第25話-中身は同じだけれど-

「ふぅ……」

ニッキーとサイバーが元気すぎるせいで、チャイムと同時に学校から逃げ出してしまった。
これが一人だけなら対処出来るのだが、二人になればその労力は三倍になる。

何故こんなことになったのか。
それは、サイバーに私が他人に絡まれている場面を目撃されたからだ。
そのせいで、眠っていたヒーロー魂に火がついたようで、ものすっごく心配性になった。
もちろんとても嬉しいのだけれど、過剰な心配は負担に感じてしまう。
本当、申し訳ないのだけれど。

と、いうことで今日の放課後は久しぶりにおじさんのところへ行こうと思う。
最近は殆どの放課後を魔界で過ごしていたので、おじさんの家に訪ねる頻度は減っていた。
今日は何の用もない放課後だし、会いに行こう。

ただ、訪ねるにしても今の時間ではまだ勤務中だ。家の鍵が開いていない。
不法侵入は簡単だが、あまりおじさんに対して失礼なことはしたくない。
どうしようかと悩んだ私は、勤務中のおじさんのところへと空間を渡った。

転移先はビルの前だった。窓ガラスの清掃をしているのがおじさんだ。
部屋はあんなに汚いというのに、職業が清掃員というのが不思議でたまらない。

「おじさん!」

私は少し遠い位置から声をかけた。
おじさんは迷わず私を捉えると、驚いた顔をして、そして呆れ顔を浮かべる。
私は周囲を見回し、おじさんと私を見ている人がいないことを確認してから駆け寄った。

「なんでこんなとこいんだよ……」
「そんなに、嫌がらなくても……」
「いや。すまん。それより、元気そうだな」

元気であることのアピールで、私は今自分が出来る一番の笑みを浮かべた。
おじさんも小さくだが、口元を緩めてくれる。

「ねぇ、お仕事いつ終わる?」
「あ?あと、一時間はあるぞ。それがどうした?」
「じゃあ、その時迎えに来る」
「なんでだよ……」
「だって、おじさんの帰り待ってたら、一緒に居られる時間が減っちゃう」

いつものように面倒くさいという顔をするが、毎度恒例の「しょうがねぇな」という言葉で私の提案を受け入れてくれた。
おじさんはなんだかんだ言って、優しいのだ。

私はおじさんの了承を得て、直接部屋へと空間を飛ぶ。
案の定、部屋の中が散乱していた。
私は窓を開け、新鮮な空気を取り入れながら掃除を始める。
細かいところは置いておき、ぱっと見綺麗な状態にまで持っていくと、買い物に出かけ、夕食の準備に取り掛かった。
少ないお小遣いが全部飛んでしまったが、久しぶりにおじさんに振舞えるのだから痛手ではない。





「いただきます」

おじさんはさっさと食べていく。私はそれを眺めている。

「嬢ちゃんは本当にいいのか?」
「影ちゃんのご飯あるから」

少しお腹が減っているが我慢。
影ちゃんが折角作ってくれるんだから、それが食べられなくなるわけにはいかない。
……でも、お腹減った。

「ほら、一口。」

差し出されたものを迷わず口に含んだ。
一口だけだから、影ちゃん許して。

「ごめんね。もっと上手くなればいいんだけど。最近時間なくて」

最近料理の頻度が減っているので、正直料理にはあまり自信はないのだ。
料理も運動と同じく、しなければ勘が鈍っていく。

「今ので十分だろ」
「でもね、影ちゃんはもっと上手いの。一回食べて欲しいくらいなの」
「すげーな。俺はいいや。嬢ちゃんので十分美味いし」
「……ありがと」

褒めてもらえて嬉しい。そうすると、おじさんがぽんぽんと頭を撫でてくれる。
そうすると、もっともっと嬉しくなってしまう。

「ねぇ、おじさんは最近どうだった?」
「変わんねぇよ。嬢ちゃんは」
「あのね────」

私は最近の出来事、学校のこと、魔界のこと、力のこと、黒ちゃんのこと沢山話した。
おじさんは軽い相槌を打ちながら、私の作ったご飯を平らげていく。

「ご馳走様。サンキューな」
「はーい」

空になった食器をまとめて流し台へ。
このまま置いているとなかなかおじさんは洗わないことを知っているのですぐに洗う。
一人分の食器はすぐに洗い終えた。

「嬢ちゃん」

濡れ手を拭き、振り返る。
おじさんはほんの少し笑んでいるように見えた。

「何から何までありがとな」

それを聞いて、胸がきゅうっと熱くなる。
居ても立ってもいられず、座っているおじさんの背中に抱きついた。
黒ちゃんと違って大きい背中は、抱きつくのが少し困難だ。
手を回すにも少し長さが足りない。

