第48話-禁句-

悪い事をしているという自覚はある。
それでも私は決行した。

「こんばんはー」

夜中のヴィルヘルム城はMZDと黒ちゃんが消えて以来だ。
石材のせいでここは夜間とても冷える。
上着を余計に着れば良かったと思ってももう遅い。
今ここで神の力を使えば神達に勘付かれてしまうかもしれない。
家を出る際は仕方なかったとはいえ、次の使用は帰宅時のみにしておこう。

ヴィルヘルム城に備え付けられている燭台を持ち、足音を立てながら城を徘徊する。
しかし、ヴィルヘルムやジャックが現れる様子は無い。
私の帰宅時に合わせて城にいるという、ジズさんの言葉が頭を過る。
もし不在ならば危険を冒した意味がなくなってしまう。
それは避けたいとヴィルヘルムがいそうな部屋を一つ一つ確認する。
主要な部屋を見たが居ついた魔族たちだけで、目的の人物はいない。
ジズさんの言う通り本当に私に合わせてくれていたのだろうか。
そんなこと有り得ないと思いつつも、私の歩む速度は低下していき、ついには立ち尽くした。
──帰ろう。
自室を座標に私は転移を試みた。

「きゃああ!やだやだ!!」

突然頭の上に何かが降りかかり視界が奪われた。
頭上の薄い何かを剥がそうと暴れていると、聞きなれた声が聞こえた。

「喧しい」

この声を聞くと背筋がぴんと伸び、余計な思考を挟む事無く従ってしまう。
ジッとしてたら視界が開ける。
蝋燭の淡い光に照らされた揺れるマント。

「何故ここにいる」

仮面で表情は判らないが威圧感を覚えた。
怒っているのだろうかと不安に思っていると、溜息を吐かれた。

「まあいい。手を」

私は即座に手を差し出し、自分を魔力を溜めた乾電池だと思いこむ。
彼はいつも通り手袋を着用していない手で私の手を握った。
習慣化した行為。

「供給者としての自覚が出来たようだな」
「別に。いつもの事をしただけだよ」

笑われた気がした。声は聞こえなかったが。

「……来い」

私の手を放し、身を翻した彼を追う。
自城を闊歩する彼に走って着いて行くと、いつもの部屋へ。
小さなテーブルと二つの椅子。
ヴィルヘルムはその一つに座り、顎でもう一つの椅子を示した。
指示通りに座ると、小さな魔族が瓶とグラスを一つ持ってきた。
命令される前に注ぎ、ヴィルヘルムの方へ滑らせると突き返された。

「そんなものを私に出すな」

ヴィルヘルムはグラスに触れると私の方へと滑らせた。
グラス内で揺れる液体の様子を見ながら私は恐る恐る受け取り、そして口に含んだ。

「甘い!これ林檎ジュース?」

少々甘さが強い気がするが、それが癖になる。これは止まらない。

「これどうしたの?」
「……あの人形狂いが押し付けた物だ」

ジズさんがジュースを贈るとは珍しい。
ヴィルヘルムがそういう物を飲まないと判っているだろうに。

「処分する物だ。消費するなら勝手にしろ」

そう言ってヴィルヘルムはふいと横を向いた。
その横顔にはたと気付く。私だけ飲むわけにはいかないと。

「紅茶でも如何ですか?すぐにお持ちしますよ」
「結構だ」
「失礼しました」

こう言っているのだから私だけ御馳走になろう。
林檎の芳香を口いっぱいに頬張り、喉の奥へと滑らせる。
やはりこのジュース美味しい。
すぐに飲み干し、グラスに注いでしまう。

「珍しく今日は寒暖について文句を言わないようだな」

確かにこの城に着いたばかりの頃は寒くてしょうがなかった。
歩き回っている時も震えが止まる様子は無かったというのに今は一切気にならない。
寧ろほかほかする。暑くてしょうがないとさえ思う。

