からかいのまなざし

「面あり、一本」


ああ、またやってしまった。





『からかいのまなざし』





公衆浴場で今日の練習の汗を流し、風呂に浸かる。

「はぁ」

体温より数度高いお湯に入るのは気持ち良いが、自然と溜息が出る。

また試合に負けてしまった。
しかも、私よりも後に入ってきた子に。
その子が特別筋がよいのであれば、仕方がないと割り切れただろうが、
現実はそうじゃない。
その子の上達ぶりは、他人と比較しても秀でたものではない。

ということはつまり。
私が、人よりも下手だ、ということである。

「はぁ」

自分の弱さを認めるのは辛い。情けない。
親に心身を鍛えるためという名目で、今の道場に入れられただけではあるが、
一心不乱に竹刀を振るのは好きだった。
他の門下生や師範の試合を見るのも好きで、かっこよくて憧れていて。

なのに、私はそれに一歩も近づけない。
きっと他の門下生も私の下手さを馬鹿にしていることだろう。
私は試合に一度も勝ったことがないのだから。

「はぁ」

剣道は好きなのに、道場に行くのが億劫になる。
やめよっかな、なんてことも思うが、きっと親は許してくれない。

下手な私は逃げることも出来ず、毎日醜態を晒し続けるのだ。
あいつとの試合は楽で良い。そんな小声を耳に入れながら。

「……出よ」

ざぱーっと、大量の湯が身体から滑り落ちていった。











毎日竹刀を振って練習。
上達の兆しが見えないとは言え、決して練習は欠かさない。
練習をしない者に上達があるはずがないという教えを信じている。

すると、同じ門下生である六が訪れた。

「お前真面目だなー」

六は私より年下の十一歳だが、剣道の経験年数は私よりも上だ。
よって私は、六には敬語で接している。

「練習は大切ですから」
「そうかぁ?練習したって弱い奴は弱いぞ」

私のことか。いちいち言葉にしなくてもいいだろうに。
と、私は心の中で毒づくのである。

六は子供の中では一番筋がいいと思う。
試合も近い年齢の子相手なら絶対に勝つ。
師範には負けるが、自分よりも年上の相手ともちゃんとやり合えるほどの実力の持ち主だ。

こんなことを言うのは、自分が惨めになるから嫌なのだが、六は、剣の才がある。
これは師範も言っていたことだ。

ただ。

「俺は強いから練習なんて適当だぜ」

と言うように、少々真面目さに欠ける。
誰も六に勝てないのだから、こういう発言が出るのもしょうがないのかもしれないが、
ちょっとどうなのかと思う。

「なのに、どんなに勝っても、師範ってば俺のこと全然褒めてくんねーの」

師範も私と同じことを思っているらしく、六を一切褒めない。
どんなに勝っても、どんなに綺麗な型を見せようとも、まだまだだと言う。

「だからさ、今度は違う事をしようと思うんだ。
 そしたら、師範も俺を認めざるを得ないだろうってやつをさ」

そんなの、六が真面目に取り組めば師範も六を褒めるだろうに。
努力の方向を大いに間違っている。

ってさ、試合に勝ってみたい、って絶対思ってるよな」
「思っていますけど。何か」
「俺が手伝ってやる。絶対に試合で勝たせてやるよ」
「お断りします」
「はぁ!?なんでだ!」

断られるということを考えていなかったのか、大きく六が驚いた。
赤い瞳をまんまるにして。

「私、一人で頑張ります」

師範や他の門下生が指導してくれるというのならば、頭を下げてお願いをするが、
才能に溺れて練習を真面目に取り組まない六のような者に教えてもらいたくない。
勝って当たり前なんて思っているような人、正直羨ましいし、嫉妬してしまう。
そんな人から指導を受けたくない。

