それはもう使われていない旧校舎の話

今時は珍しい木製の旧校舎の二階。
軋む廊下をずっとずーっと進んだ所に、その部屋はある。
年季の入った木製のスライド式扉を力いっぱいに開け放てば、
黒い三角頭巾の男が地獄の淵から出しているかのような低い声で笑う。

「来たか。お前がここに来る事は、千の星と万の月が我に囁いていた。
 なに、臆する事は無い。お前の全ては既に暴かれている」
「先輩、こんにちは!いつもいつも飽きませんね、それ」

というと、黒いローブ姿の先輩は鼻を鳴らした。
どうせここに来るのは私だけだというのに、似たような口上を毎度述べる。
飽きないのかなと思いながらも、私は備え付けの椅子に座った。
旧校舎が使われていた当時に利用されていたと思われる椅子は金属部分が一切無く、全てが木で出来ている。
そのせいで気を払っていないと毛羽立った鋭い木片が足に刺さってしまう。
だから今日もそろりそろりと座った。

彼はと言うと、私の目の前で黒い布をかけた机を前にし、妙に背もたれが長い黒椅子に腰かけている。
わざわざこの部屋に持ち込む様子を想像すると笑ってしまう。

「ねぇ先輩、今日は雪なんですよ。見ました?」
「外界の些細な事象などに興味はない」

そこそこ冷たい反応である。
先輩は特にこの部屋の外で起きた事に対してはあまり関心が無い。
すると余計に、そんな彼を外へ引っ張り出したくなる。
そして、私の相手をして欲しい。

「ねぇねぇ、外行きましょうよ」
「断る」
「……どうしてです?」
「寒い」

と、真っ黒なローブを纏った先輩は言った。
厚手の布を用いているように見えるのだが。

「……寒いんですね。そのローブ」
「外部からの魔力攻撃を遮断する能力はあれど、気候による寒さに対応はしていない」
「なかなか面倒ですね……」

この先輩は偶によく判らない事を言う。
私はあまり本気にせず、適度に聞き流している。
今回も例によって聞き流し、制服のポケットに入れていたカイロを渡した。

「……有り難く使わせてもらう」
「まだまだありますから」
「……何個所持しているのだ」
「背中も足もお腹も胸も全部です!見せましょうか?」

というか、見せたくてたまらなかった。
貼るカイロを全身に装着した、完全装備姿を。
誰にも見せていないので、ここで脱げば先輩が最初の一人となる。

「いや、遠慮する」

彼は首を振り、私に与えられたカイロを両手で挟んで擦り合わせている。

「……ちぇー」

ここで気にせず脱げば良いんだろうが、それは気が進まない。
遠慮した相手に見せたのでは、私が変態になってしまう。
……でも見せたい。
そう思って正面に座る先輩をじーっと見つめたが、彼はカイロを大事そうに握っていて、私の訴えに気づく様子はなかった。
私は諦めて新たな提案をした。

「じゃあ、外行きましょう?」
「断る。何度言われても同じ事」
「でもカイロあげました」
「それはそれ。これはこれ」
「お母さんみたいな事言うんですね」

この部屋には窓が無い。
私は教室の扉を開け放し、廊下の窓に近づいた。
その場を一切動こうとしない先輩を振り返る。

「ほら見て下さい!いっぱい降ってます!」
「……騒がずとも我にも見える」
「感動がない……」

雪は偶に降るものではあるが、あまり積もる事は無い。
学園が白い綿で埋まる景色を見てもらいたいのに、先輩は全然来る様子が無い。
テンションの下降を感じていると、ぽつり、と先輩が言った。

「我は……あまり雪を好ましく思っていないからな」
「……それって、どうしてです?」
「……」
「……何があったんですか」

生態不明な先輩。
雪が苦手だとか、嫌な思い出があるとか、そういうエピソードがあるのだろうか。
先輩に関する情報が殆どない私は、彼に関するものはなんでも興味がある。
なんだろう。
昔の彼の身に、何が。

「…………寒い」

力が抜けた。

「溜めてそれですか!!しかもさっき聞いたのと全く同じじゃないですか!!」
「カイロは余っていないのか」
「ありますけど!外に行ってくれないならあげません!
 先輩得意の魔術とやらで何とかして下さい」
「……仕方ない。ならば見せてやろう」

どんなことをしでかすのだろう。
そう思って彼の行動を観察することにした。
立ち上がった先輩は両手を上げて制止すると、気をつけの状態に戻り、部屋の隅へと行った。

「……我とした事がぬかった。灯油が無い」
「こら!背徳と絶望の最後の番人設定のくせに、文明の利器に頼るんじゃない!です!」
「木を切り倒し、動物を追いたて、人間同士の醜い争いを経て得る罪な温もりは、
 禁断の果実の様に強力な力を持つ」
「そういう事言われると、灯油製品使えなくなっちゃいますよ……。
 ……って、なんか適当に煙に巻いてません?」
「気のせいだ」

こういう所が胡散臭い。
それっぽい衣装を着て、それっぽい雰囲気を醸し出しているというのに。
私はこの人が番人らしいところをした場面を見た事が無い。
これではただの変な先輩だ。

