祟り神を飼う


 その地の者たちは言った。
 山中で規則正しく石が並べられていたら足を止め、それ以上踏み込んではならない。
 その先にいるのは異形の神。
 古より結ばれた盟約によると、土地を捧げることを条件に人々を喰わないとされる。
 ようは足を踏み入れなければ、厄を糧とする神を封じることが出来るのだ。
 多少瘴気が漏れて辺りの生命が死することもあったが、本来の力を思えば軽微な損害である。
 人々と神は歪ながらも共存していた。
 しかし時代は変わった。
 八百万界に突如現れた悪霊により、多くの民と土地が命を失った。
 界力を奪われた土地は死に、住処を奪われた民は、ついには禁足地に足をのばす必要に迫られた。
 盟約を破る日が訪れたのだった。

「うへえ。やっぱ凄いわ。私に傷つけるなんてやるじゃん。祟り神」

 額から血を垂れ流していたのは女だった。
 神に仕える伝統的装束を身に着けている。

「独神殿、大丈夫ですか!?」

 伝承を口伝し、祟り神の地を代々守ってきた守り人の青年は独神と呼ばれた女を気遣った。
 血が垂れた瞼を袖でこすりながら女は冷たく言い放つ。

「道案内はここまでで十分なので帰って下さい」
「なりません! 私は代々この地を守ってきたのです」
「はいはい。そういうの良いから。あたしに依頼した時点でもう役目を果たせてないんすわ。今までの特権もはく奪。ここにいたら死にますよ」

 普通の者が祟り神に近づくと、気を狂わされ、あるいは一瞬で殺されるという。
 加護を失った守り人は、父母より耳にした祟り神に背いた者の末路を思い出して一瞬躊躇ったが、責任感から踏みとどまった。
 その瞬間足元から影のように平たい黒い帯が伸びてきて右足がなくなった。爪先はどこにも見当たらず、文字通り消失した。

「ああああっ!!」
「言わんこっちゃない。ちょっと手を貸してやって。んでその邪魔者早くどっかやって」

 独神の指示で現れた男が守り人を支え、村に向かって走って行った。

「初めまして、祟り神。あたしは独神。名前は神だけど神じゃないよ」

 にはには笑う。守り人の足を奪った黒い帯が独神の足を捉えた。
 しかし帯はくるくると蛇のように這うだけで、足はちゃんと二本あった。

「効かないよ。瘴気には耐性があってね。この程度じゃあたしを追い払うことも殺すことも出来ない」

 頬をつるりと落ちる雫を拭うと手には赤黒い血が塗り広がった。

「ああ。これ? 物理攻撃は普通に効くよ。万能ってわけじゃない」

 さっきと同じ黒い帯が木々の間から飛んできたが独神は悠々と避けた。

「てなわけで、避けるだけの身体能力は自前で鍛えてんの」

 黒い帯が地面を叩く度に地面が割れ、木々を裂いた。
 目で捉えられる速さとはいえ、何本も飛んで来る帯を正確に避ける様子は舞のようである。

「ねえ。さっきから何も返事なし? 祟り神って口ないの?」

 禁足地と呼ばれる場所は人の胴体くらいの石が並べられ、境界線が判るようになっている。
 外から見ると木々が生えているだけで、森の続きにしか見えない。
 その木々の間から煤煙が溢れており、そこから黒い帯が伸びているのだ。
 黒煙は五十米以上広がっていたが、これは祟り神一人の仕業である。

「違うよね。”祟り神に口はある”」

 煙の中に一筋の切れ目が出来た。中には象牙色の歯が並び赤い舌が見えた。

「……ナゼハイッテクル」
「当然の疑問ね。うんうん」

 言霊によって作りだされた口から出てきた疑問に大きく頷いた。

「大昔の約束を覚えてる? ここに住む人とあんたが交わした不可侵の約定。あれ、やめたいんだってさ」

 煙の中に浮かんだ口が大きく歪み、歯を剥き出しにして唸った。
 独神は気にせず続ける。

「最近そこら中で界力が落ちてるのは知ってるよね? 山の麓も例外じゃない。今はもう生あるものが足を踏み入れることは出来なくなった。……だからもうここしかないんだってー」

 黒い帯を地面に叩きつけていくのを、まあまあと言って宥めた。

「身勝手だよね。判るよ。こりゃもう戦う他ない。でも平和的に出来るなら儲けもんだよね。それで独神であるこのあたしのとこに依頼が舞い込んで来たってわけ。うん。あたし便利屋なの」

