第39話-少女ノ殻-

二人がいなくなり、ようやく一人を見つけた。
見つけたというのに、言いようもない不安がぶわっと身体の奥底から湧き上がる。

次帰った時。がらんとした部屋を見てしまったら。
それが怖くて、捉まえておきたかったのに。

は、他にやらなきゃいけないことないか?」

あっさりと、やんわりと、断られ。

意地悪とは違う。そういう人ではない。
そんな目で私を見ていなかった。
でも、私は。子供で。恨み言をつい呟いてしまいそうになる。
我侭な言葉をごっくんと飲み込んで、私はやるべきことを行うことにした。





「マジ!?やったじゃん、良かったな」

この度のイベントでお世話になった方々にお礼を言いに行く。
学校の友人らにも、MZDを発見することが出来たことを報告する。
彼らは異口同音に彼との再会を喜んでくれた。
まるで、自分のことのように。
私は気分がすっとするのを感じた。

良かったね。

その言葉を聞く度に、心が軽くなる。

黒神は見つかったの。

そう聞かれる度、鬱々とした気分に落ちていく。

私の探し物はまだ見つかっていない。
私の日常はまだ戻ってこない。











残すはジャック一人。
彼は本当に、申し訳ないくらいに私を補佐してくれた。
ヴィルヘルムからの指令があれば行かねばならぬというのに、
「今何も言われてないから」と時間帯を一切気にすることなく動き回ってくれた。
私といえば、力を乱発してすぐに疲労し眠気に襲われ、頭も回らず。
力がいくらあったところで、私は全然駄目だった。力の持久力があまり無いことを痛感した。
MZDや黒ちゃんに追いつくことは、相当先のこと。もしかすると永遠にないかもしれない。

「ジャック!いるーー?!」

城内で声を張り上げる。
いつもならば、私に判るようにと足音をわざわざ立てて来てくれる。
耳を欹てるが辺りはしんと静まり返っていて、ジャックは現在不在であることが判った。
城ではなく、ジャック本人に座標を置いて転移すれば良かったと、私はもう一度転移を図る。

ばっと。

目の前に黒い影が立ち上る。
思いも寄らぬことに甲高い叫び声を上げて飛び上がり、そして尻餅をついた。
冷たく硬い床が臀部に相当な衝撃を与えたことに気を払う余裕はなく、目の前のものが何であるかを懸命に確かめる。
天井を見上げるように上を見れば、見たことのある奇怪な仮面が目に入った。

「び、ヴィル……」

ぬっと頭上から腕が伸びてくる。
──叩かれる。
とっさに私は目を強く瞑って頭を抱えた。

だが、何も起こらない。
恐る恐る目を開いて、顔を上げると、ヴィルヘルムはじっと見下ろしていた。

「いつまで地に這いつくばっているつもりだ。みっともない」
「ご、ごめん……」

なんとなく私が悪いような気がしたので謝罪しつつ、私は立ち上がってスカートを払った。
改めて、ヴィルヘルムの第二の顔を見る。いつもと同じく、目だけが妖しく光っている。

「なんだ」

鬱陶しそうに言うと、ヴィルヘルムの瞳が鋭く光った。

「久しぶりに、顔を合わせたなと思って」
「意味が判らん」

なんだと言うから正直に答えたというのに、一蹴されてしまった。

「……で、結局貴様は神を見つけることが出来たのか?」
「MZDは」
「そうか、なら、問題ない。もう一方のアレは必要あるまい」

淡々とヴィルヘルムは述べた。何の感情も見えない。

「……なんで、そんなことを言うの」

淡白すぎる口調は、本当に黒神という存在を必要としていないというのが現れていて。
私は、とても嫌な気持ちになった。

「必要ないからだ。世界に」

それに私が言い返す間もなく、ヴィルヘルムは矢継ぎ早に言葉を足した。

「黒神が行うべきこととは、何か、知っているな」

勿論であると、私は頷いた。

「破壊によって、世界に変化を与えること。新しい創造のための地ならし」
「正解だ。
 そして、よく考えろ。それだけならば、黒神である必要はない。
 理由は簡単。神でなくても破壊は行えるからだ」
「確かにそうかもしれない。でも、出来ないこともあるんじゃないかな」
「栄えすぎれば滅びる。それは自然の成り行き。私は今までに何度も目にしている。
 その滅びに手を貸したことだって少なくない」
「でも、きっと、黒ちゃんじゃないと駄目なことってあるよ。例えば────」