「その過剰なスキンシップ……変わんねぇな」

呆れているようだが、拒否の意は含まれていない。
おじさんは私の服の裾を引き、自身の脚の間に私を座らせた。
後ろからおじさんの手が回る。私の手とは大違いの、大きな手。
背中から伝わる体温と、包まれていることによる安堵感はまどろみの中にいるような心地よさを得る。

「全然顔見せなかったのに、突然どうした?」
「おじさん、私が来ないの気にしてくれてた?」
「全然」

こんなにもはっきりと言うなんて酷すぎる。すると、おじさんは慌てて言葉を付け足した。

「こんなとこに来ないってことは、他の奴等とよろしくやってるってことだろ。
 それはお前にとっていいことじゃねぇか」
「……寂しがってくれない」
「餓鬼が来なくて寂しがるって、それは気持ち悪いだろ……」

私は気持ち悪いとは思わない。寂しがってくれない方が寂しい。
そう思っていると、おじさんの手が頬をつついた。

「嫌ってるわけじゃねぇんだから。落ち込むなよ」
「でもー」

おじさんは頭をぽんぽんと撫でながら「悪かったよ」と言う。
それでも黙っていたら、今度は抱きすくめてくれた。
おじさんの腕の中はとても落ち着く。
ヴィルの時とは全然違って────

「おじさん、話は変わるんだけどね、抱きしめるのって種類があるの?」
「唐突な……」
「黒ちゃんやおじさんに抱っこされるのは安心するの。
 でもね、最近違う人に抱き締められた時、なんだか変な感じになったの。
 どきどきが止まらなくて、凄く、恥ずかしくて……」
「へー」

私の言ったことがおかしいのかおじさんは小さく笑う。

「それは、嫌だったのか?」

私は首を振り身体を反転させると、正面からおじさんに抱きつく形を取った。
胸に顔を埋めてしまえば、顔を見られることはない。
別になんともなっていないが、なんとなく今顔を見られるのは恥ずかしい気がした。

「……アイツがどう動くかね」
「アイツって?」

質問には髪を梳くことで誤魔化された。
アイツとは誰だろう。おじさんは何を危惧しているのか。

「嬢ちゃん」

頬に触れた手がそっと後頭部に滑り、私を上向きにさせた。
おじさんの顔が見える。背に触れる手でぐっとおじさんへと引き寄せられた。
少し目つきの悪いおじさんが、私をじっと見ている。
笑ってるわけでも、怒っているわけでもなく、ただ真剣で。
私は酷く狼狽した。

「や……」

小さく首を振ると、おじさんは私の顔を自身の胸へ押し付けた。
顔が見られなくてほっとするけれど、胸の鼓動は止むことなく大きく脈打つ。

「なーんだ、免疫ねぇだけかよ。普段スキンシップの鬼のくせに」
「いっぱい、どきどきする……。どうしよう、助けて」
「あんだけ、人に抱きついておいてそれかよ……」

そう言われても、どきどきしてしまうのだからしょうがない。
おじさんは大丈夫だと思ってたのに、こんなに苦しくなるなんて。

「嬢ちゃんは、好きな奴はいるのか?」
「えっとー、黒ちゃん、MZD、それにおじさん、後ジャックでしょ──」
「十分判った」

遮られてしまったが、まだまだ言い足りない。

「そのうち、その発言が変わる時がくる」
「嫌いになるの?」
「いや。その中で特別目を離せない奴が出来るんだ」
「へー」

私はみんなのことが気になってしょうがないけどな。
一人だけ、なんてことになるのか疑わしい。

「子供の嬢ちゃんには早すぎたか?」

小馬鹿にする言い方に、むっとする。

「身体は小さいけど、そんなに子供じゃないよ!」
「所詮十代だろ。餓鬼じゃねぇか。身体だって折れそうなくらい小せぇし……」

ふにふにと腕を触ったおじさんの手が止まった。

「……なんか逞しくなってねぇか?筋肉なんて今までなかったろ」
「えっと、多分、魔界を駆け回ったせい」

ジャックと同じことを言う。
そんなに私の身体はむきむきになってしまったのか。

「魔界って……嬢ちゃんは俺の理解の範疇を余裕で超えていくな」
「気持ち悪い?」
「別に。ただ、俺には縁のない世界だってだけだ」

おじさんははっきりと自分に関係ない世界の話だと言い切る。
それに毎度ちくりときてしまうのだが、変わらず接してくれるのは嬉しい。
住む世界が違うという言葉が頭を過ぎる。
でも、こうやって抱き合うことは出来るのだから十分だ。寂しいけど。

