第46話 無知を脱却した暁には-前編-

「おや、貴方一人でしたか」

重厚な本が並ぶ書斎。蝋燭の炎が揺らめく隣に浮かんだ白き仮面。
机に広げた羊皮紙やコピー用紙を見ていたヴィルヘルムは横目でそれを見やる。
仮面がふっと消えると、壁際にある椅子の上にくすりくすりと笑ったジズが現れた。

「私の城に何故私以外がいる必要がある」
「そうですね。ですが、賑やかなことが多いように思いましたので」

その言いぶりが気に入らないと、ヴィルヘルムは鼻を鳴らした。
それに構わずジズは尋ねた。

「お嬢さんは今日……?」

ここに訪れるのかと聞いただけであるが、ヴィルヘルムの表情は険しくなった。
目の前の紙々を睨みつけながら、吐き捨てる。

「娘のことなんぞ知らん。……あんな黒神の操り人形」

あまりに不機嫌な返しだっため、ジズは自分の言葉を思い返した。
しかし、落ち度はないように思える。
それならばもしや。
ジズはヴィルヘルムの機嫌が悪化する原因に心当たりがあった。

「漆黒の少年は彼女のことが大好きで堪らないようですからね」
「馬鹿馬鹿しい。相手は人間だ」
「えぇ、相手は人間ですよ」

口端を限界まで釣りあげ、くすくすとジズは笑った。
ヴィルヘルムの眼光が鋭く光る。

「……何が言いたい」
「いいえ。何も。ただ事実を述べたまで」

ヴィルヘルムがどんなに威圧しようとも飄々としているジズ。
その掴みどころのない態度が更にヴィルヘルムを苛立たせる。

「娘に用があるならば直接神の所へ行くが良い。ここは仲介所ではない」
「そう言われましても……。私は神のところまでは行けても、彼女のところまでは行けませんから」

肩をすくめたジズは続けた。

「ラプンツェルに会えるのは、彼女に選ばれた人だけなのですよ」

高く聳え立つ塔は世界最強とされる双神。
それらによって護られている一人の少女。
下々の者が少女に謁見することは叶わない。
邪な心を持つ者も、そうではない者も高すぎる塔がそれを拒む。
けれど、少女を全く目にすることが出来ない、というわけではない。
彼女のお眼鏡に適った者であれば、そうっと長い髪を垂れ下げてもらえる。
どんなに高く厚い壁であろうと、彼女自身が手ほどきをすれば容易に接触できるのだ。

「何故他人に選ばれねばならんのだ。選ぶのはこの私だ」
「貴方ならそう言うだろうと思っていました」

憤慨するヴィルヘルムを、面白そうにジズは眺めた。
プライドが高い者とは愚かで下らない者である。
しかしそれがまかり通るのは、ヴィルヘルムが他を圧倒出来る程の力を持っているからだ。

「……ですが、貴方も苦労なさっているのではありませんか。
 なんせ相手はこの世界を統べる神なのですから」

ヴィルヘルムは魔族。対するは、神だ。

「神だから?そんなもの怖気づく理由にはならん」
「そうですね。現にもう一人は気ままにやってますからね。ただ、貴方の相手は破壊神ですから」
「奴の問題はそこではない」

おや、っとジズは意外に思った。
ヴィルヘルムが着眼する黒神の問題点について耳を傾ける。

「あの男はまるで子供のように精神が幼く、それ故危うい。
 そして、奴の影響を多分に受けた娘も正常ではないと言える。
 当然だ。幼い少女に情欲を感じるような奴がまともな教育など出来るはずがない。
 娘は人間でありながらも、人間に溶け込めず、かといって神にもなれぬ半端者。
 身体と心の成長が不一致な為に娘は、いつまでたっても安定しない」

唄うように言葉を紡いだ後、ヴィルヘルムは大きく息を吐いた。
心底呆れている様子。

「……お詳しいのですね。黒神のこと…いや、人間の子供について」

黒神の話をしていたというのに、最終的には別の者を指した。
このことを指摘するが、ヴィルヘルムは動揺することもなく、淡々と返す。

「あの娘は部下候補だからな。魔力を無尽蔵に供給でき、力もある。
 加えて私に対するあの警戒心の無さ。道具として利用しやすい奴だ」
「えぇ。そうですね。良い道具です。あれは」

