第27話-台風のような-

「ヴィルー。遊びに来たよー!」

少し背の低い、女性と少女の間の人間が、魔族、ヴィルヘルムの城に現れた。
扉の類からではなく、何もない空中から突然姿を見せる。人間なのに。
それを、城の主であるヴィルヘルムと、もう一人──仮面の紳士は驚くことなく見た。

「あ。……は、初めまして。私、と言います」

は初めて見る仮面の紳士に遠慮がちに挨拶をする。
仮面の紳士は椅子から腰を上げると、に近づいた。

「初めまして、マドモアゼル。私はジズと申します」

恭しくの右手を取ると、その甲に口付ける。

「どうぞお見知りおき下さい」

仮面の紳士はにこりと微笑む。
は触れられた手をさっと引き、その熱を帯びた手を抱いた。
赤らんだ頬のままヴィルヘルムを見る。

「あ、あの、私帰るね。お客さんいたのに、邪魔してごめんね」
「構いませんよ。お嬢さんも同席して頂けませんか?」

としては、初めて会った人との会話を強いられる事態に気が進まない。
だが折角誘われたのだから、その通りにすべきなのかとヴィルヘルムに上目遣いで窺う。

「貴様の話をしていたところだ。座れ」

指示に従い、二人の間にある椅子に遠慮がちに座った。

「貴女が神に準ずる力を持っていると風の噂で聞きまして、ここに訪ねてきたんですよ」

と、物腰柔らかにジズは言った。

「そうですか……」
「突然申し訳御座いませんが、少し力を貸していただけませんか」
「い、いえ。私上手く力を使えないですし、ちょっと……」

目を伏せたままは首を横に振った。
神の力を借りに来た者の願いは拒否しろという言いつけをはしっかりと守っている。
自由に力を行使出来る様になっても、自分がしたいと思ったことのみを行い、他からの願いは聞き入れない。

「貴様に使う労力なんぞないとのことだ」
「そんなこと言ってないでしょ!勝手に改変しないでよね!」

弾けたように声を張りヴィルヘルムを非難する。
急いで弁解すると、上品にジズは笑った。

「ふふ。大丈夫ですよ。貴女が私を警戒していることは判っています」
「……ごめんなさい。その、ちゃんとその人のことを知ってからじゃないと、怖くて」

は小さく頭を下げると、ジズは頭を横に振る。

「簡単に力を貸していたのでは、この世界が壊れてしまうでしょう。仕方のないことです」
「ジズさん、ごめんなさい」
「謝罪など不必要だ。幽霊なんかに」
「幽霊!?」

先程とは打って変わり、顔を明らめたが身を乗り出してジズを見ている。

「おやおや。熱い視線を感じますね」
「すみません……。私、幽霊の方を見るのって初めてで!
 それに人間じゃなかったなんて、ほっとして」

謝りつつも、の視線はジズに釘付けである。
溢れんばかりの好奇心、そして人間が"人間"を恐怖するところにジズはまたもや小さく笑う。

「人間という割には面白いお嬢さんですね」
「娘は人間の枠はとうに凌駕してる。魔族や怪物と変わらん」
「失礼な……。私はヴィルみたいな残酷なことしないもん。普通だもん」
「笑わせる。貴様のどこが普通だ」

鼻で笑うヴィルヘルムに、はつんと顔を背ける。
すると、その頬に冷やりとした手が触れた。
温度の差に小さく声を上げると、仮面が視界一杯に入り込んでくる。

「……惜しいことです。貴女がもう十歳程若ければ」

空虚な瞳に映る何かしらの欲を感じたは、身の危険を感じ縋るようにヴィルヘルムを見た。
だが、何の救いも与えられない。

「私としては今の貴様が丁度いい。いつもの貴様は、子供すぎる」
「なんですって!?貴女この身体は一時的なものなんですか!?」

ずいずいと前のめりに近づくジズの剣幕に、は驚いた。
躊躇いがちに肯定する。

「え、ええ。私のミスで戻れないだけで、本当はもっと小さい身体で」
「なら今すぐ戻って下さい。さあ!」

先程まで余裕たっぷりの優雅な紳士であったジズだが、目の色が変え、の両手を包み込んでいる。
その豹変ぶりにたじろぎながらも、は答えた。

「私だって今すぐ元に戻りたいです。でも、戻れないんです……」
「身体の加齢には成功なさったのなら、逆も必ず出来ます!
 いっそ本来の貴女より若くなれば良いのです!」
「そうか。……なるほどな」

ヴィルヘルムは何かに納得したように頷いている。

「……じ、ジズさんって小さい人が好きなんですか?」

の問いに、ふふふとジズは声を漏らした。

「厳密には少女を好んでおります。純粋無垢で美しい。……そうまるで人形のような」

声の調子ががらりと変わり、は背筋に冷たさを感じた。

「実際の貴女が今よりずっと若いと言うならば。どうでしょう。
 黒神を捨て、私の下に来ませんか?生活水準の高さは保障しますよ。
 それに貴女が今着ているような洋服も沢山ありますし」
「本当!?」