 二枚貝が水を噴き出すように瘴気が噴き出され、辺りを黒煙で満たしていった。
 仁王立ちしていた独神も呑み込まれていく。

「こんなに瘴気出して正気? ……シャレじゃないよ」

 視界が塞がれた闇の中で木々が折れる音が左右から迫って来る。
 次は独神だと言いたげに。

「この瘴気で村のヤツら全員殺しちゃうって? ま、それも自由かな。あたしは人や妖の味方じゃないし」
「オマエハナンノタメニイル」

 独神はにやりと不敵に笑った。

「新人発掘。強そうなヤツ探して全国歩いてんの。祟り神なんて聞かされちゃ期待しちゃうでしょ」

 形のない黒煙が独神の首を掴んだ。

「がっ」

 喉が潰れる間に黒煙は切断された。

「主《あるじ》様」
「助かった」

 独神の傍には黒犬が刀を構えていた。

「やはり私の後ろにいるべきだったのだわ」

 憎々しげに黒煙を睨んだ。

「過信は禁物だよ。イヌガミの怨念より祟り神の方が上だろうからね」
「ナゼイル」

 瘴気とはこの世の病や災厄、恨み、妬み等の負の感情から生まれたもので、触れただけで病気を引き起こし、脳を破壊する事が出来る。
 例え同じ神であろうとも種類や位によってはその身を蝕み死に追いやる。人や妖では太刀打ちできない代物。
 しかし中には瘴気に耐性があるものがいる。
 イヌガミと呼ばれた妖は、恨みの念によって生かされる犬の妖怪であり、負の感情から産まれた生物。
 よって祟り神による瘴気を浴びることで身体の調子が上がる稀有な存在である。
 そういう者は総じて扱いづらく、誰かの下につく事が殆どないのだが、独神とは友好的関係が築かれていた。

「この子もうちで一緒に住んでる子の一人だよ」

 常識ではあり得ないことだった。
 恨みを体内に宿す生物と寝食を共にするなど、死に急ぐ者くらいである。
 祟り神も困惑しているのか、辺りに立ち込めていた瘴気が消えていった。

「とりあえず今日は帰るよ。驚かせて悪かったね。あたしの滞在中は村人たちはここにこないから安心したまえよ」

 何の細工も施さず、真っ直ぐ山を下りて行った独神と従者を、祟り神はじっと見つめていた。

 村に着くとイヌガミは独神と離れ、外れの小屋へと行った。
 従者が消えると村人たちが建物からぞろぞろと現れ独神を囲む。

「タタリガミ様はなんと! 儂らをいつ殺しに来ると!」

 恐怖に震える村人たちに独神は「いいや」と首を振った。

「今は困惑してるようですよ。殺すほど整理は出来ていないでしょう」
「良かった」

 口々に言う村人を、独神は真顔で見ていた。

「しかし大口を叩いた割りにはまだですかな。こっちは生活がかかっているんですがねえ」

 信心深くなさそうな大柄な若者は、自身より低い独神を見下ろして小馬鹿にした。

「タタリガミ様とやらが八百万界でも類を見ない強さと言う事ですよ」

 淡々と独神は返した。

「準備があるので失礼します。連れに餌と食事を与えたいのですが分けてもらっても宜しいですか?」

 村人たちは一斉に黙った。痩せた芋を二つ独神に嫌そうに渡す。
 礼を言って離れの小屋へ向かうと背中越しに、独神・狗神・穢れなどとの言葉が聞こえた。
 古びた小屋は元馬小屋で、ぺたんと座り込んだイヌガミと折れた柱を背にする男がいた。

「イヌガミお待たせ。餌だぞー」

 芋を振ると食いついてきた。ガツガツと生の芋を齧っている。

「ショウキにはご飯ね」

 渡されたものが生芋だと知ると、火をつけ欠けた鍋で湯を沸かしだした。
 芋を茹でながら独神に言った。

「主《ぬし》はどう見た? あの祟り神の力はおれ様もなかなか見ないくらい強いぜ。並大抵のやつなら祓えねーよ」
「私は死んでも勝つわ!! 主《あるじ》様の為! 主《あるじ》様の為!」
「喉つっかえるから黙って食えー」

