「いらっしゃいませ。こんにちはちゃん」
「こんにちは。今日もお願いします」
マコトさんと相談しながら今日のカットをお願いする。
以前来たのはいつだっけ。二ヶ月前くらいかな。
「ちゃんは本当にいい髪をしているね。
こんなに綺麗に保つのって大変でしょ?」
「でも、好きだから」
「そっか。そんな子のカットが出来るなんて僕は感謝しないとね」
「そ、そんなことないですよ!」
柔らかく笑った後、マコトさんは仕事モードに突入する。
お話はしてくれるんだけれど、目だけはとても真剣だ。
鏡越しに見てるとやっぱりカッコいいなって思う。
マコトさんのカットの予約を取るのが困難なのも無理はない。
腕も良くて、カッコいいんじゃ、是非にと思うのは当たり前だろう。
私がこうやって切って貰えるのは、単純に運がいいのと、お得意様であること、それに切ってすぐ次のカットの予約を入れてしまうこと。
この条件でようやく、マコトさんのカットに漕ぎ着けるのだ。
私がそこまでしてここに拘る理由。それは──。
「あ、ちゃんじゃん。久しぶりー元気ー?」
「はい。サイバー先輩は今日も悪の組織との戦いですか?」
「おうよ!今日もいくつもの悪が正義に屈していったぜ」
同じ学校で一つ年上のサイバー先輩。
この人に会うために、私はこのヘアサロンへ通っている。
マコトさん目的ではないなんて、ファンの方には怒られてしまうかもしれないけれど、
私からすれば、マコトさんもカッコいいけど、それ以上にサイバー先輩はカッコイイのだ。
「サイバー、悪いけど少し手伝ってくれないか?人をカットに回したいから、掃除して欲しいんだけど」
「オッケー。しょうがねぇなぁ」
ああ、どうしよう。ちょっと予想外。
心臓がばくばくしてきた。
「ちゃん、どうしたの?」
「え、いえ、なんでもないですよ!」
変な顔してたのか、マコトさんに訝しげられてしまった。
私は出来るだけマコトさんに知られないように、こっそりと水色の髪を目で追う。
お客さんと偶にお話をしながら、掃除をこなしていく。
どうか掃除がまだ続きますように。
せめて、私が髪を切り終えるまでは、お店の中にいてくれますように。
「はい。完成。何か気になるところはあるかな?」
「全然ないです。今日も有難う御座いました」
流石マコトさんだといつも思う。
よく最後に気になるところを聞かれるが、全然直して欲しいところがない。
会話の中でさりげなく聞かれ、その都度軌道修正しているから、
マコトさんが完成と言った時にはもう何も言うことはなくバッチリなのだ。
「サイバー、どう?ちゃん可愛くなったと思わない?」
急にマコトさんがサイバー先輩に振るから、私はどきりとする。
サイバー先輩は、なんて言ってくれるだろう。
「おー、可愛いと思うぜ。よく似合ってるよ」
ニカッと笑うサイバー先輩。
私は思わず下を向く。嬉しいのに。その笑顔が眩しくて、恥ずかしくなって。
「……どうやら成功だね。良かったよ」
マコトさんはサイバー先輩とはまた違う笑みを浮かべ、お会計へ。
私は忘れず次の予約を入れる。
「ちゃん、またね。おーい、サイバー。ちゃん帰るよー」
何故かマコトさんは私の帰り際必ずサイバー先輩を呼んでくれる。
とても嬉しいのだけれど、私は自分の頬が熱くなって、汗が噴出すような気がして、
サイバー先輩と目を合わせられなくなってしまう。
「また来いよー」
「は、はい。また次お願いしますね」
「つって、切るのオレじゃねぇんだけどな。評価はいつだってしてやるぜ!」
「はい。お願いしますね」
名残惜しいけれど、私は扉に手をかける。
「またなー」
会釈し、私は背を向けた。
一つ年下で全然接点のない私の、数ヶ月に一度のサイバー先輩との交流はこれでおしまい。
