アマツミカボシと過ごすxx日-6-


昨日も一昨日も戦三昧の私たちであるが、最近は賑やかに過ごしている。
そろそろ七夕という事で、民衆たちは五節句に豊作を祈り穢れをはらう。
英傑たちは盛り上がれる時には大いに盛り上がって、摩耗する精神を癒す。
独神の私は特に何もしないが、笑い合う人々の様子を陰からこっそり楽しませてもらう。

星を司る神であるアマツミカボシも、この頃は浮ついているように見える。
星を愛でる者にとって七夕は特別だ。世を忍ぶ星神信仰者もこの日には盛大に祭りをすると聞く。

だとすると、私もアマツミカボシに何かしようかな。
星神を崇めるわけではないが、折角だから感謝の品でも。例えば食べ物とか。
……いや。物がいい。

一時で消えてなくなるものじゃなくて。
重いのも承知で送りたい。
自分の気持ちは言えないけれど、せめて……。
アマツミカボシの為に渡した、という事実が欲しい。

「サンキボウ。私を外に連れて行って欲しい」
「結界か? それとも視察とか?」

言い淀む。個人的な事だから。でも、言わなきゃ。

「……見たいものがあるの。その……悪霊とは、全然関係ない」

サンキボウは何かを察したのだろう。満面の笑みで大きく頷いた。

「了解っ! 俺はいつでもいいぜ」

サンキボウに抱きかかえられて、大空を駆け抜ければ都までひとっとびだ。
何件もの店をぐるぐると巡っていくが、目についた物は一つもなかった。

「帰ろっかな……」

これ以上本殿を空けられない。妥協して買うくらいなら渡さない方がましだ。

「じゃ、また後日来てみっか?」

何気ない提案に、私は次がある事を知った。
またサンキボウには迷惑をかけることになるけど。
ごめん。今回は沢山迷惑かけます。

「お願いします! 私はサンキボウだけが頼りなの!」
「っ! い、良いってことよ! 最後まで付き合ってやるって!」

こんなに真剣に誰かの事を考えるのって久しぶりかもしれない。
勿論独神としては四六時中考えているけれど、個人的に誰かの事を想い悩むなんて。

不安はあるけれど、とても楽しい。
目に見えるもの全てに興味を惹かれる。
本殿の英傑が持っているもの、話している事にも積極的に興味を持って情報を集めていく。

「主《あるじ》さんが好きなら他の子にも聞いたげる! でもどうしたの? 嬉しい事でもあった?」

にこにこと笑うヤマビコに、私もにこにこと答えた。

「うん。沢山あるよ。今とか」
「わーい! 主さんが喜ぶならわたし、もーーっとこの気持ち伝えないとね!」

拡声器を手にしたヤマビコを慌てて止める。

「あ、いや、ヤマビコ。そんな大々的に。ああああっ!」

寝る前には今日見聞きした事柄をもう一度思い出して、明日はこうしようなにしようと予定を立てる。
そういえば、今日は悪霊の事はあまり考えなかった。やるべき事をこなしているから問題ないだろう。
アマツミカボシに何を渡したらどんな反応をするかを想像しながら寝た。

────声が聞こえた。

白い景色が広がるばかりで姿はない。
床らしきものもなさそうだ。
水中の様に、ふわふわと浮いた空間。
ここはどこだろう。

「独神……第六代目の独神よ……」

鼓膜が震えて聞こえているのではなく、直接頭の中に言葉が流れてくる。
これは……八百万界が持つ意思の声だ。

「七代目の独神の生成した。全ての権限を七代目に明け渡せ」

思わず目を見開いた。
一瞬で毛穴が広がり、頭には熱い血が巡る。
冷えていく指先で拳を握り、産みの親に問いかけた。

「私はまだ二年しか務めておりません。歴代の独神は十年が普通では……」
「六代目は失敗だった。英傑たちを掌握しやすくする為共感能力を高めた事が裏目に出た。
 六代目は英傑を戦場に出す事に躊躇いを覚え、秘術である一血卍傑を自ら封じた」

反論できない。手汗が滲むような気がしてくるが、生憎夢の中では汗が流れない。

「一血卍傑を成せぬ独神は独神に非ず」

────失敗作。
そう聞いて、怒りよりも納得の方が強かった。
私は、戦に向かない性格で、英傑たちの信頼もあまり得られず、武器を振り回す芸もない。
確かに、八百万界の意思が私を見限るのは当然だ。しかし。

「最近では英傑達との連携も向上し、練度は高まり士気は上々。侵略者との戦も勝利を収めております。
 七代目との交代はもう数年先でも良いのでは」
「一血卍傑を成せぬ者は独神に非ず」
「しようと思えば出来ます。それだけの霊力は持っています」
「成せぬ者に存在意義などない」

