アマツミカボシと過ごすx日


「(大丈夫……)」

私は心の中で呟いた。
円陣の中に入ったアマテラスとジライヤは準備が出来たと、視線を受ける。
大丈夫。私は声に出さずにもう一度呟くと、意識を集中して一血卍傑の為の祝詞を唱えた。
”独神”の声に反応して、捧げられた御統珠たちが青白く光る。
部屋に施された術式が反応し、御統珠によって増幅された界力を吸いあげて赤々と部屋を染める。

アマテラスとジライヤの魂が溶け合い、私の中に入ってくる。
ちかちかと目の前の光が点滅する。何も見えない。
その中で浮遊する魂を私は探さなければならない。
見えない。見えない。見えない。見えない。
焦る。
見えない。見えない。
──見えた。

ひときわ輝く命の輝きを掴み取ると、部屋を満たしていた光が人型へと収束し、八百万界での姿を与えた。

「……誰だ、貴様」

低い声。赤い夕日が沈もうとする間際の空の色の髪をしたひと。
私よりもずっと背が高くて、とても、力強い目を持つひとだった。
いつも通り名乗ろうと口を開くと、彼は突然跳躍し私と距離を取った。

「クソッ、天津神め!」
「待って!」

剣を構える彼を、アマテラスが制止した。
しかし、彼は警戒心を緩めない。一層、敵意が強まったようにも見える。

「アマテラス……と、その仲間だな」
「聞いて!」

アマテラスが叫ぶが、彼はアマテラスとジライヤ、そして私の動きを一切逃すまいとじっと睨みつけている。
アマテラスは丸腰だが、ジライヤは違う。
このまま彼が戦闘の意思を曲げないようであれば、ジライヤが彼を攻撃、拘束するだろう。
私とアマテラスを守る為に。

「アマツミカボシくん! あなた、無関係の人を殺す気?」

剣こそ下ろさないが、先程よりも気配が緩んだように思える。

「……この方は神族じゃない。一切関係のない方よ」

アマツミカボシと呼ばれた神を、私は見つめた。
彼から読み取れるのは、嫌悪感。敵意。
憎しみの色濃い目が私をいつまでも刺し続ける。

「だから何だというんだ。貴様らと共にいるという事は、つまりは天津神を信仰する巫女なのだろう。同じようなものだ」
「違います。彼女は独神。私たちとは全く別次元に御座す方。……独神って、ほら聞いた事ないかな?」

少し考えると、彼は鼻で笑った。

「ハッ、つまり今度は貴様らが従わされる方へ回ったというわけか。ははっ、無様だな」
「け、形式上は従ってますけど! そうじゃありません! 
 一緒に悪霊を倒す仲間なんです! 主様は主様ですけど!」
「悪霊……? なんだそれは」

今の八百万界の現状を知らない彼に、アマテラスと私が口々に説明した。
海から黒い船がやってきたこと。悪霊が攻めこんできた事。
それによって、八百万界が全体が絶滅の危機に瀕している事。
私たちはそれを防ぐために戦っている最中である事。
彼は私たちの説明を聞くと、剣を下ろした。
不服そうに顔を歪める。

「チッ。俺の知らぬ間にそんな事になっていようとはな……」
「それで、私たちはそんな悪霊を倒すために、主様の下に集っているんです。
 神族だけじゃないですよ。妖族も、人族も、三種族全て、大集結です」

彼は目を伏せながら、少し考えこんだ。

「……八百万界が滅びる、か」

ぼそりと呟く。
突然刃を向けてくるような相手だが、八百万界の危機については感慨深いものがあるようだ。
そして、彼の鋭い視線が私に戻る。

「貴様が天津神だけでなく、他の者も率いていると?」

私は深く頷いた。

「そうなります。とは言え、私はあなた方とは違います。悪霊と直接戦う術は持ちません。
 あなた方の力なくして、悪霊から八百万界を護る事は不可能です。
 ですが、私にはこの世界の誰もが使えない秘術”一血卍傑”があります。
 これさえあれば、この戦いを勝利に導く事が出来る事でしょう」
「対抗策は本当に貴様だけなのか。貴様がそう言い散らしているだけではないのか」

嘲りの声にアマテラスがいち早く反論した。

「主様はそんなひとじゃありません! アマツミカボシくんも、私たちが嫌いなのはしょうがないですけど、
 主様にまで嫌な言い方しないで下さい」
「知るか。貴様の言う事など聞く気はない」

アマテラスに吐き捨てた彼は、また私を見た。
じろじろと不躾に観察されていく。
身体がぞわぞわする。いつもの事だがあまり慣れない。
アマツミカボシは不満げながら剣を鞘に仕舞った。

「まあいい。一度は聞き入れてやる。あとは自分の目で確かめる」

陣を跨ぎ、部屋を出ようとするアマツミカボシをジライヤが止めた。

「貴様はまだ八百万界に産魂まれたばかりだ。
 一人で外に行くのはやめておけ。俺がついていこう」
「必要ない」

虫唾が走ると言わんばかりに吐き捨てるが、ジライヤは引かない。

「駄目だ。まだ存在が不安定なお前では、まともな戦闘は出来ず、みすみす悪霊に殺されるだけだ。
 俺の存在が鬱陶しいのであれば、お前に気取られぬよう護衛しよう」
「不要だ、と言ったのが聞こえないのか」
「お前こそ、今の戦闘能力では犬死だと言っているのが判らないのか」

今すぐにでも殺し合いそうな二人であったが、アマツミカボシは舌を打って幕を下ろした。

「チッ。勝手にしろ」

早々と歩いていくアマツミカボシをジライヤが追う。
私たちは後の事を彼に任せ、二人で盛大に溜息を吐いた。

「ひゃ~、大変でしたね、主様」
「びっくりしたよ……。久しぶりだったね。あんな一触即発。
 鶺鴒台がまた血塗れになるかと思ったよ」
「ですよね……。あ、でも今回は成功して良かったですね!」
「うん。ほっとした。それに御統珠無駄にせずに済んだ~」

祭壇に捧げた御統珠はもう消えてなくなっていた。
八百万界へと還っていったのだ。
集めるのはあんなに大変なのに、一度の儀式であっけなくそれも大量に消えてしまう。

「あの、主様、アマツミカボシくんなんですけど……」
「うん。複雑なご関係……なのよね」

うんうんと、アマテラスは頷く。

「大丈夫。話せば判ってくれるよ。それは私の仕事だから心配しないで」
「えーっと、それでですね、アマツミカボシくんと会わせない方が良さそうだな~って子が何人もいてね……。
 特にタケくんとか、フッくんとか……」
「会わせたらどうなるの?」
「…………てへ」

舌を出して可愛く笑っている。
つまりそれはもう、とんでもないことが起きるのだろう。
幸いな事に、タケミカヅチもフツヌシも遠征に行っており、すぐには帰ってこない。
鉢合わせる可能性は低いだろう。

「じゃあまずは、アマツミカボシが住む準備しよっか」
「はーい! やっぱり衣食住の中でも住って大事ですよね!
 引きこもり部屋があればアマツミカボシくんも少しはカリカリせずに済みますよね!」

元気になったアマテラスの後ろを私は追いかけた。
こんな様子だが、多分アマテラスは楽観視していない。私もそうだ。
彼は私たち、特にアマテラスに対してどきりとするような敵意を向けていた。
そんなひとが素直に私たちの仲間になるとは思えないし、もしかしたらまた一悶着あるかもしれない。
多少の不安を抱えながら、私たちは兵舎の空き部屋を巡回し、良さそうな部屋を見繕い、蒲団や部屋着を用意した。
あとは、ジライヤとアマツミカボシを待つのみだ。

待っている間、アマテラスは近隣で出た悪霊の討伐の加勢に行った。
私はひとり、執務室で仕事をしている。
夜が近づき、晩御飯の良い匂いが広がってきた頃に、アマツミカボシが顔を見せに来た。