言葉がすぐには出てこなかった。彼を庇いたかったのに。
ヴィルヘルムは、繰り返す。

「世界に黒神は必要ない」

腹が立った。あまりにもヴィルヘルムの言い分は、彼に対して失礼で。
それなのに私は、ヴィルヘルムを納得させるだけの言葉や理屈を用意できないでいる。
もどかしく思っていると、ヴィルヘルムは静かに言った。

「だが、こうも言える。
 私も貴様も、世界には必要のない、取るに足りない存在である」

ヴィルヘルムらしくない言葉に、私は怒りを忘れて声を漏らした。
ぽかんとする私を視認すると、言葉を重ねていく。

「世界の調停者ならば、何故感情がある。効率を落とすだけの無意味なものであろう。
 つまり、奴等は世界の頂点に君臨していない。そういう駒なのだ。
 どこぞのテラーがこの世界を舞台に物語を書いているだけ。
 奴等は話を盛り上げるために配置された駒である。私達と同じく」

これを肯定することは、黒神だけではなくMZDまでも否定することになる。
だけど私は、納得してしまった。
彼らは特別なようでいて、私達と変わらない存在であるのかと。

「黒神はいらない。あれはMZDを動揺させるために置かれたのだろう。
 その方が面白いからな。それに完全無欠と思われた神が実は欠陥だらけという差はまさに滑稽」
「滑稽とまで言うのはどうかと思うけれど」

あまりにも彼を馬鹿にする言葉のチョイスに文句をつけて。

「ヴィルの言いたいことはわかったよ。
 でも、黒ちゃんを探さなくて良いっていうのは別の話。
 例え世界が黒ちゃんを必要としなくとも、私は黒ちゃんが必要だよ」
「何故、何のために」

今まで散々この私が説明してやって、何故そのような結論に至るのだと言わんばかりだ。
だから私は、思ったことをそのまま述べる。

「黒ちゃんがいなくて寂しいからだよ」
「孤独など、黒神でなくとも満たせる」

ヴィルヘルムは呆れたように息を漏らした。

「そうだね。でも違うの。そういうのじゃないの。
 私のこれからの未来に黒ちゃんは必要なの。いて欲しいの」

すると深い深い溜息をヴィルヘルムがついた。
思わず身体を震わせてしまうくらい、驚いてしまう。そこまで呆れることなのかと。

「……貴様は実にくだらんな」
「ヴィルのことだって、会わないと私寂しいよ」

するりと本音が出てきた。

「最近会ってなかったでしょ?その間寂しかったよ。会いたいって思ったもん」
「私に会って何の利益がある」
「利益じゃないよ。どうしてそんなことしか考えられないの。頭でっかち」
「あたっ、」