言われずとも判ってる。
何を言っても決定は覆らない。
でも反論は止められない。止められるものか。
ここで私が終わってしまうのに。

「し、しかしながら独神を交代した所ですぐに英傑達と絆を結べますかね……。
 絆が無ければ一血卍傑は出来ません。そう設定したのはそちらですよ、ね?」

代替わりをすれば、私と彼らの関係をそのまま引き継ぐことになる。
しかし、七代目の最初の振る舞いによっては築き上げてきた信頼を崩し、英傑との信頼が無い状態からの始まりもあり得るのだ。

「当然、処置は施した。神代八傑に術をかけ六代目への興味関心を限りなく低くした。
 その間に六代目との記憶を薄め、七代目との記憶にすり替える手筈も既に整えた」
「八傑……?」

八傑たちが冷たかったのは、八百万界の意思によるものであって、彼ら自身の意思ではなかった?

「神代八傑により産魂み出された桜代英傑は、
 神代八傑への処置完了と共に六代目独神との記憶が七代目へと塗り替わる。双代英傑は順次」
「なるほど……」

魂の連鎖による洗脳回路だ。
絆なんて耳障りの良い言葉を使っていたが、繋がりって、そういうこと。
……そういうことなのね。

「不満か」
「いいえ」

考えもしなかった。彼らとの関係がぎくしゃくした理由が、外部要因だったなんて。
知らぬところで進められていた計画に腸が煮えくり返りそうだ。
私が築いてきたものとはいったいなんだったのだ。
こんなにも簡単に覆るものだったなんて、儚過ぎてうなだれてしまう。

「六代目の独神よ。七代目と融け合い八百万界の礎となるのだ」

そう言われると、二つ返事で「はい」と言いそうになるのが私の……いや、『独神』装置の不思議な所だ。
個人的心情としても、私の願いを次の独神が叶えてくれるのは願ってもない事。
独神の名に相応しいのは七代目。
もう不出来な私がわざわざ頑張る必要なんてない。

「……七代目は私よりも優秀なんですよね」
「如何にも。此度の失敗を踏まえて調整済み。今度こそ必ずや八百万界を治めるだろう」

私の欠点を全て修正したのなら大丈夫だろう。

「判りました。七代目への引継ぎの準備を致します」

起きた。
鳥の囀る音が聞こえ、部屋には柔らかな朝日が障子を通して部屋を照らす。
呼吸が浅く早鐘を打ち、髪の生え際にじわりと汗が滲む。
タタタタと廊下を蹴る音を聞きながら、私はじわじわと現実を受け入れつつあった。

そもそも私の中で、八百万界を守りたいという唯一の願いが揺らいでいたのは事実。
存在意義だから、義務だから。
そんな後ろ向きな気持ちでいた事は認めよう。
その証拠に、私は安堵しているのだ。
これからは、出来ない私を憎まなくて済む、と。

私では力不足だった。ずっと思っていた。
余計なことでうじうじと悩んでばかりで、百何人もの英傑を率いるような器ではなかった。
振舞いに気を付けてはいたものの不十分だっただろう。
英傑達を深く惹きつけるという独神固有の特殊術式が常時発動していても、私はあまり英傑達と心を通わせられなかった。
その証拠に、八傑たちが八百万界の意思によって心が変容している事にも全く気付かず、自分が傷ついた事ばかり目を向けていた。

確かに独神失格だ。見るべき英傑の事を何も見ていない。
八百万界に平和を取り戻す事は、ままごとではないのだ。
数千、数万の命を守る為の戦いである。
個人的な、それも些末な事に振り回され、冷静に判断できないのであれば、多くの者を昇天させてしまう。
私の肩に乗る沢山の命は重くて、独神の行動で没した命達は毎晩私に恨み言を呟いてきた。
個々の命から目を逸らす事で、私は毎日眠れていた。
しかし、そんな重圧ともお別れだ。
次の独神が優秀であるならば猶更。
安心して全てを譲渡できる。

────譲渡とは。
この環境をそっくりそのまま渡す事だ。
本殿設備や英傑、その他八百万界中の民との信頼度がそのまま引き継がれる、はずだ。
八傑や他の英傑達との縁でさえ、八百万界の意思で操作できるのだ。
きっとすぐに独神業務に取り組めることだろう。
うん、問題はない。
ない。

本当に?

今回の決定に全面的に賛成している私だが、一つだけ引っかかる事がある。
私が消えるのはいい。そこに未練はない。

未練?