「おかえりなさい」

アマツミカボシは返事をしなかった。
沈鬱な表情を見れば、今の八百万界に何を思ったのかは想像がつく。
私は何も言わなかった。彼が口にするまで、膝に手をやりずっと待っていた。
彼は小さく息を吐く。それが合図だった。

「……貴様が言っていた事、悪霊が八百万界に攻め込んでいる現状は、真であると認めよう」

私は頷いた。

「悪霊の対抗勢力として一番大規模で有力なのが、貴様ら独神どもだという事も、民の口から聞いた」

頷いた。誇張表現ではなく、本当の事である。

「俺は、悪霊に屈する気など毛頭ない。だから、貴様らに多少は手を貸してやる。
 但し命令は一切聞かない。俺が何をするかは、俺自身で決める。それを肝に銘じろ。いいな」

ああ、なんて力強い言葉だろう。と、私は心が震えるのを感じた。
それでいて、この傲慢としか思えない態度はなんだろう。
あまりに人々が思い描く神族そのもので、少し笑ってしまいそうになる。

「はい。判りました。ご協力感謝いたします」

床に両手をつき、頭を下げると、アマツミカボシは不服そうに鼻を鳴らした。

「勘違いするなよ。俺は貴様の言う事など聞かないからな」
「勿論、承知しております。私たちではどうする事もできない時、あなたの力を借りにお伺い致します」

元々、私たちは命令で繋がっている訳ではない。
同じ目的の為に、お互いの力を借り合っているだけである。
だから淀みなくアマツミカボシの要求をのんだというのに、何故か納得した様子がない。

「あの……何かご不明な点でもありましたか?」
「いや。……独神とは、いったいなんなのだ」

その質問はよくされるのだが、実は一番答えにくい。

「独神は八百万界が危機に瀕した際に産まれる存在であり、それ以上でもそれ以下でもございません」
「なら貴様は界に産み落とされたばかり、なのか……?」
「その通りでございます。まだ一年くらいしか八百万界に住んでおりません」

じろじろと見てくる。

「……。なるほど。貴様は八百万界に使役される存在という訳か」

納得できたようだ。

「では、アマツミカボシさんには今後この本殿に住んで頂きます。
 向こうに兵舎がありまして、英傑達にはそれぞれ個室を設け、好きに住んで頂いております」
「フンッ。貴様に施される気はない。近隣の村ででも勝手に生きていく」
「それはお止め下さい」

また、アマツミカボシは嫌そうな顔をした。この人はすぐ私を睨みつける。
居心地は悪いがこちらも言うべきことは言わなければならないので、臆している暇などない。

「ここは結界が常に張られています。
 あなたが外に一人でいて、しかも今は身体と魂が馴染んでないというのに、大変危険です」
「貴様こそおかしなことをほざく。俺たちよりも力なき民は、いつくるやも知れぬ悪霊を恐れながらも一人で生きているのだ。
 ヤツらにできて、俺に出来ない事はない」
「彼らを守る為に私たちが戦うのに、守る前に討ちとられたらどうするんです」
「誰が民を守ると言った。俺は俺自身の為に戦う。誰かの為に剣を抜く事はない」

なんて我の強いひとだ。相変わらず神族は癖が強い。

「英傑に怪我があっては困ります」
「ほう。貴様は英傑さえ守れれば満足だと?」
「そうではなくて、あなたに何かあっては私自身が嫌だと言っているんです!」
「俺に何があろうと貴様には関係ない」
「あります! 初めて会うあなたが怪我する所なんて見たくありません!
 私の術で呼び出したのに。私はあなたの安全を保障する義務があります!」

どちらも引く気のない問答。
構わず行こうとする腕を掴んだ。

「っ! 放せ!」
「嫌です!」

腕を振られると身体ごと持って行かれる。
まだ本調子ではないとはいえ、やはり英傑。
私では太刀打ちできないほどの腕力を持っている。

「絶対に放しません。あなたがここにいてくれると言うまで、ずっと握り続けます」
「鬱陶しい。訳の判らん事をほざくな」
「何処にも行かせません! せめて身体と魂が安定するまでは傍に居続けます!!」

埒が明かないと思ったのだろう。アマツミカボシは剣を抜いた。
刀とはまた違う。神具のような不思議な刀身をしている。
多分、痛いだろう。アマツミカボシが何を司る神かは知らないが、神は自然の力を味方につける事が多い。
そういう力を纏った刀身で切られると、ものすごく痛いのだ。
だが、私は手を放す訳にはいかない。
目をぎゅっと閉じて、握る両手に力を込めた。
痛みを想像すると大量の手汗で滑りそうになる。
爪を立てそうになるのを堪えて、必死に握った。

「……はぁ。しつこいヤツだ。このままで埒が明かない。貴様の言い分を聞き入れてやる。感謝しろ」
「ありがとうございます」

私は胸を撫で下ろし、握っていた腕を放す。
強く握り過ぎて痕が残っているかもしれない。

「すみません。強く握り過ぎてしまって……痛み、ますか?」
「そこまで軟ではない。侮るな」

良かった。

「あの、お部屋なんですけれど、先程いくつかある空き部屋を掃除しまして、
 どこがいいか一緒に見てもらってもいいですか?」
「……案内しろ」

私が歩く数歩後ろをアマツミカボシはついてくる。大人しくしてくれて安心する。
ちゃんとついて来ているかと度々振り返ると「なんだ」と、返事をしてくれる。
こうしてみると、悪いひとではないようだ。
眼光が鋭く責めるような目つきを先程までしていたのだが、今はそんな事は無い。
もしかすると、因縁があるらしい天津神を抜きにすれば、本来は穏やかな人なのかもしれない。
それなら今後上手くやっていけそうだ。
と、私は広い兵舎の奥へと歩いていく。遠いので多少不便だが、静かな所が良い。
あまり干渉されたくないひとのようであるし、利便性より静穏性の方を重視すべきだと思ったのだ。

「少し遠くてすみません。でも、兵舎の中では静かなので落ち着けると思います」
「そうか。その方が俺には都合が良い」

良かった。見立てはあってた。
嫌がられなかったことに少し嬉しくなる。小さなことだが胸が弾む。
だがそんな喜びも、すぐに引いていく。

「主君! 討伐が思ったよりも早く済んだから、急いで帰ってきたんだ!」

明るい笑顔を浮かべたタケミカヅチは、私を見て、そして、その後ろの人物を見て顔色を変えた。

「……君は……」

私はとっさにアマツミカボシを隠すように立った。

「違う。やめて。彼はさっき私が産魂んだばかりなの」

やめて、ともう一度言うと、タケミカヅチは言葉を飲み込み、私たちの前から素早く去った。
殺し合いにならずに済んだ。私はゆっくりと息を吐き、アマツミカボシを振り返った。

「……ごめんなさい。まだ言っていませんでした。
 ここにはタケミカヅチ、それとフツヌシがいます。
 彼ら双璧は八百万界の為、よく働いてくれています」

黙っていた事、怒られると思った。

「……どうりで、俺の剣が疼くわけだ」

彼は鞘に収まったままの剣に触れた。
しばしの思案の後、私に尋ねた。

「……それで、俺に使えという部屋はまだ歩くのか」
「も、もうすぐです。あと二部屋先で……」
「行くぞ。貴様らが言っていた通り、身体に倦怠感が付きまとう。さっさと休ませろ」
「はい。お蒲団も用意しております」

一つ目の部屋に連れて行った。
候補の部屋は他にもあったのだが、彼は一目見てここで良いと言った。

「お腹すいてますよね? 食べるのも億劫かもしれませんが、
 食べる方が回復が早いので出来れば口にして頂きたいです」
「判った」
「なら、今すぐこちらにお持ちしますね。
 普段は大部屋で皆で食べるんですけれど、今日はお一人で過ごされた方が良いと思いますので」
「ああ」