「でも、そんなとこで何してんだ。お前は」
「魔族の人と戦ってるの。殺さないように勝つ練習なの」
「……そうか」

これは賭けだった。
おじさんはこんなことを言う私にどんな反応を見せるのかと。
突き放されるのか、恐れられるのか。
だが、おじさんはいつものように、私の頭を撫でた。

「なんかあったか」

そっけない態度だが、その声色は優しい。
私はその優しさに甘えて、正直に話す。

「魔族に襲われて、思わず反撃したら、殺してしまったの」

殺した。
なんて、言葉を放った私に対して、おじさんはなんて言うだろう。
怒るのか。呆れるのか。嫌がられるのか。

「そうか」

おじさんはそれだけ言うと、黙って頬を撫でる。
私は沈黙が辛くて、なんでもいいからと口を動かす。

「今でも夢に見るの。本当に悪いことをしたって思ってる。
 思ってるけど、死んだものは生き返らなくて。私は謝ることも出来なくて……」

頬や頭に感じる手の感触が気持ちいいのだけれど、怖い。
おじさんは何も応答してくれない。私は続ける。

「それに、二人と同じ力をこんなことに使ってしまうなんて、二人に申し訳ないの。
 私が馬鹿なせいで、こんなことになって。だからもう、こんなことあってはいけないの。
 だから、練習するの、次はこんなことのないように。絶対にしないように」

これだけ言っても、何も言ってくれない。
怖くてしょうがない私は、おじさんに顔を埋め、しがみついた。
離れないでと。拒否しないでと。

「……嬢ちゃんがそう思ったならそれでいい。俺の顔色なんて窺わなくていい。
 こんなの自分がどう処理するかだ。その処理方法に誰も文句言えねぇよ」

ようやく言ってくれた言葉が、これだった。
私が思ってることは全部おじさんには筒抜けで、私が楽な方へ誘導してくれる。

「ただ、それは俺がスナイパーなんてやってるからだ。普通は非難轟々だ。
 勿論お前は人を選んでこの話をしたんだろうが、気をつけな。
 明らかな罪は格好の糾弾対象だぜ」

そう言ってがしがしと痛いくらいに撫でる。
さっきまで壊れ物を扱うように優しかったのに。

「おじさん!髪くしゃくしゃになっちゃう!」
「少々変わんねぇよ。細けぇ奴だな」
「そんなこと言うと、反撃でくすぐるからね!
 止めてって言ってもやめないからね!」

それは勘弁と、おじさんは手を止める。
私は手櫛で髪を直す。するりと指から髪が抜けていく。

「嬢ちゃんはなんでも出来るのか?」
「出来るよ。あんまり変なことじゃなければ」
「そうだな……じゃあ、嬢ちゃん普段ちっこいけど、大きくなることも出来るか?
 さっき上にあるもの取ろうとして跳んでたろ。
 あんま跳ばれると下に響くから違う方法にしてくんね?」

その発想は無かった。
いつも高い位置のものは人の手を借りるか、必死にジャンプしていたが、
その時だけ自分が大きくなれば一人で出来る。階下の方にも迷惑をかけずに済む。

「試してみるね」

とは言ったものの、大きくなった自分を想像するのは難しい。
願望の塊で良いのだろうか。
それとも自分のことをよく考え、あり得る未来の姿を描くべきなのか。
よくわからない。指標が定まらない。
……と言うことは失敗する可能性が高いな。
そう思いながら、漠然と自分が年相応になれるようにと祈ってみた。




「出来た!」
「服着ろ!!!」

その辺にあったタオルを押し付けられたので、簡単に巻きつけた。
いつもなら膝の辺りまでくるはずのバスタオルだが、今日は膝上だ。
凹凸のない身体も、今はちゃんと胸やお尻の部分がちゃんと隆起している。
すっごーい!!感動!!!!

「なんで全裸なんだよ!!」
「変身シーンだと毎回一度裸になるから、かな?」
「馬鹿か!だからってそのままにすんなよ。その後改めて着ろよ」
「でも、大きい服なんて家に無いし」
「……そういうことか」

自分でやっててなんだけど、どうして成功したんだろう。
普段ならもっと具体的イメージを持たないと具現化はされないはず。
なのに、今回みたいな曖昧な考えで出来ちゃうなんて、変だ。
あ、もしかして、それだけ私の力が上達したってことかな。

「……にしても、すげーな」

おじさんは私を上から下まで見ると、感嘆の声を漏らした。

「何年かしたら、私もこれくらいになれるのかな!」

背はいつもよりも高くなった。
おじさんを見上げるばかりだったのに、今はそれ程首が疲れずに済む。
そして、一番変わったのは、胸部の膨らみだ。
大きいわけではない。でもあることが凄く嬉しい。

