あわよくば、


「……テンドウジ様! シュテンドウジ様!」
「……あ? なんだよ」
「だから、クマドウジの実験で今晩の酒がお釈迦になったって。さっきから言ってるだろ」
「はぁ!? なんでだよ!?」
かしらが持ってきた、絶対に開かない小箱を開けるのに爆弾の火力マシマシにしたって言ってたな」

 シュテンドウジは顔をしかめて拳を握った。

「………………じゃ……しょうがねェ、……な…………」

 振り上げた拳がゆっくりと下がっていく。
 イバラキドウジが口にした「かしら」という人物は、外界からの侵略者と戦う英傑集団の指揮官「独神」である。
 指揮官といっても、戦略や戦術に疎く、腕っぷしも強くない、見た目も中身もただの村娘だ。
 唯一無二の秘術「一血卍傑」の使い手というだけで、兵たちを従えてきた。

 大江山を根城にするシュテンドウジと対峙すれば、一秒も経たぬ間に決着がつくだろう。
 もちろん、負けるのは独神だ。
 明確に力の差があるも、シュテンドウジは独神に頭が上がらなかった。

「……」
「んだよ。言いたいことあるなら言え」
「シュテンドウジ様って、スゲーよな!
 弱いかしらに合わせて従ってやることも出来るんだから。力だけっていう奴は判ってないぜ」

 親分の良さを噛み締めるのを、シュテンドウジは「そうだな」とそっけなく返した。
 自称シュテンドウジの一の子分は、正確に親分の心を理解していなかった。

(おれに言ってくれりゃ、箱の一つや五つ壊してやるってのに)

 シュテンドウジは独神が好きだった。
 頼ってもらいたくて無駄に会いに行くくらいには好きだった。

 京で有名な鬼であるシュテンドウジは今まで自分勝手に暮らして、暴れ回っていたが、周囲に敵なしとなってからはどこか物足りない日々を過ごしていた。
 そんな時、食えば強くなれるという独神の噂を聞きつけると実際にオノゴロ島を訪れ、話の流れで他の八傑を探しにいく旅に付き添った。
 最初は子分にはいない性格が気に入ってついて行っただけであったが、最終的にはベリアルとの戦いにも参加した。
 タケミカヅチを産み、力の大半を失ってからも独神についてまわり、気づけば独神のことを好きになっていた。
 長い間じっくり育てた感情は、災厄とも称された鬼の性分を瓦解させ、男の牙はすっかり抜かれてしまった。

「酒の用意は任せた」
「判った。シュテンドウジ様は?」
「野暮用」

 本殿の長い廊下を歩いて行くと、丁度中央辺りに位置する大広間に辿り着く。
 二つ並べた書机の左右の脇には大量の紙が山積みになっていて、今にも人を喰らおうとしているように見える。
 その中央にいる長い髪を一つにまとめた、特別美人でない女性が秘技の使い手である独神であり、シュテンドウジを手のひらで転がす”そのひと”である。

「おまえ、お伽番の代わり探してるらしいじゃねェか」
「そうなの。そろそろ戦ってないとなまるって言われてね」
「おれがやってやるよ」

 雑談をしていた周囲が一気にシュテンドウジに注目した。

「いやいや、出来んのか?」
「おまえらが出来るなら出来るだろ」

 それぞれが顔を見合わせ、噴き出す者もいれば、難色を示す者もいた。

「酒飲んで寝るだけならいらねぇんだぞ」
「酒飲んでもやることやりゃ問題ねェだろ」
「飲まないって選択肢はないのかよ! で、主。どうすんだ?」

 振られた独神はきょとんとした顔でシュテンドウジを見た。
 感情のよく判らない目に向かって必死に念を送り続けると、祈りが通じたのかくすりと笑った。

「じゃあ少ししてみる? 想像と違ったなら誰かに変わってもらえばいいよ」
「おい主」
「やろうって思ってくれてありがとう。助かるよ」

 にこりと微笑むと、シュテンドウジは勝ち誇った笑みで周囲を見渡した。

「まあ、主が良いんなら……」

 ばつが悪そうに部屋にいた者は次々と退散したが、一方のシュテンドウジの方はやる気に満ちていた。

「よろしくね」
「おれの実力見せてやるぜ」

 宣言通り、シュテンドウジの働きで周囲が心配するようなことはなかった。
 集団討伐には何度も遅刻するくせ、お伽番になってからの遅刻は一度もない。
 どこへ行け誰に言えとの雑務も嫌がらず、サボろうとする相手にも熱心に(意味深)説得した。
 謁見に来た不届きものを捻るのはお手のもの。
 そして主である独神と衝突することもなかった。

 シュテンドウジは、気分のままに飲酒と破壊を楽しむ享楽的な面が目立つが、実のところ面倒見の良い兄貴分でもある。
 好き勝手する子分たちの言い分にも耳を傾け、声にならない声もよく聞いた。
 その隠れた特性がお伽番ではいかんなく発揮された。

「おまえ、熱あんだろ」

 朝から気怠げにしていることに気づいていたが、広く知られたくないだろうと配慮し、二人きりになってから言った。

「大丈夫。こんなの平熱だから」

 誰も聞いていない所であっても独神はきっぱりと否定した。
 その割にはシュテンドウジから遠ざかろうとするので、容赦なく捕まえた。

「思ったより熱ぃな。働いてる場合じゃねェだろ」
「夜まで頑張ったら寝られるから。あと半日だけ」
「馬車馬でももっと休むぞ」

 有無を言わせず独神の身体を横抱きにした。
 嫌がる独神であったが、暴れればシュテンドウジに迷惑がかかることを理解していたのか、抵抗は少なかった。
 丁度部屋に入ってきた英傑はその光景を見てぎょっとした。
 不届き者をきっと睨みつけ、武器を手にしようとするところ、

かしらが調子悪ィんだよ。用があんなら後で聞いてやるからちょっと待ってろ」

 真に迫った言い方に、英傑も武器を収めて見送った。
 独神の部屋にあがったシュテンドウジは一旦独神を下ろし、押し入れに仕舞われた布団を引っ張り出した。
 皺を整え、枕を用意して、独神を寝かせてやった。

「いいか。おれが来るまで出るんじゃねェぞ」

 こくんと頷くのを待って、シュテンドウジはお伽番として独神の代役を務めた。

「なんでオマエの言うことなんか聞かなきゃなんねーんだよ」
「文句はそっくりかしらに報告してやるよ。休んでる間に我儘言ってくるクソダセェヤツがいるって」
「はあ!? オレは主を困らせる気なんて全然ねぇっつの!!」