先輩はすすすと音もなく教室を出た。

「どこへ?もしかして雪一緒に行ってくれるんですか!?」
「……我は無色透明の化石燃料が欲しいだけだ」

理由はどうであれ、ようやく外に出てきてくれた。
私は心を躍らせながらその後ろをついていく。
老朽化により軋む廊下を踏みしめて。
でも、足音は自分のものしかない。
先輩は軽いのか、すり足なのか、いつも足音をたてない。
まっすぐ歩いて階段を下りればすぐに旧校舎の出入り口に着く。
私がもたもたと靴を履き替えていると、先輩は銀色世界に立っていた。

「くしゅん……」

旧校舎の中はそれほど寒さを感じなかったが外に出るとやはり寒い。
カイロでしっかりと対策していると言っても、身体が冷えてくる。
私がこんなに震えているというのに、先輩はいつもと変わらず落ち着き払っていた。

「うう……恋人だったら、俺の使えよ。とか言って上着くれるのに!……」

先輩は多分ローブ一枚なんだろうし、私にかけられるようなものなんて無いけれども。
それでも、少しだけ期待してしまう。
ちらちらっと、視線を投げてしまう。

「我を見るな」
「……はーい」

予想通り駄目だった。
先輩は自分の意思を曲げる事は無いので、駄目と言えば駄目なのだ。
仕方なく雪が降る中でじっと立っている彼に近づいた。
ざくっ、ざくっと、雪の中を歩くと、私の足とサイズと同じ大きな穴が何個も出来る。
旧校舎の入口からここまで、綺麗な一列の足型が並んでいる。
それ以外は、ない。

「先輩。雪、投げていいですか?」
「投げればお前にストーブの加護はやらぬ」
「え!?それは困ります!」

でもやりたい。
なんとなく、そう、先輩に恨みも何もないけど、ぶつけてみたい。
そんな子供みたいな衝動が私の心の中で騒いでいた。
抑えなければならない。駄目なものは駄目なのだから。

でも、馬鹿な私はその欲に負け、先輩の後ろでこっそりと雪玉を作り、背中に向けて投げた。
ほんの二メートルの距離だ。
するとふいに先輩が振り返り、雪玉は背中ではなく先輩の顔面へと向かった。
しまった。怒られると思ったが、もう遅い。
あの白く透き通った肌にぶつかり雪が弾けてしまうことだろう。
避けて、と言う暇もなく、雪玉は先輩を襲うが、俊敏な動きで雪玉を受け止め、そのまま私に投げ返した。
みるみるうちに視界に広がる雪玉。

「へぶっ!」

引きつってしまう程の冷たさが私の顔面に広がった。
首を大きく振って肌にへばり付いた雪を振り飛ばす。
冷たい。痛い。冷たい。冷たい。

「……愚かな真似をするな。二度は言わせるなよ」
「……すいませんでした」

先輩はいつも静かに注意する。
下手に怒鳴られるよりも効果は抜群で、私は毎度素直に頭を下げる。
それで終了。先輩はそれ以上その話題について何も言わない。

「ここは冷える。戻るぞ」

校舎の裏にあるドラム缶から灯油を入れて、また古びた教室へと戻った。
先輩は迅速に灯油をセットし、ストーブに火を灯した。
何もしていない私はさっと前を陣取る。

「あったかーい。ストーブはいいですねぇ。あ、やかん持ってきます?」
「我は必要無い。持ってきたくば、自分でしろ」
「はーい。帰りに百均寄ろーっと」

ストーブで暖を取りながら、先輩と取り留めのない話をする。
授業中ビルから落ちる夢を見てしまって、現実で声をあげてしまい周囲から変な目で見られた事。
お弁当のおかずの卵焼きに殻が入っていた事。
小テスト中シャーペンの芯が詰まって慌てていると時間切れになった事。

主に私が話しているだけであるが、先輩はそれについて一度も不満を零した事が無くいつも簡単な返事をくれる。
どんな言葉であっても、自分の呟きに他人の言葉が返ってきてくれるのは嬉しい。
だから私は先輩が注意するまで話そうと思っているのだが、今のところ注意を受けた事は一度もなく、私は満足いくまでひたすら話し続けている。
そんな私を制止してくれるのは、新校舎から流れるチャイムだ。
下校時刻を知らせる放送が流れると、先輩から口を開く。

「時間だ。帰れ。空から闇が落ちてくるぞ」
「はい」

鞄を持って、私は扉に手をかける。
首だけ傾けて、先輩に挨拶した。

「先輩。また明日」
「前方には気をつけろ」

私は椅子から立ち上がろうとしない先輩を置いて旧校舎から立ち去った。





旧校舎のずっとずーっと奥にひっそりと存在する教室。
そこには黒装束で怪しげなことばかり言う変な先輩がいる。
私は飽きることなく足繁くそこへ通う。

「……あ、そういえば、前方に気をつけろって言ってたな」

胡散臭い先輩であるが、忠告はよく当たる。
ちゃんと前を見て歩いていこう。
今日はどんなアクシデントが私を待って────。
折れた傘が一直線に私へと迫る。
ちゃんと前を向いていた私は、落ち着いて避ける事が出来た。
後方で傘が落ちる音を耳にすると、ほっと落ち着く。

「ふぅ……」

やっぱり先輩の忠告は百発百中だ。
思わず笑みがこみあげてくる。
ここにいない先輩の存在を感じて。





fin.
(13/12/30)