら、俺は何でも出来た。
嫌いな奴とも……お前とも関われた。

「オレは、ずっとお前に振り向いて欲しかった。
 創造と破壊の神として向き合うんじゃなくて、普通の兄弟として顔を合わせていたかった。
 お前の中にあるオレへの敵意が全部消えていって欲しいと、そう思っていたよ。
 でもそれは、難しいよな。感情がある今のオレ達じゃ理屈でどうこうじゃねぇし。
 だから、憎い気持ちはそのままでもいいよ。
 の事が大好きで周りが見えなくなるお前で良いよ。
 ただが気を遣うから嫌々普通を装ったり、力の利用のためだけにオレを見るのはやめてくれ。
 オレは難しいことは言っちゃいない
 ただ普通にオレの事を好きになってくれよ。
 オレは弟の黒神が、大好きだぞ」

情けないこと言ったせいで気分が悪くなると思ったが、なんだろう今は清々しい。
これならもっと早く、伝えておけば良かった。

「別に昔のような憎さはないさ
 俺は前よりは自分を肯定できているし、お前が作り出す生物の全てだって嫌ってはない。
 一部はでなくたって関わっていける。
 ただきっかけがなかっただけだ」

全てが嫌いと言っていたのに、今更言えないだろう。
なんだ、良いものもいるじゃないかって。

「……はは、今日はなんて日だよ……本当に夢なのか」
「何度も言ってるだろ。夢にしておけば良いと」
「いいや!夢オチにしてたまるか!」

なんだよその、締まりのない顔は。
もう少ししっかりしろ。俺の、半身ならば。

「じゃあさ、じゃあさ!オレの事どう思ってる?」
「どうって……別に。嫌いではないが」

嫌な予感がする。

「嫌いじゃない。なんて言葉じゃ今日のオレは引けねぇなぁ~」
の次」
「そうじゃねぇだろ?」
「じゃあ、影の次」
「ちげーーよ!!!」

ああもう、鬱陶しい。

「す……すー……普通だよ」
「普通!?」

また食いついてこられそうだ。
ちゃんと言うまで引かないのだろう。
厄介だと思っていると、にへらと笑った。

「そっか!嫌いじゃないなんて大進歩だな!」

なんて本気で喜んでいるもんだから、自分がしでかしたこととはいえ哀れに思った。
改めて思う。俺は相当酷いことをしていたんだなと。

「オレはお前の一番でなくてもいいんだ。
 でも、お前はオレの中の一番だぞ!」
「気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよ……」
「知ってるくせに。オレはお前と違って神の体のまんまなんだから、性的欲求なんてないっての。
 雰囲気に押されることはあるし、おっぱい好きだけど」
「品のない言葉を使うな」
「言わないだけでオレ以上に思ってるくせに~。んもう、ムッツリなんだからっ!」
「殺す」
「はは。そう怒んなよ」

なんで人間に身体を作り替えた俺より、人間っぽいのか。
半身故殆ど同じ作りであるはずなのに。

「で。お前にとっての一番のあの子はどうするつもりなんだ?」
「…………手放そうと思う」
「は!?なんで!?」
「いや、だって……」

言えるか。
影にも言えなかったんだ。
MZDにあんな顔させた俺が、といていいのかと。
二人でいることを選んでいいのかと。

「もしだぞ、オレに遠慮して諦めるとかだったら殴るぞ。
 オレにとばっちりとか超迷惑だぜ」

これは遠慮なのか。
そんな他人を気遣う様な事ではなくて、狡さ故のような気がする。
自分の事なのにどう在ればいいか判らず、とMZDの反応を見ながら手札を見せている。
その事からも俺は二人が離れることを良しとせず、俺にとって欠けてはならない者なのだと判る。
はともかく、こいつをそう認めるのは気が進まないが、やっぱり俺はMZDあっての俺だと思う。

「そりゃ、お前とがスッゲー仲良くてさ、オレだけ仲間外れっつーか、嫌な時もあったけどさ。
 もう今はそうじゃねぇから。には感謝してるし……頑なに他人を拒んだお前をここまで変えてくれたからな」

たった一人の人間との交流で自分がここまで変われるとは思ってもいなかった。
には感謝してもしきれない。
でも、壊れるギリギリのラインで俺を留めてくれたMZDもそれなりに評価していいと思う。

「……なんでそんな変な顔してんだ。ムムって」
「別に」

今日の俺はおかしい。
なんで俺がMZDなんかを褒めてやらなきゃならないんだ。
もう何も言わない。明日からはいつものように馬鹿にしてやる。

「悩んでる暇はねぇんだぞ?急がないと、はお前の手からすり抜ける」

神妙に言うMZDの目は真剣で、ただ事ではないものを感じた。

から逃げてるって事は何かあったんだろ。
 今ここで捕まえておかないと、お前、後悔が止まらないぜ。
 オレ達死なねぇんだからさ、一度後悔したら乗り越えるまでしがみ付いてくるぞ。
 逃げる事なんてできねぇんだからな」
「判ってる」

乗り越えられなかったから俺は禁忌に手を伸ばした。
だからと言って、全てが思い通りに行ったのかというとそうではなく。

「本当に判ってんのかよ……不安になってくるよ、オレは」
「いちいち煩い奴だ」
「ばーか。……言ってるだろ。そうやってオレをウザがってる暇なんてこれっぽっちもないって」
「何か知っているようだが」
「言わない。お前がのんびりしてなきゃ多分、大丈夫だと思うから」

ここまでしつこく言うと言う事は確実な情報を持っている。
それで早くと付け加えるのだから、信用していいのだろう。
今のは一人だ。何処へ行くか判らない。急ぐか。

「ならお前の言う手遅れとやらにならないよう俺は帰る」
「それが良い。オレもそろそろ帰るよ。色々ほっぽりだしてるからな。影に説教されちまう」

消える間際に、MZDはにこりと笑った。

「黒神が産まれてきてくれたから、オレは神でいられるんだぜ」

何を言ってるやら。
俺は素直に口角を上げてやった。
これ以上喜ばす義理は無いから絶対に言わない。
MZDが自分の半身でいてくれるなら、きっとこれからも大丈夫だと。













ソファーの端で小さくなって座ってる。こういう所は、どうして記憶を失う前と同じなんだろうな。

「あ、黒ちゃん……」

気怠そうに視線を向ける。寝ていたのかもしれない。
良かった。何処にも行っていなくて。

「まず、謝りたいことがある」

の足元に膝をついた。

「言いたいことがあったを拒んですまなかった」

急に顔を強張らせた

「それはもういいよ。気にしないで。考えることがあったんだよね」
「ああ。でもそれももう終わった」

手を取った。小さな手だ。
でも会った頃より少し大きくなった。

「俺はを諦めなくて良いか?想ってても良いのか?」

噴き出してくる後悔の渦。
謝らなきゃいけない事が溢れてくる。
でもすまない。それよりも前に言っておきたい。

「もう一度、を俺に下さい」

やり直しじゃなくて、新たなスタートで。

は跪く俺と同じく床に膝をついた。
目線の差はあまりない。すると、から小さくキスされる。

「……また、一から教えてくれる?」

頬でも額でもない。俺に強制されたからでもない。
自分から、してくれた。

「……何度だって伝えるさ」

泣きそうになりながらも、俺は必死に格好つけての唇にキスをした。





(14/06/25)