覇気がないように思える。やはり疲れているのだろうか。
ならば、さっさと動かねば。
私が部屋を出ようとすると、アマツミカボシは「おい」と言って呼び止めた。

「……さっき、何故俺の方を庇った。タケミカヅチは随分貴様を慕っていたようだが」
「理由を聞かれても困ります。考えて行動したわけではないので……」
「俺がヤツらに打ち負かされたから、弱者の俺を庇ったのか」
「……え、あなたが負けたんですか?」
「っ。いや。なんでもない。今のは聞かなかった事にしろ」

ようやく会得がいった。天津神への嫌悪と憎悪の理由。
双璧が関係するという事は、芦原中国の国譲り、平定だ。
だから会ってはいけなかったんだ。

「……では、食事を持ってきますね」

何事も無かったかのように退室し、また余計な事は考えないようにして食事を運んだ。

「食事です。あの、持って来てから言うのは遅いのですが、お嫌いなものはありますか?
 大人数で食べるものではありますが、ある程度は融通がききますから、遠慮なく仰ってください」
「ない。気を回しすぎだ」

溜息を吐かれてしまった。急ごう。

「食べ終えたらお膳ごと外に出して頂ければ、そのうち私が回収に参りますので。
 ……では、私は下がらせて頂きます」

軽く頭を下げ、私は素早く部屋を出た。
そのまま大部屋で英傑のみんなと食事を共にし、食休みを経てからアマツミカボシの部屋の前に訪れた。
お膳の中を見ると、全て綺麗に平らげていた。食欲があるのは良い事だ。
もしかすると、無理して食べているのかもしれないが、身体に大地の恵みを取り入れる事は八百万界に馴染む為の近道。
この調子なら、すぐに神としての存在を取り戻すだろう。
部屋の中を見ないようにして、少しだけ耳を澄ませた。何も聞こえない。寝ているのかもしれない。
私は食器が鳴らぬよう、静かに、そして素早くその場を去った。
その後は滞った仕事を片付け、ヤマヒメに早く寝なさいと怒られてから寝た。

────次の日。

朝の挨拶に向かうと、アマツミカボシは部屋にいなかった。
本殿から出てしまったのか、それとも敷地内を歩き回っているのか。
昨日は本殿や所属英傑に関する事を説明できていない。
天津神──つまりアマテラスの系譜の神族はここで何人も生活をしている。
まさかとは思うが、会う度に抜刀するのだろうか。
胸に広がる不安を抱えたまま、草履に足を滑らせて庭を駆け回った。

「主(あるじ)殿、どうしたんですか?」
「ククノチ! あの、新しい英傑見なかった? アマツミカボシって言うんだけれど」
「え! アマツミカボシ……」

ククノチは難しそうな顔をしている。

「見てはいないです。でもあの、彼とタケミカヅチさんは会わないように」
「もう会っちゃった……。昨日」
「ええええ!!!」

声が大きい。他の英傑が訝し気にこちらを見ている。

「ど、どど、どうだったんですか!?」
「その時は大丈夫だった。でも、その、私まだちゃんと説明できてないから、どうなるかは……」
「い、急ぎましょう! 私も植物の皆と探します」

それだけ言って、それはもう全速力で走っていった。
ほんわかなククノチまでがこんなに焦るなんて、いったい、アマツミカボシと神々の間はどうなっているのだろう。
昨日の夕食時にタケミカヅチには話をして、本殿で争わないで欲しい事も理解してもらった。
だがフツヌシはまだだし、アマツミカボシの方にも本殿で私闘禁止の決まりを伝えていない。
なんで、大人しく部屋にいてくれなかったんだ。
いや私が昨晩ちゃんと言っていれば、と後悔しても遅い。
私もまた、敷地内を駆けて、英傑に協力をお願いした。

「ん。そういや新顔がいたな。アメノワカヒコといたぞ」

と、サンキボウは言った。

「アメノワカヒコ!?」
「声をかけようとしたんだけど、なんかアメノワカヒコが来るなって感じで首振るから止めたんだよ」
「そうなの!? ごめん! 急用なの! 空から彼らを探して、そして私をそこに連れていって!」
「了解。しっかり掴まってな」

サンキボウに抱えられて、空から敷地を見下ろす。
──いた。豆粒の二人が歩いている。剣は抜いていない、ように見える。
私は急いで下ろしてもらった。

「アメノワカヒコ、アマツミカボシ!」
「主殿。そんなに慌ててどうしたの?」
「だって……」

近くで見ると普通に連れ歩いているだけのようだ。
もしもの想像が外れて嬉しいが、盛大に疲れた。

「……部屋に挨拶に行ったら、アマツミカボシがいないから探してたの」

というと、慌ててアメノワカヒコが言う。

「ごめん。俺が彼を見つけて嬉しくなっちゃって、昨日来たばかりだというから、案内してたんだ」
「それならいいの」

どうやら、神族全てと敵対しているわけではないらしい。
アメノワカヒコと親密ならば任せてしまおう。私が介入するよりよっぽど落ち着いていられるはずだ。

「邪魔してごめんなさい。私はすぐに行くから。それと、このままあなたに全部お願いしても良い?
 まだ、アマツミカボシには何も説明できていないの」
「判ったよ。任せて」

今度はアマツミカボシの方を向いた。

「おはよう。昨晩はよく眠れました?」
「……ああ」
「良かった。結構枕の苦情が多いのだけれど、あなたはそんな事なかったみたいですね」
「雨風凌げるだけで十分だ。それ以上は望まん」
「あと、……アメノワカヒコに任せますが、何かあれば私に直接申し付けて下さい。
 今日は執務室にいるので。場所はアメノワカヒコから聞いて下さい。それでは、失礼します」

私はまたもや早々とその場を去った。
アマツミカボシは、私を目にした時、顔をしかめてとても嫌がっていた。
嫌われる事には慣れているが、どうしてもそういう顔からは逃げてしまう。
私だって、嫌がられるような事をしたいわけじゃない。

彼は、少し、苦手だな……。







「おはようございます。……起きてる?」

ぱしっと戸が開く。勢いが良すぎて心臓がどきどきする。

「当然だ。で、何の用だ」

アマツミカボシは少し跳ねた髪を手櫛で直しながら、嫌そうに聞いた。

「朝の挨拶。それと、確認です。あなたが八百万界に存在出来るだけの力を取り戻しているかどうかの」
「……ハッ、わざわざご苦労な事だ」
「ここの主ですから、当然です。見たところ大丈夫みたいなので、私は行きます。
 あなたは早めに食事をとって下さいね。あまり遅いと片付けられちゃいますから」
「貴様はこれから何をする」
「戻って仕事します。その後ご飯食べたり……食べ忘れたり……」

あまりに忘れると、見かねてお弁当が差し入れされる。
食べるまで見張られる事もあった。私はそれほど食事には執着がないのだ。
それにやることばかりが毎日溜まっていて、時間がいくらあっても足りない。

「昨日大体の事はアメノワカヒコに聞いた。もう貴様が心配する事はない」

頼んで正解だった。後でお礼を言おう。

「多忙の身らしいからな、手短に聞こう。
 独神。貴様は悪霊との戦いに勝てると思っているのか」

配慮の割りには、手短に終わらない話題を……。

「勿論です。勝つ以外の未来は有り得ませんから」
「大口を叩く奴だ。そんな事、武器も取れぬ臆病者だって言えるぞ」
「それでも、私は勝つ気でいます」
「ハッ、実際に血を流すのは英傑ではないか」
「……そうです。でも、だから何。私が悪霊に打ち勝つと信じる事のどこがおかしいの」
「貴様が悪霊の前に転がされても、果たしてそう言えるかな」
「言えるよ」

嘘ではない。全て本当にそう思っている。
だが、アマツミカボシにその想いが届いている様子はない。

「……あなたが私を疑っているのは判りました。
 だったら、これからの私を見て判断して下さい」
「俺に判らせたいなら、精々努力するんだな」

この反応ももう何度目か。
毎回毎回信じてもらえるように、しつこく伝え続けている。
想いが一度で伝わるような言葉や行動なんてない。
私はただ毎日毎日、八百万界の為に身を粉にして働き続ける。
精々もなにも、いつだって努力しているつもりだ。
……誰にも、伝わらないけれど。

