第11話-一歩-

綺麗にアイロンをかけられたシャツに手を通す。
姿見の前でネクタイを止め、折り目のしっかりついたスカートを履く。
髪は引っ掛かりが一切なくなるまで梳いて整える。
これで学校へ行く準備は整った。

「……本当にいいのか」
「心配しないで」

なんて言いながらも、胸中は不安が渦巻いている。
それを見透かしてか、黒ちゃんは私を抱き寄せた。

「大丈夫。何があろうと俺はの味方だ」

耳元で囁かれた心地よい声に酔いしれていると、景色ががらりと変わる。
ここはMZDの家のエントランスだ。黒ちゃんは私をそっと離した。

「おはっ。は今日もびっくりするぐらい可愛いぞ」
「ありがと。おはよ」

調子の良いことを言うのはMZD。
元々の性格でもあるけれど、今わざわざ言うのは、私を気遣ってくれているんだろう。
全く本当にこの二人の優しさには頭が上がらない。

「そんなちゃんにびっくりニュース!」

MZDが指差す方を見やるとそこには、見慣れた姿があった。
水色の髪が特徴的なサイバーと、その脇で慎ましく佇むサユリが門の前に立っている。
私はむくむくと湧き上がる感情を抑え、急いで駆け寄った。

「おっす。一週間の休暇しっかり楽しんだか?」
「怪我は大丈夫?」

二人は以前と変わらず私に話しかけた。
まさか門の前にいるとは思わず、とても驚いたが、それ以上に温かい気持ちがこみ上げてくる。
こんな私だけど、こうやって気にかけてくれる人は確かにいるんだ。
ならば、学校は継続である。
私は二人には見えない場所にいる黒ちゃんに目配せをし、黒ちゃんは姿を消した。

「二人ともありがとう」

少しくらいは、私も誰かに気にかけてもらえてるんだ。
いらない人間じゃないんだ。

「ったくよー、来ねぇからオレ連続遅刻だったんだぞ!」
「それは自業自得。さん、休んでた間のプリントは机の中にまとめてるから安心してね」
「うん、わざわざありがと」

私は一週間ぶりに学校へと足を進めた。
それも誰かと一緒であって、一人じゃない。

「なあ、なんで謹慎だったんだ?」
「あ、でもね、嫌だったら言わなくていいから」

私は、体育倉庫の件から謹慎後の少年のことまでを全て、事実を淡々と述べた。
二人は特に口を挟むことなく、最後までしっかりと耳を傾けてくれた。

「…そっかー。MZDを利用したいって奴なんていんのか。
 まぁそいつの気持ちが全くわかんねぇってわけじゃねぇけど、やり方が間違ってる」

と、サイバーは普段とは全く似つかない重々しい表情で言った。

「聞かされると、そういう人もいるかもって思うけど……。
 でも、実際にいるんだね。それも、わざわざさんの方に言うなんて」

一連の出来事のことで、私はニンゲンというものを嫌いになった。
それに関連し二人やジャックと様々な話をしたが、そのことについてはこの二人には言ってない。
普通の人間である二人には、多分言っても分からないと思ったからだ。

「気付いてあげられなくてごめんなさい!!」
「オレも……ごめん。あんなに毎日会ってたのに……」
「ううん!誰も悪くないよ。それに私、ぜーんぜん平気だもん」

初日の登校は残念ながら暗い空気のままで終わった。
下駄箱で自分の上靴に手をかけると、その上に手紙が置かれていた。
あの少年からだろうかと、開封しようとするが、片手では思うように行かない。
すると、横からサユリが手紙をとり、丁寧に封を開けてくれた。

「どうぞ」

渡された手紙の中には、一枚の紙。
────化け物は来るな
あまりのストレートな文面に、私は思わず笑ってしまう。

「……内容。聞いてもいいかな」
「内緒。……っていうのも失礼だね」

遠慮がちに言うサユリに手紙を渡した。
目を通したサユリはそれを静かに畳む。

「先生に言おう。証拠はあるからさんが酷いことをされてる証明は出来るよ」
「ううん。いい。気にならないから」
「でも」
「優しいね。でも、本当に気にしなくて大丈夫だよ」

サユリたちには罵倒の内容を詳しく伝えなかった。
だからこの程度のことは、言われ慣れてあまり気にならないことが分からないのだ。

さんがそう言うなら……」

教室に着くまでも酷かった。
以前よりも恐れられているようで、こそこそとではなく、堂々と怖い、来るなと言っていた。
そんな雰囲気にいつも楽しそうなサイバーが怒っているようであった。
私は気にしてないからと、サイバーを諌める。

「それでいいのか。悔しいし嫌だろ?」
「悔しくないよ。だって全然平気だもん」

私はさらりと嘘をつく。
本当の気持ちなんて話せない。
二人に心配をかけるのも悪いし、迷惑をかけることも嫌だった。

教室も廊下と同じようなものだった。
私の姿を捉えると一斉に空気が変わったのがわかる。
誰もが私を見てはそわそわし、小声で会話を行う。
そんな中でも、リュータはいつも通りだった。

