朝、ジャックはいなかった。
MZDに聞けばそもそも昨晩会っていないとの事。
影ちゃんはMZDにジャックの事を頼んだ筈では無かったか。
一抹の不安が過る。まさかジャックに何かをしたのだろうか。
私はその考えを即座に振り払う。
対応したのは影ちゃんだ。疑う必要はない。
何もしないはずだ。
例え、それが主の命令であっても……。
「、おはよ!今日も頑張っていこうぜ!」
「おはよう、サイバー」
疑心暗鬼な心は微笑の裏に押し込めた。今度は別の事が心を占める。
昨晩ヴィルヘルムと対話して初めて、私はサイバーと今の関係以外を望んでいないことに気づいてしまった。
解を見つけてしまった瞬間、私には彼にそれを伝える義務が発生する。
例えそれが、今までの付き合いを揺るがす事でも。
「な!絶対その方が良いって!」
「うん!そうだね」
サイバーからの話が一切頭に入ってこない。
いつもの楽しい話は"ごめんなさい"の文字に埋め尽くされる。
このまま気づかない振りをしていたい。
無知を貫き通して笑っていたい。
今なら様々な人に苦笑されていた意味が判る。
判らない事は無責任であり、他人の犠牲に胡坐をかいているようなものだと。
今までの私はそれで許されていた。
でももう。知ってしまったから。
「もう学校かよ。折角邪魔がいないってのに短くてしょうがねぇな」
照れながらも臆さず恥ずかしい事を言うサイバーに、笑みだけ返す。
結局その後、いつも通りの日常を送ってしまった。
二人きりという機会に何度も恵まれたというのに、言うべき言葉が喉の奥に突っ掛かったまま。
そんな自分を情けないと思いながらも、ふと頭を過るのは自身の中に見つけた新たな感情。
授業中だというのに頬が変な風に動くのを止められず、顔を伏せて誤魔化した。
だって、あの、あの!ヴィルヘルムである。
そんなヴィルヘルムがあんな事。しかも、あれを嬉しいと思う自分がいて。
おじさんが押し入れに洗濯物やら雑誌やらを乱雑に押しこむように、
周囲から絡みつく様々な問題を追いやり、どこかの仮面魔族の事ばかり考えている自分は思う以上に重症で、自分勝手だった。
馬鹿みたいだと思うが、今の自分はそれしか考えられないと言っても過言ではない位にカニパンに侵食されている。
私がこんなに訳が判らなくて困っているのに、きっとヴィルヘルムはいつも通りなのだろう。
それを思うと無性に悔しくなってくる。
「ちゃん。どした?今日マジでおかしいんだけど」
「ううん。普通、だよ?」
ニッキーは凄い。
表に出しているつもりはないのに、私の変化に気づいて声をかけてくれる。
もしかすると自覚が無いだけで表に出ているのかもしれないけれど。
でも今回の事は秘密なの。
「ならいいけどよー」
と、ニッキーは言った。納得した様子は無い。
けれど追究してこないと言う事は聞いても無駄だと諦めているのだろう。
「じゃあさ、ちょい良いかな?……ああ、いや、やっぱいい」
ニッキーは首を振って自席へ帰るとクラスの誰かと話し始めた。
何を言いかけたのかとても気になったが、そのせいで私の事を追究されると困るので諦めざるを得なかった。
また友達に言えない事なんて抱え込んで、馬鹿みたいだ。
サイバーにだって、言われたじゃないか。
皆に感じさせている、私に踏み込めない一線。
あれを言われたのはショックで、出来れば秘密なんて止めたいのだが、
なんとなく、ヴィルヘルムの事は誰にも言ってはいけない。そう思った。
ヴィルヘルムが魔族だからではなくて、サイバーの事があるからではなくてもっと別の理由で。
◇
「ただいま」
「お、か、えりっ!!今日こそオレと一緒に遊んでもらうぜ!!」
帰って早々、効果音がつきそうな位に俊敏な動きで指差された。
こんな事をするなんて、MZD、今日は暇のようだ。
「どうしたの?お仕事終わったのかな?」
「だってぇーさいきんーろくにこっちにいねぇんだもーん」
子供みたいに頬を膨らませたMZDが文句を言ってきた。
でも私としては、ヴィルヘルムの元へ行きたい。
昨日の事、言葉を封じたからと言って決定的な言葉は一切言ってくれなかった。