服というワードに反応するの首根っこをヴィルヘルムが掴んだ。

「私の道具だ。勝手に勧誘するな」
「おや?このお嬢さんは黒神の所有物であると聞きましたが?」
「今、黒神を裏切れば娘は私の物になる」
「裏切らないってば!」

はヴィルヘルムの手を振り払った。
黒神との仲を引き裂こうとする二人に向かって宣言する。

「必要とあらば力は貸す。でも、私は他所の子になるつもりはありません!」
「つれないですね」
「愚かな娘だ。私の配下になるというのならば、その身体、元に戻してやってもいいというのに」

鼻で笑うヴィルヘルムをは目を丸くして見た。

「……ほ、本当に、元に戻れるの?」
「ああ」

ヴィルヘルムはあっさりと肯定した。

「だ、だってさ、前この身体見せた時、知ってるって感じじゃなかった」
「理解したのは先程だ。加えてその時点で情報を請われなかったからな」
「お嬢さんはお人よしなのですね」

呆れるヴィルヘルム。くすくすと笑うジズ。
そんな二人に、は溜息をついた。

「……なんか、二人とも意地悪なんだね」
「貴様が甘い」
「お嬢さんが甘すぎるのですよ」

は肩をがっくりと落とし、再度溜息をついた。
ヴィルヘルムに頭を下げる。

「……私の身体、元に戻しては頂けないでしょうか?」
「ならば、死神を、」
「黒ちゃんと離れる以外の条件で」
「……黒神のところへ連れて行け」
「判ったけど……黒ちゃんを怒らせることしないでね」

渋々は了承した。

「私も同行してよろしいかな?」

便乗するジズの申し立てには首を横に振る。

「駄目です。黒ちゃんに殺される。私も二人は庇いきれないです」

ジズは肩を竦めた。

「では私は帰りましょうかね。結果はまた教えて下さいね」











二人は本来ならば数日はかかる距離にあるMZDの自宅へ一瞬で転移した。

「何故死神の場所へ直接行かない」
「行けなかったの。多分ヴィルと一緒だから弾かれたんだと思う」
「用心深い奴だ」

手間ではあるが、二人はMZDの自宅の一扉から通じる、黒神宅の玄関からの進入を試みる。
は中を窺いながらそうっと扉を開く。

「た、だい、まー……」

刹那。
の脇をエネルギーの塊が通り過ぎる。
顔を引きつらせたの後方の壁が崩れた。

をたぶらかすとは、何を考えている」

黒神は玄関前に仁王立ちで立っている。
普段黒神の底冷えするような視線を向けられないは、身体を震わせた。
だが、はっとして黒神を制止する。

「黒ちゃん待って!ヴィルは、私の身体を元に戻してくれるって」
「信用できない」
「全く、貴様は……」

呆れたヴィルヘルムはわざとらしくの肩を抱き寄せた。
だがすぐに空を掴ませられる。
自身の身体にを押し付け、に見られないのをいいことに、
冷徹な表情を浮かべる黒神にヴィルヘルムは鼻で笑った。

「お、落ち着こうよ。ね」

黒神しか見えないは雰囲気で察して諌めるが、二人は睨みあったまま。

「えっと、ヴィルは本当に私のこと元に戻せるんだよね」
「仮説が正しければな。九割方当たっているだろう」
「なら交渉は決裂だ。帰れ」
「いいのか。娘がいつまでもその姿で。……人間の成長は早いぞ。
 貴様なんぞすぐに追い抜かして──」

言い終えぬ内に黒神の攻撃が飛ぶ。
当てなかったのは、警告の意を示していたからだ。
余計なことを言うな次は当てる、と。

「黒ちゃん、私は元に戻りたいよ。ヴィルが戻せるって言うなら、お願いしよ」
「それなら俺が方法を探してやる。だからこんな輩を頼るな」
「……貴様はいつどんな時でも、自分の欲望に忠実だな。娘の意思など簡単に捻じ曲げる」

目を細めた黒神が特大の攻撃を、その減らず口に叩き込む。
しかしそれはヴィルヘルムに当たる前に消えた。
口元を吊り上げるヴィルヘルムの前には、肩で息をするが。
先程まで黒神の腕の中にいたというのに、今はぽっかりと空いている。

