トモダチ


 私は孤独だった。
 自分が独神という存在だと周囲に言われ、会うひと皆が期待を寄せた。
 独神さえいれば悪霊によって乱されたこの世界が元に戻る。
 異口同音に紡がれた言葉が幾重にも巻き付いて私をがんじがらめにした。
 私は何も知らないのに。
 知らない私がどうやって八百万界を救うのだろう。
 なんとなく期待には応えないといけない気がしていて、申し訳なさでよく眠れなくなった
 そんな時、八傑のひとりであるシュテンドウジがよく自分の酒を飲ませてくれた。
 甘いお酒の匂いを嗅いでいると少しずつ瞼が重くなって気付くと朝になった。
 私が寝付くまでの間、よく二人で話をした。
 その日の振り返りや昔の武勇伝、忘れられない出来事、と様々だった。
 シュテンドウジは巷では凶暴凶悪の鬼だと言われているが、二人で話している限りは穏やかで一度も暴力を振るわれた事はない。
 だから彼が誇らしげにどこどこの誰をブッ飛ばした、と語るもぴんと来ないのだ。
 よく判らないまま「すごいんですね」と言うと、「だろ?」と得意そうに言うのが好きで、私は出来るだけ彼の事を褒めた。
 実際はどうあれ、彼が楽しそうに語る姿に心が安らいだ。
 私が彼に心を開いたように、彼もまた心を許してくれたようだった。

「他の奴らはおまえといると緊張するとか言ってっけど、逆だよな。おれはおまえといると気が楽だわ。ダチみてぇなもんだな」

 ダチ……。その聞きなれない響きは、私にとって特別に思えた。

「鬼以外でこんなこと思ったの初めてだ」

 きっと名誉なことだ。少なくともその時の私はそう思った。嬉しかった。
 なのに時間が経つに連れて、動けなくなった。
 私が抱いたものは、ダチ、ではなかった。
 折角彼が私にくれた称号なのに、不心得者の私はそれを拒むようになってしまった。
 こんなこと、言えやしない。

 少しずつ英傑達が増えてくると、八傑と接する時間は極端に短くなった。
 あれだけ孤独に悩まされていたのに、誰と過ごすか悩むようになるなんて正直驚きだ。
 そうして様々な英傑達と生活を共にするうちに、時折特別な願いを打ち明けられるようになった。

「好きだ」

 たったひとりにだけ与えられる枠を私に渡す代わりに、私のも欲しいのだという。
 私は相手を傷つけないようにいつも断っている。
 大抵は、私が独神だからと納得してくれるが、諦めきれずに何故と聞いてくる者もいる。

「誰か好きなヤツでもいるのか」

 嘘を吐く事が苦手な私はこの質問が天敵だ。

「いるなら仕方ねえか」

 と言って去るなら良いが、

「ならそいつより良いって判らせてやるよ」

 などと、一層励む者達には困ってしまった。
 私は英傑達を誰一人として嫌いな者はいない。
 大好きなひとたちしかいない。
 彼らを悲しませることが嫌でしょうがなかった。
 私を好きと言う者が増える分、動けなくなって、苦しくて、でも自分は独神だからと我慢した。
 この世の何もかもが私を縛りつけようとする。
 だから私は、シュテンドウジに好きとは言わなかった。
 やりたい事しかしないシュテンドウジの生き方を曲げるような真似は出来ない。
 それに私は怖かった。
 シュテンドウジにとって私は沢山いるダチの中の一人だから。私に唯一をくれない。

 『くりすます』という年末の祭りで恋が成就する者が多いそうだが、こういう時にはまた誰かから想いを告げられる。
 祭りは好きだが恋愛との結びつきが強いものは苦手だ。

「そろそろどうかな? 心は変わったかい?」

 彼はもう三度も私に断られた。今日で四度目になるだろう。

「ごめんなさい。私、貴方をそういう目で見られない。信用してるし頼りにもしてる。でも……どうしても受けられない」
「参ったな……」

 私は顔を伏せた。残念そうな顔を見られそうになかった。

「どうして私が懲りないでいるか知っているかな? それはね主君が寂しそうだからだよ」

 どうして。私はもう孤独じゃないのに。
 不思議に思った私は顔を上げた。

「苦しい恋をしているんじゃないかな?」

 首を振った。
 私は好きなひとなんていない。
 そうあらねばならない。

「主君。一度で良い。今私を好きでいてくれとは言わない。どうか機会をくれないか。私なら寂しい思いは決してさせない」

 これが適当な口説き文句だと思っていない。
 どうしても心が変わらないのだと言っても、待つと言って本当に待ち続けた。
 私を本気で想ってくれている。
 私が口を噤んでいると彼の手が伸びてきた。
 近づいてくる手を、私はじっと見つめる。
 身体に触れるというその時。

