この熱は誰の所為?

「ちょっとチャリ取ってくる。は校門で待ってて」
「うん……わかった」

リュータ君の背中が小さくなっていく。
私、何やってんだろう。
男の子と一緒に下校だなんて、こんなの初めてだ。





『この熱はだれの所為?』





普通。
または、地味。
そんな可も不可も無い、つまらない私。

学校でだって、ひとりぼっちというわけではないし、
そこそこ女の子の友達はいて、成績も悪いわけではないし、何か突出したものもない。
平均的な、私。

クラスの明るい女の子みたいに、スポーツがとても上手というわけではなく、
男子と馴れ馴れしく楽しそうに話すことが出来るわけでもない。
小さな女子グループの中にいて、そこで夢見がちで、偶には現実的な話をする。
男の子という存在は、近いようで遠い存在で、クラスの誰かが誰かと付き合った、別れた、
キスをした、その先までした。なんて話を噂で聞いては、
私達ははしたないと言い合い、そんな軽い恋なんてしない方がいいと、小馬鹿にする。
しかし実際は、誰もが腹の底では彼氏という存在に憧れ、
いとも簡単に男の子と話す、いつも私達が馬鹿にしている女子達を羨んでいた。

ただ私達には出来ないから、無理だと判っているから、そんな彼女達を下に見ることで己の自尊心を厳重に守っていた。
彼氏なんて、きっと私達の中の誰もが出来ないだろう。
まず、男の子と話せない。
偶に事務的なことで話しかけられ、学校行事の中で対話しては、別に私は嬉しくも何ともない、
相手だってただ必要だから話しかけただけだと友人に言いながらも、その言葉の裏には優越感がびっしりと隙間無くくっ付いている。
それを聞いた者たちも、そうだよね、嬉しいわけないよなんて言いながらも、羨望と嫉妬の込められたねっとりとした視線を向けるのだ。

そんな者達が彼氏を作るなんて、夢のまた夢である。

「お待たせ」

そんな私がクラスの男の子と帰宅を共にすることになろうとは。

「う、うん。え、えっと行こっか」
「そうだな」

何故こうなってしまった。
そう、数日後に文化祭を控えていて、偶々私とリュータ君は遅くなって、偶然帰り道が途中まで一緒で、そしたらリュータ君が「じゃ、途中まで一緒に帰ろうぜ」なんてことを言ってきたのだ。
本当はお腹が空いているし、一人でコンビニ寄って、みっともないとは知りつつも、食べながら帰るつもりでいた。
自分の予定が狂うのだから、この申し出を断れば良かったのだ。
なのに、私は「そうだね」なんて言ってしまったのだ。

今後の学校生活で同じことが起こる確率は低いだろう。
それを知っていた私は、地味で男子からすればつまらない人間であると自覚しているのに、了承した。
日頃男の子と関わりがないせいで、たったこれだけのことで舞い上がり、あっさりと自分の予定を覆す辺りが、自分がもてない人間であることを表している。

「今日結構辛かったな。そっちは進んでんの?」
「う、うん。大丈夫。そっちは?」
「まあまあ。サボる奴多いからなー。って俺もバイトで抜けること多いし人のこと言えねぇけど」

私は徒歩で、リュータ君は自転車。
しかし私に合わせて今は自転車を押して歩いてくれている。
駅まであまり距離が無いというのに、わざわざ自転車を使うのか。
家から最寄り駅までも自転車が必要だろうに。
と言うことは、自転車を二つ所持しているのだろうか。

は真面目にやってそうだな」
「そんなことないよ」

人から注意されるのが嫌なので、作業は指示通り行っている
友人達と会話をすることもあるが、作業を割り当てられていると、自然とそっちに意識がいってしまい結局黙って真面目に作業をする羽目になる。
周囲は作業はほどほどに、一緒のグループになった者同士で楽しそうに話しているというのに、
私はそれを横目に見て、ちゃんとやれよと思いながらも、そんな風に出来ない自分を惨めに思っていた。

「そういう奴のお陰で進捗状況が悪化せずに済んでんだぜ。
 本当有難いよ。俺もバイトない時はしっかりやらせてもらうよ」

リュータ君は真面目な人だな。
目立つタイプの人ではないが、ふと目にした時には優しそうな雰囲気を醸し出していて、良い人なんだろうなと前から思っていた。
いつも明るくて、誰ともわけへだてなく接する人。
だから、私みたいな人にも一緒に帰ろうなんて言えたのだろう。

「お、アイツって、佐々木っぽくない?」

指差す方を見ると、確かにクラスメイトの佐々木さんである。
とても明るくて、ケバケバしくて、私は苦手。
そんな人に今の、リュータ君と歩く私を見られたら、どう思われるのだろう。
鼻で笑われるのだろうか。調子に乗るなと、所詮地味な女なのだからと。
そう思うと怖くて、私は顔を佐々木さんに見られぬように背け、下を向いて歩いた。
次はもう誰ともすれ違いたくない。

「今日残ってなかったよな。部活の方だったのかな」
「そうかも、ね」

リュータ君は何とも思わないのだろうか。
私みたいな人と横に歩いていて。ダサいと思わないのだろうか。
それとも、絶対に勘違いされることは無いのだからと思っているから、平気なのだろうか。
私なんて、なんでもない人間だから。

少しリュータ君に対しての好感度が下がる。
リュータ君が続けてくれる会話の相槌をうちながら、私は勝手に落ち込んでいく。
何で一人で帰らなかったのだろうかと、後悔した。