「とにかく服がねぇんじゃしょうがねぇ。元に戻って服着な」
「うん。そうだね」

いつまでもはしたない格好でいるのはよくない。
早く元に戻ろう。出来たということだけで今日の収穫は大きい。

「……?」
「どした?」

混乱してきた。力が安定しなくなるから、冷静でいないといけないのに。
私は自分を落ち着かせるためにおじさんに話した。

「……戻れなくなった」
「……は?」
「戻れないの。どうしよ」
「…………マジ?」
「まじです」

元の身体に戻れない。
私の身体のイメージは強いはず。だって、今までずっとそれで生きてきたんだから。
なのに、戻れない。何が足りないのかわからない。疲労もしてないし、頭も働いている。
力だって十分だ。それなのに。

「とにかく黒神呼べ。奴に任せた方がいいだろ」
「う、うん」

私は慌てて黒ちゃんの身体をこの部屋に転移させた。
了承もなく呼び出すなんて悪いなと思ったのは、呼び出した後のこと。
どうやら私は、相当混乱しているようだ。

「なんで、俺様がこんなとこに……」

現れて早々舌打ちをする黒ちゃんは、とても態度が悪い。
普段はそんなことないのに、今はちょっと近寄りがたく、話しかけることを躊躇った。
すると、黒ちゃんの方が私を一瞥して毒づいた。

「なんでこんな破廉恥な場に俺を呼び出しやが────」

黒ちゃんは目を見開き、もう一度私をじっくりと見た。

「……間違っていたらすまない。もしかして……?」

すぐに気付いてもらえなかったことに若干ショックを受けながら、私はこくりと頷いた。
黒ちゃんは慌てて私の剥き出しの肩に触れる。それは少し汗ばんでいた。

「ほ、本当に、なのか?」
「そうだよ」

そう言うと、黒ちゃんは言葉を失った。
私を隅々まで見回していき、そして、──目を逸らした。

「な、な、んで服着てないんだよ……。は、早く何か着てくれ。頼む」
「家にこのサイズの服がねぇから無理なんだと」
「って、何でテメェがいんだよ!!」
「俺の部屋だから、そりゃ当たり前だろ」
「お前か!お前のせいか!に変なことしようとしたのか!ロリコン!」
「テメェに言われたくねぇよ!嬢ちゃんがヘンテコ能力でデカくなったら戻れなくなったんだよ!」

ヘンテコ能力なんて名称はちょっと悲しい。

「それで俺を呼び出したのか。しょうがねぇな」

溜息をついた黒ちゃんは、私を見ることなく、ちょいっと手を振った。
何も起こらない。

「ん?」

もう一度手を振ったが、私の身体には何の変化もない。

「……なんで、俺の力を受け付けないんだ?」
「お前でも出来ねぇのかよ。MZDは」

黒ちゃんでも出来ないなんて。なんだか胸がざわつく。
怖くなって、MZDも無理に呼び出してしまった。

「うぉ!?なんだよ……って、か?」

うんうんと頷き、MZDが伸ばした手を取ろうとする。
が、その前に黒ちゃんがその手を叩き落した。

「テメェは触んな、見んな!それより、をいつもの大きさに戻せ」
「酷くね?オレ突然呼び出されただけなのにさ……まぁ、いいけど」

ぱちんと指を鳴らす。だが、結果は。

「あれ、できねぇや」
「おいおい……。お前等神でも無理なのかよ」

目の前が真っ暗になっていく。
私どうなるの……。

「あの、明日学校どうしよう……」

黒ちゃんは私を見ずに唸り、MZDは若干笑い、おじさんは変な顔している。
ああ。もうどうすればいいんだろう。
全員困ってるよ……。
ちょっとお遊びで身体を変化させただけなのに、こんなことになるなんて。
畳を見つめていると、突然ぽんっと制服を着せられた。サイズはぴったり。

「……成長期ってことで☆」
「無理だろ」

MZDが可愛く言ったが、二人に却下される。私も二人に同意だ。
一夜でこんなに大きくなってる人がいたら、悪いと思ってもつい二度見してしまう。

「…………あ。ちょっとこっちにおいで」

手招くMZDに近寄ると、そのまま抱き締められた。
背中を弄られると「あ」と小さな呟きが上から聞こえる。
どうしたのと聞く前に、私の服が私服に変わった。
胸元はレースや花がたくさんついている、ワンピース。
そういえば、これはサイズが大きかったんだっけと思って、黒ちゃんを見ると何故か顔を真っ赤にしていた。