「失礼します」

アマツミカボシの部屋を後にし、私は執務室での仕事に取り組んだ。
皆が朝食を終えた頃にぽつぽつと、神族たちが私の元を訪れた。
理由は一つ。アマツミカボシの事だ。

双璧と新入りとの関係は大丈夫なのか?
主、つまり私の心労は大丈夫なのか?
自分は平定に関係ないからアイツとも大丈夫だとか、
色々な声を聞いたが、一番多かったのはやはり双璧についてだ。
特にフツヌシは、早めになんとかした方が良い、自分たちも会わせないようにすると言ってくれた。

「フツヌシが帰ってきたら、まずは私のところにお願い」

それを皆に伝えて、私はいつも通りの仕事に取り掛かった。
独神の仕事というのは多く、そして地味である。

一番多いのは民と英傑の仲介役。
八百万界は絶滅の危機に瀕しているとはいえ、まだまだたくさんの者が住んでいる。
代表した町や村の者が私に連絡を寄こしてくるので、それを読んで悪霊の動きや、交易を把握し、英傑を派遣していく。
私自身は専門的な事が判らない為、適任と思われる英傑にお任せしている。

これがまたややこしく、大変なのだ。

英傑の予定や日程を組むのだが、町の復興となると大体同じ英傑が必要とされ、その英傑は出ずっぱりである。
各地で必要とされるのは良いが、英傑も善意でやってくれている事なので、あまり無茶な要求には答えられない。
私はそういう要求をやんわり断ったり、先延ばしにして、なんとなくやっていっている。

独神の仕事は他に、一血卍傑の儀式がある。
英傑をこの八百万界に降ろす秘術だ。
これは私しか出来ない。
だが術には御統珠という界力が封じ込められた鉱石が必要とされるので、毎日行うわけではない。
御統珠はなかなか見つけられない貴重な鉱石なのだ。

あとは、極偶に前線に出てこの力を使って様々な奇跡を起こす。
状況によって何をするかは変わるので説明は難しいが、英傑を敵の攻撃から守ってみたり、
界力を操る悪霊から主導権を奪ってみたり、現場によってまるっきり違う。

アマツミカボシには、私を見てと言った。
ならば、言葉通りその目で実際に確認してもらうのが良いかもしれない。
私はお伽番のサンキボウに色々な事を全部任せて、アマツミカボシを探しに行った。
まだ彼の事はよく知らないので何処にいるのか見当もつかない。
しらみつぶしに探してみる。

まずは部屋。いない。
なら人が少なそうな所なら花廊はどうだろう。いない。
錬金堂なんて絶対にいそうにないけれど。やっぱりいない。
修練場もいなさそうだ。うん、いない。

そういえば、星の神様である事を他の英傑に教えてもらった。
星なんて昼間は出ていないが、空が見える所は好きかもしれない。
私は自分が知る景色の中で、空がきれいに見えて、それでいて人気のいない場所を回っていった。
だが、そう上手くはいかなかった。見つからない。
仕方ないので執務室に戻ると、サンキボウが多すぎる情報量に困っていた。

「ごめん! すぐ代わる!」
「悪ぃ、主サン。……面目ない」
「こっちこそごめん。結局アマツミカボシは見つからないし、それならあなたに空から探してもら……」

──あ、そうすれば良かった。

「と、とにかく! まずは一つずつ片付けましょう、ね」
「おう。一つずつ、だよな」

サンキボウには英傑を呼び出してもらったり、討伐へのお願いをしに行ってもらって、
私は目の前の仕事を猛烈な勢いで潰していった。
アマツミカボシに私の仕事を見てもらうなら、事務仕事をもっと減らしていかないと……。
それにアマツミカボシの普段の生活も、もっと知っておきたい。
私に産魂ばれてしまった彼は、毎日何を思って生きているのだろう……。







本当なら敷地内を散歩して英傑たちの様子も見ていきたいのだが、それもなかなか難しい。
細々とした仕事を終わらせていく。これも全てアマツミカボシとの時間を取る為だ。
本人は嫌がるかもしれないが、お互いに時間を共有してみないと理解し合う事は無理だ。
睡眠時間返上で処理していき、あとは得意な英傑に仕事を振って振って振りまくる。
八百万界全域の雑務が私一人でまかなえるはずがないので、割り振るのはとても大切な事だ。

「おい。飯はここに置いておくぞ」
「ありがとうございます。後で食べます」
「今すぐ食べろ。……と、ウカノミタマからの伝言だ」
「ひっ! すみません!」

また怒られてしまった。
顔を上げると、そこにいたのはウカノミタマではなかった。

「……あの、ウカノミタマじゃないんですか?」
「ヤツはどこかの村の祭りに駆り出されていて、多忙の身らしい。
 それで、俺にこんな面倒な役を押し付けていった」
「それは……どうも、申し訳御座いません……」

よりによって、アマツミカボシに頼むとは……。
ウカノミタマ……。この人選はちょっと気まずいよ。

「謝罪はいい。早く食べろ」
「……はい」

皿の上におにぎりを箸で掴んだ。
紙類が汚れるからと、おにぎりを手で持つ習慣はもうなくなってしまった。
箸で一口程度に切り分け、口に運んでいく。
口にすると急にお腹が鳴って、私の身体が食事を欲していた事を知る。

「いつから食べていない」

と、アマツミカボシは私を見下ろしていった。

「……今朝は食べていません。昨日は……覚えていません」

アマツミカボシは溜息を吐いた。

「これではあの狐も苦労が窺える」
「すみません……」

一応食べようとは思っているのだ。思っているのだが、忘れてしまう。
または気づいた時には炊事場は片付けられていて、皿や水場を汚すとその後片付けが億劫で、
それなら食べない方が楽だと考えてしまう。
……という考えはやめろと、何人もに言われているのにこの様だ。

「ヤツには食事の恩義があるからな。貴様が完食するまで監視しているからそのつもりでいろ」
「ご迷惑おかけします……」
「いちいち謝罪するな。鬱陶しい。貴様は目の前の皿に集中しろ。それと、急いで食べるなとも伝言だ」
「はい……」

確かに急ぐと胃がひっくり返って、吐き戻しそうになってしまう。
ゆっくりと。何度も噛んで、味がなくなっても噛んで。そして飲み込むのだ。
私が食べている間、アマツミカボシは周囲の紙に目をやった。
大体が手紙と、所望する物資の一覧だ。

「これらは他の村や町のものか」
「そうです。八百万界全土の集落と連絡出来るようにしています。
 とはいえ、勿論隠れたところに里がある事もありますし、交流を拒む里もありますので、全ては網羅出来ていませんが」

今度は紙を手に取って目を通し始めた。私は私で頭の中で数字を数えて噛み続けている。

「……全域で戦が起きているのだな」
「はい。人が多い都市を中心に英傑を派遣しておりますが、やはり数が足りません。
 集落が点々としていますと、悪霊の痕跡を見落とす事も多く、後手に回る事も多いです。
 ですから、出来るだけ集落の仲を取り持って協力し合えるようには促しているのですが……。
 なかなか難しいのが現実です。異種族間の軋轢はそう簡単に解決しませんし……」

英傑達だけではなく、八百万界の全てがこの脅威に対し一致団結すべきなのだ。
と、私は思っているのだが、理想が現実に反映する日は遥か遠い。

「信仰が原因で交流を閉ざす集落もあります。そういう所で無理に協力を促す事は出来ないので、
 せめて悪霊に見つかりにくくなるように、または逃げる時間を稼げるようにと、結界を張る事が多いです」

この流れなら、誘っても良いだろうか。

「近日中に結界を張りに行こうと思っているのですが、良ければあなたも来てくれませんか」

誘い文句を口にすると、ひどく胸がどきどきした。
どんな言葉で断られるかは判らない。言葉が強すぎて心の方が折れてしまうかもしれない。
アマツミカボシは私に言った。

「……良いだろう。行く時は声をかけろ」

勝手に顔が緩んでしまう。嬉しい!