その日から私は早くサイバー先輩のいるヘアサロンに行きたいがために、毎日海藻類を摂取する。
迷信かもしれないけれど、早く髪が伸びますようにと願いながら。
もしゃもしゃと毎日わけめのお味噌汁や海草の和え物を食べるのだ。
たったそれだけの接触を続けた結果。
季節は飛ぶように過ぎていき、私の片思いは年を跨ぐ。
私は自分の気持ちをサイバー先輩には言えずにいる。
大切に大切に仕舞っているから、きっと本人にぶつけることはきっとないだろう。
そう思っていたのだけれど。
「はぁ、先輩達卒業かー」
「第二ボタン貰いたいよねー」
「部活の先輩に告白する!」
「私、泣かないように見送る。頑張る!」
「色紙どうするー?あと花束。手配しないとだよね」
……だって。
意識したくないから、意図的に遠ざけていたのに、
今の教室は卒業式一色で耳を塞いでも聞こえてしまう。
それに卒業式の練習もある。
同学年だけでなくて、他学年も混じる合同練習が。
その時私は、遠くに水色の髪を見つけては悲しくなって、
送るための歌がまた私の心を映しているような歌詞で、何度も泣きそうになって。
私の恋は、もうすぐ終わりを告げるのだと、どんどん思い知らされる。
もちろんヘアサロンに行けば、サイバー先輩に会うことは出来るだろう。
なんたって、あそこが実家だから。
でも、そこには"先輩"のサイバー先輩はいない。
新たなステージへ進んだサイバー先輩は、今よりもきっと遠く感じるだろう。
もしかしたら、彼女が出来てしまうかもしれない。
あのヘアサロンで仲睦まじい姿を目撃する可能性もある。
ああ、もう嫌だ。
後輩なんて嫌だ。サイバー先輩と同い年に生まれたかった。
クラスがえにドキドキして一喜一憂して、イベント時には一緒に騒いだり、時にはクラス対抗で敵同士になってみたり。
同い年ならそういうことが出来たはずなのに。
年下の私は、数ヶ月に一回、あのヘアサロンで会うことしか出来なくて。
もう、本当嫌でしょうがない。
学校をずる休みすることも考えたけれど、そんなことしたって時は動き続ける。
それに、お母さんに怒られてしまうから出来ない。
成すすべなく、私は、卒業式の日を迎えた。
卒業式本番では校長先生や来賓の方、在校生、卒業生のお話が入る。
練習時はなんともなかった人も、誰かが泣けば感化され泣いていく。
私は寧ろ感化させてしまった側の人間で、最初からずっとぼろぼろと泣いていた。
本当は立っていないといけない箇所でも立てなくて、冷たいパイプイスで泣き続けた。
格好悪いとか、そんなことは考えてられなかった。
ただ、前方のサイバー先輩を視界に入れたくなかった。
いかないで。
卒業なんてしないで。
そんな無理なお願いをずっとし続けた。
卒業生が退場する時も、私は見送れなかった。
「泣きすぎでしょ……アンタ見てると涙引っ込んじゃう」
「ご、ごめ……」
「怒ってないって。卒業して悲しいって思う人がいるってことでしょ」
誰にもサイバー先輩の思いを話したことはない私は、こくりと頷いた。
「好きな人でもいるなら、ちゃーんと告白しときなよ」
そう言われても、私には出来そうにない。
だって、サイバー先輩と私は、ヘアサロンの客とそこ美容師の弟というだけでしかないのだ。
同じ学校に通ってはいるが、接点はない。
「じゃないと、ずっと吹っ切れないでしょ。亡霊に恋するのと変わんないよ。
それに、卒業しちゃうんだから、今告白したって迷惑になることないじゃん?」
そういうものなのかな。
「それに卒業時に好きって言われて嫌がるような人を、アンタが好きになるとは思わない」
確かにサイバー先輩は困ったような顔はするかもしれないけれど、
嫌だなって顔はしないと思う。ごめんねと優しく言ってくれる気がする。
「ほらほら!先輩達が教室から出てくるところでちゃんと言うんだよ!