「黒ちゃん、それは駄目だよ。やり過ぎ」
「……娘も日に日に忠実な僕(しもべ)となっていくな。
 誰かのように、逐一命令などしなくとも」

ヴィルヘルムはの頬を一撫でする。
触れられることを嫌がらないは、くすぐったそうに目を閉じた。

「束縛せずとも、ちゃんと私の下へ来る」

黒神の神経を逆撫でする言葉を連ねる。
どんなにその怒りをヴィルヘルムにぶつけようとしても、それらは全てに無効化されてしまう。
それが更に黒神の怒りを増加させた。

「ヴィル!黒ちゃんを煽らないの!!」

被り物の下で心底愉快であるとヴィルヘルムは声なく笑う。

「もう!MZDしょうかーん!」

ぽん、と黒神宅のリビングに現れるMZDは半眼でを見る。

「……なんか、オレの扱いぞんざいじゃね?」
「ごめん。お手上げで……」

MZDは部屋にいる三人を見回しては納得し、溜息をついた。

「で、どした?」
「ヴィルが私の身体戻せるんだって。でも、黒ちゃんが断るって」
「戻せんの?だったら頼もうぜ。条件何?」
「人間の時間にして一日。その間娘を私の物にさせろ」
「調子こいてんじゃねぇぞ!!」

殴りかかる黒神を、は素早くガードする。
黒神の苛立ちはどんどん募っていく。
同時に、護ってやりたい対象であるが、何故自分と対峙する形を取るのかと悲しくなった。

「……こんな奴庇うな」
「黒ちゃんの攻撃は強すぎるんだもん……」

泣きそうな黒神の表情からは目を逸らした。

「でさ、をどうすんだ?」
「雑用だ。娘の力は小間使いとして使うには便利だからな」
「……私の力って、そ、そんな扱いなの……」

神しか持ち得ない万能の力も、ヴィルヘルムにとっては雑務に便利だという認識でしかないのかと、は深くうなだれた。
一方黒神はその程度のことで、との時間を割かれてはたまらないと反対する。

「テメェが使役する下級魔族でも使っとけ」
「奴等は知能が低い。加えて気性が荒く、細かい作業に不向きだ」
「使えねぇ奴しか使役できねぇとは、テメェも高が知れるな」

今度はヴィルが攻撃するが、またもやが打ち消す。
他人事故にMZDは笑う。

忙しいなー」
「笑ってないで助けてよー。神経使うんだよ」
「しゃーねぇな。おいで」

にこりと笑むMZDに駆け寄ると、は別世界へと迷い込んだような違和感を感じた。
身体の一部が軋む感覚。MZDの腕に抱かれたは上目遣いで窺った。

「もう大丈夫。誰も力を行使できない。オレ以外は」

舌打ちする黒神と、面白くなさそうに鼻を鳴らすヴィルヘルム。
二人とは違い、はようやく落ち着けるとほっと息をついた。

「で、をお手伝いに行かせれば、元に戻す方法を教えてくれるんだな」

ヴィルヘルムはいかにもと、首を縦に振った。

「嫌だ!!そんなことするくらいなら、俺が行く!俺がこの魔族に使役されてやる!!」

何を言うのかとMZDとは目を見開く。

「……お前、そこまで」
「黒ちゃん……」
「そ、それならどうだ……!」

屈辱を噛み潰して、ヴィルヘルムに言った。

「断る」

あっさりと却下される。

「はぁ!?お前神にここまで言わせて断るだと!ふざけんじゃねぇぞ!!」
「娘の方が使い勝手が良い。命令に忠実だ。反逆心もない」
「お、俺だって、のためならテメェの言うことに従ってやっても」
「何を言うか。出来ぬことは出来ぬと言明するがいい」