「……そういう問題も発生なのかよ」

弱弱しく黒ちゃんが言う。問題って、何のことだろう。

「嬢ちゃん今まで、下着いらずだったんだな」

おじさんの言葉で私は察した。
そうか、胸が大きくなったということは、アレがいるんだ。
そう、皆がつけてるアレ。私もつけないと駄目なんだ。持ってないけど。

「お、俺、今から買ってくる」
「嬢ちゃんに行かせろよ……お前が行くって怪しすぎるだろ」
「そんな無防備なを外に、他の男になんて晒せられねぇ!絶対に嫌だ!」
「……」

MZDとおじさんが引いているのが目に見えて判る。
黒ちゃんは本気だ。冗談を好むような人ではないし、何より目が真剣そのものである。

「あ、あの黒ちゃん自分で行くよ。さすがにちょっと、他のお客さんも気まずいよ」

女性下着のお店に男の黒ちゃんが行くなんて。ちょっと。嫌だ。
私のためでも、そこまではしてくれなくていい。恥ずかしすぎる。

「それに、無くても大丈夫だよ!」
「大丈夫じゃないんだよ!!!俺が制服からその服に変えた理由を察してくれ!」
「……Yシャツが透けるから?」
「それもある!けど、もっと大事なことがあるんだ!!」

なんだろう。透ける以外で、何の問題があるんだろう。
私はそっと自分の胸に触れた。いつもと違って柔らかい。
服の上から見ても、下着をつけていないなんて判りそうにない。
触られなければ大丈夫のような気がする。

「不用意に触らない!」

何故か真っ赤になって焦っている黒ちゃんが胸に触れていた私の腕を掴んだ。
駄目だ。余計なことをしないようにしよう。今日の黒ちゃんは鬼気迫っている。

「つか、もう結構遅いし店閉まってんじゃね?」
、明日は学校休んでくれ!!」

がばっと黒ちゃんに頭を下げられる。
思わず身を引いてしまう。

「い、いいよ。大丈夫だよ……」
「一生のお願いだ!」
「小学生かよ……」

とうとう土下座までされてしまった。そういうの、止めて欲しい……。

「学校の帰りに買うから。ね。それでいいじゃん」
「駄目。絶対駄目」

駄目駄目と繰り返すが、そうは言ったってしょうがないじゃないか。

「何かあったらどうするんだよ!特に、あの変態ヤロー」

多分、ニッキーのことだ。

「絶対嫌だ。やだやだやだやだやだ!俺と一緒にいよう」
「く、黒神、ちょっと落ち着けって」
「落ち着けるか!!テメェは何でそう軽く考えられるんだよ!!」

駄目だ。黒ちゃんのヒートアップは止まりそうにない。

「黒ちゃん、まず質問なんだけど何が問題なの?何をされるたら困るって思ってるの?」
「…………い、色々」

目が泳いでる。

「何が駄目か言ってよ。そうしたら私気をつけるよ。ちゃんと対策とるよ」
「……む、むり」
「曖昧にしないで!はっきり言って!」

黒ちゃんは真っ赤になって首を振る。
そんなに言いたくないことなのだろうか。
すると、MZDが私の手を引き耳打ちした。

「ノーブラだと出るんだよ。服の上から──」

MZDは事細やかに、下着を着けないことによる弊害を教えてくれた。
正直、聞かなきゃ良かったと思った。
だって、胸が大きくなると、その、胸のあの、先の、あれが服の上から出ちゃうなんて。
そんな恥ずかしいこと全然知らなかったよ!!!!知りたくもなかったよ!!!

「……もう嫌だ。元の身体に戻りたい」

黒ちゃんが真っ赤になる理由も納得だ。
確かにそんなはしたない姿を、多くの人に晒すなんて恥ずかしすぎる。

「嬢ちゃん、そう落ち込むなって。明日にはなんとかなるんだし」

確かに明日さえ乗り越えればいいんだ。それも朝から夕方まで。
そう考えると少しだけ気が楽になる。

「まぁ、とにかく明日になんねぇとどうもできねぇし、帰ろうぜ。飯まだだろ?」
「うん……」

自分の身体のことで頭が一杯で、空腹を忘れていた。
思い出したお陰で、今になって胃がきゅうっと締め付けてくる。

「じゃ、帰ろうぜ。黒神も一旦家に帰った方が落ち着けるだろ」
「……確かにここに居ても埒が明かないな」

黒ちゃんが腰を上げるのに倣い私も立ち上がる。

「おじさん、じゃあね」
「邪魔したな」
「またなー」

私達はそれぞれ空間を渡った。

「……やっぱ、あいつらとんでもねぇな」

そう言っておじさんが脱力したのを、私は知らない。











ケース1 黒神・黒神の影 in 異次元



「え、っと……、早く寝な。あ、した学校だから」

黒神はろくにの姿を捉えることなく自室に入って行った。
その様子には溜息をつく。
家に着いてからずっとこうなのだ。全くを見ない。
そんなに大きい自分は嫌なのだろうかと、は落ち込んでいた。

