第17話-手折った華-

どーいうことなの……。

学校からMZDの家に帰ってきて早々、思わずあんぐりと口を開けてしまった。
すぐ目の前に特徴的な被り物をした黒マントを羽織る男がいたからだ。
私に気付いたその人は一瞬で私の傍に移動し、私の左胸をとんと指でついた。

「その気であれば死んでいるぞ」

物騒なフレーズに気が回らないくらい、ここにこの人がいるというこの現状に対して頭を捻る。
仮面の男はそんな私を訝しげに見ており、双方共に見つめあう。
そんな中、ようやく私が出した声はというと。

「MZD!!侵入者だよ!!!」
「おー、ヴィルヘルム来てくれたか。サンキュー」
「なんで?!ど、どういうこと!?」

何故、MZDは御主人様が家にいることにこうも平然としていられるのか。
この自宅に、あの乱暴で意地悪ですぐに魔術が飛び出す御主人様がいるというのに。
それに、黒ちゃんに運悪く目撃されれば、その瞬間からここが戦場と可すことは目に見えている。
それなのに何故、MZDは御主人様をここへ呼び出したのだろう。
その疑問は問わずともMZDが教えてくれた。

「今度のポップンパーティに呼ぶことにした。てへっ」

え。

「いやー、ずっと新しい奴誘いたいなーって探してたんだよな。実際いい音楽持ってるし、最高だぜ!」

ぐっと指を突き出されたってなぁ。
誘うのは自由だけど黒ちゃんに気付かれやすいこの家に呼ばなくてもいいのに。

「娘」

御主人様が私を見下ろす。
ほんの数日前、この人を殺そうとした黒ちゃんのことを考えると、どう接していいか分からず、目を伏せた。

「どうした。死神から何か命ぜられたか」

黒ちゃんからは何も言われていない。
頭を冷やすと出て行って帰ってきてから、御主人様の話題は一度もあがらなかった。
私も無意味に火種を投下する気はないので、何も言っていない。
だから、何の心の準備もなくここで偶然御主人様に会ってしまって戸惑っている。
とりあえず一言だけ発して、早々に立ち去ろう。

「お、怒られてしまうので、その、ごしゅ、じゃない、ヴィルヘルムさん、失礼します」

つい御主人様と言いそうになってしまった。危ない危ない。
さっと横を通り過ぎようとすると、左手を掴まれた。
ぐりっと力を込められ、私は御主人様の方を向かされる。

「興醒めすることを言うな。それと、名は好きに呼べ。今の貴様は私のものではないのだから」
「え……。じゃ、じゃあ!……ヴィル?」
「っ、貴様!私はそこまで許した覚えはない!」

好きに呼べって言ったのに!?怒らないで欲しいよ!

「まーいーじゃん!細けぇこたいいんだよ。なー、
「貴様等馴れ馴れしいぞ!」

MZDがにこにこと笑みを浮かべてヴィルに絡んでいる。そのお陰で腕の拘束も解かれた。
その隙に私は異次元に存在する自宅へ通じる扉へ向かう。
黒ちゃんがヴィルの存在に気付く前に帰らなければ。
少し長い廊下を歩き、奥へ入ったところにある扉に手をかける。
ドアノブに触れると、誰かによって手首を掴まれた。

「っ!?」

そのまま強い力で引かれ、その隣の部屋へと押し込まれた。
電気のついていない部屋は埃っぽく、そんな場所で尻餅をつく。
今度は一体誰なのだ。
そう思って暗い部屋で目を凝らすと、怪しく二つの光が輝いている。
輪郭をなぞっていくと、ついさっき出会ったごしゅ、ヴィルであった。
黒ちゃんのことが脳裏に浮かび、背筋が冷やりとする。

「だ、駄目!見られたら危ないです!」
「黙れ」

反射的に口をつぐむ。胸中は焦りでいっぱいである。
黒ちゃんに怪しまれたらどうしようとばかり考えている。

「黒神とは、貴様にとって何だ」
「か、家族、だと、思います……けど?」

いきなりなんなのだろう。なんでも答えるから早く帰らせて欲しい!
そもそも、危ないのは私じゃなくて御主人様なのに!!
どうして私しか焦ってないの!!

