第21話-知らず知らずの間に振り回される-

定刻に自動で鳴るように設定されたチャイムが校内に鳴り響く。
同時にオレは自席から立ち上がった。

「お前また行くのかよ」
「まあな」
「たった十分だろ?」
「それでも行くんだよ!」
「馬鹿じゃねぇの……」

クラスの野郎の呆れ声を聞き流し、オレは目的の場所へと急行する。
そこは勿論────。

ちゃーん!!」
「う゛」

ちゃんのぺったんボディ目指して抱きつこうとすると、見えない壁がオレを阻む。
あと数センチで柔肌に触れられるというのに、空を掴むばかり。
これはちゃんが有するという神たちと同じ力によるものだ。
他の人間に知られてはいけないと普段主張しているが、オレには容赦なく行使してくる。
酷ぇもんだぜ。

「お前も学習しろって」

リュータがちゃんの肩を軽く叩くと見えない壁は消滅した。
支えを失ったオレは、前につんのめりながらも体勢を立て直すことに成功した。
つか、いちいち触んなよ。オレは触らせてもらえてねぇんだぞ。

「なんで抱きつかせてくんねぇんだよ!」
「毎日言ってるでしょ。ニッキーのは怖いって」
「ぶー」

ちゃん────。
MZDの片割れである黒神と住む、見た目も中身も小学生な女の子。
小柄な身体から放たれる笑顔は可愛くて、何でも新鮮に驚いてくれて、優しくて可憐な子だ。
湧き上がるこの感情は、小動物というだけでつい愛でてしまう、あの衝動によく似てる。

「何度も言ってるのに、ぜーんぜん聞いてくれないね」
「怒ってるちゃんも可愛いからなー」
「またそうやって適当なこと言う!」

可愛いという言葉に嘘偽りはない。
ちゃんはマジで可愛い。
笑顔はさながら、唇を突き出してふてるところも、瞳を潤ませるところも、全てひっくるめて可愛い。

しかし、惜しいことにちゃんは結局見た目通り小学生だ。
同級生とは絶対に思えない。今まで下肢が反応したこともない。
あれに手を出すことを考えると、犯罪臭が拭えない。
だがあの外見は目の保養になるし、侍らすだけなら問題ないため、まずはオレに懐いてもらおうと日々頑張っている。

「あ。お前来てたの」

先ほどまでいなかったサイバーはオレを一瞥し、ちゃんに向くとギャンブラーの話をふっかける。
ちゃんも目を輝かせながらその話にのっかった。
この二人は放っておくといつまでも話し続ける。
へっ、どうせオレはそういうのに興味がないですよっだ。






ほんの少し前までは、ちゃんの力を知るのは学校ではオレ一人だけだった。
だから、ちゃんがつい力を使ってしまった際に庇ったり、誤魔化してあげていた。
そのお陰で、普段呆れ顔ばかりを見せるちゃんも、たまに「ごめんなさい」とオレにだけしょげ、「ありがとう」とオレにだけはにかんだ。
でももう、ちゃんのことを知ってるのはいつもの奴等全員。
きっとオレにだけ見せてくれた顔は他の奴等にも見せるだろう。
もうオレ一人だけじゃない。

オレはどうもちゃんの信用を得られていない。
可能な限り近くにいても、肝心なちゃんの核心には一切触れさせてもらえない。
唯一オレだけが秘密を知っている時でも、ちゃんはオレに深く話そうとはしなかった。
それなのに。
サイバーの奴はほんの少し話しただけで、ちゃんをいとも簡単に陥落してた。
どういうことだよ……。オレは全然だったんだぜ。

いや、それでも別に構わない。落ち込んでるわけじゃない。
というのも、オレはちゃんに本気ではないからだ。
だって、ロリすぎね?あれじゃ入んねぇって、マジ無理だって。
ちゃんはただ、可愛いだけの子だ。

だから何も気にすることはない。
ちゃんがオレのこと、なんとも思ってくれてなくたって。
だってオレは、ふざけてちゃんにちょっかいだしてるだけだから。
ホント、そんだけだから。











マジ辛……。
久しぶりに三時まで起きてたせいで、身体が鉛のように重く頭痛がする。
少しだけ寝たりなんかせず、いっそ徹夜してしまえば良かったかもしれない。
よくサボらず学校に来たもんだと自分を褒めてやりたい。とりあえず休み時間は寝て過ごそう。
ちゃんは……今日はいいや。別に気にしやしねぇだろ。