私が何を未練に感じると言うのだ。
後ろ髪を引くようなものなんてないはずだ。
余計なものに執着しないように、独神に必要のないものは愛でなかった。
意図的に避けてきた。
私にとって大事なのは八百万界と、所属する英傑と、そして大勢の民草だ。
それ以外、何もない。これは間違いない。
なら、未練とは、何。
私が明日この世界から消えるとして、その消える間際に何を想う。

消えるのは痛くない。
眠るようなものだ。
躊躇う事はない。

そうだ。
未練なんてない。
あるはずがない。

この涙はきっと、生理的なものなんだ。







「頭、討伐完了だ」
「おかえりなさい、お疲れ様」
「ハッ、この程度肩慣らしにもならんがな。だが、他のヤツなら手こずっただろう。
 俺を選んだ頭《かしら》の采配は正しかったという事だ」

アマツミカボシは不思議な神だ。
付き合いが長くなればこの回りくどい言い回しもなくなると思ったのに、何故か悪化の一途を辿っている。
得意げな顔を見ていると、素直な感情が駄々洩れていて、まるで子供の用だ。
可愛いと褒めると、また眉間に皺を寄せてしまうので、黙って眺めている。

「どうした。俺を称える気にでもなかったか」
「いつも感謝してるよ。ありがとう」
「当然だ。英傑は数いれど俺ほど貢献している者は一人としていないだろうからな」

上機嫌だ。負傷だって少なくないのに。

「待って。手当てするからもう少しいてくれる?」
「かすり傷だ。必要ない」
「これくらいさせて。お願いします」
「……そこまで言うのなら、勝手にしろ」
「ありがたく手当てさせて頂きます」

このやり取りも形骸的なもので特に意味はない。
会話が出来るのが楽しくて、わざとやっているのだ。
アマツミカボシだって会話の最中に負傷した側の袖をまくってくれている。

手当てをしている間、アマツミカボシはあれほどに饒舌に話していた口をきゅっと結ぶ。
また難しい顔をしているが、これが通常の顔なので気にしなくても良い。

手当てをするということは、身体に触れる事だ。
アマツミカボシが嫌がらないという事は光栄な事である。
毎朝顔を出す習慣も継続している。
嫌な事があった時、迷った時にはなんだかんだ助けてくれるし、本当にお世話になっている。
感謝しているのだ。
私がこうやって独神をやれている一端は彼にある。
独神として、最期に縁を産魂《むす》んだ英傑が彼で良かった。

後は次の独神に任せよう。
きっと、彼ほど優しくて強い英傑なら、新しい独神でも安心だろう。
辛い時には声をかけてくれて、いつでも目を配ってくれて、負担をかけない距離感のまま見守ってくれる。
危険な時は身を挺して守ってくれ、私の憂いとなるものを影で切り捨てる。
優しいアマツミカボシの事、次の独神だって絶対に気に入る。
良い支えとなってくれるだろう。申し分ない。
文句なんてない。

ほらね。
私に未練《みらい》はない。







術式の準備を密かに進めながら、後輩の為にも色々と用意している。
その一環として、サンキボウにはいつも以上に説明している。
彼には、他の英傑よりも、アマツミカボシ以上にお世話になった。

「サンキボウって誰にでも優しいよね」
「ん、いきなりどした?」
「別に何かあるわけではなくて、なんとなく」

サンキボウは腕を組んで考え出した。

「改めて言われると、俺は別に優しいわけではないと思うんだよな。
 天狗仲間や、眷属とか、ここのヤツらの事は好きだから困ってりゃ助けるし。
 ……いや、でも山で遭難してる人族いたら助けるよな。
 山を壊す奴らには容赦ないけど、それ以外にはまあ、優しくしない理由もないし」
「……それって、優しいって事だと思うけど」
「じゃ、俺優しいのかも。主サンのお墨付き」

ははっと、豪快に笑う。

「主サンだって、俺なんかより底抜けに優しいよ」
「でも、私」
「でもはナシだぞ。俺の感想なんだからさ」

否定を封じられたので、私は大人しく聞くことにする。

「主サンは遠慮ばっかりしてるからな。もっと好きな事すればいいのに。
 美徳でもあるけど、絶対に自分を曲げちゃ駄目な時は素直になんねえと」

素直の言葉に引っかかりを感じた。

「……私って素直じゃない?」
「素直な時なんてあったっけか?」

きょとんとしている。冗談ではないのか。

「え、待って。え? だって、素直じゃないってアマノジャクやロキみたいな事でしょ?」
「ああ、そいつらはまあそうなんだが……。主サン我慢してばっかりだろ?
 思ってる事全然言わねえの。んなの、正反対のことばっかり言ってるヤツらと変わんねえって」

