好きで、好きで、

「ナカジ愛してるよー!」

周囲は何度この場面に出くわしても慣れないのか、ぎょっとして私を見た。
私はその、身体を這う気持ちの悪い視線に吐き気を催しながら、
心の底から愛しているナカジに駆け寄る。

「お前、本当に気持ち悪いな」

蔑んだ目。
底なしの井戸の中を思い起こさせる暗い瞳が私だけを見ている。
今、私はあのナカジを捉えているのだ。
際限ないこの広い世界で、私だけを、映している。

ぞくぞくする。背筋の下から上へ突き上げる衝動。
ああ、愛しい。この人が愛しくてたまらない。
ここで誰か、いや、ナカジに私を殺してもらいたい。
そうすれば、ナカジが生まれ、そして死んでいく人生の中の一瞬の時を、私は奪ったことになる。
そして私は、愛しているナカジに触れられ、網膜に焼き付けたまま、息を引き取ることが出来るのだ。

それは、どれだけ幸福なことだろう。





『好きで、好きで、』





私は、この世界の誰もが、嫌いだ。
他人は勿論、血の繋がりのある者さえも、私は嫌悪する。

思春期特有の多感性故なのかどうかは、私には判らない。
ただ現段階では、自分を含んだ人間という生物に対して、厭うばかりである。

そんな中、私の生活に光明を差した人間がいた。
彼は、常に汚泥のように澱んだ黒い瞳を黒縁眼鏡の奥に隠している。
明らかに他と自分の間に一線を引いていた。
だが、こんな者は珍しくない。
学校という社会集団の箱に入れられた人間の中では一定の割合で出現する人種だ。


だから、私は言ってやったのだ。

「お高くとまってるのね。
 あなたが思うほど世の中に意味はないし、あなた自身かけがえのない一人ではないのよ。
 それなのに、自分は周りと違いますって雰囲気放出し続けて、馬鹿みたい。
 あなたってとってもお馬鹿さんなのね」

ナカジは言い返した。

「他者を知った気になっているようだが、ただ自分のことを言っているだけだろ」

無視するか、激昂するかどちらだろうと思っていたが、落ち着いていて返答出来ている。
ただ、返しに斬新さはない。

「……あなたって、やっぱり馬鹿なのね。可哀想」

哀れむ素振りを見せると、絶対に笑わないナカジが、口端を小さく上げた。

「お前、さっさと死んでくれ」

ナカジから放たれた可愛らしい矢が、私の胸にずっきゅーんと刺さった。
胸の中できゅんきゅん心臓が跳ねている。
これは恋。この気持ちは間違いなく恋である。


私、まさかの、恋をしてしまったのであります!







あの汚らしい瞳に見られながら罵られることで幸福感が湧き出す。
下に見ている相手が私を貶めようとする、その必死さが、矮小さが、
たまらなく私を興奮させる。


だから私は、暇さえあればナカジに愛を叫ぶ。


「愛してる」
「今日も気持ち悪いのね」
「あなたのことを考えていたら、朝になってしまったわ」
「あなたそれでよくおめおめと世の中に出てこれるわね。でもちゃんと来てね」
「大好き、愛してる」
「あなたはあなたが馬鹿にする周りの人間よりも、矮小で愚かな人間よ?」
「今日も素敵ね。気持ち悪いね」
「好き、愛してる」
「あなたと同じ空気を吸っているだけで、吐き気がするわ」
「だーいすきっ」




ナカジは私の精一杯の愛に毎回答えてくれる。



「死ね」
「構ってオーラが鬱陶しい」
「お前こそ、腫れ物扱いじゃないか」
「死ね」
「狂人の真似事は止めたらどうだ。所詮お前も周りの奴等と同じだ」
「判った、死ね」
「いい加減にしろ。死んでくれ」
「いっそ殺させろ」



私たちはこうやって毎日愛を語らっていた。
それなのに、ある日突然、ナカジは何の反応も見せなくなってしまう。
私がどれだけ愛を語っても、完全に無視をする。

頭部を掴み、無理やり前からその顔を覗き込んでも、その瞳は私を見ない。
他のどうでもいいはずの人間ばかりを捉えている。

配布物を渡してきた人間に「ありがとう」と礼を言い、笑みを浮かべていた。

この初めての出来事に、私は焦った。
ナカジが、他の人間と同じところへ堕ちてしまう。
なんとしてもそれは阻止しなければならない。





まずは学用品を隠すところから。
地味なところから、まず消しゴム。それから筆記用具。
提出必須のノート、体操着、上履き、提出すべき書類。

「ちゃんと私持ってるから、いつでも言ってね。返すから」

そう言ったのに、ナカジは私に話しかけることはなかった。
教師にどれだけ怒られようと、教室内で一層浮いても。
死んだ魚のような瞳は、半開きだったあの頃と違って、ぱっちりと開いて、
他の誰かと言葉を交わしてる。
私には何もしないくせに。



手段なんて選んでられない。
痛い目にあってもらって、目を覚ましてもらおう。



押しピン、安全ピン、ホッチキス、よく研いだはさみ。
ナカジの席に仕掛けて、下駄箱に仕掛けて、配布物に細工をして。

「ナカジ君、大丈夫?」
「ああ、大丈夫」

ナカジはそれでも、私に何も言わない。私の仕業だとは判っているくせに。
私のトラップに引っかかったナカジは、日に日に絆創膏や包帯が増えていく。
真っ黒な衣に包まれていたナカジが、どんどん白に蝕まれているのを見ると、吐き気がする。