そう思って、オレは教室に着いた途端机に突っ伏した。
重過ぎる瞼に素直になればすぐに意識が薄れ、全てのことがどうでもよくなっていく。











「ニ…キー……?」
「な?爆睡だろ?」

あれ、ちゃんの声っぽい……。
つか今何時だ。授業の一つくらいは終わったのか。
時計見て確かめる元気はまだない。しばらくこのままでいよう。

「起きる気配ないし、教室戻りな」
「うん……」
「なになに?ここまでして、ちゃんって実はコイツのこと好きだったの?」
「結構好きだよ」
「じゃあ、俺は?」

結構好きって発言もどうかと思うけど、お前はちゃんに何聞いてやがんだよ。

「え、ま、まだついさっき初めて話しましたし、よくわからないです。
 でも、こうやって普通に話してくれるのは嬉しいです」
「ニッキーがよく話すからまあ大丈夫だろって思ってたけど、噂と違ってちゃん普通だったしな。
 そりゃこっちだって普通に話すって」
「……あ、ありがとう、です」

最初から好感触かよ。
ちゃんは普通の対応されるってだけで好感抱くような単純な子なんだよ。
……でも、それは最初だけであって、その後は全然踏み込ませてくれない。
このオレがまさにそれだ。
最初の踏み込みは良かったはず。それなのに、その後は全然進展がない。

「でもなーマジありえねぇ。ちゃんって全然ニッキーの好みじゃねぇのになぁ」

言うんじゃねぇっつの。
確かにオレの好みはもっとおっぱいのでかい人だよ。
こんなぺったんたーんな子じゃなくって。
だからちょっかい出すまでなんだろうよ。
ちゃんが同い年とか、今でも冗談と思ってるくらいだ。

「物珍しかったんじゃないですか?それかニッキーが優しいか、どっちかです」
「優しい?それだけはないわー」

同意見だ。なんでちゃんは、優しいなんてオレを評するのか。
こんな奴だぜ?ちゃんのこと、ハーレムのサブ扱いしてるんだぞ。
黒神に知られたら確実にマズイことになってること間違いなし。
もしかしたらそれを見透かして、奴はオレに敵意を向けてるのかもしれない。

「アイツ、百パー下心しかねぇもん。
 ちゃんには悪いけど、ちゃんのことはふざけて接触してるだけだな。
 実際、ロリ枠ロリ枠ってうっせかったし。
 本気で仲良くなりたいって思ってるとは思わねぇけど」

お前がオレを語んなよ。まぁ、合ってるけどさ。
わざわざ本人にバラす必要はねぇだろ。

「そっか……」

ほらみろ、ちゃん元気なくなったじゃねぇか。

「だからさ、こいつのこと気遣う必要ないって。
 ちゃん純真っぽいし、素直にアイツのこと受け止めたかもしんないけどさ、もう気にしなくていいよ。
 だって所詮ニッキーだぜ。ただの変態でしかないから」

何が所詮、だよ。ったく……。

ちゃんは純真そう、じゃなくて、純粋無垢そのものだ。
手を出すのが躊躇われるほど、きらきらしてて、綺麗で、一緒にいるのが辛くなる。
住む世界が違う。実際異次元に住んでるけど、そういう意味じゃない。
ちゃんは、心理的に遠い存在なんだ。物理的には近くとも。
だからつい手を伸ばしてしまうのかもしれない。
触れられそうで、触れられないもどかしさを感じながら、いつか触れられると信じて。

「……あ、あの、えっと、授業あるので戻りますね。ニッキーの席教えてくれて有難う御座いました」

ぱたぱたという音がだんだん遠くなる。
ちゃんが教室から完全に出たであろう時を見計らって、オレは起き上がった。

「お前なんであんなこと言うんだよ」
「なんだよ。起きてたなら反論しろよ」

反論という発想は一切無かった。
こいつの言っていたことは全て当たっているからだ。
ふざけて接触してることも、ロリ枠って騒いでるのも本当だ。
でもこれを知られれば、ちゃんとの関係がギクシャクするのは目に見えているのだから、
途中起きて弁解すれば良かった。
何故それすらしなかったのか。

ちゃん、お前が来ないからって心配して来たんだと。
 お前が別にそこまで入れ込んでるわけじゃねぇってのにわざわざさ」
「そんなことねぇって。ちゃん好きだぜ」
「なら俺の言うことをなんで止めなかったんだよ。結局その程度だろ。
 だったらいいじゃねぇか。あんな良い子弄ぶのってさすがに気が引ける。
 可愛い子なんて探せばいっぱいいるんだし、あの子に執着する必要はねぇじゃん」