「影ちゃん」
「どうしましタ?」

ふよふよと不安定な存在がの傍に寄る。
黒神の影は普段と変わりなくと接している。

「大きい私、変?」
「いいえ。可愛らしい女性デス」
「……影ちゃんはそう言ってくれるけど、黒ちゃんは……」

が目を伏せると、黒神の影は頭を振った。

「マスターは照れているだけデス。突然こんなに綺麗になられて戸惑っているダケですヨ」
「本当かなぁ。だって、目も合わせてくれないんだよ」
「お恥ずかしいのデス。サンが綺麗だから」
「そーかなぁ……」

黒神の影の言葉は嬉しいが、はあまり信じられなかった。
それ程、黒神は挙動不審だったのだ。
目は合わせず、近寄れば後ずさり、話しかけても声は上ずる。
ずっとそれが続いており、は居心地の悪さを感じていた。

「MZD様に聞いてみてはいかがですカ。きっと私と似たことをおっしゃると思いマスよ」
「そうかな……。明日聞いてみるよ」





ケース2 サイバー in MZD宅の玄関



「憂鬱……」
「大丈夫だって」

いまいち気の乗らないの背をMZDは押した。
大きな溜息を吐きながら、は玄関を抜け、門へと歩く。
水色の髪を揺らしながら、大きくなったを捉えると声をかけた。

「っはよー。って、すいません。つい友達と間違えた」

は眉尻を下げて、照れ笑いをするサイバーを見る。

「いっつもここで待ち合わせしてて。雰囲気が似てるからつい間違えて」
「……似てるんじゃなくて、本人だけど」
「嘘!?マジ!」

驚いたサイバーはジロジロとを見回すと、にこりと笑った。

「すっげーじゃん!でけぇし!でも小さっ!」
「どっちなの……」

は小さな溜息を零すが、その心の内は喜んでいた。
外見が大きく変わってしまった自分を簡単に受け入れてくれたことを。
ただただ笑って、凄いと連呼するサイバーにほっとしている。

「そのまんまで、誰かの前に出ようぜ。あいつらの驚く顔が楽しみだな!」
「そうだね」

二人はにこりと笑いあうのであった。





ケース3 サユリ・リュータ・ニッキー in 学校



「いいか。オレが一緒だとすぐバレっから、だけ先に入るんだぞ」
「うん……わかった」

とサイバーはそう話し合い、実行に移した。
が先に教室に入った瞬間、クラスにいる生徒達が少しずつざわめく。
不安げながらも、は真っ直ぐに自身の席へと着いた。
ざわざわと、の周囲が揺れる。
の心も、不安に揺れていく。早くサイバーが来てくれないかと思った。

「あの、えっと、そこは、違う人の席で……間違われてませんか?」

誰もが遠巻きに見る中、サユリが大きなに話しかける。
は肩を落として言った。

です。……ちょっと外見が変かもだけど……」
「え!?さん!?」

素っ頓狂な声を上げると、様子を見ていたリュータが近づいてきた。

「でかくね!?誰かと思ったけど、だったのかよ!」

目を大きく広げて驚く二人を、後ろからサイバーが大きく笑った。

「っはははあ、やっぱびびるよな!おもしれー」
「サイバー!お前!!」
「でも、突然どうしたの?」

驚きすぎてふわふわした気持ちをサイバーにぶつけるリュータを他所に、
冷静にいようとするサユリはに尋ねた。

「戻れなくなっちゃって。もしかしたら、しばらくこのままかも」
「そうなんだ……」

サユリは今までの者と同じように、上から下までしげしげと見ていく。
も何度も繰り返されるこの行為に慣れ始めていた。

「もし、困ることがあったら言ってね。助けにな、」
「今日助けて!!!」

席から飛び上がり、がっしりとサユリの両手を握る
身体をのめりこませて迫ってくる様子に、サユリは若干引いた。

「頼めるのがサユリしかいないの!」

そう言って、は教室の隅にサユリを連れて行った。
誰にも聞こえないように、こそりとが言う。

「……下着買うのついてきて」
「え……?」

サユリは全く状況が飲め込めない。は真っ赤になりながら続けた。

「い、いま、まで、つけたことないの。だから、ないの」
「……え。そ、それじゃ、今、どうしてるの?」

聞かされた内容から想像する事態に、サユリも顔を赤らめていく。

「いまない」

予想通りの答えにサユリの声が上ずっていく。

「な、なにも?」
「キャミ二枚でなんとか。あと、MZDが秘密兵器だって……絆創膏×2」

あまりの内容にサユリは卒倒しそうになる。
サユリは所謂進んだ子ではない。人並みの知識があるだけである。
そのために、のこの発言はサユリのキャパシティを悠々と超えた。