「なんでお前も師範と同じなんだよ!」

両の拳を握り締めて六は吐露する。

「お前が俺を見る目は師範と同じだ。
 嫉妬や羨望なら判るが、何で哀れむように俺を見るんだ!」

はて。
正直なところ、その"嫉妬や羨望"で六を見ているつもりなのだが、そんなに哀れんでいるんだろうが。
確かに、残念だとは思っている。真面目に剣の道へ進めば、もっと強くなれるだろうにと。
でも、六本人に見抜かれるほど表に出ていたというのは、予想外だ。

「俺に何が足りないんだ!何が駄目なんだよ!」

いつも上から目線で、ずけずけと物を言い、無意識に他人を小馬鹿にしている六が、
必死に私に縋ってくる。こうなると、やはり可哀想に思えてしまう。
先程、練習したって無駄、の類の言葉を吐いた人間であっても。

「あの、私は六よりも経験が浅い者ですから、講釈することは」
「ンなのどうでもいいんだよ。だって、俺と近い歳の奴等の中で、師範は一番を評価してんだから」
「いやいや、それはないですよ。さすがに」
「いいや。絶対そうだ。そうとしか思えない」

それは私が下手だから、師範が気を使って私と多く接してくれているだけに違いない。
六は自分を評価してもらえないせいで、事実が曲がって見えているようだ。

「とにかく、俺はお前の傍で何が足りないのか見出してやるからな!!」











どうせあの宣言は嘘だ。すぐに飽きるはず。六は活発な子供だから。
と、思っていたのだが、甘かった。

「あの……すっごくやりづらいです」
「精神統一してりゃ、気にならないんじゃねぇの?」
「……そう、ですね。これも修行だと思うことにします」

自主練習から道場からずっと、六に見られている。
銭湯に行く時も、「じゃあ俺も」なんて言ってついてきて、解放されるのは私が帰宅してからだ。
外にいる間は、ずっと青い髪の少年が私についてくる。アヒルのように。
それで私の行いをじーっと見ているのだ。真剣に。あの赤い瞳で。

「切っ先落ちてる」
「はい、すみません」

たまに私の型の崩れや、疲れによって若干雑になった振りを指摘してくる。
最初は嫌味なのだろうかと思っていたが、その目を見る限り純粋な指摘であったため、
今では私の心の緩みに渇を入れてくれるものとして重宝している。

「一番練習してるのに、お前全然上手くならねぇな」
「止めてください。落ち込みます」
「んー。そうだ、俺と掛り稽古しようぜ」

私は嫌だなと思った。
約束稽古ではなく、掛り稽古という辺りが。
ということはつまり、六の隙を見つけ自分で打ちに行くのだ。
私はこの、掛り稽古がどうにも苦手だった。
隙って、なんだろう。いつ打つと間違いなんだろう。
それがよくわからなかった。

「道場行くぞ。防具つけねぇと」

まだ了承してないが無理やり連行される。
気は進まないが、一人で竹刀を振るばかりで上達するわけがない。
幸い六は上手いのだから、いい練習相手になるだろう。
ここは大人しく六の提案に乗って、稽古をつけてもらおう。









「痛……」
「お前……驚いたぞ。本当駄目なんだな」

稽古なのか、一方的ないじめなのかわからないことになってしまった。
六は正しく、私が打ち込むべきでない時に打ち込めば、払い、私に打ち込んだ。
その数が異常だった。私が攻める側のはずなのに、私のほうが満身創痍だ。

「何が悪いって、もうちょっと考えて打とうぜ……」
「考えてるつもり、なんです」
「なんか、うん……。色々悪かったよ。ごめん」

謝られてしまった。私の下手さが相当だったらしい。

「で、だ。はさ、毎日鍛錬してる甲斐あって持久力はある。型も綺麗だ。
 けど、……もう自覚あると思うが打ち込みが下手すぎる」
「はい……私もわかってます」
「しばらく、俺と打ち込み練習だ」
「え?」

練習?
六が?
練習なんていらないって言う六が練習?