そうなんだよ。
ちゃんでなければならない理由は一つもない。
何でオレ、こんなにもあの子に執着してんだろ。
希少な合法ロリだから?太ももがいいから?ロリ貧乳っていう新境地にいくため?
ンなの、よくわかんねぇよ。

所詮、その程度なんだ。ちゃんのことなんて。
ただただ珍しいロリ校生ってだけだ。

「あの子、あんま教室外に出ないし、他の奴とは話さないんだろ?
 それなのに別のクラスまで来て、初対面の俺に話しかけるとはねぇ。
 しかも一人で来て。相当勇気いったろうなぁ」

そんなこと、他人に指摘されずとも分かっている。
たったこれだけのことが、ちゃんにとってはどれだけ大変なことか。
静穏な生活をおくっているが、それは表立って何事もないだけで、水面下ではちゃんは避けられている。
問題を起こしたことは数ヶ月前であるというのに、未だにそれを引っ張る者も少なくない。
触らぬ神に祟り無し。
諺そのままの状況が絶えず続いている。

「それがお前のことでなんてなぁ。勇気の無駄使いだよな」

こいつのニヤニヤ顔目掛けて殴りたい衝動に駆られた。










ちゃん」
「うん?」

授業中爆睡したおかげで少し頭がスッキリしたオレは、昼休みにいつも通りちゃんのところへ訪れた。
オレの呼びかけに対して、いつもどおり小首を傾げるちゃん。
落ち込んでるかと思ったけど、変わった様子は見られない。

「なんか元気ない?」
「え、いつもどおりだけど。ニッキーこそどうしたの?」
「オレ昨日三時くらいまで起きててさ、マジねみーの」
「すっご。私そんなに起きてられないよ」

そう言ってちゃんはくすくす笑った。
カマかけても反応がないということは、本当に気にしていないのだろうか。
つか、それはそれで傷つくんだけど。

でも……いいや。
ちゃんはサイバーとばっか仲いいし、黒神とベッタリだし、別にいいじゃん。
本当はちゃん傷ついてるかもなんて、気にしなくていい。
いつもどおりやれてんだし、もうこのことは流そうぜ。
その方が楽じゃん。メンドーなんかお断りだぜ。












で、なーんで来ちゃうんだろうな。ホントマジ自分の行動が意味不明。

「え?ニッキーじゃん、どした?」

オレだって本当は来るつもりなんて全くなかった。
でも、気づいたら自然とここに足が動いてた。

「え、っと、ちゃんって家にいる?」
「んー……。ヴィルヘルムのトコだな。こりゃ晩飯まで帰ってこないぜ」

さっすが神。ちゃんの場所もバッチリ把握じゃん。

「今、会いたいんだけど」

あの変な奴ンとこ行ってるとこ邪魔して悪いけど。
今日言わないと意味がないことだからな。

「なーんか、切羽詰ってんのな。いいぜ。ちょっと待ってな」

MZDは姿を消す。すぐ来ると思えばなかなか帰って来ない。
無駄に緊張してきた。
もしかしてちゃんオレと会うの渋ってんのかもしんねぇし。
今日のことで嫌になったかな。
わざわざ勇気振り絞った結果が、自分のことを下心でしか近づかれていないって教えられただけだったもんな。
そりゃ、嫌になって当然だろうよ。

今更寝たふりをしたことを後悔してると、目の前にスカートをふわりと浮かせ、床に着地したちゃんが現れた。

「ごめんね、遅くなって。ちょっとヴィルに手こずって……。
でもMZDに後を任せたからもう大丈夫」

会うことを嫌がってたわけではなかったのか。
オレは自分が思っていた以上に安堵した。

「それで今日はどうしたの。ここに来るなんて珍しい」
「……今日のことだけど、アイツに何か言われたろ」
「言われてないよ。ただニッキーの席教えてもらっただけで」
「アイツって言っただけなのによくわかったな。やっぱ言われてんじゃん」

