「あー。次のパーティーの準備始めねぇとなぁ」
ある日の昼下がり。
オレは自宅のソファーで横になりながら呟いた。
「以前のパーティーから、結構日が経ちましたネ」
そうなんだよなぁ、そろそろ出演者を決めねぇと。
みんなもうずうずしてきてる頃だろう。
「ワタシも念入りの掃除をしませんとネ」
パーティ開催時期前後はこの家が一番賑わう時だ。
影も掃除のし甲斐があるだろう。
「今回も思い切り盛り上げていくぜ!」
「ハイ」
オレは両手を胸の前に出す。
掌の上に出現した星屑を抱えるようにして集めた。
「皆のところへ行ってきな」
星たちは様々な方角へ散っていく。
これでミミニャミや他の奴らには連絡できた。
あとは参加したい奴らが何かしら直接オレに言ってくるだろう。
それに加えて、あとはオレが世界中飛んで回って誘う。
今回はどこでどんな奴に声かけっかなぁ。
「あ、そうだ!」
オレはあることを思いついた。
パーティーに関係あることではない。
のことだ。
勿論、パーティーに出演させるわけではない。
それは黒神が絶対に許さないからだ。
そうではなく、折角オレの家に色んな奴が訪れるのだから、
と訪問者を接触させ、オレ達以外の他人に慣れてもらおうという魂胆だ。
これならば、は手軽に誰かとコミュニケーションが取れる。
更にオレの知ってる奴等だから、どんな人間か知っているわけだしな。
思い立ったが吉日と、すぐに黒神の家に飛んだ。
「ういっす、」
「ぅえ、えむぜっ……今日はおやつの時じゃないんだね」
「まあな」
リビングの真ん中に突然現れたオレに驚きはしたが、すぐに先ほどまでの行動に戻る。
対照的に、黒神はデスクから顔を上げ、じっっとオレを見ている。
完全に警戒している目だ。
「、悪いがコーヒーを入れてもらえるか」
「はーい」
柔らかな黒神の言葉を素直に受け取ったはキッチンに引っ込んだ。
黒神はなんでもないような調子で聞く。
「珍しいな。何の用だ?」
勘が冴えてる。
それともオレの思考がアイツに洩れているのか。
「悪いな。今日はに用があるんだ」
「だったら今ここで俺に言え」
剥き出しの感情。
に関係する案件で、加えて当のがいないとすぐにこれだ。
黒神にとって、は自身の全てを懸けてもいいと思っている唯一の人間。
そんなを自分から引き剥がそうとする敵には容赦ない。
まあ、オレにキツイのは、アイツに嫌われてるってのもあるんだけどな。
「そう怖い顔すんなって」
オレは努めて明るく言う。
癖だ。明るく言うのは。昔からの。
「はぐらかすな。率直に用件を言えばすむ話だろう」
率直に言えば、お前はオレの要求をのまないだろ。
それに。
話が済んでしまっては、黒神がオレへの興味を失ってしまう。
がいなければ、オレと黒神は繋がれない。
「が来たら教えるさ」
「…ふん」
黒神は面白くないとばかりに、そっぽを向いてしまった。
よくある光景だ。
だがこんな態度でもオレは嬉しくてしょうがない。
がいない頃は、同じ空間にいるのも完全に拒否されていた。
「コーヒー淹れたよ」
「ありがとな」
くしゃり、と黒神はの頭を撫でた。
「MZDも要る?一応淹れたんだけど」
「ミルクと砂糖入ってる?」
「勿論。MZDはいつもそうじゃん」
「さっすが」
自分以外の誰かがオレの好みを覚えてくれているというのは、なんだか温かい気持ちになる。
に何度も家族という言葉を用いたが、
こういう居ると安心する関係、受け入れられる関係は家族のようであるように思う。
────思うのだが。
オレは実際のところ、家族だとはあまり思えていない。
黒神とは家族だ。
同じ空間の息を吸い、数え切れない程の時間を共に過ごす。
お互いがお互いの空気を読みとり、思考や感情を理解する。
二人は見えない糸で繋がっているのだ。
しかしオレは違う、兄弟である黒神からは随分嫌われている。
一方、はオレ好いてくれているし、オレもを愛おしく思う。
そんなに黒神は異常なまでの愛情と執着と独占欲を持つ。
これ以上関係を悪化されると困るオレは、に対しどこか一歩引いて接している。
いくら二人のことが好きでも、尽くしても、オレは二人とは繋がらない。
「座って」
はオレの手を引き、ソファーに導いた。
促されるままに腰を下ろし、も同じく隣に腰を下ろす。
