第13話-一方-

ぴんぽーん。
情けない音が鳴ると、ごそごそと物音を立てながら、扉が開いた。

「へー、今日はまともに来るんだな」

うっせーな。いくら俺でもの前では普通にするさ。
くそっ、のことがなければ、テメェみたいな奴んとこなんて来ねぇっつの。

を迎えに来た。それとももう出た後か」
「いや、今日は来てねぇよ。つか、俺今帰ってきたばっかりだし」
「え、……来てないだと?」

学校に行く前に「おじさんのとこ行ってくるね!」なんてことを言っていたはずだが。
こいつも仕事が終わったばかりだというし、留守中に訪れたのだろうか。

すると、あいつが俺を横へとどかし、郵便受けを覗いた。

「留守中にも来てねぇみたいだ。嬢ちゃんのメモ入ってねぇし」
「留守中にすら来てないだと!?そのメモと言うのは絶対か?毎度欠かさずか?」

胃の辺りがずきずきする。

「あ、ああ。嬢ちゃんはそう言ってたぜ。いつもだって」

どういうことだよ。
こいつの家に行くって言ってたじゃねぇかよ。
どこほっつき歩いてんだ。

まさか。
前みたいに、の身に何かあったのか。

は叱られて平気でいられる人間ではない。
最近帰宅時間のことで注意されてからは、しっかりと約束を守っている。
そんなが門限を破ることは、俺は有り得ないと思う。

「あ、ほ、ほら、嬢ちゃん買い物行ったかもしんねぇし…」
が?何故?」

欲しいものは俺が何でも買い与えるから、は一銭も持ってない。
疑問符が飛び交う俺に、目の前の男は言葉を濁す。

「あー…や、よく…飯してもらってるし…それで、最近金渡したし…」
「はぁあ!?テメェはを家政婦扱いしてんのか!!」
「わ、悪いとは思ってる。いや、本当、すまん」

人の子供を良いように使われて、すまんで許せるかよ。
もなんでこんな奴のところへ行くんだ。
ただ使われてるだけじゃねぇか。

「ちっ。年上にかこつけてを利用してんじゃねぇよ」
「これだけは言っておくが、別に命令してるわけじゃねぇよ。
 嬢ちゃんが気ぃまわしてくれるだけで」
「で、の気遣いに胡坐をかいてるわけか?」
「悪かったよ。つか、お前俺に文句言いにきた訳じゃねぇだろ?」

そうだ、こいつを責めるのは後だ。

は普段どこに買いに行くんだ。教えろ」







くそ。
この俺がこんな奴と横並びに歩かなきゃならないとは。
が他の人間と同様、すぐに居場所が分かればこんなことには。
勿論、が悪いわけではないが。
この状況はあまり、心地がよくない。

「テメェは普段からに家事ばっかさせてんのか」
「……ばっかじゃねぇけど。わりと」
「それでは楽しいのか」
「知らねぇよ。世話好きなんじゃねぇの?家でどうなんだよ」
「俺と影がしてばかりだ。……くそっ、だからか」

世話を焼きすぎるのはよくないとは聞いたことがある。
だからは外へ、しかもこーんなおっさんなんかに奉仕することに喜びを感じるような子になってしまったのか。

「嬢ちゃんとはいつからいんの?」
「……さあ?俺は人間と違って時間の感覚が鈍いからな」

あれは、三年くらい前か。と出会ったのは。
あの時は、まさか嫌いな人間と長い間生活を共にするなんて思いもしなかった。
それが今では、が居なければ物足りないと思う。
他人を拒絶するために作り出した空間で他人のありきの生活をしている。

そして、もう一つ予想外だったのは、俺が、を、人間を、愛してしまったこと。
俺の中に、こんな感情があるとは思いもしなかった。
こんなにも他人のことが、好きになるなんて、大切になるだなんて。
愛しくて、壊したくて、でも大切にしたくて、沢山憎んで、その倍愛して。

俺は、黒神である俺の存在を認め、受け入れてくれたを、誰よりも愛してる。
こんな、俺を生み出しやがった世界よりも、ずっと。
以外は、何もいらない。
がいるなら、何もいらない。