「なんだか今日は、温かい気がするの」

「そうか」と、ヴィルヘルムはあまり興味が無さそうに言う。
でも自分とは違う人間の身体である私を気にしてくれた。
それだけで嬉しさが込み上げ、ヴィルヘルムがくれた透き通った液体を一口飲んだ。
やっぱり甘くて美味しい。頭も一緒に蕩けてしまいそう。

「ねぇ、ヴィル」

だから私の口からつい零れ出てしまった。
お腹の中に溜めていたあの話のこと。

「私、告白というものをされたの」

「下らない」と、即座に一蹴するかと思っていたのに、ヴィルヘルムは何も言わない。
話を終わらせられなかった以上私は話を続けるしかない。

「私がどういう人間か知って、好きだと言ってくれたの」

学校に行くきっかけとなった人。
まだ外に慣れていない頃からの私を知り、特殊な力を行使する事さえも理解した上で、彼はそう言った。

「……あの時散々後悔したのに。外になんて夢見なければって。
黒ちゃんの傍にだけいないとって思ったのに」

サイバーの気持ちを知ってから、サイバーを見る目が大きく変わった。
ギャンブラーの事を話せる友人と思っていたけど、そうではないなと。
私の特異性を理解した上で人間界でやっていく術を模索してくれる。
合わないなら逃げてしまえと考える私とは全然違う。
そんな彼になら、寄りかかっても良いのだろうかと思ってしまった。

「また、新しい夢を見てしまったの」

好きと言われた後、サイバーとの交流が些細な事であっても楽しかった。
胸が高鳴った。必要以上に緊張した。声をかけるのを躊躇う事が増えた。
でも。それらは全て嫌じゃなかった。

「それで貴様は」

ヴィルヘルムの静かな促しに私は頷いた。

「……ごめん、って言うよ」

本人に言っている訳ではないのに、ずきずきと心が痛む。

「好きだけど……好きだけどなんか違うなって」

心地よいのに、何故かしっくりこなかった。
原因は判らない。何の非も見つけられないというのに。

「それに、私が誰かを好きになれば、きっと黒ちゃんが寂しがるから」

そう言うと、ヴィルヘルムはここで初めて溜息をついた。

「貴様は……救いようのない愚か者だ。
過去も未来も、進んで神に支配されると言うのか」
「今の私がいるのは二人の力によるものだから。二人の望む私でいないと」
「それが貴様の結論なんだな」
「……」

口に出しながらも、私の中で結論はまだ出ていない。
こんなの、耳触りの良い建前だ。

「つまらん選択をする」

そう零したヴィルヘルムは消えた。
しかしすぐに戻ってくる。その手には一輪の花を持って。

「綺麗だね。でもこれ……透明、触れられない?」
「聖地と瘴気との絶妙なバランスの中で稀に生まれるものだ。
あの程度の教会で出来るとは予想外であったがな」

思い出した。アンデットの大群の中に放り込まれたあの教会を。
何の為か判らなかったが、この花の為に私は使われたのか。
脱力する。しかし、花があまりにも綺麗だから水に流そう。
世界にはまだまだ私の見た事のない物が沢山ある。
この広い世界をもっと知りたい。

「あの男を選ぶと言う事は、未知なる可能性全てを捨て、滅びの一点のみを見つめ続けると言う事。
一世紀も生きられない人間風情がそれで良いんだな」

そんなことを言われたって、ほんの数年しか記憶がない私にそんなこと判らない。
何十年も先のことなんて判る筈がない。

「あの男を選んだと言うのならば、何故貴様は今ここにいる」

胸に言葉が突き刺さる。
黒ちゃんの事を考えれば、絶対にここへはきてはいけなかった。しかも夜更けになんて。
怒るだけならまだいい。場合によってはあの惨劇が繰り返されてしまう。
そこまで判っていて、どうして私は。
ジズさんにあんなことを言われたからだろうか。
──本当に、それだけの事?