「よっ、久しぶり~。うっわ、痛そうな手してんなぁ」
「見た目だけだよ。ちょっと不便だけど痛くないの」

そう言って私は自分の席に着く。
冷たくて堅い椅子であるが、少し心が落ち着く。
この机分の陣地は、誰にも侵されない私の場所なのだ。

変な空気はその後ずっと継続し、そのまま昼休みになった。
いつも通り席を近づけ、いつもの人たちと食事を共にする。
周りはというと、いつもよりも人が少なく、また教室に留まっている生徒も私たちとは距離を置いている。
自分がどれ程ニンゲンに恐れられているかは明白であった。

「謹慎つって、結局なんだったんだ。手も折れてるし」

私は状況を一切知らないリュータに二人と同様の説明を行った。

「マジかよ。聞く限り殴られて当然って気がするな。俺だって身内馬鹿にされたらやっぱムカツクし」
は何も悪くねぇのに、ここまであからさまに避けるとか、おかしいんじゃねぇの?」

サイバーは誰にともなく声を大きくして言った。
なんとなく周りの人は居心地が悪そうだ。

「まぁまぁ。私はあまり気にしてないし、しょうがないよ」
「だからさぁ、何でお前気にならねぇの?
 朝からそうだけどさ、我慢する必要なんてねぇじゃん」

サイバーは怒気を強めて言う。
すると余計周りの空気がもっと暗くなり、私は胃がきりきりと痛んだ。

「こうやって私の相手をしてくれる人がいるから、私はもう満足だよ」

本音を告げるが、サイバーは不満顔のままだ。
そのままお弁当をかきこんでいく。

お昼休みはこうして、誰も笑顔を浮かべることなく終わった。
その原因が自分であることが申し訳なかった。
私は来ない方が良いのかもしれない、ニンゲンと過ごすなんて無理なんだ。
授業中、先生の言葉を聞かず、そればかりを考えていた。

そんなことをしていると、あっという間に放課後になった。
DTO先生のところに行く準備をしていると、珍しくクラスの人が私に近づいてきた。

「どうしました?」
「明日も来るのか?」
「で、き、れば……」

私は目を逸らして言った。

「出来るならもう来ないで欲しい」

視界の中のサイバーがカチンときているのが見えた。
何かが起こる前に、この人の話を平和的に迅速に終わらせないと。
それにしても、こうハッキリと言われると、慣れているとはいえ結構きつい。

「それは私が怖いから?殴るかもしれないから?」
「……後ろについている黒神が、俺は怖い」
「え?黒ちゃん?どうして?」

拍子抜けした。
何故、黒ちゃんなのだろう。

「そりゃそうだろ。だって、MZDと同じ神様なんだろ?」

確かに神様である。私は頷いた。

「もし、お前が告げ口したら、何されるかわかんねぇじゃん」
「しないけど、そんなこと……」

少年が言っていた通りだ。
私は告げ口なんてしないのに、勝手に決め付けられ怖がられている。

「黒神が何思うかなんて、わかんねぇじゃん」
「どうすれば怖くなくなる?」
「一度、黒神がどんな奴か見てみたい。怖くないのか、どうかを確かめたい」

それは嫌だ。
黒ちゃんにわざわざ来てもらうなんて、申し訳ない。
それに、黒ちゃんが何を言うか。
ニンゲン嫌いと言っていたし、この場に呼び出しても事態が悪化してしまう気がする。

「いいじゃん。呼べるなら呼べば?その方がの誤解もとけそうじゃん」

サイバーは簡単に言うが、私はどうしていいか思いあぐねている。
クラスの人たちが私達のやり取りを注視しているせいで、私は気まずい気持ちが増加していく。
早くこの場を終わらせたい気持ち、この場から逃げたい気持ち、これ以上怖がられたくない気持ち。
それらが自分の中で渦を巻く。


────ごめんなさい。


私はサイバーから携帯電話を借り、私が唯一覚えている電話番号を押した。

「もっしー。MZDでっす☆」

底抜けに明るいふざけ声を聞くと、ギスギスした空気の中にいるのにほっとする。

だよ」
「おー、ちゃん。どしたー?」
「あのね、今忙しい?」
「超暇!影がなんか言ってるけど暇!!」
「申し訳ないんだけど来てくれない?
 なんか、黒ちゃんのこと知らないから私のこと怖いんだって」
「すぐ行く。待ってろ。……大丈夫だからな」

耳に届いたMZDの真剣な声が私を心底安心させる。
ぷつりと切れた瞬間に、MZDは目の前に現れた。
私は借りた携帯電話を返却する。

「みんなのアイドルMZDでーす」

ふざけたMZDのおかげで、ちょっとだけ空気が変わった気がする。
みんなMZDのことは平気なんだ。黒ちゃんや私は怖がるくせに。

「もうっ。お前らどーしたんだよ?」
「だって、黒神なんて俺初めて聞いたんだぞ。んでそんなよく知らない神と住んでる
 どっちもよくわかんなすぎて、怖いんだって!
 なぁ、黒神ってお前みたいな奴なの?それとも怖い奴なの?
 もしさ、の何か地雷踏んで、黒神が怒ったりしたらどうなるんだよ?
 そういうの全然わかんねぇし、怖いものには近づけねぇよ!」