ちゃんは一瞬目を見開いて口篭ったが、ぱっと笑顔に切り替えた。

「私は何も気にしてないから。ニッキーも気にしないで」

その不恰好な笑顔は、気にしてないとは露も思っていないとオレに伝わった。

「用はそれだけかな。私あっちに戻るね」

ちゃんはそう言ってオレに背を向けた。
逃げるつもりだ──そうはさせるかと腕を掴む。
ちゃんが消える前に届くようにと、オレは口早にまくし立てた。

「確かにオレは下心しかねぇけど、無理にちゃんといるわけじゃねぇから!」
「……そっか。うん、ありがと」

本気で思ってねぇだろ。背を向けたままでこっちを少しも見やしねぇ。

「考えてみろって。普通休み時間毎に他のクラスに行くか?
 無理してたら絶対にしねぇことだろ?」

まだオレを見てはくれないが、ちゃんが思案しているのがその背中で分かる。
オレはもう何も言わない。ちゃんがどう判断するかだ。
しばらくして、ちゃんが言った。

「本当に無理してない?」
「してない」

断言した。無理は一度もしていない。嘘じゃない。

「本当に本当?」
「本当だって」

ちゃんはオレが掴んだ部分を支点に、くるりと反転した。

「……良かった」

満面の笑みを浮かべている。オレはほっと胸を撫で下ろした。
ちゃんが笑っていることが、オレを心から安心させる。
オレはそっと、腕を掴んでいた手を離した。

「上手くいったっぽいな」

ふと現れたのはMZDだ。ヴィルなんとかって奴のことは終わったのだろう。

「ついでに少し話してけば?茶は出すぞ」
「じゃあ、私行ってくるよ」
「いーの。はお客さんの相手」

MZDに背を押されたちゃんは、オレを応接用のソファーへと案内した。
オレが座って、机を挟んだ向かいにちゃんが座る。
普段学校でしかちゃんと接しないので、二人きりという状況は非常に稀だ。

……すっげー気まずい。

せっかくの機会だが、何を話せばいいのか。
普段はぽんぽん適当な言葉が出てくるっていうのに、今は何故だか出てこない。
ちゃんもオレと同じなのか、軽く俯いて手遊びをしている。
頼むから何か話してくれよ。そこから膨らますのはオレやってやっからさ!
誰かヘルプミー。本当オレどうしちまったの、何も言葉が出てこねぇよ!

「ドウゾ」

救いは意外と早くやってきた。
いつもMZDにくっ付いている影が、テーブルにカップをオレたちの前に置いていく。
机とソーサーが触れ合って鳴る音が、少しだけ沈黙を飾ってくれる。

MZDの影はカップの他に容器を二つ置いていった。
カップの中は紅茶っぽいから、多分、砂糖とミルク。
ちゃんは慣れたようにさっと容器から砂糖を一匙すくって自身のカップに入れた。
ミルクも投入されたカップの中は、ベージュと茶色が混ざり合っている。
オレあんまこういうことしねぇから、よくわかんねぇけど、とりあえずちゃんを真似てればいいのか。

「どうしたの?」

普段の調子でちゃんがオレに話しかけた。

「あぁ、いや、ちょっと、こういうの慣れてねぇから」
「そんなに気を使わなくていいのに」
「オレが普段お紅茶を飲むように見える?」

曖昧に笑ったちゃんはオレの方のカップに砂糖とミルクを入れてかき混ぜ、オレへと差し出した。

「好みを知らないから合ってなかったらごめんね」
「いや、全然いいよ。あーもう超肩こってきたし」
「そんなに堅苦しいものかなぁ……」

小さく息を吐いたちゃんが紅茶を一口。
思わず目が離せなくなるくらい、自然で優雅な姿。
本当、女の子らしいよ。
なかなかこういうのが様になる奴なんていないぜ。

「あの、さっきから何?私、何か変?」
「いや、全然」

ちゃん親いないっていうし、躾ける奴って言ったらやっぱ黒神だよな。
てことは、こういうちゃんの一つ一つの所作ってアイツが教えこんだってことだ。
なんかそう思うと萎えるんだよな。
つまりはアイツが望んだ姿になるように仕込まれたわけだろ。
ちゃんを通して、アイツの好みが透けて見えそうになるのが痛い。痛すぎる。
そんなちゃんを見てちょっとグッと来るオレも嫌だ。

「絶対なんでもなくないよ!変な目してるもん!」
「なんでもねぇって。ただ、ちゃんとこういうこと全然無かったし、オレ様でも少し緊張してんの」
「え。あ。そ、っか……。ごめん。気が利かなくて」

……でもやっぱ可愛いと思っちまうんだよな。
オレの言葉で意識したらしく、遠慮がちにちまちま紅茶飲んでる姿。
黒神は好きじゃねぇけど、こんな子にしてくれたことはやっぱ感謝かもな。
教室によくいる、口悪くて、うっさくて、カマトトぶったビッチには飽きてたし。