「何故人間の貴様が黒神なんかと共に居住している。種族はかけ離れ、住む世界が全く違うではないか」
「そうは言われましても……、私、なんで黒ちゃんといるのかって、記憶がないので」
「ほう……」

仮面のせいでよく分からないが、なんとなく楽しそうにしている。
理由は不明。なんだか嫌な予感がしてきた。

「奴は魔族の私を人間の貴様から遠ざけようとする。危険だからという理由でな。
 しかし、実際は黒神のほうが危険性が高く、人間の常識とはかけ離れた思想の持ち主だ」
「あの、何が言いたいんですか」

危険視する気持ちは分からないでもない。
黒ちゃんの持つ力はあまりに強大で同等の位置に立つMZDしか対抗できる者はいないだろう。
だが、人間の常識とかけ離れた思想とは。
確かにたまに驚くような考えはあるが、それでもご、ヴィルよりはよっぽど常識的で良心的である。

「人間が、いや、生を受けたもの全てが奴をどう呼び、恐れ蔑んだか、知っているか?」

蔑む、とは。聞き捨てならない。

「死神だ」

ヴィルが『死神』と呼ぶのは、単にヴィルの主観に基づくものではなく、生者の総意であったのか。
だが、どうして。死神とは、魂を刈る者である。TVで見る限りは。
それと黒ちゃんが同じものなんて、おかしな話だ。

「魂を奪い、死を喜び、死を歓喜し、全てのものの死を望む存在。それが黒神だ」
「違います!!黒ちゃんはそんなことありません!!!」

今日の御主人様の意地悪度はいくらなんでも高すぎる。
こんなの黒ちゃんに失礼だ。謝って欲しい。

「貴様が寝食を共にする相手はこの世界の者全てが恐れる相手。魔族とは比にならんぞ」

黒ちゃんはそんなことない。そんなに怖い人じゃない。
私が困っていたらいつでも手を差し伸ばしてくれるし、優しく撫でてくれるし、何か出来たらちゃんと褒めてくれるし、お願いは基本的になんでも聞いてくれるし、私を何不自由なく生活させてくれる。

ただ、少し心に引っかかる。
『俺からを奪う奴なんて死んで当然なんだよ』
そんな言葉を、本人から直接聞いたからだ。実際に目の前にいるヴィルだって、本気で倒されかけた。
ヴィルの発言全てを否定する材料が、今の私にはない。

「失礼します」

ここに居続けるのは危険だと判断して、ヴィルの横をすり抜けた。

「貴様の訪れ、いつでも歓迎するぞ。──

御主人様を残し、扉を後ろ手で閉める。
そのまま扉にもたれかかった私は、今どんな表情をしているだろう。
頬肉が若干上がっているのは気のせいだろうか。

あの人は、どうして、本当に、意地悪。
なんでこのタイミングで、私の名を呼んだのだろう。
あれだけ貴様呼ばわりしていたくせに、何故と呼んだのか。そもそも覚えてくれていたんだ。
黒ちゃんを悪く言うから怒っていたのに、なんだか拍子抜けしてしまった。
初めて、あの人に名前を呼んでもらった事が、思いのほか嬉しい。
胸がとくんと鳴り、温かい気持ちが込み上げる。

しかし、御主人様が私を喜ばせるようなことをしたということは、裏があるということだ。
絶対に騙されちゃ駄目。喜んじゃ駄目。御主人様は意地悪で出来た人なのだから。

だが、改めて考えると、何故今まで黒ちゃんの仕事に関して疑問を感じなかったのだろう。
いつもいつも机に向かう黒ちゃん。紙がよく散らばっているが、その内容を見たことは一度もない。
こんなにずっと一緒にいるのに、私は一度も黒ちゃんの仕事について尋ねたことがないなんて。
いい機会だ。今日、ちゃんと黒ちゃんに教えてもらおう。











「あーどこいってたんだよ。って、なんか楽しそうだな」
「貴様の片割れがどうなるかな」
「……に何か言ったのか」
「さあな」
「ふうん。ま、なんとかなるんじゃね?」
「意外と薄情だな」
「なんだかんだで二人はここまでやってきてるからな」

不快そうなヴィルヘルムを他所に、笑ってるMZDがいた。











「どうした。もう寝ないと朝辛いぞ」
「うーん」

普段のの就寝時間を既に一時間過ぎている。
黒神が先ほどから何度も就寝を促しているが、は唸るばかりで従う様子はない。
ソファーの上で膝を抱え、偶に黒神の方をちらちらと見やる。
用でもあるのかと思い今まで待っていたが、これ以上は明日の学校に響く。
黒神はデスクから離れ、小さくなるの隣へと腰を下ろす。