「あの?え?だって、ば、んそう」
「私だって恥ずかしいよ!でもどうにも出来なかったんだもん!」
「もし、誰かに、バレたら……」

サユリの言葉に二人は顔を熱くした。

「サイバーは気付いてなかった。だから、大丈夫じゃないかな」
「……でも、ニッキーは?」

真っ赤だったの顔が青くなっていく。

「バレる。ニッキー変態だもん。バレそう。怖い」
「と、とにかく!絶対に触られちゃ駄目!何してもいいから絶対に近づけちゃ駄目だよ!」
「さっきからお前等二人なにこそこそしてんだよ」
「きゃぁあ!!??」

突然サイバーに声をかけられたせいで、二人は悲鳴を上げた。

「び、びびらせんなよ」

二人のあまりの反応にサイバーは肩を震わせた。
動揺を残しながら、二人に再度近づく。

「え、っと、多分もうちょいでニッキー来るじゃん。オレたちが近くに居るとすぐバレるか──」

三人が三人、目を見開いた。
その中で、サイバーとの視線が交差する。
そして────。

「っつつ……。、ごめ……」
「ひ……や……」

は冷たい床に身体を横たえ、その上にサイバーが馬乗りの形になっていた。
真っ赤になったまま、薄く涙を浮かべるを見て、サイバーは焦る。
そして、気付いた。
自分がの、何に触れているのかを。

ちゃんおっはーって、サイバーが女押し倒してやがる!!」
「ばっか!違ぇよ!!!こけただけだっつの!!」

早々にからのけたサイバーは、現れたニッキーに言い返した。

「ラッキースケベ!羨ましいぜ!で、おっぱいの感触どうだった?!」
「知らねぇよ!」

軽く頬を赤らめそっぽを向くサイバーに興味のなくなったニッキーは、
立ち上がり、制服に付着したゴミを払っているに近づいた。

「あ、その人はっ!」

サユリが制止する前に矢継ぎ早に質問していく。

「名前は!あと、スリーサイズは!初体験はいつ!?」

事情を知る全員が全員、ニッキーのあまりに失礼な質問に引いた。

「……きょ、教室にお戻りになってはいかが?」

は顔が引きつらせながら言った。

「えー、せめて何カップか聞いてから帰る」

の禁句ワードが飛び出したところで、サイバーとリュータは我関せずという態度を取る。
サユリは逃げた二人を非難しつつ、自分が言うしかないと真実を告げた。

「……その人、さんだから」

ニッキーは少し目を見開いた。だが、すぐに訝しげな様子になる。

「えー、それはねぇよ。確かに似てるけどさ。人間が一晩でそんな変わっかよ
 断崖絶壁だぜ?それが人並みレベルに増えるなんて。
 そんなことあったら、世の中の貧乳が絶滅危惧種に指定されるぜ」

教室の窓が一部、ピシリと音をたてヒビが入る。
三人は、もう自分達ではフォローできないことを悟った。

「オレ。しーらねっと……」

きゅっと口を結んだの周囲の空気が灼熱の大地にいるかのように歪んでいく。

「ニッキーなんて……」
「え?」

ニッキーは目の前に広がる有り得ない事象に、背筋を冷たくする。
そして思った。あれ、この子ってもしかしてと。

「最低!!!」

その瞬間ニッキーの姿が消えた。
荒々しく自席に座るに、おずおずとサユリが尋ねる。

「あの、ニッキーはどうしたの?」
「教室帰ったもらった。変なこと、痛いことはしてないよ」




その日一日、は不機嫌なままであった。
誰かが話しかければ普通に対応するのだが、一人で黙っているといつも口をへの字に曲げていた。
が大きく成長したことを知ったニッキーは、何度も謝ったのだが、はそっぽを向くばかり。
帰りもサユリの手を引き早々に学校から立ち去った。