帰り際でもいいけど、絶対言わないと駄目だからね!ストーカーしてでもだよ!」
「す、すとーかーは駄目だよ……」
「絶対だから!とにかく絶対よ!!」
そう言って友達は去っていった。
なんとなくわかる。
きっと彼女も私と同じなのだ。先程の言葉も自分に言い聞かせていたのだと思う。
私にあれほど念を押したのは、彼女自身を奮起させるためだ。
私はどうしよう。
そう思いながらも、サイバー先輩の教室の近くにはいた。
中は見ない。卒業式だからと皆が念入りに掃除した比較的綺麗な廊下を見続ける。
教室の方から聞こえる声が大きくなる。多分、先輩達が出てくる。
私は必死に水色の髪を探した。
けれど、目的のサイバー先輩は違う誰かとお話しをしていた。
お話を待っていたけれど、すぐにまた別の人へ。次の人、次の人。
楽しそうに話すサイバー先輩を見ていると、もういっかな、なんて思い始める。
どうせ言ったって無駄なんだから。他の人と話す邪魔なんて出来ない。
サイバー先輩だって、最後だからと多くの人に言いたいことはあるはずだ。
でもそれはきっと、私へは、一切無い。
そして、私はサイバー先輩を後にした。
楽しそうに話す人、泣きながら話す人の間をすり抜けながら、下駄箱へ。
部活に所属していない人、特に先輩との繋がりが無い人はもう次々と帰っている。
私もその一群に加わった。
溜息が出る。
家に帰るのも足が進まない。
いつもよりペースダウンして、のろのろと歩いていく。
終わった。
これでもう、サイバー先輩はあの学校にいなくなった。
とぼとぼと、私は歩く。
サイバー先輩がいない寂しさに胸を締め付けられながら。
「ちゃん!!」
心臓が飛び上がった。確かめるのが怖い。
私はゆっくりと振り返る。
声の主は、やっぱり──。
「なーんかオレに言うことあるんじゃないの~?」
口を尖らせるサイバー先輩は、子供っぽくて、可愛くて、かっこよくて、
────大好きで。
「ご、ご、そつぎょう、おめでとう、ございます」
「どーも!へへっ!凄くね!卒業だぜ!!
いやはや、思い出すと意外と長いようで短かったね。
つか、明日から休みだぜ!うれしー!!!」
あまりしんみりとしない。
サイバー先輩はいつもより、ちょっぴり、明るい。
「ごめんな。待っててくれてたろ?帰ろうとしたところで見えてさ。
ちゃん部活入ってねぇし、もしかしてオレじゃね?って思って……」
自惚れだったら、オレダサいんだけどと、サイバー先輩は続けた。
「い、いいえ。私、サイバー先輩を待ってました……」
「本当に?サンキュー!
でさー、卒業式どうだった?オレさ、最初は真剣だったんだけど、
なんか周りが真面目ムードじゃん?そしたら笑えてきちまってさ。
もちろん駄目だって判ってるんだぞ?
でも、そう思えばそう思う程笑いって込み上げるもんじゃん?
もう苦しくって、苦しくって、って、なんでちゃん泣いてんだよ!?」
本当だ。涙がするする流れていく。
自覚したら、しゃくりまで出てきてしまった。
「ちょ、本格的に泣かないで!どうしよ!兄貴だったらどうする!?
は!ハンカチやる!兄貴が持っていけってうっさかった!」
遠慮がちにハンカチを手渡され、私は涙を拭った。
サイバー先輩にこんなことしてもらえる時が来るなんて嬉しいと、そして困らせて申し訳ないと。
私の涙は勢いを増す。
「やべー!どうしよう!えーと、えーと、ちゃん、嫌だったらごめん!」
背を撫でられる。近い。サイバー先輩の体がいつもより近い。
いつもはもっと遠いのに。
「ごめんな。なんか泣かせちまって……大丈夫か?」
こんな風に触れてもらえるのなんて、初めて。
だからずっとこうしてもらいたい。
でも、駄目だから。サイバー先輩に悪いから。
私はお礼を言って、もう大丈夫だと伝えた。
「ほんとかよー。落ち着けてねぇなら、家にあげるけど?近いしさ」
「い、いいです。大丈夫。そこまで、めいわく、かけられません」
「迷惑じゃねぇって。ちゃん放っておけるわけねぇじゃん」
サイバー先輩は優しい。
だから、私は次から次へと涙が溢れる。
これが最後なのだと。
最後にこんな優しくしてもらって、思い出をくれて、嬉しいのに辛い。
「でも、でも……」
「どうしたんだよ……。気使わなくていいって。今なら兄貴いるし、きっと慰めて、」
「私、サイバー先輩、好きです」
マコトさんは関係ない、と言いたかった。
はずだったのに、何故か違う言葉を言ってしまった。
友達が、絶対よというから、サイバー先輩を待つ間に、何度も繰り返した言葉。
こんなところで言ってしまうとは思わなかった。
「マジ!?ちゃん兄貴が好きじゃなかったの!?」
「違う!」
勘違いされてた。
大勢いるマコトさんのファンの一人だと思われてたのが、とてつもなく悲しい。
「へー……マジかー。うーん。……照れくさい」
ぼそりと言うサイバー先輩。
逃げよう。
私はそう思った。
このままだともっと気まずいことになる。
折角サイバー先輩に優しくしてもらえて嬉しかったんだから、
困らせた記憶で終わりたくない。
「さ、さようなら!!!」
私は駆け出す。
「ちょ!待って!なんで逃げるんだよ!」
私の恋はこれでおしまい。
最後にサイバー先輩に撫でてもらったし、告白も出来たし、もう悔いはないはず。
しばらく辛いだろうけど、頑張って忘れよう。
美容室だって変えよう。忘れないと。忘れなきゃ。
「もー!ちゃんの馬鹿ー!好きだー!」
え。
今、なんて。
てか、すっごくさらっと言われた。
聞き間違い……なのかなぁ?