「何か言いたいことがあるんだろう。怒らないからちゃんと言いな」

は上目遣いで黒神を見上げる。
言葉にならない呻き声をしばらくあげ、やがて意を決したのか言った。

「黒ちゃん。一緒に寝ない?」
「な!?なな、な、なんでだ?!」

すっと、黒神の耳に赤味が帯びる。は眉尻を下げて弱々しい声をあげた。

「そんなに嫌だったの……?」
「違う!!そうじゃない!!た、ただ、な、何事かと、や、やっぱり、え、いや、へんじゃない、変?ち、違っ、違うぞ!決して!断じて!」
「駄目ならいいの。おやすみ!」
「待ってくれ!」

逃げるように立ち上がったの腕を掴んだ。

「急いで、準備をする。すぐする。待っててくれ。絶対だぞ!」

黒神の姿が消え、代わりに洗面所の方で慌しく物音が鳴る。
目を丸くしたが傍にいる影を見た。

「マスター……」

やれやれと肩をすくめるジェスチャーをし、に座るよう促した。





────「ちょっとそこで待っていてくれ」

を置いてまず黒神が自室へ入る。
部屋中に広がる、には見せられない代物を瞬時に片付けた。
見逃したものはないか一通り確認し、人間の部屋のように重力と床を追加してから、を中へ招いた。

「あれ、床……」
はこっちの方が落ち着くと思って」

二人は拡張したシングルベッドに身体を預けた。二人は揃って天井を見つめる。

「なぁ……どうしたんだ、突然……」
「え。さ、最近MZDとも一緒に寝たから、それで……」
「アイツと?」

黒神の中で不快な思いが広がっていく。
それに感づいたのかは慌てて言葉を追加する。

「く、黒ちゃんいなかったし、寂しかったらいいって黒ちゃん言ってたから……」
「分かってる。それより、ベッドから落とされずに済んだか」
「うん、大丈夫。大きいベッドにしてもらったし、私すぐ寝ちゃったし」
「そうか。ならいい。今日はもう遅い、おやすみ」

黒いペンキを零したように、部屋中が闇色に染まった。
ごそごそと衣擦れの音が鳴るが、すぐに無音の世界が広がる。
規則正しい小さな息遣いが黒神から零れていく。
そんな中、が黒神の方へ向いた。

「あの……黒ちゃん」

の小さな指が隣の黒神の指に触れる。
接触した途端ぴくりと震えた黒神の指に、そのまま恐る恐る絡めていく。

「……ど、どうした?」

意図せぬ愛しい人の行動に黒神は横を向くことが出来ず、天井に声を投げた。
一息置いて、は言う。

「黒ちゃん。あの……私のこと、好き?」

二人の間に再度沈黙が訪れる。時計のない黒神の部屋では二人の小さな息遣いしか聞こえない。
衣ずれの音すら鳴らなくなった中、こくんと黒神が喉が鳴らした。
ゆっくりと半身を起こし、の顔の両側に腕を置いて真上から顔を見据える。
闇の中優しげに頬を撫でると、は小さく息をもらしながら、細めた目で黒神を見た。

「俺はが好きだ。大切な人なんだ」

顔を背けたの頬に黒神は小さく口付けた。

「好き」

次は額へ。

「大好き」

何度も何度もキスを降らせる。
顔に何度も与えられる感覚には身を捩じらせた。

「っ、く、ちゃ」
が、好き。好きだ」

瞳を堅く閉じたは子供らしからぬ艶っぽい吐息をもらしながら、その行為を抵抗なく受ける。
だからこそ、黒神も続ける。但し溢れる愛しさにセーブはかけながら。
決して唇にだけは触れぬよう。ぎりぎりのところで止める。
だんだんと息の上がった黒神はだらりと遊んでいるの手に手を重ねる。シーツの海に溺れていく。
たまにの指先がぴくりと動く感覚を楽しみながら、黒神は顔から耳へ、首筋へと唇が触れる範囲を広げていった。ふんわりとしたネグリジェのギリギリまで責めていく。