 シュテンドウジは人の上に立つことに慣れていたが、シュテンドウジに憧れて仲間になった鬼と、様々な理由から独神に従う英傑では勝手が大きく異なる。
 シュテンドウジ個人を気に入らない者もいれば、クセが強く従えるにはコツを必要とする者もいる。
 流血を伴った話し合いを繰り返しながらも、代役の仕事をこなしていく。

(くっそダリィ。面倒なヤツしかいねぇのかここ。かしらはよくやってんな)

 一方協力的な者もいた。

あるじさまはどう? 体調悪いんだよね。でももし食べられそうなら一口でも食べた方が良いと思うの」

 ウカノミタマに言われ、仕事以外にも独神自身の世話もしなければならないことを思い出す。

「そうだな。代わりに見てやってくんねェか?」
「お世話は任せて!」
「いや飯のことだけでいいぞ」
「気を遣わなくても大丈夫。わたし、お世話は得意だから」

 英傑の食事を担当するウカノミタマは、陰で母親のように慕われるほどのお世話力がある。
 シュテンドウジよりも当然秀でているし、独神からの信頼も厚い。
 任せない理由が、言い訳が見つからなかった。

「そうだな。んじゃ、頼んだぜ」
「了解!」

 大きな尻尾を左右に揺らすウカノミタマを、シュテンドウジは眩しそうに目を細めた。

(おれもあれだけ出来りゃいいんだけどな)

 シュテンドウジは所詮力自慢の鬼である。
 子分たちの前では兄のように振る舞うことはあるが、基本的には自分第一で好き放題暴れまわっていた。
 誰かを想い世話をする技術は殆ど磨かれていない。
 本殿に来て、ようやく他人への思いやりを持った程度のものだ。

 何百年も民に実りを与え、見守ってきた神とは年季が違う。
 それは、認めなくてはならない。

(ま、今だってやってる方だろ。鬼の頭目がこんな下男みてェなこと)

 お伽番に任命されてからやったことと言えば。
 定期的に独神に茶を淹れ、中身がなくなればすぐに用意した。
 身を捩る動きが増えれば、進んで肩を揉んでやった。
 表情は殆ど変わらないが、落ち込んでいそうな時には慰めの言葉をかけた。
 独神が気を揉むことのないよう、秘密裏に話をつけることもした。
 それらは不思議と嫌ではなかった。

(今日の仕事は全部出来るヤツに振っちまって時間空いたし酒でも飲むか)

 そこで思い出したが、まだ今日は一滴も酒を飲んでいなかった。
 京中の酒屋を壊滅させ、酒蔵を脅して酒を作らせていたシュテンドウジが、である。

(こりゃ重症だな)

 ひっひっひっと笑いが漏れ、すれ違った英傑には「気持ち悪」と呟かれた。
 結局仕事終わりまで酒は口にしなかった。
 イバラキドウジや大江山四天王に命令すれば酒はいくらでも持ってこさせられたが、そこまでする気にはならなかった。
 根底には、独神に何かあったら自分が動かねばという使命感が付きまとっていて抑制できたのだろう。
 禁酒には過去何度も苦しんだが、今日は苦しいとは思わなかった。

 英傑たちが夕食をとり始める頃、シュテンドウジはようやく独神の顔を見に行った。
 ウカノミタマからは寝て過ごしていたら元気になったと報告を受けているのもあり、それほど心配はしていない。

かしら。調子どうだぁ」

 襖越しに声をかけるが返事がない。

「寝てんのか」

 息を殺し、襖を開いてそっと蒲団をめくってみると、独神と目が合った。

「おい、どうしたんだよ! 喋れねェくらい重症なのか!?」

 慌てふためくと、驚いた顔をした独神が弁明した。

「全然。そんなに酷くないよ。ご飯もさっき食べたところ」
「んだよ。……驚かせんなって」

 ずるずると座り込んだ。心配で肝を潰した。
 シュテンドウジよりも小柄で脆い印象が強いため、小動物との認識なのだ。
 元気だと思ったら急速に体調が悪化し、そのまま帰らぬ人になるのでは……。と本気で思っている。

「……ごめん。私の代わりで忙しかったよね」
「大したこたねェよ」

 大変だった。
 大昔四国の狸と大戦をしたことがあるが、その時よりも苦労した。
 褒美があっても良いくらいだ。

「けど、礼がしたいって言うなら受け取ってやるぜ?」

 調子に乗って尋ねてみた。
 嫌だと言われるならそれで良い。
 駄目で元々だ。

「え」

 独神はふいを突かれたように小さく声を漏らした。
 これは駄目だろう。

「……買い物。元々次の休みに行くつもりだったんだけど、その時にお酒でも奢ろうか?」
「決まりだな」

 運良く予定を取り付けることが出来た。
 少ない独神の休みに自分の予定を滑りこませたのは控えめに言って歓喜である。
 約束の日まで、シュテンドウジはお伽番の仕事に従事し、合間に独神を眺めては顔をほころばせる日々を過ごした。

「最近鬼ヤロウ気持ち悪くねぇか?」

 同じ八傑であり、喧嘩仲間のスサノヲが周囲に零す。
 周囲は「そうかなあ」「興味ねぇ」「お伽番になった奴らっていつもああじゃん」などと言って、あまり注目されていなかった。
 そんな様子だったので、シュテンドウジはあからさまな自身の変化には気づいていなかった。




「シュテン。待たせてごめん」

 当日は快晴で、逢引き日和だった。
 これも自身の行いが良かったからだとシュテンドウジは信じて疑わない。
 訪問着の淡い水色の着物を着た独神は涼し気で、いつもとは違う独神を独占出来る自分は八百万界一の幸せ者だと本気で思った。
 シュテンドウジの頭はおめでたく、救いようがなかった。

「来たばっかだっての」

 遅刻魔の自分が半刻前から待っていたとは思わないだろう。
 そういうダサさは知られたくない。
 二人で歩くと瞬く間に日が傾いていき、店舗では次々と明かりが灯されていく。
 独神の行きつけという小料理屋は、格式ばらない安価な店であったが、客層が町民にしては上品で店は穏やかな時間が流れていた。
 酒の飲み方が汚いシュテンドウジが足を運ばないような所だ。

「明日人と会う用事があるからあまり飲めないけど」

 そう言って、地元の清酒を頼んだ。
 独神の酒の好みは知っている。
 香りが高いものを好むので大吟醸をよく口にする。
 香り高くとも古酒のように味が濃いものは儀式くらいでしか呑まない。
 一方シュテンドウジは酒とつくならなんでも歓迎の節操なしの酒豪である。
 しかし今日は独神と二人でいるのだ。
 酒は少ししか呑まないつもりだ。
 そうだ。呑むべき時ではない。
 例え最近のお伽番で飲酒の量が通常の半分以下で欲求不満だろうとここは耐えるべきだ。