私としてはその答えが知りたい。
あの時わざわざ仮面を外して私の唇に触れた理由が、私の思いこみじゃないって確証を得たい。
だが、果たして。
今日会った所でその答えを聞く事が出来るだろうか。
いつもみたいに顔を合わせられるだろうか。
ヴィルヘルムの事を考えただけでこんなに緊張しているのに。
期待に満ちた眼差しで私を見つめるMZDを見て、私は今日ヴィルヘルム城へ行く事を諦めた。
「判った。今日はこっちにいるね」
「やっりぃ!そうこなくっちゃな!」
指を鳴らすと、早く家にあがるようにと私を急かした。
「オレこっち。こっち」
ソファーに座ったMZDの指示通り、私はその膝上に座る。
足が少しでも痺れないようにと身体を縮めると、腹部にMZDの腕が回りしっかりと抱き留められた。
「もうちょい時間あったらなー。変なとこ連れ回したかったんだけど。
祠の引きこもりからかうとか、締め切りに追われてグロッキーな奴を笑いに行くとか」
「それ、私たち行かない方が良いんじゃ……」
MZDは神様だからか元々の性格か、自由気ままでちょっと自分勝手だ。
先の言葉が冗談なら良いが、MZDなら本当に実行しそうに思えてならない。
勿論超えてはいけないラインは私なんかよりずっと判っていて、
だから沢山の人に好かれ「MZDならしょうがない」という空気を作り出せている。
凄いと思う反面、私には絶対に出来ないなと距離を感じる。
……黒ちゃんもこんなこと思っているんだろうか。
あの日MZDを滅ぼそうとした心の根底にあるものは、彼への────。
「!何ぼーっとしてんだよ。神のお膝上だぜ?超々トクベツだぞ!
撫でてみ?この少年らしい瑞々しい肌を」
「あはは、ごめんごめん。すべすべだねー」
私と変わらない肌。黒ちゃんとも、変わらない。
でも、神なんだ。
知ってたのに、判っていたのに、私は最近になって彼らが神であることを凄く意識してる。
「……ねぇ、MZD」
同じなのに同じじゃないのが、違うから同じじゃないより、
ずっと、ずーっと怖いと思うの。
それが近しい人だからこそ、余計に。
「隣に座っていい?」
「……ん」
両手で私を掴んで隣へと下ろしてくれる。
こういう時特別な力を使わず普通に、そう、まるで人間みたいにするものだから、神への畏れに対する罪悪感で潰されそうになる。
「抱っこの気分じゃ無かった?」
「隣がいい」
見透かされるのが怖くて、ほんの少しだけ、疑われない程度に近づかない。
近づけない。
でも、やっぱりMZDには判っちゃうのかな。
「……、最近楽しそうだな」
「う……ん。いつも通りだと思うよ。うん、変わらないと思う」
「そうかぁ?なーんか、オレたちといるより楽しそうじゃん」
落ちついた声のトーンに心臓が大きく鳴った。
もう、判ってしまったのだろうか。
昨晩の事、ヴィルヘルムとの事。
「なぁ。はさ、黒神を……」
手を握られたかと思うと、そのまま強く握られる。
「まだ避けてるか?」
「……そんなつもりは」
駄目だ。この嘘は通じない。
「アイツがやった事は確かに度が過ぎてる。けど、そろそろ許してやってくんね?」
許すもなにも……私は。
「それともオレ間に入る?これでも一応お兄ちゃんだからな。何でも手伝うぜ!」
MZDは大きな勘違いをしている。
これはそういう事が原因ではない。
しかもMZDだからこそ、事態を好転させる事が出来ない事なのだ。
「いい。違うの。ちょっとだけ、ほんの少しだけ……。
……黒ちゃんが、怖かっただけだから……」
小声でほんの少しだけ本音を漏らすと、MZDはみるみるうちに表情を硬くし私は一気に後悔の念に襲われた。
「までそんな事言うのか」
おちゃらけた雰囲気とは一転し掴んだ手には力を込められる。
「アイツを一人にするって?お前まで?」
耐えられる程度の痛みではあるが、この先はどうだろう。
ヒートアップさせてしまえば、人間の私では考えられないとんでもない事になってしまうかもしれない。
正直な所MZDがここまでの反応を見せるとは思わなかった。
今更ながら、本当のことなんて言わなければと後悔している。