「っ、や、だめ」

縫い付けられた手を押し返され、ようやく黒神がの肌から顔を上げた。

「すまない。ありふれた言葉しか言えなくて」
「そうじゃなくって!は、恥ずかしい、の……」

ふいっとあさっての方を見るに、黒神は小さな笑みを浮かべた。
すっと、柔らかなの唇を撫でた。その唇が小さく動く。

「……抱っこ」
「お望みどおりに」

ベッドに横たわる体勢に戻し、の身体を抱きしめた。
小さな身体は簡単に腕の中に収まる。

「黒ちゃん、どきどきいってる」

すると、黒神は下へと移動しの胸に耳を押し当てた。

も。凄いことになってる」
「……さっきから、ずっと、なの」

は黒神の頭を自分の胸により引き寄せた。
薄い布越しの柔肌が黒神に語りかける。
とくんとくんと。激しくも安心を与える命の鼓動。
側頭部を柔らかく包む控えめな胸の膨らみに触れそうになる衝動を、黒神は必死に抑えた。
気を紛らわすために、に尋ねる。

「今日はどうしたんだ?何か不安なことでも?」
「聞きたいことがあるの」

黒神の頭上からの言葉が降りかかる。

「私ね。黒ちゃんのこと、好き、……なの」

ぴくりと反応した黒神に気付かないは言葉を続ける。

「一緒にいてくれてすっごい感謝してる。いつも優しくしてくれてありがとうって思ってる」
「ん、あ、ああ、い、あ、こ、こちらこそ」

黒神の頭の中で、己が描き続けたハッピーエンドがよぎった。
ずっと望み続け、叶えるように努力した、理想が、今ここに。ようやく訪れたのではないかと。

「黒ちゃんのこと大切なの。このままずっと仲良くしたいって思ってる」
「それは俺も同じだ」

黒神は今まで耐えてきた想いを、今ここで解き放とうと決意した。
今までの関係を一転させる、ある言葉を放とうとした────その時。

「だから教えて。黒神っていうのは何をする人なの」

────長い沈黙
黒神は一際大きな溜息をついた。

「お、怒らせちゃった?ごめんなさい。そんなつもりは」
「いや、いいんだ。ただ、ちょっと、俺が勝手に勘違いしていただけだ」

気抜けし、乾いた笑いが空しく響く。

「ごめんなさい」

黒神の意図に気付かぬは慌てて謝るが、慰めにはならない。

「違うんだ。俺が悪い」

肩を落とした黒神はから離れ、ベッドに大の字になった。

「そう都合よくいくわけない、か」

あわあわと様子を伺うの頭をぽんと撫でた。

がそんなに知りたいっていうなら教えてやる。
 ただ、今まで言わなかったのは、それなりの理由があったということを理解してくれ」

甘さのすっかり抜けた声で、黒神は語りだした。

「MZDの対の存在である俺は、この世界の全ての死を管理する役目を担っている。
 この世界は生と死で一定のバランスが求められる。創造はアイツ、破壊は俺。
 例えば、増えすぎた人口を減らすために自然災害を起こしたり、疫病を流行らせたりな」

真剣には耳を傾けている。

「直接的に手を下すこともある。今までで破壊した物や生物は数知れない。
 その度に俺は他者から憎まれ、恐れられ、そして追いやられた。
 そりゃそうだよな。自分の故郷や、家族、友人、文化、生活の全てを全部壊されるのだから」

小さく笑いながら黒神は語り続ける。

「俺は破壊の神だ。決められた運命に従って命を奪うこともあれば、気の向くままの時もある。
 相手がどれだけ許しを請おうとも、聞き入れることはない。無慈悲に壊す。
 俺は負そのものだ。だから生物にとって俺は天敵なんだ」

部屋の扉が小さな音を立てて開いた。

「こんな危険な奴といるのが怖いなら、今すぐMZDのところへ行くといい。
 アイツは優しいし見識も広い、誰もに愛されている創造の神だ。
 奴の頭は夢や希望に溢れていて、生者にとっては好ましい存在だ。俺と兄弟なんて嘘のように。
 そして何より、お前のことを本当に大切にしてくれる」
「行かないよ!!」

起き上がったは扉に背を向け、何度も首を横に振る。
意地悪く笑う黒神。

「無理をするな。誰もお前を責めやしない。正常な反応なんだから」
「無理なんてしてないもん!!」
「俺がお前を手にかけないといけない日が来るかもしれない。どうする?」

