騒がしいと思ったら、アパートの隣の部屋の住民が引っ越していった。
静かになったとほっとしたのも束の間、一週間後そこに新しい人が引っ越してきた。
同じ大学の生徒であろう隣人は引越しの挨拶には来なかった。
世間的には失礼なのかもしれないが、私としては歓迎だ。隣人と馴れ合う趣味はない。
今では階段ですれ違ったらお互い気まずい雰囲気を醸し出し、逃げるように会釈をするような関係になった。
出来るだけ相手の存在を認識したくない。
相手もそう思っているのがひしひしと伝わってくる。
その考えには深く感謝する。私も同意見だ。
周辺の変化はそれくらいで、私は何事も無く二年生になった。
嬉しいことに、私の成績は学部の同級生のトップだったようで、学費一部免除と掲示板に張り出されていた。
まぁこれくらい、当然だろう。そう思いながらもこの結果は嬉しかった。
これに満足することなく、今後もトップで在り続けるために、講義には真摯に取り組く所存である。
私は講義第一回目から試験を意識して臨んだ。
教授の言葉を一言も漏らすまいと、講義中の録音や録画も完璧だ。
少し値は張ったが必要経費だろう。全然惜しくない。
そんな気合を入れまくっている私の周囲では、友人らと固まって席に座る者達ばかりが目に付く。
羨ましいという気持ちはない。ただ、講義中の私語は慎んで欲しいと思っている。
昨年同じ必修を取っていた者たちも見かけるが、私も彼らも互いに会釈すらない。
こうして私はまた、誰とも言葉を交わさない日々を重ねていく。
大学では勉強し、家でも勉強。寝て、起きたら大学。そして勉強。
私は、朝昼晩、いつでもどこでも一人だ。
昨年に出くわした厄介な男とはもう会わない。
あれは今年四年生で、殆ど大学に来ることはないだろう。
それに、もう会う理由がない。
もうどの講義も彼と被ってはいない。同じグループでもない。
もうあの男を起こす必要もないし、餌を与える必要もないし、一緒に大学に行く必要だってない。
私は、元の生活、いや、正しい生活に戻ることが出来た。
◇
梅雨の時期に入った頃。
折り畳み傘をさしながら歩いていると、土手下で変な男を見つけた。
雨が降っているというのに、傘をささず、ぐちゃぐちゃのびちゃびちゃの髪によれたYシャツ姿の男。
腹立たらしいことに、遠目であっても誰であるかすぐ判った。
私はそのまま彼を見なかったことにして、まっすぐ自宅へ向かう。
すると、水音がした。
ぱしゃん、ぱしゃんと。
激しい雨の中元気がいい奴がいるものだと思っていると、私の前に立ち塞がる者がいた。
見上げると、濁った双眸が私を見下ろしている。
「ちゃん」
と、誰にも呼ばれない私の下の名を、あの時と変わらず呼んだ。
「……邪魔ですよ」
「怒ってるの?」
「意味わからないです。失礼します」
脇をすり抜けようとすると、腕を掴まれた。
「……用がないのに、話しかけないで頂けませんか」
「用ならあるよ」
思わずどきりとして、私は彼の顔が見られなくなった。
俯いたまま、彼の言葉を密かに待つ。
何を言うのだろう。
だって、もう私たちは何の関係もないのに。
用件なんて発生しないはず。私と関わる理由なんてないはずで。
「お腹が減ったから何か食べさせたもらえないかな!」
私は、奴の手の甲を思い切りつねってやった。
「いったぁ!?ちゃん!?」
◇
「いやー、久しぶりの白いご飯!さすがちゃんだね!」
また所持金が底をついたらしい。
そんな彼の計画性の無さを罵倒しながらも、結局私は彼の家でご飯を作ってしまった。
別にこれは彼のためではない。私のお腹が空いたからである。
と、言い訳させて欲しい……。でなければ、私があまりにも情けなさ過ぎる。
「四年生のくせに、雨に打たれてるなんて馬鹿じゃないですか。就職決まった余裕ですか?」
「僕は三年だから就職なんて関係ないよ」
……は?
この人去年三年生だったはずじゃ……。
「まさか、留年……」
「うーん、必修がね。あははー」
あははじゃないだろ。馬鹿じゃないの。
「……。で、いくつ足りないんです?ちゃんと時間割組んでます?」
「それがさっぱりなんだよね。履修のことが書いてある本も無くしちゃってさ。
あ、ちゃん、良かったら持ってきて見せてくれない?」
この男どこまで馬鹿なんだ!!
履修の修正期間終わってるから!!
取り損なってたら、来年も三年生決定だから!!!
あー嫌だ……こんな適当な人に関わりたくない。
ダメダメ病がうつりそうだ。
「……全力でお断りします」
「でも、これだと僕は来年も留年が確定だよ」
「教務課行って調べなさいよ!」
「教務の職員の人より、ちゃんの方が信用できるなー」
なにそれ、馬鹿じゃないのか。
大学職員の方が詳しいに決まっている。それが仕事なんだから。
それなのに何故私を頼ろうとする。意味が判らない。
私なら簡単に利用できると思っているのか。
「ちゃんは出来る子だから、きっといいアドバイスをしてくれると思うんだ」
私が出来るのは勉強だけで、ダメ人間の世話はからっきしだ。
「ちゃん」
耳障りだ。下の名で呼ぶな。
頭がおかしくなる。彼のペースに引き込まれていく。
「僕だって頼る人間は選ぶよ。信用できるから君にお願いしているんだ」
嘘つき。
頼る人間なんて、私以外いないだけの癖に。
騙されるな。
この男はいつも上手いことを言って、他人を操るんだ。
関わってはいけない。言葉に惑わされてはいけない。
駄目駄目、絶対に駄目!!!!
「……面倒くさい。………まぁ、やってやらないこともないですけど」
「うんうん。ちゃんは優しいなぁ」
馬鹿な私は私の中の警告を無視した。
理由はわからない。何故わざわざ自分に枷をはめるのか。
こうして私は、またダメ人間の世話を始めた。
「ちゃんと学校に行って下さいよ」
「うん、判ってるよ。大丈夫だよー」
こんな言い方をする場合、八割行かない。
仕方がないので、必修の時は起こすためにメールしたり、電話したりする。
しかしそれでも行かないかもしれないので、一応家を訪問する。
案の定、彼は携帯片手に死んでいるのだ。
「お前!!やる気あるのか!!!なくても卒業だけはしろ!!!!」
「ちゃんはお母さんみたいだね」」
「いいから!!!早急に!!!三秒で行動!」
「はいはい」
いくら私が優秀だからと言って、この男は扱いきれない。
この男の親は一体どういう教育をしてきたんだ。
これはあまりに異常ではないか。
「ちゃん」
「なんですか!!!!服!!!早く!!!!!」
私は次の時間、講義は入っていない。本来なら自習の時間。
それをわざわざ割いて、この男の面倒を見ているのだ。
それなのに、の男はいつもいつもとろっとろ動くばかりで。
「いつもありがと」
ケンジは何故かにこりと微笑んでいて。
私は思い切り、奴の横腹を蹴った。
「え!?僕何か悪いことした!?痛いのは苦手だよ!」
「煩い煩い!」
むーかーーつーーーくーーーーーーーーーーー!!!
next...
(13/04/22)