第42話-乾かないハンカチ-

、何そわそわしてんだよ。外出てな。迎えが来るぞ」
「判ってる。判ってるよ」

いい加減な返事をしながら、はMZDの家のリビングでうろうろと歩き回っていた。
制服も着用し、鞄も用意出来ているが、一向に外に出ようとしない。

「落ち着けって。お腹痛いのか?」
「痛くない」
「じゃあなんだよ。どうしちゃったんだ?」

MZDが顔を覗き込むと、それから逃れるようには顔を背けた。
埒が開かないとMZDは溜息をついた。

「おっはよー!!今日も一緒に登校するぞー!!」

家中に響き渡る大声に、もMZDもびくりと震えた。
普段は門で待つだけのサイバーが、いつの間にかMZDの家にあがりこんでいた。

「おま、朝から元気だなぁ。いいことでもあったのか?」
「いっつもいいことばっかりだぞ!」
「お、それいいな。前向きな心が幸せを呼び込むもんだ。で、……えーっと、さん?」

MZDの後ろにぴったりとがくっ付いていた。背中に頭をぐりぐりと押し付けている。
その様子を不思議がったMZDはサイバーに尋ねた。

「……喧嘩?」
「いいや。ちょっと告白しただけ」
「は!?」
「返事はまだ。待つつもりではあるけど、早めにってことで」

後半の言葉はMZDの耳に入らない。
サイバーの言葉を反芻し、冷静に現状を飲み込んでいく。

「えっと、と、とりあえず、学校に行った方がいいぞ?」
「……」

はMZDの服をしっかりと握り、動く様子が見られない。
息を吐いたMZDは静かに説いた。

「嫌い…ってわけじゃねぇだろ。恥ずかしくて顔が合わせられないのか?」

サイバーは緊張した面持ちでを見た。MZDの問いにこくりと頷くのが見え、胸を撫で下ろす。

「告白する方は相当勇気がいるんだ、だからもその勇気に応えてやんな。
 大丈夫、じきに慣れるさ。このままじゃサイバーが傷ついちまうぞ」

友人の一人を傷つけることになることを指摘され、はゆっくりとMZDの背後から姿を現した。

「……行く」
「よしっ、じゃ、行ってきまーす」
「いってらっしゃい。二人とも気をつけるんだぞー……」

昨日よりも随分距離が開いた二人を笑顔で見送りながらも、MZDは心中穏やかではなかった。
頭に過ぎるのは、と昔恋仲にあったもう一人の神の姿。
このことは己の心に深く仕舞う事を決めた。





「……昨日、大丈夫だったか?」

昨日までの二人は肩が偶に触れ合うくらい近距離で歩いていた。
今日は左右に別れてしまっている。他の通行人や自転車が真ん中を堂々と通って行く。

「……う、うまく、ねられなかった」
「なんで?」

は慎重に尋ねるサイバーから顔を背けた。
なかなか答えないことで、サイバーの不安が募る。
肥大化する不安に耐え切れず口を開こうとした時、が理由を述べた。

「……い、家でも、ずっとサイバーのこと、考えてた。
 ずっとずっと。勉強、出来ないくらいで。
 お風呂も寝る時も、ずっとサイバーのことが頭にいっぱいあったの」
「……マジ?」

思わず頬が緩む。それをちらっと見たが抗議した。

「なんで嬉しそうなの!私、勉強全然だったの!それに今日すっごく眠いの!」
「い、や、それは悪かったよ。でもさ、そんなに考えてもらえるって嬉しいじゃん。
 だって自分のことをずっと考えてくれてたら嬉しいだろ?」
「……そう、だけど。こ、こんなにいっぱいじゃ、学校でも、サイバーのことばっかりになる。
 き、っと、授業、集中できない」