「判りました。あの、普段どこにいらっしゃるんですか? 声をかけるにも何処を目指したら良いのかと……」
「日中は決まった所にはいない。……そうだな、朝晩に部屋に来い。
 いや、夜は戻るのが遅いかもしれんが……、朝はあまり早く行動を始めていない分、空ぶる事は少ないはずだ」
「はい、承知しました。では予定が定まったらすぐにお伝えしにいきますね」

私は残りのおにぎりをガツガツと食べると、予想通りむせた。

「慌てるな。見苦しい。……貴様が体調を崩しては、それを作ったウカノミタマが心配する。
 落ち着いて食べる事が、独神としての仕事じゃないのか」

静かに諭され、私はこくりと頷いた。
ゆっくりと食べる。誰も来ない部屋で。アマツミカボシと二人。
微かな咀嚼音だけが流れる中、アマツミカボシは宣言通りずっと傍にいた。
暇に違いないのに、彼は苛立つ様子は見せず、存在を主張する事はなかった。
私もそのお陰で気を回さなければと、変な空回りをする事無く、自分の速度で完食した。

「ごちそうさまでした。食器は持ってい、」

皿を奪われた。

「貴様はすべき事が山積みなのだろう。そちらを優先しろ」

私が何か言おうとする前に早々と戸を閉めてツカツカと廊下を歩いて行ってしまった。
彼が部屋からいなくなって一人になると、つい声を上げて笑ってしまう。
アマツミカボシとの約束をとりつけた。
今から楽しみでならない。







結界を張りに行くのは、私とアマツミカボシの二人。
向かう先は、山奥の集落だ。
妖族だけで構成された集落で、なんでもその山の恩恵を昔から受けて生きているので大切にしているらしく、
山を大切にしない余所者は嫌いなんだとか。特に山の資源を根こそぎ奪っていく人族が。

私は人族ではないし、アマツミカボシは神族、それも自然に由来する神だ。
村人たちは余所者の私たちに対して不審感を露わにはするが、武器をもって襲ってくることはなかった。

「手紙を見ました。悪霊が近隣を通る事も増えた、とか」
「左様。村の者が山に不審な形跡があるのを見つけました」

人や妖ならば匂いで判るらしく、それには該当しないと言っている。
なら神族ではと聞く前に、山の植物たちが神族ではないと教えてくれた事を聞かされた。

「手紙の通り結界は張りなおします。ですがその前に現場を見せてもらっても良いですか」
「ええ、村の者に案内させます」

村長に呼び出された体格の良い妖の青年は、私を睨みつけ無精無精といった態度を隠しもせず案内をしてくれた。

「ここは山も深く、海から進軍する悪霊は足を運びにくい所だと思いますが、最近は何かありましたか?」
「……。俺は案内を村長から仰せつかった。それ以外を行うつもりは無い」
「これは失礼しました」

村の外の者とは関わるな。
と、幼少のころから聞かされていたと思われる青年は、正しく言いつけを守っているのだろう。
よくある事なので、こういうそっけない態度には慣れている。

「おい。余所者の手を借りていながら随分な態度だな」

隣を歩く英傑の挑発的な態度にぎょっとした。な、なぜ、言い返しちゃうの?
青年は額に青筋を浮かべながら、怒りを押し殺したような平坦な声で言う。

「あれは、村長が決めた事……村の総意ではない……。本来ならこの山に不浄の余所者など入れるものではないのだ」
「そうですよね。申し訳御座いません。今回はご厚意に甘えてしまって、」
「総意でなくとも、長が決めた事に従う事で集落が成り立っているのだろう?
 だったら、独神と協力関係を築くことを決めた村長の意向に沿い、独神の質問にくらい答えろ」
「い、いいよ! 言いたくない事は言わなくて! 大丈夫ですから!」
「言わなければ、痕跡付近を勝手に探る。それこそ、貴様らの大切な山を土足で踏み歩く事になる。
 だが、貴様が情報を吐けば荒らすことなく終わるかもしれない。
 さて、どうする。貴様にとって何が一番大切なのかよく考えろ」

あ、アマツミカボシって、神族以外にも結構……威圧的、というか、こんな態度なんだな……。
村や町を回る時のお供には向いていないかも……。

「……最近、他の集落の者が近くを通るようになった。
 食糧不足のせいで、遠くまで足を運んでいるんだろう。
 そういった奴らが踏み歩いた結果、草木が踏み折られ、草が生えない道が出来ている。
 そういう跡が、集落と集落までの導になっているのだろう……」

なるほど。
けものみちだけなら、他の者は集落を見つけることは出来ない。
地理に疎い悪霊は当然気付かない。
だが人々がそうやって道を作ってしまえば、悪霊を導く事になる。

「貴重な情報、ありがとうございます」

頭を下げてお礼を言うと、青年は盛大に舌を打った。
本当は私なんかに言いたくなかっただろうに、きっと村の事を想って教えてくれたのだ。
こうやって聞けたのも、アマツミカボシのお陰だ。
確かにちょっと喧嘩腰ではあったのだが、青年を説得してくれた。
お陰でこの村だけでなく、他の集落への支援も見えてくる。
私はアマツミカボシを見て、お礼の言葉代わりにちょっと笑って見せると、ぷいとそっぽを向かれた。
……接し方の正解が、よく判らないな。

痕跡と言っていた現場にたどり着くと、つんとした匂いがした。
私はこの匂いを知っている。

「……悪霊に違いないですね。彼らの術の匂いがする……。術者がいるなら、山ごと燃やす事も考えられる」
「なんだって!?」
「結界を急ぎます。それと、この悪霊が何処にいるのかを探りたいので、他の英傑も呼びます」

私たちは急いで村に戻った。
私は持ってきた荷物を取り出し、村の要所要所に道具を埋めていく。
その間アマツミカボシには村に来るかもしれない悪霊を警戒してもらった。

「私は今から結界を張ります。そうすると、私は一切動けません。
 アマツミカボシには私を守ってもらいたいんです。
 悪霊だろうと村人だろうと、他の集落の人だろうと、術を中断させるものは全て遠ざけて欲しいんです。
 ……お願い、できますか?」
「貴様の指示に従う気はない。だが、悪霊への対処は貴様の方が知識があるだろうからな。利用してやる」

回りくどくてよく判らないが、多分……私のお願いを聞いてくれるという事だろう。多分。
間違ってたらとんでもない事になるが、ここは信じていこう。うん。

「頼みます」

私は意識を集中し、結界に取り掛かった。
八百万界へ直接伝える為の特殊な言語を用いる事で、私は結界を張る。
五行を用いる陰陽師の結界とはまた別のもので、界力を利用するものだ。
持ち込んだ道具も周囲の界力を集めるために使う。

これを使うと、村は守れるが。多分、少しばかり山は元気がなくなるだろう。
私は卑怯だから、この事は村長たちに伝えていない。
彼らはきっと、自分の命より大切な山をとるだろうから。

だめだ。罪悪感なんて持ったら心が乱れる。
集中集中……。

私の意識が少しずつ小さくなり、八百万界に干渉していく。
お伺いを立てながら、お願いするのだ。この場所を護って下さい、と。
そうすると、界力がある場所ならば出来るよ、と返してくれるので、
私はじゃあこの辺からこの辺まで宜しくお願いしますと頭を下げるのだ。
……本当はもっと抽象的なのだが、こんな感じで私は術を行────

「敵だ!!!! 敵が侵入してきた!!! 悪霊だ!!!!」

私の集中が、乱れる。
目を瞑っているので、何も判らないが、耳には確かに鎧の音が聞こえる。
金属がすれる音が大地から響き渡っている。これはかなり……多い。

「貴様は結界に集中しろ! 悪霊は俺が食い止める!」

そうだ。邪魔をする者を遠ざけて欲しいとアマツミカボシに頼んだんだ。
私もやる事をやらないと。
集中しなおし、再び八百万界との交信を続けた。
村人の悲痛な声も、木々が破壊される音も、武器が交わる音にも耳を塞ぎ、私は村への結界を張った。

────出来たっ!