彼の言いたい事はとても理解できる。
神である黒ちゃんは何でも出来る力を持っている。
しかも私に対して心配性で、私に何かした人に対して容赦がない。

対抗する術のないニンゲンにとっては怖い存在だと思う。
その黒ちゃんのスイッチを入れる存在である、私は。

「なるほどな~。そんな難しく考えなくても、黒神は人間の親と何ら変わんねぇぞ。
 オレもいるし、酷いことが起きることなんてないぜ」
「……正直信じられない。名前からして怖そうな気がする」

失礼な。ただ黒という文字がついてるだけじゃないか。

「じゃあ、実際に黒神見てみる?愛想はよくねぇけど、割とフツーだぜ」
「見る。その方が安心できる」

MZDは頷くとこの場から消えた。
本当に黒ちゃんをここに連れてくるのだろうか。
帰ろうとしていた人たちも引き返し、足を止めているこの教室に。
生物嫌いと言う黒ちゃんにとっては、苦痛じゃないだろうか。

「黒神ってどんななんだろうな。オレ結構楽しみ」
「私もさんの話でしか聞いたことなかったから……」

でも、せめてサユリたちには何も悪いことを言いませんように。
いつもよくしてもらってるのに、この関係を拗らせたくない。

しばらくすると、宙が歪み、その中からMZDと黒ちゃんが現れる。
黒ちゃんは下界だからと、いつもよりも大人で、MZDは変わらず少年のまま。

「お初にお目にかかる。所望していた黒神だ」

冷たい言い方に、周りは一気に威圧されているのがわかる。
嫌々ながら来てくれたのだろう。
本当に迷惑ばかりかけて申し訳ない。

「黒ちゃん、ごめんね」

私の目の前に降り立つと、いつものように笑って頬を撫でた。

「そういう顔をするな。折角の可愛い顔が台無しだ」
「でも……」
「お前が怖い顔してっから、周りがびびってんじゃん」
「顔なんてお前とそう変わんねぇだろ」
「黒神はそうやって、むーって顔ばっかすっから悪ぃんだよ」
「テメ、触んな」

黒ちゃんに触れようとするMZDの腕を掴み、必死に逃れようとする。
周りは先ほどの言葉が響いてるのか、未だに黒ちゃんに対して怖がっているような気がする。
だが場違いな声が近くから聞こえた。

の言ってた通り外見かわんねぇな。髪色しかかわんねぇじゃん」

サイバーの恐れ知らずの言葉に、私は慌てた。
黒ちゃんが不機嫌になって何か怖いことを言ったらどうしよう。

「お前らか。に学校でよくしてくれてるって言うのは」

MZDの腕をほいっと捨て、黒ちゃんはサイバーを見やる。

が随分と世話になっている。礼を言う」
「全然。のお陰でオレ遅刻免れてるし、ギャンブラー話せるし、五分だぜ」

私の方が怖くなるくらいに、全く恐れのないサイバー。丁寧に頭を下げるサユリ。
その様子に小さく黒ちゃんは笑みを浮かべ、サユリを見た。

がしょっちゅう君の名を出す。俺もサユリには特に感謝している。ありがとう。といてくれて」
「あ、え、わ、私、全然。凄いことしてるわけじゃないのに」
「そう謙遜する必要はない。素直に受け取っておくといい」

ふ、普通だ。
黒ちゃんが普通の対応をしてくれた。
今まで心に乗っていた大きな荷物がようやくなくなっていく。
サユリたちを見ても、黒ちゃんへの悪い印象は特に見えない。
サユリ達には見せた笑みを消した黒ちゃんは、自分を呼び出した男子生徒の方に向いた。

「MZDから話は聞いた。お前らの心配は最もだ。
 だが、俺は子供の諍いに介入する気は毛頭ない。常識を外れていたら別だが」
「ほ、本当に?だって、に何かあったら黒神さんが怒るとか」
「そりゃ、普通の親もそうだろ。俺が神だからって特別視しすぎじゃないか?
 今回が謹慎騒ぎを起こしたが、それだっての処分は学校のルールに則ったのであって、
 俺自身がが手を下したわけでもない。何も問題はないと思うが、如何かな?」
「そりゃ、……まあ」

確かに黒ちゃんが処分を決定したわけじゃない。
でも、手を加えたのは確かだ。
その辺は、私も黙っていようと思う。

「後は各々の判断に任せる。
 俺達に非がないのにどうしようもないからな」

呼び出した本人を含め、様々な人が思案しているように見える。
何を考えているのだろう。そして、どんな答えを出すのだろう。

「お前相変わらず淡々としてんな」
「お前みたいに阿呆なこと出来るかよ。一緒にされたくない」
「えー、折角の兄弟なのに」
「止めろ。虫唾が走る」

黒ちゃんはMZDに吐き捨てると、足を折り私の視線の高さに合わせた。

「帰ろう。今日はの好きなハンバーグだと」
「本当!あ、でもまだ見せに行ってないの」
「そうか。じゃあその時に落ち合おう。待ってる」

ぽんぽんと私の頭を撫で、黒ちゃんの姿は一瞬で消えた。

「え、黒神帰っちまったの!?、今日晩飯ん時行ってもいいー?」
「いいけど、早めに来ないと食べちゃうからね」
「へーい。そうそう、黒神がどんなかわかった?言ったとおり愛想ねぇけど、フツーだったろ」