「……凄いね。シュテンドウジって」

 三杯呑んだあたりで歯止めが効かなくなったシュテンドウジは店の酒を飲み干す勢いで呑んだ。
 愉快そうに酒を呑んでいくシュテンドウジを、独神は肘をついて見ていた。

「独神様、事前にお聞きしていましたが、お連れ様は随分お飲みになるんですね」

 空いた杯を回収していく店員がシュテンドウジの飲みっぷりをしげしげと眺めていた。

「彼はこれが通常運転ですので。ご迷惑な時はおっしゃって下さい」
「いいえ。お話は聞いておりましたので、端の席をご用意させて頂きましたし、事前に頂いた代金でお酒も多く仕入れております。
 ですので、ゆっくりしていって下さいね」

 独神は酒に溺れる鬼を見ながら、女将が得意とする大根の煮物をちびちびと口に入れた。
 シュテンドウジは独神が用意していた樽酒をしっかりと飲み干し、店の酒に手を付けようとする頃に落ち着いてきた。

(やべっ。呑み過ぎちまった! かしらは!?)

 愛しの彼女は組んだ両手に額を乗せて俯いていた。
 独神そっちのけで呑んだシュテンドウジに呆れながらも置いて帰れなかったのだろう。
 暇すぎて寝ているのかもしれない。

「……おーい。かしら……流石に寝ちまった、よな?」

 返答がない。
 となると、ここの会計はシュテンドウジが立て替えなければならないが、酒の残骸を見るに所持金では圧倒的に足りない。
 このままでは、天下の独神に無銭飲食させてしまうことになる。
 状況を打破する為にも独神を起こすしかなく、無理やり顔を覗き込んだ。
 幸い独神は目を開いていたが、焦点が合わずにぼんやりとしていた。
 本殿の時とは違う無防備な姿に思わず、胸が高鳴った。
 半開きの唇が目につく。
 果実のような赤々としたものから目を離せずにいると、それが近づいてきてシュテンドウジに触れた。
 目を見開くシュテンドウジの前で、独神は席を立った。

「……遅いから帰ろっか」
「…………おう」
「お金はもう払ってるから安心して」

 帰り道、独神の足取りはしっかりとしていた。
 シュテンドウジには判らないが、多分自分を眺めているだけで過ごしたのだろう。
 弁明の余地がないので肩身が狭く、背中が自然と丸くなった。
 二人という好機も一切生かさず欲のままに呑み散らかしてしまったことに後悔しかない。
 と言いたい所だが。

「大丈夫? 結構飲んでたけど」
「大丈夫に決まってんだろ」

 反省することは山ほどあったが、それを上回る重大なことが起こってしまって、今はそれで頭がいっぱいである。

「部屋向こうでしょ。間違ってるよ」
「間違ってねェよ。送ってくんだから」

 野暮なことを言った自覚があったのか、独神は静かになった。
 周囲は暗く、誰かに目撃されずに送り届けることが出来た。

「おやすみ」
「余計な仕事せず早く寝ろよ」
「あはは、バレたか」
「マジだったのかよ」
「いや、今日は寝るよ」

 じゃあね、と手を振った独神は部屋へ吸い込まれていった。
 振り返ってくれなかったことに、じわじわと蝕まれながら自分も部屋に帰った。

(つか、あれはどういうことだよ!!!)

 あの時、口付けられたことは夢だったのだろうか。
 しかも自分が奪われる側である。それとも、自分が奪ったのだろうか。
 記憶がはっきりしないのは、現実味が感じられないからだ。
 清酒の甘やかな香りと独神の匂いが重なる。
 触れるだけの幻のような口付けを何度も思い出し、熱い血潮が身体中を駆け回る。

(けどあれだけの量でか。だとしたら、かしらはもう何度も他のヤツとやってんじゃねェの)

 独神が酒に弱いとは聞いたことがない。
 大宴会でもっと呑む時でも、普段より陽気になるだけで理性を失うことはなかった。
 制限しながら呑んだ今日は。どうだったのか。
 遊ばれただけだという疑念が生じて手放しに喜べなくなってしまった。
 だったらいっそ、ぼんやりとせずに接吻し返していれば、他の者より優位に立てたかもしれない。
 考えたところでもう遅い。
 悶々としたまま夜を過ごさなければならない。

 次の日、引き続きお伽番の仕事に従事しようと部屋へ行くと、悪霊討伐に来てくれないかと打診を受けた。

「あー……いいぜ。かしら、良いよなァ?」
「うん。こっちは大丈夫だから心配いらないよ」

 独神を見ずに済むので好都合である。
 数日ぶりの現場仕事であったが、爽快感溢れる素晴らしいものであった。

「シュテンドウジ調子良いじゃん」
「だろ? 逃げたヤツも残らずブッ潰すぞ」

 悪霊の鎧を拳が砕いていく。
 一体。
 次の一体。
 背を向けて撤退する二体を。
 決死の覚悟で飛び掛かって来る一体を真正面から殴り倒す。
 消失前の悲鳴じみた声が何重奏にもなってただただ気分が良かった。
 自分が通った後には返り血も鎧の残骸も何もなく、砂地の道が一本あるだけ。

「あー、すっきりしたぜ」

 鬱憤は存分に振るった暴力で全て発散した。
 討伐終わりに呑む酒も旨くていうことがない。

「こんなにすげーならお伽番じゃなくてこっちやってくれよ」
「悪ィな。一応おれ、かしらに頼られてるからよ」

 帰ったら、もしかすると独神に褒められるかもしれない。
 淡い期待を胸に「帰ったぞ」と声をかけると、独神のそばには別の英傑がいた。
 ミチザネだ。

「解雇だ。今後は俺がやる。お前は討伐に向かえ」
「どういうことだよ」
「適材適所だ。お前もその力を腐らせるより外で振るう方が有益だろう」
かしらはどう思ってんだよ」

 いくら秀才であろうと、ここでの決定権は独神にある。
 シュテンドウジは独神の言葉を待った。

「シュテンには助けてもらったよ。でも強いから私の傍より討伐の方が良いかなって」

 独神は自分を必要としなかった。
 当然だと言わんばかりにふんぞり返るミチザネを殴る気も起きない。
 努めて明るく言った。

「だろ? おれも悪霊どもをブチ壊してる方が性に合ってるって思ってたとこだ」
「だよね。じゃあ今日はもう大丈夫だから。今までありがと」

 あっさりと変えられてしまった。
 信じられない。
 大きな失態はなかったはずだ。
 独神に嫌がられることもしていない。
 仕事ぶりに関しては、ミチザネよりは能力が低いにしても十分やっていたと胸を張って言える。

(クソッ、どういうことだよ!)

