まるで終わりのない回廊のようで 一年生-冬-

一週間に一度だけ、私は人と話し、人とご飯を食べる。

「今日は純和食だね。いただきます」
「いいから、早く食べて下さい。講義に遅れます」
ちゃん、早食いは身体に良くないよ」

この男にご飯を与えるのも慣れた。
口煩く言ってものんびりと準備をするので、その間に掃除をすることもある。
良いように使われているとも思うのだが、細かい性格のせいか気になるのだ。
私が来るようになった当初は汚い部屋であったが、最近は突然客人が来ようとなんとかなる程度の綺麗さは保たれている。

ちゃんは働き者だね」
「ケンジが怠け者なだけです」

何時からだろう。
彼が私を下の名前で呼ぶようになったのは。
それがなんだか気に入らなかった私は、合わせて彼を呼び捨てることにした。

名前で呼ばれるのは気持ち悪い。
特に私は、今まで苗字にさんづけでしか呼ばれたことが無かったから。
名前で呼ぶのも気持ち悪い。
傍から見て友人と思われる人物のことも、私は苗字でしか呼んだことがないから。

「そういえば、もうすぐまた発表だね」
「問題ないでしょう。私の作った資料は完璧と言っても過言じゃありません」
「うん、そうだね。君は本当に凄い人だ」

そろそろ講義も終わる。試験が近づいてくる。
これでようやく、さよならだ。
この面倒くさい男の世話もしなくて済む。

「そろそろ冬休みだけど、ちゃんはどうするの?実家?」
「帰らない」
「そうだね。ちゃんらしいね」

私は正月も帰るつもりは無かった。
親はメールで帰るかどうか聞いてきたが、私が断るとあっさりと引き下がった。
形だけ、聞いただけだろう。

「……ケンジは?」

少しだけ、気になった。
この人は長期休み、どうするのだろうと。

「僕?帰らないよ」
「ま、貴方らしいですね。でも帰った方がいいのでは?飢えませんよ」

なぜだろう。ほっとした。

「うーん、でもね、帰るわけにはいかないというか、帰れないというか」
「成績のせい?」
「君はずばっと聞くね」
「悪かったですね」

自業自得なのだから、人に指摘されたってしょうがないだろう。

「でも、それは君の良いところだ。素直で飾らないところは」

勉強以外で褒められるの、気持ち悪い。

「良かったらなんだけど、冬休みのうちの何日か一緒に過ごさないかい?」

一瞬言葉に詰まった。動揺を悟られぬように落ち着いて言葉を返す。

「勉強あるんで……」
「だから、何日かで良い。僕も毎日は無理だからね。偶にだよ」

意味が判らない。どうして冬休みに私とケンジが会わなければならないんだろう。
講義はない。だから、私がここに居る理由は無い。
なのに、どうしてだか、私は────。

ちゃんは優しいからね、僕のお願いを聞いてくれると思うな」
「優しくないので聞きません」

そういう言い方は嫌いだ。
なんでもかんでも思い通りにいくなんて思わないで欲しい。

「ごめん。怒らないで。じゃあさ、寂しいから一緒にいたいっていうのは駄目かな?」

ストレートな言葉を受けた私は、馬鹿みたいに固まってしまった。
目が泳ぐ。口が開け放しになる。
ケンジは急かさない。混乱している私をただじっと待っている。

「……ほ、他の人は?」

ようやく出てきた言葉はそれだった。ケンジは肩を竦める。

ちゃんは僕と誰かが共に歩く姿を見たことがあるかい?」

一度も無かった。友人の話を聞いたことも無い。
だから私は言ってあげた。

「仕方が無いですね。哀れな貴方の為にいてあげますよ。偶には」
「ありがとう、ちゃん」

同じく友人もいない、誰かと共にキャンパスを歩いたことのない私が言えた言葉ではない。
それを判っているのに、ケンジは礼を言う。
この提案も実は気を使っただけじゃないだろうか。

私は優しくない。
優しい人は、私じゃなくて────。











ちゃん。目が寝てるよ。お蕎麦食べてお腹一杯になった?」
「まだ起きてる」

変な文化だ。年越しを過ごすために夜中まで起きてるなんて。
早寝早起きの習慣を崩さない私には、眠くてしょうがない。

今年、初めて、年越しを家人以外と過ごした。
いつもとは違い、夕食を共にし、そのまま四畳半のケンジの部屋にいてTVを見ていた。
二人ともあまり話さず画面をじっと見ていて、偶に言葉を交わした。

そうしたら飛ぶように時間が流れ、時計の針が跨ぐ前にと慌てて年越しの蕎麦を食べた。
ケンジは食べ物にありつけることに大層喜び、一人で二人前平らげた。
この男は食べ物を食べている時が一番嬉しそうに見える。

ちゃん」
「……帰る」

もう限界だ。暖かい炬燵が心地よすぎて、このままだと本当に寝てしまう。
異性の部屋で無防備に寝るなんてはしたない事は出来ない。
それに、人前でそんな姿を晒したくない。そんなことしたら一生の恥だ。

「送るよ。夜中だ」
「問題ないです。私に何かあるはずが無い」

申し出を跳ねのけ、私はさっさと靴を履く。
チェーンを外して鍵を開けると、後ろから手が伸びてドアノブを抑えた。

ちゃん。君はもう少し自分を評価すべきだ。そして女の子であることをもっと自覚した方が良い」

呆気にとられている間に彼は靴を履いた。
使い込んだ半纏を着たまま扉を開ける。

結局送ってくれることになった。とても、変な感じだ。
さっき、ちゃんと言えば良かった。煩い、放っておいてくれと。
何が女の子だ、何が自分を評価すべきだ。
そんな知ったような口をきくな。ケンジの癖に。
なんて、捲くし立てれば良かったのに。どうして。私は素直に送られているのだろう。

「こうやって誰かを送ってあげることなんて初めてだな」
「へーそうですか」

嫌だ。聞きたくない。何だ、初めてって。
そんなのどうだっていい。どうでもいい。
変な事を言うな。私を、惑わすな。

ちゃんは可愛いから、きっと初めてじゃないんだろうね」
「別に」

私だって、初めてだ。
今まで同性でさえ、満足に友人もいなくて、夜中に人と遊んだことなんてない。
異性なんて、あるはずが無く。

「着いたよ。ちゃん、おやすみ」
「……おやすみなさい」

さっさとアパートの階段を登る。上からケンジが帰る姿が見えた。
寒そうに腕をさすりながら、先程二人で歩いていた道を一人で戻って行く。

「あの」

つい、呼び止めてしまった。
気付かなければいいのに、ケンジは上を見上げた。私と目が合う。

「……ち、ちゃんと、布団で寝て下さい。面倒だからって炬燵じゃなくて……」

何言っているんだろう。馬鹿みたいだ。笑われそうだ。

「……ありがとう。ちゃんは優しいね」

なんだよ、その優しいねって。私は優しくなんてない。
いつもいつも、意味の判らないその褒め言葉止めて欲しい。
褒めるのは成績だけで良い。変なことを言うな。

ケンジなんて嫌いだ。



その後、私は講義が再開するまで、ケンジとは会わなかった。
そして、時は流れ、秋期は無事に終了した。
送られてきた成績表は最高得点ばかりであった。何も問題は無い。

それなのに、落ち着かない。




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(13/03/17)