急に会話を振られた男子生徒は、びくりと身体を震わせた。

「ま、まぁ。でも、何考えてるかよくわかんなかったな」
「見たままだ。難しく考えんな」

黒ちゃんは見た目通り、優しくて静かな神様だ。
そんなに怖がるほどのことはない。

「あとはもう、個人によって感想は違うだろうし任せるぜ。
 ただ、言っておきたいのは、は神でもなんでもない人間だ。
 あんま排斥してっと、ちゃん泣いちゃうぞ」
「泣かないよ!」
「本当かぁ~。うりうり」
「もぉ、ひゃえてーー」

ぐりぐりと引かれる頬の痛みを感じながらも、MZDの気遣いを感じていた。
私は今のところ耐えられているだけで、泣き出すなんて有り得ない話じゃない。
それをMZDは示唆しているのだ。

皆からすれば、怖いから避けているだけなのだろうが、私だって何もするつもりはないのに避けられたり怖がられるのは辛いのだ。
だから『ニンゲン』と言って自分とは線を引き身を守っている。

「ヤベ!仕事!」

漸く解放された頬は熱を持っていた。
もう少し軽くしてくれればいいのに。ひりひりする。

「じゃあ俺帰るぜ。じゃーなーしょくん」

ケラケラと明るい声をあげて、MZDは黒ちゃんと同様姿を消した。





結局、次の日になっても、私を取り囲む環境は変わらなかった。
ただ謹慎前くらいの避けられ具合に戻ったくらい。

やっぱり私、駄目なのかも。











「ただいまー」

今日も黒ちゃんの力で、学校から黒ちゃんの家まで直通で帰ってきた。
ずっと座ってただけだというのに、身体が気だるくてしょうがない。

、黒神おかえり」

ソファーの上に、ちょこんとジャックが座っていた。

「お前来てたのか」
「MZDが入れてくれた」
「ふうん」

黒ちゃんは家にいるなんて想定外であったであろうジャックを気にする様子はなく、デスクについた。
私は急いで鞄を部屋に置き、リビングに戻る。
振り返ったジャックを見ると何かが足りない気がする。

「髪切った?」
「いや。別に」

何が違うんだろう。

「ねぇ、黒ちゃん、なんかジャックいつもと違う気がしない?」

黒ちゃんはデスクから顔を上げ、ジャックの姿を上から下まで注視する。

「あ、お前ガスマスクどうした?」
「あ!本当だ!今日はない!!」

ボンベは背中にしょってるのに、炎を吹いたり守ったりするためのアレがない。

「え。な。本当に。ない。どこだ」

ジャックは慌てて自分の装備を外していくが、勿論出てくるはずはない。

「くっ。酷い失態だ…。自分が情けない」
「あ、あのさ、心当たりない?私一緒に探すよ」

あまりみないジャックのへこみように、何とかしなければという気にさせられる。

「なんとなく、見当はつく。来てくれるか?」
「うん。黒ちゃんちょっと行ってくるね」
「早めに帰って来いよ。あと周りに気をつけろよ、ふらふらするなよ、あと、」
「行ってきます!!」

黒ちゃんの忠告を遮って、ジャックの手を引いて玄関へ走った。






「こんなところにも行くんだ」
「たまたまだ。普段なら行かない」

ジャックが手を引いて連れてきたのは、大通りには近くアパートが多い場所だ。
駅にも近くスーパーも近いという、住むには便利なところだろう。
ジャックにはこんな住宅街無縁だと思っていた。

「ここの二階だ」

少し古びたアパートの階段をカンカンと音をたてながら上る。
番号の書かれた扉の前で、ジャックはドンドンと扉を叩く。

「ちょっと!叩いちゃ駄目だって!!ピンポン押してよ。それに誰のお家?」
「KK」

KKって、誰なんだろう?
それにしても、何故かジャックはインターフォンには手をかけず、今度はドアノブを乱暴に捻る。

「そんなことしちゃ怒られるよ!それにきっと留守なんだよ!やめようよ!」
「いや。気配がするから絶対にいる」

それが本当なら多分、先ほどからの金属音に苛立って出たくないのだろう。
私は帰りたい気持ちを抑えて、乱暴に扉を扱うジャックの隣に佇んでいた。
しばらくすると、扉からツーっと金属音がし、扉が開いた。

出てきたのは、男の人。大人の。男の人。ひげ。

「テメェうっせーんだよ!!!」
「ガスマスク、忘れた」
「普通にインターフォン押せ!近所迷惑だろうが!」

凄い怒ってる。やっぱりあれ煩かったんだ。
なんだか怖い人だ。大人の人ってだけでも怖いのに、ひげまであってさらに怖さが増している。
帰りたいなと思っていると、ジャックを怒鳴っていたおじさんが、急に私を見た。

「あ、あの、こんばんは……」

たじろいでしまったがとりあえず、挨拶をした。
じろじろと見られてなんだか気まずい。

「ふうん。お前、こんな可愛い子と知り合いだったのか?」
「知り合いじゃなくて友達だ」
「ほー。お前も隅におけねぇな」

居心地が悪い。早くお家に帰りたい。

「あの、ジャックが忘れ物、したみたいで……」
「えー。マジで言ってんの?見つかる気しねぇよ……」

扉の隙間から中を覗いてみると、確かに物が溢れてて探すのは骨が折れそうだ。

「自分で探すから入れろ」
「それはいいがそっちの嬢ちゃんどうすんだよ。こんな汚い部屋に入りたくねぇだろ?」
「い、いえ大丈夫です。ジャックが探すの手伝いに来たから…」
「根性ある嬢ちゃんだな」