ヴィルヘルムは鼻で笑った。かちんときている黒神をMZDが諌める。

「ま、まぁまぁ……。えっと、どうする?」
「私行くよ。いつもと同じことだろうし、早く元の身体に戻りたいし」
!」

黒神が異を唱えるが、話は進む。

「じゃ、黒神の影を同行な。それなら黒神も監視出来るし、影も手伝えるし一石二鳥だ」
「交渉成立だ」
「どいつもこいつも好き勝手しすぎだろ!」

ぷいっといじけた黒神はヴィルヘルムを指差し、怒鳴る。

「で、どーやったらが戻るんだよ。失敗したらさっきの話はナシだからな!」
「杞憂だ」

に向いて、静かに問う。

「貴様は元の身体に戻ろうと、そう思ったのだろう?」

こくりとは首を縦に振る。

「戻るのではない。貴様が望む大きさへと新たに自分の身体を作りかえるのだ。
 決して元に戻ろうとは考えるな。その思考回路ではいつまでも望みは叶わない」

その言葉にMZDと黒神が反応する。
は目を閉じ息を吐いた。内部の力が頭の頂点から爪先まで巡っていく。
目を開いた時には、着用していた服がぶかぶかになったになる。

「本当だ!!すっごーい!!ヴィルありがとー!!」
「……て、ことは、は」

MZDの疑問にヴィルヘルムは同意した。

「貴様等が今まで見てきた娘の身体は偽物だ。先程のものが、本来の奴の身体だ」
「えー、それはないよ。だって、今までずっとこの身体だよ?」

と言って本人は笑うが、MZDと黒神は各々何かを考えているようであった。

「契約は守ってもらおう。娘」
「は、はい。えっと、影ちゃんも行こっ」
「え、エエ……」
「あと、神どもは来るな。城を壊されては堪らんからな」

は神達の反応に戸惑いながらも、ヴィルヘルムの言葉に従う。
黒神の影とは、ろくに見送られることもなく一日仕えることになった城へと行った。

「なあ……」
「ああ……」

残された二人はぼんやりと天井を見ていた。





◇Side Schloss Wilhelm





「で、何をすればいいの」

はこの城での標準服であるエプロンドレスに着替え、その隣に影が控えている。
一日を借りる権利を得たヴィルヘルムは指示した。

「掃除」
「どこからどこまで?」
「全部に決まっている」

神に愛らしいと日々言われるだが、その評価を疑う程の嫌そうな顔をした。
それもそのはず。ヴィルヘルムの城は階数も多く、地下まで存在する。
一般家庭の大掃除でも一日かかるというのに、この城を大掃除となれば何日かかるかわからない。

サン、頑張りまショウ!私もお手伝いしマスから!」
「うー……。そう言ってくれるのは嬉しいけど、無理だよ……」

そう言いつつも、掃除用具を取りに物置へと歩く
その後ろにふよふよついていく影をヴィルヘルムは興味深そうに見た。

「奴の影とは、如何ほどのものか」
「私はただの影。ヴィルヘルム卿が望むものは何も持っておりまセン」

二人の場所だけ氷の世界であるかのように辺りの空気がチリつく。
そんな中だというのに、影はにこりと微笑んでいる。

「奴の影が、只者であるはずがなかろう」

にやりと笑うヴィルヘルムが体内の魔力を練り始めたところで、は間に入る。

「すとーっぷ。影ちゃんを苛めたら怒るからね」

あれだけヴィルヘルムを庇っていたが見せる静かな怒り。
影に危害を加えれば、言葉通りヴィルヘルムを容赦無く傷つけるであろう。
ヴィルヘルムは物珍しいと驚いた。

「さぁ、影ちゃんいっくよー」

飛び跳ねて駆けて行くの周りを影が纏わりつく。
それは、この世界で対をなす神とオーバーラップした。










言い付け通りに掃除をしていく一人と一影。
内在する無限の力を用いて、重いものを整理したり、風を操り一瞬で部屋の空気を入れ替えたり、新たに雑巾を作り出し五つ同時に操って床を拭いたりする。
世界を改変することも、種族の頂点に立つことも、この世の財を全て集めることも可能な力であるはずだが、現在は城の清掃に大変役立っている。

「ねぇ、そこにいるとヴィルまで汚れるよ。違う部屋で待ってて。サボったりしないから」
「私に構うな」
「折角の綺麗なお洋服汚れても知らないよ」

そう言って、は遠隔操作で天井を掃除する。
雑巾の一つがシャンデリアに触れ、一部装飾がの真上に落ちてきた。
の反応速度は若干遅く、このままでは当たるという時。

「鈍いぞ」
「あ、ありがと」

六角形の綺麗なクリスタルはヴィルヘルムの手の中で溶け消えた。

「全く貴様は、もしもこれが戦闘なら、」
「影ちゃん、私あっちの掃除するね!」

説教が本格的に始まる前にそそくさと逃げる
口うるさい保護者達と生活してきた故の知恵である。





◇Side The Kurokami home





「すんげーうぜぇんだけど」
に怪我がないんだから良かったじゃん」

同じ神と影の関係であっても、黒神サイド、MZDサイドによって異なる。
黒神とその影の関係はというと、普段は別々の固体として生活しているが、その存在は限りなく一つの固体である。
意図すればいつでも一心同体に近い状態になることが可能だ。

それを応用し、今は黒神の影が見たものをTVに映るようにしている。
これでMZDもの様子がモニターできるというわけだ。

「こうやって日々恩を売って、を懐柔しやがったのか」

食い入るように画面を見る黒神からは殺気が放たれている。

「また!アイツまたに触りやがった!!魔族如きがに気安く触れてんじゃねぇっつの」
「ヴィルヘルムってあんま他人触れるような奴じゃねぇと思ってたんだが」

暴れる黒神を他所に、MZDは深く唸った。





◇Side Schloss Wilhelm





城は住居という機能だけではなく、防衛としても使われる。
ヴィルヘルムの城も例外ではない。外部に対する防御もさながら、
万一内部に敵が侵入した時逃亡の時間稼ぎが出来るよう様々な魔術の仕掛けが施されれている。