間髪いれずには言う。

「いいよ。黒ちゃんになら、殺されたって構わない」

意思の強いハッキリとした声。反対に黒神が動揺し、を抱きしめた。

「ば、馬鹿を言うな。俺がを失うようなことするわけないだろ」
「だって、黒ちゃんが今そう言った」

は迷う様子など微塵も無く堂々としていた。
自身の生命がすぐ隣の相手に奪われる可能性を示唆された者とは思えないほどに。

「……すまない、試しただけだ。が、どういう反応をするのか」
「そっか。びっくりしたー」

いつものようににへらと笑うに、黒神は恐れを抱く。
ただ死を理解していないだけならそれでいい。
だが、本当に理解してこの発言をするならば、にとって自身の命は他人に投げ出せる程軽いものだということになる。
それは、黒神にとって都合が悪いことであった。

「痛いのは怖いよ。でもね、黒ちゃんと一緒にいられなくなるのも怖いから」
「俺だって、が消えてしまうのは、最大の恐怖だ」

腕の中にいる小さな人間を撫で付けながら、黒神は話しかけた。

。改めて聞かせて欲しい。俺が、黒神の俺が怖くないのか」
「怖くないよ」

の口調は先ほどと同様、淀みがない。

「俺、色々壊すぞ?人も殺してるぞ?と同じ人間をだぞ?」
「怖くない」
「どうして?少しの恐怖もないのか?」

こうなると、黒神の方が恐怖を抱くばかりだ。通常の感覚とがズレているのは理解していても、ここまでというのは予想外である。自分を気遣って虚言を吐いているように思える。
もう少し迷ってくれた方が人間らしく、信じられるというものだ。

「……少しだけ怖い。だって、黒ちゃんは普段あんなに優しいのに。
 でもね、だからこそ、人が嫌がるお仕事をしてるのかなって」
「い、いや、別に俺が進んで選んだわけじゃ……生み出された瞬間に課せられただけだ」
「でも今までずっとしてくれてたんでしょう?お疲れ様です」

黒神の背を優しくとんとんと撫でる。
そんなの小さな肩に額を押し付けた黒神は、震えそうになる声を努めて普段通りにして言う。

「やっぱりは俺を受け入れてくれるんだな」
「だって、家族だもん」
が優しすぎて、俺にはもったいないよ」
「そんなことないって。いい人は他にもいっぱいいるよ」
「いいや。は優しい子だよ」

誰もが黒神を敵だと認識する中、この少女だけは全てを知って尚隣にいてくれる。

「しまった……はもう寝ないとだな」

そう言いつつも、の身体を自身へと抱き寄せる。

「もう少し、このまま抱きしめさせてくれないか」

は小さく頷くと、頬を黒神の胸に摺り寄せた。



その後、はぐっすりと寝た。
まだ起きている黒神は、健やかな寝顔を浮かべるを撫でている。

「二回目だな。俺を受け入れてくれるのは」

少女は下心があるわけではないだろう。ただ、素直に自分の思いを述べただけ。
それが、裏切りばかりを見てきた黒神には嬉しかった。

「愛してるよ。

頬を撫でながら、ゆっくりと近づく。

「……だからこそ、絶対に誰にも渡さない。例えお前に憎まれようと」

小さな寝息が漏れる唇をそっと盗んだ。











って、またいるよ……。もうすぐパーティー開催だっけ。
だとしたら、終了するまでこうやって何回も出くわすことになるのかも。
関わらないよう早々に自宅へ帰ろうとすると、またもや腕を掴まれる。

「どうだ?死神を捨てる気になったか」

やっぱりそういう目的だったんだ。残念だけど、私の心はもう決まっている。

「私、ヴィルの配下になりません」

昨日ヴィルの言ったことは真実だった。命を摘むのが黒神の仕事であること。
生きている人に嫌われているというのは、以前黒ちゃん自身が零していたことだ。
あの時は見ず知らずの人にさえ嫌われるというのは、思い込みなのではないかと思っていたが、
今回の事を聞いてようやく納得することが出来た。
黒ちゃんは今まで、自分の仕事のせいで他の者に遠ざけられてきたのだと。
だから、私に仕事のことを進んで話そうとしなかったのだ。
また嫌われると思って。