そんな事考えたことも無かった。

「こ、これは否定して欲しいんだけど……。アマツミカボシと私ならアマツミカボシの方が素直じゃないよね?」
「んー、どっちもどっちだな!」

嘘でしょ……。
なんだろう、この敗北感……。
サンキボウには笑われる。

「あんま気にした事無かったけど、主サンとアマツミカボシって似た者同士だから気が合うのかもな」
「似てないって!」
「アマツミカボシも言いそう」
「うぐぐ……」

否定しても否定しなくても同じ結果に……。
サンキボウは更に笑っている。
そうすると、私もつられて笑ってしまう。

いつも支えてくれてありがとう。
何気ない日常でも、楽しく過ごせたのは、サンキボウのお陰だ。
私が独神を続けられたのも、見放すことなく傍にいてくれたお伽番のお陰。

「ねえ、サンキボウ」
「ん?」

ぴょこんと翼が跳ねる。動物の尻尾と同じだ。
ひとの身体と違って、気持ちが連動している。

「いつもありがとう。……大好き」
「は!? え、いや、主サン!? え? え?? は???」

ふわさっと翼が持ち上がったので、

「じゃあこの紙束を出来そうな子に割り振っておいて。お願いねー」

真っ赤な顔した天狗をずずずと部屋から押し出す。
何か言いたげではあったが私はさっと障子を閉める。
面白かった。百面相は本当にあるのだ。

熱くなった頬を手で包んだ。心地よい温度が身体中に巡っていく。
言うつもりなんて全くなかったけれど、言ってしまうとこんなに気持ちいいんだ。
ありがとうだけじゃ、この気持ちを伝えるには足りなかった。
言って良かった。

それじゃ、次の独神の事、よろしくね。







起床後、身嗜みを整えようと鏡を見た瞬間、己の顔の酷さに思わず呻いた。
隈が濃くひどく疲れた顔をしている。
このところ引継ぎの事を考えて一層働いているせいだ。
寝不足も相まって朝日が眩しく目が開ききらない。
こんな顔でアマツミカボシに会わなければならないのかと思うと酷く憂鬱である。
私は化粧筆を手に取り、もう一度自身の顔をまじまじと観察した。
今日に限らず前からずっとこんな覇気のない顔をしていた気がする。

私は綺麗になる為の化粧は知らない。
儀式の為のものと、公的な場に行く際の身嗜みとしての知識だけ。
好きな人に綺麗だと思ってもらえるような、そんなやり方は知らない。
……こんな事なら普段からもっと気を配っていれば良かった。
着飾るなんて以ての外だと突っぱねてきたが、こんな時に俗物な考えを抱いてしまうとは。
…………惨めだ。

化粧は止めた。頑張る自分がみっともなくて。
それに今まで美醜に拘らなかった私が急に変わったら、きっと驚くだろう。
このままでいいのだ。今更取り繕ったって。
それでも何度か化粧品を手に取る。
触れて止めて、触れて止めて……最後には手を放した。
素材が悪ければ、どう施しても化けられまい。

いつも通り待っていると、アマツミカボシがやってきた。

「おはよう」

立ち眩みをしないよう慎重に立ち上がる。

「待て」

言われた通りじっとしているとアマツミカボシがジロジロと見回す。
疲れた顔を見られるのが恥ずかしくて僅かに顔を背けた。

「食べたら寝ろ。執務の事なら天狗に任せておけ。……多少は俺も手伝ってやる」
「申し出はありがたいけど、今はちょっと。どうしてもやっておきたい事があるから」

まだ引継ぎの途中だ。英傑の皆にもっと仕事を割り振らないと。

「貴様が倒れれば周囲が迷惑だと言っている。秘術以外は貴様でなくとも良い事を忘れるな」

一血卍傑が出来ない独神の存在価値は皆無。
遠回しな優しさのせいで無意味に傷つく。

「……うん。まあ、そうなんだけど。私に雑務を集中させない為に分散している最中だから。
 これが終われば、今後はもっと楽になるはずなんだ。だから今は休まない」

アマツミカボシは私を鋭く睨んだが、やがて身を翻した。

「行くぞ。俺が何を言おうと無駄だろうからな」
「うん」
「……嫌味が通じんとはな」

当然嫌味は届いている。でも仕方ないのだ。
私に残された時間は少ない。


お伽番のサンキボウも心配そうにしていたが、彼は別の理由で納得していた。

「判った。今は踏ん張っていこうな!」

無理する理由をアマツミカボシとの時間が欲しいのだと解釈したらしかった。

「でも、ヤバイ時は止めるからな。腕力で」
「お、お手柔らかに……」

細身のようで少し力を入れただけで盛り上がる筋肉の出番がない事を祈ろう。

「七夕ももうすぐだし、いっぱい楽しめるといいな!」
「うん……。それでその沢山覚えてもらうけど、……ごめんね」
「ぜーんぜん! 俺は覚えらんねえから出来る奴に任せてるだけだしな。
 だからどんどん言ってちょーだい。これからの主サンが楽になるなら皆大歓迎だぜ!」