「打ち込みは相手がいねぇと駄目だろ。人形相手もいいが、多分上達しねぇぞ」

約束稽古と掛り稽古を順にやっていこう。その後は掛り稽古を多くしよう。
そんな風に六が今後の練習について語っていく。
練習したって弱い奴は弱いとか、無駄とか言っていたくせに。
どういう心境の変化だろう。

「いいな。お前も必死にやれよ」
「はい!」

六には指導されたくなかったはずなのに、元気に返事をする私がいた。











全身ぼろっぼろである。
六の打ち込みは重いし速い。私の青痣は毎日増え続ける。
加えて、いつもの自主練習も行っていた。
一日剣道漬けなので、無意識に竹刀を握る手を作っていたり、六の打ち込みを思い出したり、目を閉じれば竹刀が浮かび上がるという域にまで達した。
今日のご飯だって覚えてない。覚えてるのは六が私に面を何度打ち込んだとか、何を注意されたかとかそれだけだ。

このように私はボロボロだが、六も相当疲労を感じていることだろう。
私に付き合って、ずっと稽古してくれているのだから。
以前は六になんて、と思っていたが、そのことは撤回だ。
こんなに付き合ってくれるなんて、六には本当に感謝している。
剣の腕だけでなく、その面倒見のよさと根性に尊敬するようになっていた。






「今日は月に一度の試合だ」
「はい」
「絶対焦るな。落ち着けよ。お前は他の奴より強い俺と稽古し続けたんだからな。
 音を上げずにここまできたんだ。自信持てよ!」
「はい」
「今日は俺と当たっても稽古だと思わず、全力で来いよ。俺も遠慮しないからな」
「はい」
「よし。行くぞ」


月に一度、道場の門下生同士で試合をする。総当たり戦だ。
ちなみに、私はこれで勝ったことがない。
だが、今回はあれだけ練習したんだ。
稽古をしてくれた六のためにも、何か成果を見せたいと思う。

張り出されている紙を見て、私は自分の試合を行う場へ移動する。
六の試合がいつかは見なかった。私は自分のことに集中すべきだから。



白い線で描かれた、場内に入り礼をする。
帯刀し、三歩進んで剣を抜き、しゃがんで蹲踞の体勢に入る。

「始め」

声と同時に立ち上がった。



──六からの教え1
自分から打ち込むな。

私は焦りから自分から大振りで打ち込む癖があるらしかった。
だから、いっそ最初は自分から打つなと。


相手の切っ先が動く。


──六からの教え2
フェイントを疑え。

真面目に考えすぎるな。騙し合いだって勝負の要素だということだ。


私は相手の目を見る。
どこを打ちたいのだろうか。面、篭手、胴、どこに目線を動かしている?
中段の構えでいる私に対して、胴はない。やはり狙いやすい篭手だろうか。

「篭手!」

読みは当たりだ。すっと一歩動いてそれを避ける。
篭手へと伸ばしきられた手のせいで、上が空いている。

「面!」
「面あり、一本!」

まずは一本。もう一本で勝つ。でも、焦りは禁物。
相手は私相手だったから力を抜いていたかもしれないのだ。
気を引き締めていかないと。

──改めて、もう一戦が始まる。

どうやら相手も慎重になっているようだ。
時間のこともあるし、打ち込みに行った方が……いやいや、駄目。
私やっぱり焦ってる。落ち着かないと。
じゃないと、打ち込まれてしまう。
でも、どこを打ち込めばいいんだろう。
相手は全然仕掛けてこないし、膠着状態だ。
何か、何かしないといけないんじゃないんだろうか。
どうしよう。何をしよう。