ケース4 ヴィルヘルム・ジャック in ヴィルヘルムの城



「こんにちは……」
「なんだ、貴様か」

サユリとの買い物を済ませたは試しにと、ヴィルヘルムの城に訪れた。
ヴィルヘルムは大きく変わったを見ても何ら驚きはしなかった。

「あの、私が誰かちゃんとわかってる?」
「何を今更。気でも触れたか」
「……他の人は見た目が変わると気付かなかったし」
「外見がどうなろうと魂が変わるわけがない。間違う者が愚かなだけだ」

しげしげとを見るヴィルヘルムは、を引き寄せ机に両手をつかせた。
「何するの」と驚くをよそに、その背中についているジッパーを勢いよく落とす。
抵抗するを押さえつけながら、柔肌に手袋越しに指を這わしていく。
冷たい感触に、は身体を跳ねさせた。

「これは、貴様の力で身体を強制的に成長させたのか」
「そ、そうだけど……」
「精巧なつくりだ。綻びが見当たらない。身体が正しく成長を遂げている」
「はぁ……とりあえず、離して欲しいよ」
「今ここで、普段のちんちくりんに戻れ」
「……戻れないの。黒ちゃんたちにも出来なかった」
「使えん神どもだ」

そう言うと、ヴィルヘルムは姿を消した。
は文句を言いながら、服を正していく。
そうしていると、聞きなれた声が飛んできた。

だ!」
「ジャック!?」

飛んでくるジャックに思わず両手を広げて迎え入れる
いつものように二人は抱き合った。

「なんで私ってわかったの?」
「におい」

犬みたいだとは思う。

大きくなったな。柔らかくなった」

そう言ってジャックはに頬を摺り寄せた。
いつもと同じ行動ではあるが、普段と違う身体になったは気恥ずかしさを感じる。

「気持ちいい……安心する」

鼻先が胸を刺激し、はぴくりと震えた。

「どうした?痛かったのか?」

首を振ったは苦笑する。

「ジャックは変なことを言わないからいいね」
「変なこと?胸部にこんなものがあったら戦闘の邪魔にしかならないとかか?」
「確かにそれも変なことだね」

はくすりと笑った。





ケース5 MZD in MZDの家



「ただいまー」
「おう、今日は早いお帰りだな」

普段は黒神の家に直帰のだが、今日はMZDのところへ寄った。
聞きたいことがあるからだ。

「ねぇ、大きい私って変?」

MZDは少し驚くと、小さく噴出した。

「可愛いよ。というより、綺麗の方が合ってるかもな」

にししと笑うMZDには抱きついた。

「どした?」
「影ちゃん以外で、一番普通に褒めてくれたから……」
「他の奴等違うの?なっさけねー」

MZDはを撫でながら言った。

「ごめんな。そこまで大きくなられると、もう抱っこしてあげられねぇや」

は首を振る。

「しょうがないよ。大きくなるとその分重くなるもん」
「でも、少しくらいはしてやれるぜ」

そう言うと、の脇と膝の下に手を差し入れ、そのまま持ち上げた。

「む、無理しないで!」
「いいや。無理じゃねぇ……」

しかし、すぐに下ろした。
息を吐くMZDにはごめんねと謝罪する。

「でもいいな。綺麗なも」

優しげに微笑むと、の頬を撫でた。
とくんと、は胸を鳴らす。

「ん、どした?変な顔して」
「なんでもない」
「顔、赤いぞ」

指摘されたは目を逸らし、はにかみながら答えた。

「だって、……さっきのはちょっとかっこよかった」
「神だからな!」
「……神だからじゃなくて、MZDだからかっこいいんだよ」

と、は言った。
すぐにでもいつもの軽口が飛んでくると思っていたは、
予想外に訪れた沈黙に疑問を感じ、顔を上げる。
すると、そこには驚いた様子のまま固まるMZDがいた。

「……その姿で、そういうこと、黒神とオレ以外の男に言うなよ」
「なんで?」

MZDははっきりと言った。

を好きになっちまうから」
「なっ!?さっきからMZD変じゃない?熱でもあるの?」
「……かもな」

薄笑いを浮かべて、を横目でちらりと見た。

「やっぱさ、そこまでがらっと変わられるとな。オレだって意識しちまうって
 黒神なんて尚更」

ふわりとを抱き締め、耳元で呟いた。

は、黒神のこと好き?」
「す、好きだよ。当たり前じゃん」
「……良かった」

そう言うと、MZDはを離した。

「ほら、もう帰んな。黒神気が気でないみたいでさ、珍しくオレんとこに話に来たよ」
「嘘!?そんなに!?じゃあ、急いで帰る!またね!」

手を振ったは姿を消した。
にこにこと笑みを浮かべていたMZDは、大きく溜息をつく。



「頼むから、黒神以外を好きにならないでくれよ」



(12/08/10)