 お伽番でなくなった途端、独神とは会わなくなった。
 遠目で見ることばかりで、呼ばれずとも行く時もあるが、そこはかとなく距離を感じた。
 側近の役割を失うと、こんなにも遠いものだったか。
 寧ろ今までが幸運だったのだ。
 そう思い込むようにし、シュテンドウジは再び八傑として本殿で気ままに過ごした。
 悪霊討伐と飲酒と昼寝と子分の相手を繰り返す日々は充実していて、独神の穴は九割ほど塞がった。
 持つべきものは酒と子分である。
 今夜もまた、子分と酒好きの英傑らと一緒に酒を飲み、酒に溺れ、大声で叫び散らして、楽しいったらありゃしない。
 用を足しに部屋を出て廊下を歩いていると、向こうから独神が歩いてきた。

「何やってんだよ」

 何気なく言えて一安心した。

「散歩。シュテンは?」
「見りゃ判んだろ」
「そうだね。私の部屋まで盛り上がってる声聞こえてたよ」

 にこりといつも通りの笑顔を浮かべた。
 夜に二人になるのはあの時以来だ。

「なあ。最近はなんか困ってねェか? 人手が足りねェってんなら、もう少しやってやってもいいぜ」
「十分だよ。今日だって沢山倒してるでしょ。お礼の言葉もよく聞いてるよ。
 良い鬼もいるんですねって。そうですよっていつも返してる」
「良い鬼ねェ……」

 じりじりと近づくと、簡単に独神を壁際に追い詰めることが出来た。
 不思議そうな顔が猛烈に苛立つ。

「……いつかのこと覚えてるか。……って、おまえにはどうでもいいことだったか」

 あの日から囚われ続けた唇に今度は自分から口付けた。
 そう簡単には離さない。
 深く深く。
 闇の中を掘り進むように、吸い上げていた。
 息をつこうとした隙に舌を差し入れて、逃げる舌を追い組み敷いた。
 合わせた唇から二人の唾液が漏れていく。
 顔を真っ赤にし息苦しさに喘ぐ独神のため、名残惜しくも唇を離す。
 げほげほと咳き込む独神を可哀想と思いながらも言い放つ。

「声出すんじゃねェぞ。今の姿を誰かに見られたくなきゃな」

 息が整う前にもう一度接吻をする。
 角度を変えて吸い、独神が押して逃げようとしても不動を貫く。
 息遣いが荒くなってぐったりする独神の股に足を差し入れて支えた。
 爪先で廊下を引っ掻きながら、よたよたと平衡を保っている。

「良い鬼なわけがねェんだよ。そう見えんのはおれを都合のいいヤツと思ってるからだ」

 肩で息をする独神はこんな屈辱的な目に遭いながらも、怒りもせず、泣き出すこともしない。
 八つ当たりに巻き込まれただけの不幸な主。
 さっきまで怒っていたシュテンドウジであったが、黙ってされるがままになる独神の姿に気が削がれていく

「…………かしらはおれが邪魔だったか?」

 心の奥底にあった不安を吐露した。
 弱味を見せるのはダサかったが聞かずにはいられなかった。

「シュテンこそ。どうして突然私に近づくの。お伽番なんて忙しいだけで面白みなんてないはずだよ!」

 京最強の鬼に迫られながらも、独神はきっと睨んだ。

「でもおまえのことずっと見られるじゃねェか」

 冗談の皮を被せそこねた本音は独神を固まらせた。

「変なこと言わないでよ……」

 落ち着きなく目線を泳がせている。
 もしかすると脈があったのだろうかと、一瞬気分が昂ったが、泣きそうに顔を歪めていく様に罪悪感が湧いた。

「なんか。その……悪かったな……」

 足を引き抜くと崩れていく身体を優しく抱き止めた。
 口をきゅっと結ぶ独神に謝罪代わりに口付けた。
 これを口実にすれば、殴る為の正当な理由になる。
 けれど独神はちゅっと受け入れるだけだった。
 自分に都合よく動いてくれる独神に悲しくも込み上げてくるのは我が物にしたいという情欲。

「おまえの部屋行っていいか?」

 うんと頷く独神と、そっと部屋へ向かった。

かしら!」

 シュテンドウジは両手を畳につけて、頭を擦り付けた。

「全部おれが悪かった」
「そんなことないよ。交代の仕方が悪かったよね。不安にさせてごめん」
「でもよ、文句あってもフツー、仕える主は襲わねェだろ」
「絶対しないね」

 苦笑いで済むあたりが独神の広大な許容範囲を表している。

「おれだって何百もの舎弟がいんだ。かしらの立場は判ってるってのに、ついカッときちまって」

 許されてしまうから、独神を前にすると言わずにしまっておくべき言葉まで滑り落ちてしまうのだ。

「……捨てようとすんなよ。あ、焦っちまうだろ」

 短い沈黙の後に、「ごめんね」と独神は頭を下げた。

「寂しがり屋さんなんだもんね」
「あ?」
「何でもない」

 言葉にされると情けなさが倍増するので勘弁して欲しかった。
 けれど、独神相手なら良いかと気を改め、不機嫌な振りをして独神の後ろから抱きついた

「判ってんならちゃんと構えよ……」

 こんなところ、他人に見られたら大事である。
 鬼の憧れを一身に集めるシュテンドウジが死んでも言わない言葉だ。

「……ん」

 独神は自分を抱くシュテンドウジの腕を一旦外させ、向き合う形をとった。
 自身の膝を叩いて、シュテンドウジの頭を置かせて撫でた。
 指先は髪を梳き、頬に流れる。
 手入れの行き届いた指先が規則正しく肌に触れるのが心地良い。
 こういう時の独神は絶対にシュテンドウジを傷つけない。
 それが判っているからいくらでも無防備になれる。
 目を閉じて堪能していたが、少し顔が見たくなって見上げると、山形の胸の間から柔和な笑みが覗いた。
 先日のことが思い出されて穏やかな気持ちに波紋が広がる。
 甘やかしてくれる指を握って口付けた。