「何度貴様は引っかかるつもりだ」
「じゃあ今だけ解除してよ!私は掃除に一生懸命で気を配る余裕がないの!」
「全く……」
「全くじゃないよ……」

は口を尖らせる。だが、小さく笑った。
ヴィルヘルムはそんなを呆れながらも、受け入れている。
二人の間には他人が知り得ない何かが存在している。
同じ時を過ごした者でなければ獲得出来ないそれを影はしっかりと確認した。

サン」
「は、はい!?どしたの、影ちゃん?」

突然影に話しかけられ、声が裏返る。

「普段からヴィルヘルム卿とはこのように仲が宜しいのデスカ?」
「ううん。普段は冷たいよ。今日はなんか優しい。こんなに触ってくれることもない」

そう言うの顔は少し赤い。

「どうしたんだろうね」

えへへと、影に向かって照れ笑いを浮かべた。





◇Side The Kurokami home





「なんでは奴にベタベタされて、デレデレしてんだよ!!」
「お前の台詞、完全に女だな」

ヴィルヘルムと
黒神の目の届かないところで交流する二人の関係のことを、黒神はろくに知らない。
以前見かけた時よりも、二人は親密であるようで、黒神は危惧する。
もしも二人が、より親密になるようなことになってしまったらと。

「あ、また触りやがって!!……今日は絶対と風呂入る。
 アイツの感触も魔力も何もかも全部洗い落としてやる!!!」

ぶつぶつと文句を言う黒神をただ苦笑するしか出来ない。

「それにしても、変じゃね?」
「何が!アイツの頭は元々変だろ!」
「いやいや。見る感じさ、別にそれほど掃除必要なくね?」
「潔癖症じゃねぇの!無駄にに触れまくりやがって!」
「それだけどさ。お前がキレるの判ってわざとやってんだろ」
「はぁ!?じゃあを何とも思ってないくせに、あの清らかな肌に触れてるというのか!!」
「多分そう。お前で遊んでんだよ」
「うっぜー!!!!!!」

よくもまぁ、そんな恥ずかしい言葉を自然と吐けるものだと、MZDはまた苦笑した。





◇Side Schloss Wilhelm





「この部屋は終わった……。ヴィル、次は」
「もういい。薄汚い身体を何とかしろ」
「はーい」

は使用人専用のバスルームへと転移した。
使用人専用とは言えここは個人用のものであり、集団用ではない。
ただの使用人であるなら集団用を利用するべきだが、ここを宛がったのはヴィルヘルムである。
その不自然な点には気付くことなく、ここを利用していた。
慣れた手つきで埃の付着したエプロンドレスを脱ぎ捨てる。

「お着替えはどう致しまショウ」
「大丈夫。まだエプロンドレスは残ってるの。それに、してもらえるから」

影が周囲を探ると、微弱な生命エネルギーを複数発見した。
下級に属する魔族たちだ。

「頼めばお風呂入ってる間に洗って乾かしてくれるんだ。
 そうだ、影ちゃんも一緒に入る?……洗ってはあげられないけど」

実体の無い影には触れることが出来ない。
その逆も然り。しかし、物を介してなら触れることは可能である。

「お言葉に甘エテ。お背中流させて頂きマス」
「ありがとー」







「っ、くすぐったい」
「スミマセン!こ、こうでしょうカ?」
「や、優しすぎるよ……よ、余計くすぐった、ひゃっ」
「スミマセン!」
「あのね、気を使ってくれるのは判ってる。でもね、そんなに私の肌ってやわじゃないから」
「スミマセン……」
「そんなに落ち込まないでよ」

は撫でようと思って影に手を伸ばす。しかし。

「うおわっ!?」

手は影の身体を貫通し、空を切る。
つんのめる

サン!私には触れられまセンよ!気をつけテ!」





◇Side The Kurokami home





「……何がいいたいか判るな」
「え、っと……後ろ向いてっから。なんかあったら呼んで」
「耳も塞げ。絶対に声を聞くな」
「へーい」

MZDは耳栓をつけて後ろを向く。

「……。いつ見ても綺麗だ。可愛いな」

何度も一緒に入浴しているとは言え無許可で入浴の様子をモニターする弟に、
いくらブラコンのMZDとはいえ呆れてしまうのである。


────それって、フツー犯罪だぜ?





