第3話-下界-

「…ただいまぁー」

MZDが作った扉は、家の玄関の扉と繋げていたようで、目の前には黒ちゃんのデスク。
だが、そこにいるはずの主はいない。
会うのが怖くて緊張していた私は少し安堵した。

「…ねー、くろちゃー」

リビングを見回しながら呼びかけてみるが返事がない。
部屋の中にいるんだろうか。

「黒ちゃーん」

黒ちゃんの部屋の扉をノックしてみたが、反応はない。
不思議なことに、こんなに声を出しているというのに、影ちゃんの反応すらない。
ということは、黒ちゃんはこの空間外のどこかにいるのだろうか。
仕方が無いから、自分の部屋で待っていようか。
自室の扉に手をかけると、後方で扉の音がした。

か。おかえり」

洗面所の方から出てきた黒ちゃんに怒ってる様子はなかった。

「黒ちゃん」

少し躊躇ったが、黒ちゃんへ歩み寄った。

…?」
「あの、今日はごめんなさい!」

精一杯頭を下げた。
ぽんぽんと頭を撫でられる。

「いいんだ。俺も冷たい対応をして悪かった…」
「ううん。私が悪いことしたんだもん。黒ちゃんは悪くないよ」

肩を掴まれ、私の背筋は戻された。

。明日…外。二人で行こう」

それはいったいどういうことだろう。
だって、私が外に行くの駄目だって。
さっき怒ったのだって、それが原因だったはずじゃ。
私は全く理解が出来ず、黒ちゃんの後ろに控える影ちゃんを見た。
こくりと頷かれた。
どういうことかさっぱりわからない。