銀のトレンチをもったアイツの影が、オレ達の前にカップを置いていった。
「はカフェオレか」
「私は甘い方が好きだもん」
「だよなー。甘いほうがいいよなー」
「べ、別に俺は甘いものが駄目ってわけじゃねぇし」
拗ねる黒神を、と二人で笑い合う。
気づいた時にはデスクの方に居たはずの黒神がソファーへ移動していた。
そのまま、オレ達はしばし和やかなティータイムを過ごした。
カップの底が見えるまで談笑をして過ごす。
オレの中では、とても大切で幸せな時間だ。
「あー、美味しかった」
「オレ眠くなってきた」
「おい、寝るならちゃんと家帰れよ」
あれ、オレ二人とお茶しに来たわけじゃないよな。
「オレ、何の用で来たんだっけ?」
「に関することだろ。テメェがさっき言ってたじゃねぇか」
ああそうだ。そうだったな。
折角のいい雰囲気を壊したくはないんだが…言うしかない。
「さ、オレんち来ない?」
「どういう意味だ」
本人は首を傾げているだけだが、黒神が噛み付いてくる。
「遊びに来いよってだけ。別にを取りゃしねぇって」
「何故突然そんなことを言う。それに今はテメェのお遊びの時期だろ」
がオレと黒神を交互に見る。
躊躇いがちに黒神に言った。
「あの、黒ちゃん。私、ちゃんとここにいるよ。大丈夫だよ」
の声が流れるだけで、黒神が纏っていた鋭い空気は一気に緩和した。
「え、あ、いや、すまない。そういう意味じゃない。
ただ、この時期MZDが毎度ポップンパーティーを開催するんだ。
そうすると、コイツの家は人の出入りが激しくなるから…」
黒神の獣のような瞳がオレの目を射抜いた。
どうやら、気づいたようだ。
「そんな騒々しい時にをどうするんだ?」
オレは観念して言った。
「オレ達以外の奴に慣れる良い機会かな…って」
努めて明るく言った。
けど、黒神は更に鋭い目でオレを見るし、も目を見開いてオレを見る。
いやー散々だな、全く。
「あ、あの、MZD…私、そんな、人が沢山って…」
「大丈夫だ。何があってもオレがフォローするから」
「で、でも…」
は膝の上で硬く手を握り締め、俯いた。
黒神は何も言わず、オレを静かに見ている。
これが一番怖いのだ。
殺気を抑え、我慢している時が。
口を開かせば何が起こるかわからないので、オレはの方へ向く。
「はさ、この世界がどんなものか知っているか?」
「ううん。…だってここから殆ど出ないもん」
は外出許可を貰った後も、ろくに下界に行くことはなかった。
黒神のことを気にしているということは、明らかだった。
「オレはお前にもっとこの世界を知ってもらいたいと思う」
「私も…沢山見てみたいとは思うよ。でもね、少し怖い」
少しでも興味を持ってくれているなら十分だ。
の恐怖や心配はオレだって十分に理解している。
外に連れ出したジャックの一件、重ねて下界嫌いの黒神がと外出した一件。
偶然とはいえ、これだけ手筈が整ったんだ。
二人だってそれぞれ嫌な思いをしている。
オレだって黒神に嫌われるリスクを負ってもやってやるさ。
に普通の人間の生活に戻るチャンスを与えるために、な。
「私がもし怖くなって、隠れたり逃げたりしたらどうするの?」
「大丈夫。オレが上手いこと言っとく」
オレの言葉に納得出来ないのか、黒神に気を使ってるのか、
は黒神の方へ行き、その手に縋った。
「黒ちゃんは、どうすればいいと思う?」
「そうだな…」
黒神はの頭をを撫でる。
オレの意図に気づいている黒神は、やはりを引き止めるだろうか。
憎悪の対象である人間と、を接触させないために。
「初めての人間って怖いよな。どんな奴かわからないんだから」
は小さく頷いた。
「でもな、それは誰だって一緒だ。俺もソイツも」
「そうなの?だって、MZDはいつも簡単そうにするよ」
「アイツは……んー………?」
黒神は眉間に皺を寄せながらオレを見た。
だから自信満々で言ってやる。
「度胸と図々しさだ」
「…だ、そうだ。に図々しさは無理だろうが、問題ない」
若干呆れた口調で黒神は言うと、は少しだけ笑った。
「そうやっては笑ってな。きっと大丈夫だから」
「…うん」
「それに、もし何かあったって、いつでもここに戻ればいいんだから」
「そうだね」
は黒神に抱きついた。
それを愛おしそうに黒神は撫でる。
ちくりと痛む胸は、なんだろうな。
疎外感?嫉妬?どっちも?