俺には、しか──────。





門限から一時間半過ぎた。
KKにが歩くルートを案内されたが、とすれ違うことはなく、店に着いてもに似た少女を見た者は誰も居なかった。
もしやと思って、もう一度KKのアパートに行ったが、郵便受けは空のままで。

「もう家に戻ってるとかじゃねぇの?」
「絶対にない。MZDの敷地に入った時点で分かる」

どうして。こんな時間だぞ、どこにいるんだ。
だんだんと不安が大きくなっていき、きゅうきゅうと胸を締め付ける。

もしかして、また前みたいにどこかに閉じ込められているのか。
酷い目に遭わされているのかもしれない。
それとも、怪我か。
足でも負傷していたら動きが取れないだろう。
川や穴の類に落ちたことも考えられる。

が辛い目に遭っていたり、痛い目に遭っていたり、泣いていたらどうしよう。
早くの元に行ってあげないと。
でも、どうやって。はどこに。

「お、おい……。ンな不安そうな顔すんなって。
 所詮子供の足だ。虱潰しに探せば見つかるさ」

怖い。

が俺の傍から消えるのが、失われるのが怖い。
もし、このままに会えなかったら。
もうと一緒にいられなかったら、どうすればいい。

突然、がしっと両腕をつかまれる。

「しゃきっとしろ黒神。嬢ちゃんなら大丈夫だ。
 不安なら探しゃあいいんだ。止まるな。動け」

驚いた。
この俺に躊躇いもなく触れてくるとは。
それに、気を使われた。人間に。しかもこんな奴に。

「……、っふ、人間如きに気遣われなくともそうするさ」
「強がれんなら上等だ。俺は俺で心当たりを探す。そっちはそっちで探しな」
「言われなくとも」

を利用するような奴のくせに、気を回しやがって。
とにかく、俺は俺のやり方で探す。
アイツにも手伝ってもらって、手分けをしよう。
とにかく、早く見つけてやることがのためだ。





────三時間後。


一度、三人で集まったがのことは分からずじまい。
MZDが聞いたところ、途中まで一緒に下校していたという二人のところで足取りは途絶えていた。
KKは人通りが多いところで聞き込んだが、を見たという人間はいなかったようだ。
俺はがいたであろう学校で、時間を巻き戻して人々の生活をビデオのように見ていた。
だが、他の人間は見えても、だけは見えない。
ぽっかりとがいるであろう場所が空いている。
他にも、物の記憶を読み取りを探ろうとしたが、それもの情報だけが抜け落ちていた。
俺はこの世界の支配者だというのに好いた人間一人見つけられない。

眩暈がする。
不安と苛立ちで、こんな時だというのに破壊衝動が湧き上がってくる。
なんて不便なんだこの身体は。

「チッ……だからを外に出したくなかったんだ」

こんなことになるなら、ずっと閉じ込めておけば良かった。
少なくとも俺の作りだした空間では、がいなくなることはない。

「そういうわけにいかねぇだろ。お前は自分の都合のいいようにを操るのか」

こいつも苛立ってやがる。当然か。
とは言え、俺からを遠ざけたことについて、こいつには言いたいことが沢山あった。

「何も知らないを急に外に連れ出す方こそどうだよ」
「あのままだったら、一生他人と関わらせなかっただろ」
「だからと言って、傷つくと分かって進ませんのもどうなんだよ」
「確かにオレらといた方が、は何不自由なく幸せだ。
 でも、それで生きてるって言えるのかよ」
「それでこの様か?失踪だぞ?」
「それは……そうだが」
「テメェの考えは間違いだったんだろ。も結局人間に怖がられたままだし、外に出なくて良かったんだ」
「お前は自分の手元にを置きたいだけだろ。を、何も知らないを自分の愛玩の道具に使うんじゃねぇよ」