黒ちゃんは膝を折り、私の手をとって見上げた。

「俺と一緒は嫌か?」

そんな風に聞かれたら、答えは一つしかない。











次の日。

MZDは驚いていた。
当然だと思う。私も未だに状況が理解できない。
一昨日や昨日のこととはいったい何だったのか。

「MZD。を。…お前の力で守ってもらいたい」
「え?い、いや、お前でも出来るじゃねぇか」
「俺は!…俺を信用できない」

MZDは渋っている。
うな垂れる黒ちゃんにため息をつく。

「しょうがねぇな。黒神、今後オレにもっと優しくしてくれよ?」
「…努力はしよう」

MZDは私を手招きした。

「そぉーれ」

MZDの指の動きに合わせて、カラフルな星達が私の周囲をぐるぐると回る。

が今日一日元気で過ごしますよーにー」

星達はMZDの言葉受け、私の中に溶け込んでいった。
痛みはない。
私は腹部や胸を、掌で感触をしっかりと確かめていった。
変化はみられない。

「出来たぞ」
「どういうこと?」
「神の加護さ。ま、を守るおまじないだ」

黒ちゃんが頼るくらいなんだから、凄いおまじないなのだろう。
外に出ることをあんなに心配していた黒ちゃんが、私を外に出してもいいと思う程の。

「お前も一応しとけ。それが確実だろ」
「いや、俺は…」
「何を心配してるんだ?」

なかなか首を縦に振らない黒ちゃんが私を一瞥した。

「…駄目元だがやってみよう」

黒ちゃんは私の手をとり、その甲に円を描いた。

「何者にも侵させない」

そう囁くと甲にその柔らかな唇を押し当てた。
胸を打つ、金槌が叩いたような衝撃に、思わず下を向いた。

「これで、世界が滅んでもだけは無事くらいにはなったな」
「そ、そんなの嫌だよ。一人になっちゃうじゃん!」

黒ちゃんの方は見ないように、明るい調子のMZDの方へ向く。
小さく笑ったMZDは私の頬を撫でた。

「大丈夫さ。オレ達はいるから」
「二人はいてくれる?」
「オレ達神だし」
「そっか。二人がいてくれるなら…。
 あ!でも、ジャックもいて欲しい!」
「だな」

MZDは再度私を撫でながら、黒ちゃんに向かって言った。

「お前、その姿で行くのか?」
「え。あぁ………そうか」

納得したような黒ちゃん。
どういうことなんだろうと思って、振り返ると。

「テメェと間違えられるのは癪だからな」

私の知らない人、─────大人がいた。

「誰!?!?」

思わずMZDの後ろに隠れた。

「あー…ちゃん?よーく見てみな」

くいくいとブラウスの袖を引っ張られるが、私はなかなかそれに従えない。
だって、目の前には知らない人。それも大人がいるのだ。
私は今まで大人と呼ばれる生物は、TVや昨日外出した際にちらりと見かけたくらいしかない。
なんとなく、大きい人という風に考えていたが、実際に身近で見かけると恐怖を感じた。
上から見下ろされる感覚は、なんだかばつが悪い。
何時まで経っても後ろから出て来ないせいか、MZDが大きく溜息をついた。

「黒神だよ。アレ」
「え!?」

顔だけ傾け、MZDの背後から様子を伺う。
そこには、確かに、黒ちゃんの服装そのままの、大人がいた。
背が高いというのに、なんだか小さく見えた。

「あの…黒ちゃん…なの?」
「…ああ」

黒い靄が一瞬でその人を包み小さくなっていく。
ランプが灯ったかのようにパッと靄が晴れた。
現れたのは。

「ご、ごめんなさい…」

いつもの黒ちゃんだった。

「いや、いいんだ。は悪くない。悪くないが…」
「あーあ…ひでぇ奴」
「ごめんね!黒ちゃんごめん!」
「いいさ、しょうがない」

しょうがないと片付けるには、与えてしまった傷は深かったと思う。
何度も謝るが、黒ちゃんは気にするなとそれだけを繰り返した。
折角外に連れて行ってくれようとしたのに、私は酷い仕打ちを与えてしまった。
この状況をどうしていいか分からない。

「…お前らって本っ当に手がかかるな」

MZDは私を横に抱き上げて黒ちゃんの方へ差し出す。

「持て」
「はぁ?」

と言いつつも、私を受け取った。
黒ちゃんの顔が近い。
先ほどの大人な黒ちゃんが頭に浮かぶ。
私はあまり顔を見ないようにして、おそるおそる首に手を回した。

「じゃ、そのままでいろよ。ほい」

掛け声とともに、黒ちゃんの顔がさっきの大人版よりは少し幼い顔になる。
背と太ももに当たる手の位置が変わり、先ほどよりも肌に触れられている面積が増えた。
黒ちゃんの様子を伺うと、いつもよりも軽がると私を持ち上げているように見える。