英傑達が歓迎してくれているとは思わないけれど、サンキボウは本当に喜んでくれている。
私の事を自分の事のように。その明るさにはほっとする。
でも、楽が出来るのは私ではない。新たな独神だ。

自分の知識をどんどん分散し、執務の割り振りに事に尽力していると、本来ならもっと自由時間が取れていたのだと気づいた。
戦場に出られない分、他のことは自分がしなければと思っていたが、いくらなんでも抱え込みすぎていたのだろう。
今更改善点が判明した所で、次に生かす事は出来ないのだが。
一血卍傑に関わらず、私は独神には向いていなかったのだと冷静に実感している。
独神も、英傑や民と同じく、たった一人の個人だったのだ。
特に私のように感情を与えられた個体は。


──七月六日

みんながそわそわとしている。
七夕祭りの準備も今日が最終日。
そしてお決まりのように問題が発生して奔走するのだ。
私はそんな彼らを横目で見るだけに留め、朝来たアマツミカボシに言った。

「今晩少しだけ時間くれないかな」
「……奇遇だな。俺も貴様に少しだけ用がある」
「え……?」

私が驚いて声を漏らすと、アマツミカボシもまた驚いた。

「っ、先に用があると言ったのは貴様の方だろう」

私の反応が不服だったようで、慌てて言い繕う。

「ご、ごめん。その返しは予想してなくて……つい」

気に入らないと鼻を鳴らすアマツミカボシは先に執務室を出た。
こんな日なのに怒らせてしまったなと思いながら机を整理して、ゆっくり部屋を出ると腕を組んだアマツミカボシが壁にもたれかかっていた。

「遅い」
「ごめ、」
「行くぞ」

最後まで言わせず行ってしまう。
なんだかんだで待ってくれているのが、ありがたいような……悲しいような……。
もう優しくしてくれなくて良いのに。

今日の仕事はない
私中心となり過ぎていた本殿の運営を全て分散し終えたからだ。
既に桜代の英傑たちは八百万界による洗脳済みだったので引継ぎには難儀した。
もう魅了の術が解けているので、私の言葉では彼らを動かす事が出来ないのだ。
それでも完遂出来たのはサンキボウが仲介役を引き受けてくれたお陰だ。

しかし、気になるのは何故サンキボウはまだ私といてくれるのだろう。
彼も神代八傑から産まれた英傑なので、記憶が書き換わっていても良いはずなのだが。
アマツミカボシも同様である。
二人とも私との接触時間が他の英傑より長いからかもしれないが、まあ特に気にする事はない。
今日までもってくれたことに感謝しよう。

朝食が終わった私は散らかったままの布団にもう一度潜り込んだ。
夕方まで寝て、早めのご飯に早めの入浴。
鏡は何度も見た。顔は変わらなくとも髪や服装の乱れだけは直せる。
分けてもらった最後の香木も炊ききった。
ただの真っ白な手巾に香りを染みこませた物を襟の内側に忍ばせる。
無意味なものだが、ちょっとしたお守りだ。
これで準備は万端。

場所は特に言わなかったがアマツミカボシの居場所は大体見当がつく。
星神がいるのは星がよく見える所ばかりだからだ。
本殿にいくつかある場所を一つずつ回ればいい。
一つ目で当たった。

「頭か」

一瞥だけして空を見上げた。
ここは天狗の件で悩んでいた時期にアマツミカボシが慰めてくれた時の場所だ。
あの頃からアマツミカボシの事をただの英傑とは思わなくなっていた。
一挙一動が気になり、誰かに嫉妬し、落ち込んだ日々。どれも懐かしい思い出だ。

「こんばんは」

いつも堂々としている後ろ姿を眺めていると、アマツミカボシは「おい」と言って振り向いた。
への字に曲がった口で何が言いたいのかは判らないが、おそらく近づいても良いという許可だろう。
歩いていくとアマツミカボシが少し横にずれた。
多分、隣に行っても良いという意味だろう。
間違っていたらと悩んだがそっと隣に立たせてもらった。
こっそり顔を盗み見たが、怒ってはいないので正解のはず。
結局私はアマツミカボシという人物がよく判らないままだった