現実に戻ると、集落の中では老人や女性、子供が肩を寄せ合い、結界の範囲外である集落の外では力のある者達が悪霊と戦っていた。
土煙と血飛沫が舞う。地面に伏している者も見える。
私は急いで村の外に出た。悪霊の多くはアマツミカボシが引きつけ、剣でなぎ倒していた。
数が多すぎて、一人では捌ききれない。加勢が必要だ。

「結界は完成しました! 負傷者は村の中へ! 村の中から飛び道具で応戦して下さい!」

村人はこれで良いだろう。彼らとて今まで集落を護って来たのだ。
私よりずっと度胸があり、戦闘技術にも長けている。
必要な情報だけ伝えればあとは環境を生かした戦闘が出来る。

あとは、アマツミカボシだ。
私に何が出来る。私は彼の戦闘形態を見たことが無い。
彼の力になるにはどうする。どうする。どうする。
考えている間に、アマツミカボシが悪霊の攻撃を防ぎきれずに血潮が舞うのが見えた。
私は戦闘の邪魔になる事は考えず、アマツミカボシに駆け寄り、一血卍傑の力を解放して、全方向からの悪霊の攻撃を防いだ。

「貴様!」
「こ、こうやってある程度なら攻撃を防げる。でも、長くはない。範囲が広ければそれだけ短い。
 村の結界ならまだ持つ。今から龍脈を使って本殿まで応援を呼ぶか、それとも、一掃するだけの力があるか。
 急いで教えて……」

一血卍傑の力は「何か」と「何か」を繋げるもの。
今は空気同士を繋げて、見えない壁を作り出している。
だが、本来の力の使い方ではない為、体力を極端に使うし、効果時間も短い。
早く決断を下して欲しい。

「全てを屠る力はある。貴様はこの一帯、村と山とを全て、一瞬だけでも護りきる事が可能か答えろ」

無茶苦茶な事を言う。

「一瞬だけ、なら……」
「今すぐ防御をやめろ。そして備えろ。俺の合図で防壁を展開しろ」

悪霊は私たちのすぐ傍にいる。武器を振り上げ、術も連続で撃ちまくってくる。
だが、私は指示通り防壁を消した。
阻むものがなくなり、悪霊たちは嬉々として私たちに襲い掛かった。
合図を待つ私は動かない。アマツミカボシが被弾しながらも剣を振るい続ける。
──突然、アマツミカボシは剣を天に向かって掲げた。

「星々の力よ。我が声に呼応し、目の前の愚者を葬り去れ!!」

空模様が変わる。
昼だというのに、星々が煌めく。太陽よりも強く、光り輝く。
天から数多の流星が流れ落ちる。

「今だ!」

私が防壁を展開すると同時に、目の前の悪霊たちに光の矢が降り注いだ。
光に貫かれた悪霊たちは耳をつんざく奇音を放ちながら、黒煙となって消滅する。

────なんて綺麗なんだろう。

黒々とした悪霊たちが消え、天からの落とし物が輝く大地を見ながら、私の意識は消えた。







俺は、倒れた独神を拾い、集落まで運んだ。
村の者達は悪霊を倒した俺たちを、歓迎しなかった。
独神の力によって、ヤツらが大切にしている山と村は守り抜いた。
だが、俺と悪霊が対峙していた場所は星に焼かれて、草は消え、木々は倒れていった。
ヤツらにとって大切なのは山だけでなく、周辺の自然も含めてのもの。
やはり余所者など信じるべきでなかったと口々に捲し立てられた。

俺は反論した。

「結界を完成させ、悪霊の脅威を拭いさった独神への仕打ちがこれか」

と、嘲笑交じりに言ってみれば、それはそれと言って聞き入れようとしない。
俺一人ならば相手にすることなく去る所だが、力を使い切って気絶している独神を安全に休ませる場所を確保したかった。
もう一度奴らが反論できないような事でも言ってやろうかと台詞を考えていると、
独神はむくりと起きて村の者達へ顔を向けた。

「困ったら、また手紙下さい。すぐ来ます」

それだけ言って、またことりと首を折った。
寒気がした。気絶しても尚民の事を考え続ける姿勢に。
そして、この場に独神を留めたくないと、強く思った。

俺は抱えていた独神を背中へおぶり直し、そのまま集落を後にした。
連中は何か言いたげだったが、もうどうでもいい。
先の戦闘で負傷し、疲労している俺ではあるが、まだ動くことは出来る。

独神に教わった周辺の集落の事を思い出し、そこまで歩いて行った。
賭けではあったが、神族中心の集落へ向かうと、俺たちは受け入れられた。
なんでも、イザナギから界中の神族に独神に協力するように要請があったのだと。
それに加えて、独神の計らいでこの村の復興を助けてもらったことがあると言っていた。

俺は施しを素直に受け、独神の看病も頼んだ。
その間、なんとか本殿に連絡出来ないかと、知恵を借りていた。
ここに来る時は龍脈を利用したが、それは独神や陰陽師等の一部の者しか使えない。
独神の意識がない以上、俺にはどうする事も出来ないのだ。
やれる事としては自然に呼びかけ、伝言を本殿まで伝え続けるらしいが何分時間がかかる。

だが、そのお陰で思いついた。
星々に願い、本殿に一つ、星を落とすのだ。
神族なら、特に自然神ならば俺の気配に気づくかもしれない。
俺に気づけば、共に外へ出た独神の事にも頭が回るかもしれない。
行先と誰と外出したかは当然本殿の英傑どもに伝えているのだから。
先程随分力を使ったが、一つだけなら星を落とす事は出来る。

俺はすぐさま星に願い、本殿に向かって落とした。
ここまでしなくとも今日中に戻ると伝えて外に出たのだから、
夜になっても俺たちが帰還しなければ、何かがあった事に気づくだろう。
だが、念には念を入れて。
それに、死んだように動かない独神を一早く連れて行きたかった。

夜を待たずして、英傑は俺たちの元へ辿り着いた。
先の戦闘での俺の流星を見て、ただ事ではないと察してこちらへ向かう準備をしていたようだ。
陰陽師による龍脈ですぐに本殿に帰ると、独神は部屋へ連れて行かれ、俺は霊廟へと連れて行かれた。

流石の俺であっても、もう逆らう気力が無かった。
独神が英傑どもに囲まれているのを見て、俺は、安心したのだ。
すると力が抜け、アカヒゲとかいう人族に何をされようともどうでも良かった。
食って寝ろと言うので、命令を聞いたわけではないが、食ってすぐに寝た。

次の日、俺の傷は塞がり、体力も戻っていた。
こんな事いくら神族とはいえ有り得ないが、この霊廟という場所が特別らしく英傑の回復を促すそうだ。
なら、何故独神をここに置かないのかと聞くと、独神は全く俺たちとは全く別種の生命だから効果が無いらしい。
それよりも、界力の中心が近い自室の方が良いのだと。

独神はなかなか目覚めなかった。
俺は独神がどんな能力で、どれだけやれるのかを把握していなかった。
まさか、あの時の俺の指示がそれほど身体に負担を強いるものだとは思わなかった。
そして俺が防ぎきれなかった傷までもその身に負っている。

俺は認めよう。独神を。ヤツの気概は本物だ。
口だけではない。信念を持った者であると。
侮っていた事を、謝罪しよう。

だから、目を覚ませ────。







「長! ぼく、わかる?」

何の事。声に導かれ目を開くと、吐息のかかる距離にマカミの顔があった。

「んぎゃっ!?」
「おきた! 長が起きた! みんなにしらせないと!」

マカミが慌ただしく走っていった。眼球を動かすと、どうやら自室のようだ。
なんで寝ているんだっけ。あの様子だと、また私は倒れたのかもしれない。
ゆっくりと自分の記憶を解いていくと、アマツミカボシと結界を張りに行った事を思い出した。

────アマツミカボシっ!