衝動的に俺はアイツに殴りかかった。
応戦する動作をするのを見た。

「お前ら馬鹿か」

急に首をきゅうっと捕まれ、MZDの顔が近くなる。

「「っつー」」

多分、MZDの額と俺の額が思い切り打ち付けられた。
石頭め。頭の芯までがっつりと衝撃が響く。

「ったく、嬢ちゃんのことになると、二人とも駄目だな」

俺たちを首根っこを掴んだKKは溜息を一つついて、言った。

「聞いてる感じ、お前らのトンデモ能力は役に立たねぇんだろ。
 ならお前らから見て効率が悪かろうと人間のやり方で堅実にやればいいんじゃねぇの。
 今は手があるなら、どんな手でも使うべきだろ。
 兄弟喧嘩してる場合じゃねぇぞ」

腹立たしさは自分の中で燃え上がっているが、殴るタイミングはこの男のせいで失われた。
くそっ。俺は愛玩道具だなんて思っていない。
にそんなこと思うわけねぇだろうが、くそが。
こいつはいちいち物言いがウゼェんだよ。

「黒神」
「チッ、なんだよ」

ぐしゃと頭を触られる。

「嬢ちゃんは大丈夫だ。早いとこ探すぞ」
「お、俺を子ども扱いするな!と同列と思ってるだろ」

なんで、俺が男なんかに触られなきゃなんねぇんだよ。
しかも、を取るような奴に。

「つい。今のお前背小っちぇし」
「ついじゃねぇ!!俺はもう一度この辺を探してくる」

空間を渡って、の学校にやってきた。
一人になると、少し頭が冷える。
先程は余計なことを言った。アイツなりにのことを考えてくれてるのはわかっているのに。

それにしても、またあの男に気を使われた。
ここまでを探すのに手を貸してくれるし、悪い奴ではないことは、なんとなく関わってて思う。

ただ、そうなると……奴がいい奴であると俺は非常に困る。
がいつか、あの男のところへ行ってしまわないかと。

いや、今はそんなことはいい。
それより、その自身を探し出さないと。





────三日後。

「オレも動いてる。だからお前は少し休んだ方が」
「俺が死ぬ身体じゃないことはお前が一番よく知ってるはずだ」

力は役に立たなくとも不死に関してはよく役立ってくれる。
どんな無茶を働こうと、この身体は壊れない。

結局未だには見つかっていない。
三日だ。もう、三日も経ってしまった。
俺の中で渦巻く嫌な感じは止むことはなく、すぐに破壊衝動でそれを解消しようとしてしまうが、それもなんとか耐えている。
を探す以外の行動は不要だ。

ずっと寝ていないために、ふっと意識が飛ぶことがある。
その時、似たような短い夢を見る。
が死ぬ夢だ。
死因は毎度変わる。
あの身体が砕けるとき、衰弱する時、消滅する時、俺は現実にかえる。
そんなことあってたまるかと、俺はまた捜索をする。

は大丈夫。はまだ大丈夫。
折れかけている心を、無理やりに誤魔化し続ける。
だが、それでも、神の力の範疇外のだから俺がその死を感じられないだけで、
本当はもう、という最悪の想像が急に俺を襲って、一人で取り乱してしまう。
その度に自分自身を傷つけて、意識を一度飛ばす。
そして先ほどのような悪夢を見て、現実に戻る。

それなのに、まだ見つからない。

「MZD……は下校途中だったんだよな」
「ああ。それは絶対だ。一緒に帰ってたっていうんだからな」

回らない頭で考える。
に俺の力は直接効かないが、間接的にとか能力の穴はあるはずだ。
今度はそれで探してみよう。

「……その辺にもう一度行ってくる」

その場所へ飛び、時間を巻き戻してみる。
金髪のと黒いのとがいた。
動作を見ると手を振っているように見える。

ここからだ。
ここからがよく分からない。
一応KKのところへ向かっていたのだと仮定すると、ここからだと3ルートほど考えられる。
1ルートずつ見ていこう。

人間の歩く速度に合わせて時間を流し、俺も歩いてみる。
辺りには人間が少なく、過去の映像ですれ違うことは少ない。
これでは、不審な動きを見ることは出来ないか。

前方で歩いているのは、あれはジャックだ。
ジャックに着目して時間を巻き戻すと、ずっと焦って歩いている。
それが一度停止、動き出したかと思うと段々加速した。
片手のみしか、手を振っていない。もう片方は何故か後方にのびている。
もしかして、何かを引いている。
暗殺者のアイツが触れる相手はしかいない。