悪口を言うくせに、言われるのは慣れていないのか、珍しく動揺を見せた。

「会いたいって思うのは理屈じゃないよ。心がただ求めてた」
「……本当に私を求めているのか」

本当にとは。
きっと何かそこに意味があったのだろう。
私は見えない裏の意味は判らないまま肯定する。

「そうです!」

張り切って返事をしたはいいが、また馬鹿にするだろうか。そんな心配をしてしまう。

「……変な奴だ。貴様は」

私の顎をくいっとすくい上げたヴィルヘルムは心なしか、笑っているように見える。

「私も貴様を欲している。貴様の中にある、力を、魂をだ」
「……本当にそれだけ?」

本当に、と。
私は彼の本音に探りを入れた。
ある意図があって。ある望みを持って。
すると彼は、あっさりと答えてくれた。

「感情で私は動かない」

しぼんでいく。期待。
私の望む答えは、返ってこないようだ。

「……私とヴィルは、きっとずっと分かり合えないんだろうね」

私はヴィルヘルムに背を向けた。
もう帰ろう。ジャックはここにいないのだから。

「ならば、貴様は、や」

不自然に途切れた言葉。訝しげて振り返る。

「……さっさと帰れ」

私はもう一度身を翻した。

「どうして、それほどまでに愚かなのだ」

背中に届いた言葉は酷く同情的だった。
いつもとは違う。嘲りからくるものではない。
居た堪れない気持ちから逃れるために、私はジャックの元へ転移した。

何故か山奥へ飛ばされる。草の中からぴょこりと現れるジャック。
私は今までのお礼を述べ、もう手を貸してくれる必要はないことを伝える。

「判った。なら俺はこのまま私用に移る。はMZDのところへ戻るといい」
「本当に、ありがとね」

ばいばいと手を振ると、ぐいっとジャックの顔が近づいた。
驚く私。吐息を感じる程の近さ。思わず頬がかっと熱くなる。

。MZDが見つかったのに、どうして、そんな落ち込んでいる?」

心配そうにジャックは言った。

「そっかな?大丈夫だよ」

思わず作り笑いを浮かべた。ジャックの前で隠し事は無意味だというのに。
でも、ジャックはそれ以上聞かなかった。

「困ったら、すぐに呼んでくれ」

そして風のように駆けて行った。
気を使わせたこと、優しくされたことに、猛烈に申し訳なく思う。
作り笑いが消え、溜息。

目的はこれで達せられた。
MZDの元に帰ろう。私はMZDの家のリビングに目標を定めて飛んだ。





「MZD、ただいま」
「おかえり」

ソファーでゆっくりとしているMZD。
多分本調子ではないだろうに、ぱっと見は普段と変わらない。

「そーそ、エンディングの演出は終わったぞー。楽しかったってさ」
「……そう?」
「ああ」

最初は己の目的のために彼らを利用しただけだった。
だが、途中からは彼らがどうすれば楽しめるのかを考えている自分がいて。
だからこの賛辞は素直に嬉しいと思った。

「そっか」

駄目なところが多い私でも、何かしら役に立つことは出来るんだ。
MZDを見ると笑みを浮かべていて、私も自然と笑うことが出来た。

「……、黒神のことなんだけどな」

蝋燭の火のように笑いが消える。

「……ヒントは言う。だから、後は自分で探し当ててくれないか」
「あの。ゲームじゃないんだから……。ヒントなんて」

MZDは首を振った。

「確かにオレが本気を出せば、黒神を引き戻すことは出来る。でもそれじゃ駄目なんだ」
「……判った」

ここまで言われてしまえば、私も頷く他ない。

「ヒントは、誰も行けない場所。でも全てが帰る場所」
「なぞなぞなの?」
「本当ならばも行けない場所だ。だが、もしかしたら行けるかもしれない」

行けるかどうかも判らないところへ行けと言うのか。
これはなかなか難しくないだろうか。

「入り口には案内人を置いてある。もしそこにすら到達出来ないならまた考える」











ヒントなんてあってないようなものだ。
座標のヒントならまだしも、あんななぞなぞ風では意味が判らない。
どう解読しろというのだろう。誰も行けないなら私も行けない。
でも、私なら行けるかもしれない……なんて。矛盾している。

……なんだかホワイトランドに似ている。
あそこも入国には制限があった。私は入れないかもと言いつつ入れた。

誰も行けない場所と言うことは、多分国ではないと思う。
"誰も"行けないんだから。住民が出入り出来るような場所は当てはまらない。
異次元なんてどうだろう。これなら普通は行けない。

では、全てが帰る場所とは何だろう。
"全て"というのはあまりにも範囲が大きすぎる。
全てがってことは私も含まれるんだろうか。
私が、最終的に行く場所とは。

いや、最終的に到達する場所ということは、土地ではなく、思想……?
でも、様々な考えを持つ人間が同じ結論へ向かうとは到底思えない。

全く、判らない。

MZDは全てといった。
それは私だけじゃない、小さな動植物まで含むのだろうか。
それならば、"私"は判らないけど、身体の組織やヴィルがよく言う魂というものは判るのだろうか。
意思があり、知恵のある複雑な生き物よりも、そういうものの方がわかりやすいかもしれない。

私は海の中へ飛んだ。最近行ったからなんとなくだ。

いつ見ても浅いところは綺麗だ。
暖かい海は特に美しい。
魚だけではなく、珊瑚や磯巾着たちも色鮮やかで、海を華やかに映す。
生き物だらけだ。
勿論この海水だって、私の目には見えない小さな生き物が沢山いる。

ドキドキする。
今から自分が行うことを考えると。
怖い。だけど、やらないといけない。

息が小刻みになり、過呼吸にでもなりそうだと思いながら、
私は自分を覆っていた空気の膜をといた。

途端、肌に染み付いてくる海水。
身体に絡みつく洋服。
塩が眼球を刺激し、目を開けられなくなる。

水は怖い。泳げない。息が出来ない。

タイミングを見計らって海に呑まれたというのに、私はパニックになってしまった。
海水を飲んで、吸い込んで、吐いて、空気の泡が口から、鼻から、肺から消えていく。
身体が空気を求めている。求めて求めて、脳みそをがんがんかき鳴らしてる。
早く。早くして。早くしないと。