「ほら、外見がちょっと変わったって同一人物だろ?」

確かにMZDの言う通りだ。
先ほどよりがっしりしている感じはあるが、この人は黒ちゃんである。

「そんなに見られると穴が開きそうだ」

困った顔で私を見る黒ちゃん。
少し面長になった顔。眼鏡越しの切れ長の瞳。

「ごめんなさい」

やっぱり違う、とつい目を逸らしてしまった。
そのままMZDを見ると、いつもと同じで胸を撫で下ろした。

「MZDはいつも通り小さいね」
「はぁ?見てろよ」

星柄のカーテンがMZDを隠し、星達が一斉に散るとそこには大人の状態のMZDがいた。
二人目の見慣れない姿に、私は目を泳がせた。

はオレ様より全然ちっちゃいな」
「見下ろさないで!ずるい!」

むっとして思わず言い返す。
MZDは私の両頬を大きな手で包み、乱暴に動かした。

「ほれほれ。もっと言い返してみろ」
「うー、やー、め、とぅぇー」

頬に触れる異物を剥がそうとするが、相手の力が強くて敵わない。
MZDが笑っている分、いらいらする。
痛いんだってば。

「テメェ馬鹿か」
「痛っ!!」

MZDは視界から消える。
そっと見下ろすと、自身の脛をさすっていた。
黒ちゃんが蹴ったのだろう。

、大丈夫か」
「まだ痛い」
「一度下ろすぞ」

黒ちゃんはしっかりと私を支え、通常の体勢である直立方向へ戻した。
そのおかげで、私は難なく床に足をつけられた。
妙に床が温かい。

「おま!オレの上に下ろさなくていいだろうが!」
「知らん」

謝りはしないが、私はすぐにMZDの背中から下りた。

「かわいそうに。赤くなってんじゃねぇか」

黒ちゃんは私と同じ目線にまでしゃがみ、熱い頬を優しく包んだ。
顔は知らない人のようで気恥ずかしい。
だが私をガラス細工のように扱うこの慎重さは、普段から黒ちゃんに与えられている優しさだった。

「黒ちゃんっ」
「な!?」

私を大切にしてくれる、大好きな黒ちゃんに抱きついた。
背中には、常日ごろから感じている、私以外の掌の感触。

「さっきは本当にごめんね。でも、もう大丈夫だから。
 大人になっても黒ちゃんだったから」
「あ、あぁ…」

私はゆるりと黒ちゃんから離れた。
目の前にはいつもと少し違う黒ちゃん。
でも、もう怖くない。

「ようやく慣れたじゃねぇか」
「戻ってる!」

黒ちゃんの隣に立つのは、通常サイズのMZD。

「ほらほら、お前らオレになにか言うことは?」
「ありがとう!もう私平気だよ!」
「ふん」
「オレがを守るのに提示した条件!完全に忘れてんだろ」
「さあな」
「つれねぇな。ま、いいや。そろそろお前ら行ってこいよ。日が暮れるぞ」
「ああ」

大きな手が私の手を握る。

「いってきます」

玄関へ向かう途中で振り返り、手を振った。
MZDとMZDの影ちゃんが同じく手を振ってくれていた。











私は以前ジャックと歩いたアスファルトを踏みしめる。
手をしっかりと握られているせいで、以前の様に走り回ることは出来ない。
本当はもっと足を動かして見回したいのだが、あまりキョロキョロしていると黒ちゃんに窘められてしまう。
ふと目に映った、道の反対側を通る、人に連れられた犬に私は似ていると思った。

「何か希望はあるか?」

TVは見ていても、実際外にどのようなものがあるのか分からない。
漠然とした問いにどう答えようかと、頭を必死にひねる。

「あ。そういえば、いつもお洋服って何処で買ってたの?」
「この辺だ。なら、そこに行ってみるか」
「うん」

普段の洋服からパジャマ、下着に至るまで、私は自分で購入したことがない。
だから黒ちゃんが全て購入し与えてくれる。
どの服もフリルが沢山あしらえてある、可愛らしいもの。
ズボンは一、二枚くらいしかない。

はどんな服が欲しい?何でも買ってやるよ」
「ワンピース。それか、リボンがついたブラウスが欲しいの」
が欲しいと思うものがあるといいな」

私たちは長い間大通りを歩き、道端のお店がだんだん少なくなってきた頃に、小さな路地へ進んだ。
その間もしっかりと手は握られ、たまに黒ちゃんは周りを見回した。

「着いた。あの店だ」

少し足に疲労を感じ始めた頃、戸建やアパートが建つ中にそれはあった。
赤い屋根の小さなお店である。

「ちょっと待ってくれ」

そう言って、黒ちゃんは私を引き、共に物陰に隠れた。

「どうしたの?」
「そろそろシフトが変わるから待つんだ」
「シフトって?」
「従業員の勤務時間。女の店員がいる時には入れないからな」
「それって、そんなに恥ずかしいことなの?」
には分からないだろうが、俺が女物の服を買うことは相当恥ずかしい」
「いつもありがとう…」
が可愛くなるなら構わないさ」