「MZD…怖いけど行ってみるよ」
「よくぞ言ってくれた。じゃ、オレと一緒に行こうぜ」
オレは立ち上がっての手を握る。
が黒神に小さく手を振った姿を見て、そのままオレの家に空間転移をした。
あの黒神が他人との接触を許すなんて、予想外だった。
黒神も少しは変わっているのだろうか。
◇
は面白いくらいにガチガチだった。
それをなんとか宥めたり、お菓子を食べさせたりとオレは出来るだけのことはしてやったつもりだ。
の腹が少し張ってきた頃に玄関のチャイムが鳴った。
挙動不審になったを軽く引っ張り、オレはお客を出迎えに行った。
「おじゃましまーす」
「ハローMZD」
「おお、早かったな」
やはり現れたのはミミとニャミだった。
この二人はメディアの仕事で忙しいっていうのに、毎度すぐにオレの元に来てくれる。
「なになに?次のパーティって。私たち楽しみにしてるんだからね!」
が少し離れた位置でオレ達を見ているのがわかった。
多分この二人なら、大丈夫だろう。
「あれ、あの子今度のパーティの出演者?」
「いや、オレの弟と住んでる子。っていうんだ」
オレは手招きをしてを呼ぶ。
なかなか来ないので、影に背中を押させてオレの後ろにまで連れて来た。
「うそ!?MZDに弟がいたの?」
「初耳なんだけど」
はオレのTシャツを握り締めている。
ミミはそんなに優しく語り掛ける。
「こんにちは、ちゃん。初めまして私はミミ、こっちがニャミ」
はゆっくりとオレの斜め横くらいの位置に姿を現した。
「は、はじめまして…あの、TVでよく見てます」
「ありがとー!これからも応援よろしくね!」
「はい」
はほっとしたのか少し笑っている。
ミミよくやってくれた!
「でも、私たち今までよくここに来てるのに会うのは初めてだね」
「は事情があってずっと外に出られなかったんだ。
最近は調子いいし、オレのとこに来てんだ」
嘘ではない。
これなら説明せずともバックグラウンドを好き好きに想像してくれるだろう。
「そうなんだ。でも、外に出られてよかったね」
「はい。外はいろいろなものがあって楽しいです」
少しぎこちないが、十分会話は成り立っている。
「だよねー。家ばっかじゃつまんないし、それに…太るし」
「そうだ。今度MZDも一緒に新しく出来たカフェ行ってみない?」
「お、いいじゃん。も行こうぜ」
「え、でも」
黒神のことだな。
こうやって誰かの顔を伺わないようには、いつかしてやりたい。
「大丈夫。オレから言っとくし」
「うん。わかった」
二人とはそのまま会話を続け、仕事に遅れるからと早々と帰っていった。
パーティの話全っ然してねぇや。
ま、今度話すか。
それよりも。
「どうだった?ファーストコンタクト」
「び、びっくりした!だって、TVでしか見たことなかったんだもん!」
「これからもそういう奴等と沢山出会うぜ。友達増えるぞ~」
「本当!?新しいお友達出来る?」
「できるできる」
「じゃあ頑張る!」
まずは一安心だ。
何事も最初が肝心だからな。
今日中に、次の訪問者は来るだろうか。
来るのなら、もう一度と会わせて様子を見よう。
◇
「ん?みかけねぇ顔だな」
次に訪問してきたのは六だった。
丁度この辺にいたんだろうか、なかなか珍しい。
相手はの苦手とする大人だが、わざと廊下で二人が出くわすように仕向けておいた。
案の定は大きく身体を震わせた。
しかし、逃げも隠れもしなかった。
「は、初めまして…です」
「俺は六だ。お嬢ちゃんは次のパーティに出演か?」
「ち、違います…」