寝着に構わず、部屋を出た。まだ日は高くない。今は朝。
ならば自室かもしれない。兵舎を足早にかけていき、奥へ奥と進んでいく。
静かな部屋が続き、空き部屋と空き部屋の間にあるアマツミカボシの部屋。

「アマツミカボシ! いるの?!」

まどろっこしい。
返事を待たずして戸を開くと、まだ着替えてもいないアマツミカボシが蒲団の上にいて私は身体の力が抜けた。

「無事だったんだね」
「おい、貴様目覚め、いや、何故ここに来た」
「あの時怪我をしてたでしょ。なのに私また気絶なんてして、大丈夫だった?
 霊廟じゃないなら元気にはなったんだよね?」

捲し立てると、アマツミカボシは両肩を掴んだ。

「落ち着け」

ばくばくする心臓が私に言葉を紡がせようとする。
それを、肩の痛みが必死に抑え込んでいる。
言いたい。言いたいことは沢山ある。でも言うなとアマツミカボシは言う。

「俺は全快した。貴様が心配する必要はない」

強く言い切られると、ほっとした。
気分が落ち着いてくる。それを見計らってか、アマツミカボシが落ち着いた声で話した。

「他のヤツらは貴様が目覚めた事は知っているのか」
「マカミが、そういえば。目の前にいて走っていった」
「なら部屋から貴様がいなくなって慌てている事だろう。歩けるか」
「うん。ゆっくりなら」
「肩を貸してやる。まずはその顔を他のヤツらに見せてやれ」

アマツミカボシに補助してもらいながら自室に向かうと、途中私を見つけた英傑達に心配されたり、世話を焼かれたり。
そして気づけばアマツミカボシの姿がなくなっていた。

それから数日は強制的に療養し、独神として働く許可をアカヒゲやショウキ、スクナヒコ等から得てから動き出した。
食事時には必ず連行され、ちゃんと食事をした事を確認された。
風呂も連行され、執務室で明かりをつけようとすればどこからともなく飛んできた矢によって消された。
なんという監視生活……。
集団生活故に監視から逃れることは出来ない。大人しくするしかない。
しかし、この監視に穴がある事を、私は長い生活で知っている。
夜、部屋の外に出る用としてお手水に行く事があるだろう。
なので、部屋を出たらすぐに強制的に連れ戻されるという訳ではない。

と、言う事で、私はお手水に行くふりをしながら、肌寒い夜の本殿を歩いた。
ひたひたと出来るだけ足音を立てないように歩きながら、私が向かったのは兵舎だ。
今日も酒盛りをしているのだろう。庭に映った部屋の様子が明るい。
私は気づかれないようにそっと廊下を走り抜ける。
兵舎の奥へ、奥へ。
空き部屋がちらほら見える所まで。
一つだけ、ぼんやりとほのかな光が漏れている部屋がある。
私は「もし」と声をかけた。すっと戸が開き、部屋の主が顔を見せた。

「……入れ」

私は頷いて、部屋にお邪魔した。
アマツミカボシの部屋はとても殺風景で、空き部屋であった頃と殆ど変わらない。

「それで、こんな夜更けに何の用だ」

極々当たり前の事を聞かれたのに、私は黙りこくってしまった。
しばらくして、アマツミカボシが口を開いた。

「先日の戦いで、貴様を護りきれなかった。……悪かった」

私は首を振った。

「そんな事無い。結界は張れたし、村も守れた」
「だが、貴様の願いは自身の守護だった。俺は約束を違えた」

私が否定しても、アマツミカボシは納得してくれない。

「気にしないでよ。目的を達成するために守ってもらいたかっただけなんだから。
 なのに、そうやって恥じ入られるのは、私も、少し、……困る」

本音を漏らすと、アマツミカボシはそうかと言って、話を切った。
私は自分が言いたかった事を思いだして言った。

「あの日、色々あったけれど、私が何をしているか、どんな力なのか判ってもらえた?」
「貴様も、俺がどういう存在か理解したか」
「うん、した。……とっても、綺麗だった」

空からの流星群。
悪霊を滅ぼす為に使うような力ではない。
とても美しい、景色だった。

「フンッ。そう思って当然だ。星々の美しさには誰もが息を呑む」

嬉しそうに見える。
でもごめんなさい、今はそっちじゃなくて。

「私はあなたの目から見て、どうだった。独神をどう思った」

英傑の目から見て、私と共闘して悪霊を退ける事が出来ると思えるのか。
八百万界の全員が一致団結して戦わなければならない以上、先導する私を信用してもらう事は必須。
改善すべき点は聞きたくなくても聞かなければならない。
アマツミカボシの事だ。きっと忌憚のない意見をくれるはず。

「……俺が、貴様を侮っていた事は謝罪する。悪かったな」

これは、予想していなかった。
まさか謝るなんて。

「認めてやる。貴様はこの八百万界の住まう者の為に戦っている事を。その覚悟がある事を」

ばつが悪そうな態度で、そして小声で、もう一度謝罪の言葉が聞こえた。
謝ってくれなくていい。そんな事はどうでもいい。
判ってもらえた。
その事が、たまらなく嬉しい。

「誤解がとけて良かった……」
「何故、俺の誤解をとく必要がある」
「普段、勘違いされてばかりだから、せめて同じ屋根の下で暮らす人たちにくらい、
 本当の自分を知ってもらいたいって、そう思うよ」
「…………」
「誤解されたまま上手くやる人もいるけど、私は狭量で……辛いんだ。そういうの」

独神は英傑を使役して八百万界を支配しようとしている。
独神があの村に加担したのは、我々を潰し、この豊かな地を奪う為だ。
独神は悪霊と結託しているのだ。そうやって我々を惑わしているのだ。

────独神は不吉の象徴。独神が存在したから悪霊が現れた。

「なんだ貴様は。なら、自分の境遇と俺の境遇とを重ねて同情しているのか?」
「え?」

何を言っているのかさっぱり判らなかった。
聞き間違い……ではなさそうだ。

「……ごめんなさい。あの……全然重ねてなくて……その……ごめんなさい、ね?」
「っ!」

口を滑らせたと言わんばかりの苦い顔。

「よく判らないけれど、誤解されたままでいるのが嫌なのが同じって事?」
「違う! 忘れろ!」

私の言葉の何が、彼に似ていると思わせたのか、全く判らない。
でも、おかしくってつい笑ってしまう。

「笑うな。虫唾が走る」
「ううん。共通点があって良かったって思って。
 私とあなたはあまり似ていないと思ってたから。
 ……嫉妬してしまうくらいに」

言わない方が良かったかもしれない。
アマツミカボシは訝しげな顔をしている。

「独神の貴様が何故俺に。貴様に欠けた物が俺にはあるだと?」
「あるよ。沢山……」

あの時、村人と村だけでなく、彼らが大切にしている山を守ろうとした。
私は結界の為にあの山を犠牲にしているのに。
あの一瞬で、私はとてつもない敗北感を与えられたのだ。

「……なあ、独神。貴様は倒した悪霊を覚えているか」
「いいえ」
「俺は覚えている。有象無象とは言え、斬ったものは必ず記憶する」

どうして。そんな無駄とも思える事を?