「用件は」
「それより、今日の星空はどうなの?」

空には雲がかかっていて、綺麗とは言い難い。

「薄雲がかかっていようと星の瞬きに陰りはない。どんな時であれ美しさは健在だ」
「じゃあ今日も綺麗なんだね」

やはりアマツミカボシは私と違う。
彼の目を通せばこの曇り空でさえ美しいのだ。

「アマツミカボシにとって、八百万界って何?」
「生存する界以外の答えがあるのか」

ここの者達にとっては、八百万界で生きるのが当たり前で外へ目を向けないのが普通だ。
その為、逆に八百万界に対して特別な感情を抱く者は一部だけ。
独神とはかなり温度差がある。

「知ってる? 八百万界って生きてるんだよ。手も足もないけど、目と耳はあるんだ」

不思議な顔をしている。知る人なんてこの世にはいないからそんなものだろう。

「八百万界は生きているひと達の事はどうでもいいの。
 ここが受け皿であればいい。思想や思考、感情、歴史、芸術によって形作られた魂たちの行先であれば」

ほんの少し世界の真実を語っただけなのに胸が痛くなる。
こんなことを口外してどうなるかは判らない。
だがどうせ終わる命だ。構うものか。

「英傑なんて一血卍傑で何度も呼び出せる手軽な駒でしかない。
 民だって、少し操作すればすぐに子を産み、一族を増やしていく取るに足らない存在。
 そんな風にしか思っていない八百万界を、私は」

ずきずきする。

「私は八百万界が嫌い。救う価値なんてない」

とうとう言ってしまった。
ぽかんとした顔で聞いていたアマツミカボシも、これには顔色を変えた。

「……貴様、正気か?」
「これが寝ているように見える?」
「では何故決起した。貴様がほざいた理想のせいで、何度戦が起きて、幾人死んだと思っている」
「まるで戦犯だね。けど、よく思い出して。
 私が指示した戦と、無関係に勃発した戦の数を。
 後者は民同士の争いで思慮の浅い感情のぶつかり合いばかり。
 この八百万界に多くの血を流させたのは、力が無く守られてばかりの民の方だ」
「……否定は、しない」

アマツミカボシは静かに同意した。
私の語りに拍車がかかる。

「民は愚かだ。どうしようもない視野の狭さで争いを止めない。
 英傑や独神を槍玉にあげるばかりで、自分たちの行いをまるで反省しない。
 私は……ずっと、うんざりしてたよ」

八百万界が特別必要としない民を守る意味が判らなくなった。
自身で身を護れないのに、争いの種を作った挙句英傑に泣きついてくる事が鬱陶しかった。
この事態を招いたのは独神だと言いながら、私ではなく英傑達を傷つける理屈が理解出来なかった。
良いひと達もいる。理解してくれるひともいる。
でもそれ以上に、許せない民の方が多かった。

「初めて私と行った遠征の事覚えてる? ほら結局私が気絶してお荷物になっちゃった」
「ああ」
「あなたは村人が大切に思う物まで護ろうとしてたね。でも護れなかった」
「だが貴様の結界でヤツらの命だけは救われた。ヤツらとしては不満だろうが……。
 俺の力不足は……まあ…………認めてやる」
「結界を維持する為の力は何処から引っ張ってきていると思う?」
「確か呪具を埋めていただろう。それから……」
「あの山から貰ってるんだよ。あのひとたちが命よりも大切にしているあの一帯の自然から力を吸い上げてるの」

アマツミカボシは目を見開いた。
目を吊り上げ、頬を紅潮させていく様子はまるで烈火のようだ。星神なのに。

「私は命を優先した。彼らに言えばきっと断るだろうからね、黙っていたよ。
 それが独神として当然の行動だと思ってた。
 なのに、アマツミカボシは大量の悪霊に追い詰められても尚、彼らの大切なものまで守ろうとしてた。
 …………あの時の敗北感。今でも鮮明に思い出せる」

アマツミカボシへの好意とは別に、私の中には嫌悪も嫉妬も飼っている。
高潔で潔癖な星神様は今の私には眩しすぎるし、己の存在を揺るがす。

「貴様、見損なったぞ!」
「……ならそもそも、私の事なんて見えてなかったんだよ。
 もしかしてあなた、独神の私を知った気になってたの?」

せせら笑ってみせると、胸ぐらを掴まれる。

「今からでも術を解除しろ」
「無駄だよ。あの村は滅んだ。近隣の村と争った事が原因でね。
 あの自然がもたらす恵みを取り合って戦った。悪霊とは無関係に」

胸元が緩んだ。アマツミカボシは苦虫を噛み潰した顔をして、湧き上がる何かを抑えているのが見て取れる。
その間に服の乱れを直した。自分は冷たい言い方をするくせに、言われる側に回ると怒るのだから質が悪い。