申し訳なさと、いつもの服にそれだけの労力がかかっている事への驚きを感じた。
毎度突然に渡されるので、黒ちゃんにとって簡単なことだと思っていた。
反省。

「行くぞ」

強く手を引かれ、可愛らしいお店の中へ黒ちゃんと入った。

「いらっしゃいませ」

店員さんも私が着ているような服を着ている。
とはいえ、流石にフリルはついていない。
だが、なんだかテイストが似ている。
なんという名前の種類の服であるか、私は分からない。
黒ちゃんは店員がいる方とは逆に向いて、洋服を漁っていた。

、こういうのはどうだ?」
「可愛い。持ってるお洋服にも合いそう!」

シンプルな白いフリルブラウス。
見ていると欲しくなってしまう。

「気に入ったなら買うぞ。次」

黒ちゃんはすぐさまハンガーごと服を取り、手にかけた。
狭い店内でも私の手を引き、さっさとワンピースコーナーへ行く。

「好きなの選びな」

なんだか急かされて目が回る。
黒ちゃんは多分店内に長くいたくないんだろう。恥ずかしいから。
私もあまり悩まず急ごう。
ハンガーにかけられた服をさっさと見て、よさそうなものだけを取り出し、前後を確認。
合わなさそうならすぐに戻し、いいと思ったらサイズを確認して左手にかける。
という一連の作業を何度も繰り返し、十分ほどで店を出た。

「はぁ…」

とてつもなく疲れた。

「気を使わせてすまなかった」
「ううん。大丈夫だよ。それよりいっぱい買ってもらってごめんね」

黒ちゃんの手元にある大量の袋を見て言った。

「それは気にするな。俺神だし」

こういう物言いは兄であるMZDにそっくりだ。
指摘したらきっと否定されるので言わないでおく。

「でもさ、私といるんだから買い物してたっておかしくないし、
 恥ずかしがることないんじゃないかなぁ」
「ん?ああ。そうだな」

意に介してない様子。
どうやら、急いでた理由はそれではないようだ。

「何であんなに急いでたの?」
「ちょっとな」

黒ちゃんの横顔を見ると、当の本人はただ前を向いて歩いている。
汗ばんだ手は、しっかりとお互いを繋いでいるのに、何故だか遠い。

「次はどうするの?」
「そうだな…飯は影が用意してるし、どうすっかな」

沈黙が続く。
打破したいのは山々だったが、私も何を言えばいいか分からない。
さっきみたいに黒ちゃんが居づらいことになるのは嫌だ。
しかし、その理由を教えてくれないので、提案も出来ない。
黒ちゃんを見ればプレッシャーを与えるような気がしたので、かけないように下を向いていた。
上から小さな溜息が聞こえた。