「その通りだ」とヴィルヘルムは同意した。
その様子にジズは目を細めた。

「……一つご相談、よろしいかな?」
「どうせ、貴様の言うことは私にとって益にならんものばかりだ」
「まぁそう言わずに、聞いて下さいませんか」

張り付いた笑みに良い気がしないながらも、ヴィルヘルムは発言を促した。

「貴方があの娘を手中に収めたら、私に貸して欲しいのです」
「却下だ。易々と手持ちは貸さん」

と、ヴィルヘルムは即答した。

「これはこれは。ヴィルヘルム卿は器が小さい」
「あの娘は貸さん」
「折角の道具を一人占めですか」
「貴様の為にあの娘を手中に収めるのではない。私の為だ。勘違いをするな」
「つれないですね」

どう言おうとも断固拒否するヴィルヘルム。
その様子にあることを確信したジズは、念のため本人に尋ねた。

「……本当に、貴方のそれは、道具としての独占ですか?」
「何が言いたい」
「何も」

そう言って、ジズは席を立った。
これ以上ヴィルヘルムを刺激すれば、我が身が危険だと判断したからだ。

「お嬢さんのお茶が飲めないのであれば私は失礼させて頂きましょうかね」

闇に紛れる前に一度、ヴィルヘルムの方へ振り返る。

「ヴィルヘルム卿。友人として一言。……あのお嬢さんはお止めなさい」

じっとヴィルヘルムを見つめる。どんな反応を返すのかと。
そして、ヴィルヘルムは言った。

「指図をするな。私は私の思う通りにするだけだ」

射抜くような視線をジズに向ける。
忠告を一切受け入れる気が無い様子に思わずジズは笑った。
自分が出来ることは何もない。

「知りませんよ。……何があっても」

そう言うとジズの身体が薄れ、完全に闇と同化した。
暫く椅子に座ったままジッとしていたヴィルヘルムだったが、
足元に小さな魔族が通ると容赦なく踏み潰した。何度も靴の裏と床をこすりつけて。











今日もまた、一つの組織を消した。
残党なんてものが出ないように、一人残らず切り伏せた。
それが、上司の指示だったから。
俺は言われたことを、寸分違わず遂行しただけ。
そして、任務完了を確かめたら、上司の城へ舞い戻りまた新たな指令を受ける。
暗殺の内容には興味が無い。ただ与えられた任務こなすだけだ。

今回はヴィルヘルム城から程近い場所での暗殺であったため帰還が楽で良い。
城に着くと珍しく上司がいたので、俺はそのまま報告した。

「終わった」
「そうか、では次の指令だ」

間髪入れずに次の話。今回はのところに行けそうに無い。

「ところで、話は変わるが」

直属の上司は鋭い眼光で俺を見る。
ぴりっと、肌を焼かれるような錯覚に陥り、俺は思わず構えた。

「貴様はあの娘をどう思う」

ヴィルヘルムが娘と呼んで指すのはのことだ。
と、俺はより一層神経を研ぎ澄ませた。
自分の言葉次第での身が左右するかもしれない。慎重に言葉を選ぶ必要がある。

「どう思うも、だ。他に何がある」
「そのようなことを聞いているのではない。どう見ているか、どんな感情を抱いているか、ということだ」

への感情と言われてもすぐには返せない。
目に見えず触れることも出来ない感情というやつは得意ではないのだ。

「面倒な奴め。ならば質問を変えてやる。知能のない貴様でも理解できるようにな」

と、ヴィルヘルムはにいつも嫌がられている上からの目線で俺に言った。

「あの娘の命と、貴様の命、どちらが優先だ」
だ」

これは迷いようがない。

「黒神ならば?」
「神は不死。俺よりも強い奴を守る必要はない」
「娘も貴様と比べれば段違いに強いがな」

確かにそうだ。は俺よりも強い。
けれど、俺は守らなければならないと思ってしまう。

「娘が貴様を必要としなくなった時、貴様はどうする」

が望むのなら俺はいつでも去ろう。

……とは、言えなかった。何かが俺の発言を阻害している。
上司だろうか。いや、上司は何もしていない。ただ俺を待っているだけだ。
ならば、何が俺を引きとめている。
俺はの望みを叶え、の命令を第一に考えるべきであるのに。

俺が何も言えずにいると、上司が「そうか」と言った。

「ならば、次の命令は少々手こずるやもしれんな」

もしやと思い、俺は上司に対して臨戦態勢をとった。
上司はまさかを今度のターゲットに考えているのか。
そうであるならば、仕留めるしかない。最も上司相手に俺が勝つ確率はあまりに低すぎるが。

「構える必要はない。簡単な仕事だ。すぐに終えて帰還することが出来るだろう」

上司から差し出された紙を奪い急いで内容に目を通した。
場所はここでもMZDの家でも、黒神の家でもない。
ここから少し距離がある大きな都市だ。
暗殺対象がでないことが判り、俺は胸を撫で下ろした。