男の子と一緒にいるの────つらい。




そう思っていればすぐに駅について、私達はICカードをかざしてスムーズにホームまで来た。
タイミングよく電車がやってきて、私達はすぐに乗り込んだ。
会社や学校から帰宅する乗客が多かったが、幸い身動きが取れないほど混んではいなかった。
七人がけのシートの前に二人でつり革に掴りながら、電車に揺られる。

「この時間は辛いな。大丈夫か?もう少し寄ろうか?」
「大丈夫。毎日で、慣れてるから」

また勝手に好感度が上がる。
リュータ君からすれば本当に些細な気遣いなのであろうが、
普段他人にそれほど気を使われない私としては、川で溺死しそうなところを助けて貰ったくらい嬉しいことであった。
少し大げさだが、私にとって優しさというものはそれほど貴重なのだ。
それも、男の子からのものは。特別で。

「次の駅は、結構人が入れ替わるな」

リュータ君が言う通り、次の駅は出入りの人が多い。
私達の目の前にいた一人が席を立ち、入り口の方へと行った。

「良かったじゃん。座れよ」
「で、でも、一つだけだし……」
「いーのいーの。俺はまだまだ元気だし」

でも、と続けようとしたが、両肩を抑えられてしまった。
成す術がないので、仕方なくそのまま座る。

「あの、荷物持つよ」
「大丈夫だって。荷物多いんだからさ、無理すんなよ」

大きな声で会話をする誰かの声が煩い。
電車の振動音が煩い。
私の心臓の音が煩い。

目線が違うせいか、今までとは違い話しづらく沈黙してしまった。
リュータ君も口を開かない。
ということは、私が何かを話さないといけない。
必死に考えるが、他人の会話や振動音が耳を突き上げる。
全然考えられない。
そうすると、また自分の心臓がせかせかと拍動をする。
焦りは汗を引き出す。
鼻の下や頭に汗の粒が浮いているのが判る。

気まずい気まずい気まずい逃げたい。

そんなことを思っていると、電車が駅に到着した。
降りる者は少ない代わりに、乗車する客が多い。
電車の人口密度が上がり、熱気が増える。

ふらふらとやってきた老人が近づいてきた。
これは好機であると、私は立ち上がり席を譲った。

「ありがとうね」

老人に対し、私はぎこちない笑みを浮かべる。
別に私は純粋な優しさで席を譲ったわけではないのだ。
ただ、電車内で立つことで、リュータ君との目線が同じになり、一人だけのうのうと座っていると言う罪悪感から解放されたかったがため。
それなのに、素直に礼を言われ、申し訳なかった。

「お。優等生じゃん」
「そんなことないよ」

自分のことしか考えていないのに褒めないで欲しいと思いつつも、リュータ君に話しかけられほっとした。
これで沈黙からは逃れられる。会話をすることが出来る。

「あと少しで着くから、もうちょっとの辛抱だな」
「そうだね」

また会話を切ってしまった。
どうしよう。

キキーッと嫌な音がした。
周囲に注意を払っていなかった私は、突然の大きな揺れに身体のバランスを崩した。
更に前方のリュータ君の足を思い切り踏んでしまう。

「ごごごめんなさい!」
「いいって。そんな気にすんなよ」

リュータ君はそう言ってくれるが、私は自己嫌悪でいっぱいだった。
息が出来なくなる。自分は何をやっているんだろう。
そしてまた私は下を向く。

自分の殻の中に篭って、誰にも迷惑をかけないようにと自分から鍵をかける。
また沈黙が続くのだろう。
そう思っていた。

「ああやってさ、田んぼのど真ん中にぽつんと家があるのって、どんな感じなんだろうな」
「え」

私は急いで顔を上げた。
一面が田んぼで、その真ん中に一軒だけ家が建っていた。
電信柱も少なく、その家に運ぶためだけに存在している。

「俺んちさ、隣もその隣も家だからさ、窓開ければ隣の声とか聞こえるんだよ。
 たまにお母さんが怒ってる声とかさ。生活感丸出しで。
 ああやって自分の家しかないと静かでいいのかなーって」
「そうだね。でもカエルの声は凄いかもしれないよ」
「そっか。じゃあ、どっちがいいとは言い難いな」

会話が切れる。
返しがまずかったのだろうか。
何を言えば正解だったのだろう。そうだね、と同意だけすれば良かったのか。
それとも、私のところも凄くてね、なんて似た事例を持ち出す方が良かったのか。

反省も大事だが、この途切れた会話をなんとかしなければ。
とは言え、私が提供できる話題なんて。
笑ってもらえるような話なんて何もない。
毎日私の周りで起きているのは何の変化もないつまらない日常だけだ。


「もうすぐだな」

見慣れた景色がゆっくりと動いていく。
今度は足を踏んだりしないように、しっかりと吊り輪にしがみ付いた。

「そんな必死にならなくたって、危なそうなら支えてやるって」

くすりくすりと笑われた。

「で、でも、……また踏んだら悪いから」

そう言うと、また笑われた。

「大丈夫だっつの。が転ぶより全然良いじゃん」

ぷしゅーというあの独特の音と共に扉が開いた。
ぼーっとしてしまった私は、先に行くリュータ君に続いて遅れないようついて行く。
リュータ君の言葉が頭の中をぐるぐる回り、心が浮つく。
そのまま人の波に流されて、ICカードを改札にかざす。
リュータ君は改札前で待っててくれていた。

「俺は北口でまたチャリなんだけど。は?」
「私は、南口。歩き……」
「反対か。じゃあここまでだな。またな」
「うん、またね」

振り返ることなく人ごみの中を行くリュータ君を、私はずっと見ていた。
また明日。
リュータ君が言った"明日"に、わくわくしている自分がいる。




あーあ。
もてない女って、本当単純だ。





fin. (12/10/23)