よく頑張ったぞ。
「六じゃねーか」
オレはあたかも今初めて六を見つけたかのように振舞う。
はほっとした顔をして、オレに駆け寄った。
「はオレの弟と住んでる子なんだ。人慣れしてねぇから、優しい対応で頼むぜ」
「ふうん。なるほどな」
を上から下までじっくりと観察している。
「MZD。いらない塊とかあるか?木とか」
「これはどうだ?」
何のつもりかわからないが、取り合えずお望みどおり五十センチくらいの木の塊を出現させた。
「お嬢ちゃん見てな」
六はその塊を取り上げ、上に投げた。
目にも留まらぬ速さで刀を抜く。
刀を収める音が鳴ると、廊下に可愛らしいパンダの置物が立っていた。
六は徐にそれを拾うとに差し出した。
「やるよ」
あ、こういうの弱いぞ。
ほら、目が星達が瞬くよりも輝いている。
「すっごーーい!!おじさん凄いね!」
「おじ…六でいい」
「じゃあ六…さん?ねぇ、これ、もらっていいの?」
「あぁ。今日初めて会った記念だ」
「ありがとう!!大事にするね!」
はしっかりと抱きかかえ、オレの袖を引いた。
「MZD、一旦お家に帰る。それでね、これをお部屋に飾る!」
「OK。いくぞ、それ」
座標はの部屋。オレは瞬時に飛ばしてやった。
「…六、サンキューな」
「あれほど喜ぶとはな。新鮮だったぜ」
「は世界を知らないからな。同族である人間というものすら知らないんだ。
神であるオレと弟としか接したことしかなくて」
「それが何故ここに?今まで見たことないぞ」
「そろそろ人間に慣れさせようと思ってな。それで」
「そうか。子育てもやるとは神とは忙しいな」
「いやいや、オレ幸せだから」
のことを考えて、のために行動する。
案外楽しいもんだ。
オレと六は次のパーティに関することを話し合った。
「あ!間に合った」
が帰ってきた。
オレの家の扉と黒神の家は繋げたままだったから、そこから来たんだろう。
「お部屋に飾ってきたよ!」
「そうか」
六に頭を撫でられ、は頬を染めた。
少し俯きがちに言う。
「…黒ちゃんたち以外で、初めてです」
「嫌だったか?」
「全然!…良かった、です。すごく…嬉しいです」
大きく首を振ったが六を見上げた。
オレや黒神に見せるような、満面の笑顔がそこにあった。
「よかったな、」
「うん。六さんありがとう」
オレも六に礼を言う。
二度目の接触がここまでいい形になるとは、正直思いもしなかった。
「じゃ、オレはそろそろ行くぞ」
「え、行っちゃうんですか?」
「また会えるさ」
「はい…」
「もそう凹むなよ。機会がありゃ、会えんだから。
「でも、……ううん。またね」
納得は出来ていないようだが、は小さく手を振った。
「またな、お嬢ちゃん」
六はまたどこかへ行ってしまった。
今回は参加するようだから、またそのうち会うだろう。
「六さんって凄く…いい人だね!」
愛らしい笑顔を浮かべたを見ると、こちらまで嬉しくなった。
◇
「くそっくそっくそがっ!!」
たかが人間のくせにに触りやがって。
汚らしい人間め。
を汚していく奴等め。
はお前ら薄汚れた存在とは全く違うんだ。
「ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる」
「マスター!!」
「殺す殺す殺す、何が何でも殺す。殺してやる!!」
「マスターいけまセン!何か、他の、他の物を壊しまショウ」
壊す壊す壊す。
人間共を滅ぼす。
いやこの際なんでもいい。
生けとし生けるもの全てを根絶やしにしてやる!!