隙間から見たときでさえ、うわぁと思う程の汚さだったのに、実際に足を踏み入れると、更に汚い。
洗濯物はそこら中に散らされ、机の上には物が溢れており、棚には薄く埃がたまっている。
ちらりと見えるキッチンのシンク内にも物がたまっているし、ゴミの詰まったゴミ袋も捨てられていない。
人の部屋に上がるというのは初めての体験だけれど、他の人の部屋ってこんなものなんだろうか。
黒ちゃんの家もMZDの家もいつも綺麗だから、この部屋の有様は新鮮で、そしてちょっと悪い意味で衝撃を受けている。

「悪ぃな嬢ちゃん。制服汚れるから部屋の隅でじっとしてな」
「エプロンとかって、あります?」
「男の一人暮らしにンなもんはねぇ」

普段料理しないのだろうか。

「あの、ゴミ袋ありますか?」

指差された場所を見ると、ゴミ袋すら物に紛れて散乱している。
一人暮らしと言っていたが、こういう人ばかりなのだろうか。
溜息をいくらついても、つきたりない。

まずは少しでも探しやすくなるように、明らかなゴミを捨てていくことにした。
燃える燃えないペットボトル缶資源…。

「いや、そこまでしなくても」
「これじゃ、物が多くて見つかるものも見つからないです…」
「ああ。そう。すまんな」

分かりやすいゴミは袋にまとめ終え、次は散乱している服だ。

「おじさん、お洋服ってどれが洗濯終わってるんですか?」
「おじさんって…小学生から見れば俺もそんな歳か」
「小学生じゃないです。十七だもん」
「そんな具体的な数字だして強がらなくても」
「本当ですっ!」

強がってないのに。おじさんは軽く笑っている。

の言ってることは嘘じゃない」
「え……マジ?」

しまったという顔をされ、おじさんが本気だったことを知る。

「……やっぱり胸がないから駄目なんですか?」
「あ、いや、個性だ、個性。うん。そうだ。俺が悪かった、だからそんな気にするな、な?」
「……お洋服。洗濯済み」

おずおずと指差された山を切り開き、一つ一つ畳んでいく。
おじさんが後ろで謝ってくるけど知らない。
サイバーも言ってたけど、やっぱり胸がないから私はおかしいんだ。
それだけじゃなく、私は背も小さいし、顔だって童顔だ。
なんでだろう。どうして他の人とこんなに違うんだろう。

洗濯物を種類別に畳み終え、おじさんに尋ねた。

「どこに仕舞えばいいですか?」
「ああ、そりゃ押入れの中だ」

押入れにはジャックが頭を突っ込んでいて、こちらにお尻を向けている。

「ジャック、整理するから、ちょっとのけてくれる?」

ジャックがもそりと出てきたところで、私は畳んだ服を仕舞っていく。
ごみと服を片付けるだけで部屋は随分綺麗になった。
床は全体的に綺麗になったが、それでも見つからない。

「てことは、押し入れに突っ込んでんのか?
「さっき見た」
「一度全部出してみようか」

無理やりに詰め込まれた布団を引っ張り出すと、ぽろりと本が落ちる。

「女の人?」
「やべっ!」

突然腕を引かれ、おじさんの胸板に顔が押さえつけられる
後頭部をしっかりと抑えられて動けない。

「ジャック急いでそれを、どっか、嬢ちゃんの見えないとこ、急げ!」

なんだか後ろでは慌しい。
それより、おじさんのたばこのにおいが鼻に突き刺さる。

「やだ。離して!」
「もうちょっと待ってろ。すぐ離してやっから。ジャックはそれを早く、急げ!」

嗅ぎなれないたばこのにおいは私の頭をくらくらとぼうっとさせる。
抵抗したくとも、おじさんの力は強く自分がどう暴れても無理だと悟った。
なんだか、身体を大きくした黒ちゃんと全然違う。
同じ男の人なのに。腕も胸板も凄く逞しい。
それが少し、怖い。

「ほれ。もういいぞ」

少しきつかった拘束がふわりと解かれる。
後ろを振り向くと、ジャックが私に対して首を振っている。
意味がよくわからない。

「もう探してもいいの?」
「ああ。もう大丈夫だ」

そんなにあの女の人の本が見られたくなかったんだろうか。
あれはそんなに恥ずかしいものなんだ。

私はまたジャックのガスマスク探しに着手する。
ブルドーザーを用いたかのように適当に入れられている物を整理しつつ、中を掻き分ける。
すると、今度は堅くしっかりとした作りの箱に手が触れる。