────死ぬかもしれない。

その時、私は
辺りの生きとし生けるもの全ての記憶と"私"の記憶を逆さに読み込んでいき、
着いた先へと身体と意識を、飛ばした。











しろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろだしろしろしろしろしろしれろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろし◇ろしろしろしろしろしろしろしろしろ◇しろしろしろしろしろ◇しろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしがろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしすろしろしろしろしろしろしろしろしろべしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしてろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしのろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろましろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろれしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろ◇しろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしろしてろしろしろしろしろしろけ







「よく、ここまでいらっしゃいました」

だれ

「やはり貴女に行かせるのは無謀でしたカ。"輪郭"を忘れておりまス。
 ホラ、思い出しテ。りんかくを。貴女が貴女であるために必要な、境界線ヲ」

きょうかいせん

きょうかいせんとは
きょうかいせんとはいかに

きょうかいせんは
きょうかいせんが
きょうかいせんを
きょうかいせんする

きょう  かいせん


きょうかいせん


きょう、かい、せん


鏡、界、線





境界線





わたしとあなたをくべつする線。

衆であるわたしたちから、わたしを切り取るための線。

切り取られたわたし。

わたしって、私。

だけど私。

私。

私とは、何。

何とは、何。なに。





サン」





"サン"

ああ、私は、"今"の私はそういうものだった。


懐かしく、心地よい、しっくりとくる、私。

そして、目の前のこれは。

「……MZDの影ちゃん?」

普段MZDの後ろに控える時の姿ではない。
あの形。どろどろした、無形の、目が花になって、全てを飲み込む口を持った。

「さすがです。全く形の同じ"ワタシ"と"私"を見分けられる者は、神以外では貴女だけでしょう」

そんなことはない。言いすぎだ。
黒ちゃんの影ちゃんはどちらかと言うと引っ込み思案で、主婦で、穏やか。
MZDの方に仕えるのはどちらかと言うと主人に似て元気で、明るくて。

彼らの最大の相違点は──。

「この先に、ワタシの一部と、黒神様がいらっしゃいマス。
 お迎えに上がって下さいマセ。早く、見つけ出して」

一番大切な人が違うこと。

「MZD様の為ニ。彼をこれ以上苦しませない為に」

私は頷いた。

「ありがとう。行ってきます」

向かう先はわからない。
自分が今前に歩いているのか、その場で足踏みをしているだけなのかも判らないのだから。
ただ、前に進むという意志を抱いて、私は両足を交互に突き出していく。

「もうMZD様に甘えないでいただきタイ。彼の辛さを理解できないのならバ」

小声だが強い口調。
私は敢て耳を塞がない。よく耳を澄まして。

「だからワタシは、貴女方のことが…………」

その先は聞き取ることが出来なかった。











歩 け  ば       歩くほど

大 事な          何かが 抜け落ちてい   くよう  な
 

上 も し   たも 左右も       な  い 





────気分が悪い。

何処を見たって白一色。進んでいるかどうかもわからないことが私を不安にさせる。

ここはいったいなんなのだろう。
どうやって私、ここに来れたんだろう。
考えたってわからない。

黒ちゃんはどこにいるんだろう。
いるなら返事をして。

そう思ったところで何の反応もない。
私が自分で見つけ出さないといけないのだ。
こちらから何度コンタクトをとっても一切反応してもらえなかったのだから。

しかし、どうしよう。
目的地が全く判らない。その上、黒ちゃんからの返事はなし。
仕方がない。やっぱり歩くしかない。
少なすぎる選択肢に、私はがくりと肩を落とす。

こんなところに黒ちゃんがいるなんて、大丈夫なのだろうか。
ほんの少ししか滞在していない私が、なんだか気分が悪くなっているのだから。
大丈夫ならいいのだけれど。


私は兎に角どんどん足を動かしていく。前に進んでいることを信じて。











そういえば、私はどのくらいここにいるのだろう。
足も疲れていないし、食欲もわいていないので、全く時間が判らない。
そうやって永遠に、この世界にいるのだろうか。

何も、誰もいない、この場所で。ずっと。
それもまた、いいかもしれない。

私は足を止め、その場で寝転ぶ。浮遊感を覚える。
寝た、と言う感じはない。まるで海の中みたいだ。
落ちているのだろうか、上がっているのだろうか、判らない。
ここに来てから、判らないことしかない。