 わんと返事をしてイヌガミは黙った。芋はとっくになくなっていた。

「祟り神の方は多分大丈夫。明らかに侵入者のあたしをすぐ殺さないから。問題はこっちじゃない?」

 外では村人がドンチャン騒ぎをしているのが聞こえる。
 内容は新しい地を手に入れた後の話だ。どこに何を置く、誰の家を建てる、畑はどうするなど。

「侵略者はどっちだ、ってね。それに加担するなんてあたし嫌だな」
「なら村人を殺しましょう? 最後の一人だけ助けると言えばたぁくさん殺し合うわよ」

 イヌガミは歯を見せて尻尾を振った。

「いいね。浮かれてる今、殺し合い吹っ掛けたらまあまあの怨念が集まりそうじゃん」
「主《ぬし》。おれ様の前で冗談でも止めろ」

 ショウキは邪気や病気を退治する神であり、人々を守る立場にある。

「する気ないって。ただ、なーんか気に食わないなあって……祟り神だって理不尽感じてるよ。味方もなしで」
「けど主《ぬし》は対話で譲歩し合うよりも、本殿に連れて行った方が良いって考えなんだろ」
「まあね。でもそれだって身勝手でしょ。祟り神にとって何が最善かなんてまだよく判んないし」
「じゃ、明日も話に行かねえとな」
「結局それだよね」

 日が落ちればすることはなく、独神はお腹を鳴らしながら横になった。
 イヌガミを抱き枕にして草の上を転がっているとすぐに寝息を立てた。

「やっぱ瘴気はここまで来れるんだな」

 ショウキは小屋の外にいた。
 足元には瘴気が伸びていたが独神と対峙した時よりも弱いものになっていた。

「無駄だぜ。おれ様はこの程度の邪気は払える。主《ぬし》に用があるならこっちだ。寝てる今なら近づけるんじゃねーの」

 黒い塊は無防備な独神に近づいていく。身体を這うが普通の生き物と違い何事も起こらない。穢れの塊であるイヌガミを抱き枕にしている事からも、一時的ではなく負のものに耐性があるのである。瘴気が首を狙うと、イヌガミがむくりと起き上がった。

「主《あるじ》様に手を出す不届き者は殺す」

 刀を持ちながらもイヌガミはしっしっと手で払った。

「明日行くと言われたのでしょう。なら大人しく待ってなさい」

 言われるままに瘴気は引いていき、山へと帰って行った。

「確かにな。力はあるはずだが理性が働いてる。それなら連れて帰れそうだ」

 祟り神の帰りを見送るとショウキも独神とイヌガミの傍に腰を下ろして眠りについた。

 次の日は三人で祟り神の土地手前まで行った。

「おっはよー祟り神! 今日も瘴気がきまってるね!」

 一見するとただの森。
 それが一歩踏み込むと昨日のような黒い帯が飛び出し独神の身体をかすめた。

「おっと。朝から困るなあ、朝ご飯出ちゃうじゃん。……まあ食べてないんだけど」

 後ろではイヌガミが鳥目掛けて飛び掛かったり、ショウキが火を起こしている。

「来て早々だけど勝手に朝ご飯食べてるね。……村って何も無いんだよ。いやあたしらにくれないだけか! ははっ!」
「余裕がないんだからしょうがねぇだろ」

 とショウキが言う。
 独神はよいこらしょと地べたに座る。

「今日はあたしのうちの話をしたいなって。あんたが住むかもしれない生活の場だもんそりゃ気になるでしょ。それに楽しいって判れば興味もわく。あそうだ。そこにいるのがイヌガミ。もうちょい遠くで待機してるのはショウキ。どっちも一緒に住んでるんだ。住むってあれだよ。小さい家じゃないからね。め~~~~っちゃでっかいお屋敷っていうか、神社っていうか……本丸っていうか……判んないけど広いよ。そこでね色んな英傑が住んでるの。八百万界の悪霊を全て葬る為にね」

 ダラダラと話した後、独神は一旦黙った。

「……口作ったよね? 質問してくれて良いんだけど。…………相槌ないとあたし喋り続けるよ。大丈夫?」
「引いてんだろ」

 ショウキの言葉に心外なという顔をした。

「けど、知らねぇもんに質問もへったくりもねえよな。おまえもまずは聞いてみろよ」

 森に向かって、つまりは祟り神に向かって言った。
 今日は敷地外に瘴気は漏れておらず静かだった。
 森で食料を捕らえる度に食べながら、独神は思いついたことを話していった。