ちゃんは、どうなのだろう。オレをどう思っているんだろう。

「なぁ、ちゃんってさ、オレのこと嫌い?」
「へぇあ!?ニッキーまでそんなこと言うの!?」
「他に誰がこんなこと言うんだよ」
「……黒ちゃん」

アイツかよ……。うぜー。てか、何聞いてんだよ……。

「私は、ニッキーのこと好きだよ。そりゃ変なことばかり言うし、変態さんだし、時々よくわからないけど……」

嫌がられても全然おかしくねぇってのに、よく好きだと言える。
ちゃんは筋金入りの変わり者だ。
オレはにやけそうになる顔を必死に抑えた。

「でもね、ニッキー優しいから」
「どの辺が?」
「ちゃんと秘密にしてくれてたし、なんでも話していいよって最近言ってくれたじゃん」

あの時のことか。ヴィルなんとかと会った時の。

「……その後、同じことサイバーが言ったけどな」
「でも、最初に言ってくれたのはニッキーだよ」
「……でも、サイバーの方がわかってもらえるって思ったろ」

トンデモ話はオレの専門外だけど、サイバーは寛容だから。

「んー、変わらないよ。そんなに」

ちゃんの答えはオレの予想を大きく裏切った。
問わずにはいられない。

「なんで、あんな喜んでたじゃん」
「気持ちは嬉しいの。すっごく嬉しい。でもね、やっぱり、苦しくて言えないことってあるよ」

そう言ってちゃんは苦笑した。
まだ駄目なのか。まだちゃんの心に踏み込ませてもらえないのか。
オレ的に相当優しい言葉かけたつもりだったけど、まだ信用を得るには足りねぇのかよ。

「誰だったら言えるわけ?」
「黒ちゃんとMZDかな」
「そりゃ、勝てねぇーよ」

オレとは接する時間が全然違う。二人で作り上げた思い出の多さは歴然。
親代わりの奴にオレが敵うはずねぇじゃんよ。
それに、ちゃんの持つ不思議能力だって、二人の神と同じ力なんだろ。
そりゃオレたちに言うよりそっちに言うよな。
普通の人間であるオレらに何言ったってちゃんと理解はしてやれないけど、あの二人は全てを理解した上で支え導くのだろう。
ンなの、オレが勝ってっこねぇじゃんよ。

「勝つって?何か勝負でもしてるの?」
「いーやー。べっつにー。そういうのじゃねぇよ」

何をムキになってんだか。馬鹿らしい。
つか、オレもちゃんに入れ込みすぎだっつの。
他の奴等に言えない事を言ってくれるんだから、それで十分じゃん。
だから、本当は文句なんて、出るはずないんだけどな。
でも、それだけじゃ足りないんだよ。なんでだろうな。

「なんだか不思議だね」

飲み終えたカップをオレよりも小さな指で撫でる。
伏し目がちなせいで、長いまつげが白い肌によく映えている。

「何が?」
「ニッキーが一番ふざけたことを言うの。でもね、真剣な話をするのもニッキーが一番多いかもって」

どきりとする。ちゃんは子供らしかぬ大人びた笑みを浮かべていた。
普段特撮やアニメのことでぎゃーぎゃー言っているのとはギャップがあまりにもありすぎる。
無邪気に笑う姿ばかりを見てきたが、こういう表情もするのか。

「私に怒ったり、ふてたりするのはニッキーだけだよ。
 普段とそうじゃない時が全然違って、私は毎回驚いちゃうんだよね」

今のちゃんだってそうさ。
甘ったるい幼い声ばかりだったのに、どうして今は控えめな心地よい声を投げかけるんだ。
見た目はいつもと変わらずウルトラぺったん幼女なのに。
なんか変な気持ちになってきた。

ちゃん」
「うん?」

きょとんとした顔はいつもと変わらない。
でも、オレはそんなちゃんをいつもとは違う感情を抱いて見てる。

「抱きついていい?」

オレの発言で、ちゃんはみるみる顔を赤らめていく。

「ななな、なんで!?やっぱりニッキーってよくわかんない!!」

完全にいつも通りの様子で慌てている。先ほどの大人びたちゃんは影を潜めた。
それでもオレは変な気分を抱いたまま、ちゃんに迫る。

「じゃあ、サイバーならアリなの?」
「サイバーはそんな人じゃないよ!例えあったとしてもなしだよ。びっくりするじゃん」

へっ、ざまーみろ。アイツもオレとそう変わらねぇじゃん。
話が合うから仲がいいように見えただけってことだな。

ちゃんちょっとだけ、ね」
「嫌だよ!今のニッキーなんか怖いもん」
「ちょっとだけ。一瞬だけ」
「その必死さが怖いんだってば!」
「頭下げても?」
「やめて。こんなことで私に頭を下げないでよ」
「じゃあ、まず隣に座るところからでいいから!それなら怖くないだろ」
「怖くないけど……それだけで満足して。お願いね、絶対だよ」