「アイツ、いじめられてんじゃね?」
「でも、誰?そんな場面見たことないけど?」
「部活も入ってねぇし……マジで誰だろ?」

外野が煩い。肝心のナカジは無反応。
あれだけ愛を応酬し合ったのに、もうナカジは私を愛していないのだろうか。
それはつまり、私は振られたということなのだろうか。

そう思ってしまうと、急に胸が苦しくなる。
失恋が命を絶つほど辛いと聞いたときは、せせら笑ったものだが、本当にそれほど苦しい。



なら、いっそ、本当に命を絶ってしまえ。



私の死体がナカジに見えるようにするため、死に場所は学校にしよう。
刺す、首をつる、飛び降りる、どれにしようか。

私は放課後ずっと学校をうろつき、部活をしていた生徒が帰ってから、教室に戻った。
徘徊中に最も素敵な死に場所を思いついたのだ。

それがここ。ナカジの席。



私は愛しい人の席へ座る。
わくわくどきどき。
この机に、ナカジはいつも張り付いているのだ。
机の端に手を置いていて、よく肘をついていて。

私の中で、不思議な衝動が私を叩く。
間接的だけど、ナカジが触れたところに触れれば、ナカジに触れたも同然なのでは。
いや触れるだけじゃたりない、折角だから恋人のようなことをしたい。
恋人がすることと言えば、一つしかない。

私はショーツから足を引き抜いた。
スカートをたくし上げると、ナカジの机の角に自分の下腹部を擦り付ける。
年数のたった木製の机は、小さくささくれていて、擦りつけた肉芽を傷つけた。
興奮が止まらなくなった私は、茂みをそっと撫でると、肉芽の上部の皮をくいっと引く。
剥かれた芽は肉々しい赤と、血の赤に塗れている。

それを私は一心不乱にナカジの机に擦り付ける。
汗に混じった性的な匂いが私を中心に広がっていく。

ナカジが私に染められる、穢される、汚らしく犯される。

絶頂を迎えたら、持っているカッターで喉を引き裂こう。
考えただけで、下腹部がきゅっと締め付けてしまうほど、心が躍る。

ああ、なんて幸福な、死に方だろう。
思いついた自分を褒めよう。

さあ、早く、いえ、まだ、でも早く、
ナカジから絶頂を与えてもらいたい。



早く、早く、でも、早く、待って、早く!







教室の扉がスライドする音がする。
私とナカジの性交を邪魔するのは、誰だ。
扉を睨みつけたが、私はその人物を見て驚きを隠せなかった。

「へぇ、どうなるかと思ってたがここまでとはな」

ナカジが放ったその言葉で察した。
今まで無視していたのは、わざとだったのだ。
私がどう反応するか、きっとナカジはずっと観察していた。
それなのに私は勘違いして、恥ずかしい。

今までずっと私を見ていてくれたなんて。
事実を知った途端、下腹部からどろりと体液が溢れたのが判った。

「そんなに俺がいないと駄目なんだ?」

元の、いや本来のナカジだ。
私は口元を緩ませた。

「そう、いないと駄目なの。だって好きだから」







それから私たちは、今までの空白を必死に埋めようと、愛し合った。



無言で床に突き飛ばされて、背中を何度も蹴られた。
その後、髪を掴まれて持ち上げられる。仰け反りすぎて、喉が痛む。
でも、そこでナカジと目が合う。
あの気持ち悪い、カエルのような瞳が鋭く私を睨んでいる。

ナカジはにこりと綺麗に笑うと、そのまま私の制服を乱暴に脱がし始めた。
解いたネクタイを手に取ると、それを私の首にかける。

ナカジはベルトを緩めると、興奮している証を取り出し、私の中に突き刺した。
破瓜の血を垂れ流すのを見て、気持ち悪いと私を罵ると、ネクタイを引く。
喉を強く締め付けられると、顔がかっかっと熱くなって、汚いはずの空気を必死に求めた。
意識朦朧の中、もがいていたら、いつのまにか顔射されていた。

どろりと頬を伝う白濁液。
鼻につく、気持ちの悪い匂い。でも、美味しそう。

ネクタイを離されると、新鮮な空気が一気に肺に流れ込み、私は咳き込んだ。
息が整う前に、ナカジは私の口内に白濁液と私の体液で汚れた己を押し込む。
そんな汚らしいものを、私は無言の要望どおり丁寧に舐めとり、喉を鳴らして飲み込んだ。

すると、また気持ち悪いと吐き捨て、私の頬をはたく。
脳が揺れるほどの衝撃。舌を噛んでしまったために、口内に鉄の味が広がる。

ナカジは死ねというワードを呟きながら、私の腹部を何度も蹴った。
吐き気を催すほどの衝撃が、とめどなく襲う。

────気持ちいいなぁ

自然と笑みがこぼれる。
それを知ってか知らずか、ナカジの痛いほどの愛は続く。
私は彼の愛を全身全霊で受け止めていった。







気づいた時には、ナカジは教室にはいなかった。
時間も夜十時を示していて、随分長い間寝ていたということが判った。

両手を見ると、踏まれたり、自殺に使おうと持っていたカッターで刺されたために血と塵、砂に塗れている。
これがあるということは、ナカジと愛し合ったのは、紛れもない現実ということ。

「ふふふ」

私は嬉しくて、嬉しくて、自分の手の甲を舐めた。
血も塵も全てを舐め取って、体内に納めていく。

砂や塵を美味しいと思える味覚は持ち合わせていない。
けれど、これはナカジに踏んでもらった、その靴底についていたものだ。
そう思うと、とても美味に感じられた。

好きな人に関係あるものだから。
何であってもいとおしい。




──────明日も、ナカジは私を愛してくれるかしら。


fin.(12/09/10)