「”痛み”を忘れるな。……それが、土地や民、そして夜を奪われた俺が貴様に言える事だ」

”いたみ”
──とは、何を指しているのだろう。

「迷え。だが一度決めたら迷うな。もう貴様の背後は死体の山で溢れているのだからな」

ひどい現実を容赦なく突き付けられているのに。
不思議とその言葉は痛くない。

「俺が斬った分は貴様が背負う必要はない。
 命令ではなく、自分の意思で俺は悪霊を斬った。
 これは俺が背うべきもの。貴様には関係のない事だ」

強い眼光が私に諭す。

「背負う量は違えど、俺と貴様は同じだ。忘れるな」

揺ぎ無い言葉が、私の心をじんと沁み込んでいく。
彼を信仰する者が迫害にも負けず根強く生き残っている意味が判る。
確かに彼自身の瞬きは目を引く。
あまりに純真な想いに、心が持って行かれる。
聞いているだけで心が洗われていく。

だから、独神の私は────聞いているのが辛い。

彼みたいな人が独神だったら、もしかしたらこの世界はとうに救えていたのかもしれない。







長い長い遠征からフツヌシが帰ってきたと、ウンガイキョウから聞いた。
現場に出くわしたサルタヒコが誘導して、アマツミカボシがいない場所を通って執務室に向かっているらしい。
私は、……特に準備はないが、ただ机に向かっていつも通り働いていれば良い。
だがなんとなく落ち着かず、無意味に部屋を立ち歩いた。

「やあ、主。ただいま」
「おかえりなさい。怪我はない?」
「いや、怪我ならここに」

どこ、と首を傾げていると、フツヌシが近づいてきて私の腕を掴むと、自分の胸に触らせた。

「主のいない日々が寂しくてこの胸がじんと痛むのが判るかね?」
「……へー……それは大変だね」

手を引こうにもびくともしない。
つまりは元気なのだろう。私の事を揶揄って遊べるくらいには。

「ねえ、少し大事な話があるのだけれど……いい?」
「ふむ。貴殿がそのような事を言ってくれるとは……よもや私との婚姻の話かい?」

余計な事は受け流す。

「アマツミカボシ、って、知っているよね」
「これまた随分懐かしい。……それがどうしたのかね」
「あなたが居ない間に、鶺鴒台で産魂んだの」
「なるほどなるほど……」

フツヌシが顎に手をやり意味ありげに頷いた。

「今、悪いこと考えてるでしょ? 駄目だからね。揶揄って遊んだりしないでよ」
「さて、どうしようかな」
「フツヌシ!」

ぴしゃりと言うが、なんのその。

「はいはい。主の考えは判っている。ここを血の海にしたくないのだろう」
「……そうだよ」

英傑達には過去がある。そして因縁がある。
本殿内でくらい平和で過ごして欲しいと願っているが、なかなか上手くいかない。
多少の小競り合いならともかく、殺し殺されの関係の相手と仲よくしろとはなかなか無茶ぶりだ。
私は互いの憎しみや怒りを考慮しつつも、私闘だけはやめてくれと最低限の線引きを設定している。

「……でも。主がそんなに必死になるなんて妬けるね。
 そうやって主の気を引くものなんて、いっそ壊して差し上げようか」
「絶対やめて」

嫌がると喜ぶのがフツヌシの欠点だ。
今はもう新しい玩具が出来て嬉しくてたまらないのだろう。

「フツヌシ! 本当にやめてよ。タケミカヅチだってこれは了承してもらってるんだからね」
「ほう。兄弟は偉い。模範的な英傑だね。ああ、私とは正反対だ」
「やめなさい」

掴まれたままの腕を振り払おうとしたが、やっぱり出来ない。

「ふふっ。主のそんな顔が、とてもそそるのだが。
 ……私が大人しくする交換条件にどうかね、私と楽しい一時でも過ごしてみないか」

──フツヌッ、

「貴様!」

突然の怒号。
私たちの間に割り込んできたアマツミカボシはフツヌシに剣を振るい、片手で私を引き寄せた。
そのままフツヌシと対峙する。

「相変わらず腹の立つヤツだ」
「貴殿も相変わらず、つんつんしているね。……まずは主を放してもらおうか」

より私を抱く力が強まった。

「貴様なんぞの言葉を聞く耳などもたん!」
「やれやれ。これは臣下としては正当な戦闘、として扱ってもらえるのかな?」

そう言うフツヌシは愉快な気持ちが溢れんばかりで、私は心の底から呆れてしまった。
フツヌシは面倒事やいざこざが好き過ぎる。

「アマツミカボシ。……私を放してもらえる?」

見上げた彼は躊躇っていたが、私が見つめ続けるとゆっくり身体を放した。

「……これで成立しない。あなたもそう嬉々とされると困るんだけど」
「……残念だねぇ」

平坦で何の驚きもない平和な日常が嫌いなのは判っているが、巻き込まれる方はたまったもんじゃない。

「まあ、主の言う事は聞こう。星神殿には手を出さないと、この拳に誓おう」
「うん。……ありがとう」
「感謝の気持ちを込めて、貴殿を好きにさせてくれたら大変嬉しいのだがね」
「っ!」
「それはお断り。また別のものでね」
「ははっ。主はいつもすげなく流すねえ。嫌いじゃないよ」

そう言って、去る時はあっさりと離れていく。
部屋に残ったのは私とアマツミカボシ。

「……ここに用はない」

踵を返すアマツミカボシを呼び止めた。

「さっきはありがとう。助けてくれて」
「助ける? 勘違いも甚だしい」
「勘違いじゃないと思う……。でも、その方が都合が良いなら、そう思うようにするよ」
「……勝手にしろ」

冷たく言い放つと、彼もまた部屋から出ていった。

あの時、ただフツヌシと対峙するならば私の事は関係なかった。
邪魔なら突き飛ばすなり、避けるなりすればいい。
でも彼は何故か私の肩を抱いて己に引き寄せた。
フツヌシから引き離すように、半身を後ろに下げて。
言い合いをしていた私を守ろうとしてくれたのだろう。
引き寄せた腕は力強かったが、同時に温かくもあった。

……なあんだ。
思っていたより、私は嫌われていないのかもしれない。







朝、いつもの通りに朝食前に仕事をしていると「入るぞ」と短く言って入室する英傑がいる。

「おはよう。アマツミカボシはいつも早いんだね」
「頭ほどではない」
「私だって、ただ油がもったいないから太陽のあるうちに出来るだけ働いておきたいだけだよ」
「そうか。そろそろ飯の準備が出来た頃だ。早めに切り上げろ」
「じゃあ、今行く。一緒に行く?」
「行かない」
「判った」

私は区切りが悪くても仕事を中断し、広間の方へ向かう。
数歩後ろには、アマツミカボシが歩いている。

食事は長机のどこで食べても良いので、私は端の方を選ぶ。
そうするとアマツミカボシは、私とは一人分の席を空けた所に座る。
アマツミカボシはまだ若干英傑達に遠巻きにされているので、私たちの間に誰かが座る事はない。
だから、空いた空間を挟んで、一人と一人で食べた。

食べ終わるのはいつも私が遅い。
アマツミカボシは早食いほどではないが、誰とも話さないので早い方だ。
食後には熱いお茶を飲みながら、ぼうっとしている。
私はその間一生懸命食べ、終わればすぐに食器を下げに行く。
そうやっていると、さっきまでいたはずのアマツミカボシはいなくなっている。


────別の日の日中。

「あれ、どうしたの」

執務室に無言で入ってきたアマツミカボシは「別に」とそっけない返事を返す。

「今日はいい天気ね。部屋の中に流れる空気が気持ち良いよ」
「ああ」
「……元気?」
「いつも通りだ」
「そっか、良かった」
「…………」
「…………」

話はすぐに途切れる。私たちには共通の話題がない。
それに話を振っても、あまり膨らむことが無い。

「……用がないのなら行く」
「うん。いってらっしゃい」
「……本当に何もないんだな」
「……。実は、ですね……」

どこどこで、討伐依頼が来ているということを伝える。

「ハッ、下らん。俺がわざわざ行く必要など感じられん」
「うん。だから他のえい、」
「まあいい。偶然手が空いているからな。すぐに終わらせてやるから待っていろ」

と言い放ってさっさと行ってしまい、その日のうちに「手応えが無さ過ぎる」と報告に来る。
普通に言えば良いのに、何故か天邪鬼のように不思議な言い回しを毎度飽きずに行う。
彼はなんて面倒く……いや、個性的な神様なのだろう。
私も何度もこのやり取りをして、だんだんと彼の言葉を翻訳できるようになってきた。

少しずつではあるが、日々暮らす中で私たちは、独神と英傑の関係を着実に作り上げていた。