ヌラリヒョンは自室前の廊下を左右確認した。誰もいない。そろそろ独神が来るはずなのだが。
お互いの時間が空いたのは久方ぶりだ。独神ならば予定よりも早く来てもおかしくない。
急務の仕事でも抱えたのかもしれない。であれば手助けにとヌラリヒョンは執務室へ向かった。
途中、言い争いが聞こえヌラリヒョンは気配を消して様子を探った。
「悪いけど、用があるから」
「この状況でおれより大事なものがあるかよ」
独神とロキである。
独神は腕を掴まれて動けないようだった。
「おれの何が駄目なんだよ。出来るもんなら直すし……お、おれが譲歩することがどういうことか、おまえなら判るだろ」
「だから、応えることは出来ないって言ってるの」
声の震えが遠くまで判った。目の前にいるならばどう響くか。
「……冗談にしちまえば楽でも、こればっかりは出来ねぇんだよっ!」
悪足掻きだろう。
独神を引き寄せようとしたところでヌラリヒョンは姿を現した。
「騒がしいぞ」
「ヌラリヒョン!」
独神はロキの手を振り払い、ヌラリヒョンの後ろに隠れた。
優越感を隠してヌラリヒョンは言った。
「さあ、行こうか」
「待てよ」
わざとらしく溜息をついた。
「見苦しいぞ」
「おまえに関係ねぇだろ」
「先約は儂だ。其方の勝手に巻き込むでないよ」
ここは自分が引き受けるつもりで、独神の背を押して部屋へ進ませた。
それを見てロキははっとした。
「……おまえ、ゴシュジンに手つけてんな」
「下らんなぁ」
大当たりの推論を一蹴して、二人は予定通りに部屋へ向かった。
息巻いていたにも関わらずロキは追ってこなかった。
部屋に着いて早々、ヌラリヒョンは謝罪した。
「主《ぬし》、すまなんだ。もっと早く駆け付けていれば困らせることはなかっただろう」
「ううん。こっちこそ心配かけてごめんなさい」
小さくなってしょげる独神を撫でた。
「其方は悪くないさ」
安心させるようにと肩を抱いた。
きっと罪悪感に満たされているであろう恋人を責めず、慰めに徹する。
内心はロキのことは一刻も早く忘れて、二人の逢瀬に突入したかったのだがぐっと堪える。
「しかし。断ってくれて安心したぞ」
「そんなの当たり前でしょ!」
荒げる口に軽く口付けた。
「喜んですまぬな」
笑い声をあげると、独神の肩の力が目に見えて抜けていった。
本音は効果的に使うべきであり、今回も思惑通り上手くいった。
独神が少しずつ体重をヌラリヒョンにかけていく。
二人は何度も唇を重ねていき、邪魔な衣服を一枚ずつ脱がし合っていった。
身体に触れ合い、愛を囁き合う、いつも通りの男女の戯れが始まった。
流れがおかしくなったのは唐突だった。
ヌラリヒョンが濡れた舌を腹に這わせていた。独神は身体を震わせながら紫色が透ける白い髪に指を通していた。
顔が見えなくなったせいか、一瞬ヌラリヒョンのことが薄れた。
すぐ前にあった、ロキのことを思い出す隙が産まれた。
一度考え出すと止まらないものだ。
独神とヌラリヒョンの関係は英傑達には知らせていなかった。
ロキの様子だと気づかれてしまっただろう。明日には広まっているかもしれない。
しかし懸念はそこではない。
独神は悪神とはそれなりに仲良く、何度も二人で外出をしている。
縛られることを嫌うロキといると、自分まで自由で楽しいのだ。
だがそれはあくまで友人としての楽しさだ。
胸がときめくこともありはしたが、恋を形作るまで届かない淡いものだった。
今日、奇しくもヌラリヒョンと会う日に、「好きだ」とはっきり言われたのだ。
アスガルズに戻らなくても良い。独神がここにいるなら残ると故郷さえ捨てる覚悟を持っていた。
心苦しいが出来ないと断り、それでも食い下がられたと言うのに、ロキは追って来なかった。
もしかして傍にいて機会を見計らっているのでは。疑惑は膨らむ。
すると全てが恥ずかしくなった。
今この瞬間、白衣が肩から滑り落ちて、ふんわりと膨らむ胸を人前に晒して悦ぶ自分をどう思うだろう。
濡らした下着を剥がさせ、秘めたぬかるみを人に舐められて全身を震わせている自分は。
まるで鏡の自分を観察するような気になり、ロキにこの光景が見られたらどうなるのかと心配した。
ロキだけではない。他の英傑たちにも。
戦いの最中に淫蕩に耽る姿を見て落胆するのでは。
「儂以外のことは考えなくて良い」
冷えきった言葉に殴られて現実に戻った。
「考えてない」
咄嗟に嘘を吐いた。
間髪入れずに反りたったものが独神の蜜壺を突いた。
壊す勢いで最奥を何度も嬲った。
「っあ! だめ! いや。っくぅ……」
「今日の其方は余裕があるのだから構わぬだろう」
必死に手で口を覆うが、突き上げられた快感の強さには意味を成さない。
言語を忘れた獣の如く甘やかな声をあげた。
「今日は其方の愛らしさに免じて、限界まで愛してやろうではないか」
嫌とは言えない。
最奥ばかり何度も突かれて息を吐く暇もなく、身体を捩って熱を逃がそうとすれば唇を塞ぎ、胸の膨らみを掴んで頂を転がした。
余裕は一切与えられなかった。
達しても達しても体位を変えて攻められ、次第に独神は抵抗する気が失せていった。
頭の中は気持ちよさと痛みとでぐちゃぐちゃになり、自分の浅ましさなど気にも留めなくなった。
目が覚めた時、部屋の明るさに驚いた。
自分がいつ寝たのか覚えていない。口が乾いて喉が切れそうだ。
それに眠い。身体全体が怠く、特に腹の奥がずんと重かった。
「……大人げなかった。すまぬ」
隣で寝ていたであろうヌラリヒョンは、床の上で頭を大きく下げた。
身体を起こそうとするのだが、気力が湧いてこない。
ふと指を見ると一筋の傷が出来ていた。まるで野犬に噛まれたような跡だ。
見えるところに大きな歯型があるということは、身体のあちこちが鬱血まみれなのは見なくとも判る。
独神は大きく溜息を吐いた。
「非は儂にある。一日……は苦しいが、半日は時間を稼ごう」
「ありがとう」
力なく笑った。
いつまで事に耽っていたのかは判らないが、眠気は最高潮だった。
午後の為に少しでも寝るつもりだ。その時間はヌラリヒョンが作ってくれる。
ところが、ヌラリヒョンは独神の蒲団の中へ入ってきた。
隣で寝るヌラリヒョンをじっと見る。ヌラリヒョンは小さく笑った。
「其方の穏やかな顔を見ていると、二人でずる休みするのも良い気がしてな」
良い響きだと思った。二人揃ってする”ずる”は格別だろう。
「ゆっくりおやすみ」
ヌラリヒョンが独神の頭を撫でていると、すぐに寝息がたて始めた。相当の疲れが見てとれる。
そのまま暫く撫でたヌラリヒョンは一人起床し、嫉妬の後始末を始めた。
(2022/12/23)