「今回あまり重装備はするな。見つかれば厄介だからな」

この都市はかなり人口が多く発展している。
いくら俺が隠密に慣れていようとも、どこかで俺の存在を知られてしまう可能性は高い。
俺は上司と違い名が通っているわけではないが、ターゲットが何かしらの身の危険を察してしまうと、面倒なことになる。
仕方がない、今回ガスボンベは留守番だ。

「準備が済み次第至急向かえ。今回のことが終われば暫く暇をやる。
 娘のとこに行きたければ好きなだけ行くが良い」
「了解だ」

思ってもみなかった言葉に胸が弾む。
黒神のところにいれば、ずっとの傍にいられる。
以前のように暫く居座らせてもらおう。嫌がられたならば寝泊まりだけMZDの所で行えばいい。

朝起きて、の所へ行く。学校とやらに行ってしまったら、適度にふらついて、
が帰る時間には迎えに行って、そのまま黒神の所へ帰る。
想像するだけで、心が安らいだ。

今回の任務も、早急に終わらせる。











目的の街までは運送屋を利用した。
勿論普通の奴等ではなく金さえあればどんなものでも運んでくれるようなそういうものだ。
己の足で行くことも可能だったが、今回は速度を重視した。
上司の気が変わらない内に終わらせ、に会わなければならない。

運送屋に成功報酬を払った俺は、壁の外から街を眺めた。
街によって景観はがらりと変わるものだ。
今回訪れた街は一面重厚な石造りの建物が並んでいる。
石というものは火に強く、風化しにくい。
よって、石で製造した家屋というものは長い間同じ姿を保つことが出来る。
だからこの街はきっと、俺が見るより以前も、そして今後もずっと同じ形を保つのだろう。
次に任務で訪れたとしても、今回の知識が必ず役に立つはずだ。
今後のことも考え、入念に調査しておく必要がある。

今回与えられた任務は、殺し屋の始末。
相手は単体で、グループには属していない。
ということはつまり、相手はそれなりに腕が立つということだろう。
上司の所に依頼が来たくらいだ。気を引き締めていないと返り討ちにあうかもしれない。

ただ、幸いなことにターゲットはこの街に依頼を受けてやってきたということ。
そして、ターゲットのターゲットの情報はこちらに入ってきている。
いくら身を潜めていようとも、殺しの際は必ず姿を現す。
俺はその時に横からそいつを殺せばいい。

そう思った俺は、ターゲットが殺害の対象としている人間のところへ向かった。
どんな人間かは知らない。性別と現住所、民間人であることしか上司からは教えられなかった。
殺し屋に狙われる民間人がどんな人間かは想像するしかないが、
例え武術の達人であろうと、殺人に特化した俺に適うことはない。
ましてやそれが女であるなら尚更。

俺は女の居住区に警戒しながら近付くと、周囲の建物、道を頭に入れていく。
狙撃しやすい場所、接近戦に持ち込みやすい場所、暗殺に適する場所。
それらを一つずつ探り、また怪しい痕跡がないか、人通りはどうであるかも確認する。
特に怪しいところはなく、夕刻の人通りはそう多いとは言えなかった。
周囲の建物から女の家を見張る際の死角を理解した上で、俺は留守中の女の家に侵入した。

明りはつけず、所持していたライトにて辺りを探る。
家の中に誰かがいる様子はない。殺し屋が家に潜んでいるという可能性は消えた。
周囲に潜んでいる様子はなかったし、今日中に殺し終えることは無理なのかもしれない。

と、俺は動きを止め、息をゆっくりと吸い、吐いた。
心を落ち着かせる。俺は今冷静ではない。これは危険だ。
任務後のとの日々に心浮かれ過ぎている。
普段ならば自分が見つからないことに重点を置き、もっと慎重に事を行っているはずだ。
こういう時は失敗する。俺はそういう奴を沢山見てきた。

よく考えてみれば昨日までいなかった俺がターゲットの家に入った。
その瞬間は見られてはいないだろう。さすがにそんなミスは犯さない。
しかしもしもカメラの類で撮影されていたとしたら。
俺と言う存在に気付いた相手はより一層慎重になり、またどんな手を使ってくるか判らない。
何をやっているんだ俺は。
後悔が襲ってくるが、それはもう遅い。

────家主が帰ってくる音がしたからだ。

頭を切り替え、壁に張り付き身を隠した。
靴によって床が軋む音を聞きながら、相手の場所や体勢を思い描き、暗殺に最も適した瞬間をじっくりと待つ。
音から察するに相手は中肉中背の女だ。ややのんびりとしている。
己の自宅であるためにリラックス状態なのだろう。
ならば俺が突然目の前に現れたとしても、すぐには反応できまい。