「アイツの方が良かったか?」

困った顔を見上げ、私は首を横に振った。

「あのね、何処に行ったら黒ちゃんは楽しい?辛くない?」

目を見開いたが、すぐにいつもの、少し睨んだような目に戻る。

「俺はだけが居れば何処だって構わないさ」
「でも…」

先ほどのことを思い浮かべた。

「…そうだ。だけが居ればいいんだ!」

はっとした声を発し、黒ちゃんは突然に私を抱きしめる。
息をつく間もなく、景色が変わった。
一面の青。

「下ろすぞ」

思わず下を見ると、地面がない。

「やだこわいっ!」

胸板に顔を押し付け、離すものかと腰に腕を回す。
ここはどこなのか全く見当がつかない。

「大丈夫だ。手を繋ごう。も落ち着いて下を見るといい」
「ほんと?」
「ああ」

右手で指を絡め、爪先で硬い場所を探す。
どこも硬くない。

「落ちる…」
「落ちない」

嘘を言っているようにしか思えない。
でも相手は黒ちゃんだから。
全くの宙ではあるが、恐怖を押さえつけ足を下ろした。

「落ちない…?」
「言ったろ」

だが、足の裏には何も感触がない。
まるでベッドで横になっている時のようだ。
体全体に浮遊感を覚える。

「ここはどこ?」
「空さ。ほら、あっちがさっきと歩いた道だ」
「ちっちゃい…」
「ああ。遥か上空だ。誰も俺達に気づかない」

なんとなく、最初に通った大通りは分かった。
だがあとはよく分からない。
何もかも小さすぎて、私たちが通った道は広い町の一部でしかなかったのだなと感じた。

「人が見えないね」
「矮小で塵のようだろう」

そんな悪い言い方をしなくてもいいのに。

「MZDも気づかないかな?」
「奴は気づくさ。神だから」
「神様って凄いんだね」
「まあな」

上空から見る世界はなんだかとても小さくて、私はまだまだ知らないのだと思った。
繁栄する町の遥か遠くには、煙に覆われた箇所や、緑しかない所、真っ黒で何も見えない所など、様々なエリアがあ った。
黒ちゃんを見ると、私に向けるのとはまた別の笑みを浮かべていた。

「黒ちゃん…楽しい?」
「見下ろすのは好きだからな」

それってどういう意味で言っているのだろう。
先ほどの発言があるので、悪い意味にしか聞こえない。

、今日はその…少しは楽しめただろうか?」
「色々見れて楽しかったよ。ただ、黒ちゃんは楽しめた?」
「言ったろ。俺はと居られるならそれでいい」

今は先ほどとは違って機嫌が幾分いいように思える。
だから、私は意を決して言った。

「どうして、私は外に出てはいけなかったの?
 今日黒ちゃんは周りを凄く気にしてたよね?
 何を気にしていたの?」

黒ちゃんは少しだけ目を細めた。

「外は危険に溢れているからだ」
「でも私より小さい子だって外にいたよ。沢山いたよ」
「それは、…そうだが」
「お願い。誤魔化すばかりしないで教えて。
 黒ちゃんは私のこと嫌い?いつも私だけ仲間外れで寂しいよ」

黒ちゃんと向かい合い、目を見て言い切った。
黒ちゃんの表情は何も変わらない。
だが少し冷たさを感じた。

「…俺はお前に降りかかる災厄の全てを恐れている」
「でも全部は難しいよ?風邪ひいたりするよ?」
「人間は脆いんだ。弱く、少しのことで壊れてしまう」
「確かに私は人間だけど、黒ちゃんだってかわんないじゃん。お腹壊したり、突き指したりとか」
「そういうことじゃなくてな…」
「神様も人間もかわらないよ!ほら見て。私と黒ちゃん、全然違わない。一緒だよ」

私は黒ちゃんの手を取り掌を合わせた。
少し大人な黒ちゃんはいつもよりも大きい。
綺麗な長い指を持ち、私と同じ肌、同じ温かさを持っている。
どこをどう見たって寸分違わない。

「同じだな」

同じでしょう。
同じだよ。
同じなのに。

なんで。



なんで、今にも泣きそうな顔をするの?



「ごめんな」

合わせていた手はそのまま手首を掴まれ、黒ちゃんの胸に引き寄せられた。
強く抱きしめる。
黒ちゃんはすっかり黙ってしまった。
私は、私のと同じ匂いのする洋服を見ながら、思った。





同じであることが、こんなに黒ちゃんを悲しませることなのか、と。











黒ちゃんの家に帰る前に、MZDの家に寄った。
MZDとそっちの影ちゃんはおかえりと言って出迎えてくれた。
黒ちゃんはからかってくるMZDを適当に受け流し、MZDの家の扉を通って自宅へ帰る。
玄関には影ちゃんが待機しており、おかえりなさいと言ってくれた。
既に夕食の準備はされており、お腹が減っていた私はすぐに飛びついた。
影ちゃんに促され、二人で手を洗い食卓へつく。
いつも通りのことにとても落ち着きを感じる。
こうして、私を受け入れくれる人がいてくれる。
私は、幸せだ。