話すほど頬や耳が赤らんでいくのはだけではない。
聞かされるサイバーも羞恥心が沸き上がってくる。

「嬉しすぎて、を抱き締めたくなってきた」
「っ、駄目。それは恥ずかしくて、死んじゃう」
「お、オレだって恥ずかしいって!!」
「……」
「……」

羞恥心が二人の足をせっつく。駆け出せ、相手を振りきれと囁く。
けれど、二人はそんな衝動に負けず、相手の歩調に合わせている。
昨日までと同じように。

。ちゃんと考えてくれて、有難うな」
「そ、そりゃ無下になんて出来ないよ……。大事な、ことだから」

サイバーは笑った。

「……なんか、疑ってたのが馬鹿みたいだ」

下を見続けていたが、不思議そうに顔を上げた。

には踏み込めない一線があんの。それって自覚してる?」
「え?私に?どうして?そんなに隠してないと思うけど」
「よーく考えてみな。オレ……、または人間には言えないとか、神周辺以外は知っちゃ駄目とか」
「……あ」

それだと、サイバーは指摘した。

「それに、って現実には考えられねぇことに巻き込まれるじゃん。
 何かあってもオレじゃ助けてやれない。せいぜい学校でのの平和を守れるまでで。
 ……こんなヒーローじゃ、には相応しくないだろ?」
「違うよ」

ヒーローの弱音をはバッサリと切る。

「それは変だよ。何で私は守られることが前提なの?私は自分のことは自分で何とかできるよ。
 サイバーだって守ってあげられる。だから、サイバーはその分普通の人たちを守ればいいんだよ」

満足気に言うであるが、サイバーは嫌そうな顔をした。

「えー。やっぱ好きな子を守ってやる方がかっこよくね?ヒーロー的に」
「格好を気にしてるようじゃ駄目。そういうのよくない」
「ちぇー。厳しい」
「ヒーローがカッコいいのは、かっこつけてないからだもん」
「だな。オレもそう思う。
 オレは出来る限りを守るし、時には守ってもらう。
 それだったら、人間のオレでもを好きになる資格あるかな?」
「へ!?し、しかく!?そういうのは判らない、よ。
 でも……あの……。さ、サイバーに、好きって言われたの、い、やじゃ、無かった、よ。
 嬉しかった、その、必要と、されてるって、実感、できて……」
、顔真っ赤だぞ」
「サイバー!!!!」

鞄を盾に。サイバー側から顔が見られないように。

「……迷惑じゃない?」

押し込めていた不安を言葉にする。
茶色の鞄が揺れて、それを否定した。

「オレのこと、好きか嫌いかで言ったら?」
「す……、嫌いじゃない方」
「えー、そこははっきり言うとこだろ。なんで誤魔化してんだよ」
「知らない!!」











最悪だ。何もかも。
オレは馬鹿だった。同じ立場にいたからか、自分を重ねて同情した。手を伸ばした。
余裕なんて本当は無かったのに。勘違いして。
それが、こんな結果を招いた。

「勉強するの!だ、だからサイバーはあっち」
「見てる分にはいいだろー。邪魔しねぇからさ」
「集中出来ないの!」
「なんで?」
「っっっっ、意地悪!」

サイバーの奴の爆弾発言の次の日。
二人はいつものように共に登校し、いつものように話していた。

でも、よくよく見れば違うことに気づく。
気軽に触れなくなった。偶然触れれば手を引く所作を見せる。
そして、目を合わせなくなった。毎度少し左に視線をずらしている。
それでも、目が合ってしまった時、顔を赤らめて背ける。

ちゃんはもう、サイバーを今までのように友人とは見ていない。
恋愛というものを一切理解していないはずの、ちゃんが。意識している。
鈍感なあの子が、恋の理解へ一歩踏み出した。

この先手は痛すぎる。
経験がない故に、ちゃんは初めて意識した男に、こてっと心が傾いてしまうかもしれない。
ぐずぐずしていられない。こちらもアクションを起こさなければ。

オレは、サイバーと同じことはしない。
正攻法にいく勇気なんてものはない。
チキンで卑怯なオレは回りくどい方法を使う。
それが例えどんなに嫌いな方法であっても。
あの子の為なら。頑張ろうと思う。











「おーっす。MZDいる?」

学校が終わってすぐ、ちゃんはオレたちとは同行せずまっすぐ家にワープした。
宿題にテスト勉強に予習にと時間が足りないからと言っていた。
サイバーを避けての発言かと思ったが、あんまりにも絶望的な顔をして言っていたから、それはなさそうだった。