かしら……やっても良いんだよな?」
「え」

 眉をひそめた様子を見るにどうやら寝耳に水らしい。
 シュテンドウジも同じく「え」と返した。

「いやいや。え。じゃねェって。部屋入れたのはそういうことだろ」
「え。いやあのままだと人に見られるからと良くないと思って」
「マジかよ……」

 思わせぶりが腹立たしいが、好きな相手なので殴って解決とはいかない。
 さっきの膝枕の分もあって、対応は甘くなっていまいがちだ。

「……ちょっと待ってろ。今萎えること考えるから」

 まずは物理的に距離をとり、悪霊を嬲ったことを思い出したり、大江山の鬼たちを思い浮かべたり、鬼子と言われて捨てられたことを思い出したりしてみるのだが、途中から独神の顔が出てきて邪魔をする。

「……かしら。気分下がること言ってくんねェか?」
「なら処理しましょうか?」

 さらっととんでもないことを言うので、うっかり我流連撃が出そうになったが寸止めに成功した。

「馬鹿!! 興奮させてどうすんだよ」
「私の責任なんでしょう?」
「……そういうのじゃねェんだよ」

 やってくれるのは嬉しい限りだが、そうも投げやりでは出した後の後悔は凄まじいものになる。

「性欲以外でおれを抱けると思うなよ!!」

 部屋を飛び出した。
 最初からこうすれば良かったと、夜風に当たっているうちに気づいた。

 独神はそういうことと無縁だと思っていた。
 あっさりと「処理」などと口に出来るということは、もう何度か経験があるのか。
 独神にとっては、どうでもいいことなのか。
 知れば知るほど、独神の事が判らなくなる。
 二人きりでない時の独神は相変わらず「聖人様」としての振る舞いが完璧で、自分が見てきたものの差に少し落ち込んだ。

「シュテンドウジが鍛錬してるぞ~」
「うっせェ! ブッ飛ばすぞ!」

 身体を動かしていないと答えのないことを何度も考えてしまう。
 本殿で独神を見かける度に目で追う自分がいる。
 他の英傑が独神に近づくと嫉妬するのは、疑惑はあれどまだ心が持っていかれたままなのだろう。

「そういや最近シュテンドウジ様から女さらってこいって言われないな」

 子分その壱のイバラキドウジのいつも通りの振る舞いのお陰で、普段はシュテンドウジとして変わらずいられた。

「今は酒が恋人なんだよ」
「今はっていうかいつもだよな」
「いつも以上にってことだろうが!」
「そんなシュテンドウジ様に、珍しい酒用意してるから今夜楽しみにしてくれよな」
「さっすがおれの子分だぜ!」
「だろ」

 酒には好きなだけ溺れるが、女遊びは止めた。
 無論独神からの評価を下げない為だ。
 討伐にも以前より積極的に参加した。
 健全な上司部下の関係を保ちながら、少しでも認められるよう努力をした。
 そうやって地道に実績を積み上げていった。
 独神に良く思われたい他の英傑たちと大差ない草の根運動を続け、好機をじっと待った。




「うぜえぇ! クソが!」

 所構わずシュテンドウジは吠えまくった。
 今回の討伐で下等な悪霊に背中をとられて負傷したのだ。
 なんてことない雑魚であったのに、指揮官が良く、格上のシュテンドウジに攻撃を当たった。
 シュテンドウジは怒りに打ち震え、背中の痛みがそれを助長した。

かしらに無能扱いされたらどうすんだよ!)

 同行していた英傑には口止めをし、帰還後も誰にも見つけられないよう、傷ついた背中を隠してこそこそと部屋へ向かう。

「シュテンドウジ様!」

 にこにこと笑顔で駆け寄るカネドウジには、

「後だ!」

 と一蹴し、子分たちにも気づかれないように、細心の注意を払った。

「シュテン!」

 そのはずだったが、部屋の前で待ち構えていた独神に捕まった。
 全力で走って来る独神から背中を必死に守る。

「怪我したってどこ! 頭? お腹? 手足は! ある!?」

 血相を変えた独神は上から下まで見回し、俊敏な動きで後ろに回った。
 ごくりと息を呑んだ音が聞こえた。
 口止めをしたはずなのに、よりによって一番知られたくない人物に暴かれてしまった。

「ちぃっと背中刺されただけだ。かしらが心配するほどじゃねェから仕事に戻れ」

 顔面を蒼白にする独神に「顔に出すな。怪しいだろ」と小声で呟くと、我に返った独神は素直にその場から去っていった。
 これで良いのだ。
 もう隠す必要がなくなったので、堂々とアカヒゲのいる霊廟へ向かうことにした。
 霊廟とは霊力で満たした建物であり、ここだと治癒速度が数倍にもなる。

「久しぶりじゃねぇか。とうとうしくじったか」

 霊廟の管理を任されているアカヒゲは、軽く手をあげてシュテンドウジを招いた。

「まあな。不便でしょうがねェからさっさと治してくれ」
「あんた程の妖ならすぐさ。良い薬塗ってやるから」

 やけに染みる薬を塗られ、清潔な布で覆われる。
 治療前よりもじくじくと痛むが、それは悪霊が持つ毒素を抜く為だからと以前説明を受けた。

「元気そうだが傷自体は結構深いからな。今夜はここで寝てな」
「さ」
「ここに。酒は。ない。……消毒液飲むか?」
「二度と呑まねェよ……」

 勝手に空き部屋を見繕い蒲団を敷いて、うつぶせに寝転んだ。

「他はどうだ。痛むか?」
「いや」

 一通り確認をした後、アカヒゲは襖を閉め、部屋にはシュテンドウジ一人になった。
 本殿は騒がしいはずだが、霊廟はいつも静かである。
 シュテンドウジは討伐の疲れもあって、目を閉じるとすぐに寝入った。

 次に目が覚めた時には日が傾いていた。
 傍には来訪者がいた。

「怪しまれるつったろ」

 毒づいたが内心は嬉しくてたまらなかった。
 枕元で正座をしていたのは、独神だった。

「……痛いよね?」
「アカヒゲがうるせェだけでおれは平気なんだよ」

 まだ痛む傷口は包帯越しでも敏感で蒲団がかけられず、独神からは丸見えだった。
 固く握りしめた手を見たシュテンドウジは、その手をそっと撫でた。

「……ありがとな」

 来てくれた礼を言うと、独神は手を開いてシュテンドウジの手を撫でた。
 他人の体温が心地良かった。

「やっぱおまえの顔見ると元気出るな」

 そして弱気になれた。
 それをからかうことなく、独神は撫でていた指でシュテンドウジの指をしっかりと搦めて握った。

「……元気になったら、どこか出かけない? 近場にはなるけど」

 罪悪感による提案であって、積極的に行きたいとは思っていないだろう。
 だが好機には違いなく、ありがたく利用することにした。

「じゃ、明日にでも治さねェとな」
「急がなくて良いから。ゆっくりしてて」
「暇じゃねぇか。明日もおまえが顔見せに来てくれんのかよ」
「行くよ」

 間髪入れずに独神は言った。
 慌ててシュテンドウジはいやいやと断った

「来なくていいっての。何度も来てたら勘ぐられるぞ。おまえ、そういうのもっと考えてたろ」
「言われるかもしれないけど、傍にいたいの」

 真剣に言う姿にシュテンドウジはぐっと込み上げた。

「怪我してなかったら抱き潰してるところだぞ」
「……怪我してても、していいよ」

 距離感のおかしさに狂わされては、以前の二の舞である。

「変なこと言うんじゃねェよ」

 帰れと伝わるように、独神とは反対側に顔を向けた。
 独神はごそごそと動いて、シュテンドウジを撫でた。
 八百万界の妖たちが平伏す鬼の頭を躊躇いなく触れる者は独神くらいだ。