ジャックを追うと、忽然と姿が消えた。
この気配────ようやくつかめたぜ。











もう三日も経ってしまった……。
黒ちゃんが心配してるのは当たり前だが、これではMZDも相当心配してる。
いや、心配どころか、二人にじっくりこってり怒られることだろう。
会いたい気持ちは勿論あるが、日が経つにつれ会いたくない気持ちも出てきた。
これは、過去最大に叱られる。
黒ちゃんだけじゃなくてMZDも参戦となれば想像もつかない。
帰りたい、けど、帰りたくない。


私がこの三日間で何をし、何を得たかと言うと、
意地悪な御主人様の命令に忠実に従い、
どこへいけなにしろはやくしろそれはちがうしもじものものめにんげんめおろかなあたまがいたいだからきさまいいかげんにしろものおぼえがわるいなにをきいていたのだ…云々。

御主人様は私を小間使いというより玩具として扱っているようで、よく試された。
これが出来るか、出来ないかとよく聞かれたし、実際にそういう状況に追い込まれた。
御主人様の意図が感じられることはなく、私は自分が何故そんなことさせられているのかわからない。
ただ、笑われたり、考え込まれたりの連続であった。

そんなことを一日に何度もさせられ、ようやく御主人様の中で一応の着地点を見つけたらしい。
それは本の整理を命じられた時のことだ。





「我が蔵書を整理しろ。わかったな」
「はい、御主人様」

頭を下げ、指定された場所へと一人で向かう。
場所を説明されずとも、城内に居付いている低級魔族が自然に案内してくれる。

書庫はとんでもない広さであった。
さらに本棚は私の背をゆうに越えており、手を伸ばしても本棚の真ん中にすら手が届かない。
大人が手を伸ばしたって一番上に届かないだろう。
そんなに高い本棚がびっしりと広い部屋に一面生えているのだ。
棚と棚の間も狭く、よくここまで本を集められたものだと驚いた。
御主人様は勉強好きなのかもしれない。

こんなに広い書庫での蔵書の整理とはどうすれば良いのか。
試しに近くの本の背表紙を見たが、私には読めなかった。
私が知っている言語ではない。模様のような文字。
これではタイトル順に並べることは無理だ。

他に何が出来るだろうと、本棚の間を縫って歩いていく。
何冊か棚に仕舞われていないものがあったり、本の高さと棚が合っていないものがあった。
これらを整理することなら出来そうだ。

どの本も両手で持たなければならないほど厚く、重々しい装丁であった。
色も黒や紺、茶ばかりの重いものばかりの中、一冊だけ真っ赤な本が置いてあり私の目を引く。
私は何の気もなく、それを手に取り、表紙を開いた。

「ひゃ!?」

思わず、身を引いた。なんだ、あれは。
警戒しながら手を伸ばし、本を開くと、隙間から紅のついた象牙色の牙がびっしりと生えていた。

「ひいっ」

私は逃げ出した。
食われる、危険、逃げろ、そう脳にシグナルが鳴っていたのだ。
丁度反対側に着いたところで、私は息を吐いた。
本は私を追うこと無く、投げ捨てた場所でじっと佇んでいる。

まさか、こうなると分かって御主人様は蔵書の整理を命じられたのか。
意地悪な御主人様のことだ。大いに有り得る。
私の反応を見ては、見下し、馬鹿にするのだろう。
本当に、性根の曲がった酷い人もいるものだ。魔族だけど。

溜息を吐きながらも、本の整理は終わらせた。
あの後も、食われかけたり、襲われたり、吸い込まれそうになったり、大きな音が鳴ったりと散々であった。
疲れた身体を引きずり、御主人様の元へ報告に行くと案の定こう言い放つ。

「なんだ、死ななかったのか。人間のくせに」

最初は呆れ憤ることもあったがもう慣れた。
自分の身が無事ならそれでいい。

「来い。試したいことがある」

広間から先ほどの書庫へと景色が一瞬で変わる。
広い城中での空間転移は本当に便利だと思う。

「手を」

未だに傷の残る右手を差し出した。
手のひらを上にするように指示され、その上空に青白い光球をそっと置かれた。
それは炎のようにちりちりと燃えており、私の手の上でゆらめく。