◇Side Schloss Wilhelm





「はぁ、気持ちいい……」
「今日は頑張りましたからネ」

湯船に浸かると影。
とは言え、影は"影"であるため、入浴しようと血行が促進されることは無いし、温かさを感じることもない。
人間体のに合わせてのことである。

「ねそー」
「駄目ですよ。もう少ししたら出まショウか?」
「むふー」

は目を閉じるとそのまま湯船に沈み、ぶくぶくと息を吐く。

「っぷは!」

呼吸を求めて水面に出る。
顔の水滴を拭って目を開けると、先程まではいなかった人物がバスルームにいた。

「なんで、ヴィル!?」
「こちらを向け」

逃げるの肩をヴィルヘルムは掴むと、自身が濡れることも厭わず無遠慮にその身体を見回す。

「やはり以前の違和感はこれだ。貴様の時間は完全に止まっている。
 今から本来の貴様の身体になれ」
「嫌だよ!恥ずかしい!それより、まずは出てってよ!」

ヴィルヘルムを捕捉、そのままヴィルヘルムの自室に座標を設定、強制転移を行使しようとは胸元の指輪を介し内部の力に働きかける。

「いいのか。神が隠す貴様の秘密を知る良い機会だ」
「……サン、いけません」

影は首を振って制するが、は頭の中に描いたイメージを打ち消した。
ヴィルヘルムに頷く。

「このまま微動だにするな。私の行為の一切の拒否を禁止する」

ヴィルヘルムの手がの中に貫通する。
眩しい光が放たれる中何かを抜き出そうとする瞬間。
ヴィルヘルムはさっと手を引き、距離を取った。

「申し訳御座イマセン。サンへそれ以上の危害は許せまセン」
「やはり、影という形に自身を収めていただけだったか」

にやりとするヴィルヘルム。
崩れていくを支える影────であった、なにか。

サン。大丈夫ですか?」
「……あなた」

弱々しくは手を伸ばす。姿の変わった影であったものに。

「知ってる。……でも、あなたは誰?……影ちゃんじゃない」
「いえ、私はマスターである黒神の影です。それ以外何者でもありません」

慌てて元の影の姿に戻った。
だが、の目に映るのは先程の影に似た何かのままである。

「違う。影ではない。私、あなたを知ってる。知ってるのに、思い出せない」





◇Side The Kurokami home





「ヤバイ。が何かを察した!」
「へ?どした?風呂終わった?」
「行くぞ!がおかしくなる前に」

状況のわからないMZDの首根っこを掴んで、黒神は転移した。





◇Side Schloss Wilhelm





!!」
「来るなと言っただろうに」

ヴィルヘルムは突如現れた神に毒づいた。
呼びかけられたは意にも介さず、じっくりと影を見続ける。
慌てて黒神がを諭す。

「こいつは影だ。な、おかしくないだろう?俺の影だ」
「違う。今は影ちゃんだけど、さっきのは違う人だよ。
 ねぇ、何か思い出せそうなの。
 引っかかって上手くでなくて気持ち悪いの。
 お願い。さっきの姿に一回戻って」

影は黒神の顔を窺うが、首を振られる。
だが、はじっと影を見つめていて、今何を言おうと離れる様子はない。
この状況からどう逃れようかと考えていたところで。

「はいはーい。ちゃん。
 好奇心旺盛なのはいいけど、男三人と影二人の前で全裸なのはどうかと思うぜー」

場にそぐわない明るいMZDの発言に、は我に返る。
真っ赤になりながら身体を元の小さな自分に戻し、タオルを身に纏った。
これにより、も幾分か冷静さを取り戻す。

「貴様等揃いも揃って違反しおって。まだ契約の時間は続いている。貴様等は契約すら守れぬのか」
「すまんすまん。帰るよ。悪かったって」
「テメェがの魂を抜こうとすっからだろうが!」
「殺すわけではない。ただ、貴様等がこの娘に施したカラクリを暴くだけだ」

ヴィルヘルムは続ける。

「娘の特異性。これは生得的なものではなく、後天的なものだ。
 異常な魂の輝き、神しか持ち得ぬ力の内在、時の止まった身体。
 貴様等が何か行ったのだろう。記憶喪失というのも都合よく操作したためか」
「違う!そんなこと、あるわけねぇだろ……」
「いつもの威勢はどうした。いつも私の発言を全力で否定する貴様が今は見えんぞ。
 ……とするとやはり、真実なのだろう。全てではなくとも一部は」

心配そうには黒神を見る。
その視線を感じつつも黒神は何も言わない。
だから、代わりに。

「そーだよ」
「おい、MZD」

あっさりとMZDが白状した。

「とは言え、オレ達からは何も言えない。だって、オレ達もろくにわかってねぇからな」
「判ってることもあるのだろう」
「で、なんで、オレがわざわざ言わなきゃなんねぇの?」

にこりとするMZD。
その裏にあるものをヴィルヘルムは察する。

「なるほど」
「あ、あのさ」
「ん?どした?」

おずおずとMZDに話しかけたは、言いづらそうに目を伏せる。

「あの……私お風呂入ってるわけだし、みんな出ていって欲しい」
「そりゃ悪かった!ごめんな!」
「糞魔族もさっさと去れ!の身体をいやらしく見んな!」
「お前が言える立場かよ……」