「嬢ちゃん、それは危ないから触るな」
「は、はいっ」

ぱっと手を引くと、そこに割り込むようにジャックが入ってきた。

「その中は火器だ。危ないからは下がって」
「って、お前一般人にバラしてんじゃねぇよ。危険だろうが」
は俺が暗殺をしていることを知っている」

睨んだような目でおじさんは私を振り返った。
知っていることは悪いことなのかもしれないが、私はおずおずと本当のことを言った。

「あの、はい……。知ってます」
「……成程。全部知った上での友達か」

苦笑したおじさんが、私の頭の上に手を置いた。

「すげー嬢ちゃんだな」
「あの、知ってちゃ駄目だったんですか?」
「知らない方が幸せだと思うけどな」
「どうして?」
「ンなの危ねぇからに決まってんだろ。とばっちりで狙われたらどうすんだよ」
「でも、私、殆ど異次元にいるから…それに黒ちゃんとMZDがいるし」

しまったと思った。
私と二人を結び付けてしまえば、また怖がられてしまう。

「あ、あの、今のはちょっと、」
「嬢ちゃんはアイツ……MZDと住んでんのか?」
「え。あぁ、MZDの弟の黒神さんの方と一緒に住んでます」
「弟つったら神なんだろ?そりゃ嬢ちゃんは安全だ。最強のボディガードじゃねぇか」

なんだか、いつもと流れが違う。

「あの……怖くないです?」
「何が?」
「だって、私が神様と一緒に住んでるから……」
「別に。それがどうした?」

そう言って、おじさんは顔をしかめた。

「ほ、本当に?」
「さっきから何を言ってんのかさっぱりなんだが」
「なんでもない!おじさん大好き!!」

私は思わず、今日初めて会った、しかもおじさんだというのに抱きついた。
体格がいいせいで、いつものように腕が上手くまわらない。

「ばっ、ンだよ!?」

とは言うが、私を引き剥がさない。
見た目は怖いし大人だしひげも凄いけど、いい人なんだ。

二人と一緒にいるというだけで、学校ではあれほど怖がられるのに、
なんだ、学校外の他の人間なら怖がられることはないんじゃないか。

良かった……黒ちゃんやMZDを含めて怖がらない人と会えて。

「よくわかんねぇけど……」

そう言って、おじさんは私の頭を撫でてくれた。
黒ちゃんみたいに優しく触ってくれるわけじゃないし、タバコのにおいはきついけれど。
でも凄く嬉しい。

「そんな顔で見たって、お前にはやってやんねぇぞ」
「逆」

珍しいことにジャックが若干不機嫌そうだった。
今日は、普段見ないジャックの表情を良く見る日だ。

「あ、早く探さないと晩御飯の時間になっちゃう!」

私はおじさんから離れ、危ない物があるという押入れ以外を探す。
おじさんも面倒くさそうにゆっくりと腰を上げ、周りの掃除を始める。

のんびりマイペースにやってたけど、急がないと黒ちゃんに怒られてしまうような時間だ。
門限に厳しいから、下手すると玄関先でジャックと共にお説教される。

「あったぞ」

どうやら押し入れの隅の方にあったようだ。
見つかって良かった。これで帰れる。

「にしてもすっげー片付いたぜ。サンキューな嬢ちゃん」
「いえ…。まだ掃除完璧じゃないです」

キッチン周りはろくに手をつけていない。
それに、この押入れの中だってまだまだ散乱している。

「いや、十分だ。やっぱ女の子はいいねぇ。特に嬢ちゃんは慣れた様子だし、家でもやってんのか」
「一通りは手伝ってます。あ、でも最近は学校で疲れちゃって出来てないですけど」
「いいんだよ。学生だからな」

と、おじさんは少し笑ったが、時計を見て顔色を変えた。

「やべっ、急いで帰んな。嬢ちゃんは俺が送ってやるよ」
「ううん。大丈夫です。ジャックがいるし、私が住んでるのは異次元ですから」
「そうか……?じゃあ、気をつけて帰んな」
「はい、お邪魔しました」

しっかりと塵を払ってから足を靴に入れた。
時計の針はかなり遅い時間を指していた。これは危ない。
私は可能な限り走り続けた。
とはいえ、すぐに息を上げろくに時間短縮することが出来ず、
結局門限よりも針が半周廻った頃にMZDの家に着いた。
玄関には苛立っているのが目に見えてわかる黒ちゃんがどっかりと立っていた。

「遅い!!今何時だと思ってんだ!」
「ご、ごめんなさい……」
「すぐ帰るって言うから行かせたんだぞ。遅くなりそうならお前だけでも帰ってこい」
「ごめんなさい……」

後ろでMZDがまあまあと黒ちゃんを宥めている。
でも今回のことは私が悪いから怒られてもしょうがない。

「で、探し物はあったのか?」
「うん。部屋が汚くて、ちょっと大変だったけど」
「部屋?……タバコか」

制服を嗅ぐと確かにあの反射的に息を止めてしまうあのにおいが香る。
多分おじさんとくっついてた時についたんだろう。
タバコってこんなに服に付着するものなんだ。

「……は風呂に入ってきな。影、行ってやれ」
「え、黒ちゃんは?」
「仕事のキリが悪いんだ。すまない。でも影がいれば寂しくないだろ」

影ちゃんに追い立てられ、私は黒ちゃんの家に戻る。
でも、おかしい──。
いつもなら、仕事なんてどうでもいいといって一緒に入るのに。
何か嫌なことにならなければいいけれど。