「……貴様はいったい何がしたい。何が目的だ、独神!」

独神。
災厄の来訪を告げる者の名だ。

「ずっと思ってた。私は独神の器じゃないって。
 独神の皮を剥いだ私の中身なんて、こんなもんなんだから」

夜風が頬を撫でた。冷たい。
危うく興奮で全てを台無しにしそうになる私に、平静を促してくれる。

「ならば、英傑どもの事はどう考えている……」
「英傑……」

八傑の心変わりも、桜代の子たちの記憶に手を加えられた事等諸々ある。
それでも、ずっと傍にいてくれて、不出来な私を支えてくれて、こんな私を慕ってくれた事を私は忘れない。
本当はもっと普通に仲良くなりたかった。
術で強制的に私に好意を持たせたり、嫌悪させるのではなくて。
戦いにだって出したくなかった。もっと平和な世界で自由に生きて欲しかった。
もう私の存在は彼らの心にはないけれど、私は、英傑たちの事────。

「英傑のことなんて何も想うはずないでしょ」
「天狗っ、サンキボウの事でさえもか」

一瞬心が揺らぎそうになるが抑える。

「なんにも想ってないよ」

きっと聞きたい言葉が返ってこなかったのであろう。
アマツミカボシはすっかり黙ってしまい、私たちの間に沈黙が座する。

そろそろ、良いだろうか。
これだけ言ったのだ。潔癖で実直なアマツミカボシは私を軽蔑するはずだ。
────私の思惑通りに。
あとは何を言おうか。
アマツミカボシが私を許せなくなるような言葉。

「お生憎さま。誰も彼もみーんな私に騙されてるんだよ。
 補充のきく英傑達で戦争ごっこを楽しんで、周囲に持ち上げられて悦に入る。
 それが独神、いいえ、私の正体だよ」

嫌な言葉を吐く度に頬がひくつく。
吐きそうだ。
さっさと私を罵って欲しい。
ぐうの音も出ない程の理想と正論で殴って欲しい。
アマツミカボシの事が嫌いになるくらい徹底的に叩き潰して。
それが私の中の幕引き。

「……違うな。俺の知る頭はそのような輩ではない」

アマツミカボシの言葉は私が期待したものとは大きく違った。

「そんなのあなたの思い込みで、」
「いいや。思い込みなどではない」

断言する。迷いのない力強い言葉に私の方が呑まれる。

「悪霊討伐において、貴様の第一目標は常に全員の生還、最小限の負傷。
 勝利する気が薄すぎるぬるい采配に俺たちの方が暴れ足りなかったくらいだ」
「そんなのただの印象付け。独神は末端兵の事まで想う人格者だと刷り込む為」
「印象付けにしては毎度飽きずに同じ采配だったがな。
 凄惨な殺し方も知っている軍師でさえ貴様の思想に合わせていた。
 貴様が俺たちを常に労わってきた事をヤツらもよく知っていたからな」

そんな事はない。

「彼らは独神に命令されて仕方なくしていただけでしょ。
 別に彼らが私の意図を汲んだとか……そもそも私はそんな事なんて考えてないのに」
「あんな作戦を立てるのも実行するのも骨に決まっているだろう。
 戦場に立つ俺たちが何故不要な苦労をせなばならんのだ。
 それは頭。貴様の為だ。貴様の矜持に共感した事を示し続けるためだ」
「いや、意味判んないし」

まずい。
まずいまずいまずい!!
旗色が悪いにもほどがある。
本当なら軽蔑され、侮蔑され、嫌悪されているはずだったのに。

「頭は独神として、英傑は勿論、民の事もこの地の事も守るべき愛しきものと認識していた」

そんな事はない。知った風な口を利くな。

「だから俺は貴様にこの、星を司る尊き力を貸してやったのだ。
 それだけの価値が、貴様にはあったからだ」

そんな事はない。そんな、事。

「そんな事はない」
「ある!」
「ない! ……だって……」
「ごちゃごちゃ抜かすな」
「だって独神なのに! 一血卍傑が使えないんだよ!
 あなたを最後に一度も使えてない!!
 一血卍傑の出来ない独神なんて役立たずでしょ! 私はもうここに存在する為の理由がないの!」
「俺にはある! 故に貴様はただここに存在さえすればいい!」