私は、結局。何を聞かされようと黒ちゃんのことを嫌いにならなかった。
寧ろそうやって黒ちゃんを忌み嫌った者たちの方に嫌悪した。
黒ちゃんは優しい人。仕事だからやっているだけ。ならジャックたちと変わらない。
けれど、普段からやっているからと言って、ヴィルを殺そうとするのはまた別の話。
お願いだから、私が奪われるからと仕事外で誰かを殺めることは止めて欲しい。
私はこのままずっと黒ちゃんと生活するつもりなのだから。
他所の子になるつもりはない。

「まあいい。時間はまだある」
「あと申し訳ないんですけど、今の私はヴィルとは会えないしお話できないです。
 力をつけたらまた会いに行きます。それまで、じゃあね」

背を向けて足を一歩踏み出すと、きゅっと服が喉に食い込んだ。
後ろから引っ張るなんて……酷すぎる。けほりと咳き込む。

「貴様、力を欲しているのか」
「は、はい。黒ちゃんのレベルまで引き上げないと。
 そうすれば、ヴィルと関わっても怒られないかもって」
「簡単だ」

見慣れたMZDの家から、見慣れぬ暗い場所に飛ばされた。
周りを見渡すと森の中のようだ。空を見上げると、淀んだ闇色をしている。
今は夕方のはずなのに、夕日は全く見えない。雲がかかっているわけではなさそうだ。
なんだか、様子がおかしい。

「ここどこなんですか!帰れないの困るんです!!黒ちゃん呼んだらまた喧嘩が始、」
「ここは魔界だ」

魔界って、あの、魔族や魔物や魔王さんがいるという、あの魔界!?

「え、あ、あの、……なんで?」
「精々死なぬことだ」
「ちょ、ちょっと!!!!」

非情にも御主人様は姿を消した。木がうっそうと茂る中に一人残される。
魔界とは今までいた世界のどこにあたる世界なんだろう。
それとも私が普段黒ちゃんと生活している異次元みたいな位置になるのだろうか。
だとしたらどうやって帰ればいいんだろう。いつもみたいに、自分の家をイメージするだけで帰れるのだろうか。
これでもし帰れなかったら、また黒ちゃんを心配させてしまう。
最近のことを考えれば、黒ちゃんはまずヴィルのところへ行く。
それでまたヴィルが怒らせて、黒ちゃんが怒って、魔術の応酬が始まって、そして下手すれば御主人様が──。
駄目。そんなことさせられない。絶対門限前に帰らないと。

だが、言い換えれば、門限までこの世界で何をしてもいいって事だよね。
魔界なんて初めて来たんだもん。さっきから少しわくわくしている自分がいる。
もしかしたら、ヴィルみたいな危ない魔族さんがいるかもだけど、怪我もせず上手くやることが出来たら、きっとMZDだって私の力は十分であると認めてくれるはずだ。黒ちゃんだって。
とすれば、ここに連れてこられたのは好都合。
御主人様だって、力が欲しいと聞いてここに連れてきたんだし、きっとここでなんとかやれば私の力が上達するに違いない。
目的の定まった私は前へ一歩踏み出した。



日が入り込まないのか、地面は土がむき出して、石がごろごろと転がっている。
私はこけたりしないようにしっかりと踏みしめながら、道無き道を歩いていく。
音はない。今、ここにいるのは私ひとりのようだ。
木ばかりで荒地ばかりの変わらぬ景色が延々と続くせいで全く距離感がない。
私はただひたすらに真っ直ぐ進む。

足が痺れてきた頃、ようやく私以外の生物を一匹見つけることが出来た。
森の中にぽつんと池があって、ようやく木と土以外を見ることが出来たことで興奮して上から覗き込むと中に何かがいたのだ。
多分魚の類だろう。池だから。
でも、その考えは固定観念でしかなかったと分かったのは、池の中に引きずり込まれてからだ。

「っ!?」

驚いたせいで、空気を全く口に含むことができなかった。
苦しい怖い、苦しい怖い怖い怖い。息が。したい。
あまりの苦しさに僅かな酸素を全て吐き出してしまった。
すると、水中だと言うのに、息が出来るようになる。
私が願ったから、勝手に力が発動したのだ。
この力が無ければ、魔界とは縁の無い人間の水死体が出来ていたところだ。
ほんの一寸先に死が迫っていたことで、まだ胸がドキドキする。
でも大丈夫だ。この力がある限りなんでも出来る。
だから、冷静さを失うことだけは駄目。絶対に。そう自分に言い聞かせる。