「……おまえがずっといてくれたらな」

 と呟いてシュテンドウジは瞼をゆっくりと落とした。
 次に目を開けた時にはアカヒゲがそこにいた。

「もう朝か……」
「頭領さんじゃなくてがっかりすんなよ」
「馬鹿言ってんじゃねェ」

 本当はがっかりしたが、普通に考えて独神がいるはずがない。
 多忙な身で、自由な時間は殆どないのだ。

「あの人朝まであんたのこと見てたぜ」

 あり得ない。
 だがアカヒゲはたちの悪い嘘は言わない。

「心配しなくても他の奴には黙っててやる」
「悪ィな」
「あんたはさっさと怪我治しな。でないとあの人が病気になっちまいそうだ」

 そういえば、独神は心配性で優しい性格だった。
 本殿にいれば常識だったが、自分も対象であることがすっぽりと抜け落ちていた。

「頼むぜ大将。あのひとが沈んでるとみんな落ち着かねぇんだから」
「おう。そっちは任せろ。こんなもん寝てりゃすぐ治る」

 悪霊から受けた傷は自分としては浅かったが、毒を塗っていたのかじくじくと傷んだ。
 服さえ着られればいくらでも隠せる。
 痛みは我慢すれば良い。

「ほら見ろ。おれの頑丈さはスゲーだろ」

 怪我をしてから二日経ち、様子を見に来た独神にどうよと見せつけた。
 完治はしていないので空元気である。

「うん」

 見透かされてるのか瞳を揺らしながら弱々しい返事をするので、シュテンドウジは思わず抱きしめた。

「……大丈夫だって言ってんだろ。次はこんなヘマしねェって」

 胸に収まった独神を見下ろしているうち、あろうことか独神に上を向かせて口付けた。
 一度。
 二度。
 触れるだけの接吻を繰り返すと独神は首の後ろに手を回した。
 嫌がらない。それどころか────。
 そのままの勢いで首に唇を下ろした。

「あっ」

 漏れた声からは恐怖の色が見えた。

「やべっ」

 咄嗟に離れようとしたシュテンドウジであったが、首に回された手がそれを遮り、ぎゅっと抱きしめられた。

(……多分まだやっていいってことだよな)

 頬に軽く手を当て、自分が口付けしやすいように傾けながら、何度も肌に触れた。
 先程驚かせてしまった首は、時間を置いてもう一度触れると、声は漏らすが拒否の意思は感じられない。
 肩口に顔を埋めたまま、少し汗ばんできた首を舐め、薄い皮膚を唇で食む。
 独神は短く啼いて、シュテンドウジの身体を指で引っ掻いた。

(なるようになれ……)

 隙なく着込んだ着物を左右に掻き分けて、露わになった肌に噛み付くように唇を押し付けた。
 覆い被さるように次は鎖骨に触れ、胸元に鼻先をぐりぐりと押し付ける。
 香の匂いを漂わせる胸の谷間に痛い程吸いついた。
 ゆっくりと離れると、自分が乱した着物の真ん中の赤い花がよく見えた。

「……これ以上はしねェから」

 浮いた着物の隙間から胸の頂が目に入った。
 つんと立ち上がっていたそれが目に焼き付いてしまったが、即時逸らした。
 肝心の独神の顔を見ると、真っ赤になっていて、自分を獣のように襲った相手を物欲しげに見ていた。

「今の方が良い顔してるぜ」
「な。何言ってるの!」

 いつものように言い返した独神の鼻を軽くつまんだ。

「っ!」
「おまえはそれくらいがちょうどいいんだよ。仕事戻れよー」
「ちょ、シュテン! 殆ど治ってないのにどこ行くの」
「そりゃ決まってんだろ」

 酒を飲む動きをすると。

「駄目でしょ! せめてちゃんと治ってから」
「酒呑まねェおれはおれじゃねェから」
「……ほどほどにするんだよ?」
「へーへー」

 ふざけていたのも角を曲がるまで。
 独神から自分が見えなくなって、シュテンドウジは耐えていたものを解放した。

(こんなおったてた状態で人前に出れっかよ)

 声が響く。何度も。頭の中に。
 独神の皮が剥がれたか細い声が。
 雛のように自分の手の中で弱々しく鳴いていて、今すぐに持って帰りたかった。

(寧ろあそこで耐えたおれはすげェだろ。かしらもその気になってた、よな?)

 やりすぎたと離れた時、独神はシュテンドウジを引き寄せた。
 薄い皮膚を舐めても、血の匂いが濃い頸動脈を吸っても、逃げようとしない。
 そこまでされたら、当然最後まで襲うところ。
 何が自分を抑えたのか。

かしらの真意が読めねェ以上この先は拗れる。となると、青くせェけど、はっきり言うしかねェんだよなあ)

 しかしこれで確信は得た。
 独神はシュテンドウジを悪く思っていない。
 それどころか、……可能性が高い。
 まだまだ重要な秘密を隠されているのかもしれないが、ここが勝負時だと勘が言っていた。




 回復祝いとして独神に誘われ、近くの町に二人で出かけた。
 用事があるからと昼に待ち合わせ、時間より少し早く現れた独神は前回よりも格式高い着物で現れた。

「似合ってる」
「ありがと」

 勇気を出して褒めたのだが、社交辞令のようなつまらない返事が返ってきた。

「シュテンも今日は違うんだね」
「どーよ。たまには」
「いい。……えっと……かっこいいよ」

 わざわざ言い直した。
 わざわざ。
 わざわざ、である。
 それだけで気分が上がった。

「まあおれ顔もいいしな」

 自惚れた発言を呆れてくれると見込んで返した。

「そうね。今でも照れることあるよ」
「お、おう」

 肯定されたことで変な返事になった。
 嬉しくはあるが現実味がない。
 どこまで本気なのか。

「今日の予定なんだけど、明後日婚姻の挨拶に顔を出さないといけないの。
 独神を伏せての参加だから、あまり高価なものは身に付けられないのね。
 着物はいくつかあるんだけど、髪飾りとか、爪紅とか一緒に見てくれない?」