「よう、頭ぁ! ちょっと呑まねえか? おまえもくるか?」

 場にそぐわない酔っ払いに乱入され、相手はさっと手を引っ込めた。

「ああシュテンドウジか。また随分呑んだようだね。……主君、今日はこれで失礼するよ」
「ああ、はい。おやすみなさい」

 私も同じように逃げようとしたのだが、シュテンドウジに肩を掴まれた。

「ちょっとくらい付き合えっての。それともなんだぁ! おれの酒が飲めねぇのか!!」

 すっかり出来上がっていて断れそうにない。
 私は仕方なくシュテンドウジについていくと、部屋にやってきた。
 火鉢で温めた熱燗を押し付けられ、流されるままちびちびと飲んだ。
 こうしてシュテンドウジの部屋でいつもの座布団に小さくなって座ると、自分の居場所に戻って来た実感がある。
 酒もシュテンドウジが飲むものは大体良いものなので、嫌な酔い方もなく純粋に楽しめる。
 でも一番は、大事なひとと同じ空間にいられることが、私の心を慰めてくれていた。

「さっきは割って悪かったな。なんかおまえが困ってそうで、つい」
「ううん。大丈夫」

 タチの悪い酔っ払いの振りをして手を差し伸べてくれていたのだ。
 果たして、それが良かったのかどうか……。
 乱入がなければ、私はあの手を受け入れていただろう。
 同じ苦しみを味わう者だ。
 そして傷つけている原因は私だ。
 そろそろ受け入れるべきではないかと考え始めていたところだった。

「なあ、おれとおまえの仲だろ? ここで好きなだけ弱音吐いちまえって。相手に悪いってんなら黙っててやる。これでもマジな時は口堅ぇんだぜ」

 言えるわけがない。原因の一端に。

「酔ってもバラさねェって」

 問題はそこじゃない。

「……心配なんだよ」

 急にしおらしくなって、傷ついたように眉尻を下げた。

「おまえのことは鬼と同じくらい大事なんだ」

 本気で言って貰えるからこそ、自分の欲深さが嫌になる。

「ごめん。気持ちは嬉しいんだけど……」
「まあそうだよな。おまえも立場上言えない事があって当然だ」

 しみじみと感じ入った後は態度を一転、

「じゃ、今日は飲めるだけ飲んでけ。いいもんだしてやっから。そうそうこの前! おまえが大隅なんかに行かした時!」

 最近頼んだ討伐の時の話を始めた。

「狐の野郎がおれを騙くらかしやがってよ、二発ほどブン殴ったわけよ。で、そいつがお詫びにって酒を出してきた。けど飲んでみりゃ妙に水っぽくてまずいったらありゃしねェ。狐に詰め寄って吐かせたら、ボロ頭巾で増やしたって抜かしやがる。嘘か本当か調べる為にも頭巾を奪って酒に被せてみたら確かに増えたんだよ。……ほら、頭巾って被るもんだろ? ……軽い気持ちで自分が被ってみたんだよ。そうするとなんと、おれが増えた。スゲーだろ?」

 頭巾を媒介にした幻術の類だろう。
 生き物が本当に増えるような術は非常に高度で、使い手はこの世にいない。
 それにしてもシュテンドウジが二人、か。

「ふたりもいるなら、ひとりくらい貰っても良いのかな」

 部屋にいると少し面白いかもしれない。
 それとも照れくさくて部屋に帰れなくなるだろうか。

「おれはかなり呑むぞ。ちゃんと世話出来んのか?」

 世話って……そんな飼い犬みたいな。

「お酒ならいくらでも持ってこれるよ。だって独神だもん」
「じゃあ、おまえのとこにいるおれは幸せだろうな」

 冗談でもそう言って貰えることに涙のひとつでも溢れそうだった。
 しかし実際はこんなことあるはずがなく、私は理想の話をした。

「お酒は取り寄せてあげるけど、飲み過ぎはだめ。身体を壊さない程度にしかあげない」
「ンなヤワなわけねェだろ。そいつがおれと同じなら」

 シュテンドウジもこの空想遊戯に付き合ってくれるようだ。
 私は続ける。

「酔いに効くからうめぼしを常備していようかな。二日酔いの朝はお茶漬けだね」
「潰れねェおれの話はねェのかよ」
「ないかな」
「ひっでぇもんだ。酒以外にはねェの?」
「普段は……そうだなあ、私がいない間は喧嘩したり鬼達と遊ぶんでしょ。好きなだけ遊んでいいよ」
「ふうん。結構自由なんだな」
「でも夜は帰ってきて貰って夕食は一緒に食べる。今日何があったか教えて欲しいな。私は聞いているだけでいいから。見聞きしたものや感じたものを知りたいよ」
「……おれ、ガキみてェだな」