「篭手!」

ずきりと、手が痛む。

「篭手あり、一本!」

しまった。考えすぎて、全然反応できていなかった。
どうしよう。焦っている。いつもと同じだ。
このまま相手の空気に飲まれてしまって、打たれて、負けて。

ふっと、視線を投げたのは、毎日稽古をつけてくれた六にだった。
どうやら今は試合中だ。審判の声が高らかに宣言している。

「胴あり、一本」

どうやら、これは二本目らしい。場外へ出て、面を取っている。
すると、六は私の視線に気付いたようだった。
薄く笑って、ば、か、と声を出さずにそう言われた。

なんだよ、それ。
私は小さく笑って、相手と対峙した。
先程あった萎縮した気持ちが、綺麗に消えていったのが判る。


「始め」


六からの教え3を、実行する。
始まった瞬間に、私は相手の篭手へと切っ先を振り下ろす。
相手が避けようとするところで、篭手から面へと狙いを変える。

「面あり、一本!」



──六からの教え3
つっても、剣道は打たなきゃ勝てないんだから、たまには打てよ。
練習のお陰での打ち込みはそこそこ速いんだからな。



私は相手に礼をして、場外へと下がった。
心臓が弾んでいる。勝ったのだ。初めて試合に勝ったのだ。
その喜びを表に出すことは、剣道という教えに背くため出さない。
だから、心の内だけで私は初めての勝利を噛みしめた。
ああ、勝つってこんなに嬉しいことだったんだ。
練習の結果が現れるのは、こんなに幸せなことだったんだ。

これも全部、六のお陰である。











「そこそこ勝ったじゃねぇか」
「六さんは全勝でしたね」
「まあ俺だし。それより、俺との試合!もっとやれたろうが!
 なんで素直に二本取られてんだよ!!」
「が、んばったつもりです。でも、本気の六さん強くて」
「強かろうともうちょっとなんとかなったろ!
 それに他の試合もそうだ。フェイントに揺さぶられまくって」

ぶつぶつと今回の試合の反省点を述べていく。
私はそれをしっかりと頭に入れ、次こそはそうならないように頑張ろうと誓う。

「この度は稽古をつけて下さり、有難う御座いました」

試合の前もそうだが、後にもこうやって欠点を指摘してくれる。
感謝してもしきれない。今回の勝利は全部六のお陰だ。

「別にー。俺も今回は師範に褒められたしな」
「そうなんですか?」
「ちゃんとを指導出来たからだと。あと、に付き合ってただけだけど、今回は練習してたしな。
 色々と上達してたらしいぜ」

褒められて嬉しそうだ。

「良かったですね」

にこにこした六を見ると、こちらも嬉しくなってくる。

「でさ、師範からは褒められたけど、からは何もねぇじゃん。成功報酬」

お礼か……。何がいいだろう。

「何がいいですか?なんでもいいですよ」
「俺の嫁になるとか」
「……変な冗談は止めて下さいよ。で、本当はどうがいいんですか?」

年下にからかわれてしまった。
剣道以外で年下に振り回されてしまうなんて、私もまだまだ修行が足りない。

だが六は、にこにこと笑みを浮かべている。
ずーーっと。
考え中なのかと思って待っているのだが、一向に言葉を吐く様子がない。

「……えー?あの……どうしました?」
「俺は本気だぜ」

え。えー…………。

「で、でもまだ早いし。私まだそういうの、わからないし」
「予約ってことでいいぞ。お前が誰か他に夫にしたい男が出来なければ」
「ま、まぁそれなら」

それでいいのだろうか。こんなに曖昧な約束で。
結婚ってそういうものだったっけ。もっと家のこととか親戚のこととかも考えるもので。

「絶対だからな」

ニカッと笑った六は、微笑ましくて可愛くて。
この人が大きくなって、私の夫になったら、どんな感じなのだろうと、私は甘い想像に浸る。
意外と楽しいかもしれない。嫌な感じはしなかった。

「はい、約束です」

私達は小指を絡めて誓い合った。








数年後、六が道場から消え、私の元からも消えるなんて、今の私達は思いもしなかった。





fin.
(12/09/04)