女はそのままゆっくりと、俺が潜んでいるベッドルーム前にやってきた。
壁を手で探り、スイッチを探しているようだ。
爪が硬いものと接触する音がすると、すぐ部屋に灯が灯った。
女は溜息をつき、そのまま吸い寄せられるようにベッドへ向かった。

今だ。

俺は物陰から飛び出し、ベッドに倒れこもうとする女の頭を掴んで床に押し付けると、ナイフの面を首筋に当てた。
少しでも動くようであれば、容赦なくその皮膚を切断出来るように。

「動くな。余計なことをするならば、おま……」

思わずナイフを手から零した。暗殺者であるならば絶対にしてはならないこと。
しかし、俺はそうせざるを得なかった。
この顔を見たら────。

……!?」

俺が組み敷いている女は、組み敷いてしまった人は、本来ここにはいないはずの
どうしてこんなところにと疑問を抱くが、それよりもを抱き起こすことを優先した。

!すまない!ごめん!違うんだ、俺は、そんなつもりじゃ……」

ナイフを押し当ててしまった首筋を指でなぞる。まだ薄皮も切れていないし、痣にもなっていない。
傷が無いことは幸いだった。しかし、に危害を加えようとした事実は変わらない。

「……。許してくれ。俺、上司に……ごめん」

は目を開いたり閉じたりして俺を見る。
まだ現状が理解できていないようだ。

「俺、だと判らなかったんだ。それでいつも通りに……。
 、本当にすまなかった……俺はどんな罰でも受ける……死を命令するならばそれにも従う」

なんてことをしてしまったんだ、俺は。
一歩間違えれば、俺は、を、殺していた。
他の奴らにするように、何の感情もなく相手の顔も名も判らぬまま、殺してた。
この依頼を俺に任せた上司の顔が思い浮かび、怒りが湧き上がってくる。
だからあの時含むような言い方をしていたのだ。
俺が判断を誤ればを暗殺すると知ってこんなことを。ふざけるなよ。

「……あ、……の……」
「痛むか?俺が本気でやったんだ。傷は無いとはいえ、痛む箇所があってもおかしくはない」

異常はないかと、首以外の身体を見回した。
にしては珍しくふわふわした邪魔くさい服ではない。
とてもシンプルで動きやすそうなズボンだ。
俺が違和感を覚えていると、は言いづらそうに言った。

「……えっと、……私、その、って人じゃないんだけど?」

意味が判らない。なのにじゃないとは。
確かに服はいつもと違う。匂いも、違う。いつものならもっと甘い匂いがする。
でも、顔はだ。大きくなったと全く一緒だ。
身体に触れてみると、壊れそうな印象はなくとてもしっかりとしていて、それに胸部に無駄な肉がある。
これは……──────

「……じゃ、ない」
「そう。その……人違い?」

ではないと自己申告してきた女の笑い声が遠くに聞こえる。
体中の血が凍っていくような気がした。
俺は暗殺者として、取り返しのつかない大きなミスを犯してしまった。
ここは逃げた方がいい。俺のことが、バラされる。
いや、いっそ、こいつを監禁してしまえば、脅して言うことをきかせてしまえば。

しかし、こいつはあまりにもに似すぎている。
ということはつまり、俺はを監禁したり、脅したり、拷問しなければならないのか。

「くそっ!」

出来ない。出来るわけがない。
俺らしくない、乱雑な思考回路を正すべく、俺は自分が組み敷いた女に話しかけた。
本来ならすべきでないが、この異常事態だ。セオリーは捨てる。

「……。お前、今の自分の状況を理解しているか」
「い、今殺されそうになってる。……でしょ?」

それにしては、やけに冷静な女だ。普通ならば恐怖で声もあげられないようなものだが。
さっきの俺の行動のせいで緊張状態が切れたのかもしれない。

「俺はお前を殺さない。違う奴がお前を狙っている」
「でも、アンタさっき私を」
「ああそうだ。本当はお前を脅して利用しようとした。
 だが、俺の目的はお前を狙っている奴のほうだ。お前じゃない」

お前がに似さえしなければ、こんなことにはならなかったのに。
こいつを脅して囮にしてターゲットを殺して、と一緒に過ごすはずだった。
計画は丸潰れ。めちゃくちゃだ。いつもの俺じゃない。

「ちょ、ちょっと、私、狙われるって、どういうこと!」

余計な単語を大声で叫ぶな。悟られる。
喉を潰そうと指が動こうとするが、怯えているの表情を見るとそんなことは出来なかった。
仕方が無いので、唇を指で摘まんだ。痛くないよう、軽く。