今なら絶対にあいつらはいない。ちゃんは確実に在宅。
絶好のチャンスであった。

「よっ、久しぶり。元気か?」
「まあな。そっちこそ。色々あったらしいけど意外とピンピンしてるもんだな」
「そりゃ完全無欠の神だもーん」
「なにそれ」

やっぱりカミというやつは規格外だ。
ちゃんから聞く限り、相当やばかったはず。だが見たところいつもと変わらない。

「で、どうした?」
「あのさ、ちゃんいる?」
「いる……けど。がっつり勉強中だぜ?それに、とある事情で集中力死んでるし」

集中力を失わせるという事情とは、やはり。


「サイバーのこと、知ってんの?」
「なんだ、お前も知ってたのか。一応秘密にしておこうと思ったのに」
「……それ、黒神も、知ってんの?」
「……言えると思うか?お前も絶対に止めろよ」

ちゃんを性対象と見ているアイツが告白のことなんて知ったらどうなることか。
……サイバーに何もないと良いけど。黒神は容赦が無いから。

黒神という奴は、ちゃんの保護者であり、またちゃんを好きな野郎その二だ。
ちゃんを手に入れるにあたって、絶対にぶち当たるごつい障壁。
オレはまず、ここから攻略する。

以前、ガスマスクのジャックの発言で思ったのだ。
黒神は男の全てを禁じているわけではないと。
気に入った者、ちゃんに必要以上に近づかない者にはそれほど厳しくない。
だからまず、そちらの信用を得ることから始めよう。
跪いて、逆らわないことを約束して、ちゃんとの節度ある関係を誓う。

そうすれば、家にあがるくらいは許されるだろう。
そのうち、外出くらいは許されるようになるかもしれない。
親密になった頃反旗を翻し、あの子のことをかっさらってやる。

「あのさ、ちゃんに用があんだけどあっちの家入らせて」
「黒神が許可すっかなぁ……。を呼ぶのじゃ駄目なのか?」
「それは駄目!」

今日は黒神にも用がある。
ちゃん単品の方が嬉しいけれど、それでは駄目なのだ。

「判ったよ。ただ、入れる保証は出来ねぇからな」
「とりあえずあの玄関?さえ開けば、後は無理やり行けばいんじゃねぇの?」
「追い出される気がするけどな。まぁいいさ、がその場にいれば家に入れてもらうくらいは出来るだろ」

そう言ってMZDは廊下に向かった。いくつかある扉のうちの一つに手をかける。
これが黒神とちゃんの住む異次元へ繋がっている。
普段、ここは開かないそうだ。
開く時はちゃんが望んだ時、黒神が許した者が入ろうとする時だけ。

だからオレは、入れない。

「よっ、おじゃましまーす」

扉は簡単に開いた。中を覗きこむと、黒神と目が合った。

「げ。なんでテメェが」
「どうしたの?あれ?ニッキー?」

ぴょこんとちゃんの顔が横から飛び出した。
今なら行けると、オレは勝手に家に上がり込んだ。

「お邪魔するぞ」
「邪魔するなら来んな!」
「ただの挨拶だろ。何を本気にしてるんだか。小学生かよ」
「だめだめ!お互いにストップ」

ちゃんがオレとアイツの間に入って、馬を宥めるように「どうどう」と言っている。

「おい!こいつを連れ帰れ!邪魔だ!」

黒神はオレではなく、今度は廊下に突っ立っているMZDに怒鳴り散らす。

「まぁまぁ。に用があるんだって」
にそんな時間はねぇ!」
「そんなの理解してるに決まってんだろ。同じ立場である学生の方がよく判ってるさ」

ナイス、MZD。お陰で黒神も言い返し辛くなっている。
ただ一つ言うなら、今回来たのはオレ個人の為で、ちゃんの為じゃないってこと。
そこまで言われると、罪悪感が加速する。

「……好きにしろ」

黒神は苦々しげに吐き捨てると、リビングにあるデスクに座って壁を向いた。
MZDを見るとオレに小さく手を振っているので、つまりこれは、一応許可が下りたということだろう。