「何故俺がお前だけを残したか分かるな」

が完全に俺の家に帰ったのを確認して、ジャックに言った。
ジャックは何の後ろめたさもないのか、いつものように淡々と述べる。

「さっき行ったのはKKという男の住居だ。この辺で仕事を請けてるスナイパーだ」

なんでンなとこにを連れて行くんだよ。
常識の通じないコイツにさっそくイラつく。

「奴のターゲットに女子供は入らない。知り合いもターゲットにしない。
 だから見知ってしまえば、今後、が狙われることは無い」

こいつなりに考えてるのか、いないのか。
いやそれでも最初からをそんな危ない奴のところへ連れて行くなと俺は思う。

「それに、最近元気ないから、外行けば少しは良くなるかと思った」
「……とはいえ、他の男のところへ」
「女なら良かったのか?」
「男よりは……若干」
「よくわからないな」

こいつもと同じく世間や同種族である人間について無知である。
それ故話がスムーズに進まず苛立つこともあるが、無知ならば絶対にに手を出すことがない。
人間の場合、生殖行為は本能だけで出来るものではない。
知識を得てからでないと、その行為の発想が出来ないために何も起きない。
それに、無知なジャックはに余計な知識を与えることがない。
だからこそ、コイツがの傍にいることを許せるのだ。

「で、そのKKってどんな奴だ」
「仕事の評判はいい。普段は別の仕事をしているようだ」
「そうじゃなくて、もっとこう性格とか、人柄とかの情報だ」
「人殺しを好むタイプではない。どんな状況でも冷静で公私混同をしない。接近戦は知らない」
「……お前の興味は暗殺術に通じるものしかないのか」

これ以上聞こうとジャックは武器や戦い方についての情報しか出てこないだろう。
しょうがない。
結局自分の目で確かめた方が早い。

「もういい。このやり取りをには絶対に言うなよ」
「了解だ」





ジャックに聞かずともKKという奴の住居は分かる。
という例外を除けば、どんな奴だろうと居場所なんてすぐに分かる、というより"知っている"。

奴のアパートに着いた俺はインターホンを使わず、敢て扉を軽く叩いた。
相手が息を潜めたのが分かる。
このままプレッシャーを与え続ければどうなるだろう。
気を緩めずにいられるだろうか。

────三十分経過。
流石にスナイパーというのだから、これくらい時間は軽いものか。
の風呂の時間もあるからそろそろ、仕掛ける。

ご丁寧にチェーンがかけられ、施錠された扉のノブを、俺は造作もなく捻る。
扉は何の抵抗もなく耳障りな音を立てて開く。
部屋にはに付着していたあの頭が痛くなるにおいと全く同じものが充満している。
やはりここだ。
辺りを見回すが、人影は見えない。

奴は、これから、どこから、どうする。
息を潜め神経を張り詰めていると、物音が鳴る。
うっかりそれに反応し、斜め後方から来る奴から逃れられられない。

──なんてことは、勿論ない。

「っ」
「お粗末だったな」

逆に俺が相手の喉を捉えた。
指先が男の無骨な喉に触れそうな位置。

「へっ、殺すのはいいが、ここ以外にしてくれ。大家さんがかわいそうだからな」
「別に殺しはしない。まあ、返答しだいだがな」
「俺は何も言わないぜ」
「いや、答えてもらう。その前に」

男の身体に仕込まれていたもの全てを解除し、部屋の隅に山済みにしてやる。
ジャック程ではないが、やはりナイフと小銃が出てきた。

「へー、人間離れしてんな」
「神だからな」
「MZD以外……、てことは黒神か」
「正解」

俺は喉から手を離し、男の前に立った。
男は半身を引いて俺を見やる。

「じゃあ、お前と住んでるのが、あのちっこい嬢ちゃんか」
「そうだ。今日ここにジャックと来たあの少女だ」
「あの後、嬢ちゃんは無事家に帰れたか?」
「ああ。帰宅予定時刻をとっくに過ぎてだがな」
「そりゃ悪かったよ。嬢ちゃんのお陰で床が見えるぜ」

会話中もこの男は決して気を抜かない。
厄介で面倒な男だ。さっさと用件を言って終わらせよう。

「俺は人間というものを信じていない。だが、だけは別だ」
「へぇ。まあ、あの嬢ちゃん純粋そうだしな」
「だからこそだ」

穢れた人間との接触なんて心底吐き気がする。
は綺麗なままでいればいいんだ。

「つまり、アンタとしては俺に嬢ちゃんと関わって欲しくねぇわけだな」
「そうだ」
「成程な。別に俺は構わねぇよ。俺から関わることは今後一切ない」
「それならいい。邪魔したな」

予想外にあっさりと終わった。
まぁ、この男もとの接触は今日が初めてだし、特にどうでもいいことなのだろう。
それならそれで、俺としては都合がいい。

「ちょい待ち」

時間のない時に呼び止めやがって。
が知る前に急がないと。でないと以前のように、自分の知らぬところで暗躍するなと怒るだろう。
表向きしないと宣言した分、怪しまれることは避けたい。