「あれを選ぶなら二度と我が敷地を跨ぐな」
「それは嫌!」

そんなの絶対に嫌だ。

「二度と会えないなんて絶対に嫌」

優しくなくていい。冷たくて良い。
だから、一切の関係を断つ事だけは。

「私と貴様の考えは平行線。関わる理由がない」
「さ、散々利用するって言ったのに?」
「もう貴様にはそんな価値すらない」

さっきとは裏腹に冷えた目でこちらを見ていた。
本当に私の事どうでもよくなってしまったのか。

「待ってよ。そんな事言わないで。お願い」

縋る私をまるで無様だと言わんばかりに見下している。

「今日だってわざわざ抜け出してきたのに」
「何故そんな事をする」

リスクを冒してまで行動したと言うのにそんな言い方をする事に腹が立った。
つい声を荒げてしまう。

「会いたかったからに決まってるでしょ!」

涙が流れるのを感じながら、私は自分の発言に驚きを隠せなかった。
たったそれだけの理由で。
黒ちゃんが傷つくことよりも優先したんだ。私は。

「夢の中のヴィルじゃ駄目だったの……冷たくても本物じゃなきゃ」

ヴィルヘルムがくれたジュースの入ったグラスを両手で握った。
その上にヴィルヘルムが右手を重ねた。
似合わぬ行為に思わず見上げると、静かに私を見ていた。
仮面に覆われその感情は見えない。
だが彼お得意の批判をしなかった。
それだけで受け入れられたと思った私は、奥底へ押しやっていた思いさえも解放した。

「……本当はね。私、本当は怖いの……」

声が、手が、震える。

「受け入れなきゃって判ってる。だから我慢して、忘れるようにしてる。
でも、本当は────」

ずっと黙っていた事。
口を閉ざし、自分さえも騙していた。
それが幸せだと、正しい事だと思っていた。
今でもそう思う。
でも、誰かに。聞いてもらいたい。
私は良い子でも優しい人でもなくて────。

「"破壊の神"が……怖い」





黒ちゃんが嫌う大勢の人間と変わらないのだと言う事を。





「……愚かなのは果たして、誰なのだろうか」

らしくない弱気な呟きを零したヴィルヘルムは私の両肩を掴んだ。
どんな暴力が降りかかるかと身構えていると、少しずつヴィルヘルムが近づいてきた。
仮面が消え、薔薇の匂いが強く香る。

「……」

今、触れた?
ヴィルヘルムの唇が。あの小馬鹿にするばかりのあれが私のものに。
あれは蝋人形のように冷たかった。
なのに私の体温は上昇するばかり。

「これで貴様も、そして私も、言葉を封じられた」

言葉?何を。何の言葉。
いや、本当は自分の中で答えは出ている。
精気の無い唇が紡がずとも私に教えてくれた。
そして気付かせた。
自分がヴィルヘルムに対して抱いていたものの、正体を。

「……今封じた言葉を確かめる術は?」
「ない」

今私が思う言葉が、私の自惚れでない可能性は零では無い。
彼お得意の思わせぶりや気まぐれである可能は十分にある。
だから、言って欲しい。確証を得たい。
どうして私の唇に触れたのか。

「もしも……その封じたばかりの言葉を私が言ったら、どうなるの?」

ヴィルヘルムはとても穏やかな笑みを浮かべた。

「それこそ、神のみぞ知る事」

鼓動はさっきから速度を速めるばかり。
私をおかしくさせる。
何度も顔を合わせたはずの彼が、まるで初めて会う人の様。

「あの……」
「伏せろ」

あまりの変わりように咄嗟に反応する事が出来なかった。
意味を理解出来ず聞き返そうとしていた私を引き寄せる。
頭上で響く音と共にハラハラと落ちていく欠片。
私の記憶の中に同じ色をした物は一つしかない。

「ヴィル!」

上を見上げれば、いつもの仮面の一部が壊れ、紅蓮の瞳が覗いていた。
敵襲──遅れをとってしまったが、急いで見えない障壁を作る。
私というお荷物がいるとは言え、ヴィルヘルムへ攻撃を当てるなんて一体どんな人なのだ。
辺りを見回すと、その人はすぐに見つけられた。