二人はさっと消える。
は小さく溜息をついて、影に向いた。

「……影ちゃん、お願い!ちょっとだけでいいからさっきの姿になって!」
「……仕方ありまセンね。スミマセン、マスター」

影は先程の姿へと自身を変える。
手を伸ばす。影であったものも同様に手を伸ばす。
触れ合うことが出来た。

「ねぇ、影ちゃん……じゃない、あなたは?」
「……おっしゃるとおり今の私は影ではありまセン、本来の私は名など存在しまセン」
「じゃあ、なんて呼べば?」

影であったものは首を振る。

「呼ぶ必要はありません。私はこの世界の住民ではありませんから。
 それに今の私も完全体ではありませんし」
「名前が無いなんて名無しさんなの?それとも"?"なの?」
「いいんじゃないですカ?名無しデモ、ハテナデモ」
「それじゃ、私が苛めてるみたいだよ……」

元に戻る影。

サン。私のことはどうか影とだけ見て下サイ。お願いしマス」

何か言いたげなであったが、強い口調の影に折れた。

「……わかったよ。ごめんね」
「イイエ。私を覚えていて下さったコト、少しだけ嬉しかったデス」

にこにこと微笑む影は、いつもと変わらぬ影であった。
もつられて、頬を緩ませる。
だが、それを気に入らない者が一人いた。

「悪いが、私はまだ納得していない」
「面倒な方デスネ……」
「ヴィル、もうやめようよ。そりゃ私も気になってるけどさ。影ちゃんが嫌が、」

が言い終わらぬ内に影に攻撃が向かう。
しまったとが思ったが、防御は間に合わない。
しかし、影は──ハテナは無事であった。

「影ちゃん!」
「ご心配は無用です。私、マスターとMZD様には負けますが、強いですから」

ハテナとヴィルヘルムはバスルームを抜け、攻撃しながら別所へと移動していく。

「なかなか楽しませてくれそうだ」
「私は楽しくありまセン。
 早くサンの髪を乾かして差し上げたいデスし、
 お洋服を着るお手伝いもして差し上げたいですカラ」
「その強さがあって、娘や根暗神に仕えるとはな」
「私が好きでやらせて頂いているコトデス」

ヴィルヘルムの魔術は、影であったもの──ハテナにはきかない。
実体の無いその身体は全てのエネルギーを飲み込み、無に帰す。
それだというのに、ヴィルヘルムと肉弾戦を行えるのであった。
身体が無い故に速さは光のように速く、自在に本体の形を変化させる。
やっかいだ、とヴィルヘルムは思った。

「……サンは本来、貴方が触れていい様な方ではありまセン」
「随分な入れ込みようだ。貴様まで」
「エエ。心の底から愛してますからネ」

思わず、ヴィルヘルムは攻撃の手を一瞬止めた。
それ程ハテナの発言は予想外であり、戦闘に慣れたヴィルヘルムの動揺を引き出した。

「……そうか。貴様等全員あの娘に精神を支配されているのか」

にこりとするハテナ。
気色が悪いと、ヴィルヘルムは鼻で笑った。

「とても素敵な呪縛デス。私は喜んでこの身を捧げまショウ」
「狂っている」

吐き捨てるようにヴィルは言う。

「あの方の為ならば、いくらでも狂わせて頂きマスヨ」

始終にこにこと応対する影から全て本心なのだとヴィルヘルムは悟った。
そして、どいつもこいつも頭がおかしいと、評価する。

「もうやめてー。影ちゃんを苛めないで!影ちゃんもこっちに戻って!」

新たなエプロンドレスを身に纏ったは、ハテナとヴィルヘルムを透明な箱に閉じ込める。
これによりお互いが触れること、攻撃することは叶わない。

「では、止めましょうかネ」
「貴様、逃げる気か」
サンがやめろとおっしゃいますカラ」
「娘、一日好きにさせろという契約を忘れたか」
「あ。そうだったね!でもとりあえず物騒なことは止めよ!」
「エエ。やめマス」

ハテナを囲う箱は消滅し、元の姿に戻った影がに寄り添う。
はそれを庇うようにヴィルヘルムに対峙する。

「……まぁいい」

は力を解除し、ヴィルヘルムは自由の身になった。
ヴィルヘルムがすんなりと引いたことに、ほっとは息を吐く。

「私が貴様の言葉にわざわざ従ってやったのだ。一つ私の言うことを聞け」
「判った。……でも痛いの以外でね」
「構わん。寧ろ快楽を得られるだろう」

は首を傾げたが、ヴィルヘルムの表情から影は察した。

「イケマセン。サンはまだ子供デス。それに本人の同意もナイ」
「何を言う。娘の身体は成熟している」
「あ、あの、どういうこと?」
「貴様が女であることを存分に使い、私を喜ばすことだ」
「はぁ……?」