「ニッキーどうしたの?」

ちゃんは制服のままだ。ソファー前の机には教科書やノート、プリントが散乱している。
宣言通り家でも勉強しているとは。勉強嫌いのオレには理解できない。

「えっと、まぁとりあえず勉強はしてていいから」

とは言うものの、出来ればここ以外のところでやって欲しい。
アイツがいるこの空間は空気が重過ぎて、色々と躊躇われる。

「え、でもそれは失礼だから」
「いや、学年末赤点の方がやべーから」
「……はい」

ちゃんは本当に数学を勉強し始める。
数式の力とは恐ろしい。横で見ているだけでも苦痛になってくる。
でも、特に見る場所もないので、見るしかなくて。

お世辞にも綺麗とは言いがたいノート。
周囲に計算が散らばっていて、苦労したんだなという印象を受ける。
暗算があまり得意ではないようで、簡単な計算も筆算を使っているようだ。

「……ちゃん、そこ違うんだけど。多分その後も全部違うんじゃね。答え変だし」
「え。どこ」
「ここ。さすがにオレでも判るレベルだぜ?」

盛大な溜息をつくちゃん。
それは、勉強が出来ないオレに指摘されたからなのか、ただ間違えたからなのか。
前者だったらそこそこショックである。

「リビングじゃなくて、ちゃんと机に向かわないと駄目だね。
 影ちゃん、部屋に行くからそっちにお願い」
「ハイ。了解致しまシタ」

机上の勉強用具をひとまとめにしたちゃんは、オレを連れてちゃんの部屋へ。
見回すと、イメージと違って、女の子らしいごちゃごちゃした感じはない。
ベッド、机、棚と、家具それだけ。後は扉が一つ。どこに通じるのかは想像がつかない。

「あ、今椅子出すね」

勉強椅子の隣に、同じものが出現した。
そんなマジカルなことが目の前で起きることももう慣れた。

「どうぞ」

勧められるまま腰をかけると、ちゃんは木製の机をなぞった。
すると粘土細工のように机の幅が三十センチほど伸びた。
誰も見ていないとこだと、なんでもありだなこの子。

そこへ丁度、黒神にくっついてる影が紅茶とお菓子を持ってやってきた。
オレとちゃんの前に置いて一礼すると、扉の隙間から去っていく。

「それで、どうしたの?わざわざここに来るなんて。何があったの?」

出されたサブレを一噛りするちゃんにオレは気になっていたことを尋ねた。

「あのさ……色々と大丈夫なのか。そのアイツのこととか」

アイツという言葉に、ちゃんはすぐさま顔を背けた。
そして残りのサブレを一気に頬張り、紅茶をぐいっと飲む。

「……その話は、やめよう……」
「わーったよ」

すっげームカつく。なんでいちいち赤くなるんだっての。
今はオレしかいないっつの。思い出さなくていいんだよ。

「じゃあ、赤点の方はどーなんだよ。さっきの間違えヤベーだろ」

どうしても口調が刺々しくなってしまう。
予想通りちゃんは傷ついた顔をした。

「だよ、ね……だけど一人だと集中出来なくなっちゃって」
「アレのせい?」

真っ赤な頬したちゃんは頷いた。
ムカつく。なんだよ。そんなにアイツのことばっか考えてんのかよ。

「そんなん考えてる場合かよ。マジで進級出来ねぇぞ」
「そう、だよねー……」

これ以上言うのはまずい。
勉強のことについて、一番不安がってるのは本人だ。
追い詰め過ぎると泣かせてしまう。
ちょっと、方向転換だ。

「進級のためにも勉強すっぞ。暗記ものしようぜ!それならオレでも手伝えるし」
「うん、お願いする。じゃあ歴史かな」

オレは基本的に問題を出す方。
試験範囲を教科書をめくっていると、習った覚えがないところがチラホラあった。
こんなんだからオレの点数は悪いんだろう。
おかしなことに出席の少ないちゃんの方がまだ判っているようだった。

「待って!まだ答えは言わないで、今、今出てきそうで……もうちょっとなの」

たかが歴史の問題に答えるだけなのに、一生懸命だ。
こうやって唸って考えている間は、アイツのことが消える。
オレのこともろくに考えていないのは残念だが、今は歴史上の奴等に譲ってやろう。
他の男のことを忘れてくれるなら、今は十分だ。