「拒否反応はない、か。この文字は読めるか」

本棚から一冊の本を取り出し、見開きを見せ付けられる。
文字列ではなく、完全に模様だ。これに意味があるとは思えない。

「申し訳御座いません。私には読めません」
「これだから学のない人間は」

頭云々ではなく、魔族じゃないと読めないのでは、と心の中で文句を言う。
しかし表情ではすみませんと出しておく。でないと叩かれる。

「痛っ!?」
「この私が読み聞かせてやる。一度で理解しろ」
「はい……」

たまに御主人様は私の心を見透かしたようにお仕置きをする。
自分ではよくわかっていないけれど、表情に全部出ているのかもしれない。
痛いけど、しっかりと耳を傾けよう。



……と、一生懸命に聞いたのだが、もうほんっっとうに意味が分からなかった。
英語のことを思い出して、同じ単語を使っている箇所から何か探れないかと思ったが、文字の区切りすらわからなかった。
延々と紡がれる言葉はまるで音楽のようだ。

「理解できたか」
「出来ました」

叩かれたくない一心で嘘をついてしまった。

「ほう、ならやってみせろ」

絶対に無理だ。だが、なんとかしないと、叩かれる。
とにかく先ほどの言葉を無理やりに思い出す。
先ほどの旋律を。御主人様が望んでいることを。
その要望に叶えたい。叩かれたくない!!

「ふっ……」

手のひらの上の青い炎が、赤い炎となり、ごうごうと燃えさかった。
三センチほどの炎だったのに、五十センチ以上をゆうに越し、焼かれると思って手を思わず前に出した。
しばらく燃えた後、燻り消える。

「面白い」

御主人様の仮面の奥からくつくつという音がする。
馬鹿にした笑いではなさそうだ

「手を」

また叩かれるのか。じゃあさっきのは間違いだったんだ。
しょうがない……か。嘘を吐いたのがそもそもの間違いだったのだ。
私は空っぽになった手を差し出した。

「虚言を行うとはいい度胸だ」

御主人様は私の手に、自身が持っていた本を置く。

「しかし、貴様の才は私の予想を大きく超えた。今宵は特別に見逃してやる」

良かっっったあ!
よくわからないけれど、叩かれずにすんだ。

「意味も分からぬ状態でよく出来た。説明しろ」

褒めて下さったことが嬉しい。
私は正直に全て話すことにした。

「怒られるのが怖くて必死だったんです。なんとかなれって思って……」
「貴様の行いはほぼ正解だ。だが、私は赤い炎にすることを命じただけ。
 その炎を増幅させ、更にはその魂を消滅させるとはな」
「魂?」
「貴様にもあるだろう。人間には見えぬだろうが」

トンと私の胸を指で押した。

「あの、消滅ってことは、つまりその……
 私、誰かを死なせてしまったのでしょうか?」
「いや。肉体は元々死んでいる」

良かった……のだろうか。私が死なせてないとは言え、消滅って。
罪悪感が込み上げていると、御主人様が私の胸に手を置いた。
ぎょっとした。痛いことをされる
だが、予想と反し御主人様は優しく撫でた。

「貴様は全く美しい。
 私も随分収集しているが、これほど美しい魂は見たことがない」

うっとりとした口調で、この私を純粋に褒めた。
見慣れぬ御主人様の姿にどう接していいか分からず、とりあえず私の魂について尋ねてみる。

「どのように見えるのですか」
「他の追従を許さぬ白光。眩い輝きは見る者の目を焦がすだろう。
 下等な者には貴様の存在は手に余る」

見えないからよく分からないが、褒めて下さるのは素直に嬉しい。
それが御主人様なら尚更だ。

「貴様の魂の鑑賞はなかなかに心地よい。
 しかも日を追うごとに輝きは増しているように見える。
 どれ程のものになるか楽しみにしているぞ」
「はい、有難う御座います!」





────と、言うことがあったのだ。

そこから、御主人様は実験と称して、様々な魔術の知識を与えた。
私に分かるよう丁寧に説明してくれ、質問にもきちんと答えてくれる。
それに伴い、今までなら無視されていた私の質問にも答えてくれるようになった。