「お前は俺以外にもこんなことしてんのか?」
「いや。お前が初めてだ」

学校関連はMZDが煩いだろうし、流石に今のの状況を考えれば可哀想だからな。

「まぁ、こんなスナイパーやってるおっさんなんて保護者からすりゃ心配だよな。
 けど、嬢ちゃんはそれで良いって言ってたのか?」
はまだお前に執着心がない。今なら俺の制止を受け入れるだろう」
「確かにな。……嬢ちゃんも大変だね。他人に怖がられるってのは、これが原因か」
「……聞いたのか」

黒神という名を知っていたのも若干疑問を感じていたが、はこの男に今の自分の状況を全て話したのか。
でも、一体何故。
普通特に心を許していない状態の人間に、自分の悩みや苦悩を話すはずないだろうに。

「なんか自分を怖がらないってだけで相当喜んでたぜ」
「ちっ」

これでは、コイツに対するの好感度が上がっている可能性が高い。
俺がコイツの元に行くなと言えば、嫌がりごねるかもしれない。

「帰る。さっき言ったようにお前はもう、に関わるなよ」
「おう。じゃーな」

消える途中、聞こえてきた男の言葉。

「ま、俺からはな」

いちいち鼻に付く野郎だ。
絶対にこんな男の影響なんて受けて欲しくない。
必要以上の好意なんて以ての外だ。

とにかく、を説得して絶対この男と今後一切関わらないようにしてやる。











控えめなインターフォンがあるアパートの一室に響き渡る。
部屋の主は小さく扉を開け、来訪者を確認する。

「おじさんっ!」

小学生高学年くらいの背丈をした、フリルの多い服を纏った少女が笑顔で立っていた。

「おお、嬢ちゃん」
「来ちゃった」

にこりと笑みを浮かべていると、KKは大きくガッツポーズをとる。

「ど、どうしたの?」
「いいや。ちょっと、ある奴にザマーミロって思ってな」

KKは笑いを抑えながら、を招き入れた。
部屋に入ると、は胸元のリボンを外し、側面に付いているファスナーを下ろす。

「待った!!なんで脱ぐんだよ!」
「今日は汚れないように着替えを持ってきました!」

可愛らしいトートバックには綺麗に畳まれた体操着が入っている。

「だからって、男の前で行き成り脱ぐかフツー」
「変なんですか?」
「今後絶対男の前で脱ぐなよ」

と、KKは溜息をついてに背を向けた。
衣擦れの音を聞きながら、もう一度KKは大きな溜息をつく。

「着替え終わりましたよ」

先ほどまで小さなお姫様のようであったが、急に巷にありふれている学生になった。

「俺にはそっちの方が楽だわ」
「おじさんは普通の服より体操着が好き?」
「その言い方すると、俺そういう性癖みてぇじゃねぇか」

しまったとKKはを見たが、本人は首をかしげているだけであった。
話題を変な方向に行かせないために、KKはに尋ねる。

「嬢ちゃん、こんなおっさんの家に来て良かったのか?」
「ちゃんと黒ちゃんには言いましたよ。大丈夫」
「何か言われたりしなかったのか?」
「なんか、危ないとか、男の部屋なんて駄目とか、殺し屋なんて怖いだろとか、言ってた」

は先ほどまで着ていた服をバックに丁寧に仕舞っていく。

「私は殺し屋さんでも私を殺さないなら怖いと思わないし、おじさんは良い人みたいだし、
 それに掃除も中途半端にしてるの嫌だし、私を怖がらないから好きって言ったの」
「それで、相手は引いたのか?」
「ううん。でも駄目って言ってました。
 だから、私に他人と関わってもいいって言ってたじゃんって返したの。
 そしたらなんとかなりました」
「っくく。そうか。あれだけ言ってたくせに、ざまぁねぇぜ」
「……黒ちゃん、ここに来たの?」

仕舞い終えたバックを抱いて、はKKをまっすぐ捉えた。
KKは乱暴にの頭を抑えて、わしゃわしゃとかき乱す。

「嬢ちゃんが心配するようなことは何もねぇよ。
 ただ、帰りが遅かったから気になったんだろ。保護者ならフツーのことだ」
「でも心配性すぎないかな?……おじさん、ごめんね」
「気にすんな。俺は何も困んねぇし」
「ごめんなさい……。でもその代わり、ちゃんと掃除は終わらせるね!」

は以前手をつけなかったキッチンの方へ行き、散らかっている空き缶やペットボトルを袋にぽいぽい入れていく。
KKは忙しなく動くをぼうっと見ながら、尋ねた。

「嬢ちゃん、窮屈じゃねぇの?」
「なんでです?」
「黒神」
「偶にだけですよ」

作業をする手を止めることなく小さく笑う。

「もし、お前が気に入った相手が、黒神に滅茶苦茶嫌われたらどーするよ」
「大丈夫ですよ。私は黒ちゃんを怖がらない人じゃないと、好きにならないから」
「…そうか」

机上の灰皿を引き寄せ、KKはくしゃりとつぶれたソフトケースからタバコを一本取り出す。
咥えたままライターを探していると、腰に手を当てたがKKを見下ろして言った。

「掃除するんだからおじさんも動いて。タバコは駄目!」
「折角の休日にだりぃことしたかねぇよ」
「はいはい。じゃあ座りながら出来ることやりましょうね」

と、は物が溢れて閉まりきっていない押入れを指差す。
KKは息をついて、タバコをケースに戻した。





(12/04/21)