「ちゃん!突然止まられたら!?」
強い衝撃。
私は尻餅をついてしまう。お尻が痛い。
「サイバー先輩!大丈夫ですか!?」
「だいじょうぶ。それより……パンツ」
さっと乱れたスカートを正した。
「いやー、ようやく止まってくれたぜ。
折角彼氏彼女になったつーのに、逃げられちゃ泣けてくるって」
「え!?いつから、なったんですか!?」
「ついさっきだけど。あれ?オレの言葉聞こえなかった?
オレ、ちゃんのこと好きだよって」
え、えーーーーーーーー。
「ちゃんはオレのこと好き。オレもちゃんが好き。
ほら、彼氏で彼女だろ?全然おかしくなくね?」
そうかもしれないけど、付き合って下さいも何も言ってないよ!!
サイバー先輩話の進みが早いよ!!!
「嫌?」
「めっそうもないです!!」
「そりゃ良かった」
にっこりと笑うサイバー先輩。
私は今の状況に全然ついていけなくて。
全てが突然すぎる。嬉しいのに喜びよりも驚きが強くて呆気に取られてしまう。
「ほら」
差し出された手を取ると立たせてくれる。
それだけでなくスカートの汚れも払ってくれた。
「有難う御座います」
私は違和感を覚える。
払い終えたのに、何故かサイバー先輩の手は私の手を握ったままで。
「あ、あのー……?」
「えーっと、卒業祝いってことで……駄目?」
何を、と思った。そして察した。
私はどきどきしながらも、こくりと頷く。
「ジッとしてて。オレやったことねぇから、しくったらごめん」
恥ずかしいけれど、言われたとおりジッとしてた。目も閉じた。
少し濡れた唇が、私にそっと触れて、離れる。
「へへっ。ちゃんの唇ゲットー!」
赤い顔したサイバー先輩が楽しそうに笑う。
きっと私も真っ赤な顔をしていると思う。
「さーて、うち来る?彼女だから家に上がったって迷惑でもなんでもないだろ?」
さ、サイバー先輩のお部屋に行けるの!?
男の人の部屋なんて上がったことないし……変なこと想像しちゃう。
「あ、パルも兄貴もいるから、心配ないぞ」
ほっとした。ごめんなさい、サイバー先輩。
信用してないとかじゃなくて、やっぱり怖いんです!
「上がらせて頂きます」
「よし。今日はとりあえず家でー、明日ちゃんは学校だろ?
だったら放課後も遊んで、次の日もそんな感じで、その次は、」
「ま、毎日ですか!?」
「だって、オレ明日から休みだし。時間は有効に使わねぇとな。
あ、学校終わったらちゃんと迎えに行くから」
はぁ……頭がくらくらしてくる。
幸せすぎて死にそう。
昨日はあんなに悲しくて辛かったのに、今は嬉しくてしょうがないよ。
「さ、オレんち行くぞ」
サイバー先輩は私の手を引いていく。
私、この人の彼女になれたんだ。
サイバー先輩は卒業したけれど、これからも会えるんだ。
「ちゃん!UFOだ!」
えっ、と空を見上げると、さっきと同じ感触が唇にあって。
「ちゃん単純だな。可愛いけど」
私はまたみるみる赤くなってしまって。
「もう!サイバー先輩!!!」
「怒っても可愛いぞー。流石オレの彼女」
fin.
(12/08/24)