「好きです」
「儂もだ」
『くりすます』当日。
宴を抜け出して、二人きり。
一世一代の告白はあっさり受け入れられた。
この後どう過ごそうか……と思っていたが、
「主! 酔っぱらっちゃった皆が町の方へ行っちゃった!!」
いつも通りの騒動があり、
「ヌラリヒョン! 手を貸して」
「心得た」
これまたいつも通り事態を収拾した帰りに「あれっ?」と思ったのだ。
いつもなら夜道は危ないからと言って手を繋いでくれたのに今日はなかった。
今日という日は以前”もたざる者たち”が暴れる日でもあったから、無暗に触れ合うべきではないと判断したのだと、その時はあまり深く考えなかった。
疑問が確信へ変貌したのは執務室で二人になった時だ。
いつもならお互いに少しずつ手を伸ばして机の下では密かに指に触れていた。
今日は私だけが手を伸ばして、何もなくて、心底恥ずかしい思いをした。
恋人になったのならば気を遣わず済むと思ったのに。
反対に遠くなってしまった。
これはやはり、周囲への示し故のことだろうか。
私が浮ついて何かしでかせば、とんでもない事になる。ヌラリヒョンの評価も道連れだ。
だから節度を守って生活しなさいということか。
老体であるヌラリヒョンは私よりも多くの者達を従えてきた。
上に立った経験年数は比べ物にならない。
経験者の考えに従おう。
今後は周囲の影響をより考えていかないと。
……と、一度は納得したのだがやはり距離を感じる日々は寂しかった。
どうして想いを伝え合う前の方が近かったんだろう。好意を伝えない方が良かったのだろうかと思うほどに、少しずつ不満は積もっていた。
そしてとうとう、日中の執務室で不満を漏らした。
「そうやって避けられるなら前のほうが良かった」
ヌラリヒョンは鳩が豆鉄砲を食ったようにぽかんとしていた。
そして慌てた様子で私のすぐ隣へと座り直した。目を伏せる私の顔を覗き込み、
「避ける? 何故?」
「だって手繋がなくなったから……」
ヌラリヒョンは「ふむ」と考え込むと、やがて「ああ」と合点がいったようだった。
それから口ごもってばかりいるので私は「やっぱり」と失望でずぶずぶと沈み始め、
「……緊張してな。決して其方を避けているわけではないよ」
思わず「えっ」と口をついた。
混乱しつつも気分は急浮上する。
あのヌラリヒョンが緊張とは。
そんなものと無縁の存在だと思っていたのだが。
「このような衝動を抱くのは随分久しくてな。儂自身、己をどう制御すればよいのかとやきもきしておる日々だ」
続けて「えっ⁉」と先程よりも大きい声が出た。
「隙を見ては握りしめていた手も、今はどう取って良いものか」
……これは夢だろうか。
ヌラリヒョンらしかぬ言葉にくらくらしてくる。
「儂が其方を導くべきと頭では理解しておるのだが」
照れを隠すためか大きな声で笑った。
「はっはっはっ。爺のくせに情けなくてすまぬすまぬ」
笑い声が響く中で私の視界はじんわりと滲んだ。
声が止まって私を窺う。
「ごめん」
袖で涙を拭った。心配そうな戸惑うようなヌラリヒョンに向かって言った。
「やっと、横に並べた気がして」
私が初めて好きになった相手がヌラリヒョンだ。
特別な感情に気づいた途端、目が合わせられなくなり、話しかけることが出来なくなった。
ヌラリヒョンが視界に入るたびに赤くなるので、毎度執拗に視界から消した。
話しかけられた時も「ん」「はい」「あっ」「ごめんなさい」とまともに返事が出来ない日々が続く。
主従関係が崩壊して一ヵ月ほど経ってか、ヌラリヒョンは逃げ腰の私を捕まえて「顔を見せておくれ」と言った。顔を赤らめ明らかに気のある素振りをする私に「揶揄ったりなどしないから、少しずつ慣れていこうか」と、いつのまにかお伽番担当になり、動揺でおかしくなる私と毎日付き合ってくれた。
私が何をしようとも、宣言通り揶揄わず冷静で居続けた。
不動な姿に私の恋心は次第に落ち着きを取り戻し、正しい主従の形を取り戻すことが出来た。
もちろん好きな気持ちに変化はない。
このひとは大丈夫だと、安心出来るようになっただけだ。
安定も束の間、新たな問題が頭をもたげてくる。
私にとっては初めてであっても、ヌラリヒョンは既に誰かと体験してきた事だ。
その経験の豊富さで私は救われたのに、今度は妬くようになってしまった。
「今言われて、勝ったって思っちゃった」
自分の中にこんな対抗心があったとは思わなかった。
顔も名前も種族も知らない相手に。
私は勝ち誇っている。
「過去は消せぬ。だが儂は其方とこれからの未来を築きたいと本気で考えている」
私は、ヌラリヒョンの初めてには一生なれない。
でも最後になれる可能性は、ある。
「儂も万能ではない。年寄りの意地で其方にとって頼れる英傑を演じてきた」
頼り甲斐のある人だったからすぐに打ち解けた。
彼はそういうひとなのだと思っていた。
まさかそれが演じた姿だなんて思いもしなかった。
「今度は情けない儂も見てくれぬか。失望させることもあるやもしれぬが、儂は其方にそういう部分も知ってもらいたいと思っている」
見たい。
きっかけはかっこよくて優しくて頼れたことだった。
そんな”妖の総大将”は本殿の英傑達や八百万界で点在する妖たちだって知っている。
今度は他の皆が知らないところを知りたい。私だけが知っていたい。
「其方も儂に見せてくれねばならぬぞ。心配せずとも儂はどんな其方も受け入れる」
それはもう今までの行動で証明してもらった。
「早速だけど、いい?」
「勿論。遠慮はいらぬ」
「……二人の時だけは、もう少し近くにいて欲しい」
唇を閉じたまま小さく笑われた。
「うむ。そうしよう」
ヌラリヒョンは私の手を取った。
(20211225)
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【あとがき】
出来るひとだと思い込んでいた。
好きだからこそ都合よく歪めて見ることもありましょう。
ここからです。