「御主人様はお食事なされないのですか」
「不要だ。摂取できぬわけではないがな」


「紅茶はストレートティーとミルクティー、どちらがお好みですか」
「どちらでも構わん」


「私も魔術が使えるようになるのでしょうか」
「魔力はないが、貴様には何か力の源泉を感じる。
 それを自由に操れるようになれば、可能であろうな」


「ジャックはいつ帰ってくるのですか」
「奴の力なら一週間。それでも人間にしては早い方だ。
 言っておくが奴が神の助けを得ることは不可能だぞ。
 奴には監視をつけている。不審な動きをすればすぐにわかる」
「そうだったのですか」
「……貴様は稀に解せぬ感情を放出する。
 助けが来て欲しいと思わないのか」
「心配をかけているのは分かっています。でも、怒られるのは怖くて」
「風変わりな人間だ」





それなりに良好な関係になれた。……そう思っていた。
だが、意地悪な面は健在だったようで。

「今から貴様に魔術を放つ。避けぬと死ぬぞ」

え。と思ってる間にも、私の方へ火炎弾は飛んでくる。
着弾した地点は燃えていて、近づくと熱い。幻ではなく本物の火だ。
私は長いスカートをたくし上げながら急いで逃げ出す。

「突然何をなさるのですか!それは本当に私死んじゃいます!!」
「その時はその魂、我がコレクションとして並ぶがいい」
「無茶言わないで下さい!黒ちゃんに怒られます!」
「何が神だ。このヴィルヘルム、神など恐れはせぬ」

スカートの裾に火が点いた。
踏んだり、床に押し付けるがなかなか消えない。

「消えて!!」

瞬時に消える。
近くにはにゅるにゅるした魔族が一体。
ゼリー状の身体を持つこの子が炎を飲み込んでくれた。

「ありがとぉ……。大好き」

そう言った後、しまったと思った。
にゅるにゅるの子の身体が巨大化し、身体も水っぽさが消え少し固形に近づいた。

この謎の変化についてだが、御主人様の観察による分析によると、
私と関わった魔族は軒並み能力が上昇しているらしい。
特に、私が好意を持って直接触れたり、感謝の意を述べたり、すると強化されるそうだ。
御主人様はみだりに力を与えるなというが、私だってしたくてしているわけじゃない。

それよりも私にとって大きかったのは、下級魔族はその能力増強を求めて私に近づいていたということだ。
御主人様曰く、一定の力を得れば掌を返して私を襲うだろうと。

魔族なら私を受け入れてもらえると思ったのに、違ったのだ。
私自身に興味を持ってくれる人なんて、黒ちゃん達だけ。
でも、それだって本当だろうか。
何か秘密があったり、しないだろうか……駄目だ、やめよう。
今は、立派な小間使いとして、しっかり働くことが大切だ。


「こんなところまで逃げおって。早く紅茶を淹れよ」
「は、はい!」

御主人様が空間を飛ばしてくれたおかげで、茶葉のある部屋はすぐそこだ。
こういうことをしてくれるようになったのも、書庫の件があってからである。
御主人様が一番、私を利用という目でしか見ていない。

そんな人に一生懸命美味しい紅茶を淹れているなんて、私は大馬鹿だ。
黒ちゃんとMZDに心配をかけてまですることなんかじゃ、絶対ない。

トレンチで紅茶を運ぶ。
落ち込んでいたからだろう、注意が散漫であった。

「ひゃぁあ!!」

思い切り足を引っ掛けてしまう。
私はなんとか踏みとどまり、こけることは免れたが、御主人様に被り物の上からびっしょりと紅茶がかかってしまった。

ぽたり、ぽたりと、被り物から鮮やかな濃い赤色が落ちる。
ぷるぷると震えている御主人様を見て、私は後ずさりをした。

「い、今、ふ、拭くものをお持ちします!」

急いで踵を返すと、私の前方で城の壁が一部壊れた。

「っく……貴様!!」

背から熱い空気を感じる。
見せてくれた魔術の一つで、黒炎が物を跡形もなく焼き尽くす術。
人間なら、いや人間じゃなくてもあんなの受けたら死んでしまう。
急いで部屋を移動して、御主人様から見えないところへ行かないと。