「そりゃあ、オレで良いならオレがするさ。
でもオレは、アイツにとって邪魔な半身でしかない。
なんたってオレを滅ぼす気で向かってきたんだ。
オレなんてアイツに絶対必要とされないんだよ!!」
激昂して声を荒げるMZDに愕然とした。
きっとずっと言えずに溜めていた彼の本音。
こんなこと、全く思ってないとは思わなかったが、実際に言われると改めてあの出来事の爪後が思い知らされる。
「ごめん……」
握る手を緩め、MZDは一転して申し訳なさそうに謝罪した。
「無茶な要求をしてるって判ってる。
だけは自由にしていてもらいたいって。
でも他にはどうする事も出来ねぇんだよ……」
消え入りそうになる声に、私は気まずさを覚えた。
黒ちゃんには私しかいない。
そう言われたって、私は黒ちゃんだけを見る事は出来ない。
勿論あの時はそう思っていたけれど、結局私は別の人の事を考えている。
惨憺たる出来事をすっかり忘れ、また私は自由気ままに子供を満喫していた。
身体は大きくしたけれど、心は今までと全く変わっていない。
「おい、MZD。何して」
半身の異変を察したのであろう、突如現れた黒ちゃんは私を見て酷く驚いた表情を見せると私とMZDの間に割り込んだ。
「に何してんだよ!」
「……来たのか」
興奮気味の黒ちゃんをうんざりしたように見やる。
その態度が黒ちゃんの気を煽り怒りを助長した。
「あんなに力が放出されれば気付くに決まってんだろ。
それより、まさかそれをにぶつけてはいないだろうな」
「ンなのするわけねぇだろ」
鬱陶しそうに返すとそのままMZDは姿を消した。
喧嘩をさせてしまったと残された黒ちゃんの姿を窺っていると、ぽつりと黒ちゃんが私を見ることなく言った。
「……追う。は心配しなくていい」
黒ちゃんが消え、私もその場から消えた。
◇
「勝手に入ってくんなっつってんだろ?」
帰宅したKKがアパートの鍵を開ければ、ちゃぶ台に向かってちょこんと座るの姿。
いくら厳重に施錠していようとも、普通の人間ではないからすると不法侵入なんて朝飯前。
別の意味での掃除屋をやっているKKとしては、自分の住まいに勝手に侵入される事は不快でしょうがない。
舐められているのならばこの機会に一度叱っておこうと近づくと、は普段とは違って笑顔が無く、またKKの顔を見ては泣きそうになるものだから、KKは言おうとしていた言葉を呑みこむ。
「……茶は自分で出せよ」
荷物を置いたKKはまるでがここにいないかのように普段通りに振舞った。
TVをつけ、買ってきた弁当に手をつけながら適当にチャンネルを変える。
その間はずっと下を向いて座っているだけ。
弁当の空容器を捨て、食後のタバコを吸っていると、「あの…」とが言うので、TVの音量を下げ、初めてに向き合った。
「……えっと、あの」
言葉が喉に痞えて上手く言えないに促したり、苛立ちを見せるわけでもない。
言えるまで辛抱強く待った。
そのお陰で、も意を決する事が出来、KKに尋ねた。
「自分の好きな事を貫くのと、他の人の事考えるのどっちが良いかな?」
「好きにしろ」
KKは即答した。
「一長一短考えて、どっちか選ぶしかねぇよ」
「でも、上手くいくか全然わかんないんだよ?」
慌てるを鼻で笑いながらKKは言う。
「ンなの、判るわけねぇだろ。
例えば、俺の仕事は成功の保障なんざいつもねぇ。
その判断も一瞬。その一瞬で生死が決まる」
銃で頭を撃ち抜く動きをすると、は顔を強張らせた。
「あの神どもも同じだ。
あいつらとんでもねぇ力はあるのにちっとも幸せに見えねぇ。
感情を持っちまった時点で、望みを持ったせいで、
奴らが満たされることは多分永遠にねぇだろ。
だったらちょっと変な女子高生の嬢ちゃんだって、100%望み通りにはいくわけがねぇだろ?」
疑わしいような表情を浮かべるの頭をぽんぽんと小さく叩いた。
「兎に角嬢ちゃんにとって、どっちがマシか考えな。
俺に言えることはそんだけだ」
うむむ。とは下を向いて悩んでいる。
「……でも、沢山の人が困らない事が大事だよね」
「さあな。嬢ちゃんがそう思うなら、そうなんじゃねぇの」