…
……
………
…………
「マスター」
「ん…。俺何してた?」
「ゴ覧の通りデス」
ああ、いつもの光景だ。
山は抉られ、地面に真新しい大きなクレーターがいくつも出来ている。
燃え盛る炎が辺り一帯を包んでいる。
それに伴い動物たちが安全な場所を求めて逃げ惑う。
とてつもなく黒く重い空が地面を押し付けている。
「道理で。少しだがスッキリしている」
MZDと対の存在である俺は、こうやってたまに世界を壊す。
俺が直接手を下す場合もあるし、災害や疫病なんかを起こす時もある。
それが、俺の、黒神として創られた俺の役目だ。
「…はぁ。が居ない」
今頃MZDの家でまた知らない誰かと関わっているのだろう。
が相手を嫌がればいいが、また先ほどの様になるかもしれない。
嫌だ、絶対に嫌だ。
がもし、どこかへ行ってしまったら。
俺を置いて、遠い世界へ行ってしまったら。
俺ではない誰かを、求めてしまったら。
俺は吐き気を催すと同時に、また腹の奥底から破壊衝動が迫る。
これは俺の役割故の仕様なのだろう。
感情の昂ぶりは破壊とリンクしている。
「ソロソロサンに帰ってきてもらいマショウ」
早くに会いたい。
自分の目でしっかりとその姿を映したい。
今まで、気が遠くなる程長い間生きてきた中で一番大好きな人。
俺が唯一、破壊衝動にかられない相手。
可愛い可愛い、俺の………傍に居てくれる人。
「マスターも家に帰りまショウ」
頷く力もない俺は黙って自室へ転移した。
「私ハサンを呼んできマス」
リビングに帰ってくると、はいなかった。
部屋はしんと静まり返っている。
がいないとこの空間は死んでいる。
時は流れない、変化もない。
俺の存在が世界から排斥されていく。
「…」
がいない世界なんて要らない。
そこには俺個人を必要とする者など居ないのだ。
黒神の役目を求める者だけしか。
「た、だいまー!」
の声。
反射的に俺はいつもの自分に戻る。
「おかえり」
パタパタと音を立てて駆け寄るの頭を撫でる。
ふと、違う誰かがに触れたことを思い出す。
「楽しかったか」
こんなこと聞きたくない。
「うん。怖かったけど、大丈夫だったよ」
「凄いじゃないか」
今回勇気を振り絞ったに、俺はあわよくば失敗してくれればと思ったのだ。
アイツからすれば、の教育のために、他の生物と接触させたかったんだろう。
のためを思えば当然のことだ。
でも、俺は。
「あのね、今日会った人はいい人だった。頭も撫でてもらったんだ」
「…嬉しかった?」
俺は声を震わせることなく言う。
それに答えるの声はひどく明るかった。
「うん。だって、私撫でられるの好きだもん」
「そうか」
苛立ちを出来るだけ表に出さないように努める。
そうしていると、俺の中で破壊衝動がチリチリと胸を焦がす。
それは決して、には向かわない。
矛先は勿論────に触れた、
「サン!!」
影の大きめの声が部屋をしんとさせる。
は驚き、音の方向へ目を向けた。
「お風呂…どうデスカ?」
「え、早くないかな?ま、いっか…。じゃあ、今から入るよ」
は一度部屋に引っ込み着替えを取りに行った。
俺は深く息を吐く。
「大丈夫デスカ?」
「ああ。正直助かった」
「イエいえ、アナタの影ですから」
はその手に服を抱え、風呂場の方へ行った。
俺の中には、未だに破壊欲求が燻っている。
身体をソファーに投げ出しても、静まらない。
「…もう一回行ってくるか」
次はどの辺りを壊そうか。
「コレ以上は世界のバランスが崩れてしまいマス」
俺は隠すことなく舌を打った。
「…そうです。お風呂にでも行かれタラどうデスカ?」
「何言ってんだよ。が今いるじゃねぇか」
「ハイ」
そこでようやく、影が言わんとすることを理解した。
「そ、そりゃ、は絶対にいいよって言うだろうが」
とお風呂に入ったことなんて、今のとはない。
に求められなかったし、自分が何をしでかすかわからなかったからだ。
が望むまで、俺からは何もしない。