「風姿花伝!」
「はい、正解。所司に任命される家四つ」
「え。よ、よっつ……?そんなにあったっけ?」

見れば見るほど思う。ちゃんはやっぱり可愛い。
最近は小さい姿は影を潜めて、小柄ではあるが歳相応の姿で現れる。
それも可愛い。とにかく可愛い。ちゃんの可愛さに大小は関係ない。
余すことなく見回すオレの視線に気づかない無防備さは、時に腹立たしく、時にぐっと来てしまう。
やはり、自分はこの子が好きなのだと、実感する。

オレを選んでくれないのなら、せめて、誰のものにもならないで欲しい。
今のままでいい。男の間をふらふら歩いてくれていいから。
その代わりに決定的な一手を与えられなければと思う。

にしても、二人きりなんて理性が職務放棄するのではないかと思っていたが、そうでもない。
扉一枚挟んだ先に黒神がいるからだろうか。
あの偽保護者はオレの下半身を萎えさせる天才だ。

「あ、ちょっとトイレ借りるぞ。ちゃん覗きにきてもいいから」
「どうぞ。行かないから。区切りもいいし宿題のリスニングしてまーす」

そう言ってちゃんはイヤフォンを装着する。
改めて思うが真面目過ぎ。リスニングなんて勘とノリだろ。
部屋を出ると、黒神が椅子に座ったままくるりと回転してこちらを見た。

「……帰るなら歓迎だ」

まだ帰れない。
今日のメインはこっちだ。黒神の信用を勝ち取ること。
だがその前に、ずっと言いたかったことを、言ってやる。

「お前とちゃん、もう元に戻ってんの?」
「……それがなんだ」

あの子の名前を出すだけで、もう臨戦態勢を整えた。
奴は良くも悪くも判りやすい。

ちゃん、許したんだ。お前が無理やりキスしたりしたのに?」
「……」

黒神は睨むままで驚く様子はない。
オレがこのことを知っていても問題はないってことなのか。

「オレは許せねぇよ。認めたくは無いけど、お前が一番ちゃんのこと判ってるのに……」

そう。
認めたくないけれど、事実だ。
親代わりという黒神に対して、ちゃんは心底信用している。
そして神であるこいつは、その信頼に答えられるだけの力も持っている。
敵わないさ。判ってる。

嫉妬はいつだってしてる。どうやったって止まらない。
だって、勝てないと心の何処かで思っている。
勝ってやるという意気込みよりもそれは大きくて。

悔しい。情けない。
そんな奴が、ちゃんをしょっちゅう苦しめている。
何も出来な自分も嫌だが、そうさせているこいつのことはもっと腹立つ。
ただの悪人ならいい。憎めばそれで。ちゃんを近づけなければそれでいい。
でも、黒神は違う。
保護する側の奴で、ちゃんに信頼されてて、好かれてる。


オレなんかよりも、ずっとちゃんに必要とされている。


「……用はそれだけか」
「っ、だからお前は嫌いなんだよ!」

こっちから歩み寄ればいいと思ったが、実際に対峙するとやっぱ無理。不可能。ムカつく。
結局喧嘩を売りにきただけって、オレ馬鹿すぎるだろ。
こんなことして、今後もっとオレへの監視が強くなるだけだ。

だったらいっそ、言える悪口は全部ぶちまけてやれ。

「そんなことしたって、ちゃんはお前んとこには行かねぇからな。
 お前みたいになんでも自分の思い通りにしようとする奴なんかに!」

調子に乗って言い過ぎたと思ったのは、大きな音がした時。
黒神が机を叩いて、椅子から立ち上がっていて。

「テメェに何がわかんだよ!!
 記憶が消滅して、俺と恋人だったことをすっかり忘れられた俺の立場が!
 ぽっと出て、後からと接触したような奴等がほざいてんじゃねぇよ!!」