天井?を見上げる。白い。
うつ伏せになる。白い。

頭がおかしくなる。本当に狂ってしまいそうだ。吐き気がする。

この曇りのない白の世界のどこに、いるのだろう。
このままじゃ、私が呑まれる。この空間に食われる。
もうこのままでもいいか、なんて思考に蝕まれていく。

ふと。

感覚的に落ちていく、気がした。
落ちて、落ちて、底なしの世界へ。





この世界を肯定した瞬間、変わっていく白だけの景色。








白くて





白すぎて










なにもない
















黒ちゃんのことも、求めていた強い感情も全て、白に塗ったくられて。





私は。




わたし?





わ、たしって





なに






















音が。鳴る。
無の世界に。

「誰」

神でさえも到達することが困難である、最深部。
無の世界故に何もないこの場所で。不可思議な音が。

音が近づく。
構える。
辺りを見回す。

さらさらと、雪が鳴るような音が。
どんどんどんどん。と、近づいて。
それはやがて、掌に落ちてきた。

純白の世界で、輝く淡い水色の結晶体が、瞳に映る。

……?」

言の葉を紡いだことで、結晶は砕け散った。
その代わり、本来の十七歳の少女の身体を得たが、黒神の腕の中に出現する。

!」
「……あ、黒ちゃん」

は寝起きのようにのんびりと、黒神の声に応えた。

「どうして」
「迎えに来たんだよ」

はひょいっと、黒神の腕から飛び出すと、目の前に降り立った。
目をまあるくしていた黒神は、ふっと、眉尻を下げて、目を逸らす。

「……俺は、帰れない」
「どうして」

は黒神のの左手を取って握る。
黒神は、振り解かない。
だが、握り返さない。

「どうしてって……。判るだろう?」

判っているのが当たり前だという口ぶり。
だが、は首を傾げた。

「……判らない、のか?」

が気まずそうに頷いた。
本当は心当たりがあった。もう自分といたくないということだろうと。
だがそれを自分が認めてしまうことが嫌で、は知らない振りをする。
黒神は、そうかと言い、静かに語った。その理由を。

「俺は、に酷いことをした。無理やりに口付けて、身体を弄った。
 嫌がっていると、判っていたのに。の気持ちなんて考えず、俺は、俺の為に、やったんだ」
「それが、どうしたの?」

黒神は目を見開いた。信じられないと言った風に。

「い、嫌だっただろう?俺のこと、嫌いになっただろう」
「好きだよ」
「で、でも!は、俺を、嫌がってた!触れられることを、拒んでいた!!」

拒んだ。あの時は確かに。
理由の判らない無意味な脱衣。
優しさとは程遠い、蛇のように絡みつく指先。

は確かに、黒神に恐怖を抱いていた。

「それが、どうしたの?」

は重ねて尋ねた。

「お前……何言ってんだ。
 だって、嫌なんだろう?俺を、拒否した。受け入れることを止めた。
 だったら────」
「私は、黒ちゃんと一緒にいたいよ」

黒神は大きく首を振る。

「有り得ない!!どうしてだ!俺が嫌ならそれでいいじゃねぇか!
 お前を縛る俺がいなきゃ、は自由になれる。
 は俺と違う。俺だけじゃない。には、"俺だけ"じゃない!」

悲痛な叫びが白の世界に呑まれていく
根底にある孤独感。にも同じものがある。
だから、言った。

「私は、黒ちゃんと一緒がいい。
 影ちゃんと、MZDとも。いつも通りに過ごす日常が、私は好き」

それでも、黒神は否定する。

「そこに、俺はいらない……。俺は必要ない」

握るの手を振り払おうとする黒神。
は逃さぬよう、両手で力いっぱい握り締めた。

「黒ちゃんは、いないと駄目」
「駄目じゃない」
「絶対、駄目」
「俺なんか」
「必要」
「でも」
「一緒なの!!」

はヒステリックに声を張り上げた。
絶対に駄目だと繰り返す。呪詛のように。
握り締める手も白さに拍車が掛っている。

そのあまりの迫力に黒神はたじろぐ。

「……俺のしたことは、もう無かったことには出来ないんだ……」
「無かったことになるよ。全部忘れちゃえばいい。元々私の記憶は一旦全部リセットされたんだから」
「り、リセットではないさ。ただ、ちょっと記憶が失」
「私、死んだんでしょ」