「祟り神も悪霊の被害はあるでしょ。禁足地であるここも界力が弱まってて良くないしね。あんた自身も最近は身体や頭が思うように動かないとかない? ………………。うん、あるね。絶対ある。違いない」

 傍から見れば何の変哲もない森で語る変人であるが、当然続ける。

「うちは界力が満たされてるから良いぞ~。それにあたしが傍にいれば生命力だって常に得ることが出来る。ほれほれ」

 禁足地と畏れられる土地へ手を差し出すと、闇が独神を掴んだ。

「ふふ。じゃあ今日は出血大でご奉仕しちゃう」

 小刀で指の腹を斬った。
 傷口からぷくりと赤い液体が盛り上がって肌を伝っていく。
 瘴気は大きく揺らいだ。周囲の木々も葉をこすり合わせてどよめいている。

「独神は二つの血を混ぜ合わせて新たな命を産むことが出来るんだ。凄いでしょ」

 禁足地より手を引き抜き、傷口を指で圧迫していると後ろから来たショウキがさっさと治療した。

「あんたも例外じゃない。誰かの血と混ざり合って新たな命を結ぶの。興味ない?」

 先程とは異なり森は鎮まりかえった。反応はない。
 独神は話題を変えることにした。

「祟り神は恨みも嫉妬も怨念も全部食らった存在でしょ? そういうのって味するの?」

 うんともすんとも言わない。

「そうだ! ご飯持ってきてあげる。食べてみてよ」

 先程イヌガミが捕らえたキジを禁足地へ放り込むと一瞬で灰になった。

「早! まじか。普通に滅されてしまった。もうちょっとちゃんとお供えすべきだった?」
「私なら地面に落ちる前に一飲み出来るわ」
「わあ、すごーい」
「もうちょっと褒めてやれよ……」

 焼いたキジは受け取られないということを一同は理解した。
 どうでもいい情報である。

「ねえ、祟り神はさ、ここで暇じゃない? 取り決めのせいで動けないんでしょ。だから村人たちが約束を反故にするのって好都合だったりしない?」

 いやらしく笑いながらも独神の目は祟り神の反応を逃すまいと鋭かった。
 しかし反応はなし。
 その後も色々な話題を投げかけてみたが、祟り神からの反応はなかった。

「あー、暗くなってきたし今日は帰るわ。また明日ね」

 三人は普通に山を下り、途中で二人は村人に接触しないように小屋へ帰った。

「どうですか! タタリガミ様は」

 独神を村人たちが囲った。

「いーや。今日は反応薄かったですね。警戒してるんでしょうね」
「そうですか……」

 昨晩と同じく痩せた芋を二つ分けてもらって小屋に帰った。
 今日は山でたらふく食べているので夜食として芋は腹に入れた。

 今日も外では声が聞こえた。
 武器の準備は出来ているから早くいこう。
 もう田畑の準備が必要だ。早くいかないと。
 タタリガミなんて畏れてられるか。このままじゃ全員死ぬんだ。
 追い出そう。
 殺そう。

「主《あるじ》様。周囲の雑音が大きいので殺してあげましょうか?」
「いらん世話焼くな」
「はあい」

 独神の膝の上でイヌガミは喉を鳴らした。
 とろけた顔をするイヌガミとは違い、ショウキは苛立っていた。

「主《ぬし》。やばくねえか。おれ様たちが来た時よりももっと戦う気になってやがるぞ」
「だね。じゃあいっそ戦わせちゃう?」
「主《ぬし》!」
「判ってるけどさあ。こんなに殺意上げてたら祟り神の方も強くなってくるでしょ。今日は大人しくあたしの話聞いてくれたけど、明日は判んないよ。 マジで殺されそうだなあ。死ぬ気ないけど」

 やだやだと言いながら独神は数秒で寝た。

「大丈夫かよ……」

 明日が正念場であることを感じ取り、ショウキも独神やイヌガミと同じくしっかりと身体を休めた。
 次の日、村人たちは農具を持っていた。
 畑に向かわず、目は山を見ていた。