は────。

「ニッキー!?」

今度はちゃんが部屋の扉を勢い良く開けた。
オレと黒神を交互に見ている。

「二人共どうしたの?喧嘩してるの?」
……さっきのこと、聞こえていたのか」

聞かれてはまずかったのか、黒神は動揺しているように見える。

「大きな音がして、びっくりして……で、二人は何を喧嘩していたの?」

質問に正しく答えていないが、察するに内容は聞こえてなかったっぽいな。
多分まず音に驚いたせいで、それどころじゃなかったんだろう。

「……ただ、に変なことを言うなと、警告していただけだ」

何故嘘を吐くのだろう。
答えはすぐ頭の中に響いてきた黒神の声が教えてくれる。

「(に過去の事は言うな。
 過去の記憶損壊があって、俺はの記憶の定着を不安視している。
 下手をすればの人格が壊れるかもしれない。
 だから何があろうとも絶対に言うな。を失う羽目になったら、この世界ごと消してやる)」

判りやすい説明をどうもご苦労さん。
ということで、オレはさっきのアレは言ってはいけないらしい。
言った瞬間世界もオレも瞬殺。なんて、夢みたいだけど夢じゃないんだろう。

「……ニッキー、そうなの?本当なの?」

黒神の発言が信じられないのか、ちゃんがオレに尋ねた。
どうしようかな。言っちゃおうか。アイツの言いなりなんてゴメンだし。

「そーそ。セクハラすんなってな。でもちょっとくらいいいと思わねぇ?」

なんて。ちゃんが壊れるなんて言われてしまったら、従う他ない。

「セクハラは犯罪だって、サユリ言ってた」
「えー、ちゃんのけちー」
「に、ニッキーの変態!」
「褒められると嬉しいぜ」
「褒めてないもん!」

これでいいのか。きちんとごまかしたぞ。
お前のためじゃねぇ。ちゃんのためにだからな。

、こういう奴は容赦なくやっていいんだからな。正当防衛だ」
「はーい。わかりましたー」
「おいおい、手加減してくれって」

その後は何事も無く、またちゃんの部屋で勉強を手伝った。
飯時になってオレは帰宅を決めた。帰る前、頭の中に黒神の声が再度響いた。

「(さっきも言ったが絶対にの過去を引き出そうとするな。
 通常の記憶喪失とは違い、思い出すことはない。よって聞き出す意味は無い)」
「(お前は、本当にちゃんと?)」
「(疑わしいのならMZDに聞け。アイツだけが過去の俺達を知っている)」

MZDは知ってたんだな。
サイバーのことが言えないっていうのは、このこともあったんだろうな。

「ニッキー!今日はありがとね」
「また呼んでくれていいぜ」
「うん。有難う。おかげでいっぱい出来たよ!」

下心でしか接してないというのに、曇りのない笑みを浮かべるちゃん。


こんな可愛い子が既に誰かにものだったなんて。
オレが好きになった時には、もう遅かったなんて。
それを今更聞かされるのかよ。

どうすりゃいい。このままオレがなんかしちまったら寝取ったことになるのか。
でも、ちゃんには一切記憶がないんだろ?

一番やっかいなのはサイバーじゃねぇ、やっぱ黒神だ。
元彼出現とか、マジふざけんなよ。

てことは、ちゃんはもう何もかも終わらせてるってこと?
キスだけじゃなくて、その先まで。
可愛いだけの姿じゃなくて、色っぽい姿を黒神には見せたのか。
誰にも見せない肌を晒して、触れられて、声を漏らして。
恋人ってことは最後までしてしまったのだろうか。
そうだったら死にたい。
本気で好きになったからこそ。
ちゃんを誰かにやりたくなんかない。
ましてや誰かに組み敷かれるところなんて想像したくない。

「……なぁ、ちゃん」

多分あの口ぶりだと、ちゃんは知らないんだろ。
黒神との過去を。

「あのさ」

いっそ騙してしまおうか。
記憶が戻らないのならばどうにでも出来る。
言うなと言われたわけだから、真実は語らなくていい。

「……なんでもない。勉強しっかりな」
「うん。頑張るね。ありがとう」

MZDの家の玄関まで見送りに来てくれた。
そのままオレは、一人で帰路につく。


オレってなんだよ。
悪にもなれず、かと言って、サイバーみたく向き合う事もできず。
ショボすぎだろ。マジ萎える。

いっそ、泣いてしまったら、少しは傷が癒えるだろうか。
それとも、変わらない現実に打ちひしがれるだろうか。

諦めた方が楽だと判っているのに。
いつものように次に行けない。



好きになんてなるんじゃなかった。





(13/04/02)