目に見えて動揺した黒神をは静かに見つめた。
動物が毛を逆立てた時のように、黒神はびくりと震えた。
小刻みに揺れる指。震えている。弱弱しく。

「な、ん、なん、で、そ、それは、、ち、がう、は死んでなんて」
「私は、一度死んだ。生まれ変わった。そうでしょ?」
「ち、違う。は一人だ。一人。変わらない。ずっと、ただ、ちょっと忘れて」
「黒ちゃん」

今にも壊れてしまいそうな黒神の名を呼ぶ。
神は違う違うと繰り返す。

「黒ちゃん。いいの。今までごめんね。大事なこと、沢山忘れて、ごめんね」
「違う、違うんだ」

黒神はを抱き締める。
が本来の姿を取り戻しているせいで、いつもと位置が異なる抱擁。

「……勝手に生き返らせた俺が悪いんだ。は何も悪くない」

よりも少し背が高い黒神。

「もう全部知っちゃったから。
 だから、もう隠さなくていいよ。一人で苦しんだりしないで。
 今まで、ごめんね。ありがとう」

は手を伸ばして、黒神の首に腕を回す。
地のない無の世界では、の足元だけを黒神よりも高くすることが出来る。
そうして、黒神の頭をその胸に抱いて、優しく撫でた。

「……辛くなんか、ない。だって、俺は。がいれば、それでいいんだ」
「本当に?……本当に、私がいるだけでいいの?」

艶やかな黒髪を指で梳いていく。
腕の中の神は震えている。

「……違う。違ったんだ。アイツにはそう言ったのに。駄目だった。
 俺はが好きだ。がいてくれればそれで良いと思っていた。
 でも、あの日。に嫌われてしまったと確信した俺は、自分でも判らないくらい混乱した。
 の前から消え、を遠ざけ、一人に戻った。
 そして、思った。
 俺はに嫌われたまま、生きることは出来ないんだと。
 ただを囲っただけでは、満たされないのだと」

ぎゅぅっと、黒神はに回した腕の力を強める。
思わずが吐息を漏らしてしまうくらいに、強い抱擁。

は、思った。

「大丈夫だよ。黒ちゃん。
 私は、黒ちゃんのこと大好きだよ。一緒に住んでて良かったって思うよ。
 嫌いになんてなってないよ。またこれからも、一緒にいようね」

黒神は。
を護り、導いてきた黒神とは。

────弱い人なのだ。と。
脆く、小さく、か弱い、存在。

「黒ちゃん、一緒に帰ろう。MZDも待ってるよ」

親が子に諭すように、は優しげな口調で黒神を包む。

「でも……アイツ、MZDは……。俺は、奴に……酷いことを、したんだ。
 殺すつもりで、俺は、アイツを……っ!」
「じゃあ、ちゃんと謝らないと。私も一緒に行くよ」
「……でも、アイツは俺を許さないと思う」
「なら、許してもらえるまで謝ろうよ。それまで私も一緒に謝る」
も?」
「勿論。ちゃんといるから安心して」

溢れる愛情は、黒神の緊張を解し、幼くさせる。

「判った。謝る。身体の修復も、力の補填も、する」
「うん。そうしようね」

子供のように微笑んだ黒神。
は黒神が今の今までしてくれていたように、頭を撫でてやる。
大きな存在であると思っていた黒神はとても小さな少年に見えた。

だから思った。

「黒ちゃん、一緒に帰ってくれる?」
「……はそれでいいのか?」
「勿論だよ。前みたいに一緒に。私の家族は黒ちゃんたちだけなんだからね!」
「……そうか。判った。がそう言うのならば」

はもっと大人にならないといけないのだと。
大切な人を支えるために。
子供のままでは、この小さな少年を抱いてやれない。

「帰ろう」
「ああ」

二人は手を繋ぐ。
離れてしまわないように。
例えそれが、気休めでしかないとしても。
永遠が、存在していないと、判っていても。

手と手を繋いで、不恰好な一つの影を作り出す。




(13/02/19)