「行くよ」

 独神は話しかけてくる村人を無視して祟り神の元へと向かった。

「よ。祟り神」
「コロス」

 禁足地の外へと瘴気が溢れていた。
 昨日魚を取った川も、禁足地の境を示す花も黒く濁っていた。
 触れるとさらさらと粉になって飛んでいく。

「どうした。昨日とはずいぶん違うね」
「コロスコロスコロスコロス」

 独神を認識していないかのようだった。

「ショウキ、村人の安全確保を第一に」
「任せときな」
「イヌガミ、あたしの犬なら判ってるな」
「勿論!」

 独神は飛び出した。

「祟り神!」

 祟り神はただの黒い塊である。しかし見るだけで込み上げる不安や畏れ。
 ただの凡人ならば気が狂って自決や他者を殺して回るだろう。
 理性を根こそぎ奪った後に残るのは地獄絵図。

「あたしが持ってる恨みを食べさせてあげる。あたしの方が美味しいでしょ? 村人よりずっと」

 祟り神は恨みの発生源を食う習性がある。だったらそれ以上の怨みを出せば矛先が変わる。
 独神は内包する八百万界の民たちの恨み辛みを開放すると思惑通り瘴気に呑まれていった。

 祟り神が負の感情を喰らっているとその生き物の半生も目撃する。
 今食べている独神も同様だった。
 八百万界中の小さな苦しみ、憎しみが大きくなって救世主を産んだ。
 それが独神。
 姿かたちは違えど、己と同じ産まれ方をしていた。
 同族であることを知り、最後の心の壁が取り払われた。

「ほんとうに。いていいのか」
「そうだよ。そうしたら寂しくもないよ」
「さびしい。か。たたりのみでありながら」
「おかしくないでしょ。恨みと同じだけの悲しみが中にあるんだから」

 手を差し伸べた。

「あたしのとこにおいで」

 独神は領界を示す石を蹴飛ばした。
 黒い塊は人型へと収束し、肌色の皮膚を纏うと、誰が見ても人間にしか見えなくなった。

「理解が早くて助かる」

 独神は自身が使っていた外套で全裸の神を隠した。

「とりあえずそれで凌いで。早めに調達しよう」

 祟り神は頷いた。

「さっさと撤収するぞ……と言いたいんだけど、後処理があったな。祟り神をショウキ……よりイヌガミの方が良いか」

 不満そうにするイヌガミ。

「祓うヤツが傍にいたら祟り神だって落ち着かないだろ。似た性質のイヌガミだから頼めるんだ」
「はい、主《あるじ》様!」

 忠犬の頭を撫でつけ、独神とショウキは後処理の為に村へ向かう。
 山中で村人たちと鉢合わせた。

「いったいこれはなんだ!! 山が死んでいる! お前たちが余計な事をしたんだろう!!」

 独神たちが失敗したとみるや怒号を放った。

「依頼は完遂しました。彼はあたしたちが連れて行きます」
「そんなことはどうでもいい!! 本来ならばあのまま木を売って多少凌げたんだ。なのにこれじゃ売り物にならない」

 村人が木を蹴ると砂になって崩れていった。

「タタリ神様を使って村を潰そうとしたんだろう!」
「いいえ。祟り神の力が増幅したのはあたしたちが原因ではありません」
「抜け抜けと! こいつらを帰すな!」

 独神とショウキを村人が囲う。
 ショウキは独神を庇うように前に出た。

「主《ぬし》。絶対おれ様から離れんなよ。いくらでも盾にしろ」

 弓を引いていた。本意ではないが止むを得ない。

「おやめください」

 一触即発の場で声を上げたのは守り人だった。

「タタリ神様がこの地を粛正なされたのは、私たちの怒りや焦りです。負の感情が祟り神の力を増幅させ、結果瘴気により森が死滅したのです」

 守り人の言葉を村人たちは耳を傾けていた。

「貧して苦しむほど、理不尽な怒りに燃えるほどタタリ神様は大きくなります。私たちではタタリ神様を制御することはできません。いずれ私たちは呑み込まれるでしょう。だから独神様、どうかタタリ神様をお願い致します」