 別の日にしろと言いそうになるくらい面倒だったが、表向き快く引き受けた。
 しかし、一軒目で早々に飽きてしまった。

「一人で帰る? 暇ならその方が良いかもよ」

 若干の冷たさが感じられたのは、その辺の女が買い物に付き合わせたあげくぐずぐずと不機嫌になるのと同じだった。
 仕事中、機嫌を一定に保つ独神にはなかなか珍しい光景だ。

「見てても判んねェっつの。どれも似合うんなら良いとしか言えねェだろ」

 こちらも苛立ったまま、店のものを手に取って一つずつ独神の頭に合わせていく。

「赤が合うだろ。銀だけでも合う。華美なのもおまえは食われねェし、地味っぽいのにおまえがすると上品だ。
 こうなったら似合わねェの見つける方が難しいだろ」

 おべっかではない。
 独神は絶世の美女ではないように、本人から強い魅力は放っていない。
 初見でよく地味と称されるのがそれだ。
 だからこそ、どんな色をあてても喧嘩することなく調和した。
 様々な美形の英傑と並んでいても、相手を殺さず、自然な絵になった。
 これこそが独神の個性なのだ。

「なんでもいい。って一番悩ませるんだよね……。まあ、この辺で良いかな」

 一番手前の物を手に取って店主を呼んだ。
 商品の礼に野菜を渡したいと言われたので、暇なシュテンドウジは店を出て裏に回った。
 備えてあった縁台にどかりと座って、携帯する瓢箪から酒を飲んでいると野菜を紙で包んだ店員がこっそりと話しかけてきた。

「先程の惚気には一同惚れてしまいそうでしたよ。けれど独神様はあなたに選んで欲しかったのでは」
「おまえらのことは知らねェけど。どれも合うのはどうしようもないだろ」

 余計なお世話である。
 鬱陶しいと手を振って追い払った。

「あなたの目に映る独神様は余程魅力的なんでしょうね」

 懲りもせず評する店員を睨みつけるとひょいと引っ込んでいった。
 大江山の子分が自分を見る時、いつも心酔した目が並んでいた。
 今の自分も独神にそのような視線を向けているのかもしれないと思うと恥ずかしくなる。

「シュテン。待たせてごめんね。次行こ」

 爪紅を選ぶ時、シュテンドウジは早々に口を挟んだ。

「こっちじゃねェの。さっきの髪飾りと合わせた方が良いだろ」

 独神は異を唱えず、すぐに購入した。
 お陰で買い物は早々に終了した。
 先程もそうしていれば待たされずに済んだのかもしれないと今更ながら思った。

「付き合ってくれてありがと。……ごめんね、面倒なことで休みを潰して」

 仕事の買い物に付き合わせて悪いとは思っていたのだろう。
 最初の店以降、口数がどちらかというと少なかった。
 それに気づいたから爪紅は文句を言わず選んでやったのだ。

「ま、おれも暇潰しになったからな。それより」
「はい、お待たせしました。次はシュテンドウジに付き合うよ。何でも良いよ」
「なんでも、だな?」

 少し警戒心を見せたが、独神は瞬時に笑顔を取り繕って頷いた。

「ちょっと! シュテンここ大丈夫なの!?」

 真っ赤になった独神が席に通された後に捲し立てた。

「判ってる? ここお酒ないよ?」
「馬鹿にしてんじゃねェ。見りゃ判る」

 シュテンドウジが独神を連れてきたのは茶屋だった。
 もちろん普通の茶屋ではないが、色茶屋でもない。

「か、可愛いものばっかり! 見て、あっちのもふもふ可愛い!」

 少し前に「もふもふ犬」というぬいぐるみが流行ったのだが、この茶屋はその犬に着想を得て、内装から料理名まで作られている。
 それだけなら時折出てくる特殊茶屋の一つなのだが、この店は入店に条件を付けた。
 必ず仲の良い二人で入店しなければならない。
 友人と来ることも可能だが、誰が言い出したかその二人は恋人になれると信じられてしまったせいで、この店はその手の組み合わせでなければ入りにくくなってしまった。

「シュテンの希望で良いんだよ? 私に合わせてくれなくて良いんだよ?」
「おれに付き合うんだろ」
「……判った。ありがと」

 はち切れんばかりの喜びが顔から溢れていた。
 本殿では見ないもので、それを見られただけで恥に耐えた甲斐があった。
 いつもより高揚しているのか、独神はシュテンドウジに屈託なく笑った。
 そして仕事以外のことをよく喋った。

「もふもふ犬のぬいぐるみは限定のものもあってね、前はサスケに買って貰ったの」

 他の英傑の名前を出されることには苛ついたが、貴重な情報も入った。

「私が何かを好きって言うと、なんでも買ってくれようとするでしょ。
 普段は欲しい物を言わないようにしてるの。
 サスケなら線引きがしっかりしてると思って一回だけ頼んだんだ。
 でも、こそこそしてると他の人に気づかれちゃうし、独神の私がそういうの、良くないって後悔しちゃった」

 英傑たちの行動原理は「独神に頼られたい、必要とされたい」である。
 他人の善意を利用しているようで、独神にはそれが重いのだ。
 シュテンドウジにも経験があるが、自分が得するなら利用すれば良いのだ。
 タマモゴゼンが良い例だ。
 なのに、独神は英傑を統べるようになって何年も経つのに、未だに自分を律している。

「勘違いすんなよ。おれがおまえを付き合わせただけで、おまえがそういうのを好きだったのも今知ったんだからな」
「そうなの?」
「忍しか知らねェようなことおれが知るかよ」

 護衛で独神に付きまとう英傑との情報量には敵わない。
 今回は偶々だ。

「ここ、前から可愛いな入りたいなって思ってたんだ。でもほら。誰かに頼むわけにはいかないから」

 寂しげに目を伏せた。
 シュテンドウジはこの感情を知っている。
 子分の数だけ目があり、理想の親分像がある。
 全てを満たすことは出来ずとも最大数を納得させていかなければ、簡単に他人の心は離れていく。
 独神が抱える英傑たちは優秀だが曲者揃いで、ほんの少しの失態で信頼を失うことが考えられる。
 その一人であるシュテンドウジは、今更独神の酒癖が悪いとか、部屋が汚いとか言われた所で評価を変えないが、例えば、本当は弱者を嬲るのが好きだとか、戦が趣味とか、男癖が悪いとなると、あっさり離反するだろう。
 独神は誠実であれ、優しくあれ、気高くあれ、純潔であれ。
 この辺りが独神が壊してはいけない理想だ。
 独神は恋なんてしない。
 あわよくば独神を独占したいと思う英傑たちであったが、自分以外と懇ろになることは認めない。