「……じゃ」

声をかけようとして、息を呑んだ。
漏れた月明かりに照らされた彼は、今まで見た事がない姿だった。

。そいつから離れろ」

いつもならば、私は手を伸ばして駆け寄っているだろう。
でも、私は出来なかった。
赤に塗り潰されたジャックが、怖かったのだ。

「ようやくあの仕事は終えたか」
「もうこれ以上お前の都合の良いように動いてやるつもりはない!」

反逆心を露わにしたジャックはヴィルヘルム目掛けてナイフを投げ、
人間とは思えない速度で懐に入り込む。
ヴィルヘルムは私を突き飛ばし、ただのナイフを指で受け止めた。
魔力を集中させる、私とは別種の防御壁を纏わせている。

「ようやく私が望む姿に戻ったか、ジャック」
「いくらでも戻ってやるさ。 を黒神の元へ帰せるのなら!」

肉弾戦に持ち込んだがジャックの不利は明らか。
人間と魔族の差はあまりに大きすぎる。
それは、ジャックだって判っているはずなのに。
何故ここでヴィルヘルムに逆らいだしたんだ。

「ジャック止めて!こんなのヴィルを怒らせるだけで」
「俺は死んだって良い。 が無事ならそれで」

いつものジャックじゃない。錯乱しているようにも見える。
このままだと苛立ったヴィルヘルムにやられるだけだ。

「部下の分際で調子に乗るな」

もういつものヴィルヘルムに戻ってしまった。
だったら私も、いつものように。

「ジャック!!」

ヴィルヘルムの攻撃が当たる前に私の私室へと共に転移した。

「な────」

声をあげようとするジャックの口を無遠慮に抑える。

「しーっ。怒られちゃう」

状況を理解してくれたのかジャックはこくこくと首を振ったので手を放す。
しかし、どうしよう。
ジャックは血まみれ、今黒ちゃんが起きれば私が抜け出してヴィルヘルムの城へ行った事が知られてしまう。
下手に力は使えないし、リビングにも行けない。
八方塞がりな状況に頭を悩ませていると、闇が形を作った。

サン」

思わず声をあげそうになったが、ジャックが私の口を抑えた。

「……これはまた厄介な事をしましたネ」

影ちゃんは淡々とした口調で私たち二人を見ている。

「ジャックサン。貴方はMZD様の所へ行きまショウ。私がお連れしマス」

ジャックは何かを言いたげに私を見たが、すぐに頷き立ち上がった。

サン」

身体が震えた。
ヴィルヘルム城へ行った事を咎められる。
もしかしたら、今後あそこへ行く事を制限されてしまうかもしれない。
黒ちゃんの目から逃れる事だけでも困難を極めているというのに、影ちゃんが加われば手立てはない。

「……おやすみなサイ。夜の散歩も程ほどニ」

音も無く扉が閉じた。
お咎めが無い事に血の気が引いた。
いつもならば、絶対に何かあるはずだ。
それなのに何もないという事はいったい何の意味が孕んでいるのだろう。
布団の中に潜りこんで必死に考えてみたが、悪い事しか思いつかない。

次の日、重い瞼を無理やり開いて黒ちゃんに聞いてみた。

「黒ちゃん、昨日はよく寝られた?」
「ああ。少し疲れていたようでな。熟睡だ」
「大丈夫?」
「ああ。心配する程じゃない。ちょっと力を使い過ぎた」
「無理しないでね」

昨日晩の事は影ちゃんから聞いていないのだろうか。
それならば良いのだけれど。

「行ってきます」
「いってらっしゃいマセ」
「いってらっしゃい」










「次のニュースをお伝えします。
昨夜未明突如ガルディアーナ海が干上がりました。
原因は未だに判っておりません。この異常現象に対し専門家は……」






(13/12/10)