それは、ないよ。
だって、……そんな普通のひとみたいな独神、許されるわけがない。

「……仮にあなたがそうだとしても、他の英傑はそんな事思ってないよ」
「貴様はこの俺に必要とされるだけでは不服だと? 傲慢にもほどがあるな」
「……なにそれ」

よくもまあそう偉そうな言葉が出るものだと呆れてしまう。
呆れすぎて視界が歪む。

「……貴様が人々の想いを抱え込んでいる事は理解している。
 耳を塞ぎたくなる事の方が多いのであろう。……嫌な事があれば逐一俺に言え。
 ふざけた事を抜かすヤツは切り伏せ判らせてやる……と、言えば貴様は黙るだろうからな。
 その名を聞くだけで許してやる。ついでに貴様の大将らしからぬ後ろ向きな言葉も聞いてやる。
 毎日顔を合わせるのだ。話す機会はそれなりにあるだろう」

優しい声色が耳をくすぐる。
気持ちよくて笑っちゃいそうなのに。笑いたいのに。
唇を噛みしめて必死に堪えた。

「貴様が抱き続けた愛情が反転し、憎しみに変わったとしても俺は傍に居続ける。
 それは貴様が愛し抜いた事実を知っているからだ。
 行き着く先が例え八百万界の滅亡であっても、俺は最後まで見届けてやろう」

瞬きが出来ない。そんな事をしたら、零れてしまいそうだ。

「唐突ではあるが、その、頭……。貴様に一つ聞いて欲しいことがある」
「聞かない」

意表を突かれたという表情がぼんやりと見える。

「確かに貴様には断る権利はある。だが、聞くだけ聞いて判断しても遅くあるまい!」
「だから断る。……だって、アマツミカボシは……ちょっと……困ったひとだから……思い通りにならないから……」

あなたは私を嫌わないといけなかったのに。
私を信じてはいけなかった。優しくしてくれてはいけなかった。

「あのね。……私、アマツミカボシの事」

歪んだ視界の真ん中で浮かぶ星神がどんな顔をしているのか見えない。
こんなに朧気に霞んだものが私が最期に見る、あなたなんだね。

「大嫌い」







少しは驚いてくれただろうか。傷ついてくれ……るわけは絶対ないから、せめて。
私が傷ついて、この傷を抱いたまま終わりたい。
甘くて柔らかな気持ちは優しすぎて脆くて、儚い。
でも、痛みなら、いつまでも覚えていられる。
幸福な記憶より、不幸な記憶の方が鮮明に覚えていられるから。

こっぴどく嫌ってもらえれば、私の未練はなくなると思っていたのに。
明日にはもうアマツミカボシは私の事を忘れて、次の独神に同じように接するんだ。

こんな事になるなら、好きになんてならなければ良かった。
別れがこんなに辛いなんて。
それも明日からは、私じゃない私を私だと思って過ごすなんて

そんなの絶対に許せない!!
だから嫌われようとしたのに!!!
なんでこんなときばっかり優しくするの!!

大嫌い! 大嫌い大嫌い!
あなたがいなければ、もっと早く代替わりに進めたのに!
どうして私に執着を教えたの!
私に独占を教えたの!
嫉妬なんて教えたの。
好きで好きで堪らなくなる、こんな衝動を教えたの!!
一緒にいられない寂しさなんて教えたの!!!!

私にしてくれた事を独神にするなんていや。
私にしてくれなかった事を独神にするなんてもっといや!
彼との信頼を築いたのは私なのに!!
私じゃない誰かが良いとこ取りするなんて。

初めて悪霊と戦ったのは私。
一緒に星を見たのは私
常陸の国に一緒に行ったのは私。
あなたの心に少しずつ触れたのも私。

何もかも私のものだ。
誰のものでもない。
新しい独神になんてあげない。
彼との思い出は私だけのもの。
彼は私のものだ。
優しくしてくれたあなたは私だけのもの。
私だけが知っていればいい事だ。

高潔なあなたが背を丸めたことも。
孤高のあなたが私に縋ってくれたこと。
この記憶を私は絶対に手放さない。

誰にも渡したくない。
渡したくないのに。
私が無能だったばっかりに。
私がもっと独神として優秀なら、このままずっといられたのに。
まだまだあなたとの思い出を作る事が出来たかもしれないのに。

本当は言いたかった。
最期だから。
好きだって、大好きだって、伝えたかった。
でも、言えなかった。
あなたに好きと伝えた独神は、明日には別の誰かになってしまうんだから。
好きと言われたあなたの驚く顔も、次の日の気まずさも、独神なんかに渡すものか。

だから代わりに。
最期に、爪痕を残す。
せめて今日が終わるその瞬間までは、私の事、考えていて。


さようなら はつこいのひと