は首を傾げる。

サン、聞く必要はありまセンよ。ヴィルヘルム卿は貴女を惑わしているだけデス」
「娘の身体も、知れば変わるやもしれんぞ」

そう言ってヴィルヘルムはを抱き寄せた。
どきっとする。その胸元に触れようとするヴィルヘルム。

「……流石奴の影。手が早いな」
「か、影ちゃん……」

三叉の鉾がヴィルヘルムの喉元に突きつけられている。

サン。早くコチラへ」

は素直に従い、ヴィルヘルムの腕からすり抜けた。

「つまらん」

珍しくヴィルヘルムは気だるげに溜息をついた。

「ヴィル……どうしたの?今日一日なんか変だよ?」
「知らん。いいから魔力を渡せ」

無造作に手を差し出す。
は丁寧に手袋を脱がすとその冷たい手を握った。

「……今日は調子がいいようだな」

普段よりも多量に魔力がヴィルヘルムに注がれる。

「うん。今日はいっぱい優しくしてもらったから。そのお礼」
「貴様の為ではない。遠くで監視する死神をからかっただけだ」
「そっか。でもそれでもね、嬉しかったよ」
「……酔狂な」

心底呆れたような口調のヴィルヘルム。
しかし、やはりその空気は柔らかい。
影や神たちに対するものとはどこか違うものが二人の間に流れている。

魔族ということで今までとヴィルヘルムの付き合いを快く思っていなかった影がにこりと笑った。

サン、私は貴女の影に溶け込んでいマス。御用のある時はお呼び下さいマセ」

影は闇に紛れた。

「え、影ちゃん!?」

は光が少ないせいで自分の影がどこにあるか判らず、適当な空間に呼びかけるが何の反応もない。

「本当に溶けちゃった……」
「意外であった。奴も黒神と同種と思ったが、こちらの方が冷静なようだ」
「影ちゃんはいつも落ち着いてるよ。黒ちゃんはすぐ怒っちゃうんだけどね」

あははとは笑う。

「さて、私寝ていいかな?いつもの空部屋借りるね」
「好きにしろ」





◇Side The Kurokami home





「あの野郎、ブッ殺してやる!影も俺との同化を解きやがって!」
「まあまあ。何もないじゃん?お前の優秀な影が止めたぜ」
「だが、奴は!やはりアイツもを狙って!」

周りが見えていない弟に、寛大なMZDも面倒くさくなってきていた。

「男なんて大嫌いだ!この世の男なんて全部滅ぼしてやる!」
「全員が全員に惚れたりしねぇだろ!」
「いや。世の中にあんな子一人としていない。の魅力を知れば誰だって好きになる」
「へ、へー……(黒神って、本当救いようのない馬鹿だな)」

残酷残忍冷徹で通っている黒神も、愛した女性相手には螺子の外れた一人の男性でしかない。
冷静さをどこかに置き忘れ、いかにが素晴らしいかをMZDに語っている。
MZDにとっては、鬱陶しいことこの上ないはずだが、嬉しくもあった。
あんなに嫌いだと言っていた自分に感情豊かに話してくれること。
黒神が誰かを心から求め愛することが出来ていること。

「なんかさ、って、ヴィルヘルムといい感じだな」
「黙れ。殺すぞ」
「いや、そういう意味じゃなくてさ。見る限りヴィルヘルムってに危害を加える気なくね?」
「どうせ隠しているだけさ。すぐに影との交戦に持ちこんでただろ!」
「それはそうだけど。でも、とは違うと思う。
 って人間とはぎこちないけど、それ以外は種族を超えて仲良くなれてるのかな?」
「はた迷惑な。いや、が悪いわけではないが。
 寧ろ分け隔てなく接することが出来る、素晴らしい人なわけだが。俺としては困る」

黒神としてはやはり自分だけのであって欲しい。

「オレは嬉しいな。が色んな奴と仲良くなってくれるの」
「そんなことされたら、また俺との時間が減るだろ!」
「でもさ、そんなだから、オレたちはこんなに好きになったんだと思うんだ」

MZDは満面の笑みを浮かべる。

「……そうだな」

先程まで怒っていた黒神も、同様に笑みを浮かべた。





◇Side Schloss Wilhelm





「影ちゃん、一緒に寝て」
「エエ。ですが、私は闇に紛れてしまいマス……」
「いいよ。それってすぐ隣にいてくれるってことだよ」

簡素なベッドに横たわるが宙に手を伸ばす。
何にも触れられない。

「ちゃんといますヨ」
「うん……」

その言葉で安心したのか、そのまま目を閉じた。

「……サン」

影の言葉はもうの耳に入っていない。
ぐっすりと寝ている。

「……オヤスミなさいマセ。良い夢を」

触れられない影は、気持ちの上でを撫でた気になった。
そして、闇に紛れひっそりとに寄り添う。



(12/08/22)