 ショウキの後ろから出てきた独神は、頭を下げる守り人の前に立った。

「ええ。祟り神はあたしが責任をもって引き受けます。この地に来ることも二度とないでしょう。ご安心ください」

 村人たちが収まるわけではなかったが、守り人に全て任せ。二人は渦中の祟り神とイヌガミの所へ戻ってきた。
 二人は不動の姿のままで待っていた。

「主《あるじ》様!」

 尻尾を振るイヌガミ。

「ただいま。片付けたから帰ろう。祟り神も」

 村人とは会わないよう迂回して歩いていく。

「あんたほんっっとに大人しくしてたんだな。祟り神なのに」

 祟り神が恐れられるのは大地を穢し、命を蝕むからだ。
 しかしこの祟り神、領地外へは決して出ることなく大人しくしていた。

「あの場所は、雪解け水が上から流れてくる。栄養豊富な水が木々を育て、動物たちが育まれていく」

 独神は理解を示した。他の神と同じく、生き物の営みを楽しむ心があったのだと。

「居心地が良かったわけね。守り人もちゃんと仕事してたってことだ」

 一方苦々しい顔を浮かべたショウキ。

「足を戻してやれなかった……」
「この規模の神の契約破棄による罰しちゃ破格の軽さだよ」

 真実である。今回の祟り神は力に似合わず大人しい性格だったので判り辛いが、本来ならば一族全てが不幸に見舞われ、一家は断絶するものだ。
 しかしそれを知っていてもショウキだけが悔しそうにしているので、独神は柔らかな声色で言った。

「ショウキは優しいね。一緒にいるとまともな感覚を教えられるよ」

 揶揄するのではなく、心から言っているようにショウキは受け取った。
 一抹の寂しさを察した。

「主《ぬし》だってなんだかんだ言いながらも村のヤツら守ろうとしてたじゃねえか」
「指示しただけね」

 ふふっと笑った。
 その日の宿、独神は祟り神に共に生きる為の約束事を確認した。

「服はとりあえず手に入って良かったな。言葉がたどたどしいのも問題ない。話してりゃ慣れる。だから出来るだけ話していった方がいい。隠すだけ怪しまれる」
「判った」
「あとは祟り神として生きるか。適当な神に擬態するか。……一応だけど本殿は人や妖もいて、神も普通のが圧倒的に多いかな」

 祟り神は神の中でもあまり好かれたものではない。
 意思疎通が出来ないことも多いからだ。

「……普通の神でいる。その方が受け入れられるだろう」

 独神は頷く。

「じゃあ武器どうする? 言わなかったけど悪霊退治集団だからさ、身を守るためにも武器持っててね。祟り神バレしたくないなら絶対持ってるべき」
「刀」

 即答だった。

「あっそう。なんで?」
「敵を斬る為の道具だから」
「確かに。剣が神器を担うから、刀は武具としての方が色濃いもんね」
「あと、……刀に斬られた」

 比重が高いのはこちらのようだった。

「あの時イヌガミに斬られたのそんなに悔しかったんだ」

 ははっと笑うと祟り神はむすりと睨む。

「いやいや。感情豊かで安心した。あとは名前があれば完璧。……んー、ヤトでどう?」
「や、と?」
「夜と刀を合わせてヤト」

 独神は満足げに言った。

「最初に会った時、瘴気に呑まれたのが夜みたいだったから。そして今刀選んだでしょ。だからそれをくっつけただけ」

 黙っていると独神が顔を歪めた。

「嫌なら自分で考えなよ。なりたいもの。擬態に相応しい名前をさ」
「それでいい。その名をもらうぞ」

 こうして、祟り神と恐れられていた神はヤトと名を変え、英傑達の中で生活する事になった。
 夜とは名ばかりの、明るい英傑になった。
 弟みたいで可愛い。母性本能くすぐられる。と評判である。

「疲れました」

 にこにこと笑顔を振りまいてばかりのヤトが、独神しかいない執務室で大きな溜息をついた。

「弟系英傑で大人気のヤトさん、顔、崩れてまっせ」
「崩れる時もありますよ……」
「でもさ、あんた評判良いよ。明るくてとっつきやすくて可愛いって。あんたの理想通りじゃない」
「主《ぬし》サマは、私の事を可愛いって思ってくれますか?」
「うん。良いんじゃない?」
「もっと喜んでくれなきゃ意味ないんですよ」
「なに」
「なんでもないです」

 むすりとすると、身体が少しずつ失われていく。

「……少しだけ。自分に戻ろうと思います」

 人の形を失っていき、ヤトは本来の祟り神へと戻った。

「独りで行く? 私も付いていこうか?」
「一人で大丈夫ですよ。丸一日経ったら帰ってきますね!」
「判った。じゃあ、いってらっしゃい」
「イッテキマス」





(2022/11/26)