ちゃんは三人がけのソファーの真ん中から少しだけずれた。手は膝の上で固く握られている。
隣に座ったらその手を握ってみようか。ちゃん、どんな反応してくれるんだろうな。
普段は手に触れてもにこにこしているだけだけど、今の状態ならきっと違う反応を見せるはず。
さっきみたいに、オレの知らない顔を見せてくれるかもしれない。
オレは沸き上がる未知の感情を抑えて、すっと立ち上がった。

!!!」

突然オレの視界を誰かが横切った。
それはちゃんに抱きつき、その勢いのまま押し倒した。

「今日はあの鬱陶しいカニパン野郎のとこじゃなかったんだな!!
 ようやくか!ようやく連続訪問が途切れたのか!」

ンで……お前が……。

「く、黒ちゃん……」
「どうした?」

鼻先が触れ合いそうな位置で見つめあう二人。
お互いの身体が余すことなく密着していて、オレは、心底不快になった。
ふっと、黒神がオレの方を向くと眉を潜めて舌を打った。

「何故お前がここに?」
「お前こそ突然なんだよ。オレはちゃんとMZDに言ってるからな」
「……重い……」

黒神はオレから目を離さず、ちゃんの上から退けた。
その目は刺すように冷たい。元々警戒されてるからしょうがねぇけど、理不尽すぎるだろ。
そう思ってオレも負けじとアイツを見ていたら、黒神の方が先に目を逸らし、
そのままちゃんの隣に座って小さな左手を取った。

「……。、今日は早く帰ってきてくれるか?」
「今日はもうヴィルのとこ行かないから出来るよ」
「そうか」

黒神は恐らく他の誰にも見せないであろう満面の笑みで、ぽんぽんとちゃんの頭を撫でた。

「待ってる」

そう言ってちゃんの傍から忽然と姿を消した。

「……どうしたんだろうね。心臓止まるかと思った」

乱れた髪を手櫛で直すちゃん。
ちくしょう、完全に出鼻くじかれちまった。
オレが今からしようとしていたことを全部黒神が余さず行った。
もう少し。もう少しアイツが遅く現れていればオレがそれらを行えたのに。

「むかつくー!!なんなのアイツ!!」
「まぁまぁ……。この家にいれば異次元の黒ちゃんのお家でも、私がいるってわかるからね」

それはもしかして、黒神はわざとこのタイミングで出てきたのではなかろうか。
そうでなければ、オレがここに来てすぐ現れていたはずだ。
アイツはちゃんとオレの接触を望んでいないから。
それなのに随分経って現れたとなると、オレがちゃんに近づこうとしたことが引き金になったことに他ならない。

「今日は帰るわ。言いたいことは言えたし」

このままいたってアイツが目を光らせていて何かあれば邪魔してくる。
今日のところは退散だ。

「……ごめんね」
ちゃんは悪くないって。帰るにはタイミング良かったよ」

本当悪い意味でタイミング良すぎだったぜ。
せめて、隣に座るくらいはしたかった。

「じゃ、また明日な」
「あの、送るよ」
「はいはい。そういうの気持ちだけでいいから」

申し出は嬉しいけど黒神が許さないだろう。危ないからと。

「ごめんね。じゃあね」
「おう、またな」

帰路につき、オレは一人物思いに耽りながら歩を進める。
脳裏を巡るのは、ちゃんのことばかりで。

なんだかんだ言ったけど、オレはあの子と関わるのが好きだ。
見ていると知らず知らずのうちに、目が離せなくなっている自分がいる。
あの子がオレに関することで、行動したり、考えたり、褒めたりされることがこの上なく嬉しい。
どうでもいい、替えのきくものじゃない、あの子がいい。
そりゃつるぺったんで、小学生サイズだけど、それに勝る何かがあの子にはある。

だからこそ、本当に惜しいぜ。
これでもっと同級生っぽかったら良かったのにな。


でも、もしそうなったら、オレはどうなるんだ────。




(12/07/03)