そう思って今までやってきたが。
「どうしマス?」
他の奴等より優位に立つには。
昼の出来事のせいで、俺はその誘惑を一刀両断することが出来ない。
「……」
結局俺は風呂場の前に来てしまった。
「」
「黒ちゃん?どうしたの?」
磨りガラス越しに肌色が見える。
「あーっと…今何してる?」
「浸かってるよ」
俺は大きく息を吸い、言葉を発した。
「俺もそっち、行っていいか?」
「え?…うん、いいよ」
予想通りの答え。
俺の中の葛藤がすうっと消えていくのが分かった。
服を一枚ずつ脱いでいる間、妙に自分の呼気がうるさかった。
何者かが俺を何度も何度も殴りつけてくる。
でもそんなうるさい心臓が、久しく無かった鼓動が心地よかった。
「入るぞ」
「うん。どうぞ」
風呂の扉を開けた瞬間、湯気が俺を包む。
眼鏡を着用していない今は、何も俺の視界を拒まない。
煙の奥、猫足バスタブの中にちょこんと、が見えた。
そっぽを向いているを横目で確認し、俺は身体をシャワーで流す。
一通り流し終えた後、微弱に揺れる水面に足を下ろした。
ようやくを正面に見据える。
髪は湯船に入らないように大きなバンスクリップでアップにしている。
火照った身体が、呼吸の度に揺れる。
雫が身体をいやらしく映す。
そして、視線を下に下ろせば──。
「わぁ!泡風呂だ!」
の身体が見える前に水面に十センチ以上泡を出現させた。
見てはいけないと自分がブレーキをかけたのだ。
これで少しは気持ちが落ち着く。
「今日はどうしたの?」
「嫌だったか」
「ううん。嬉しいよ。お風呂って一人で寂しいから」
「そうか」
俺だって同じさ。
同じ家にいたって、壁を挟めば孤独だ。
「ねぇ、遊んでもいい?」
「当たり前だろ」
は泡を掴んだり、飛ばしたり、泡の山を掻き分けたりと楽しそうにしていた。
俺はそんなの相手をしたり、眺めていたりして過ごす。
一度、が足を滑らせた時には肝を冷やした。
身体には触れず、自分の神の力で止められたから良かったものの、もし触れていたら俺は冷静でいられただろうか。
正直、バスタイムにしてはどっと疲れた。
「そろそろ上がろう。ふやけるぞ」
クラクラする頭を抱えて、俺は湯船の栓を抜いた。
「はーい」
がシャワーを出して髪を濡らす。
「洗ってやるよ」
「本当?ありがとう」
シャンプーを手に取り、濡れたの髪を撫でた。
地肌にも刺激を与えつつ、洗髪していく。
はその間大人しく座っている。
少しずつ水が抜けていく。
「流すから、息止めてろよ」
頷いたことを確認し、シャワーヘッドをに向ける。
泡が流れ、ぺたりと張り付いた髪が年の割りに小さい身体に絡む。
その裸体を明確に映し出す。
水かさはますます減っている。
リンスやコンディショナーも施し、俺は一段落した。
「次は私がしてあげる!」
「ああ」
俺はが振り返る前に背を向ける。
は鼻歌を歌いながら俺の髪を洗っていった。
その際何かが背中に触れていた気はしたが、出来るだけ気にしないことにした。
もう、殆ど水は排水溝に流れてしまっていた。
「終わったよ」
「ああ、すまんな」
そのまま俺達は身体を流して一緒に出た。
俺は結局、の身体を視界に入れることはなかった。
脱衣所に置かれたタオルと着替えを使い、俺達はの部屋に向かう。
そこで、自分のは適当に、のは丁寧にドライヤーで乾かした。
「今日はいっぱい相手してくれるね」
「え、そうか?」
「だって、黒ちゃんはデスクに向かってる時のほうが多いもん」
小さな棘が自分を刺した。
「あ、怒ってるわけじゃないんだよ!全然」
「すまない」
「気にしないで。黒ちゃんの邪魔したくないから」
丁度ノックの音が響いた。
「少シ遅くなりましたが夕食デスヨ」
「はーい。行こっ」
が手を引く。
俺はそれに素直に従いながら思う。
に俺と同じ運命を辿らせるか、それとも…。
だが、うかうかしていたら、本当にを奪われてしまう。
俺が大切にしているのは、か、俺か─────
(12/02/15)