 言われてみると私が母親みたいだ。

「じゃあ風呂は?」
「お風呂……? 順番なら私が先でも後で良いよ」
「そうじゃねェって。せ、背中流したりとか……ねェの?」

 思いもよらぬ提案に頬がひくついた。追って熱が上昇する。

「何言って……」
「いやだってそいつはおれじゃねェんだろ? だったら、良いか、嫌かくらいは言えんだろ?」

 本人じゃないから。
 これは想像だから。
 なんて誤魔化しても恥ずかしいものは恥ずかしいけれども。

「……してって言うならするよ。いや、ではないよ。ただ恥ずかしくて……」
「一緒に入った後は?」
「へっ!? 後!?」

 入浴後って何をするものだろう。
 シュテンドウジは普段何をしているのだろう。
 またお酒を渡せば良いの? 飲ませすぎ?

「もしおれなら……おまえの髪乾かしてやるとか……する」

 シュテンドウジにしてもらうことなんて考えつきもしなかった。
 世話される方が好きかとばかり……。

「その時はお願いするね」
「寝る時は?」

 そんなことまでなんて、恥ずかしすぎて想像が捗らない。

「布団は一つがいいんだけど、おまえが狭いのは嫌だっていうなら無理強いはしねェよ」

 急いで首を振った。

「……一緒がいい。好きなひととは出来るだけ一緒にいたいから」

 なんて幸せな想像だろう。
 本当にそんな事があれば良いのに。

「じゃあ今夜は……?」

 唇が震えた。
 何も言えなくなった私は、おずおずと頷いてみせた。
 これが私の精一杯の意思表示。
 そして向こうからは、勢いよく抱きしめてきたのが答えだ。

「~~!!」
「クソッ! ずっと耐えてたんだからな!」

 耐える?

「おれがいけそうと思ってもおまえは全然のってこねえし!!」

 いけそうって?

「おまえにとって英傑の一人なんだと思ってた。だったら、おれも余計なことはしねェようにって。じゃあ今までの何だったんだよ!! でもマジで思い切って言って良かったぜ!!!」

 どうして私と同じこと考えているの。
 私も我慢を忘れて思い切って言った。

「私だって! シュテンは私を友達だっていうから言えなかったの!」
「信頼してるのはホントなんだから仕方ねェだろ! けど悪かったな。英傑以外の括りが何かって言うとそれしか思いつかなかったんだよ」

 と叫ぶと、私を解放し、すくっと立ち上がって転がった酒瓶を片づけ出す。

「もう飲まないの?」
「この先は記憶ブッ飛ばしたくねェ。それに呑むと感覚が鈍る。今夜のおまえの事は全部覚えてておきてェし」

 声が出なかった。今夜って。覚えるって。ねえ。
 シュテンドウジはシャキシャキと手早く片づけを済まし、最後に布団を敷くのを見て私は目を背けた。
 普段シュテンドウジが使っている蒲団だ。

「こいよ」

 現実が私を手招いた。
 私が動けずにいると手を引かれた。
 横になるように優しく、だが拒否はさせない強さで誘われた。
 私は言う通りにしたが、少しだけ距離をとった。
 こんな無防備な姿をすることに抵抗があった。
 同じように無防備なシュテンドウジが傍にいる。

「そうやって離れてるとさみぃだろ」

 太い二の腕で抱きしめられた。このまま潰されてしまいそう。
 なのに押し当てられた逞しい胸板に安心感を抱く。

「やっぱ良いな。おまえを抱いてると安心する」

 同じだ。
 私と。
 こんなことされたせいで、奥の奥では小さな昂りが揺らめいて顔を覗かせた。
 もっと。
 でも。
 やっぱり。

「待って! せめて明日。出来れば一週間は猶予を」
「ここまで来て引けねェよ」

 そう言って身体を起こすと服を脱ぎ捨て、私の上に跨った。

「早くおれのもんになってくれ」

 必死な表情に、人一倍寂しがり屋なことを思い出して緊張が途切れた。

「初めてだから、……優しくしてね」

 小声で努力すると聞こえた。
 多分無理だろう。
 もう目の奥は戦いの前のように熱い思念を燃やしている。
 私はこれから、鬼に喰われる。

「今夜はおれのこと以外なーんも考えんなよ」



(20211231)
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【あとがき】

 好きだから。動けない。