(おれたちの理想を守ってくれてんだよな)

 ここに連れてきたのは軽率だった。
 近場だから何人かには見られているだろう。すぐに本殿で噂が回る。
 独神にも追及の手が伸び、根掘り葉掘り聞かれることだろう。
 そして自分はそれ以上に。

「ちょっと。こっち見過ぎじゃない?」
「ケチケチすんなよ」

 考え事にかまけている間、ぼんやりと眺めていたのだろう。
 それに勝手に照れてつっけんどんになる素直さが可愛かった。

「……私見ても、楽しくないでしょ」
「普段こんな至近距離で見れねェんだから良いだろ」

 照れながらも独神はふっと息を吐いて降参とばかりに微笑んだ。
 軽率だとかどうでもよくなる。
 可愛いから。

「私もシュテンと向かい合うの、嫌じゃないよ。お伽番の時は恥ずかしくて困ったけど」
「なんでミチザネにした」

 自分がミチザネより能力が劣っているのは明確であった。
 しかし、能力の高さで採用が決まらないお伽番での突然の変更は納得がいかなかった。
 それもあのいけすかないミチザネにされたことを、今の今までず〜〜〜っと根に持っていたのだ。

「気が引き締まるから。嫌味が多いけど正論で、仕事の相手には向いてるの」
「おれだってやってたろ」
「私の方が気がそぞろになっちゃうの!」

 私の方が。
 とは。

「すぐ庇ってくれるし、私が言えないこと代弁してくれるし、面倒なことも嫌な顔しなくなったし、そ、そりゃいいなって思ってもおかしくないでしょ」

 自分の働きは全く悪くなかった。
 非をあえてあげるとしたら、優秀すぎたのだと自画自賛した。

「甘えちゃうから……傍に置かない方がいいと思って。
 ごめんね。私の身勝手な理由でやめさせちゃって。騙し討ちだったよね」

 言われると不可解な行動があった。
 時々妙に冷たくなっていて、次の瞬間すぐ優しくなるので気分屋なのだと深く考えなかった。
 自分が独神を知る度にわけが判らないと頭を抱えたように、独神も自身の感情制御に苦労していたのだろう。

かしら、前おまえが連れて行った店にもう一度連れてけ」
「いいよ」

 二つ返事で独神は了承した。
 前も行った店で独神は二人分の注文をした。
 シュテンドウジは黙っていた。

「お酒来たよ。乾杯しないの?」
かしら

 普段なら我先に呑むシュテンドウジが神妙に名前を呼び、独神は佇まいを正した。

「おれと、付き合うとかって……マジで考えてくれねェか」

 独神は目を泳がせた。
 冷えた酒に目をやり、年季が入った机に目をやりと忙しくする。

「いや。……それはさ……ちょっと……」
「返事は今決めろ。駄目ならおれはこのまま帰る。今後おまえに八傑を超えては近づかねェ」

 個人的な付き合いはやめるという宣言だ。
 せめて飲み友達で、などという保険も捨て去れば、自分の本気さが伝わるのではないかと。

「……。そこは、付き合え、って強気に言っても良いんじゃないの?」
「おまえの気持ちがねェと意味ねェだろ」
「…………あー、もう」

 独神は一気に呑んだ。
 ガンと行儀悪く杯を置く。

「自分勝手」
かしらよりマシだろ」
「シュテンよりはマシでしょ。ここでこんな大きな決定迫って来て、困るに決まってるの判ってるくせに」

 頭を抱えた独神は長らく考えた。
 周囲の客が酒を酌み交わし楽しそうに盛り上がっている。
 ここだけは空間が切り取られたように、静かだ。

「シュテンのこと、好きだと思う。多分」
「多分ってなんだよ」
「こ、こういう気持ちが、恋愛ってことなの?」
「……は?」

 揶揄っているならばあまりにも質が悪い。

「だから! 会うと緊張するけど、会わないと寂しいのは、シュテンのこと好きってこと?」

 何を言っているのか、すぐには呑み込めなかった。
 百人が百人、それは相手に気があると言うだろう。

「さあな。もっと聞いてみねェと判断つかねェよ」

 ともかく泳がせてみることにした。

「夜、寝る前にシュテンのこと考えちゃうのは?」
「他は」
「女の子さらわせるくらいなら、私で良いじゃん」
「ンっっっ。……。ほ、他」
「気づいたら口付けちゃうのって、この衝動は好きだから、ってこと? それともせ、せせ節操なしなんですか!?
 でもあのシュテンドウジにしかしていませんからね!!
 他の英傑でそういうこと考えたことないんですから!」
「じゃあ、おまえ」

 あの時には既に、独神の中にはシュテンドウジへの好意が芽吹いていたのだ。
 それからの責任を取ろうとしたことや、口付けを受け入れたことも、襲いかけても咎めなかったことも、
 全て独神は同意した上の行動だったことになる。
 シュテンドウジは据え膳をずっと押し戻していたのだということだ。
 あの時も、その時も、この時も。

「シュテンになら、……だ………………抱かれ……も……いいかも………、って考えるのは?」
「会計!」
「ええ!? 来たばっかり。しかもまだ呑んでない」

 置かれていた杯を一気に呑み、財布の中身の全てを置いた。
 独神の腕を引いて店を出ると、スタスタと大股で歩いて行く。
 大男の歩幅に独神がついていけなくなると抱き上げて歩みを速めた。

「やだ。ちょっとシュテンってば!」
「今夜はほんっっとうにいいんだな。今度こそ止めねェからな!」
「どこ行くの」
「おれの部屋かかしらの部屋」
「無理無理無理! 今日人来る! 一週間後の討伐誰にするか決めるの!」
「ならそいつらと話してる横ですりゃ両立出来るな」
「恐ろしいこと言わないで!!」
「じゃあどうすりゃ出来るんだよ!」
「や、宿借りよう! 終わったらすぐ帰ろう!」
「帰るまでって何回やれるんだよ!」
「何回って何!?」

 独神が必死に止めようとするがもう遅い。
 我慢の必要がないことに、シュテンドウジが気づいてしまったのだから。




(20230811)
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【あとがき】

 好きだから、いつもと違って慎重になって空回りするシュテン。