「考えが浅い」

目の前にいる御主人様。
しまった、空間転移を使えるんだ。

「死ぬがよい」

先ほどとは比べ物にならないほどの特大の黒炎が私にまっすぐ向かってくる。
今まで感じたことがないくらい熱い、肌が焼ける、怖い、痛いのは嫌だ。



────黒ちゃん。





地獄の業火が私を完全に飲み込んだ。
だが、今は熱くない。服も燃えてない。
炎を完全に消え、御主人様がまじまじと私を見る。
私も事態が飲み込めず、御主人様を見返す。

「貴様、まさか……」
「御主人様……?」

わざと、御主人様は私の身体を焼かなかったのか。
それとも、もしかして────。



心地の良い声が耳に触れ、涙が押し出される。
世界が滲んで、前がよく見えない。

「黒ちゃっ」

誰かに強く抱きしめられる。
あったかい。痛い。この感じは本物の黒ちゃんだ。

「遅くなってすまなかった」

そんなことない。
私のことは探せないって言ってたのに、見つけてくれた。

「ようやくお出ましか、死神」

御主人様の姿は見えない。
声だけが聞こえる。

「低俗な魔族如きが、に手を出しやがって。テメェは俺様がじっくり殺してやる」
「ま、待って。黒ちゃん!殺すなんて、そんな」
は気にしなくていい。
 神以外はどいつもこいつも滅びる運命なんだから。
 ここで一魔族が惨殺されようと、問題など何もない」

そう言って、頬を優しく撫でられる。
なんで、そんなことしながら、怖いことが言えるの。

「お願い。酷いこと、しないで」
「こんな時でもは優しいな。大丈夫。
 お前が気に病まなくていいんだ」

そりゃ、決して御主人様は優しいとはいえない。
凄く意地悪だし、命令するし、試してばっかりで、殺そうとする。

でも、一応殺されてはないし、理由なく手を叩くこともないし、ご飯はくれるし、褒めてもくれるし、魔術のことは楽しかった。
……だから。

「御主人様に酷いことしないで。私、あの人のこと嫌いじゃないの」

そう縋ると、黒ちゃんは「ふうん」と言った。
思わず後ずさろうとするが、背中に触れられている腕のせいで動けない。
眼鏡越しに見えるのは、ぞくぞくする鍾乳洞のような冷たい目だ。
御主人様すみません。私の発言で余計に怒らせてしまいました。

「その感情はこの環境のせいだ。はこれ以上ここにいないほうがいい」

はっと気付いた時には、MZDの家にいた。
転移させられてしまったんだ。このままじゃ御主人様死んじゃう。

「MZD!どこ!」
「なになに、って!?無事だったのか!心配したんだぞ!!」
「お願い。黒ちゃんを止めて。でないと、御主人様が死んじゃう!」
「わかった」

突然現れた私に急に捲し立てられたというのに、MZDは私の言いたいことを理解しすぐさま目を閉じた。
一息つくと、ゆっくりと目を見開いた。

「とりあえず、力は制御した。つか、一体どーいうことなんだよ」
「私魔族の方に連れて行かれて、それがジャックの上司の人で、えっと、黒ちゃんが怒ってて、殺すって言ってて」
「後半が予想通り過ぎる」

さすがMZDだ。黒ちゃんを理解しているから話が早く進む。

「とにかく、オレがアイツを止めてやればそれでいいのか?」
「ごめんなさい、お願い」
「でも、一つ言っとく。
 アイツ今までずっとお前を探してんだ。自分を省みずな。
 だから……あまり、相手を庇ってばかりいないであげてくれ。
 本当に、アイツ、死にそうだったんだぜ」

黒ちゃんはそういう人だ。
私はいつも心配をかけては、黒ちゃんに酷い負担を強いている。

「まあ、が元気そうで良かった。
 黒神が帰ってきたら、沢山優しくしてやってくれな」
「する。それと、ちゃんと、謝るよ……」

頼んだぜと言って、MZDの姿は跡形もなく消えた。





(12/05/04)