「おやすみ」
「早いな。今日は疲れたからか」

いつものように軽く抱きしめられ、ぽんぽんと背中を叩かれた。

「おやすみ。いい夢が見られるといいな」

すぐに解放され、私は自室のドアノブに手をかけた。

「おやすみー。黒ちゃんも早く寝ようねー」

黒ちゃんが小さく手を振るのを見送り、私は部屋に入った。
ふかふかベッドへ倒れこみ、もそもそとその布団の中に入る。

今日はとても眠い。
沢山のものを見て、いっぱい歩いた。
黒ちゃんとずっと手を繋げた。
お洋服も買ってもらった。





今日はとっても満足したいち、に、ち──────











はぐっすり寝たようだな」
「エエ。今日はたくさん動いたでショウカラ」

黒神は定位置である椅子に腰を下ろした。
そこで大きく息を吐く。

「大丈夫デシタカ?」
「気が気でなかったさ。だが、アイツと俺の力を使った防御結界だ。
 過信はしないが、少し気が楽になった部分もある」
「今後ドウされるのデスカ?」
が望むなら、その都度連れて行ってやるさ。
 もちろん厳重に防護してだ。何が起ころうとだけは無事なように」

頬杖をつき、目の前のペンを転がす。
ころころと転がるそれを見ながら黒神は言った。

「今まで通り、ずっと閉じ込めておけたならな」

黒神は小さな声で独り言ちた。
影は微動だにせず、佇む。

「危険のないこの空間で、無垢なままでいてくれればいいのに」

影が口を開こうとすると、先に黒神が口を開く。

「わかってるさ。俺のエゴだ」
「…今後、サンは様々な方ト交流するようにナルノデショウネ」
「どうせ、ボロボロに傷つくのがオチさ」
サンはそんなことっ」

黒神は顔を上げ、影を睨みつけた。

「相手は人間だぞ!あんな野蛮で汚い種族!
 卑怯で醜い利己的で自分勝手な生き物の代表だ!」

声を荒げた後、ぱっとの部屋を見た。
物音は聞こえない。
黒神は小さく息を吐いて、再度影を見る。

「確かにの発育のためには同種である人間の交流は必要だ。
 それは理解している。だが、そうすれば、が汚されてしまう。
 精神だけでなく、肉体的にも傷つけられてしまうだろう。
 俺は絶対に、絶対にそれは許せない」

「オ気持ちハ十分に理解できマスガ…。
 私トテ、生けとし生けるものの全てガ敵に回ったコトヲ忘れてはイマセン。
 一時だって、忘れたことはアリマセン」

「…俺は今でも以外の生物は大嫌いだ。
 ギリギリ許せてジャックまでだ。
 が好いてるし、奴自身の心は澄んでいる。
 暗殺は気に入らないが、その身体能力のおかげでを外傷からはある程度守れる」

「マスター」
「ん?」

再度頬杖をつき、デスク上のペンを指で弾く。

サンは可愛いデスヨネ」
「あ、当たり前だろ!あんなに愛しくて大事な奴……他にいねぇよ」

身体を揺らした勢いで椅子が回り、デスクを叩く。
ペンが床に落ちた。

「私もです。とても大切な方デス」
「お、お前、さ、さっきから、何が言いたいんだよ」

黒神は影から目線を逸らさず手を伸ばした。
ペンを拾い、デスク上に置く。

サンは大丈夫デスヨ。
 マスターとMZD様がコンナにも気をかけているノデス。
 キット、サンは他の人と交流を持とうと、やっていけマス。
 サンはサンのままデスヨ」
「…そうだといいがな」

黒神は口を尖らせ、くるりと椅子を回転させた。

「でもやはり理想は、が人間どもに辟易して、見切りをつけるのがいい」

窓の外。下界の天気は曇り。

「そうすれば、他の誰にもを奪われずにすむ」






(12/02/09)