この力は思考がスイッチとなっているため、頭の回転を止めてしまえば私はただの人間になる。
そのため、どんな出来事に出くわそうとも揺るがない心構えが必要であると、黒ちゃんが。
あの時教わったことを、こういう時こそ生かさないと。

まず水中が濁っていて何も見えないので、見えるように水の透明度を上げる。
見たところどうやら深さはあまりない。池の全容はただの円柱型のようだ。
辺りをくまなく探すと、私を引き込んだ対象が底の方に見える。
見た目はゴキブリっぽいというか、カブトムシのメスっぽいというか、茶色で丸い生物。
そして何本もの触手が下から生えている。多分私を引き込んだのはこれだろう。

じっと観察していると、茶色い物体から小さな赤い光が一つ、点いた。
同時に、全触手がこちらへ伸びてくる。今度は捕まれない様に自分の周囲に球体状の壁を展開した。
これで先ほどのように身体を捕まれることはあるまい。

「なっ!?」

触手は私を囲む球体ごと掴み、思い切り投げられる。
水中から水面へ、そして池の周囲を囲む木々へと叩きつけられた。

「っあ!」

身体全体に衝撃が走る。
驚いたせいで投げ飛ばされている最中に防御の壁が壊れ、勢いをそのまま身体に受けてしまった。
ごつごつとした木の表面が直接身体を殴打したせいで、背中がずきずきする。
叩きつけられた衝撃のせいで、頭がくらくらとし視界が若干霞む。
痛みで集中できない。……これでは力を行使できなくなってしまう。

私の身体に何が触れ、きゅるきゅると絡み付いてくる。
しまった。伸びている触手が見えていなかった。
捕まれることを避けるため、私の身体から触手が切れない程度の衝撃を放つ。
触手が緩んだ隙に、少し離れた地面へと転移した。

「あの、痛いからもう止めて下さい!!」

御主人様のお城にいた小さな魔物には人の言葉が通じたのだから、この魔族もと思って声をかけた。
触手が一度動きを止め、そろりそろりと私に近づく。
もしかして、今回も話が通じたのかも。ほっと胸を撫で下ろした。

ゆっくりとした動きを見せていた触手が急に速度を上げ、私の身体を強く強く締め付ける。
危ない──。
咄嗟にそう思った私は、何でもいいから私を離してしまうほどの衝撃を与えて欲しいと強く願った。
すると、自分を中心に小さな爆発が起きた。
黒煙が周囲一体を包み、触手の拘束が解け、真っ逆さまに落ちる私は力を用いてゆっくりと地面へ足を乗せた。
思いがけず発生した爆発に、胸の鼓動が激しく音を立てる。悪い意味で。

このまま、何も見たくない。
だが、もしかしたらと一抹の願いを胸に抱き、視界を阻む黒煙を力によって強制的に取り除いた。

「ひっ!?」

先ほどの茶色い魔族が半壊していた。
硬そうな外皮にはひびが入っており、多分口だと思われる薄紅色の肉がべろりと露出していた。
緑色の体液が紅色の肉にべっとりとついている。
触手も何本か千切れ、辺りの木々に垂れ下がっている。
もうそれは、触手というより、ただの肉片であった。
思ってはいけない、それはいけない、そう思っているのに、これらの状況を気持ち悪いと感じる自分がいる。

「あ、あの……ご、ごめんなさい」

茶色い魔族は全く動かない。
もしかして……やっぱり……。
ぷかぷかと水面に浮いた本体に触れたが何の反応も見せない。
素手で触手を持ち上げようと、抵抗を受けない。
手を離せばぽとりと垂れ下がる。
私はそのままジッとそれを見続けた。
だが、なかなか動いてくれない。
全くといっていいほど動きを見せない。

いや、もうちょっと、もうちょっと待ってみよう。
もしかしたら。
もしかしたら、また──。

いくら願おうとも、魔族が再び動くことはなかった。
願えば叶う力を持っているというのに、しっかりイメージもあるというのに、発動しない。

私は、今日初めて、誰かの命を奪うことが怖いことだと知った。
こういうことを、黒ちゃんは日常的に行っているのだ。

(12/06/05)