一切の助勢を拒否し、全てをに委ねた。
不服なのかは少し唇を尖らせている。
「ンな顔されたって、俺にはどうする事も出来ねぇよ。こればっかりは」
KKは乱雑に放り出していたリモコンを掴み、TVの音量を元に戻した。
「今まで自由にしてきた分、キッチリ片つけな。
こうしてる間にも、選択し終わった奴らが嬢ちゃんの前に立ち塞がるぞ」
KKはもう、を見ない。
視線はTVのままで、下らない出来事に笑っている。
その様子を、じっと見つめていたであったが、暫くして立ち上がった。
「有難う、おじさん」
は消え、狭いアパートにはKKだけが残された。
「……この世界が滅んじまうのもそろそろなのかもしれねぇな」
苦笑したKKは畳の上へと横になった。
信じがたいが、この世界は一人の子供に左右されるくらい脆いのだ。
◇
「おい!」
光も速い速度で世界を駆け抜けるMZDを呼び止める事が出来たのは半身である黒神だった。
「あり?どしたの?」
なんてヘラっと笑うMZDであるが、黒神は舌を打った。
「……俺が、悪かったのは認める。けど、それにを巻き込むな」
「それ、黒神が言えんの?」
ケラケラと笑い、判り易く小馬鹿にした。
しかし、黒神は怒ることなく、素直に自分の非を認めた。
「……そうだな。を一番傷つけてるのは俺だ」
語気を強め、黒神は続けた。
「でも、どうしたんだよ。お前がこんなこと…普通じゃない」
「じゃあ普通ってなんだよ。オレをなんだと思ってるんだ?」
指を鳴らせば、満点の星空が消えて太陽が顔を出す。
地上に居る民は神の奇跡だと、終末の始まりであると騒いでいる。
「オレこそ、神としか見られねぇよ!!
一番近くにいるお前が一番神としてしかオレを見ない!!!
お前自身それを嫌悪してるくせに!!だから個人として見るを求めた癖に!!」
怒鳴り終え、何度か呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻す。
「……オレの消失を望んだよな。そんなにオレは要らない存在か?」
「……少なくともあの時点では」
一瞬きょとんとした顔をするが、やがて黒神の発言の意味を理解し、泣きそうな顔になった。
「オレなんかが神じゃなければ良かったのに」
反論するわけでも、同調するわけでもなく黒神はただ黙ってそれを聞いた。
「お前に力の全てを譲渡すれば満足か?」
黒神は首を横に振った。
「……黒神が望む世界は何?どんな景色が広がってるんだ?」
「……そんなの、俺だってわかんねぇよ。俺の望みは判らない!」
「判らないで滅ぼされてたまるかよ!!」
「がいれば良かった筈だったんだ!テメェが訳わかんねぇ事するから!」
「オレにを巻き込むなと言っておいてそれかよ!
お前は何百年経っても、自分中心な所変わんねぇな!!
で、結局が手に入らなかった時、お前はどうする?
オレと同じく殺すのか?」
主張の応酬に、初めて沈黙が訪れた。
MZDは更に追い打ちをかける。
「それとも、腹いせに世界もろともぶっ飛ばしてみる?
お前にはその力があるんだからさ」
皮肉たっぷりに挑発すると、黒神はとうとう折れた。
「……すまない。あの時は、本当にすまないと思っている」
頭を下げる黒神に小さく息を漏らすと、MZDは静かに批判した。
「そこで謝られたって、オレの気が済むわけねぇじゃん……。
だって、お前がオレに死んでほしいと思った事は、無しにならねぇんだぞ」
「あの時は本当にすまなかった……」
しゅんとする黒神に、MZDは後悔の念に苛まれながら溜息をついた。
「……どうしてオレは、普通の兄になれないのかねぇ」
MZDは黒神の肩を持つと、無理やり頭を上げさせた。
「黒神。この事はもういいや。オレも早く自分を納得させるよ」
「……ごめんなさい」
「いや、オレの方こそごめんな。
あの時謝ってくれてたのに、今更蒸し返しちまってさ」
いつも通りにMZDは笑った。
「じゃ、帰ろうぜ。にも謝っとかないとな~」
MZDは空を先ほどと同じ星空に戻し、自宅へと転移した。
「……すまない」
誰もいない空間で、黒神はぽつりと謝罪した。
(14/02/20)