「あまり煩くするな。騒ぎ立てないのならそのままでいさせてやる」

判ったかと念を押し、俺は手を離した。女は小さく息を吐いて静かに俺に尋ねた。

「……本当にあんたは私を殺さないの?」
「そうだ。寧ろ、殺すのは都合が悪い」
「まぁ、そうなるか。だって私を狙う奴を狙ってるんだしね」

それもあるが、主な理由はに似たを殺せないからだ。
技術的な意味ではなく、俺の中にある何かがに手を出すなと俺を縛り付ける。

「……生かしてくれるのね?」
「俺からは手を出さない」
「守ってくれたりは……?」
「それは任務外だ」

暗殺者は護衛につくことは出来ない。必要なスキルが違い過ぎる。

「…………さっきの、って、あんたの何?」
「……答える必要はない」
「あ、あのさ、私が死んでも平気なわけ?」
「関係ない」

一切関係はない。元々利用しようと思っていただけの女だ。
どうなろうと知ったことではない。
こいつが殺されてから、俺のターゲットを仕留めたって良いのだから。

「へー……。じゃああんたが間違えたって人と似た私が死んでも平気なわけね?」
「問題ない。お前はじゃない」

じゃない。どんなに似ていようとも。じゃない。

「いいのね?気にしないのね」
「関係無い」

じゃないのだから、怪我をしようとも、傷口を抉られようとも、殺されようとも、俺にはどうでもいいこと。
それなのに、俺の顔を不安げに覗きこむを見ると、胸が痛んだ。

「そう。それなら」

は俺が先ほど落としたナイフを掴み、自分の胸に目掛けて真っ直ぐに振り下ろした。
俺が今から別のナイフを取り出して弾こうにも間に合わない。
そう判断した俺は素手でナイフを掴んだ。間一髪のところで刃が止まった。
もし反応が遅れていれば、あっさりと心臓に突き刺さっていたことだろう。

「……離せ。が持っていいものじゃない」

暗殺の為にと刃をよく研いだせいで、ほんの少し引いただけでも指を裂いてくる。
落ちていく血痕がを汚す。の顔はみるみるうちに引きつり、指の色が白く変色するほどナイフを握った。

。落ち着いて。俺が支えているから、ゆっくりと指を離せばい。
 一本ずつ。まずは人差し指からだ」

ナイフを押さえて、の硬直した指を丁寧に外す。
抵抗はなくされるがままであったので全ての指を剥がすことは容易であった。

「怪我はないか?」
「ない……けど」
「ああ。俺のことは気にする必要はない。慣れている。それにに何かがあるよりずっといい」

いや、よくよく考えてみればこれはではなかった。
瓜二つすぎて、つい反応してしまったが。

「……ふ、ふうん。結局あんた私が傷つくと駄目なんじゃん」
「いや。お前はじゃない。関係無い」
「なら、もう一回やってあげようか」

先ほどのナイフをまた振り上げたであったが、俺もそう何度も同じ手は食らわない。
今度は問題なくナイフを弾き飛ばすことが出来た。部屋の隅までナイフが滑っていく。
これなら次は持てないだろうとほっとしていると、それを見たが勝ち誇った。

「ほら、やっぱり!あんたは""が傷つくことを恐れている。
 だったら私を守らなければならないはず!!」
じゃない。……はそんなこと言わない」
「でも、護衛をせざるを得ない。あんたにとっての存在が大きすぎて、
 似ているだけの私を混同し、区別できずにいるんだから」

区別は出来ている。
は俺を惑わせることは言わない。
いつもにこにこしてその腕で抱きしめてくれる。
暗殺しか無かった俺に、様々な感情をくれた。
俺のことで泣き、俺を好きだと言ってくれる。

「お前はじゃない。じゃないのだから、関係無い」
「……なら、貴方は私が死んでも平気なの?」

が俺を見ていた。俺のことを不安そうに見ていた。
殺さないで、酷いことしないで、怖いことしないでと訴えている。

この人が俺の前で誰かに殺されている姿を想像しようとすると、ノイズが走った。
何も見えない。何も映らない。俺に見えるのは笑っている姿だけで。
それ以外見えない。見えない見えない。見えない見えない見えない。

見てはいけない。

「……決まりね」

はにんまりと笑った。それはまるで、俺にこんな命令を下した上司のようだった。
俺を見下し、操ることに喜びを感じる奴らだ。
こんなのじゃない。
そう思っているのに、俺の目には含んだ笑みを浮かべているがそこにいるようにしか見えなかった。





(13/07/03)